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先行組が到着した段階で公民館の大ホールには、二種類の臭いで満ちていた。
埃まみれた粉っぽい臭いと、その逆に、湿気に覆われた水っぽい臭い。
「これは……。大丈夫なのか?供養とか全然してないんだろう?」
「アウル反応や、不幸な事例が無いとこまでは確認済みとのことだよ。ひとまずはそれで十分じゃないかな」
ギョっとする礼野 智美(
ja3600)に、彼岸坂 愁雲(
jc1232)は肩をすくめた。
長く生きる天魔である彼にとって、吉凶や術の有無だけあれば問題ない。
むしろ、印象だけで言うなら興味の方が一杯だ。
「ん、人形はちゃんと供養しないと後が怖いしな。……判った。誰もが楽しめる形で、供養する事にしよう」
実家が神社の智美としては、放置しておくのは気に進まない
本来の役目を果たせず放置されるより、綺麗にしてから処分と言うのも良いかも。
仲間たちと共に箱を開けてボロボロの中身を確認。
「我自身は平安のころを生きてないけれど、ロマンのある時代だよね…」
「でも、ヘイアン時代の古代装束…重そうだし、引き摺ってるし、戦闘には不向きそうだね」
楽しそうな愁雲の言葉へ、一緒に箱を覗きこんで見たRobin redbreast(
jb2203)はそっけなく語る。
愁雲が興味を抱くように、ロビンが考えるシュールな現実もまた様式の一部だ。
実用的には見えないし、重ね着という独特の風習は面白いとも言える。
「両方ともそうと言えるなあ。平安ゆうか千年王城への憧れを込めた物やから、浪漫が溢れると同時に、動き難い十二単なんやね」
二人の会話を聞きながら、蛇蝎神 黒龍(
jb3200)は大きな箱や古い箱へ直行した。
目的は人形その物よりも、付属品。特に説明書きの方だ。
花嫁道具にもなった時代があり、小道具のほかに、説明書きや物語が付属している物もある。
「そして人形の本来の意味と離れてなあ……。ってこれは不要か」
黒龍は雛人形にまつわる話を思い出しながら、目当ての古書を見つけて慎重になった。
数冊あるのは良いが、うち一冊は人形以上にボロボロ。
サルベージするにしても、処分するにしても中身を確かめてからだ。同じ想定ながら具合がまったく異なる書を眺めながら…日常と人形の意味合いを重ねてしまうのである。
「本来の人形に、本来のひな祭りかぁ……。まぁいいや」
雛人形というものは随分と変わっている。
まさしく変遷と呼ぶに値する変わりようで有り、その中には、災いを肩代わりする人形…そして翻れば無事を願う意味合いが込められる。
天魔によって危険が日常茶飯事となった現代。
思わず祈ってしまうのも無理はあるまい。
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そうこうする間に後発組と追加物資が到着。
「…本来の、……雛人形って?」
「ああ、それはね。人伝手で悪いんだけど…」
たっぷりのフルーツを買いこんで来た浪風 威鈴(
ja8371)は、小耳に挟んだばかりの事を浪風 悠人(
ja3452)に尋ねる。
彼女の質問だから…という訳でもないが、悠人は丁寧に解説して行った。
もっとも威鈴は疑問が生じるその都度、改めて聞いてくるので、あまりスムーズには進まなかったのだけれど。
「……これで全員揃ったかな?」
二人の会話を邪魔しないようにという訳でもないが、川内 日菜子(
jb7813)はちょっとだけ間を置いて口を開いた。
実際には他に思う事があるのだけれども、黒龍がそうであったように、誰に意見を求めての物でも無い。
「物資も注文分揃えて来たから、始めてしまおうか」
「そうですね、担当を割り振ったら始めてしまいましょうか。僕は平安風の甘酒を作るつもりですけど…みなさんはどうされます?」
