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守られた場所から一歩外へ出れば、そこは悪意に満ちたものがいる空間だと思い知らされる。それはこれから戦いの場となる本土側のフェリー乗り場でもそうだ。
白い砂浜に真っ青な海からの波が打ち寄せる、まるでリゾート地そのもののような風景。そこに船体を打ち壊され波に揺れるフェリーは、まるで似つかわしくない。だが、それが現実だ。
うねうねと下半身をくねらせて、甲板を徘徊する二匹のディアボロ。撃退士達を乗せたフェリーが、壊れかけた船に近づくにつれて、その異形な姿に皆息を飲む。
「――ええ、確認できました。もう少し頑張って下さい。じゃ……」
彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)は、ディアボロが現れたフェリーの撃退士に通信を送ると、手短にそれだけ言って切る。操舵室の中はここからはうかがい知れない。が、自分達の置かれた状況を伝えてくる向こうの撃退士達の緊迫した様子は手に取るように分かった。通信機から鈍く聞こえた何かを激しく叩く音。それを押し止めている彼らの緊張した息遣い。ばきばきと板が壊れる音。それらすべてが、緊急を要することを告げていた。
もちろん、それらは甲板に準備している他のものにも十分に伝わっている。次の獲物はまだかと待ちわびているかのようなディアボロの動きを、遠目から捉えているだけで。
「帰りにディアボロに襲われるなんて災難だったわねぇ。まあ疲弊してるところを狙うのは常道だけど、意外とせこいわね」
海風に緋色の髪をなびかせて、神喰 茜(
ja0200)は緩く笑う。その隣で、同じように敵を見つめる車椅子の少女、御幸浜 霧(
ja0751)の口調は茜に同意するも、それよりきつい。
「疲れた兵を打つは兵法の常道。異変体どもも、なかなか嫌らしい真似をしてくれますね。……この落とし前はきっちり付けて差し上げましょう」
「単純すぎてどうも違和感が、ねぇ……」
デッキの手すりに身を乗り出すようにして壊れかけたフェリーを見る常木 黎(
ja0718)は、自身が感じたままの言葉を発する。ディアボロには確かに異形のものが発する殺気も感じる。でもどうもそれだけではないような気がするのだ。なに、とはっきり言えないが、それは戦場で培ってきた勘のようなものだ。
「ま、別に良いんだけど……、私は私の仕事をするだけだし」
しかし今はそれを無視することにする。確実ではないものは、必要ない。必要とされること、それは一刻も早くディアボロを倒すことだ。
三人とは距離を取った場所で、鴉守 凛(
ja5462)もこれから対峙する敵を見据えていた。すらっと背が高く人を寄せ付けない雰囲気をかもし出している。が、それは彼女の性格からだ。他人と関わろうと思っているが、なかなか言葉にできない。彼女が積極的になるのは、これから開始される戦闘の中でだ。言葉で表せないから、行動で示し喜びを感じ、またそれに没頭してしまう。悪循環といえばそうなのだが。
凛とはそう離れていない場所に静かに立つ漆黒の軍装姿の少女。敵であるディアボロを目の前にして、背中に悪意に満ちた何者かの期待を感じている灰銀の髪を持つマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)だ。彼女の黄金の瞳は獣が如き輝きを放ち、両の瞳にディアボロの姿を映しながらも、まるで別のものをその向こうに見ているようだ。
誰もが僅かに感じていた悪意。その悪意の根源である紅蓮の悪魔。悪魔は身を隠すこともせず、高台で口の端を上げて、くくっと笑う。そうして、傍らに佇むヴァニタスに見せるように腕を高く掲げた。
