●芸者のアサニエル
宴の盛り上がる屋敷。上物を手にしたことで浮かれる人身売買の一派を懲らしめんと、潜入したのはアサニエル(
jb5431)だ。
秘密裏に事を遂行し、影から悪を断つ。狙いを澄まし、必要最低限の人間だけを裁いて、的確に組織を崩壊へ導くことがこの仕事。
しかし、アサニエルは堂々と廊下を歩いていた。ターゲットを探すためではない。ターゲットを釣るためである。
「ちょいと、お兄さん」
声をかけられた男が振り返る。
この男、酒宴が開かれている中にあって、部屋の外でいつでも酒の追加を注文できるようにと待機していた者。
とはいえ、宴は盛り上がり、一人つまはじきにされたような男は、わざわざ役目を全うするのも馬鹿らしくなり、屋敷を離れぬ程度にぶらぶらとほっつき歩いていた。
女中の衣装を身にまとうアサニエルは男が振り返ったのを確認すると、古き時代の遊女を思わせる口調を意識して語りかける。
「わっちは宴の余興にと舞を披露しに来たのでありんす。けれど、お部屋の場所が分からんで……」
「お、そうかいそうかい、なら、俺についてくるといい。案内してやろう」
なかなかサマになるアサニエルの姿に男はすっかり騙され、また気を好くする。
宴に混じれない鬱憤が溜まっていたらしい、この男。会場へ案内すると言いながら、先に立って歩く様子を見せない。それどころか、アサニエルの脇に立ち、その肩を抱こうとするではないか。
刹那。腕をかわした女中は、男の手を捻り上げつつ背後へと回る。
突然のことに悲鳴を上げんとしたその口を塞ぎ、締めあげた腕を解放した手でボールペンを取り出す。
「遊びたいかい? なら、わっちと遊んでいってくんなまし」
芯を出したボールペンで、男の首筋を一突き。
神経を圧迫された男は、一瞬で白目を剥いて倒れ伏した。
「良い思いはできたかい? せいぜい、そのまま休んでいなよ」
吐き捨て、アサニエルは衣服の乱れを糺す。
その一部始終を影から見ていた犬乃 さんぽ(
ja1272)は、苦笑いを浮かべて顔を出した。
「わぁ、怖い怖い」
「あんたのやり口に比べれば、まだ平和的なもんさね」
さんぽは苦笑を重ねた。着こむ忍装束の内側には、必滅の得物がギッシリ。これらをフル活用しようというのであるから、否定のしようもなかった。
周囲を見る。廊下を歩く者の姿はない。
今なら、越前を仕留めることができるかもしれぬ。
●ヨーヨー吊りのお散
天井裏に忍び込んださんぽは、宴会の様子を盗み見る。
上座に越前と思われる人物が座り、一派の構成員たちがずらりと並んで下世話な話に盛り上がりを見せていた。
「てっきりボスが宴会をしているかと思ったけど……あれが仲介人か」
彼が狙っていたのは、一派の頭目。
宴会があるというのだから、そこに首領がいるものだと思っていたが……そうではなかったらしい。
ふと、越前が席を立つ。
「越前殿、どちらへ?」
「厠じゃ」
どっと笑いが巻き起こり、越前がいそいそと部屋を出る。
これを目にしたさんぽは、その行く手へと先回りした。
酒は尿意を誘う。一度催したら一刻も早く出してしまいたいもの。
廊下を急ぐ越前。
しゅん……。
その背後。耳慣れない音が響いた。
不審に思って振り向くも、そこには誰もいない。
「飲み過ぎたか?」
きっと酔ったせいだ。そう思いなおして、便所へ急ぐ。
しゅるるるん……。
まただ。
鋭く編まれた糸が、勢いよく伸び縮みするような音。
振り返る。誰もいない。
これ以上飲むのは控えよう。越前は心中決めて、また歩きだす。
ガサッ!
