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駆けつけたのは、学園撃退士六名。
千葉 真一(
ja0070)、佐竹 顕理(
ja0843)、アレクシア・エンフィールド(
ja3291)、鷺谷 明(
ja0776)、妃宮 千早(
ja1526)、ヨナ(
ja8847)。
最初の依頼は簡単な補給だった。
それが、正体も分からぬ敵に傷ついたフリーランスの撃退士の救出が追加された。
不測の事態に対応できるよう訓練されているとはいえ、なんの情報もないまま、自分より遥かに強いだろう相手を目の前にして、焦りを感じない訳がない。
しかもその相手は、今にも撃退士達に鈍い光を放っている大鎌を振り下ろそうとしているのだ。笑みさえ湛えて。
敵は少女たったひとり。
しかし、その少女の足元にはフリーランスの撃退士が傷を負って、折り重なるように倒れている。まだ僅かに動けるものの、少女が左手に持った大鎌で切られただろう傷は深く、流れる血は地面を赤く染めていた。
それが対峙する撃退士達の焦りをより深いものにしている。
もしここで少女と戦闘をすることになったら、きっと誰一人として救えない。
自分達でさえ、助からないかもしれないほどの強敵。
いや、今すぐにこの場を離れたら逃げ延びることはできるかもしれない。そうしてから、増援を頼めば或いは……。
――もちろん、誰一人その選択肢を選ばなかった。
少女はそれに興味を持った。
今まで戯れに戦ってきたものは数え切れないほど。もちろん、少女が自分より格が上だと分かると、戦意を喪失していたものばかり。
それがどうだ、撃退士というものは。負けると分かっていても更に立ち向かってくる。
なぜだろう?
少女はそれを知りたくなった、だから問うた。
「主等はなぜ戦う? さぁ、示してみよ、わらわへ主等の答えを!」
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じりじりと距離を詰めてくる少女。笑みに隠すのは、なんとも言いがたい殺気だ。
学園撃退士達が出した答えは――。
少女と今戦うことではなく、問いに答えること。
しかし、悠長に会話している暇もない。少女の側には、低い呻き声を上げる傷ついた仲間がいる。時折、逃げろと搾り出すような声も聞こえる。
「そういうのを知りたがるとは珍しいな」
そんな中、第一声を発したのは、真一だ。
真っ直ぐ少女の顔を見据えるように顔をぐいっと上げる。ここで退いて得られるものは何もない。
真一の揺るぎない決意のような赤いマフラーがゆらりと揺れる。
これが勇気の一歩だ。そう、僅かな可能性を掴み取る。
「珍しい?」
少女は歩みを止めた。真一に言われた言葉が意外だったようだ。
「教えるのは構わない。が、話を聞くのに武器は要らないんじゃないか?」
左手に大鎌を持つ少女。構えてこそいないが、あれを振るわれたらひとたまりもない。
真一はいつでも戦える姿勢を崩してはいないが、武器は顕現させてはいない。それは他のみんなもそうだ。
「ふむ――。確かにそうやも知れぬな」
足元に転がる者達は、武器で応戦してきた。だが、目の前の者達は殺気は隠せぬものの、武器は誰一人構えていない。
あっさりと少女の手に握られていた大鎌は、空間へと消え去った。
「武器など、あってもなくても同じことよの」
ゆっくりと瞬きをし、少女は微笑む。少女にとって、武器など飾りだとでもいうように。
「……あー、それで話をするついでに。後ろで倒れている人を引き上げさせて貰っていいか?」
真一に言われて、思い出したように少女は自分の足元に目を向けた。すっかり忘れていたという表情が見て取れる。
「怪我人放っておきっぱなしなのは落ち着かないんだ」
苦笑する真一に、少女はすっとその場を離れた。もう怪我をした者達には興味がないというかの如く。
すかさず、明、顕理、ヨナが倒れた撃退士達を少しは離れた場所に止めてあったトラックへと運び、応急手当てを施す。
「本気ではなかったが、加減が分からぬでな。人間とは弱い生き物よの」
その様子を目の端で見た少女は、くっと喉の奥で笑う。
