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えんじゅが待つ部屋を集まった撃退士がノックをして中を覗くと、えんじゅは窓の側に座り込んで膝を抱えていた。
「……えんじゅさん?」
最初に少し遠慮がちに、見た目の雰囲気と同じようにふんわりと星杜 藤花(
ja0292)が声をかける。もしかしたら寝ているかもしれないと思ったから。
すると、ゆっくりえんじゅが顔を上げた。
泣きそうな顔だったが、皆を見て驚いて目を丸くする。
「来て、くれたんだ」
そう言ってゆらりと立ち上がる。
依頼には「急募」の文字、だから夜中でも早朝でも撃退士が集まってくれる。それが一般人の個人的な悩みでも。
ひとりで悩んできたえんじゅに、それは不思議な驚きだ。
「初めまして。高等部の紅葉公といいます。お名前を伺ってもよろしいですか?」
おっとりと喋る紅葉 公(
ja2931)がえんじゅに声をかける。
公は平均より背が低い。けれど、目の前のえんじゅはそれよりずっと低い。歳はそれほど変わらないにもかかわらず。
「あ……、えと……」
集まってくれた皆にえんじゅは途端口ごもる。初めての人に囲まれるのは少し苦手。
「御堂・玲獅と申します。よろしくお願いします」
下を向いてしまったえんじゅに、御堂・玲獅(
ja0388)がかがんで視線を同じ高さにしてにこりと微笑む。
その隣で紫鷹(
jb0224)が片膝をつき、でき得る限り目線を合わせるようにして聞く。
「私は紫鷹。あなたは?」
「え……、えんじゅ」
伺うように長い前髪からちらりと覗くえんじゅの緑の瞳。どこか不安げに。
そんなえんじゅの頭にすっと手が伸びて、ぽふぽふと撫でてやる。するとえんじゅは撫でられたところに片手を置いて、照れたように笑った。嬉しかったから。
紫鷹もえんじゅに軽く微笑んだ。
「よく目つきが悪いと言われてな。自信がないんだ、応えてもらえるか」
有難うな、小さく呟いてぽふりとまた紫鷹は頭に手を置いた。
「だいたいの話は聞いたわ。そう……。大変なのね」
気の無い風で言うのは九鬼 紫乃(
jb6923)だ。
天魔だからと特に感慨は無い。自分で選んだ道でしか生きられない、人間であれ天魔であれ。
紫乃に言われ、えんじゅはしぼんだ風船のようにしゅんとなる。
「黒百合よォ。これも何かの縁でしょォ……楽しくしましょうねェ……♪」
子供の扱いは若干苦手だけど心の中で思う黒百合(
ja0422)も大人ではない。けれど、久遠ヶ原での生活がえんじゅよりずっと大人だ。
先の依頼で負った傷を着こんだ長袖の服で隠して、痛みも見せない。それが黒百合の強さ。
それをえんじゅはまだ知らない。
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久遠ヶ原の朝は早い。時間に関係ない撃退士のため、もろもろの施設はいつも開いている。
メンバーに連れられてとぼとぼと歩くえんじゅは、何を説明されても見ているのは地面ばかり。
「えんじゅさん?」
呼ばれてえんじゅが顔を上げると、藤花のあどけなく優しい眼差しが注がれる。
「わたしたちはあなたの意志を尊重したいと思っていますよ。まだ決断をするのは早いのかもしれないけれど」
ふうわりと微笑まれて、えんじゅは素直に頷いた。
えんじゅが撃退士になりたくて編入を希望しているわけではないことは、皆うすうす気がついている。
「まァ、特に考えがあるわけじゃないしィ。適当に行くわよォ? 気になった物とかあったらいいなさいねェ? 入学するにも両親の元に戻るにせよ、折角の機会を無駄にするにはもったいないわよォ?」
黒百合に言われて、えんじゅの口元がきゅっと下を向く。
「ボク、戻らないって、決めたから」
そうしてぱっと手近な店に駆けて行く。
