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初夏の久遠ヶ原学園。
今年の夏の訪れは例年よりも早く、うだるような暑さが続く昼下がり。
1人の男子学生が、高等部の校庭に足を踏み入れていた。
ただ歩くだけでも絵になる、端麗な姿である彼は音も立てずに柱の陰に身を潜めると、その背後にポンと小さな竜を召還して見せた。
「それじゃ、言いつけどおりに動くんだよ」
そう言って鼻先をくすぐるルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)に、幼竜はコクリと頷くと、そのままパタパタと校庭の空に向かって飛び上がっていった。
(さてと……まぁ、情報収集は基本だよね)
片手に携えた双眼鏡を構え、視線を校庭へと投げかける。
その視線の先には、今回のターゲットである『文学少女』がお昼の読書ランチを楽しんでいる所であった。
2〜3人掛けのベンチに腰掛け、その傍らには小さな弁当箱。
中身はサンドイッチか……卵、ハム、ツナ。定番の具材が白いパンに挟まれて並んでいる。
手に持った文庫サイズの本はなんだろう。この角度では少し見えづらい。
ページを捲りながら、基本はいたって真面目な表情であるが、時々クスリと笑みを浮かべたり、はっとしたように表情を固くしたり。
(なるほどね。みつおもなかなかいい趣味してると思うよ)
それは決して蔑んだ言葉ではなく、どこかその気持ちに好感を持つように小さな笑みを浮かべる。
(おっと……そんな事を考えている暇はなさそうだ)
不意に感じた人の気配。
視線を走らせると、校舎のほうから近づいて来る1人の男の影。
金髪の優男――あれが件のチャラ男君かと、神経を研ぎ澄ませたルドルフであったが……やがて捉えたその顔を見て、ガクリと肩を落とす。
男は、きょろきょろと挙動不審に周囲の様子を見渡しながら、(なんともワザとらしく)少女の存在に気づくと、にこやかな笑みを浮かべて歩み寄って行くのであった。
「ねえキミ。ここ何処ら辺?」
不意に見知らぬ人物から声を掛けられ、本を胸元に抱えてびくりと肩を震わせる少女。
「えっと……高等部校舎の南側、ですけど」
か細い声で答えた少女に、金髪の男、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は腕を組んでうんと唸って見せた。
「はとこに会いに来たんだけど……迷っちゃったよ。時間も無いし、ここで食べちゃおうかな。一緒しても良い?」
言いながら、彼女の返事も待たずにするりと自然に彼女の隣に腰を下ろすと、パンの袋を開け始めるジェンティアン。
「あの、はとこさんのお名前が分かれば、もしかしたら案内できるかも……」
やや怯え気味ながら、彼が困っているのを察した少女は、おずおずとそう申し出ていた。
ジェンティアンはそれをやんわりと笑って断ると、もくりと手元のパンにかぶり付いてみせる。
「あ、僕は砂原・ジェンティアン。大学部の3年だよ。よろしく」
「あ……えっと……伊吹祥子、です」
おどおどと答える祥子に、ジェンティアンはもう一度笑顔を返す。
「あー、えっと……そこ、空いてるかね?」
一通り自己紹介まで終えた所で、不意に彼らの頭上から女性の声が降りかかった。
ピクリと視線を上げると、皇・B・上総(
jb9372)の姿が2人の瞳に映りこんでいた。
(件のチャラ男かと思って声を掛けたけど……かち合うのは想定外だったねぃ)
一瞬、気まずい時が流れる。
同じ相談を受けた物同士、変に祥子に気づかれたくも無いが――そんな時、ジェンティアンがスクリとベンチから立ち上がり、上総の肩をぽんと叩いて見せたのだ。
