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運動場に至る道を、撃退士たちは走る。
囚われの男性たちを救うべく、ひたすらに、がむしゃらに。
その中にあって、怒りを叫ぶ者が二人。
「うぉぉっ、騙されたァァ!」
「返せよ、僕の純情を返してほしいっすよ!!」
一文字 紅蓮(
jb6616)と、天羽 伊都(
jb2199)だ。
むっちむちな淫魔が壮絶な濡れ場を展開しているらしいと聞いて、目の保養あわよくば役得にあやかれると踏んで仕事を引き受けたこの二人。
その期待は、出発直前に見せられた資料映像によって見事に打ち砕かれたのである。
映像の内容とは、運動場でエクササイズする黒い肌と筋肉が眩しい男性型ディアボロの姿。インナーマッスルを鍛えるディアボロ、通称インマ。
彼らの夢見た女性がAhなことやOhなことをしてくれる状況など、どこにもありやしない。幻想は粉砕されたのだ。
行き場のない彼らの怒りは、インマへと向けられた。
こんな紛らわしい表現をされる方が間違っている、お前らの敗因は一つ。たった一つのシンプルな答えだ。
「「てめぇは俺らを怒らせた!」」
……まだ勝ってないけど。
「不純な怒りだな。もっとマシな怒り方はねぇのか?」
まともなツッコミを入れる江戸川 騎士(
jb5439)は嘆息。
概要に釣られた者が悪い、それは負け犬の遠吠えに過ぎないのだと。
「そうだよ、ひがい者が出てるんだもん!
「いや、確かにそれもそうだが……」
エルレーン・バルハザード(
ja0889)が同意すると、騎士は首を振るった。
いったい、何が違うというのか。
「正確にラジヲ体操を毎日こなせば、生活に必要な清く正しい柔軟なインナーマッスルなど、着く! あのような鍛え方など邪道だ!」
酷くお冠のご様子であった。
「それはちょっと、また違うと思うけど……」
蓮城 真緋呂(
jb6120)が眉をハの字にして口を挟む。
個々の主張は不毛。要救助対象をまともに心配する声を発したのはエルレーンのみだ。
男ってやぁねぇ。
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運動場は夏のうだるような暑さに晒されて異様な熱気に包まれていた。
その中央には、なんとも暑苦しくむさくるしい光景が広がっている。
弾け飛ぶ汗、躍動する筋肉、輝くスキンヘッド……インマが三体。さらに街のあらゆるところから集められた男性たちが、激しく狂おしくエクササイズをしている。
さらに会場には大音量の音楽。それに負けぬ声量で声を発するインマ。
これぞまさしく漢の園!
「さぁ、まだまだインナーマッスルを鍛えていくぞォ!」
「待てやゴルァ!!」
制止すべく声を上げたのは紅蓮。
照りつける太陽に反射する白の特攻服が眩しい。
彼の怒りは、インマを倒すためだけに!
「指示した方向に拳を突き出していくエクササイズでいくぞ。レフト、ライト、レフト、ライト!」
「おどれ、無視しやがって! なーにがいんなーまっするじゃわい! ようみさらせ筋肉達磨共ッ!」
彼は己の筋肉を強調。
しかし、インマの注意は引けなかった!
エクササイズに夢中なのか、撃退士など眼中にないのか。
それは、紅蓮の怒りを増長させる。
「邪魔じゃパンピー共がッ!」
あろうことか、彼は強制エクササイズを続ける一般人を押し退けて進もうとした。
他の者が制止をかける間もなく、紅蓮は人の群へと飛び込んだのだが……。
右へ左へと突き出される拳。四方から降りかかる打撃にまみれ、あっという間に紅蓮は人ごみに埋もれてしまった。
「HAHAHA! なかなかのマッスルだが、インナーマッスルが足りんぞ! キミもここでエクササイズだ!」
インマが喜びの声を上げる。
次の瞬間には、一般人に混じってエクササイズに興じる紅蓮の姿があった。
催眠術にかかってしまったらしい。
「筋肉、筋肉、筋肉……! いい加減うるさいよ」
目の前の様子に怒りを露わにする真緋呂。それは、人々を操る所業に対してではない。やかましく繰り返される筋肉に連なる単語が、彼女のフラストレーションを上昇させたのだ。
「筋肉は素晴らしい! 体脂肪を極限まで減らし、肉を鍛えるのだァ!」
「黙れ! 私だって、狙って胸に脂肪がいったわけじゃないのよォ!」
「なん……だって……」
インマの一言に、真緋呂がキレた。
胸の発育が良い彼女。それは、彼女にとってのコンプレックスであったに違いない。
そして、真緋呂の言葉は、あらぬ方向へと精神的ゆすぶりをかけることになる。……エルレーンだ。
真緋呂とは対照的に、胸の発育が皆無にも等しいエルレーン。それはもちろん、コンプレックスである。
「わ、わたしだって……」
