●彼女の本音
休校日の学園内。カフェテラスのように並べられた丸テーブルの一つに陣取っているのは、依頼を受けた協力者のうちの二人、ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)とファラ・エルフィリア(
jb3154)
だった。
二人は今回の依頼の中心人物であるところの『花嫁』、能見由梨絵と対面する形で座り、夢見る花嫁の描く結婚式の内容を伺っていた。
「まずは結婚おめでとー! いいよねー! 結婚式! 憧れるよねっ」
「ありがとうございます! そうなんです! 憧れだったんです!」
ファラと由梨絵は両者身を乗り出し、負けず劣らずの興奮ぶりを見せていた。
その様子を微笑ましく見守るヘルマンは、二人が一通り盛り上がり終わるのを待ってから、そっと話題を切り出した。
「よき殿方を得られましたな。して、能見さんはどのような結婚式を望まれますかな?」
ヘルマンの投げかけた言葉に、由梨絵は餌を与えられた子犬のような勢いで素早く反応を示すと、堰を切ったように次々と要望を語りだした。
やや圧倒されながらもへルマンはしっかりとそれを聞き、書き留め、結婚式のプランの元をつくっていく。
ファラは最初こそ驚いていたものの、いつの間にやら由梨絵のマシンガントークに割って入り、いつしかそれはガールズトークへと変化していた。
会話の中で見つかるものを多々あり、要望はより明白に、はっきりとしていく。
「ふむふむ、なるほど……では、それらを踏まえた上でプランニングを立てましょう。では……」
ある程度情報をまとめ終えたヘルマンが解散を言い出そうとしたが、そんなもの聞こえないという様子で、ファラと由梨絵のお喋りは更にヒートアップしていた。
ブライダル雑誌を開き、目まぐるしく話題は変化していく。
「あ、この教会かわいー!」
「本当! でも私達に借りられるからな……」
「大丈夫! ちゃんと考えがあるから!」
「すごい! どんなどんな?」
休むまもなく繰り広げられるやりとりを微笑ましく見守りながらヘルマンは、
「……もう少し、お話ししましょうか」
と、しまいかけていたメモを再度取り出し、二人を見守るように再びその会話に耳を傾けた。
「……私、勝手ばかり言ってて大丈夫なのかな」
ふと、会話の中で由梨絵が零すように言った一言を、ファラは聞き逃さなかった。
「ん? 何か気になる?」
「あ、その……なんでもありません」
それは、由梨絵が初めて見せた戸惑いの表情だった。
●男の決意
「ええ、そう。だから交渉に応じてくれそうなこじんまりとした所からあたってくといいでしょうね。ええ、メールで送ったリストを参考にして。じゃ、よろしくね」
「ああ、了解した。では後ほど」
ツェツィーリア・エデルトルート(
ja7717)からの電話連絡を受け、バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)は先ほどまで通話につかっていた携帯を操作してツェツィーリアからのメールを表示すると、そこに書かれている結婚式場の一つへと足を向けた。
彼と、彼に同行するネイ・イスファル(
jb6321)の仕事は式場探しだ。
ファラたちの情報を元にツェツィーリアがリストアップした式場を片っ端からあたっていくことになる。
『久遠ヶ原の学生による式場PR』という名目を掲げてあたってみたところ、式場の決定は思いのほかスムーズに進み、ツェツィーリアからのリストにあった順番に巡って、三件目の式場で使用の許可を得られた。
まだまだできたばかりで注目度の低い式場で、比較的すんなりと受け入れてもらえたのだった。なんでも極々最近できたばかりの式場らしく、ちょうどこれから大々的に広告を打とうとしていたところだそうだ。おかげで諸々の費用やドレスなども全て負担してくれるという。
「PRとしても受け持った以上、よりしっかりとやらないといけませんね。がんばりましょう」
ネイが決意を新たにすると、そこへ、二人の見知った顔が近づいてきた。
飾りつけなどの材料を買出しに出ていたレイ・フェリウス(
jb3036)と、今回の式のもう一人の主役、『花婿』の佐久間卓麻だった。
「やぁ、ちょうどいいところで会ったね。買い物を終えたから合流しようかと思ってて」
レイの手には袋いっぱいの荷物が下がっており、後ろをついてくる卓麻も両手で大きな箱を二個積んで抱えている。
「ああ、こちらも式場探しを終えたところだった。お互い順調に事が進んだようだな」
「うん、おかげで準備もスムーズにいきそうだけど……白い鳩だけは……あれってどこで手に入るんだ?」
「鳩……」
バルドゥルとレイが話している横で、卓麻は重い荷物を一端地に下ろし、上がった呼吸を整えていた。