日菜子の言葉にヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)はエプロンをつけながら応じた。
かわいらしくもあるが、担当が一目で判る。
「俺の方は公民館にコンロの数を聞いてからになるな。同時に何台までいけるか判らないから」
「あたしは人形の方を担当するよ。まずは補修レベルに合わせて分類?」
少年の問いに、智美とロビンはそれぞれに自分の作業を説明した。
智美は実習室のことだとは思うんだが…と案内図を読みながら呟き、ロビンは大ホールの周囲にある部屋を確認した。
よくある研修室・会議室の他に、工芸室に美術準備室…。家庭科実習室が少々遠いのが面倒ではある。
「OK。私は人形班で運搬メインでやってから、足りない方に合流だな。料理も裁縫もあまり経験は無いが、教えてくればなんとかやってみる」
「それじゃあ、手前にサンプルを置いて、その後ろに似たような物を並べて行くから。別々の部屋に運んでおいてね」
日菜子の申し出を有りがたく受け取って、ロビンは人形の分類を始めた。
まずはパーツ取りにしか使えない物、湿気ていてそれすら不可能な物。
前者は弓や楽器だけを取り分け、後者は残念ながら処分するしかない。
「こっちの本な、古書やから捨てんといてな。乾かしよるだけや」
「了解。…しかし、同じ人形かと思ったら、細かい差が結構あるモノだな」
黒龍が日菜子たちに指差した本は、様々な絵が描かれている。
子供でも判り易いように配慮した後で、古語らしき説明書きが付記していた。
疑問ももっともなので、黒龍は他の者も聞いているうちに説明を終わらせた。
「それは制度や流行り方のせいやね。派手な物が禁止されれば小型で凝った物になるし、東西や注文する武家商家の差もあるんやで」
時代や好み、生まれ育った文化。
そして注文生産なのか、半既製品的に作られた物などなど。
「この子らそのものが、一冊の書かもしれんねえ」
「占い札程でないにしても、人形一つ一つにも意味がある。面白い物だね」
黒龍の話に愁雲たちも頷きながら、みな、それぞれの作業を始めた。
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まずは一番時間のかかる作業から開始。
「甘酒は鍋よりもこっちで作った方が無難だな」
「ですね。他にも手が居る事もあるでしょうし、色々なタイプを作る場合は個別に鍋を使いましょう」
智美が用意したのは炊飯器だ。備えつけと持ち込み合わせて数台分。
彼女がタイマーや温度をセットしている間に、ヴァルヌスは米を研いでいく。
一から鍋で煮るより簡単だし、火の心配が無いのもありがたい。
「…あれ?苺に…牛乳?」
「俺のは色と味をかえて、フルーツ甘酒いする為だな。そっちのは…」
「実はですね、平安時代にはミルク割りが流行りました。醍醐味という言葉は、最上の美味という意味で、ここに由来しています」
見慣れぬ組み合わせに首を傾げる威鈴へ、まず智美が簡単に説明する。
ヴァルヌスは話を振られたついでに、当日話す予定の小話を披露し始めた。
「…平安風。の、……甘酒?」
「なるほど、どうせ着る物を平安コスチュームにするなら、飲み物もって発想か」
「そうですね。牛乳割りは、甘酒の酵素が乳糖を分解して吸収を良くするので、お腹弱い人も安心です」
なおも尋ねる威鈴に悠人が軽く解釈を添えると、ヴァルヌスは楽しそうに続けた。
「甘酒は、今は寒い時期に飲むってイメージですけど、江戸時代には栄養ドリンクとして、夏場に売られていました。点滴とほとんど同じ成分で、甘酒は『飲む点滴』と言われているんです」
「昔の人の知恵と言うやつですね。…っと、それじゃあ食べる物も作って行こうか」
