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ゆるゆる夜は更けて、真っ暗な空を月と星が支配する。
少しだけ欠けた月の姿が物悲しく見えるのは、冷たくなった風のせいだけではないだろう。
ただ隣にいたい。
そう望んだだけなのに、答えを出せないまま、見上げた空に声を放った。
「最後の狩りをしよう」
歩き出すと、後ろを真っ白なウサギが数匹、ぴょんぴょん飛び跳ねてついて来る。
狩る者と狩られる者、それが逆転する。
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同じ月を、ひっそりと不気味なほど静かな夜の繁華街に集った撃退士達も見上げていた。
やはり欠けた月が寂しそうに見えるのは、クルクス・コルネリウス(
ja1997)の心を映してか、ぽつりと呟く。
「……月が綺麗ですね」
黒い牧師服に身を包んだクルクスは、無意識に胸のロザリオを片手で握る。
昼間、斡旋所を訪れた神父の気持ちがクルクスには分かりすぎて、胸が痛む。
「月島様に一体何があったのでしょうか……?」
閉じた目で空を見上げる神城 朔耶(
ja5843)は、心にある疑問を言葉にした。
不良達に苛められた仕返しをしているにしては、行動に謎がある。
圧倒的に情報が足りない。
朔耶も無意識に胸の勾玉を指で触れる。
事前に用意を整えている彼らは、手持ち無沙汰で愚痴のような会話が続く。
アレーシャ・V・チェレンコフ(
jb0467)は、少年のことを色々と神父に聞いていた。
顔が分からないことにはどうしようもないと、渡してもらった写真はすでにコピーをして他のメンバーに配ってある。
つい最近の写真だが、無表情でこちらを見つめる少年に感じる違和感。
それはアレーシャに留まらず、他の皆も感じたことだ。
少年が、使命に燃えて暴走するか、復讐に燃えるタイプなら話は早いが、少年の性格は穏やかで争いごとを好まなかったらしい。
「『サーバントと一緒にいる少年の素性を調べろ』か、十中八九”クロ”よね、いや、天界側だから”シロ”と言うべき?」
ボソリ、としょーもないギャグを呟くのがアレーシャの癖だ。
「サーバントを使役してる時点で十中八九使徒になってるよねぇ」
さらりとアレーシャのギャグを受け流しながら、神喰 茜(
ja0200)が考えるように赤い瞳を伏せた。
人間であって欲しいと願うのは、親しい人間であれば当然のこと。
使徒であると茜は確信しているが、どこかに光がないかと探してみる。
「苛められっ子が使徒になって仕返しかぁ……。怪我に抑えているあたり、お人好しなのか踏ん切りがつかないのか」
「苛めっ子に仕返しかぁ、何とも人間らしい行動だからまだ話が通じそうで、多少は安心? まぁ、本人は制裁とか天罰とかそんなつもりなのかもしれないけどね」
茜とアレーシャの言葉がかぶる。
「苛められた仕返し、ですか」
ずっと黙ったまま話を聞いていたハーヴェスター(
ja8295)は、そう言うと真顔でしばし考え込み続ける。
「ウサギのサーバントでウサばらし……」
皆の視線が一斉にぼそっと呟いたハーヴェスターに集まり、そして辺りはさらに冷えた空気が漂う。
「……って、えっ、なんですかこの冷めた空気」
その空気を一瞬で変えたのはアーレイ・バーグ(
ja0276)だ。
彼女は、秋の涼しい夜にもかかわらず、半袖に胸ががっつり開いた洋服を着ている。
アメリカ人特有のスタイルが災いして、必然的に胸を露出するような格好になったのかもしれなかった。
「夜は寒いですからねぇ……、少し厚着をしてきました♪」
にこっと笑って言った言葉は本物だ。
場を和ませてから、アーレイは、ほぅ……とひとつ溜息をついて本題に入る。
