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蒼乃 深海(jz0104)の突然の思いつきのような夜のピクニック。急な依頼だったにも関わらず、斡旋所に集まってくれたのは六名の学園生だ。
「あのあの、ホタルを見たいんです、ゲンジボタルを!」
そしていきなり深海が切り出した。
ぽかんとする撃退士達に、蛍は困ったような笑顔を浮かべて言葉を繋いだ。
「普段はのんびりしとるくせに、思いついたら突っ走るタイプみたいで。何年もホタルを見てないって言うたら、このコが夜のピクニックをしようって。個人的な依頼で申し訳ないんやけど」
ぺこりと蛍がみんなに頭を下げると、隣で顔を真っ赤にしていた深海も勢い良く頭を下げた。
「撃退士だってたまには息抜きが必要だろ?」
目の前の二人の様子に、如月 敦志(
ja0941)が言ってにこっと微笑み深海の頭に手を置いた。
「あっ! 敦志さん!」
「目の前にいて今気がついたのか。いつも世話になってるな、蛍。それに深海、今更かもしれないけど撃退士おめでとう」
深海が撃退士になるきっかけを作ってくれた最初のお友達。その一人が敦志だ。蛍が斡旋した依頼でもある。それを蛍もよく覚えていた。
「ああ、あんときの」
「あ、ありがとうございますっ!」
知り合いがひとりでもいることに、深海はホッとしつつまた頭を下げる。
「夏の夜に川辺で蛍鑑賞とは風流ですね」
華やかな衣装を身につけた古雅 京(
ja0228)が、小首を傾げて微笑むと、長い黒髪が艶やかに揺れる。たったそれだけの立ち居振る舞いだが、名家の生まれを感じさせる優雅さだ。
同じお嬢様でも、深海とは正反対な雰囲気を感じる。
「……蛍、楽しみ」
染井 桜花(
ja4386)は短く呟くと、じっと深海の目を見つめた。黒の地に紙風船の柄の着物にきゅっと蝶々に結んだ深緋色の帯を身につけた桜花。どこかとっつきにくい印象を与えるが、短く発した言葉には、温かみが感じられる。
「はいっ! 楽しみです!」
深海は自分を見つめる赤水晶の瞳に笑いかける。
「……ホタルか……鑑賞できればいいが……」
霧野 仁(
ja7499)は少し考えるように言ってから、眼鏡の奥の赤い瞳をやや下に向けた。
「はいっ! 私も初めてなのでぜひぜひ見たいですっ! 参加してくださって、ありがとうございます!」
仁はにこにこ笑いながら言う深海に戸惑い、つい視線を別の方へ持って行ってしまう。でも、それは人とどう向き合うか慣れていないからだ。彼自身、人と向き合うことに慣れるにはちょうどいいと思いこの依頼を引き受けた。
根は超がつくほどのお人好し。が、寡黙で不器用さが勝ち、彼を無愛想に見せてしまう。
しかし、にこにこ顔の超鈍感深海には、それも感じていないようだ。
「バナナはおやつではないということでいいか?」
黒い髪をオールバックにし、長身で体格のいい久井忠志(
ja9301)は、ちんまりした深海を見下ろして聞いてみる。
少し怒ったように見える釣り上がった瞳をじっと見つめた深海は、困ったように眉を下げた。
忠志は普段からこの体格のよさと目つきの鋭さで、女の子から怖がられているのを気にしていた。
「あー、それ、私が聞きたかったです。バナナはおやつですかー?」
「いや、俺が聞きたいのだが……」
的外れな深海の質問に、忠志がちょっとだけ困ったように丸くなる。忠志が深海に合わせて、やや屈んで話をしてくれるのが嬉しくて、深海はバナナバナナと連呼する。
「いや、だから――、バ、バナナはデザートだ!」
「分かりましたっ!」
「ははっ、深海は相変わらずだな」
忠志と深海のやり取りを見ていた敦志が笑う。
そしてもうひとり。深海の足元で可愛い笑い声が聞こえた。
