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雪のしんしんと降りしきる真夜中、依頼を受けたメンバーが病室のドアを開けたらその先に、杏樹の泣きそうな顔が見えた。
「み、みなさぁーん!」
声は心なしか少し震えて、迷子の子犬のようだ。
「先程ぶりです、杏樹さん」
真っ先に声をかけたのはイーファ(
jb8014)で、その後に続いて佐藤 マリナ(
jb8520)が駆け寄って優しく抱きしめる。
「杏樹ちゃん、頼ってくれてありがとう。私達にできることを精一杯するから杏樹ちゃんも想いを形にしてね」
「頼って頂けて嬉しいです、頑張りますね」
イーファが震える杏樹の手をきゅっと握ると、やっとぎこちなく笑って頷いた。
「依頼内容は聞いています。そのための準備もしてきましたから安心してください」
御堂・玲獅(
ja0388)は手にしていた荷物を杏樹に見せると、手際良く中からクリスマスリースやらをテーブルの上に置く。
「拙者は場の準備を手伝うとしよう。院内の飾り付けを行うとすれば、かなりの労力。そうした事は男の方が対処しやすいに御座る」
置かれたクリスマスの飾りを手に取り、断神 朔樂(
ja5116)も動き出す。
「雪の代わりに使おうと思って綿を持ってきましたから、これもお願いします」
朔樂が持った荷物の上にイーファが白い綿を乗せると、思い出したかのように日比谷日陰(
jb5071)がこれもとその上に乗せたのは小さいながらも立派なクリスマスツリーだ。
「ま、前が見えないで御座るよ!」
危なっかしく出て行く朔樂を見送り、穂積 直(
jb8422)がぴょんと飛び跳ねるようにして杏樹の隣にやって来た。
「僕は杏樹さんの気持ちを盛り上げるお手伝いいたします! やってみたい髪型があったら言ってくださいねっ!」
わくわくした元気な直の声に、杏樹はわたわたと無造作に結ったままの自分の髪の毛に手をやった。
「え、えと、私、パジャマで」
真っ赤になる杏樹の目の前にふわっとドレスが広げられる。それは玲獅が持参してくれたもの。
「メイクの道具もありますから、大丈夫です」
「あっ、透は朝早く来ると思うの。いつもそう。楽しいことは長い方がいいっていつも私が言ってるから」
忙しく動き回るメンバーに言い忘れたと、杏樹の申し訳なさそうな小さな声に、日陰はまるっきり気にしてないかのように話し始めた。
「デートはとりあえず午前に映画を見るのもいいかねぇ……? 一部屋使ってプロジェクターを借りて白い壁に移せるようにして」
杏樹がびっくりしたように目をぱちぱちさせていると、日陰は病室を見て回ると出て行く。
入れ替わりにマリナが真っ白なテーブルクロスを手に入って来た。
「杏樹ちゃん、この階で一番眺めがいい病室はどこかしら? 簡易のレストランにしたいの」
「えっ、レストラン?」
「そうよ。このテーブルクロスで洒落た感じにして。クリスマスデートにディナーはつきものでしょ?」
「あ……、食事は」
「そう思って、果物やお菓子を持ってきました。この中に杏樹さんが食べられるものがあるかどうか、調理師の方にお聞きして作ります。だから杏樹さんは透さんと過ごすことだけ考えてください」
「そのために僕達がお手伝いするんですから!」
ヘアメイクの準備をしていた直は、それでもまだ不安な表情の杏樹に屈託のない笑顔を見せ、大丈夫と大きく頷いた。
忙しそうに動くみんなのやることはさまざまだけど、それはすべて杏樹のため。杏樹の想いを形にするため。
「まあ、折角のデートなんだ、笑って楽しむのが一番だろうよ? それに告白するんなら、恋人になるんなら悲しい思い出じゃなく楽しい思い出をつくらねぇと損だろうしよ?」
ひょいと覗いた病室の杏樹が浮かばない顔をしているのに気がついた日陰が一言。