「あなたの目的はなんです? あなたなら、撃退士の息の根を止めるのも容易かったでしょう?」
千早は少女の背中に聞いてみる。
最初にこの現状を見て沸いた僅かな疑問。戦ってなくとも少女との力の差はひしひしと伝わってくる。だがどうだろう? 怪我をし動けなくなっているとしても、撃退士達は死んではいない。
それが千早に少女を完全に敵だと思わせないのだ。
「人に興味を持たれたなら、どうか人を理解してはもらえませんか? 醜い生き物です。私欲のために他を犠牲にする者もいます。ですが、友のために死地に赴く勇気も持ち合わせているのです」
「――まだ最初の答えはもらっておらぬが?」
千早の言葉に耳を傾けたようにも見える少女の後姿。だが、そう言って振り向いた少女は、どこか冷めた瞳を千早に向けていた。
誰かをも思い出させる冷ややかな視線。千早はそれを振り切るように、一度目を閉じ、再び開いたときには、強い意志を感じる紫の瞳を少女に見せた。
「自分のためですよ。たとえ望まれなくとも、救える命があるのなら救います。それが私だから」
そう、それが私だ。誰でもない私自身のため。千早は心の中で強く繰り返す。
「何故戦うのか? 私の場合は勿論仕事だからよ。相手が強かろうが絶望的だろうが、プロである以上妥協はしない。最後の一瞬まで、あらゆる手段を持って全力を尽くすわ」
負傷した撃退士の応急処置を終えたヨナが、少女に近づく。
「仕事以外では……まあその時の気分かしら。見捨てたら男がすたる的な? まあどっちにしろ、それで死んだらそこまでの野郎だったってだけの話よ。……そう言われたくないからこそ全力を尽くしてんのかもしれないけどね」
ヨナは言いながら首を傾げて苦笑する。それはヨナの過去の経験から得た持論だ。
全力を尽くした者だけが、勝利を掴み勝者であるのだ。そうやって生きて来た。口調と仕草は、オネエのそれだけれど。
それまで千早を見つめていた少女の瞳は、ヨナへと移る。冷ややかな表情はそのままで。
「――納得したら引いてくれるのかしら? 聞くだけ聞いて、後でばっさり、じゃねぇ」
人でないものが約束を果すとは思っていない。だが、確実でないにしろ確約は欲しい。ヨナもまた少女に少しだけ希望を持っていた。
「わらわと取引か、面白い。――よいだろう」
それまで背中を向けていた少女がくるっとみんなの方へ向き直る。浮かべる悪戯っぽい笑みは、人のそれとなんら変わりがないように見えるから不思議だ。
「僕は佐竹 顕理と言います。あなたの名前を聞いてもいいですか?」
「ああ、そういえばレディの名前を聞いてなかったわよね。呼び名がないのは不便だし、教えてくれる? 私はヨナよ♪」
「名を聞かれるのは初めてだの。わらわはハレルヤ、――死の天使、ハレルヤだ」
一瞬、辺りが静まり返った。
離れた場所にいる傷ついたフリーランスの撃退士でさえ、苦しい呼吸を止め息を飲んだほどだ。
人ではないと思ってはいたが、それが天使だったとは。それも、死を宣告し魂を天国か地獄どちらかに連れ去るといわれる天使。
しかし、天使と悪魔が敵対している今現在で、死の天使の役割は分からない。
だが、ハレルヤが発した『強きものへは従っておればよい』という言葉は人間的だ。顕理はそこに実直に言葉を重ね、人情に訴えてみたいと思った。
「人間には『名誉』という重要な概念があります。仲間を救う為、無謀な戦いに挑む……これを
時に人は称賛し、我が身可愛さに仲間を捨てる行いを時に人は非難する。名誉の為に一命を投げ打つ事もあるのが人間です……場合によりますが」
「不可思議なものよの。名誉とは、それほどに大切なものかの?」
ハレルヤは顕理の言葉に、ほうっとアイスブルーの瞳を細める。もとより天使である彼女に名誉という概念さえ持ち合わせていない。
否と顕理は頭を振った。名誉より大切なものがある。
「負傷した彼等にも僕等にも、家族、恋人……大切な人達がいます。その人達の為に、時に名誉を投げ打つのもまた人間です」
「俺にとって力の有る無しは関係ない」
それまで事の成り行きを見守っていた真一が言う。