「急がなくても逃げないわよォ」
けらけらと笑いながら黒百合が足を軽く引きずりながら後を追う。
「他にも見ていただきたいことが沢山ありますが……」
ちょっと慌てて公も走り出す。いろいろ聞きたい話したいことがあるけれど、それにはまず慣れてもらわなくてはと一生懸命だ。
紫乃は案内が多くても仕方ないと思ったが、気のない素振りをしながらもついて行く。
「私も学園の全部を知ってるわけじゃないけど、今のうちに聞いておきたいことがあれば遠慮なく言ってね」
それでもえんじゅの前では真面目なお姉さん役になる。
まだみんなに慣れずぎこちないえんじゅだが、飛び込んだ店には見たこともない物がいくつも並べられていて聞かずにはいられない。本来は活発なくらいの女の子だ。
あれは? これは? と聞くえんじゅに、皆丁寧に答えていく。
やり取りを微笑ましく見守っていた玲獅に、藤花がそっと囁いた。
「えんじゅさんのことでこっそり調べたいことがあるのです」
「引き取った時の状況を聞く、だろ?」
さらりと言う紫鷹に藤花がこくりと頷く。
「それと、名付け親についても。えんじゅは漢字で木の鬼と書きます。えんじゅさんを慈しんで育てた親御さんが付けたとは考えられなくて」
珍しく藤花の顔が曇る。そこにいつものふんわりとした笑顔はない。
「私は両親に連絡をする。名付け親が分ったら星杜さんが聞いてくれ」
素早く携帯のアドレスを交換すると、紫鷹はもう斡旋所へと歩き出した。
「私は連絡係としてここに残ります。今夜のえんじゅさんの宿泊先は星杜さんのところでしたね?」
「はい。夫と養い子のいる家庭ですが」
うって変ってぽっと赤くなり恥ずかしそうな顔を見て、玲獅は思わず目を細めて微笑んでしまった。
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「いらっしゃい、えんじゅさん」
零れんばかりの笑顔の藤花に迎えられ、えんじゅはおずおずと部屋の中へ進む。
藤花と一緒に迎えてくれたのは、つい最近結婚したばかりの夫とまだ幼い男の子だ。
「藤花の赤ちゃん?」
「ううん、養い子なの」
幼子を抱き上げて藤花は昼間のことを思い返す。
紫鷹と手分けをしてえんじゅの両親の思いつく限り関係者に連絡をしてみたものの、思ったような成果は得られなかった。名前もえんじゅがそう名乗ったとだけ。
「えんじゅさんはどうして急に親御さんから離れようとしているのです? なにか思うことがあるのならいろいろお手伝いできることはあると思うのです」
「ないよ。ただ、ボクでも入学できるって、聞いたから」
悪戯っぽくえんじゅが笑う。でも藤花にはどこかぎこちなく感じて静かに言った。
「――この子ね、親を冥魔に殺されたの」
「え?」
藤花を見上げるえんじゅの顔は見る見る血の気が引いて、しばらくすると緑の瞳に涙がいっぱい溜まって、それを零さないように目いっぱい見開いている。
これも現実。
「ごめんなさい、怖がらせるつもりはないの。ただ、親御さんに言い残したこととかないように。それから自分の気持ちを決めて下さいね」
手の中の子を夫に預け、藤花は包み込むようにえんじゅを抱きしめてやる。
えんじゅは藤花の胸で、何回も微かに頷いていた。
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眠れない夜を過ごしたえんじゅだが、起こしに行った藤花が驚くほど明るい。だけど少しだけ両目が赤い。
「今日はね、いろいろ施設を回ってお昼は外で食べようって」
えんじゅに急かされながら外に出ると、もう他のメンバーは集まってくれていた。昨日と同じ、それが当たり前と言いたげな顔で。
見学していると出会う様々な人達。男性、女性、大人に子供。えんじゅの目には皆が普通に生活をしているように映る。