「さてと……、少年がシュトラッサーだったら手荒く酷いことになりますけどねぇ……」
ふっ、とアーレイの表情が厳しいものへと変貌する。
「幸いにも、アウルの力はなかったそうです。それともしものために、いつでも救急車が呼べるよう携帯を準備しておきます」
クルクスは牧師服から携帯を取り出すといくつか操作して非常時に備える。
同時に携帯を操作しているのは、ひとり離れての隠密行動をするハーヴェスターだ。
通話状態にした携帯にイヤホンマイクをつけ、こくんと頷くとその場を離れ物陰に隠れ行動を開始する。
「私、依頼人様からお預かりしたものがあるのですが」
朔耶は巫女装束の合わせから、銀の鎖のついた小さな十字架を取り出して見せた。
「これは、ロザリオ?」
クルクスには、それがただのアクセサリーではないのがすぐに分かる。
プロテスタントは祈りに十字架は持たないが、その胸には肌身離さず持っている祖父のロザリオがあった。
「同じではないですが、これと似たものを月島様が持っているらしいです。少年が月島様なら、戦う前に話をしてみたい。これに必ず反応があると思うのです。――ご両親の形見と聞いています」
こうなるには何か理由があるはず。
それを聞きたいと、朔耶は切に願う。
「聞けば答えてくれないかな? 他の人に良い方法があれば、そっちでもいいだろうけど」
もちろん少年が使徒だと思っている茜も、まずは説得をと思っている。
「穏やかな性格で争いを好まなかった少年らしいのよね。うーん、母親がいないのも原因のひとつかしら? 何か母性を強調できれば……」
アレーシャはそこまで言ってから、隣に並ぶアーレイの胸と自分の胸元を見比べて、大きく溜息をついた。
「まぁまずは不良さんにお引取り願わないとですね」
静かな繁華街に、近づいて来る数人の足音に、浮かべていた笑みを消してアーレイは依頼開始の言葉を発していた。
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自分達が狙われていると知らされているはずなのに、現れたいかにも不良を絵に書いたような少年達の足取りは軽い。
馬鹿なのか、はたまた相手が自分達より弱い相手だと思っているのか、薄ら笑いさえ浮かべて。
その足が、遮る撃退士達にぴたっと止められた。
「はぁー? なに、アンタ達?」
お決まりのセリフを言う不良達の目の前に、撃退士の身分証明書が突きつけられた。
それも各々が自分の身分証を取り出したから、不良達の前にはずらっと並んでいる状態だ。
アーレイは事前に胸の谷間に仕込んでいた身分証をさっと取り出し、びっし! と不良の顔に叩きつけるように突きつけた。
その反動で、巨乳がぷるんと揺れる。
「これ分かりますね? 撃退士の身分証です。ここは危ないので早く立ち去って下さいね」
笑顔を浮かべたアーレイ。
だが、どこか殺気を孕んでいて、不良の背筋にぞっとするものが走る。
「ね、ここから立ち去ってくれないかな?」
にっこり笑って、言葉だけはお願いしているような茜だが、アーレイ以上にぴりぴりとした殺気が篭っていた。
「はぁー? だからこれがなに――」
「……貴方達は命が惜しくないのですか?手遅れになってからでは遅いのです」
突っかかってきた不良達に、朔耶は一歩踏み出した。
そうして、やや強い口調で問いかける。
「死んでねぇじゃん。アイツにそんな意地ねぇよ」
「……そうですか……分かりました。そんなに命を投げ捨てるというならその命、私がここで絶ちましょうか?」
朔耶もにこにこ笑顔で言いながら、弓を構えた。
だが、狙った的の不良は、すっと視界から消える。どさっという音と共に。
クルクスが手加減はしているが、不良の足を狙って蹴ったからだ。
