●暗闇のアギト
「水より、草の匂いが強いな…ここであってるのか?」
「うん。ここだよ。ここでピチャピチャって」
「放し飼いにしてたんだ。そしたら…変なのが、いて」
草の中、階段を下りてポッカリと空いた穴。
少年たちの案内で、川沿いの入水口を影野 恭弥(
ja0018)は冷静に眺める。
今はまだ、ひんやりした水と、それよりも強い春に薫る草の匂いだけ。
無表情に目だけを油断なく動かす彼に、少年たちは沈黙した。
「軽く『視える』範囲には、特に何も無いな」
「居たんだって!」
「判ってる。魚を入れた事で飢えに耐えきれず、待機命令を破って活動したという所か…?音がしてなければ喰われてただろうから運が良かったのもな」
でも、お手柄だぞ。
恭弥が暗闇を見通せる事を知る鴉乃宮 歌音(
ja0427)は、悔しそうに反論しようとする少年たちへ軽くフォロー。
不満顔なのは一緒だが、その言葉で過敏さは若干和らいだ。
まだ安全圏なのもあり…。外見だけはそれほど年の変わらない彼に対抗しているつもりなのか、少年たちはビクビクした態度を少しだけ収める。
褒められて自慢するほど度胸が据わってないのも、御愛嬌だ。
「入るの?」
「ねえちゃん。大丈夫?」
「得体の知れない所に悪い奴が現れた。だから、うち達はその中に立ち入っての退治を引き受けたのよね。その為に来たんだし、大丈夫」
「合図があり次第、水を抜く様に指示しておくぞ」
隣で入り口の格子を確かめる女性に、少年たちはドキドキし始める。
少年たちにとって高校生の高虎 寧(
ja0416)は大人の一員。だけれども女の人が無理しなくてもなんて、思ってるのだろう。
その心配だけは受け取って、寧は歌音の言葉に頷いて、格子扉を潜った。
「さっさと撲滅して、安全を報告できたら良いわよね。先行するけど…、罠があったら来るなと連絡します」
「その時はルーガさんかナヴィアさんに回収を頼みますよ。御気をつけ…、あ待ってください更新されました。全体図です」
ぴこりん。
寧を呼びとめて、久遠寺 渚(
jb0685)がアンテナに注意しながら、携帯端末を指しだした。
そこには、『さて、私はどこにいるでしょうなう』という言葉と共に、立体感の無い写真が添付されている。
「校舎を壁伝いに歩いて降りた時に似てます。航空図?」
「当たりですっ。高空じゃやなくて低空だそうですけどね」
答え…、戦場の上空。
続いて送信された丸文字に、二人は笑って別れた。
警戒しながらなのでペースは遅く、さほど離れはしないが短い別離になる。
「それにしても…水があるって言っても、どうして陸上に鮫型なんでしょう……。あ、網っ、設置してくれました?」
「…設置完了」
「鮫というのなら、海にでも…海水は苦手だということでしょうか。隠れるのならもう少しいいところが有りましょうに…」
いいところがなかったのでしょうかね 。
渚はアウルを輝かせ始めた染井 桜花(
ja4386)とイアン・J・アルビス(
ja0084)達を出迎える。
慣れた者なら、彼女の言葉の裏に、『何時でも行ける』というニュアンスまで見てとれるのだろうが、いかんせん短い付き合いではそうもいかない。
素っ気ない返事の桜花の代わりに、イアンは渚の独り言に反応して感想を付け加えた。
後は合流次第、突入するのみである。
●会敵
「ほほう、狭いところが好きな天魔か… そのままそこが貴様の墓場だぞーっと。送信」
「御二人ともお疲れ様です」
「こっちも終了。二か所以外には出口なしっと。逃がさないようにする為にも、面倒でも下調べしておかないとよね」
最後に合流したルーガ・スレイアー(
jb2600)とナヴィア(
jb4495)が新しい記録を送信。
全員の手元に、更新された周囲の図や、透過しなければ抜けれなさそうなコンクリート塀が見えた。
「行くか、時間を掛けても仕方ない」
「そうしましょう。このまま放っておけるわけがありませんからね。では、お願いします。早めにお帰り願いましょうか」
何時でも飛び出せるように身を屈めると、恭弥の目に減りゆく水が映る…。
目線を上げれば、先行した仲間の手招き。
腰を上げて膝だけを動かし、前衛陣だけがゆっくりと間合いを詰める。