夜のピクニック依頼に参加した、一番年下のジョー アポッド(
ja9173)だ。
深海が跪いてジョーの身長に目線を合わせた。
金色の髪に色白で金色の瞳のジョーは、いかにも外国人そのものの容姿だ。笑うと、真っ白な歯が覗く。
「夜は怖いけど、お兄さん、お姉さん達と一緒なら楽しそうだねっ!」
「はいっ! きっと楽しいですっ!」
「これで全員やね。出発は今夜、日が落ちた頃でええかな?」
集まったみんなに確認するように、蛍が言う。
「そうだな、それまで色々準備するか。せっかくだから楽しもうぜ」
「……お弁当作る」
「わぁ、ボクお弁当も楽しみだよ!」
桜花の提案に素直に喜ぶジョーは、可愛くて子供らしさいっぱいだ。
「私は、皆さんで食べられるデザートをお持ちしますね」
京はなにか思いついたのか、言ってからにこっと微笑んで見せた。
「花火はどうだ? 皆でできるし、大入りのやつを用意する。あ、地図があればいいのだが」
「ああ、道を覚えてもらうのは嬉しいかも。深海ちゃんは極度の方向音痴やし、それこそどこに行くか分からんから」
忠志に言われて、蛍はぷっと吹き出すように笑い出す。つい先日、蛍は深海にお使いを頼んだのだが、方向音痴が災いして捜索の依頼をしたばかりだ。
「……それじゃ俺は、花火の後片付け用のバケツとゴミ袋を用意する」
顔を真っ赤にして両手をぐーにして抗議する深海をやや無視する形で、仁は話を進めた。
「あ――、でも、ボク、花火はしたことなくて……」
さっきまでは、きゃっきゃっとはしゃいでいたのに、花火と聞いてジョーはしょんぼりとして声のトーンも落ち気味だ。
「そこは俺がフォローする。おかしも買うから、ジョーの好きなものを買いに行こう。もちろん、バナナも」
ジョーより遥かな大きな体を小さく縮めるように膝をついた忠志は、なるべく怖がらせないようにと不器用だけど笑顔を作って見せる。
「うん、そうだね! ボク、チョコレートがいいなっ!」
「それじゃ、準備するですっ!」
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それぞれが、それぞれの部屋に戻り準備を始める中、桜花は寮のキッチンでお弁当を作っていた。
おかずはさっきみんなにリクエストで聞いたものを作るつもりだ。幸い桜花は料理を得意としている。
着物の上から白い和装のエプロンをつけて、得意なだけあって、料理はあっという間に出来上がっていく。
二段重ねの重箱の一段目に、シャケ、梅、昆布の具が入ったおにぎりを、二段目にはリクエストされたおかず。しょう油味のから揚げに、エビフライ、卵焼き、煮込みハンバーグ、そして野菜の煮物。
調理の作業に桜花は無表情だが、重箱に綺麗におかずを詰めていく手つきは軽やかでどこか楽しげに見える。
もちろん飲み物も忘れない。食器棚から大き目の水筒を三つ用意し、一つには味噌汁、二つ目に冷たい麦茶、最後に熱い緑茶を用意した。
「……夜だから……温かい飲み物も」
風呂敷に重箱を包むときには、紙コップや紙皿も忘れずに。きゅっと風呂敷を縛って、桜花は満足そうに呟いた。
「……完成」
「っと、この辺だな」
蛍から手渡された地図を手に、敦志は河原の側の住宅が立ち並ぶ場所に立っていた。
深海がホタルの真似をするのも面白とは思ったが、どうせだったら本物のゲンジボタルを見せてやりたい。そう思って、近所の人達に、ゲンジボタルの生息情報を聞いておこうと思ったからだ。
「せめて一匹でもいりゃあ――、ってか、あそこでおろおろしてるのは深海か? おーい!」
「ふぇ? あっ、敦志さぁん!」
今にも泣きそうに駆けて来る姿を見れば、いっぺんで迷子だと分かる。
