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旧支配エリア。
戦った痕跡はそこここにあるものの、瓦礫の散らばったその地帯にいるはずのないもの。
やや開けた広場のようなところに、そいつはいた。
真っ黒い甲殻はぼんやりとした明りに鈍く光り、鋭い針のついた尻尾をゆらゆらと揺らしている。
時折、思い出したように六本の足を動かし移動をしては立ち止まる。
まるでその様子は、これから獲物となる者を待ちわびているかのように見えた。
なにもいなかったはずの空間に、いきなり複数の天魔が現れた。
それをいくつかのグループに別れた撃退士達が討伐にあたることになった。
急にも思えるその作戦。
だが、討伐は最初から予定されていたものとして、学園で処理をされている。
そこにきな臭いなにかを感じながらも、数名の撃退士が討伐目的エリアに降り立った。
ズズーンズズーン、とスコーピオンが巨体で歩く音が耳に届く。
地鳴りのようなそれは、着いたばかりの撃退士の足元をも揺らす。
「おおっと……」
揺れに足元を取られ、ぐらっと上体を傾けたのは丸々としたジャイアントパンダ。
いや、パンダの着ぐるみを纏った下妻笹緒(
ja0544)だ。
そのコミカルな姿に、ぴんと張り詰めた空気が一瞬だけ和む。
ディアボロを前にした討伐の依頼でなければ、もふもふ好きにもふられたかもしれない。
なんとか転ばずに体勢を保った笹緒は、ふと顔を上げた拍子に巨大蠍に目を留めた。
笹緒はその姿に興奮し、大袈裟なジェスチャーで賛美する。
「見る者を威圧する禍々しい剣のごとき鋏。鎧武者と見紛う堅牢なボディ。そして何よりも目を引く、恐るべき毒針を備えた尾部」
「凄く大きいね〜、どうすればあんなに大きくなれるんだろうね!」
ふるふると興奮に震える笹緒の隣に並んで滅炎 雷(
ja4615)が赤い瞳をきらきらさせて感心する。
「既存の生物をただ巨大化しただけ、と侮る事なかれ。蠍はこの大きさになって初めて、自信の性能を最大限に引き出すことができるのだ!」
「へー、それにしても昆虫ってあのサイズで自分の重さを支えられたっけ?」
「うーむ、それはどうだろうな?」
「ディアボロだから関係ないのかな?」
並んで腕を組み同じようにうーんと悩む笹緒と雷の後ろでは、他の四人が戦闘の打ち合わせを始めていた。
やや緊張した面持ちで、氷姫宮 紫苑(
ja4360)がまず口を開く。
「大きな作戦には初めて参加するんですけど……、普通の依頼とは全然違うものなんですね」
「うん、それにここは旧支配エリアだしね」
数々の戦火をくぐり抜けてきたソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)にも、その空間は異様なものに思われた。
「何かが起こっているような、全く違う雰囲気を感じます。何だか緊張しますよね」
紫苑が感じた「何か」は、きっとこのエリア内で行われている別の部隊による戦闘の気配。
楊 玲花(
ja0249)もそれは感じていたが、あくまで冷静に語る。
「なかなかにやっかいそうな敵ですね。――ともかく、わたしたちは自らの為すべき事を為すこととしましょう」
そう、任された依頼は、この巨大なディアボロを倒すことなのだから。
「一体だけではあるけれど、油断しないようにしたいね」
「ソフィアさんの言うとおり、敵の様子を見つつ俺は牽制をし、隙ができたら懐に潜り込み一撃を放つ」
阿修羅であるファング・クラウド(
ja7828)が、放つ一発は威力が大きい。
鬼道忍軍の玲花も足が速い。
敵の注意を引くにはもってこいだ。
そしてのこりは後衛といえるダアトが四名。
一見不利にも思えるこの構成が依頼の成功を導くとは、この時点では誰もが予想しなかったことだが。
ズンズンと地鳴りのような地響きが辺りを揺らす。
巨大なディアボロは歩くだけで振動をもたらしてくる。
「……何はともあれ! 今は自分の出来ることを頑張ります!!」
緊張していた紫苑の表情が少しだけ和らぎ、そしてその奥に小さな決意が見えた。
「あまり長引かせたくはないけど、大きい分タフでもありそうかな?」
「攻防を備えた相手に無闇に突っ込む愚は犯さず、距離をとっての魔法ダメージを積み上げたいところだ」
いつのまに話に加わったのか、笹緒がほわんとした自分の着ぐるみの顎に着ぐるみの黒い指を当てた。
「うん、確実に削っていこうか」
「凄く大きくて堅そうだけど頑張って倒すぞ〜!」
雷がぴょんと飛び上がり片手を天に突き上げる。
釣られて紫苑も、おーと片手を上げた。
「こちらはいつでも。準備OKです」