俯くようなエルレーンがぼそりと言葉を漏らす。
そしてキッと正面を睨むように顔を上げた彼女は、悲鳴にも似た怒号を発した。
「ねらって胸に脂肪がいかないわけじゃないんだよォ!」
……もうしっちゃかめっちゃかである。
ともかく、この場を収められる者は……。
「やっぱりそうだ。女性なんていやしない。むっちむちの美人淫魔なんてどこにもいないじゃないか、チクショーッ!」
伊都は、そういった意味では貢献できなかった。
しかも、騎士は他の役割を担ってどこぞへと消えている。
チームワークというものはとっくに崩壊していたと言っても良いだろう。
「ともかく、催眠術の正体は何でしょう」
真緋呂は呟く。
催眠術の正体が視覚や聴覚に訴えるものならば、紅蓮と同じように、真緋呂や伊都、もちろん真緋呂だって影響を受けていてもおかしくない。
それがないということは、もっと他の何かがあると考えるのが妥当。
しかし、考えてもその正体は分からなかった。
とはいえ、だ。
音楽が催眠術の正体であるという可能性が消えたわけでもない。真緋呂は念のために耳栓を装着した。
そして、エルレーンは何やら持参した機械を弄っている。
「もう怒ったもん……。後悔させるんだから、わたしの胸をさげすんだインマを、後悔させるんだから!」
「いや、インマは何も言って――」
「うるさい!」
あらぬ方向へと怒りを向けるエルレーン。
それは違うと伊都が口を挟もうとするが、キッとにらみ返されて黙りこんだ。
一方のエルレーンは、持ち込んだ機械――音量設定の幅がやけに広いスピーカー(電池式)のセットを完了していた。
「腐腐腐……わたし秘蔵のディスクをさいせいさせちゃうよ……!」
彼女の目を、伊都は直視できない。
腐りきった目、それでいながら紅潮する頬、浮かぶ玉汗。
何もかもが異常。
伊都はそんな、絶対に踏み込んではいけない領域を目にした。
「きけッ! ときめけエリュシオンガールズサイド数量限定豪華版予約特典ドラマCD『ボーイズラブメイク』!」
タイトルを耳にした瞬間、伊都が耳を塞いだのは言うまでもない。
スピーカーから流れる音楽――いや音声は、運動場のアナウンス用スピーカーから流れる音楽をも掻き消す音量だ。
『ようこそ、俺の部屋へ』
『なっ、先輩? どうして鍵を……』
『決まってるだろう、お前を、俺のものにするためさ』
『そんなっ、先輩、冗談よしてくださいよ』
『これが、冗談を言っている目に見えるか?』
男性が聞くにはあまりにも忍びないやりとり。
ときめけエリュシオンといえば、高校を舞台とした恋愛ゲームだ。その女性向け版――つまり、女性を主人公として攻略対象の男子と付き合うことを目指していくゲームはよく知られたゲームである。登場する男子キャラクターは一部過激な女性ファンから間違った人気も高く、ついには開発陣までもがその波に乗っかって、予約特典として男子キャラクター同士のイチャイチャラブラブなドラマCDまで作ってしまう始末。
エルレーンは、それを所持していたのだ!
学校の先輩と後輩の男子同士。先輩の部屋へと招かれた後輩があんなことやこんなことをされ……。
「NO!! なんだ、なんだそのドラマはッ!」
しめた!
インマの様子が明らかにおかしい。きっとこの手の耐性はなかったのだ。
「ほら、せめるよ!」
「え?」
「え、じゃないよ。相手がひるんでるんだよ。いつせめるか、今でしょッ!」
相手の動きに乱れが出たのを確認したエルレーンは、伊都の肩を叩いてやる。
呆けた表情を見せた伊都にエルレーンは喝を入れ、駆ける。
その様子を目で追った真緋呂も、何が起こっているのかを正しく把握していないものの、好機に代わりはない。
そして伊都も、半ばヤケクソになって走り始めた。
……しかし。
「その程度で止まると思ったかい?」
恐るべきことに、インマたちは流れるBLドラマCDをそのままエクササイズへと変換してしまった。
『捕まえた。もう離さないよ』
「捕まえたぞ。もう離さんからな!」
「げぇ!?」
催眠術にかかった紅蓮は、なんと流れる音声に合わせて伊都に抱きついた。
しっかり鍛えられた筋肉に裏打ちされた腕力による暑苦しい抱擁は、非常にキツい。……精神的にも。
『や、やめてください先輩!』
「や、やめてほしいっす紅蓮さん!」
『駄目だ、もう我慢できない……』
「駄目だ、もう我慢できねぇ……」
抵抗虚しく、伊都はギチギチと締めあげられる。
それになんと、紅蓮は自慢の特攻服を脱ぎ始めたではないか。
いよいよあらゆる意味で身の危険を感じた伊都は必死にもがき、助けを求める。
仲間の危機を察知し、振り向いたエルレーン。
救助のため駆けよるかと思えば、ところがどっこい、彼女はスマートフォンを取り出してカメラアプリを起動した!