「ああ、言わなくても分かる。しっかし、方向音痴のくせによくここまで辿りついたな」
「野生の勘、です……」
真っ赤な顔をして泣きそうな深海のどこに野生の勘があるのだろうか? 笑うまいと我慢していた敦志だったが、ついつい声をあげて笑ってしまった。
数分後――。
「ひ、ひどいですっ! そんなに笑わなくても」
たっぷり数分笑われた深海は、ぷぅーっと頬を膨らませて恨めしそうな声をあげる。
「悪い、悪い。――それで、突然ホタルを見にいくなんて、なにかあったのか?」
並んで河原に座った二人。素直に敦志は疑問をぶつけていた。
「えっとぉ、蛍さんの夏の思い出なんです……」
多くは知らないんですがと、深海は斡旋所で蛍に聞いたことを敦志に伝える。もう何年も見ていないらしいと。
「思い出のホタル、か」
話を聞いて敦志はすっくと立ち上がって、隣の深海を見下ろし微笑んだ。
「そりゃなおさらゲンジボタル探さなきゃいけないな」
たったこれだけのことに、真剣になってくれる人達がいる。まるで自分のことのように。久遠ヶ原学園に来てからそれは深海がいつも感じること。そう、この人達がいるから自分も頑張れる。
深海はこっくりと頷いてから、立ち上がった。
「頑張りますっ!」
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「ほどよく暗くなってきたなぁ。このまま晴れとったら、星明りでかなり道行が明るいやろな」
蛍は背伸びするように顔を上に向けて、暗くなってきた空を見上げる。
これから向かう場所は都会から離れていて、雲がなければきっと綺麗な天の川が見れるはずだ。
「今日は良い天気になるだろう」
忠志も空を見上げて雲の流れを読む。天候予測のスキルを持っている彼の予想は良く当たる。
その忠志にかなり懐いたジョーは、大きな手にじゃれつくように絡みついている。ジョーと反対の手には、花火の入った袋と、ぱんぱんになるほどのお菓子が入れられたスーパーの袋がしっかりと握られている。
「……絶好のピクニック日和、だな……」
仁も雲がないのを確認して呟いた。手にはバケツ、その中にゴミ袋とミルクティーが三本も入れられている。ミルクティーは彼の好きなもののひとつだ。もちろん飲み物ではなく、おやつのつもりだけれど。
「桜花ちゃんの荷物はいっぱいやな。誰か持ってやってくれん? 男子〜? 敦志さん手ぶらやな」
「おう、まかせとけ」
桜花が両手に持った荷物を敦志がひょいと持ち上げる。けっこう重い。
「……ありがとう」
「あ、京さんも重そうですね。私も持ちます」
「ありがとうございます。けっこう重いのですよ」
おやつ代わりにと京が胸に抱えていたのは、なんと小玉スイカだ。やっぱり夏の夜にはスイカがぴったりだと思ったからだが、なかなかに抱えて持つのは重い。
「えっと、三つあるんですか?」
「アホやな、二つは京さんの胸や!」
ぺちっ! っと頭を叩かれた深海は、まじまじと京の胸を見つめあまりの驚きに、口をぱくぱくして赤くなる。
「深海ちゃんの胸はぺったんこやからな、間違ってもしゃあないか」
「し、知りません! 蛍さんなんかほっといてみなさん出発しましょう!」
「こらー、主賓置き去りかいな!」
すたすたと歩き出す深海を追いかける蛍の頭上には、一番星が顔を出していた。
星が輝き始めた川辺に続く道。
街灯が点いた明るい夜道に慣れたみんなだったが、空が真っ暗になり満天の空に大小さまざまな星が煌くと、けっこうな明るさだ。
それでもまだ幼いジョーには、怖さが先に立つ。
ついつい前を歩く忠志のシャツの裾をぎゅっと握り締める。ぴたっと止まる忠志に、ジョーは早口に話し始めた。
「こ、怖い、ううん、ボク、軽いから空に浮いちゃいそうで。えっと、つかまっててもいいよね?」
