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すっかり花が散ってしまって青々とした葉が伸びた桜の木がある集会所に、まるですべてを諦めた獣のような顔をした少女が立っていた。
芽衣(jz0150)の保護者で通っている天使ハレルヤだ。
おばちゃんに渡されたのだろう、色とりどりの厚紙や折り紙を両手で抱えている。
「――よろしく頼むの」
「めいちゃんのお姉さんだー」
その姿を見つけて蓮華 ひむろ(
ja5412)がびっくりしたように声をあげた。
「バイトのお礼でお花見って、何か悪い気がするけど、地域の人との交流も大事だしって来てみたら芽衣ちゃんのお誕生日だったんだぁ」
今日の偶然に礼野 真夢紀(
jb1438)も驚きの声を上げ、隣にいたひむろと顔を見合わせる。
「今回もめいちゃんと遭遇できて、一緒にお花見できると楽しそうって思ってたんだー」
ひむろも真夢紀も折々に触れ芽衣と関わり、すっかり仲良しだ。
「小さい子の誕生日。こういうのってステキなの。いっぱいお祝いしたいのね!」
芽衣にまだ会ったことにないチャイム・エアフライト(
jb4289)も自分達が招待されて楽しむより、サプライズに頼まれた誕生日を祝うのが嬉しい様子。
どこまでもすっきりと晴れ渡った五月の空の色のような瞳は、うきうきを隠し切れないほどきらきらしている。
反対に呆れを含んだ困り顔をした千堂 騏(
ja8900)は、やれやれと額に巻いたバンダナに手を当てて誰にも聞こえぬように呟いた。
「ハレルヤがいるとは思わなかったな。つーか、こんなところに来てて大丈夫なのか、あいつ」
騏はこのメンバーの中で、ハレルヤと芽衣の正体を知るひとり。
「上の連中に変な風に目を付けれなきゃいいんだが……こっちが心配することでもねぇが」
何も力を使わなければハレルヤもただの少女に見える。
思い直してふっと息を吐く騏の後ろで、黙ってその姿を鳳 静矢(
ja3856)はじっと鋭い目つきで見ていた。
直接ハレルヤと接する機会はなかったが、近くに立つとどうしてもずっと疑問だったことが頭をもたげる。
閲覧した過去の依頼の報告書のいくつかに、記述のあった天使と使徒の姿。
それが今、目の前にいるハレルヤと芽衣に酷似しているからだ。
「やはり確かめておくべきか……」
独りごちた静矢は考えるように腕組みをした。
「へぇー、芽衣の誕生日か。ん? ところであんた、名前なんていうんだ?」
ルナジョーカー(
jb2309)は自分と同じ黒づくめの少女を見下ろした。
「ハレルヤだ」
めんどくさそうに見上げるハレルヤを気にすることなく、ジョーカーはニカッと笑った。
「そうか。ならよろしくな! そうだ、最後に記念写真を撮るか。あんたも入れば芽衣が喜ぶぞ?」
写真と聞いて、チャイムの顔がぱっと輝いた。
「ハルさん……? よろしくなの。誕生日って聞いたのね。こういう日はおめでたいの。お祝いに画用紙で簡単なアルバムを作るのね」
おっとりと喋りながら、ハレルヤがまだ手にしているカラーの厚紙を指差してから、このくらいのと手で四角を作って見せる。
「チャイムちゃん、それ素敵。あっ、おばちゃんが用意してくれた稲荷寿司に海苔で猫ちゃんの顔を描くのはどうかな?」
ひむろがスマホで検索したレシピサイトの猫稲荷寿司を見せる。
「私こういう作業得意なの! 折り紙で猫ちゃんも作れるみたいね」
白く細いひむろの指がボタンをいくつか操作すると、折り方が載ったサイトが現れる。
