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斡旋所に掛け合おうと、これといった情報は得られなかった。情報が秘匿されているわけでもなく、裏で誰かが隠蔽しているわけでもなく、単に、斡旋所も情報を持っていなかったのだ。
エミリと被害者の関係も、不明瞭。何らかの関係があったとは目されているが、事件発生後すぐに撃退士出動要請となったために、詳しい人間関係については調べる暇もなかったのである。優先すべきは犯人の処分であり、加害者が特定された以上は犯行の動機などは後回しだ。
つまり、撃退士はエミリを処分すれば良いのであって、それ以外の細々としたことは後から調べても充分に間に合うということである。
強いて得られた情報があるとすれば。
「夜の町を徘徊、ねえ。すぐに逃げなかったってことは、何か狙いがあると考えるべきかな」
綿貫 由太郎(
ja3564)が帽子を被り直しながら呟いた。
情報だけを見れば、これといって有力なものとは思えない。せいぜいが、夜に探せばエミリに行きあたる可能性が高い、ということくらいだ。
何故有力と言い切ることができないか。それは、ただ依頼を達成するだけならまだしも、撃退士たちは「後から調べても充分に間に合う」情報に興味を抱いていたからである。
即ち、犯行の動機だ。
「いちじ的だって、仲間、だったんだ。どうして……」
「魔界を裏切り、人間を裏切ってまでもやらなきゃならないことがあった、ってことやろなぁ。あるいは、そんな理性が崩れるだけの出来ごとがあったのか、どっちかやな。多分前者やろけど」
「はうはう、そうなの?」
「さっき綿貫さんも言ったやろ、狙いがあるから、町に留まっているって。衝動からの犯行なら、さっさと行方を眩ましてるはずや」
ポツリと漏らしたエルレーン・バルハザード(
ja0889)に、宇田川 千鶴(
ja1613)は答えた。
先に綿貫が発言したように、エミリは何かしらの目的があって町に留まっているのはまず間違いない。となると、今回発生した事件も計画的な犯行であった可能性も見えてくる。
未だ計画の半ば……。そう考えることはできないだろうか。
「だが……如何なる理由が、計画があろうど、罪は償わなければならん」
「償わせようというのか? 酔狂だな。依頼は殺処分であるというに」
償わせる、ということは、エミリを生かすという意味に取れる。紀ノ川 秀悟(
jb5214)の言葉をラドゥ・V・アチェスタ(
ja4504)は笑った。
表現を誤った、と秀悟はこめかみを掻く。意図したことを伝えるのは難しいものだ、と彼は感じていた。命を以て罪を償わせる、と言いたかったに違いない。
「まずは、犯人を見つけないことには始まらないよね。闇雲に探しても効率が悪いし、どうする?」
明確な手掛かりがない状態での捜索に当たらざるを得ない状況を嘆くアデル・リーヴィス(
jb2538)。
二班に分かれて捜索するという案はかなり早い段階で出ていた。相手がどこにいるか分からない以上、足で探すしか手立てがないわけだが、問題はその後だ。
発見次第、戦闘に移らねばならない。一般人が避難していない町中での戦闘行為は危険だ。どこへ、どのようにして誘導するか、策を練る必要がある。
「ほんなら、私とバルハザードさんで、被害者に変化してみるのはどうやろか」
「そっか、ころしたはずの人がいたら、きっとおいかけると思うの」
千鶴の案に、エルレーンは納得。
自ら手を下した相手が目の前に現れたとあれば、エミリは混乱するだろう。そしてその真偽を確かめたいと思うだろう。つまり、追ってくる。そこで人気のない場所へ移動すれば、住民に被害を出すことなく戦闘へ移行できるはずだ。
反対意見はない。作戦は決まった。
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二つの班に分かれた撃退士たちは、西エリアと東エリアに分かれてエミリの捜索に当たった。
その内の一班、西エリアを担当する千鶴たちは驚きを隠せなかった。
夜分故に少なくはあるが、出歩いている住民がいるのである。何故避難しないのか、何故家で大人しくしていないのか、彼女らには理解できなかったのだ。
「危ないから、すぐに帰ってくれないかな? 殺人犯がうろついているんだよ?」
公園にたむろしていた青年たちへ、アデルが声をかける。
それは彼らを気遣ってのことであったが、しかし、帰ってくる視線は冷ややかなものだった。
「は? なんで俺らが逃げなきゃなんねーの?」
「ああ……、なるほどな」
言葉を耳に、秀悟は顎をしゃくった。
何故避難しないか、その理由が分かったからである。
「どういうこと?」
「あんたは、自分の住む町でたった一件の殺人事件が起こったら、次は自分が狙われるかもしれないって家に引きこもるか?」
「まぁ……しないやろな」
「そういうことだ。ただ、今回の犯人がはぐれ悪魔だったってだけで、他は普通の殺人事件と変わらん」
千鶴はふむと唸った。