「やぁ、ベアトリクス。探してたんだよ。祥子ちゃんにも紹介するね。こちら、はとこのベアトリクス」
面食らった様子の祥子に上総を紹介するジェンティアン。
その流れを見て、状況と設定を察したのか、上総も気さくな様子で彼に言葉を返す。
「全く、こんな所で道草食ってたんだねぃ。えっと、祥子か。私は皇・B・上総。よろしくねぃ」
「あ……はい、よろしくお願いします」
祥子はかなり挙動不審な様子ではあったが、それでもなんとか健気にぺこりとお辞儀を返す。
2人はそのまま祥子を中心にベンチに並んで座り込んだ。
「いやゴメンね。まさかこんな所で出会えるとは思って居なかったからさ……読書の邪魔しちゃったね」
「い、いえ……良いんです。あとは寮に帰ってからでも」
言いながら彼女が撫でる本の表紙。
「ああ、それ……私も持ってる本だねぃ」
「本当ですかっ? 私もこの作者さん、大好きなんです」
彼女の言葉を聞いて、今までの小動物らしさとは一変、身を乗り出すように食いつく祥子。
「いろんな本を描かれるんですけど、そのどれも人の描写が巧みで――」
文庫を胸に当て、ぺらぺらと、台本でも読むかのように口にする祥子。
そうして暫くした後にはっと一息置いて、恥ずかしそうにおずおずとベンチに座り込んでしまった。
「すみません……私ばっかりぺらぺらと。ここ、あんまり人なんて来ないから、ちょっと嬉しくって」
「へぇ。日当たりがいいし、良いスポットだと思うけどなぁ」
「いえ……授業をサボったクラスメイトが、昼休みの居場所を探してふらっと来るくらいで」
それが件のチャラ男の事だろうか。
そうだとしたら、彼女とチャラ男の間に何の進展もなさそうだ……今の所は。
その時、チャイムが校舎に鳴り響く。
その音に祥子はいそいそと弁当箱を片付け始めると、「じゃあ、私はこれで」とぺこりと頭を下げる。
「あ……今度はさ、僕の知り合いの子を連れてくるよ。そう言うの、興味ありそうな子だから、良かったらまた話を聞かせてくれる?」
そう、去り際の彼女に声を掛けるジェンティアン。
彼女はその言葉に対してニッコリと朗らかな笑みを浮かべると、ぺこりともう一度頭を下げて、校舎へと消えて行くのであった。
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「……って感じ」
放課後、ルドルフらの拠点『Bord gron』の一室へ集まっていた撃退士達は彼らの得てきた情報の共有に努めていた。
そうしている内に、扉がコンとノックされる音が響く。
軋んだ蝶番の音を響かせやって来た少年。
今回の依頼主、みつおの姿が、そこにはあった。
「その、どんな感じかな」
「仲間が多くの情報を集めてくれた。少なくとも、彼女へ話しかける切欠くらいは掴めるだろう」
「本当!?」
語る戸蔵 悠市 (
jb5251)の言葉に、目に見えて喜びを隠せないみつお。
が、そう浮かれた表情のみつおと悠市の間に、月詠 神削(
ja5265)が静かにその身体を割り込ませていた。
「情報によれば、文学少女とチャラ男は恋人同士。お前が入り込む余地は無い……諦めるんだな」
「月詠。お前、何を――」
彼の肩をぐいと掴んだ悠市の手を後ろ手で振り払い、みつおの瞳を射抜くような視線で見据える神削。
「そんな……ウソだろ」
見開いた瞳に光は無く、ただ落胆したように、木目の床を見つめるみつお。
「彼女がおにぎりを落とした時、お前は自分の食い物を渡しに走らなかった。突然の雨が降った時、お前は彼女に傘を差し出さなかった。そもそも、それが出来ていたら、君は俺達に頼る必要すらなかったんだよ」
辛辣に、言葉を並べる神削。
「こうなるから、月詠にはこの場所を教えていなかったんだ……」
目頭を押さえながら、悠市は自分の過ちを痛感していた。