「あーんあーん痛いなうー。っと。ふむ、ここは何とか送信できるのか?」
「じゃあ秘密基地になりそうだな。子供が入っている内に水が大量にって事だけは避けないと」
「子供は秘密基地って大好きですもんね。…行きましょう!」
後衛陣は血や音で、誘き寄せや配列の誤魔化しを担当。
手を少し切って、ルーガが餌代わりの血をたらし、歌音と渚が軽口で応じながら二・三の懸念を思い浮かべる。電波が届く言う事で、思い当たる事もあるからだ。
そうして少し置いて移動を開始。
時間差をつけることで、一撃で全滅なんて真似だけは避け、一気に間を詰め始めた。
「来た?じゃあ頭を押さえるから」
「油断だけはしないでくださいね。援護しながら突入します」
尺取り虫の様に、合流と同期して先行していた寧が再び奔る。
シュタタっといまだに残る水の上を駆け、パシャパシャというありがちな音が聞こえない。
流石は…と、口にしようとした時に、彼女がそう言った仕草を見せなかった事にイアンは今更ながらに気がついた。
不要な時は、力の片鱗も見せないのが流儀なのだろう。
系統は違っても武門の家に生まれた彼には、ちょっとだけ判る気がした。
「先に仕掛けるぞ、合わせろ」
「了解っ」
僅かな時間、実家に思いを馳せた間に状況が動く。
恭弥の放つ白銀の弾頭は、抉るように胸元を吹き飛ばすと、やや遅れて強烈な発光が視界を埋める。
その一撃へ素早く反応しかけた処を見てとった寧は、飛び込みながら十字の槍で軽く突きこんだ。
受け止めダメージを散らし軽減されるが、それは予測できた事。重要なのは、この場所を埋める事だと飛びのいて移動地点を抑える。
「おっと、見るべき相手はこちらです。間違えることのないようにお願いしますね」
「…傾注感謝」
水の残った場所へ陣取る邪魔者へ、シギャーと大口開けて攻撃を開始する鮫。
そんな事は許さぬと、イアンは目立つように大仰に構え、寧の近くへ歩みを進める。
まだ水が残るそこは、彼と怒り狂った鮫の一撃で、泥を飛沫を盛大に跳ねた。
だが隣の寧はともかく、イアンや、後方から回り込む桜花には散って居なかったのである。
「…切る」
その後ろからS字に回り込んで桜花は一気に腕を振り抜いた。
先ほどの一撃はイアンが完全に無効化していたのか、上体に泥は無い。
膝から下だけが、高速で動く彼女の踏み込みで泥を跳ね…。
素早い剣先は、その泥すら追いつけぬ速度で、振り切られたのである。
●泡立つ獣鱗
「…獣鱗か…面倒…」
「弾いた…。物理攻撃は効き難いか」
「せめて攻撃だけに専念出来ないと、大技はキツイし、クリーンヒットは難しいね。足を止め切ってから締めに入ろうか?」
桜花の斬撃は防がれ、衝撃だけが相手の体力を削るのみ。
行動を遅らせて周囲を観察していた歌音と、同じく後衛への隙間が埋まるまで待機していたナヴィアが呟く。
それぞれ独り言めいていながら、相手の意図を組み上げて作戦へと編み込んで行く。
「あっ、みなさん。どうせなら私の後番まで待ってくださいっ!止めてみせますからっ」
「それじゃあっ、御先に行くわよ!波状攻撃の二番手!」
「効いてる。あのクラスの威力ならいけるのか。防御陣の類も、牽制後なら大したことは無いな」
話を聞いていた渚が、軽く手を上げて術式と感覚を投入した。
八卦のモノより四方の配置を変え、水気を奪い土気を与えて、その動きを束縛する。
威力の方はそれほどでもないが、完全に動きを止めて…そこへ大振りな戦斧が襲いかかった。
この時点で既に回避は不能、かつ周囲を囲まれた事もあり、ナヴィアの攻撃を防ぐ為の位置取りさえ出来ない。
歌音は冷静に一部始終を眺めた後で、石化の防御力を含めて相手の能力をおおよそであるが読み取っていた。
「特化型には天使や悪魔クラスの防御力・耐久力を備える奴は居るけど、こいつはバランスが良いだけ中途半端な二極型だな。追い込んでやっつけようか」
「うむ。そーれ、どーんとなー!私に当てる事はできんぞー」
正体を知られ石化してしまえば、性能が良くとも重装甲の戦士はブリキの人形に過ぎない。
身動きを止めた相手へ、歌音の魔弾とルーガの雷槍が迫る。
銃弾はアウルの煌めきに変換され、獣鱗などないかのように、次々と着弾!