「ひむろちゃん、猫さんの折り方教えて。折り紙の鎖につけたいの。折り紙を短冊に切って輪っかにして繋げて。これならハルお姉さんでも出きると思うの。手伝っていただけますか?」
「わらわに出きぬことなどない」
真夢紀に言われて始めた折り紙の輪だったが、ハレルヤの手先は不器用この上ない。
「鶴の折り方も教えようと思ったが、輪っかもできねぇとは。ってか、こんなことしてて大丈夫なのか?」
四苦八苦しながら輪を作る隣で騏が心配して声をかけるが、ハレルヤは舌打ちして睨みつけてくる。
「大事無い。主は色々煩い、最初に会ったときからの」
騏の心配をまるっきり違う意味に取ったハレルヤは、憎まれ口を返してくる。
「お姉さんが作った鎖に黄色い画用紙でメダルを作ったよー」
ちょっと不恰好な鎖にひむろが作ったペンダントトップには、折り紙の猫がぺたんと貼り付けられている。
「あたしが作ったアルバムにもねこさん、おそろいなの」
ふんわり、と微笑んでチャイムがひむろの作ったメダルの猫と同じ折り紙の猫を貼ったアルバムを見せる。
「ハルお姉さんが頑張ってくれたから、ほら、猫さんの飾りがすごく長く。木に絡めたら綺麗」
真夢紀が両手をいっぱいに伸ばして見せる飾りは、ちょっと不恰好だけど気になるほどではない。
「俺が木に飾ってやるよ」
ジョーカーは折り紙の飾りを手に持ち、軽やかにジャンプをし木に絡みつけていく。
こうして、即席で誕生日の飾り付けが済んだ集会所は、すっかり主役を待つだけとなる。
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芽衣は商店街で遊んでいたようで、おばちゃんと集会所に向っているとさっき連絡があったばかり。
ひむろとチャイムは慌しくテーブルに海苔で飾りつけをした猫稲荷寿司を並べている。
ジョーカーは、なにやら取り出したトランプを何回もシャッフルしネタの準備に余念がない。
楽しい雰囲気の中、ハレルヤの背中を物言いたげな目で見つめる静矢がいた。
「さて、どうでるか……」
静矢は目を閉じ片手ですっと顔を隠す。
そしてその手を顔から離し、目蓋を上げるのと同時に指を軽く弾いた。
だが、使ったスキル・中立者は成功することなく弾かれ消える。
疑問が現実になった瞬間。
「やはり、な……」
そう呟き静矢は表情を曇らせた。
静矢が力を向けた相手ハレルヤは、自分の肩口から顔だけを後ろに向けて静矢と目を合わせると、クスッと笑った。
「話があるのだろう?」
ハレルヤは小さく言うと、静矢を誘うように皆の目が届きにくい場所へ移動する。
静矢が後を追ったのに、騏と真夢紀がそれぞれ気づく。
「まず非礼を詫びよう、念の為確認しておきたかったのだ」
軽く頭を下げた静矢の背を叩くものがいた。
「俺も聞いときてぇ。ハレルヤに敵意はねぇが、芽衣が余計な悶着に巻き込まれるのは、やっぱ嫌だしな」
いつになく目を吊り上げる騏は、芽衣が使徒になった経緯を知る撃退士だ。
芽衣の命をハレルヤに託したひとり。
「あの子には安心して人と暮らせる環境が必要になるのではないかと思う。……強要はしないが、芽衣と共に久遠ヶ原に来てはどうだろう?」
一瞬考え、静矢はハレルヤに言葉を投げかける。
「分っておる、いつまでもこのままの生活を続けていられぬこともな。だがな――」
ハレルヤは言いかけた言葉を飲み込んで、奥にいる撃退士達に視線を移した。
楽しげに笑い合う彼らが真実を知ったらどうなるのだろう?
芽衣が使徒であると知ったなら、芽衣と関わった人達はどうするだろう?