彼だけは、みつおに近づけたく無かった……だが、どこから話が漏れたのか、神削はこうしてこの場に居合わせてしまっていた。
その結果が、これだ。
「横恋慕はするもされるも恋愛ごとの常。それを外野がしゃしゃり出て止めようなど……きみは何様のつもりかね?」
神削がみつおに対する視線と同じような、鋭い視線を向けながら、上総は低いトーンで叱責する。
「それに――」
「――さあ、どうするんだ。諦めるのか? 諦めないのか?」
――そんな嘘を、と言いかけた彼女の言葉を、神削はその強い口調ですっぱりと遮った。
「俺は……」
言い澱むみつお。
「……最初から、入り込む余地なんて、無かったんだな」
彼も、決して予想していなかったことでは無いのだろう。
唇を強く噛んでポツリと呟いた言葉は、彼の本心だったのか。
目頭に、うっすらと溜まった雫と共に、ふらりとした足取りで撃退士達に背を向ける。
「みんな、俺のためにありがとう――」
そう言って部屋を去ろうとしたみつお……その頬を、神削の平手がしっかりと捉えていた。
「――すまない、今のは勢い余ってだ」
突然の平手打ちに驚いた表情で、涙も忘れて振り返ったみつおに、神削はボソリとそう言葉を返す。
「すまないついでだ、もう1つだけ謝ろう。彼女――祥子と言ったか。祥子が付き合ってると言ったが、あれはウソだ」
「……へ?」
きょとんと、神削の瞳を見つめ返すみつお。
「ああ、本当だよぅ。何をとち狂ったのか、この男はあんな事をほざいたがねぃ」
「お前が今、身を引こうと決めたとき……自分の心の痛みよりも、彼女の笑顔の方を思い浮かべたハズだ。その気持ちを、決して忘れるな」
そう、みつおの瞳を見返さずに肩にぽんと手を置いて、部屋を去ってゆく神削。
ぱたりと扉が閉じた後に、悠市の大きなため息が室内に響いていた。
「あの、俺はどうすれば……?」
「気にするな……彼なりの事情が、あるのだろう」
その事情を知る者は、どれだけ居るかは分からない。
ただ、彼なりに2人の幸せを願った結果であった……その事は確かなのだろう。
「だが、月詠の言う事も一理ある。君は彼女に手は差し伸べなかった……それが絶好のチャンスであったにも関わらずだ」
悠市に繰り返される言葉に、みつおの息が小さく詰まる。
「同じ思いを3度も繰り返したくなければ、勇気を出すしかない」
「『勇気』……それはたった1つの魔法ね」
事の流れを静観していた暮居 凪(
ja0503)が、みつおに歩みを進めつつ、噛み締めるようにその言葉を繰り返した。
「貴方は助けてほしいと言う『勇気』を振り絞った。それなら――」
そう言って、叩かれた頬を摩る彼の前に、差し伸ばされる彼女の手のひら。
「――この手を取ってくれたなら。魔法使いの端くれとして、力になりましょう」
そうして縋るように取ったみつおの手を、凪は強く、握り返していた。
「とりあえずこれ。図書館から借りてきた、今日彼女が呼んでた本」
ルドルフがみつおに手渡す一冊の本。
「好きな子の趣味を知って理解していくって、大事だよ。例え苦手なものでもね」
お昼のこと、本の話題に対する反応が効果覿面であった事もあり、わざわざ出向いて探して来た本だ。
みつおもその事を何となく察したのだろう。やや気乗りしない様子ではあったが、大事そうに両手で受け取る。
「とりあえず、まずは焦らないこと。間を繋ごうなんて考えないで、何でもかんでも口にしないこと」
言いながら、黒い三つ編みのカツラをすっぽりと頭に被りいつのまにやら高等部の制服にも着替えている凪。
「あの、ソレは……?」
訝しげに尋ねるみつおに「文学少女ならこういう感じじゃないの?」とあっけらかんとして答える凪。
彼女が言うには、自分を相手に予行練習をしてみろと。