庭の木がざわめいた。
いよいよ恐ろしくなって、おぼつかない足を必死に動かし、厠への道を急ぐ。
逃げ場などなかった。
幹の影に身を忍ばせたさんぽが、その手のヨーヨーを越前へと放つ。
「ぐぇっ!?」
蛙の潰れたような声を発する越前。ヨーヨーの糸が、その腹に巻きついている。
二つ、三つ……。次々放たれるヨーヨーが、彼の手を、脚を捉えた。
ぐいとさんぽが無数の糸を引けば、方々の枝を通る糸が引き合って、蜘蛛の巣を描く。
その中心に磔されたかのように吊るされる越前。
「な、なんだ、どういうつもりだ!」
「ここに、涙した人がたくさんいる。そして、悪い人がここにいる。理由なんて、それで充分だよ」
言い放つや、さんぽは狼の紋があしらわれたヨーヨーを投げて越前の首に巻きつける。
ぐぅと声を漏らす、非道の男。
全てのヨーヨーを指にくくりつけたまま数歩下がれば、糸が越前の体を千切らんばかりにピンと張る。
そして、首を捉える狼のヨーヨーに連なる糸へと指を伸ばした。
「聞け! 地獄の轟きを」
ピッ……。
糸を弾けば、越前の首に振動が伝わり、そしてあっけなく、落ちた。
●辻斬の遼布
越前が仕留められている、その頃。
別の屋敷は、僅かな衣擦れも響くような静寂であった。
ここに、堕天使が捕らわれている。まさかそのような場所の近くでドンチャン騒ぎをするようなこともない。
だからこそ、慎重な動きが求められた。
蒼桐 遼布(
jb2501)は、地中へ潜行して行動に移ろうとも考えたが、諦めた。地面に潜れば、呼吸ができなくなる。いかに元魔界の者といえど、いや、天界の住人だろうと魔界の住人だろうと、呼吸しなければ命を繋ぐことができない。
仕方あるまいと、廊下を歩いて標的を探す。
大事な商品を保管しているこの屋敷に、見張りの一人もいないということはあるまい。これを対処せねば、救助対象へ近づくことも叶わない。
一人……。
廊下をうろつく男がいる。間違いなく、見張りの男だろう。
これを、仕留める!
見つかって騒がれたら面倒だ。遼布はふわりと浮上して、梁へと身を隠した。
「おい……懺悔の準備はできたか?」
そして、声をかける。
流石に見張りというだけあって警戒していたのだろう。ハッと振り向き、懐からナイフを取り出す男。
しかしその動きより早く、遼布が天井を蹴った。剣を構え、着地と同時に振り抜く――はずだった。
「待つです!」
腕を捕まれ、耳元に漂ってくる声。
刃は男の体を捉える寸前でピタリと止まった。
男はといえば、死を目前にして泡を吹き、どうと倒れる。
「邪魔をするな」
「殺しちゃダメです。それじゃあ人身売買と同じ、悪党です」
遼布を止めたのは、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)であった。
仕事といえど、命を奪えば罪に問われる。仲間が殺しを働いたとなれば、共に依頼を遂行する自分にも迷惑が及ぶ。
相手が悪であることは明白ながら、それを理由に殺してしまえばただの蛮行に過ぎない。
「悪党だと? そんなものも、正義なんてものも、関係ないな。俺は、俺の敵を滅ぼすのみだ」
「だーかーら、それじゃダメなのです」
「くだらん」
「……もう、いいですよぅ。後は僕がやりますから、先に戻っててください」
価値観がまるで違う。
何を言っても遼布は納得しないだろうと悟ったカーディスは、疲れた様子で遼布を宿へ戻るよう指示した。
鼻を鳴らして帰っていく遼布を目に、ため息を一つ。さっと気を取り直し、堕天使の捕らわれている地下牢を目指す。
●黒猫キャット
カーディスの出で立ちは、着ぐるみというより他なかった。
人間サイズの黒猫が、二本足でひょこひょこ歩く姿は、場所が場所ならちびっ子が飛びついてきそうなほどに愛らしい。が、ここは夜の屋敷。シュールではあるが、同時に不気味でもある。
「えっと、地下牢はこっちだよ」
文美の案内で地下入り口へと歩を進めたカーディスは、扉にそっと耳を当てた。
しんと静まり返っているが、見張りがいると考えるべきだろう。
ここで待つよう文美に告げ、そっと部屋へ足を踏み入れる。地下へ通じる階段がそこにはあった。
カーディスも無意味に着ぐるみでここへ来たわけではない。その衣装は足音を隠す。その毛色は闇に紛れる。
これぞ潜入にバッチリ適した装束(当社調べ)なのである!
といえども、素直に階段を降りるは愚の骨頂。憎き一派に己の身を晒す所業に相違ない。
当然、カーディスは斯様な愚を働かぬ。
これぞNINJAの妙技、NINPO壁走り。その術は壁を走ったり歩いたり止まったりできるJAPANESE奥義。喩え見張りがいようと、壁や天井を歩いて不意を突くこともできる。ワザマエ!
階段の天井を、音もなく進むカーディス。その先に見える、鉄の折。簡素な椅子に腰かける男が、こちらの方へと目を向けている。幸いにしてこの場は薄暗く、まだ発見されてはいないようだ。
このままでは相手の死角へと回り込めぬ。どこかに、隙ができれば……。ほんの一瞬でいい、視線が逸れれば……。
その時。天の助けか仏の慈悲か、牢の中で衣擦れの音が鳴った。
気を取られた見張りの男が、ちらりと目を逸らす。
好機! カーディスは天井を這うようにして男の頭上へと移動。
そして――。
「超必滅にくきゅう拳!」
説明しよう! 超必滅にくきゅう拳とは、相手の死角より接近しその顔面へ肉球を押しつけ、口を塞ぎ、酸素の供給を断ちつつ意識を奪う恐るべき必滅技なのである!