「……あの、使徒は肉体的・精神的に成長するんでしょうか?」
今までのやり取りをそっと陰から見ていた真夢紀がおずおずと姿を見せた。
真夢紀が実の姉から芽衣のことを聞いてからずっと考えてきたこと。
知ってどうこうできることではないかもしれない、でも――。
真夢紀はきゅっと唇を横に結んで、ハレルヤの顔を真正面から見据えた。
「――せぬよ」
反射的に答えた後ハレルヤは小さく頭を振り、驚く真夢紀を見つめる。
「いや、芽衣は皆と関わり心は成長するだろう」
吐き出した言葉にハレルヤは、ゆっくりと目を閉じる。
「芽衣は人外の力があるだけで唯の幼子と変わらない。貴方は芽衣のことをどう思っている?」
心配するからこそ、問う静矢の言葉尻が知らず知らずきつくなった。
答えようと口を開きかけたハレルヤの背中に声がかかる。
「おーい、主役ほっといてなにやってんだよ」
「ハルー!」
片手を空に上げて大きく振るジョーカーを真似て、到着した芽衣も両手を上げてぴょんと飛び上がる。
屈託のない笑顔は、救いたいと願った人の心の結晶のようにきらきらと輝く。
「芽衣が来たようだ、行くかの」
三人の前をふいっとハレルヤが歩き出した。
が、不意にハレルヤの足がぴたっと止まり、なにか思い出したかのように頭を上げる。
「ああ鳳、答えがまだだったの。
可笑しいものよの、芽衣はわらわが気まぐれに救った命だと思うておったのに。救われたのは、わらわの方だ」
長い時間、一人で生きてきた死の天使は、ぴんと背筋を伸ばしまた歩み出した。
「夢を見ているのだ、託された命が皆の心を変えられると。わらわがそう思うのは可笑しいかの?」
その姿、言葉に、その場に立ったままだった静矢、騏、真夢紀の顔が自然と緩む。
五月の光は、確実になにかを変えている。
それは、投げ込んだ小さな石が凪いだ水面を揺らし、ゆっくり外へ外へと広がっていく波紋のように。
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「このまま戦わないでいれればいい、そう思う」
目を細め誕生会の場に戻る天使を見送る騏が言う。
「報告する必要も、ましてや戦う必要もない。行こう、今日は芽衣の誕生の祝いだ」
軽く騏の肩を叩く静矢は、どこか吹っ切れたような清々しい顔をしていた。
「未来は変えられる、そう思います」
二人に笑った真夢紀はもう走り出している。
「芽衣ちゃん、お誕生日おめでとう! あ、ポシェットのチョコ持ち歩いていると溶けちゃうから写真に収めておこう」
「あっ、まゆきおねーちゃん、うん」
「誕生日のプレゼントではないがな……。芽衣、カードを引いてくれ。お前の引いたカードを当ててみせよう」
ジョーカーが芽衣の前で膝をついて、颯爽と取り出したトランプを開いて見せる。
「るなおにーちゃんがあてるのー?」
芽衣の大きな蒼い瞳に映るジョーカーがニヤッと笑う。
そして芽衣の選んだ一枚のカードを受取ると、芽衣と同じように不思議そうに見つめるメンバーにかざす。
「俺は見ないから皆でカードを記憶してくれ。カードを戻してシャッフル。ん? 芽衣が選んだカードはこれかな?」
「すごーい、もういっかいやってー」
大きな目をさらにまん丸にした芽衣が頬を真っ赤に染めて見上げると、ジョーカーは指を立て横に振る。
「ダメダメ、一度だからこそ手品だぞ? 何度もやったら見抜かれる」
どうしてと首を傾げる芽衣を撫で、ジョーカーはふっと視線を天井に向けた。
「……ありがとう。君に教えてもらった手品が役に立ったよ、ルナ」
ボソリと呟いた言葉は側にいた芽衣にも聞こえず、ますます不思議そうな顔をされる。
そんな芽衣の後ろから、ひむろがそっと折り紙で作った首飾りをかけてやる。
不器用なハレルヤと一緒に作ったものだ。