ヴァルヌスの話に相槌を打ちながら、悠人は炊飯器の一つを使って餅米を蒸し始めた。
これは当然お餅に変えて、色々な御団子を作って行く予定である。
その頃、人形の方も軌道に乗り始めたようだ。
「右の机から順番に、掃除だけすれば良い物。なんらかの修繕が必要な物、着物やパーツだけが駄目な物ね。えっと、ここにあった敷き物は?」
「それは干しておいた。外で良かったんだよな? とりあえず染み抜きや修繕が不要そうな物だけ並べておいた」
ロビンがさっさと修復不可な物を整理し、日菜子が用途に合わせて次々に美術準備室や工芸室に運んで行く。
その間に研修室に無事な物を持ち込み、同じ形式のお雛様をセットにする作業だ。
「これは服装や白粉重視かどうかで分ければ良いのか?」
「基本そうなんやけど、外で働く仕丁はんとかは、白粉べったりのタイプでも、塗ってないけえ注意してな」
掃除しながら組み合わせを調整する愁雲に、黒龍は年代ごと・東西の流行をベースに写真のコピーを張って行った。
基本はこの組み合わせで分別し、一部の特徴ある物を個別に整理して行く。
当然、その途中で一部パーツが足りない物、そもそも人形自体が失われている組み合わせがあるので面倒でならない。
「えーっと、ソレそれ。持って行く途中のソレ置いといて。他所さんのやけど、比較的近いのを修繕して揃え足るけえ」
「……ああ。これか。確かに所在その物が判らないだけでなく、失われた物は、そうするしかないだろうな」
黒龍は日菜子の反応が遅れたことで、物憂げな表情に気がついた。
いや、それだけならば他の者も気が付いているだろうが、どんな内容かは、同じような事を考えた彼がもっとも理解しているだろう。
「今は考えてもせんないで。お雛さんも子供も、当然ボクらも幸せになる為には、まず目の前の事をこなすだけや」
「……そうだな。皆の笑顔を守ろうとする私たちが、笑顔でなくてどうすると言うのだ。……ありがとう」
手を振る黒龍に礼を言って、日菜子は要求された人形を置くと次の人形の元へと戻った。
すぐに笑顔を浮かべれるほど一足飛びにはいかないが、引き締めて明日を見据える。
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此処まで来れば作業は締めの段階。
「あとはレストアしながら雛段飾るくらいかな?」
「そやね。ハギレも和装もぎょーさん元があるし、服はこっちでなんとかしときますわ」
汚れを落としながら分類を終えたロビンは、行李の中に顔をつっこんで古着を引っ張り出している黒龍に声を掛けた。
彼は衣装を裁断すると、虫食いやら染みのある部分をバッサリやって、中程の布や小さなハギレにしている。
この様子なら大丈夫だろうと、もう片方の作業に没頭することにした。
「右に並べたのは、顔とか書き直して完了させたからもう積んじゃっていいよ。左は向こうに持って行って」
「服を修繕してもらってから、その後は同じ?了解……」
ロビンに確認してから、愁雲は丁寧に人形を持ちあげた。
壊れた人形は既に揃いで無い物が多く、個別の棚に飾れないのが難点だ。
「これだけあると、どう飾った物かな、ちょっと悩み物だよ」
「定番は多面雛段やねえ。敷き物で赤いピラミッド作って、数の少ないお雛様とお内裏様を一番上、一番下は仕丁だったり余った子らゆうように並べていくんや」
愁雲の悩みに黒龍は答えながら、お雛様用に小型の服、コスプレ用に子供サイズ・大人サイズと十二単モドキを作り上げて行く。
実際に十二枚着たら重いし時間が掛るだけなので、上数枚を模したコートと言う感じである。
「綺麗な物だな。とても今採寸したようには思えん」
「重そうだし、遠慮しておくかな…。でも流石は名乗り出るだけはあるね。あたしは一から作るのは無理よ。直すだけなら簡単だけど」