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パチン、とどこからか指を鳴らす音が聞こえた。それは、撃退士達が、壊れかかったフェリーに乗り込もうと身構えた瞬間だった。それまでただ身をくねらせて動き回るだけだった人魚の姿を模したディアボロは、弾かれたように両腕を上げ限界まで開いた口から甲高い叫びを上げる。
それに反応して一斉に光纏する撃退士達。
甲板の人魚に最初に飛び掛って行ったのは茜だ。操舵室に逃げ込んだ疲れた撃退士達を救出に向かうには、まずこいつの動きを一瞬でも封じ込めなければ道は開けない。
茜の体を纏う黒焔はひめやかな殺気を濃縮したようで、そこに滴る鮮血の赤が混じる。ディアボロを押し止める白刃は色濃い斬意と狂気に濡れる。
人魚を押さえる茜の後ろをマキナ、黎、霧がすり抜けるようにして操舵室に駆ける。
ディアボロの鋭く長い爪と茜の刀が擦れてキリキリと鳴るのは不快だ。対峙する茜が顔をしかめて人魚を睨むと、濁ったガラス球の瞳が見える。そこにはなんの意思も感じられない、虚ろな空虚なただの抜け殻。
そこをシュッと空気を裂く音が均衡を破る。ディアボロのふたつの瞳の中心、眉間を緑の細い触手が突き刺さった。ギネヴィアが放ったブランドヴァイパーだ。彼女は一番最後に船に乗り移る直前、いとも自然にかけていた眼鏡を外し光纏する。と、フレーム内のヒヒロガネが半透明なクリスタルのコイルに変異し、それ自体が植物のようにギネヴィアの腕に巻きつくのだ。
「まぁ、保険はかかってますよねっ」
手すりからひょいと飛び移り、ギネヴィアは冗談のような物騒なセリフを呟く。
「グガァ――?」
急に視界を奪われ人魚はなんとも言いがたい声を上げる。僅かにディアボロの力が抜けるのを感じた茜は刀を引いて、軽いステップで後ろに下がる。そこをすかさず凛が横から滑り込むように、ディアボロと茜の間に身を割り込ませシールドを使う。
「攻撃は任せますねえ……」
言葉少なくそう言うと、ワイルドハルバードの長柄で人魚の動きを止める。
「了解っ!」
ギネヴィアと茜も短く返事を返し、次の攻撃のために左右に散ってゆく。音に反応したように人魚は奪われた視界のまま体を激しくくねらせ移動しようとするが、凛に押し戻されままならず。青い髪がゆらりと揺れて背後に青白い怒りのオーラが見えた。
「シャァー!!」
「くっ!」
噛み付きを紙一重でかわした凛の腰の辺りに衝撃が走る。黒い鱗で覆われたディアボロの尾が凛の体を叩き付けた。飛ばされるのは何とか身を入れていたお陰で踏みとどまれたが、凛は凍りついたように動けなくなる。
「うっ、くう!」
やがて視覚を取り戻した人魚は、ぱっくり割れた口を吊り上げて目の前の動かぬ獲物に狙いを定めた。
「させないよ」
凛の目に写ったディアボロの背後の血塗れの黒い焔。それはお返しとばかりに薙ぎ払いを仕掛ける。と、小気味良い打撃音と共に、ディアボロの動きもぴたっと止まる。鱗が並んだ背に切っ先を突き入れるように刺し、茜は腕を横に払うように切り付けた。何枚かの鱗が刃の軌道を追いかけるように飛んでゆく。
「人魚……、まぁ上半身人間っぽくて下半身魚だから人魚かぁ……。見た目的には魚人だよねこれ」
茜は横に飛び独りごちる。その顔はどこか楽しいものを見つけたように笑みを浮かべて。
「まぁどーでもいいけど」
所詮そんな些細なことはどうでもいい。茜は刀を一瞬だけ手放し、手の平で甲板を叩いた反動で体を一回転させてからまた柄を掴む。そうして斬りつけた人魚と凛の姿を振り向いて確認すれば、宙に浮いたギネヴィアが攻撃をしかけるところだった。凛が力を込めて甲板を蹴り後ろに体を逸らすと、手すりを蹴り上げたギネヴィアが、ディアボロの頭上から拳を叩きつける。