続いて翼で上を取ったルーガが、鼻っぱしらをぶたったいて、悲鳴を上げさせた。
今は咄嗟に巡らせる防護陣で軽減しているが、それも何度も使える訳でもなければ、完全に防ぎ切れる訳でも無い。
このまま、一気に押し切れるかと思った時…。
「踊レ、白兎!」
「喋った!?いけない、何か仕掛けて来ます。受けるんじゃなくて、避け…」
「間に合わないっ…隙間打ちか!?だけれど多少なりとも軽減します!」
何巡目の攻防であったろうか?
重低音を響かせる怒号と共に、鋭い牙へ力が密集する。
寧の忠告に、どうしようか迷ったイアンは、鮫の素早い攻撃に仕方なく受け止める事にした。
アウルの防壁を容易く貫いて、装甲の薄い部分へ深く突きささるアギト。
もし彼が天使や悪魔さえ上回る防御力を備えて居なければ、重傷にまで追い込まれたに違いない。
だが…。
「ちょうど良い、このまま抑えます。効くかは別にして、可能な人は内側から!」
「でも、もう石化が解除されてっ…!」
「仕方無いわね。うちも足止めやるから、本命さんたちは代わりにお願いしますね」
噛みつかれたまま、大剣を指し入れて口を固定開始する。
イアンの苦労に報いたいものの、抵抗されてそうそう何度も封じる事は出来ないと悔しい思いをする渚に、寧がため息ついて構えた手裏剣にアウルの糸を結び付ける。
一人一人はレジストされる可能性があるが、二人掛かりならば捕縛できる確率は二倍だ。
「っせい!」
「あわせますねっ。このー!」
「その意気は買おう、全員でやれば狙いうちでも何発か届くだろうからな。(…忘れない様に後で送信しておこう)」
次々に投げ込む手裏剣を八卦の風が後押しする。
目に見えて動きを鈍らせた相手へ、ルーガが先頭になって攻撃を叩き込み始めた。
「いくぞ、巻き込まれるなよ!」
「はい、いつでもどうぞ!」
「…絶技・音止」
チャンス!
ルーガの鋭い突きと、内側からこじ開けるイアンの斬撃。
それらすべてを隠れ蓑にして、桜花の腕が駆け抜けた。
刀は意識を離すと同時に亜空へかき消え、次の瞬間には念頭に描いた獣爪が反転する!
大口を開けた鮫の、中へ中へ!