一般の人間なら、そんな風に考えるのかもしれない。撃退士の方が悪魔という言葉に過剰反応しているだけなのだ、と理解した。
考えてみれば、今行動を共にしているアデルは堕天使だ。種族は違えど、エミリが有する力はアデルとそう変わらないはずである。ゲートによる力の供給から離れたはぐれ悪魔は、オリンピックに出場できる格闘家に毛が生えた程度の力しか有していないであろう。エミリが見境なく連続殺人を起こしているわけでもテロ行為を行っているわけでもないのだから、事件に伴う危険レベルはさほど高くないと言える。だから避難する必要もないのだ。
何故撃退士が出動したかといえば、ただ信用を守るため。堕天使やはぐれ悪魔は人に牙を剥く存在だと解釈されては困るから、エミリを処分することで撃退庁がちゃんとはぐれ悪魔を管理していることを示さねばならない。ただ、それだけのことである。
それでも言わねばならないことがある。アデルは口を開いた。
「とにかく、この辺で戦闘が起きるかもしれないから、避難しておいてね」
「ぁー、じゃあ、ヤバくなったら逃げるわ」
危険であることには、変わりない。エミリの誘導に失敗すれば、町中で戦闘に発展する可能性は大いにある。そうなれば、どのような被害が出るかも分からない。避難を促すことは必要だ。
しかし、青年たちには危機感がなく、忠告に聞く耳を持たない。
本当ならば今すぐに避難してほしいところだが……。
「無理強いはできない、か」
「そうだね。……でも、危なくなったら、ちゃんと逃げるんだよ?」
秀悟が諦めて呟き、アデルが念を押す。
ここで時間を取られるよりは、さっさとエミリの捜索に戻った方が得策だ。撃退士たちは公園を後にした。
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一方で、エルレーンたちはエミリらしき人物を発見していた。黒のドレス、黒の翼、金色の長い髪、赤の瞳……。斡旋所から得た情報と合致する。
「では、手筈通りに。次第を拝見しよう」
「うん。丘にゆうどうするから、うたがわさんたちに連絡をおねがいしたいの」
腕を組み、すと息を吐いたラドゥが言葉を口にする。
エルレーンは被害者に変化し、目標発見の連絡を任せた。
このまま丘へ誘導し、始末する。上手くいけばあっさりと済ますことができるだろう。
「そういうわけだ、そこの者」
「名前くらい覚えておいてほしいねぇ。綿貫由太郎、だよ」
「何故我輩が、下々の名を覚えねばならぬのだ?」
「あー、わかったわかった、そういう設定なのね、はい、はい」
綿貫は適当にラドゥをかわして、携帯電話を取り出す。秀悟となら連絡が取れるはずだ。エミリ発見の報を入れ、北方にある丘を目指す。
当のエミリはというと、住宅街をふらつき、一軒一軒の家を確認しているようだった。まるで誰かを探しているようで、少々奇怪である。
いったい誰を探しているというのだろうか。綿貫が言った、何かしらの目的を果たすため、だろうか。
下手に泳がせていれば、第二の被害者が生まれる可能性がある。その誰かと接触する前に、エミリを誘導せねば。
ラドゥと由太郎を残し、エルレーンは一人、エミリへと近づく。
敢えて響かせた足音に、彼女は振り向いた。その目に映るは、殺したはずの男。その爪に未だ肉の感触が残る、その人だ。
「貴方……? 貴方なのね、あぁ、どうして、どうして待っていてくれなかったの、帰ってきてしまったの、貴方……っ!」
何を言っているのか、エルレーンには理解できぬ。だが、エミリは確かに食いついた。
エルレーンはニコリと笑んでみせ、踵を返し、丘へ向かって歩く。
エミリが追いすがってきても、声をかけてきても、エルレーンはペースを変えず、また、口を開かなかった。
急げば怪しまれるし、言葉を放てば変化だとバレる。
その様はまるで、霊が歩いているようであった。偶然にも、エミリは勘違いの連鎖に陥り、殺したはずの男の行動を勝手に解釈しはじめた。
「そう、私を迎えにきてしまったのね。いいわ、行きましょう。丘へ行くのでしょう?」
言うやエミリはエルレーンの手を取り、静かに歩きだす。
何故そうするのか、殺してしまうほどに憎いはずの男の手を何故握れるのか、エルレーンには理解できない。
様子を見守るラドゥや由太郎にしても、それは同じであった。
「ふむ、酔狂な輩のようだ」
「ちょっと理解に苦しむねぇ。思っていた以上に危険人物のようだが、はてさて……」
由太郎は視線を上げる。
目標の丘は、すぐそこにまで迫っていた。
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連絡を受けて急行した千鶴たちは、エルレーンたちよりも先に到着していた。
間もなく、エミリが到着する。いつでも戦闘に移れるよう光纏し、物陰へ身を潜めた彼女らは、その時を待った。
そこは、エミリの起こした殺人の現場。街灯もなく、互いの顔もよく見えないこの場所からは、天に溢れる星を望むことができた。頭上には、白い月が浮かんでいる。