玲花は両手に苦無を持ち構え、姿勢を低くする。
いつでも飛び出せる格好だ。
ファングも口の中で言葉を呟いた。
「神の名に置いて此れを鋳造す、汝等罪無し」
すると、ファングの右腕は透ける青い重装甲を纏い、肘の後ろに巨大なアウルの杭が創造される。
「足元の瓦礫に気をつけて! 行くよ!」
金色のオーラをなびかせるようにソフィアがディアボロに向かって走り出した。
続いて笹緒、雷、紫苑のダアトが目の前の瓦礫を難なく飛び越えて駆けて行く。
そして、玲花とファングが一瞬目配せをすると左右に散った。
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「ククッ、始まったようだぜ、灯。ああ、始まったのはここだけじゃねぇな。あちこちに渦巻く悪意に満ちた気配。天使も悪魔も人間もねぇ、ここにあるのは勝つか負けるか、生きるか死ぬか、だ。だろう――?」
混沌とした闇に紛れて、巨大な蠍を創った紅蓮の悪魔はニヤリと笑う。
そう、例えディアボロが倒されたとしても、悪魔にとってはひとつの遊びが終わったにすぎない。
ただの暇つぶしに、アレの行方を見に来ただけなのだから。
「……人は、そんなに弱くない」
悪魔の傍らに佇むヴァニタスは、ぽつりと言葉を漏らしてそっと目を閉じた。
まるで何かに祈るかのように。
「ヒット&アウェイが信条なんだよね!」
紫苑は黒い甲殻が射程内にきたところで、両手を向けた。
すると、煌く氷の錐が現れ、手の平で押し出せば、ディアボロの背中に向かって飛んで行く。
しかし堅い甲羅に阻まれ、クリスタルの霧となって霧散した。
「えー?」
不服そうに紫苑の口をついて出た言葉。
だが、霧が散ってそこからディアボロの鋭い尻尾が振り下ろされようとしていた。
立ち止まったまま逃げられない紫苑の顔より何倍も大きな切っ先は、寸でのところでぴたっと止まる。
「捕まえった〜! これで動けないでしょ!」
そう言って、にこっと笑った雷。
紫苑を襲った毒針は、雷の仕掛けた異界からの無数の白い手によって動きを封じられている。
「ありがと! 貫け氷の刃、切り裂け烈風!」
再度魔法を詠唱し、紫苑の氷の刃は動きを封じられた尻尾に向かって炸裂する。
近距離からの直撃を受けた毒の切っ先は、欠けて反対側にいた雷に飛んでゆく。
「うひゃ!」
それを今度は玲花が手の中に生み出した影手裏剣が弾き飛ばす。
次いで、玲花は脚部にアウルの力を集中させ、稲妻の如く飛び出し蠍の懐に飛び込むと、足の関節部分を狙って苦無を突き刺した。
「……一撃一撃での重さこそ無いけれど、こうして脚でかき回すのも立派な戦い方ですからね」
ぐぐぐ、と深く差し込んだ苦無を、玲花は手首を返すようにして今度は引き抜いた。
バキバキバキッ……、蠍の脚の間接部から高く小気味いい破壊音が響く。
「シャアアアアアァァ!!」
叫びとも威嚇とも取れる蠍の声を耳に残し、玲花は軽やかに巨体から離れて身構える。
「メインの火力は他の皆さんにお任せすることとしましょう」
そう言って玲花は妖艶な笑みを浮かべる。
不意に、蠍は脚を折り身を低くする。
「離れて!」
最初に気がついたソフィアが叫び、ディアボロから距離を取った。
シュッ!!
空気を切るような鋭い音。
その後に、飛び上がったディアボロが、自らの体重を使い地面を叩くように重々しく着地する。
地震が起きたように波打つ地は、僅かに範囲内にいた笹緒を瓦礫ごと投げ飛ばす。
ころころと転がって行く笹緒。
しかし、着ている着ぐるみは伊達ではない。
回転が止まるとすっくと立ち上がり、ジャイアントパンダは仁王立ちに。
「ふ、ふふ……ふふははは! 良い良いぞその異様!」
実に楽しそうな笹緒。
その背後に、この場に似つかわしくない巨大な黄金の屏風が出現する。
屏風には白雪積もる墨絵の松が描かれている。
この場には似つかわしくないが、ジャイアントパンダにはしっくりとくるから不思議だ。
「――――開けよ黄金屏風、鳴らせよ天鼓、放てよ稲妻ッ!」
笹緒がもふっとした手を上げれば、無数の氷の刃がディアボロを襲う。
刃は蠍の背の節にいくつか刺さって、ダメージを与えた。
「笹緒さん、意外に丈夫ね」
笹緒の着ぐるみパワーに驚きつつ、ソフィアは次は私の番とばかりに両手を上げた。
ソフィアの小麦色の指先から、無数の花びらが現れ、それらはくるくると螺旋を描きながら蠍に飛んでいく。
花びらの螺旋は、やがて蠍の巨体をも飲み込む激しい風の渦となった。
渦は蠍を動かすことはできなかったが、強健とも思われた甲殻に細かい傷を与えていく。
渦巻く花びらが霧散するころには、ディアボロの動きが怪しくなった。
朦朧としているのだろうか?
