●撃退士集まる
五月も間近になると、日差しはもう初夏のものとなる。今日も久遠ヶ原学園の庭園は強い日差しが降り注ぐいい天気だ。
「コレ全部薔薇かぁ……そりゃアブラムシなんぞにくれてやるワケにゃあいかねぇな」
見渡す限りの薔薇の群れに、笹鳴 十一(
ja0101)は言葉を漏らした。
「薔薇なぁ……、俺は撫子や桜やらのほうが好きだな。確か薔薇は手入れが面倒なんだろ?」
青龍堂 夜炉(
ja0351)は先日終わってしまった桜を思い出し呟く。
「無農薬で薔薇を育てるのは、本当に大変ですね」
それに答えるように広大な敷地に植えられた薔薇の青々とした姿に、リゼット・エトワール(
ja6638)は驚きつつもおっとりした様子で言った。
「なんでこんな依頼、俺は受けちまったんだか……」
それを聞いた夜炉は、めんどくさそうに独り言のような答えを返す。
「お仕事は大切……」
夜炉のすぐ隣でLime Sis(
ja0916)の金色の髪がふわんと揺れた。集まったメンバーの中では誰よりも小さいが、お立ち台に牛乳、メイプルシロップと重そうな荷物が多い。
その後ろにはLimeとは対極を行く大柄でやたらハイテンションな折原スゥズ(
ja7715)が、片手の骸骨マイクを口に当てた。
「ハァイ、こんな所にもこんにちは、DJ@Suzu参上★ 今回は一面の薔薇園に来てみたしー暑いしー暑いしー初夏って感じー★」
「私、日焼け止めクリームと虫除けスプレー持ってきたから貸します」
因幡 良子(
ja8039)は首から下げた青い宝石のペンダントを無意識に指で弄りながらニコニコと笑う。
「さすが女子は用意がいいじゃん。俺さんも借りるか」
十一が良子に手を伸ばすと、後ろからもう一本手がにゅっと伸びてきた。
「アタシも貸してもらおうかしら? 日焼けは女の子のお肌の大敵ですものね♪」
低い声でそう言う黒尽くめの人物にみんなの視線が集まると、一瞬の間があってそれからみんなが一斉にごくんと唾を飲み込む音が聞こえる。
「……あんたが庭師か?」
指で黒縁眼鏡のフレームを押し上げた夜炉のぶっきら棒な質問に、依頼主の北原美幸は気にすることもなくニコリと微笑む。そして、ぐるっと見回して、それぞれの持ち物を見つけると少し驚いたように首を傾げて見せた。
「ああら、みんな、キラキラテープも用意してくれたの? すっごく調べてきてくれたみたいねぇ」
「てんとう虫でアブラムシ退治、木酢液の吹きかけ、鳥追いテープ!」
リゼットの声に、良子も手に持っていたテープを見せる。それに遅れるように、Limeは持っていた荷物をぎゅっと抱え直した。
「……別に。事前に用意したり調べたりしておくのは当たり前だろ?」
「夜炉の言うとおりだぜ。つーか美幸ちゃん?作業のレクチャーよろしく頼む」
後ろから夜炉の肩に手を置いた十一は、そう言って軽く顎で広大な薔薇園を指し示した。
「良いわよぉ。基本は木酢液を蕾の根元にいるアブラムシに吹きつけてもらうんだけど、結構広いでしょ、だから力のある男の子には電動式のタンクを背負って広範囲に吹きつけてもらって、女の子にはこれ、片手で持てる電池式の噴霧器で消毒ね」
ほら、アタシもこれと美幸は自分の手に持ったペットボトルにつけるタイプの噴霧器を見せるが、もちろん足元にはポリタンクほどの大きさのタンクの噴霧器が置いてある。
「テントウムシも取ってもらえるなら、そうねぇ、アブラムシの被害が多い区画に放してもらえばいいわ。ウフフ、安心して。他の庭師数名もタンク背負ってもらうから」
じいーっと重そうなタンクを見つめたままの十一に美幸は聞かせるように笑いながら言う。
「そうだな……、俺はリゼットとテントウムシを捕まえに行くか」
「はい、夜炉さんと一緒に行動ですね。この方法が上手くいけば、美幸さん達の負担も軽くなりますよね!」
「じゃぁ残りは木酢液班、笹鳴君、Sisちゃん、折原ちゃん集合ー!」
良子は明るく片手を上げて、こっちこっちと手招きして見せた。
「日暮れまでには終わらせたい感じー★」
スゥズが髑髏マイクでそう言うと、もうテントウムシがいそうな方へ歩き出していたリゼットが振り向いて、はい!と返事をした。
●テントウムシは何処?