息を殺して数分。すると、遠くから小さく足音が聞こえてきた。
来た! 撃退士たちは武器を握り直す。
「また、ここへ来たのね。さぁ始めましょう」
エミリの爪が、月光を反射して翻る。
エルレーンへと伸びる爪。が、それは彼女の体を捉えることなく、逸れた。逸らされたのだ。
爪はエルレーンの肩を掠り、僅かな血を回せる。エミリの手首は、エルレーンに掴まれていた。
「どうして……? このために、迎えにきたのではないの?」
「まんまと嵌ったようだな。それは偽物である」
こっそりとつけていたラドゥが姿を見せ、不敵な笑みを見せる。
するとエミリは目を丸くして、エルレーンの顔をまじまじと見つめた。
変化の術が徐々に解け、男性の顔が次第に女性のそれへと変わって――戻っていく。
「あぁ、あぁ……っ、なんて、なんてことなの……!」
合わせ、エミリの表情も変化を見せる。顔から色が失せ、瞳は輝きを亡くし、唇は硬直する。
絶望の白は、怒りを帯びた赤へと変貌。騙されたことへの、あるいは別の何かへの怒気が高まり、ついには端正な顔を崩し、牙を剥き出した。
「よくも騙したなァァッ!」
「危ないっ!」
由太郎が飛び出し、エルレーンを突き飛ばす。
降りかかった爪を背に掠らせ、由太郎は舌打ち。
手を上げた以上、最早エミリを処分するより他はない。
隠れていた千鶴、アデル、秀悟も躍り出てエミリを包囲する。
エミリとしては状況が理解できていないだろう。殺したはずの男についていったらそれは偽物で、撃退士に囲まれ、今まさに始末されようとしているのだから。
「それ以上はさせへんで!」
「その手で人を殺めたあなたは決して、許されないよ」
千鶴、アデルが武器を手ににじり寄る。
後方では、秀悟が矢を番えた。
にじり寄る撃退士たちにエミリは一瞬の狼狽を見せた。が、それはすぐに消え、怒気も失せ、笑みが浮かぶ。
「ふふっ、許されない……そうなのね、これは報いなのね、蝙蝠と化してしまった私への罰なのね! あは、あははは……っ!」
狂った!
犯行の動機を知りたがった撃退士たちであるが、その手がかりを得ることはできなかった。直接本人に尋ねるのが手っ取り早いと考えつく者もおらず、今そこに思い至ったとしても、時既に遅し。
誰を探していたのか、どうするつもりだったのかも、分からぬまま。調査のアテを斡旋所のみに求めたのは失敗だった。
相手は話をできるような状態ではない。落ち着かせるか? ……いや、それは危険すぎる。このまま処分してしまうしか、ない。
「報い、そうだな、これは報いだ。あんたは、罰せられねばならん!」
放たれた矢が夜の空気にヒョウと音を響かせ、エミリの足元に突き立つ。
よろめいた彼女へ、千鶴が斬りかかる。振り上がった切っ先は、エミリの翼を裂いた。
背後へ回るアデル。振り下ろした鉄槌が頭部に命中し、グジャと音を立てた。
しかしこれでは終わらない。息の根を止めるために、撃退士たちは容赦なく攻め立てる。
「さぁ、大人しく地獄へと還るが良い」
突き出されたラドゥのクレイモアはエミリの腹部を貫く。
「悪いけどあんたらを人間と同じようには扱ってやれんのよ、今はまだな。事情は知らんがあんたも人を殺したんだし、まあ観念してちょうだいな。……あぁ、もう遅かったかな?」
由太郎の放った弾丸は、潰れた頭と胴を強引に千切り飛ばした。
そして、心臓があるであろう部分に、エルレーンがエネルギーブレードを突き立て、焼く。
ズタボロになってもなお、エミリのカラダはビクビクと動いていた。命令系統を失った体が、痙攣しているのだろう。
動かなくなるまで、エルレーンは武器を振るった。原型を留めなくなるまで、何度も、何度も。
飛び散った血しぶきは木の幹に染み、体は形を失い、最後には醜くひしゃげたエミリだけの月を見上げるようにして残された。
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「結局、動機はわからへんかったなぁ」
帰途に着いた千鶴はぼんやりと口にした。
何故エミリは、男を殺さねばならなかったのか。その後に何を為そうとしていたのか。今となっては、分からない。
「被害者に変化して近づいたんだろう? その時にちょいと工夫すれば、本人から聞き出せたかもなぁ」
由太郎は反省する。何かが分かったかもしれないのに、それを達成できなかった。それは非常に悔しいことだ。声音には、出さないが。
ただ。アデルは、ほんの少しだけ気づいたことがあった。
憎さから事件を起こしたのではない可能性がある、と。エミリと被害者の間には、並々ならぬ関係があったのではないか。彼女の口ぶりからすると、無理心中でも図ったのではないだろうか……。
「恋人、だった……?」
呟きは、しかし、確信を得ない。だが、その予感が当たっていたとしたら、どんな問を投げかけただろうか。
いずれにせよ、エミリの処分は終わった。人に仇なす者は死んだ。
彼らは思う。あの潰れた瞳は、今もこの白い月を見ているのだろうか――と。