ちなみに彼女の髪は青のショートであったが……みつおは何も言わず、よろしくお願いしますと小さく頭を下げてみせたのであった。
――TAKE 1
部屋のソファーをベンチに見立て、そこで読書に興じる凪。
そんな彼女の前に、みつおが直立不動で立ち竦む。
「い、いやぁ……おなか減ったなぁ。どこか、ご飯を食べられそうな場所は無いかなぁ……」
彼なりの最適解だったのだろうか、ちらりと凪の方に視線を送りながら頭を掻いてみせるみつお。
当然ながら、そんな彼に言葉を返すわけも無く、凪はスルー。
――TAKE 2
「あ、あの……」
流石に、独り言はまずいのかと察し、とりあえず声を掛けるみつお。
その言葉に、凪はチラリと視線を向ける。
「ほ……本日はお日柄もよく……えっと……」
なんとか言葉をつむぎ出そうと口を開くも、いい単語が続かない。
それ以上言葉が出ない事を確認すると、凪は訝しげな表情でみつおを睨んだ後、興味を失ったように読書へと戻っていった。
「天気の話は掴みとしては定石だな。少し固い気もするが……まあ、それも個性か」
凪の反応にがっくりと肩を落とすみつおを前に、悠市は静かにそうコメントを残した。
――TAKE 3
悠市に褒められた事もあり、とりあえず出だしは天気の話で行く事に決めたみつお。
そこから、いかに話題を続け、彼女の気を引くかが一番の問題ではあるのだが……
「い、いい天気ですね」
「……ええ、そうね」
初めての返答に、みつおは喜びにその鼻をぴくりと動かす。
「ほ、本好きなんですね。実は――」
とりあえずそのまま本の話に持っていこうとしたのだろう。
文庫本を手に取りながら、どかりと凪の隣の腰を掛け――ようとしたその尻の下に、どかりと凪の持つ長大な槍の穂先が突き立てられていた。
あと一歩で刃を尻に敷く寸での所で、みつおは慌てて腰を浮かす。
「思い切りは良いが、せめて一言断ろうな」
そんな悠市のもっともな言葉に、みつおは涙目でこくこくと頷き返していた。
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――翌日の昼休み。
校庭を一瞥できる校舎の柱の影に、みつおと撃退士達は集まっていた。
放課後の特訓を経て、彼が祥子に声を掛ける時が来たのだ。
視線の先には、いつも通りにベンチに座ってお弁当と本を広げる文学少女の姿。
そんな校庭へ、撃退士達はぽんとみつおの背を押して彼を送り出す。
みつおはやや自信がなさそうな感じではあったものの、小さく彼らの方へ頷き返すと、ぎこちない足取りで祥子の下へと歩みを進めていった。
「僕、ルックス良いけど中身残念だって言われるし、本気で誰か好きになったことないから、みつおちゃん羨ましいわ」
彼の背中を見つめながら、にんまりと笑顔を浮かべつつ口にするジェンティアン。
「イケメンから羨ましい言われてるんだから凄いじゃない、自信持てば良いのにね」
「そう言うところが残念って言われるんじゃないの?」
悪びれなく言う彼に、ルドルフがため息混じりにそう答える。
「でもさ、確かに羨ましいよ。ほかの人にとられちゃうかも……だなんて、ドキドキするウブな恋がね」
「だよね、むしろ女の子の方から寄って来ちゃうんだもの」
世の彼女居ない男共が聞いたら阿鼻叫喚な台詞ではあるが、そんな彼らだからこそ、みつおに力を貸したい理由もある。
もちろん、モテるだけに持つ悩みもあるのだろうが、それ以上に彼等は心のどこかで望んでいたのかもしれない。
みつおのような、一途で素直な恋心を。
「俺達の憧れをその手に掴もうとしてるんだからさ……頑張りなよ、みつお」
言いながら、キューピッドの矢でも放つように、人差し指を彼らの方へと向けるルドルフ。
その見えない矢に導かれるように、窓と本に阻まれた2人の視線が、初めて1つとなっていたのだった。