「グアアアアアッ!!」
「離れて……下さい……」
ディアボロが自分の頭を押さえて悶絶する向こうで声がした。ギネヴィアは、その声に従うように、後方に飛びのいた。と同時に、凛がその長身でワイルドハルバードを軽々と振り上げ、力任せに振り下ろす。
バキバキバキバキ! 凛の攻撃は人魚の胸を切り、そうして反動で甲板をもぶち壊す。
「……ご、ごめんなさい……」
「グガガガガガガアアアアアアアッッ……!」
ぱっくり割れた胸を押さえディアボロが叫びを上げる。その叫びはすぐに空気が抜けるような音に変わり、ズズッと首から頭が横にずれ始めた。茜が僅かな隙を狙って鬼神一閃を放ったのだ。足元に転がって行く首を目で追いかける茜の笑みはどこか危うく見えた。
「ふぅー。Take a break,neighbor」
巻きついたコイルを眼鏡に戻し息をついたギネヴィアは、立ち上がり操舵室の方に目を向ける。
「さて、もう一人はどうなってるでしょうね」
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動きが取れる甲板と違い、操舵室前の通路は自由に動けるスペースはない。そういった意味では、こちらの三人は最初からやや苦戦を強いられていた。
茜が甲板の人魚の動きを止めている間に、その後ろをすり抜け操舵室前の通路に走る。まずマキナが操舵室への階段を駆け上がり、その後ろを霧、黎と続く。階段を上がれば、壊れかけた操舵室のドアを力任せに叩く人魚型のディアボロの後姿が見えた。
青く長い髪をまるで水の中であるが如くゆらゆらと踊らせ、強靭な下半身は尾びれ部分だけで支え立ち上がり、黒い鱗にびっしりと覆われている。
人魚が叩くドアは壊れかけていたが、何とか持ちこたえているようだ。
「聖なる刻印を付与します」
光纏し、車椅子を使わなくても自由に動きが取れるようになった霧は、静かに言うとマキナと黎に刻印を刻み込む。この狭い空間で、敵が放つ薙ぎ払いを避けるのは無理と判断しての行動だ。刻印の力で、状態異常の耐性が一時的にだが高まる。
「さて、お仕事開始、と……」
移動時からマグナムを構えていた黎が攻撃の口火を切る。マキナの右腕に発現していた黒焔が、衣を纏うように全身に広がった。
まず後ろを向いていたディアボロの背に一発。
「グアアアアアアッ!」
不意打ちを喰らった人魚の咆哮が、狭い通路いっぱいに響き渡る。そうして鋭い歯の並んだ口を大きく開けた異形のものが振り返る。マキナが瞬時に後ろに下がる。入れ替わりに、今度は霧が構えた刀で突きを狙う。それもなるべく上半身を狙って。同じように黒い鱗に覆われてはいるが、ひれで立ち上がれるくらい強固な下半身より、丸みを帯びた上半身の方が柔らかそうだからだ。
しかしそう見えても、全身を鱗が守っている体は、少しの攻撃は楽々と弾き返す。
「くっ!」
人魚が振り上げた腕を霧は踊るように回転して避けると、きゅっと唇を噛みしめる。硬いと感じているのは最初に攻撃を仕掛けたマキナも同じだ。力を抜いて打ったつもりはない。だが、この手ごたえのなさはどうだろう? ゆらゆらと揺れるように立ち、まるで笑っているかのように口を吊り上げている人魚。
「中々に硬いですね。ですが、攻撃が通らないと言う訳ではない……!」
自分に言い聞かせるように呟くマキナ。もしかしたら魔法攻撃なら? そう思いつつも、自分にはこれしかないのだとマキナは拳を握り直す。
どんな強固な化物とて、ダメージを与え続ければ、表面上には分からなくても、内部には伝わっているはずだ。