足を交互に動かすが、その体は左右に揺れた。
おぼつかない脚の節を、雷と紫苑は狙い撃ちにする。
「盛大に燃やすよ〜!」
「ゴメンね! 射程内に入ってあげる趣味、ないんだ」
ディアボロの脚が炎に包まれたかと思うと、次いで光の矢が節に当たる。
「蠍なら……蠍らしく……地に伏せ這えよッッ!!」
そ こに合わせたように、ファングがオートマチックP37の引き金を引いた。
轟音と共に、ディアボロの体が傾いて土煙を上げる。
狙われた脚はもう使えない状態だ。
それでも足掻くように、蠍は剣のように鋭い前足を振り上げ闇雲に振り下ろす。
「Spirale di Petali」
ソフィアの放つ花びらの渦が再びディアボロの体躯を襲う。
「好き勝手に動かさせはしないよ。大人しくしててね」
まるで小さな子供に言い聞かせるように、ソフィアは優しく話す。
それでも攻撃の手が緩むことはなかったが。
ぐらぐらと弱った脚を、飛び込んだ玲花が苦無で振り払う。
そうしてそのまま横に飛びのいて、蠍の様子を伺う。
「そろそろ、ですかね」
玲花の声に、四方に別れていたダアトが一斉にディアボロの動きを止めるために異界の呼び手を唱え、笹緒は乾漆千手観音坐像を唱えた。
無数の腕がディアボロに絡みつく。
「ファングさん!」
それまでディアボロから離れて銃の攻撃をしていたファング。
パイルバンカーを肘の後ろまでバックし気を練り始める。
そ れから身動きが取れなくなった蠍の体に目一杯近づいた。
「一撃突貫! インパクトォッ! ボルトォォォッ!!」
咆哮は辺りを震わした。
ファングがバックさせたパイルバンカーは、金色の雷を纏った巨大なライフル弾のように螺施しながらディアボロの体に撃ち込んだ。
「うおおおおおおおおおォォォォッッッ!!」
続けてファングの右手が唸る。
ゼロ距離でパイルバンカーのよる、Impact Voltを喰らったディアボロ。
さすがの堅い甲羅も穴を空けざる終えない。
シュウウウウウウウッ、と穴に風が通る音が聞こえる。
ファングが音もなく蠍から離れると、それを抑えていた無数の手も音もなく消え失せた。
ズズズズズンッ……。
低く鈍い音と共に、巨大な蠍のディアボロは瓦礫の上に崩れ落ちる。
それまでゆらゆらと揺れていた尻尾も、だらんと地面を這う。
動かなくなったディアボロ、それと一緒に渦巻く悪意のひとつが消えた。
倒れたディアボロが巻き上げた土ぼこりが収まると、みんなの顔に笑顔が戻る。
しかし、ぴりぴりとした嫌な気配のする緊張感は、撃退士達の背中を這い回る。
消えない悪意。
それは彼らの予想を遥かに上回るものだ。
自分達の戦闘は終わった。
だが、まだ終わってはいない。
それを告げるかのように、一陣の風が吹きぬけていく。
「……これから……一体、何が始まるんだ……。嫌な、……きな臭い風だ」
元軍人のファングには、戦場の不穏な空気が分かったようだ。
ついぽつりと独り言を呟いた。
「そうですね……。でも、それは今じゃない」
ソフィアも風に桃色の髪を揺らしたが、気持ちを振り切るように紫の瞳を出口に向けた。
もう歩き出していた玲花が、ちらっと後ろを振り向いて笑う。
「……火力に優れていても、後衛職主体というのは危うさを感じますね。もっとうまく立ち回れるように私もいっそうの精進が必要ですね」
新たな戦いを見据えた玲花の言葉。
「もっと強くなりたいな!」
自分の今やれることはやり切った。
だが、やはり紫苑も更なる高みを目指して誓う。
そんな中――。
「僕も一度でいいからあんな風に大きくなりたいな〜」
倒したディアボロの姿を見つめ、雷は羨ましそうに言う。
そして、ディアボロの体の下を掘っている笹緒に気がついて、目を丸くする。
「なにしてるの〜?」
「……いや、もしかしたらこの瓦礫の下に、思いもよらぬものが埋まっているかと思ってな」
ふーっと息を吐いたパンダの着ぐるみ。
「あ〜、僕も掘ろうかな」
ぴょんと飛び跳ねた雷は、笹緒の隣に座り込み瓦礫に手をかける。
「もー、帰りますよー! 置いて行きますよー!」
やや呆れた玲花の声が、ディアボロの消えた空間に広がった。