「さっさと帰れ、と言っているんです。確かに少年は命までは奪わないそうですが……、僕は手加減を忘れてオーバーキルするかも」
クルクスが言い浮かべたのは、殺気を含んだ笑みではなく、黒い笑顔だ。
その笑顔に、不良達はやっと撃退士達が本気だと理解した。
「素直に言うことを聞いてくれない子はおねーさん嫌いだなー?」
無様に尻餅をついたままの不良の首根っこをアーレイがむんずと掴んだその時。
不良達が現れた瞬間から周辺を警戒していたハーヴェスターが、いち早く数匹のサーバントと、少し離れた位置にいる少年を発見していた。
そのハーヴェスターから連絡が入る。
「こちらハーヴェスター、目標となる少年を発見しましたよぅ」
撃退士達に、ぴんと張り詰めた緊張が走る。
「ああもう、だから早く逃げろと言ったのに」
可愛らしい顔立ちから想像もつかない力で、アレーシャはいっぺんに二人の不良の襟首を掴むと、ずるずると建物の陰に引きずって行く。
「こっちもお願い」
ほぼ通路に不良を投げ捨てたアレーシャに、アーレイが首根っこを掴んでいた不良をこっちも投げ捨てる。
やや遅れた不良一名の撤収。そこに、白いものがぴょんと飛びかかる。
「ひっ!!」
情けない不良の悲鳴、と同時に不良とサーバントの間に朔耶の体が滑り込む。
掲げられた盾はシールドとなり、サーバントを弾き返し不良を守る。
「くっ!」
不良が怪我をする程度だと聞いていたが、盾を持った朔耶の手にびりっと痺れが走った。
ウサギ型とは言え相手はサーバント。それなりの力は持っているようだ。
朔耶は素早く阿修羅の茜へとアウルの鎧を使う。
「ありがと!」
短く言うと、茜は血のように赤い髪をなびかせて地を蹴った。
月明りの中、真っ白いサーバントは跳ねるように襲いかかる。
相手は五匹、動きはばらばらだ。
そのサーバントをなるべく一ヶ所に集めるよう駆ける茜。
ダアトの前には朔耶がシールドでウサギの攻撃をかわしつつ、茜が集めようとしている場所に弾いて飛ばす。
「ダアトが前衛とか何か間違ってると思うのですよ……」
クルクスと朔耶の前に庇うように立ったアーレイは言ってから首を傾げるも、天に向かって両手を伸ばした。
くくっと円を作るように指を動かすと、ばちばちっと火花が弾け飛び、やがてそれは大きな火の玉を作り出していく。
「ちょっと洒落にならない相手みたいだし、ニュービーは無理しないことにするわ」
不良をやや強引に避難させたアレーシャは、遠慮せずアーレイの後ろに回る。
「ダアトらしく、後方で撃ち漏らしを攻撃します」
もっともらしく言ったクルクスは、心もとない月明りに、トワイライトを使って辺りを照らした。
昼間のような明るさ、とまではいかないが、暗くてそれまで見えなかったものも皆の目に映るようになる。
それは、動き回る白いサーバントの姿はもちろん、離れて戦闘を見守るように立ち尽くす少年の姿までも。
戦闘から離れた場所にいるハーヴェスターにも確認できる。
逅申の術を使っているハーヴェスターは、肉眼で顔を確認できる位置まで難なく移動できた。
(外見は依頼者の話と一致していますが……)
無表情にサーバントと撃退士の動きを見つめる少年。
取り出した写真と見比べて、依頼人が探していた少年だと確信する。
視点と焦点、血色等での健康確認をざっとしてみるが、これといって異常は見当たらない。
術がまだ切れていないハーヴェスターは、少しだけ少年に近づき不意打ちのように話しかけた。
「今晩は、心さん。そろそろお家に帰る時間ですよ」
ぴくり、と少年は微かに弾かれたように動く。
それを見たハーヴェスターは、ほんの少し柔らかい語調で諭すように続けた。
「……まだ、気は晴れませんか? 彼らも随分、痛い目を見ていますけど」