大人用の服を見ながら日菜子とロビンはそんな風に評した。
好き好きなので無理する必要はないし、…まあ頼まなくても好きな人は着る者である。
「お人形…と…一緒…♪」
「おっ。いいね。後で記念写真とっておく?みんなで勢揃いしたのも、二人だけのも」
威鈴が早速着こんで見たので、悠人は仮縫いのピンが刺さっているのをヒヤヒヤしながら見守る。
直したばかりの服は、まだ未完成とあって色合い的に渋い物であったが、銀色の髪を持つ威鈴には良く似合っていた。
「とりあえず、その前に完成させてしまおうか?生クリームを塗るから、その上にフルーツを盛って行って」
「菱餅色……の、餅ケーキ。だね」
悠人が餅で作った板と板の間に生クリームを塗ると、威鈴は上に飾り切りしたフルーツを載せて行く。
御団子も良いが、こういうのも面白い。
味付けの風味も違うので、口飽きしないのも良いだろう。
「善哉は直前で煮直せばOKだな。あとは甘いのが苦手な人用に、おかきでも作るとして…」
「あ、コレも試してもらえますか?昔、ドイツに居た時に覚えたのを活かしてみました」
智美が煮込んでいた鍋を止めると、ヴァルヌスもオーブンから何やら取りだした。
「パンを焼いたんだ?そういえば紅麹入りのパンとか、酒粕入りとか見たことがあるな」
「今回のはヴァルヌス特性、甘酒ミルクパンです。温かいうちにどうぞ」
こうして色々なお菓子が出来上がり、試食会が始まった。
日持ちしないものだけ、相当に改めて作り直せば問題なく運営できるだろう。
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「お客さんが来たけど、準備はいい?」
「問題ないと思うよ。BGMもあると、安心できるけどね」
飾りだけ和風に変えたロビンは、笛を構えた五人囃しの愁雲に確認。
メロディに合わせて、琴のCDをオン。
休日になって、お客が訪れ始めたのだ。
こうして人形送りの宴が始まりを告げる。
最初は老人や公民館をよく利用する人々、そして午後になってチラシを見た人が本格的にやって来た。
「ところどころ平安じゃないけど、ま、いいだろ」
「たまには和に触れる機会も良い物ですからね」
右大臣に扮した狩衣装束の智美が扉を開けると、悠人が束帯で出迎える。
お内裏様がお出迎えと言うのも変だが、観覧の意味もあるのでこんなところだろう。
「しまったな。男装でも良いなら、私も狩衣にすれば良かった」
「まあ、それも縁ゆうことで。あ、このパンフレット持ってってな〜。お雛さんのこと色々書いとるけ」
三官女の恰好をさせられた日菜子は気恥しそうだが、左大臣の黒龍は宥めながら子供達にパンフを配った。
「本当にお雛様もらっていいの?」
「こっちのヌイグルミは?だめ?」
「どっちもええよ。大切にしたってな」
腰を落してパンフと一緒にヌイグルミをおチビさんに渡してやると。嬉しそうに笑った後、その子は駆け出して行った。
「僕にも娘がいるので、なんというか、こういうのを見ていると、ちょっと切ない気持ちになりますね」
「そういえば年上だったな。…まあ私には判らんが、かわいらしいとか守りたいと言う意味では判る気がする」
五人囃子のヴァルヌスへ日菜子は頷きつつ、しみじみとパーティの様子を見守っていた。
大盛況と言うほどでもないが、しっとりと楽しむには良い雰囲気かもしれない。
「平和…続くと…いいな。…あーん」
「そうなるちょいいね。いや、そうしよう。あーん」
そんな様子を眺めながら、お雛様に扮した威鈴と悠人は、食べさせあってオヤツタイム。
子供たちに、熱いぜヒューヒューと囃されるところまでがお約束である。
何気ない街角のお祭りが、この日常が続けば良いなと祈りつつ。
撃退士たちは、明日への思いを笑顔に込めるのであった。