「ちょ、何撮ってんすか、たす、け、アッー!」
その後、彼がどうなったのかは明記を避けるものである。
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一方、騎士はというと、運動場の放送室を探していた。
彼もまたスピーカーから流れる音楽が催眠術に関係しているのではないかと考え、その大本を断とうと画策したのである。
「ここか……」
放送室へ踏み入ると、やはりシステムが作動していた。
スピーカーの電源が全てONになっており、音源もしっかりとセットされている。
急ぎ、放送システムの電源を落とした。
ブツ切りに音楽が途切れる。
備え付けの窓からグランドの様子を伺い……そして、嘆息。
「チッ、駄目か」
一般人たちが正気を取り戻した様子はない。
音楽は関係なかったのだろうか。
……考えてみれば。
音楽が催眠術の正体だとしたら、事前情報の段階から、「人々が連れ攫われる際に音楽が流れていた」などの情報があったはずである。
失敗だ。
窓を殴りつけるようにして、騎士は急いでグランドへと向かった。
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現場で騎士が見たものとは、まさしく筆舌に尽くしがたい泥沼の戦場であった。
紅蓮と伊都は目をそむけたくなるような体勢で絡み合っているし、エルレーンはその様子を激写しているし……。唯一まともに戦おうとしているのは真緋呂くらいだろうか。
「おい、いつまでやっている。さっさと仕掛けるぞ」
「も、もうちょっと……なの」
「やれやれ」
目の前に展開される腐界を切り崩すべく、騎士はエルレーンに声をかける。が、彼女は聞く耳を持たない。
溜め息を吐いた彼は、エルレーンの首をひっつかみ、ずるずると引きずり始めた。
「わーっ、せっかくのシャッターチャンスが!」
「いいから戦うぞ。それから、この耳障りな音声も止めておけ」
エルレーンは渋々といった様子でスピーカーの電源を切った。
動き方の指標を見失った一般人たちの体からだらりと力が抜ける。それは紅蓮とても例外ではなく、伊都はあられもない姿となってようやくその腕から解放された。
とはいえ、催眠が解けたわけではない。彼らは呼びかけにも応じなければ、動きもしない。
この時、真緋呂はようやくの思いで正面のインマの背後へ回り込んでいた。蜃気楼で己の身を隠していた彼女。ここから攻勢に出る。
「もう、さっきから気持ち悪いっ!」
パッと姿を表した真緋呂は、武器を振りかざして切り込んだ。狙うは、足だ。
「ギャッ!? い、いつの間に……」
「どこを見ている」
振り向いたインマへと飛びかかったのは騎士。その背へ、大きな傷跡をつけてゆく。
死に体といっても過言ではない伊都は、ゼェゼェと息を荒らしながら別のインマへと攻めかかる。
「よ、よくも、僕の純情と純血を踏みにじってくれたっすね! もうお婿さんに行けないじゃないっすか!」
よほど酷い目に遭ったようだ。後でエルレーンの撮影したデータは抹消せねばなるまい。
そして、残る一体にはそのエルレーンが向かう。彼らインマは、楽しげな夢を与えてくれた。感謝はしている。だが、それと仕事とはまた別の問題だ。
……あれほど筋肉筋肉と騒いでいたのだからよほど戦闘に自信があるのだろう、と撃退士たちは踏んでいた。が、実際にはそんなことはなく、むしろ個々の能力は弱いといっても良かった。
バタバタと倒れてゆくインマたち。
最後のインマへトドメを刺さんとした伊都。が、その前に、彼にはどうしてもきいておきたいことがあった。
「最後に教えてほしいっす。催眠術の正体って、何だったんすか?」
「ふん、愚問だな」
さも当然のように、思うように動かなくなった口から言葉が漏れる。
催眠術の正体は、実に、あらゆる意味で、衝撃的だったことだろう。
「男の色気だ!」
「……」
伊都は、無言でトドメを刺す。その心中は察するにあまりある。
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真緋呂、騎士は、救助した一般人たちに持参したドリンクを与えていた。
炎天下でエクササイズを強要されていた彼らの体力は限界。熱中症、脱水症寸前あるいは既に発症している彼らに必要なものはまず水分。重症の者を搬送すべく、救急車の手配は既に済んでいる。
これによって命を救われた者もあることだろう。
他の者はといえば……。
「ハッ!? わ、儂ぁいったい……」
正気に戻った紅蓮は、既に依頼にカタがついていることに気づき、狼狽。
そして更に、己の姿を見て、狼狽を重ねることとなる。
「な、なんじゃこりゃぁぁッ!? 儂の、儂の特攻服はどこじゃ!?」
何故か自慢の特攻服を脱ぎ捨て、心なしかその他の衣服も乱れているような気がする。
その叫びに、伊都は努めて視線を合わせぬようにしながら、特攻服を投げよこした。
よく分からない態度に、紅蓮はぎこちなく礼を述べるが、伊都は目を合わせないどころか口すらも開かない。
彼が何を思っていたのか。それは、彼自身のみが知る。
「てかてかまっする、キモかったよー……」
エルレーンはというと、テンションが劇的に下がっていた。
彼女が好む男性像は、どちらかというと線が細い、あるいは細マッチョな引き締まった男性ということなのだろう。先ほど紅蓮と伊都がチョメチョメな感じになっていたことへ示した興奮は、紅蓮よりも伊都に向けられたものなのだろうか。
伊都は、何故だか寒気を覚えた。