その声に、少年が口を開いたまさにその瞬間。
「喰らえ我が必殺の……プルプルンゼンゼンマン!!」
アーレイが気合を込め、力抜けするような技名を叫んでサーバントにファイヤーブレイクを叩き込んだ。
炸裂した炎の玉は、二匹のサーバントを塵に化し、残りを焼くも四方に弾け飛ばした。
その一匹が、少年の口元を見つめるハーヴェスターの背中に当たる。
「んもう、いいとこなのに!」
それを敵の攻撃だと錯覚したハーヴェスターは、戦闘モードに移行すると皆がいる所へと走り出す。
戦闘の真ん中では、アーレイが皆の視線を集めていた。
「え……なんか反応悪いです? 頑張って厨二っぽい名前を付けてみたんですけど……、ドイツ語で深紅の死神って意味なんですよ? ドイツ語って格好良いのが定番じゃないですか!」
必死に力説するが、格好良いかどうかは謎である。
焦げかかり弱った白いサーバントは、茜の素早い動きで追撃されていた。
剣鬼変生を使う茜の髪は赤から金色に染まり、華修羅を具現化した力は白い敵を斬り飛ばす。
飛ばされた白いモノは、闇に溶けて混ざり合い、やがて消えてゆく。
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クルクスが作り出した光が消える頃、また繁華街には静寂が訪れた。
闇に、残されたのは戦い終えた撃退士達と、立ち尽くす少年だけ。
「あなたの孤独は、消えましたか? 神父の孤独と引き換えに」
静寂を破るように、クルクスが口を開いた。
クルクスは力を欲した両親に置いていかれた過去がある。
その理由は知らないし、認められないが、分かることもある。
「置いて行く方も置いて行かれる方も、哀しいという事」
出来れば、少年を孤独のままにしておきたくない思う。自分のように。
朔耶はロザリオを握り締めていた手を少年の方へ差し出した。
月明りにきらりとひかる銀の鎖。
「月島様、一体何があったのですか? 教えてはいただけないでしょうか?」
少年が使徒であったとしても、それは知らなければいけないこと。
争いを好まない少年がなぜこの道を選んだのか。
「とりあえず帰りを待ってくれる人がいるんでしょ、何も自分から捨てることはないです」
おとなしく帰ってくれれば楽なのだけど、とハーヴェスターは考えた。
人間であった場合だけど。
(心さん、どう出ますかね)
撃退士が見守る中、無表情な少年は一度目を閉じると、ゆっくりと開く。
「……ゆえが――」
抑揚のない声がそこまで発せられ、その先は聞くことができなかった。
圧倒的な力が、心の体を吹き飛ばしていたからだ。
「――えっ?」
力の源は、白い翼の天使。
ゆったりと冷えたアスファルトに降り立った天使は、冷たい瞳で倒れ込んだ少年を見下ろし言った。
「まったく使えない。連れて帰れ、使徒にはなれぬと伝えろ」
吐き捨てるように言い放った天使は自分の胸に揺れていたロザリオを片手で引きちぎると、心の背中に投げ捨てる。
刹那、天使の瞳が哀しく揺れたのに何人が気がついただろう。
呆気にとられていた撃退士が、やっと心を助け起こすのを見届けると天使は夜の闇の中へ消えて行った。
「どういうこと?」
アレーシャは事態が飲み込めないという顔をする。
「まだ、人だったってことです。なぜか分からないけど」
朔耶が捨てられたロザリオを手に呟いた。
「使徒になるためのテストだった、とか?」
聞いたことはないけどね、と茜が首を振る。
「とにかく、少年を連れて帰りましょう。依頼は完了ですよね」
溜息とともにアーレイが言う。
天使と心との関係は分からぬまま、それでも依頼は達成された。
少年に何があったのか、言いかけた言葉の先に何があるのか、謎は残されたまま。