そんな卓麻を見て、ネイはふと思い出したことがあった。
「卓麻さん、リングの用意はどうなってます?」
「り、りんぐ? あぁ……結婚指輪ですよね。えっと……まだです」
本当の結婚式ではないとはいえ、やはり指輪は必要不可欠である。
「高価なものでなくて構いませんので、何か、あなたの心を表すようなリングを用意しておいていただけますか?」
ネイの言葉を聞いた卓麻は、ネイが最後の一言につけた形容詞をうわごとのように繰り返し、うつむいた。
「俺の心を表す……俺の心か……」
迷いがあることは誰の目にも明白だった。鳩の心配をしていたレイとバルドゥルも、気がつけば卓麻のうつむいた姿に視線を移していた。
「愛することは、信じるということでありましょう」
そこへ姿を現したのは。一足遅れで久遠ヶ原からやってきた、ヘルマンだった。
由梨絵との話し合いを終え、自身も買出しに加わるためにとんできたのだ。
「人生とは長いもの。これから先、迷いや不安が生じないなどということはありますまい。それはどなたであっても言えること」
ヘルマンのゆったりとして、それでいてずっしりと重量を伴った言葉は、卓麻の心に一瞬だけ重くのしかかったが、それで折れてしまうほど脆弱ではないということがすぐにわかった。
卓麻は後悔や懸念よりも、ヘルマンの言葉に同調する気持ちのほうが強かったのだ。
「恋をした相手の知らなかった一面を知って愕然としたことなら……私にもある」
続けて口を開いたのはレイだった。
「それでも好きだという気持ちは変わらなかった、な……そういうものだと思う。幻想を好きになったわけじゃないから」
「自らの認識を覆すものが在った時は、そのことに喜ぶのが良いと聞く。何もない人生など退屈なものよ。それに、貴殿が花嫁殿を以前から見知っていたように、相手もそうかもしれぬであろう?」
レイの言葉に続けて紡がれたバルドゥルの一言に、卓麻はまるで茹で上げられたタコのように真っ赤に染まり、大きな身振り手振りと共にそれを否定した。
「いや、だって、そんな、いやまさか……!?」
そんな卓麻の初々しい姿を見て、協力者達は皆声を出して笑った。
ようやく花婿の心を押さえつけていたものが少しばかり取れてきたという安堵感もあり、一同はホッと胸をなでおろした。
「君は、彼女のどんなところに惹かれた?」
レイが最後に口にした一言。
それを聞いた途端、卓麻はまるで幼い子供が将来の夢を語るときのように屈託の無い笑顔を浮かべ、次々に語り始めた。自らが愛した一人の女性のことを。
彼が語る彼女の姿。笑顔。仕草。声。
それらは全て、ヘルマンがつい先ほど話をした彼女そのものだった。
●あなたとわたし
その晩、いよいよ式場のセッティングにとりかかった一同は、一晩丸々作業を続けた。
もともとが結婚式で使われる場所ゆえに物は揃っているが、協力者達の立案や由梨絵からの要望もあって、追加の飾りつけなど諸々やることは多い。
「ふふふ、無駄に上手いあたしの特技を見るがよい!」
ファラは式場の隅のスペースに陣取り、ものすごい勢いで石を削りだし、花嫁と花婿の石造を作り上げていった。
並び立つ花嫁花婿の足元の台座には、式の日付と二人の名前が記されている。記念品として贈呈するつもりのようで、花嫁用と花婿用で合計二つ作り上げた。
異常なまで細部に拘っており、一同は思わず感嘆の声を上げた。
その近くで、同じく大きく陣取って作業をしていたのはレイだった。得意だというレース編みで、ブーケの包みを作成している。
「……レイさん、レース編み、上手ですね……」
ネイが作業の手を止めて思わず見入っていると、その隣に人影が並び立ち、一緒になって作業を眺めだした。
「由梨絵さんじゃないか、わざわざ見に来たのかい?」
レイの問いかけに、由梨絵は相変わらずの笑みを伴って頷いた。
「ええ、ちょっと様子が気になって見に来てしまいました。お邪魔でしたか?」
「いや、邪魔ってことはないけれど」
「せっかくだから当日まで式場の様子は隠しておきたかったのだけれど、しょうがないわね」
二人の会話に割って入ったのは、大量の花飾りを手にしたツェツィーリアだった。
「気持ちはわかるけど、あなたは門限もあるし、ほどほどで帰りなさいね」
「そうです、明日は大事な日ですから無理はしないでくださいね。私やバルドゥルさんはさして睡眠を必要としませんから、夜通し作業できますが」
ネイがそう言って自分の頭上で羽根を広げて天井の飾りつけをしているバルドゥルを見やると、バルドゥルは妙にキリリとした目つきで答えた。
「我ら、悪魔故にな」
「いやあなたは天使でしょ」
ネイが素早く突っ込む。
手伝うと何度も申し出た由梨絵だったが、花嫁なのだからと断られ、結局黙って座っているだけだった。
「思いを口にする勇気は生半可では無いわ。彼、ずいぶん勇気を出したみたいね」