「今すれ違った人は悪魔です。あ、あの人は天使」
指差して教えてくれる公。ゆっくりとえんじゅに合わせて歩きながら。
「分らないでしょう? 学園には天魔も人間も一緒に過ごしています」
ふと空を見上げる公の青い瞳は、空とは別のものを見ているようだ。
「種族の違いがあっても、血がつながっていなくても、とても仲良く一緒に暮らしている方を、今までも沢山見てきました」
「うん」
短く返事をするえんじゅにも良く分る。公の言わんとしていることが。
「一番大切なのは、やっぱり自分がどうしたいか……という事なんだなぁ、と思います」
「人間であれ天魔であれ自分で選んだ道でしか生きられない。何があっても他人のせいにしない、その覚悟だけが大事よ」
まるで気のない素振りをしていた紫乃がえんじゅを振り返る。
紫乃は見た目では分らないが、肌・目・髪の色が違う渡来者を受け入れ歴史的には鬼と呼ばれた家系だ。
「桃太郎だと思えば良いのよ」
「ももたろう?」
きょとんとした顔のえんじゅに紫乃がくすりと笑う。
「桃太郎はおじいさんおばあさんの子供じゃないけども、おじいさんとおばあさんのために鬼ヶ島に行ったわ」
それが紫乃の一族の役目。天魔であっても人の輪の中であれば便宜をはかる。
「そして鬼を倒してめでたしめでたし、でしょ」
「簡単すぎるよ、紫乃」
えんじゅがぷくっと唇を突き出した。それがあんまり小さな子供のようで、紫乃は思わず吹き出しそうになってしまう。
「そうしたいからそうする、理由なんて簡単で良いのよ」
ピンと軽く指でえんじゅの唇を弾くと、紫乃はまたくるっと踵を返し歩き出した。
公が隣のえんじゅの手をぎゅっと握る。えんじゅが見上げると、公は清々しいほどの笑顔でこう言った。
「ご両親と一緒に過ごしてきた時間は紛れもない「家族」で、きっとこれからもそれは変わらないはずです。怖がらないで、ゆっくりでもいいので自分の気持ちを見つめてほしいなぁと思います」
ぎゅっと公の手を握り返してきたのがえんじゅの返事のようだ。
「あ、黒百合さんが呼んでいます。行きましょうか?」
そのまま手を繋いで先に皆が待つ店の前に駆けて行く。
「二人で秘密の話でもしてたのォ? 昼ご飯を買ったわァ、この先で食べるわよォ」
「この先になにがあるの?」
「行ってからのお楽しみよォ」
少し行くと道は開けてちょっとした広場になった。
その向こうには真っ青な海が広がり波がキラキラ光る。
「すっごく、海が近い」
黒百合が人数分買った軽食やお菓子を置いて、皆が思い思いの場所に座る。
「そう言えば、なぜ自分が悪魔だと分ったんだ?」
代表するように紫鷹がサンドイッチを頬張るえんじゅに問う。
するとえんじゅは口に入れたものを急いで食べて、ぱっと立ち上がってぐるっと回った。
「中学生に見えないでしょ? さすがにここまで成長しないと薄々分るよ、人じゃないって。悪魔だって知ったのは偶然。両親が話してるのを聞いちゃったんだ」
えへっと力なくえんじゅが笑い、海の向うに目を向ける。
「どうして引き取ったかは聞いてない。聞く前にここに来たから」
泣きそうな横顔に、紫鷹が思いついたように声を上げた。
「好物はなんだ? 一緒に作らないか?」
「今夜、えんじゅさんさえよければ一緒に作りませんか?」
きっと玲獅もそうしようと考えていたのだろう。紫鷹の申し出に驚いた様子もなく柔らかく微笑んでいる。
「カレー! 調理実習で作ったんだ! ちゃんと小麦粉で作るんだよ!」
張り切るえんじゅの顔は、いつの間にか嬉しそうな笑顔に変わった。
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「ニャ〜ン」
買い物を終えて玲獅の部屋のドアを開けると、子猫がえんじゅを出迎えてくれる。
「わぁ、玲獅のネコ? 抱っこしてもいい?」