「シャアアアアアッ!」
人魚は狭い通路を突き進み、鋭い爪の両腕を繰り出してくる。
「ベルヴェルク様!」
霧が刀でそれを返すように弾き、狭い通路に体を横にして前に出たマキナは、左腕を人魚の腹を抉るように叩き込む。ズン!と拳に感じる僅かな手応え。しかし、マキナもまた脇腹へ重い一撃を喰らっていた。
「……ぐはっ」
強靭なひれから来る薙ぎ払い。狭い空間では吹き飛ばされなかったものの、通路の壁にしたたかに半身を打ち付けられた。霧が刻み付けてくれた刻印のお陰でスタンは免れたが、ダメージは相当なものだ。膝をつき、立ち上がろうと壁に手をついたとき、大きなひれが二発目を狙っていた。
バシーン!! 体を叩く大きな音がする。攻撃を覚悟して身構えていたマキナは、自分を庇いダメージを負いながらも薄っすらと笑っている黎の横顔を驚き見上げた。
「舐めた真似してくれちゃって……」
黎はマグナムを構え、マキナが先ほど打った腹へと精密殺撃を撃ち放つ。それから続けて数発、続けざまに引き金を引く。
さすがにこの近距離での被弾は、狙った腹の硬い鱗をいく枚か吹き飛ばしていた。
「狭い場所で銃を撃つ危険性、貴方が知らずして如何しますか……!」
まだ背中で守っている黎に、マキナが立ち上がりながら言う。しかし黎はふっと笑う。
「ああ、でも、臨機応変ってやつでしょ、今のは」
「――そうですね。来ますよ」
鱗を失い腹の肉が露出した人魚は、奇声を発し二人へ掴みかかる。がそれより早くマキナと黎は後ろに下がった。
「治療を致します」
それよりも後ろに下がっていた霧が軽癒の術を施すと、二人のダメージは癒され軽くなる。その間、マキナは最後の一撃に備え、序曲と終曲を同時に駆使し、拳に力を蓄える。
先に黎のマグナムが火を噴いた。精密殺撃は寸分たがわず、鱗を吹き飛ばした部分へめり込み、遅れてマキナの拳が腹を貫き、黒焔は焼き払う如き炎に変わる。
「これで終焉です。潰えなさい」
甲板の人魚とは相対するほど静かな終わりが訪れる。
「ま、こんなもんさ……」
黎は薄笑いを浮かべる。霧は操舵室のドアを軽く叩き、戦いが終わったのを告げた。
「や、死に損なっておめでとう」
黎のやや嫌味な言葉も、助かった撃退士達には喜びの言葉に聞こえた。
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「それにしても、嫌なところを襲われたものですね。船内に警戒のための撃退士を置けないものでしょうか」
怪我をした撃退士の間を回って治療を施した霧が、甲板に集まっていた仲間達に言うと、それにギネヴィアも賛成する。
「港を基地化するか、実習基地にしてもいい」
頷く仲間の横で、茜とマキナだけはまるっきり別の方向を向いている。茜は誰もいない陸地に手を振っている。
「――余り良い趣味ではありませんね……。いえ、何でもありません」
遠くを一瞥して、視線を切ったマキナは、遥か彼方に忌々しい姿を見たかのように呟く。
「悪魔って結構活動的なんだねぇ」
茜もぽつんと呟くと、くるんとみんなの方へ振り返る。
「さて、帰って学園に報告しよう!」
そうして戦い終えた撃退士達は、甲板に大きく穴が開いたフェリーで帰路についた。
遠くに、紅い悪魔の見送りを受けて。
「くくくっ。なかなか楽しいショーだったな。人間とは面白い生き物だ、他人のために命を張るとは」
沖に小さくなるフェリーを見つめ、紅蓮の悪魔は意地悪な笑みを浮かべる。
「……悪魔には、分からない」
潮風に髪を揺らすヴァニタスは、消え入りそうに言うと、ううんと頭を振った。
「――あたしにも、もう……」
その先の言葉を飲み込んで、ヴァニタスはフェリーが消えた海の彼方をいつまでも見つめていた。