仲間達の連続攻撃が、重量級の鮫を一瞬だけ宙に浮かせた…。
●
「呆れた…。本当にしぶといのね」
「こんな所まで鮫を真似無く立ってよいとは思うけど、まあ重戦士型みたいだからず太いんだろな。…トドメと行きますか」
のたうちまわる鮫の動きに呆れながら、ナヴィアと歌音が顔を見合わせる。
暴れ狂うディアボロもここまでくれば、後は逃がさないように葬るだけである。
歌音の光弾で戦闘が再開、パスパスとアウルの弾丸が残った生命力を削り始める。
「ラストは任せる。面倒なのも…、これまでだ」
「はーい。せっかく姿を見せたんだから、そのまま逃げないでい居てね?」
興味を失ったのか、恭弥が冷めた目で引き金を引き絞る。
その僅かな動作で、もはや逃げる事も守る事も叶わぬ哀れな魔物へ、無慈悲な弾丸が降り注ぐ。
それでもなお生き汚なく、もがく鮫へナヴィアは油断しない様に出口方向を固めながら、大振りの一刀を振り下ろした。
ゴトン、と鈍い音を立てて…。
戦斧が喉元を両断、二・三度ばたついた後で、それっきりディアボロは動くのを止めた。
「やーれやれ、今日もよく働いたぞー。戦闘中の事を送信しないとな」
「マメですね。まあ習い性というのはそういう物でしょうか…。ところで、そちらは何か判りました?」
「ちっちゃいけど…手足ぽくなってます。もしかして、モチーフはワニなんですかね?あ…、爬虫類じゃなくて鮫の古い呼び方ですけど!」
ピッポッパと言う音かは別にして、ルーガは携帯を取りだすと写真を取り始めた。
そんな様子によく飽きないなあと思いつつも、手練ではなく愉しみだからこそ拘るのかと思うイアンであった。
彼の疑問に応じて渚が告げた言葉に反応し、素早く検索神にお尋ねした結果を付属させるのが本当にマメマメしい。
なお、ルーガが送った送信に、間違えてる訳じゃないよと小さな胸を撫で下ろす渚が、ほんのちょっと微笑ましかった。
「喋ってたのは古事記に引っ掛けた技名なのかな。自由自在なサーバントと違って、ディアボロは形が微妙なので判りませんけど!」
「…因幡の白兎?」
赤い目がじーっと渚の瞳を見つめている。
もともと赤面症の渚は、桜花の視線に耐えきれず、コクコクと頷きながら肯定した。
男の子ならもしかして気があるのかも、なーんて思えるのだろうが、対人関係が苦手な彼女では仕方もあるまい。
「あ、あれなんでしょう?ナヴィアさんたち何かやってますよ!よ、呼んでるんじゃないですかね?」
「…透過、したい?…今止める」
「ありがとね、ちょっと何か見えてて…。半分くらい間の隙間に『埋めて』あるからもう少し待ってね」
慌てふためく渚は、周囲を見渡して桜花の注意を反らした。
向こう側でナヴィア達が呼んでいたのも確かで、頷くと桜花は意識して残した力の顕現を停止させた。
アウルの輝きを消しすと、たちまち阻霊符の効力が消え失せる。
コンクリが充填されきってない空洞部分に、何かを見つけたようだ。
「防水性の携帯…。どう思う?うちらと違ってディアボロは携帯なんて出ないでしょうし…」
「簡単な合図代わりじゃないかな?これが鳴ったら地上で暴れろとか、同時進撃の場所へ向かえとか」
「どっちにしろ囮ならそれで十分だからな…」
寧と歌音が首を傾げながら推論を続ける。
そんな会話を耳にして、恭弥はつまらさなそうに言葉を吐いた。
所詮は囮か、と言えなくもないが、実質的に攻撃面で圧倒していたのは彼くらいだ。
あの重戦士っぷりを発揮して、数体が一度に暴れ出したら住民全てを守り切るのは難しいだろう。
「こういった場所の探索要請でも出しておきましょうか。後手だけど、放置して気がつかないより良いもの」
「そのへんも含めて報告だな。おしごと完了なうっと」
「みんなお疲れ様〜!」
「おっ、待ってたのか?もう大丈夫だぞ」
寧の視線を受け、ルーガが簡単な報告文を記す。
それが終わり次第にツイッターも更新、彼女たちのやり取りを見ていた仲間達も、次々に暗い穴から脱出し始めた。
遠目に少年たちが手を振る光景が見え、手を振り返して事件は終わりを告げた。