そしておもむろに着物の袂から取り出したものをベッドにほおり投げる。
「これ……?」
「ああ、簡単に作れそうなミサンガの作り方をまとめた紙と材料だ。いろんな種類の紐と、大き目のビーズと、プレゼントも必要だろう?」
無造作にビニール袋に入れただけに見えるそれも、日陰なりの気配りだ。
「あの、あの……」
拾い上げて顔を上げた杏樹の前にいつの間にかイーファの笑顔があった。
「杏樹さんの気持ちを文字にしてみませんか? 何を伝えたいか整理もつくかもしれません」
すっと杏樹の目の前に差し出したのは可愛らしいレターセット。
「自分の口から伝えるのがいいんだろうけど、まぁ、緊張するだろうし、手紙に書いておいてそれを渡すってはいいかもしれねぇな」
「告白とかそういう事は疎いですが……、杏樹さんが想いのままに伝えればきっと伝わります。だって、杏樹さんが好きになった方ですもの」
イーファからレターセットを受取った杏樹はなにか考えるように目を伏せ、黙ってしまう。
すると、ドアを軽くノックして朔樂が声をかけた。
「飾り付けを手伝ってはくれぬか? それに皆ここに集まって急かしては杏樹殿も考えあぐねてしまうで御座る。時間がないとは言え、少し考える時間も必要だろう」
慌しく皆が散って行き、同じように戻ろうとした朔樂がふと足を止めた。
「拙者がこの場に不相応なのは百も承知。刀は持ち歩かねば落ち着かぬし、何より戦意の全てを抑える事すら難しく、未だこの力、特に半魔の能力は御しにくい。なら何故ここに居るのか、と問われれば――。見届けたい、そう思った。……それだけに御座るよ」
今の状況を受け入れ、それでも尚相手を想うその意味と、結末を。背中越しに少しだけ振り向きそう告げる。
立ち去る足音が遠ざかる病室に残されたのは直と杏樹の二人きり。
「――相手を想う、意味……」
痩せた手をぎゅっと握り、杏樹は朔樂の言葉を繰り返していた。
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「杏樹さん、映画のときは編み込みハーフアップで可愛らしく、ディナーのときは編み込みをシニヨンにして大人っぽくしますね」
「お、お願いします」
直がゆっくりとブラッシングをしている間、杏樹は日陰に渡された材料を広げて、もたもたと作っている。
あまり器用とも思えない手つきの杏樹に微笑み、直は穏やかに自分の話し始めた。
「僕の父は悪魔で母は人間です。僕、母の命は短いって知って、どうしてヴァニタスにならないの? って聞いちゃったこと、あるんです。今考えるととんでもないことですけれども」
杏樹がふと手を止めたことに気づき、直も手を止めた。
「母は出会えて愛し合えたのが既に奇跡だから一緒に居る今はもう幸せでしかない。後悔はしないと思うって言ってました。父も置いていかれることを考えるととても辛いけど共に過ごせる幸せを知らない生よりはよっぽどましだって。うちは特殊な例かもしれませんけど」
ふーっと大きく溜息をつく音が聞こえる。
「……透もそうかな? 使徒になるの断ったの、正しかったのかな……?」
「人間同士の関係だって同じことだと思うんです。はい、できました!」
直が手鏡を手渡す。そこには痩せたけれど元気なころと同じ可愛い髪形の杏樹が映っている。
「なんだか、恥ずかしいな」
「可愛いですよ、杏樹さん」
続けて玲獅がメイクを施すと、杏樹はさっきより明るくなったように見えた。
「杏樹さん。皆さんが準備したところを見て歩きませんか?」
玲獅が病室のドアを開けると、その先はすっかりクリスマスの飾り付けをされた街並みが再現されていて、杏樹は思わず驚きの声を上げた。
無機質な廊下は色とりどりのイルミネーションが輝き、クリスマスリースには白い綿がこんもりと盛ってある。