「綺麗な薔薇たちを守るためにも、頑張ります!」
そう言って草むらにやって来たリゼットと夜炉。
「ここも広いな……」
探すのは小さなテントウムシ、やみ雲にただ草むらを探してもすぐには見つからず、夜炉は呟いて思わず頭をがしがしと掻いた。
「あ、そういえば、これ」
リゼットは、さっきみんなと別れる時に「宜しければ参考に……」とLimeに手渡された紙を夜炉の目の前に差し出した。
その紙には事細かにテントウムシの幼虫のことから書き記されてある。
「肉食はナナホシテントウ、ニジュウヤホシテントウは草食、って同じじゃねぇのか」
「日当たりがいいグミ、ムクゲ、モモ、カエデ、ヨモギなどに見つかりやすいらしいです!」
「なるべく多く捕まえてぇから助かる。おあつらえ向きにヨモギが生えてるな……」
きょろきょろと辺りを見回す二人の目に、真っ赤な小さなものがちょこっと動くのが見えた。
「夜炉さん、てんとう虫さんいましたー!」
潰さないようにふわんと両手の平で包むようにしてテントウムシを捕まえたリゼットは、にこおっとそれはそれは嬉しそうに夜炉に笑って見せる。
「こっちも捕まえたぜ」
二人が捕まえたテントウムシは、リゼットが持ってきた虫かごにそっと入れられ、それからあちこちを駆けずり回りどんどん中は小さな赤で満たされていった。
しばらくして夜炉は、夢中になって汗をかいて赤い顔をしているリゼットにミネラルウォーターを手渡した。
「水分補給はしておけ。倒れるぞ」
少々ぶっきら棒に感じる夜炉の物言い。
それには底に流れる優しさが感じられ、つい「ありがとうございますっ! 夜炉さんって優しいんですね」と見上げれば、リゼットに照れたような軽いデコピンが降ってきた。
●それぞれに
一方、美幸に木酢液を満たしたタンクを背負わされた十一は、スゥズに髑髏マイクを向けられて苦笑いだ。
「この陽気の中、撃退士は何を思うのか! インタビューしてみましょう★」
正直ウザイと思いつつも、自分が木酢液を吹きつけたアブラムシを少し見つめてから、マイクに向かって「おー……こりゃすげぇ」とびっくりしてみせるサービスぶり。
それに満足してニッと笑ったスゥズは、今度はちょっと先にいる良子にターゲットを移し飛び跳ねるように移動する。
「マイク持つとテンション変わり過ぎだぜ。っと、Limeは何やってんだ?」
ハイテンションのスゥズを見送った十一は、薔薇の根元にかがんでじっとしているLimeを見つけて声をかけた。良く見ると、Limeは持参した牛乳を薄めた液をアブラムシに吹きつけて様子をみているところだ。
「へぇ、牛乳でも死ぬのか。でも乾くと白く残りそうだぜ」
何気なく十一が呟いた言葉に、Limeはじっと十一を見つめたまま固まっている。
「い、いや、悪くはねぇけど、さっき木酢液でも消毒できたみてぇだから」
慌てる十一を尻目に、Limeはすっくと立ち上がり、まだ残っていた脂肪分無調整牛乳を一気に飲み干しそして一言。
「成長によいはずなのです……」
牛乳を飲み終えたLimeは、今度は持って来たお立ち台に乗って手の届かないところの消毒を始めた。
「お、俺さんもそう思うぜ」
それをしばらく見つめて十一は、ちょっとだけ間がずれた答えを返していた。
「それにしても畑仕事って随分久しぶりね」
スゥズの髑髏マイクを向けられた良子は、そう言って懐かしそうに目を細めた。思い出すのは実家の方のこと。今頃みんなは何をやっているのか。
畑仕事に慣れている良子は、長袖長ズボンに首にタオル、日よけの麦藁帽子と完全防備だ。
大切なペンダントは、汚れないようにと指でそっと撫でてから服の中へといれておいた。
プシュプシュッと木酢液を吹きつけながら、インタビューしていたスゥズに反対に話しかける。
「で、好きな子とかいるの? 言うてみ? お姉さんに言うてみ?」
聞きながらも経験のある良子は作業が早い。それを追いかけるように、スゥズもいつしかインタビューよりつられて地道な消毒の作業に没頭しだした。
「良子は手で潰すんだ?」
すっかりDJ@Suzuから普段の顔に戻ったスゥズは、良子がアブラムシを手で潰しているのに気がついて聞いてきた。
「ほら。田舎で手伝う時ってこんな感じでやってたから。どうせ軍手してるしいいかなーって……」
良子は何気なくそう言ったがすぐに言い直す。