「ああ、俺は重いからな。手を繋いだ方が安心か?」
ジョーの目の前に差し出される大きな手。恐る恐る握ると、どこか懐かしい気持ちにジョーの心はきゅんとする。それと同時に、ジョーに合わせてゆっくり歩いてくれる忠志にいつしか怖い気持ちは飛んで行ってしまって笑顔が零れていた。
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「到着ですー!」
まるで自分が案内したかのように、深海は言って広くなった河原をぴょんぴょん飛び跳ねる。
「ジョーちゃん頑張ったね」
「お姉さんもね!」
体の小さなジョーには長い道のりだったろうが、深海と一緒に飛び跳ねて見せる屈託のない笑顔はどこか誇らしげだ。
桜花は、見晴らしの良い場所を見つけて、レジャーシートを敷きてきぱきと弁当と飲み物の準備をしていく。
「……準備できた」
その声に、みんなが集まってきて綺麗に並べられた美味しそうな弁当に感嘆の声を上げた。
「美味しそうですの」
「ボク、おなかぺこぺこだよ!」
「……旨そうだ」
「作るの大変だっただろう?」
「食っていいか?」
「なんやみんな桜花ちゃんの返事も聞かんで、指で摘んどるやないか」
「そういう蛍さんもおにぎりを持ってますっ!」
あはは、と笑いながら夜の河原で食べる弁当は美味しい。和やかで楽しい食事をしながら、みんなの目はホタルを知らず知らずに探していた。
ゲンジボタルの季節は終わってしまったのか、星の光にきらきらと煌く川の流れ以外、光は見つからない。
「夏の夜の川辺には色々音が溢れています。虫の声、川の流れ、植物の揺らめき、それを堪能するだけでも楽しめます」
京がすっと目を閉じる。
「そやね、川の水がきらきら綺麗やわ。ああ、花火やろか? 夏だけの楽しみや」
「ま、折角夜のこんなことろまで来たんだ。ちょこっと花火でもして楽しもうや」
敦志はからあげを口に咥えつつ、花火を手に取って蛍に手渡した。
花火を怖がっていたジョーは、忠志のフォローを受けつつ、弾ける火花に歓喜の声を上げる。
少し離れた場所では、桜花が線香花火をひとり楽しんでいる。
「……私はこれがいい。……線香花火が好きだから」
ジ、ジ、と静かな音をさせて小さな火花を見つめる桜花は、その光を楽しむように微かに微笑む。
みんなが楽しむ中、深海は泣きそうな顔で空を見上げている。それに気がついて、敦志がペンライトを差し出した。
「深海、ホタルやるんだろ?」
「……敦志さん、でも――」
「……よし、俺もホタルになろう」
渡されたペンライトを手に握り締めたまま下を向いている深海の肩を叩いた忠志の手にもペンライトが握られている。
「あ、ホタルだ!」
ジョーが指差す先には、ぎこちなく点滅を繰り返すふたつの光があった。
「……ん? ホタル……なのか?」
少し天然な仁は、眼鏡をぐいっと上に上げ首をかしげた。どこかおかしいと疑問に思いつつも、光の動きを鑑賞している。
「ふふ、のんびりしたホタルですの」
「……綺麗」
「はは、ほんまやな。のんびりしとるけど、綺麗やわ」
蛍の頭にポンと敦志の手が置かれた。
「色々あったんだろうけど、ホレ、今だってお前の為に一生懸命ないい親友がいるじゃないか」
バレバレなホタルの深海を見つつ、敦志は蛍に小さくそう言った。
「言われんと気つかんかったけど、私にも新しい親友がいつの間にかおったんやな」
嬉しそうに目を細める蛍。
自分のために一生懸命になる撃退士達のお陰で、蛍にまた新しい夏の思い出が増えた。ぎこちなく光る二匹のホタルの光りは、いつまでも蛍の心に色褪せない記憶となって思い出されるだろう。
「そ、そろそろ止めてくださぁい!」
十分後、情けない深海の叫びと共に――。