「ええ。マンチカンの祷です」
ぽっと頬を赤く染め、えんじゅは子猫を抱き上げた。柔らかい温かさに、そっと頬を近づける。
「動物はお好きですか?」
玲獅が聞くと、えんじゅはうんと頷く。
「大好き」
そう言ってえんじゅは目を伏せた。長いまつ毛がふるりと震える。
「大好きだからこそ離れたい…か」
見守っていた紫鷹が独り言のようにぽつんと漏らす。それが聞こえたのか、えんじゅの肩がぴくっと動いた。
「貴方がこの学園を希望されたのは、自分が悪魔だからご両親が不幸になると思ったからですか?」
努めて優しく、膝をついて玲獅がえんじゅの答えを待つと、えんじゅから嗚咽が漏れ始める。
「傍にいることで両親を傷つけると思い込んでいるか? 怒っているんじゃないさ、お父さんやお母さんの悪口を言われていたんじゃないかと思ってな」
紫鷹がそう言えば、えんじゅは強く頭を振った。
「ちがう。でも、そうなるのが、怖い」
とうとう声を上げて泣き出したえんじゅの小さな体を玲獅は抱きしめて、背中をそっと撫でてやる。
「ご両親や私達はそんな事わかっていて貴方が大好きなんです。そしてそんな些細な事より貴方が辛い目に遭う事の方が辛いんです。だって貴方が何であっても、ご両親にとって貴方は愛すべき家族なんですから」
紫鷹も膝をついてえんじゅの頭にぽんと手を置いた。
「自分へ冷たく当たられるのなら、幾らでも我慢できるさ。でも、えんじゅさんも笑顔で過ごせる道にしたい。そのために私達がきたんだからな」
結局その日の夕食は、塩のおにぎりになってしまったけれど、玲獅と紫鷹はえんじゅが泣き止むまでずっと抱きしめ側にいてくれた。
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えんじゅが学園で過ごす最後の夜は、紫乃の部屋にお邪魔した。
「シチューとパンにサラダだけよ」
そう言う紫乃だが、目やお腹に優しいメニューはゆっくり休んでもらいたいとの気持ちの表れだ。
静かに過ごしたいとのえんじゅの申し出で、他のメンバーは夕方には戻って行った。
昼間、えんじゅにとってはショッキングな出来事があった。
ずっと肌を隠す衣服を身につけていた黒百合がおもむろに酷く傷ついた体を見せて、そしてえんじゅに聞いた。
「撃退士になればこの程度の怪我は日常茶飯事だわァ……喉を食い破られたり、高層ビルから叩き落とされたりとかねェ……本当ォ、死ぬほど痛いわよォ♪」
真っ青になり身動きも出来ないえんじゅに黒百合は笑って見せる。
「両親の元で暮らせば貴女は幸せでしょうねェ、二人とも貴女を大切にしてみるたいだしねェ……でもこの学園に入るなら私みたいに死ぬほど痛い目を見る事は確実よォ……」
死なずに今ここにいるのは運が良かったから。明日にはもしかしたら……。
それでも黒百合は笑うだろう。
見せられた現実に、えんじゅはずっと考えていた。
今やらなければいけないこと。
「ね、紫乃、お願いみんなを呼んで!」
遅い時間にも関わらず、皆はすぐ集まってくれて、そして誰もが嫌な顔ひとつしていない。むしろ呼び出されるのが分っていたように、えんじゅの顔を優しく見つめている。
「ボク、大好きなものを全部なくしてしまうって思って、逃げてたんだ。怖くて怖くて……。でも、黙ったままじゃもっとダメだって、気がついたんだ」
顔を上げて前を向くえんじゅの目には強い光が宿っている。
「きっと、ご両親は受け止めてくれると思います」
公が大丈夫と大きく頷いてくれる。そして皆も。
「うん! ありがとう!」
朝一番に連絡を受け迎えに来た母親と一緒にえんじゅは帰って行った。
世話になった撃退士ひとりひとりに抱きつき(黒百合を痛がらせて)別れを惜しみながら。
えんじゅがすべてを知り、答えを出すのはもう少し後のことだ。