「理屈じゃない。君の言う強い力が、人々の平穏を、幸せをいとも容易く奪うのを見過ごせないからだ。戦う力のない人達や、傷つき倒れた仲間が窮地に陥っていたならば一人でも多くを助けたい。例えどんな強敵が相手だとしても」
ヒーローに憧れ、ヒーローであろうとしている真一にとって、それは目指すべき憧れのヒーローの有り方だ。それが、自分より明らかに強い相手に立ち向かう理由だ。
熱く語る真一とは対照的なアレクシアはいたってクールな立ち振る舞いを見せる。
ハレルヤの問いに考えを廻らせる。
(何故、か――さて、何故だったか)
「そうさな、簡単に言えば『意地』だろうか。逆に問わせて貰うが、汝は強き者にはただ従う主義かな?そこに何の疑念も挟まずに? そうだと言うなら汝は木偶と変わらぬな。その疑問、問うた所で理解など出来ぬよ」
やや挑発めいた言葉は、戦いを求めてではない。問いである以上、納得した答えが出るまでハレルヤは戦いを仕掛けては来ないだろう。天使である彼女がその気になれば、自分達など取るに足らない存在だから。
「さあてな、わらわより強きものに出会ったことがないのでな。確かに、従う側の気持ちは理解できぬ」
口の端を少し上げて、ハレルヤは意地悪く笑う。
それにはアレクシアは、ふっと短く笑うように息を吐いた。
「だが――そうさな。解り易く言うのなら。押さえ付けられれば反発するのが性と言う物なのだろう。鎖に繋がれれば枷を解きたくなるのが人だ」
一般論ではあるが、それが人の性だ。自分自身もそうなのだと思っているかは、アレクシアも分からぬことだが。
「さて、愉しく行こうかねえ?」
明は愉しそうに笑う。いや、ずっと笑っていたのかもしれない。明はこの不利な戦局もどこか愉しんでいるようにさえ見える。
「勝ち負けなぞどうでもいい。重要なのは私がどうしたいかだ。結果などさしたる意味は持たぬよ」
明にとって重要なのは『助けようとする』という自らの行為であって、『助けられた、助けられなかった』という結果は重要ではない。
「死にそうな味方は指さして笑ってやるのが貴様等の流儀かね? 流石に違うだろう」
そうは言うものの、明自身、要救助者が殺されようと何の感情も表さないが。例えそれが自分であっても。
「己が道を征くのであれば中途で死すとも悔いは無し。まあ死を厭わん訳ではないがね」
「主等を理解できぬな。力なき者が滅ぶは定め。強き者へ抵抗してどうなるものでもない」
ハレルヤから笑みが消える。
天使であるハレルヤが、人である撃退士達に問うてはみたが、答えは見出せなかった。
天魔と人間の価値観の違いがそこにはあった。
ぴんと張り詰めた空気がその場を包む。
「私たちは……手を取り合って生きることはできないのですか……? 共に笑い、共に語り合い、良き隣人として支えあうことはできませんか……? 他の者にはできずとも、私たちなら……。そこから広げることはできませんか……?」
それは千早の最後の賭けだ。
ハレルヤは撃退士である彼等に興味を持った。普通ならあり得ないこと。
だから、もしかしたらできるかもしれないと思わせる。
表情の変わらないハレルヤの左手が空を握るのを、千早は紫の瞳を歪ませて見つめた。
しゅっと何もない空間から取り出されたのは、黒のふりふりパラソルだ。
日差しを遮るようにそれを差すと、ハレルヤはにこっと笑った。
「えっ――?」
「理解はできぬが、興味はある。わらわはいつも独りだったがゆえ、馴れ合いはせぬが、また何処かで会うこともあろう」
ハレルヤはそう言ってパラソルをぱちんと閉じると、彼女の背から大きな翼が空へと広がった。
それは天使というにはかけ離れた、漆黒の翼だった。
「思いの外楽しめた。京の祭りよりはの」
「ハ、ハレルヤさん!」
思わず顕理が叫ぶように名を呼ぶと、宙に浮いたハレルヤの長い髪が答えるように揺れた。
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それからすぐに、怪我をしたフリーランスの撃退士達は学園撃退士達に運ばれ十分な手当てを受け、すぐに当たっていた任務に復帰できた。
そして、学園の敵として天使の項目に新たな一ページが刻まれた。
漆黒の翼を持つ死の天使、ハレルヤの名が。