白い壁が今では降り積もった真っ白な雪に見える。
「私、ずっとこの白い廊下も壁も嫌いだったの。でも、今はそれが嬉しい」
そこにイーファが息を切らして駆けて来る姿が見えた。手には小さな雪だるまをしっかり持って、杏樹の前に来るとそっと差し出した。
「外は寒いからお体に触りますが、せめて気分だけでも」
そう言いながら笑うイーファ。沈んでいるように見えた杏樹を少しでも笑顔にしたいと思ってのこと。
「人と違う時を生きているから思うことですが、人――いえ天使も簡単にいなくなってしまいます。だから、その時その時を大事に後悔の無い様にして欲しいです」
送る立場のイーファの言葉はそれだけで重みがある。
「……伝えても、いいのかな? もう、いつものクリスマスじゃないのに」
元気なころなら、「好き」の気持ちを伝えるのはもっと先だと思えるのに、今は明日さえも分らない。
だから今伝えなくてはと思うけど、伝えてしまったら残されたものはその想いが負担になってしまうのではとすごく心配になる。
小さく震える杏樹をぎゅっと抱きしめ、玲獅が声にする想い。
「杏樹さん、貴方が好きになった透さんは貴方を重荷に思われる様な方ですか? 違いますよね? ですから負担と思わず、どうぞ貴方の気持ちを透さんに伝えて託して下さい。」
「……はい」
杏樹は小さく返事をし顔を上げた。
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「杏樹ちゃん、見て、これが今日のお品書きよ」
開け放された病室のドアの向うに、ウェイターのように黒いソムリエエプロンを身につけたマリナが、可愛らしい字で書いた「お品書き」を胸の高さに持っている。
杏樹が食べられる軽食ばかりだが、準備をしているテーブルでは朔樂が手伝って果物をクリスマスらしく星型に切っていた。
「あまり食べられないかもしれないけど、パンケーキもお星さまにして粉砂糖を雪のように降らせるわ」
純白のテーブルクロスの中央に、一輪の白いストックの花が飾られている。
花言葉は、愛の絆。白い色は思いやり。
杏樹のために頑張ろうとするマリナ想いを込めて。
「杏樹ちゃんと透君がお互いの想いを打ち明けられるように、そしてデートを楽しんで貰えるように精一杯お手伝いするね」
そう言って杏樹の手を持ち励ますマリナ。
ぎゅっと痩せた杏樹の手がマリナの手を握り返して、ぐるっと皆の顔を見回して息を吐いた。
「私、決めました。透にずっと一緒にいたいって伝えます。あの、告白したいってみなさんを呼んだのに、今さらこんなこと言うのおかしいかもしれないけれど」
話す杏樹の瞳にもう迷いはなかった。
「仕方ないってなにもかも諦めて、笑えなくなってた。でも、それは間違いだって、例え望まない結果になってしまっても、諦めないで頑張ればなにかを残せるって思うから。――ありがとうございます、気づかせてくれて」
ぺこりと頭を下げる杏樹の頭を日陰がそっと撫でる。
「まぁ、恋ってのは難しいもんだ。姪っ子の親もそうだったがな」
「出会えた奇跡は何物にも代えがたいですよ」
直の言葉に杏樹は大きく頷いた。
「さぁ、ラストスパート! 断神さん、もっと急いで!」
「マリナ殿は人使いが荒いで御座る」
「手伝うね。杏樹さんは今のうちに手紙を書いてしまってね」
マリナと朔樂、イーファが急いで材料を切り始めた。
もうすぐクリスマスの朝が来る。
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積もった雪に朝日が反射してきらきらと輝くころ、透が病室に姿を現した。
そして、皆がそっと見守る中、透は杏樹の手を取ってイルミネーションが輝く廊下をゆっくり歩く。