「わあー、ねこさん! ひむろおねーちゃん、ありがとー」
大好きな猫の顔がぺたりと貼られたメダルに、ぴょんぴょんと飛び跳ねた芽衣の桃色の髪も踊る。
「葉桜でお花見だと思ったけど、めいちゃんの髪の毛が満開の桜みたい! あっ、猫ちゃんのお稲荷さんもあるんだよー」
ひむろと手を繋いで可愛い誕生日のお祝いの料理が並べられたテーブルに芽衣がちょこんと座る。
皆で飾りつけをした稲荷寿司は芽衣に合わせてちょっと小さ目、白いお皿に盛りつけると遊んでるように見える。
「ねこさんがあそんでる」
もちろん、芽衣はそれにすぐ気がついて目を輝かせた。
するとそれを待ちかねたように、チャイムが隣にふんわり、と座ってほわほわと微笑む。
「ええっと、メイちゃん、よろしくなの。お誕生日おめでとう。えっと、ねこさんが好きって聞いたなの」
チャイムが小首を傾げると長い銀色の髪がふわりと揺れ、喋り方はおっとりとしているがそれがまるで歌っているように聞こえるから不思議だ。
「メイちゃんの好きなねこさんをビーズでつくるのね」
「ねこさんつくれるの? おねーちゃんすごい」
テーブルの上にざらっと出されたさまざまなビーズと少し恥ずかしそうに微笑むチャイムを、芽衣は忙しなく見比べて大喜びだ。
「皆でハッピーバースデーめいちゃん♪の歌を歌おうー」
ひむろがぱっと立ち上がり、両手をいっぱいに伸ばして指揮を取るように左右に動かすと、ビーズを手にしたチャイムも立ち上がった。
「誕生日の歌はみんなで。メイちゃんたちと一緒に歌いたいの」
「ね、芽衣ちゃんも歌おう?」
真夢紀が覗き込むと、芽衣はちょこんと首を傾げる。
「私が教えてやろう」
そう言うと、静矢はひょいと芽衣を持ち上げて特等席と肩車をして歌いだす。
「ちっ、歌は得意じゃねぇが、仕方ねぇな。ハッピバースデー、芽衣っと」
照れた顔をした騏がわざと音を外して歌う。
「よし、記念写真だ。ハレルヤも皆も入って入って。オッケー♪ 芽衣、後で写真の貼り方を教えてやる。ルナとはよく二人だけで祝ったもんだが、大勢も楽しいもんだ」
ジョーカーが前へ後ろへと動き回って撮った写真には、皆に囲まれて弾けるような芽衣の笑顔と、ハレルヤの苦々しくもどこか嬉しそうな笑顔がしっかりと写っていた。
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いつまでも手を振る皆に見送られての帰り道、芽衣はさっき静矢に教えてもらい皆で歌ったばかりの誕生日の歌を口ずさんでいる。
ハレルヤと繋いだ手と反対の手には、ひむろからのプレゼントのふんわりと柔らかい白猫のぬいぐるみを抱きしめ、長い髪は暑いだろうと真夢紀がひとつにゆるく編んでくれて、プレゼントにと猫のバレッタを留めてくれた。
いつも大事に下げている黒猫のポシェットには、真夢紀に貰ったハンカチと紐にはチャイムが器用にビーズで作ったブチ猫のアクセサリーが踊るように揺れる。
おばちゃんが残った料理を詰めてくれた紙袋には他に、チャイム達が作った可愛い折り紙の猫が表紙のアルバム、そこに貼ったジョーカーが撮った写真、騏が器用にはさみで折り紙を切って作った猫の切り絵と、ひむろが描いた芽衣の似顔絵に皆で寄せ書きをした画用紙が入ってけっこう重い。
芽衣に対する人の想いの重み、そう感じられるほど。
「たのしかったねー、ハル。 ねぇ、らいねんも、おたんじょうびくる?」
首を傾げて不安げに見上げる芽衣に、ハレルヤは今までにないくらいの笑顔を浮かべる。
「来年もまたその次も、ずっとだの」
「ほんと?」
「ああ、だから大切にせねばならぬの、贈られた命を」
「うん!」
並んでゆっくり歩く天使と使徒をくすぐる五月の風は、鮮やかな緑の香りを運んでくれた。
Happy birthday of May.