この見張りは撃退士らしいとの情報があったものの、しかし不意打ちには対処もできず、その顔は赤くなり、青くなり、べたつく汗を吹き出して昏倒した。
すかさず男の所有物を漁り、鍵の束を手に取ると、牢の鍵を外す。
中に横たわる堕天使は酷く衰弱した様子で、目は虚ろ。言葉も発さず、ぐったりとした様子であった。
「じゃあ、この人は私が連れていくよ。後のことはお願いね」
合流した文美が、堕天使を背負う。
頷いたカーディスは、鼻歌混じりに場の後始末を開始した。
●杖士のリーガン
屋敷は三つある。一つは越前を中心に宴が開かれ、一つは商材としての堕天使が監禁されていた。残る一つにいるのは、一派の頭であろう。
リーガン エマーソン(
jb5029)が狙いをつけたのは、この頭目がいる屋敷――なのだが、彼は宴の開かれる屋敷にいた。正確には、その屋根を歩いていたのである。
コツ、コツ……。靴底と杖が湿った空気に乾いた音を流しこんでゆく。
その視線は鋭く、怒りに燃えていた。
静かなたたずまいながら、内に宿る思いは尋常ではない。
彼は、頭のいる屋敷を見ていた。ここからならば、相手に見つかることもない。むしろ、こちらには注意を払っていないだろう。
そこに、一人の見張りがいる。既に桐原 雅(
ja1822)が先行し、頭を捕縛するタイミングを計っていた。邪魔をさせるわけには、いかない。
スッと杖を持ち上げ、まるでスコープを覗くように、杖先を見張りの男へと合わせる。
杖の下に構えるは、クロスボウ。
「少々痛い目にあってもらおう」
引き金を引く。
飛び出した矢は、男の肩に突き立った。
突然射抜かれたショックに、男は白目を剥いて倒れる。
杖を撫で絞るようにしたリーガンは満足気にまた歩を進める。
今日も、杖は殺人的に鋭く、まっすぐだ。
「非道には、報いを。己の所業を、悔むことだ」
二人目を、三人目を仕留め、リーガンは進路を確保したことを確認すると、雅がいるであろう方向へと矢を放った。
それは屋敷の廊下を通り抜け、立ち並ぶ樹木へと突き立つ。
合図だった。
頷いた雅は、さっと身を翻して目的地へと急いだ。
●足屋の雅
リーガンによって見張りが討たれたことで、雅は難なく頭がいるであろう部屋の前へと辿りついた。
部屋には明りが灯っている。人がいるのは間違いない。
果たしてその部屋では……。
「今回は上玉だ。儲けの見込みはざっと考えても……ふっ、越前め、多少は優遇してやらんとな」
頭が下卑た笑みを浮かべていた。
札束を並べ、その数を数え、これがさらに増えるとなると頬の緩みを禁じえない。
その時である。
揺らめく行燈が障子を照らし、そこに雅の影が映る。
「だ、誰だ!」
「人身売買で私腹を肥やして宴会三昧とは、いいご身分だね」
ガラッ!
障子を開けた雅が、冷めた表情で詰め寄る。
頭はすっかり怯えた様子で、腰を抜かして後ずさった。手に触れるのは札束。抵抗のつもりか、それを雅へと投げつける。
「なんだ、や、やめろ、ほら、金ならやる、ほら、ほら!」
しかし、雅はその手の剣を炎に翳して煌かせるのみ。
真っ青になった頭の表情は、どこか滑稽でさえあった。
刃を振るう。
必死の体でかわした頭の腕に、胸に、脚に、切っ先が傷をつけてゆく。
部屋の角へと追いやられた頭は、壁に背を預け、さらなる逃げ場を求めるようによろよろと立ち上がった。
「その罪を悔いて……逝け」
大剣を捨てた雅が、勢いを乗せた回し蹴りを放つ。
横っ面を捕えられた頭は横転。泡を吹き、ピクピクと身を震わせながら意識を失った。
「下種だね。手荒く、やらせてもらったよ」
吐き捨て、雅は頭を縛りあげてその部屋を後にした。
●
堕天使は無事救出。頭や越前を初めとした人身売買の一派も解散へと追い込んだ。
後の始末は警察が行う。撃退士の仕事はこれまでである。
宿を経ち、帰途へ着く仕込人たち。
朝焼けが目に眩しい。
また学園でいつもと変わらぬ日々が待っている。
この世に悪の栄えた試しなし。悪が笑う日が来るならば、誅してくれよう仕込人。
登り始めた太陽へと、彼らは消えてゆく。彼らの心は正義か悪か。光か闇か。人に聞く闇夜の始末人。それが必滅仕込人。
さぁ……。
仕事の後は、授業だぜ。