いつもは昼間のように明るい病院の廊下も、電気を全部消した今日だけはイルミネーションのきらきらした灯だけが頼り。
「ねぇ、透。すごく静かだね」
ふわっと笑みを浮かべる杏樹が見つめる先を透も見つめて。
「雪……、ホワイトクリスマスだ」
突き当りは非常階段に続くガラスのドアがある。その前にちょこんと置いてある小さなクリスマスツリーは日陰が準備したものだ。
雪のように綿で着飾ったツリーは、ドアの向こうの雪が本当に降り積もったかのように見えた。
「終点。雪止んじゃったね……。あ……」
冴え冴えとした空から、ひらりひらりと何かが舞っているのが見える。
思わずガラスに手をついて見上げると、舞っているのはほのかに桃色に色づいている桜の花びらだった。
それは朔樂が冬桜をあちこち探し回って可能な限り集めたもの。
杏樹と透が二人っきりになったら窓から見えるように、寒さをいとわず屋上から散らしていた。
「冬桜で御座る。春の桜を見たいなら、精一杯生きるで御座るよ」
少しでも生きる時間を長くと願いを込めて。
ひらひらと舞う花びらを見つめる杏樹を透が後ろからそっと抱きしめる。
「お前も俺もまだここにいる。なのに、終わりのことばっか考えてんな。馬鹿杏樹」
「ば、ばかって言う方が、ばかなんだよ。ばか透」
「ああ、こんな馬鹿好きな俺も馬鹿だよ」
「えっ……?」
「……杏樹が好きだ。――何度も言わせんな、馬鹿」
回された腕にそっと重ねた杏樹の指には透がはめてくれた銀の指輪。それがぽろぽろ落ちた涙できらきらに光って、杏樹は柔らかく微笑んだ。
「あのね、透。私ね、諦めない。だって、ずっと、大好きな透と一緒にいたいから」
諦めない、この幸せを、貴方を想う気持ちを、消したくないから。
薄紅色の細いミサンガをかけた透の手と、天使《アンジュ》の指輪をはめた杏樹の手。
二人は二度と想いが離れぬよう、ぎゅっと握り合った。
突きつけられた命の期限に迷子になっていた杏樹の想い。
見つけてくれたのは、優しく舞う六つの花。
それは沫雪のようには儚く消えない強い想い。
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空から雪でも落ちてきそうな午後、メンバーは先日受けた依頼の依頼主から届け物があったと連絡を受け斡旋所を訪れていた。
渡されたのは、「ありがとう」のメッセージが添えられたピンク色のダイヤモンドリリーの花束。
「可愛い、まるであのときの杏樹ちゃんみたい」
そう言ってにっこり微笑むマリナ。
日陰はだるそうに花束を肩に担ぐように乗せるとぼさぼさの髪を振るようにして首を鳴らした。
「花束って柄じゃねぇけど、まぁ、ありがたくもらっておくか」
「その割には嬉しそうですよ」
くすっとマリナは笑うと、窓の外に視線を移した。
ぽつり、と落ちてきた雨はやがて雪に変わりそうだ。
「少し冷えると思ったら、雪になりましたね」
あのときを思い出していた玲獅が降り始めた雪の空を見上げる。
それを聞いて直はちょっとだけ背伸びをして窓を見上げて、「わぁ」と短く声を上げた。
「また雪だるまを作れるくらい降るといいですね!」
「杏樹さんと透さん、幸せそうでした」
イーファが言うと、誰ともなく頷いてみな優しい顔になっている。
「幸せな思い出。ダイヤモンドリリーの花言葉です」
マリナはピンクの花束のメッセージを声にする。花に託した杏樹の感謝の気持ち。
「桜が咲く頃が待ち遠しいで御座るな」
朔樂が降らせた早咲きの桜の花びらのように、春に咲く桜が雪のかわりに舞うように。
――また会う日を楽しみに。
ピンクの花に託した願い、それはもうひとつの花言葉。
儚い沫雪は春に消えてしまう。
けれど――、さよならはいらない。
花は咲き命は巡る――、そう思い願いたいから。