「ああいや、別に潰さなくても葉っぱから落とすだけで大分違うと思うわよ」
いくらスゥズが男子顔負けの身長でも、女の子が虫を手で潰すのには抵抗があると思ったからだ。
「……だよな。あたしも頑張る」
ぱぱっと軍手でアブラムシを払うスゥズに、良子はくすっと笑いながらも、「で、好きな子とかいるの?」とまた答えにくい質問をしてくるのだった。
●オカマとお茶会、そして
「ただいまです」
明るいリゼットの声が薔薇園に聞こえ、お帰りの声は、薔薇園のあちこちから聞こえた。
「そろそろこっちも終わるところだぜ」
空に近くなったタンクを背負った十一が手を振って見せる。
「どこに放せばいいでしょうか?」
きょろきょろと美幸の姿を探すリゼットは、袖をくいっと引かれて振り向いた。そこには、Limeが少し先の薔薇の根元を指差している。
「アリの巣の近くにシロップを置いたです。アブラムシにアリが行かないように」
「Limeちゃん、ありがと。アリの巣を見つけてくれたのね。リゼットちゃん、巣から離して、この辺りにテントウムシを放してくれるかしら?」
黒尽くめの美幸に指示された場所に、リゼットは小走りでやって来る。そうして虫かごの蓋を開けると、テントウムシは赤い小さな羽を広げて飛び立って行く。
「てんとう虫さんがアブラムシを退治してくれますように……。よろしくお願いします……っ」
リゼットが手を合わせてお願いすると、それぞれ手を止めて見上げたみんなの目に小さな羽がお日様にキラリと光って見えた。
その後、みんなが持ち寄ってくれた鳥追いテープが薔薇園に設置され、今日の作業は無事に終了を迎えた。
「皆さん本当にお疲れさま。気持ちばかりだけど、アタシが育てた薔薇で作ったお茶とお菓子を用意したわよ。薔薇が満開じゃないのが残念だけど」
黒尽くめから一転、花柄のエプロンを身に着けた大柄の美幸におののきつつ、撃退士達は用意されたお茶会のテーブルにつく。
「ローズティーって飲んだことないから、ちょっとドキドキだったりするのよねー」
良子は興味津々といったところだ。
薔薇の模様のティーポットに美幸が湯を注ぐと、中の茶葉が解けてローズティー独特の甘い香りが匂い立つ。その香りに、リゼットはぽやぁとした顔になった。
「ローズティーってやつか、初めて飲むや」
目の前に置かれたティーカップを片手で持った十一は、その香りをゆっくり染み渡らせるように少しずつ飲んでいる。
夜炉はといえば、隣に座った良子の「好きな子いるの?」攻撃と、目の前に座ったスゥズの骸骨マイク奇襲に、デコピンとチョップで応戦しつつ、クッキーを口にほおり込む。
「ああら、Limeちゃんは疲れて眠っちゃったみたいねぇ」
テーブルにつっぷして眠るLimeに、美幸は苦笑する。
「もっと俺さんに頼ってくれても良かったんだけどねぇ」
一番近くにいた十一もそう言って苦笑する。
「そういう性分なんだろう? あたしがLimeをおぶって帰るよ」
マイクの代わりにティーカップを持ったスゥズは、少し冷めたローズティーをこくり一口飲んだ。
「実家の親友に送りたいなぁ」
薔薇の甘い香りに、良子は親友にもこのお茶を飲んで欲しいと思った。
「あの、茶葉を分けてもらえないですか?」
良子のお願いに、美幸は嬉しそうににっこりと笑う。
「ここの薔薇園が無農薬に拘るのは、こうして食用にするからなの。ただ綺麗な花を見るだけなら、農薬をかけるだけ、それはそれは簡単な作業よ。今年の薔薇も撃退士の皆さんのお陰で、安全で綺麗な花を収穫することができそうよ」
だからね、と美幸は続けた。
「良子ちゃんと皆さんとで守ってくれたお花で作ったお茶を、お友達に送ってあげたらどうかしら?」
「私が守った?」
首を傾げる良子に、美幸はまたにっこりと笑った。
「薔薇が満開になったらまたお茶会をしましょう。皆さんもぜひいらして」
「是非是非、満開の時に来てみてぇなぁ」
そう言う十一に、一同は同時に頷いていた。
そして、日も傾きかけそろそろお茶会がお開きという時間――。
「そうそう、宜しかったらお風呂で背中を流してあげるわよ!」
「いやーはっはっは、俺さんは大丈夫だよ?」
なぜか必死の形相で風呂に誘う美幸に恐れをなして逃げ出す撃退士達。
その後、久遠ヶ原学園内にある温泉施設に、オカマな庭師がひとり寂しく汗を流す姿が目撃された……、らしい。