呆然と作業を眺めていた由梨絵の隣に腰掛け、ツェツィーリアは突然話し始めた。
由梨絵は一瞬驚いて言葉を返せなかったが、やがてツェツィーリアの言葉の意味を理解すると、静かに頷いた。
「結婚出来るなら誰でもよかった……? そんなわけ、ないわよね」
ツェツィーリアは由梨絵の目を見ないで語り、由梨絵もツェツィーリアのほうを見ずに、少しの間を空けて頷いた。
「初めて彼の姿を見た日のことを覚えてる?」
由梨絵は何も言わない。
「言葉にしないと伝わらないものはある。ねぇ、男の人が勇気を出してくれたわ。貴女は、どんな答えを彼に返すのかしら?」
由梨絵は何も言わない。
ただ押し黙ったまま小さく頷き、やがて立ち上がり、皆に挨拶をして回るとそそくさと帰っていった。
去り際の彼女の頬が真っ赤に染まっていたのを、その場にいた誰も、見逃してはいなかった。
●今も未来も
翌日。この日も学園は休校日。雲ひとつ無い快晴で、ほどよい風がそよいでいる、素晴らしい日和だった。
昨晩遅くまでかけて準備した式場は、ステンドグラスから差し込む日光で照らされ、宝石のように輝いている。
式場のPRという名目に興味本位で乗っかってきた生徒が意外と多く、直前の呼びかけにもかかわらず、100人近くの生徒が参列した。
あの告白の様子を野次馬で見ていた人が多かったのが幸いしたようだ。
「さて、そろそろですかな?」
すっかり神父の格好に身を包んだヘルマンが目配せすると、式場の扉付近で待機していたバルドゥルが頷き返し、いよいよ式は始まった。
レイのオルガン演奏が始まり、盛大な拍手と共に扉が開け放たれ、まずは新郎、佐久間卓麻が入場する。
ヘルマンによって着付けられたタキシードを身に纏い、きっちりとオールバックで固めた髪が凛々しい。顔つきもどこか昨日までよりしっかりして見えた。
そして、新婦の入場。
フラワーガールとしてツェツィーリアが花を撒いたバージンロードを、純白のウェディングドレスに身を纏った由梨絵が、ゆっくりと歩んでいく。
ベールガールを務めるファラの満面の笑みは、由梨絵を着付けた自身への賞賛だろうか。なににしても、今の由梨絵は誰が見ても目を引かれるほど美しかった。
神父役のヘルマンの進行により、式は順調に進んでいく。
ヘルマンの雰囲気が神父としてぴったりだったのもあってか、思いのほか厳かで『それっぽい』結婚式の様相となったが、その間、卓麻は終始心臓の鼓動が高鳴る一方で、顔が高潮するのを抑えることができずにいた。
もう昨日までの悩んでいた彼はいない。今ははっきりと、隣に立つ女性のためにできることをしようという意思が自立している。
しかしどうだろうか、当の由梨絵は、逆に昨日までとは打って変わって落ち着いている。
じっと正面を見据え、表情も変わらない。
その様子を横目に見ながら、卓麻は少しだけ不安を感じたが、今は余計なことは考えまいと、ヘルマンの言葉に集中した。
「指輪を……」
ヘルマンが言うと、リングボーイを務めるネイが、卓麻が試行錯誤の末に用意したリングを差し出す。
それは雑貨屋で売っているような、決して高価でもない極ありふれたリングだったが、卓麻が自ら刻み込んだ文字が、そのリングをどんなものにも変えがたい唯一の印へと変えていた。
I LOVE YOU
ただそれだけの単純な文字。
卓麻にはそれしか思いつかなかった。だが、それで十分だった。それこそが、卓麻の心にあることだったのだから。そう気づかせてくれた人達がいたから。
「……私も」
卓麻は一瞬耳を疑った。
由梨絵の薬指にリングをはめようとしていた手が止まる。
由梨絵は真っ直ぐに、リングに刻まれた文字を見ていた。
「私も、好きです。好きでした」
レイの奏でるオルガンの音色が一層激しく、高らかに鳴り響き、参列者達は立ち上がって拍手を送る。
新郎新婦は腕を組んでバージンロードを歩き、燦燦と太陽が照らす式場の外へと向かう。
翼を広げて飛び上がったバルドゥルが、外に出てきた二人をフラワーシャワーで迎え入れ、先に外へ出て待ち構えていた卓麻と由梨絵の友人達が、冷やかし半分本気半分の祝福の言葉を投げかける。
「おめでとう、お幸せに」
幸せそうに微笑みあう二人に向ける、これ以上ない祝福の言葉だった。
協力者の面々も、皆一様に拍手を送り、純粋な笑顔を浮かべ、二人の新たな門出を祝った。
式場関係者が好意で用意してくれた白鳩が一斉に飛び立ち、それにあわせて、由梨絵がブーケを放る。
舞い上がったブーケを照らす日の光は、二人の未来を照らすかのごとく、一層強く輝いたように見えた。
披露宴ではバルドゥルの用意したウェディングケーキやツェツィーリアの手料理も振舞われ、参列した学生達も羽目を外して大盛り上がりとなった。
締めに撮影された記念写真には、6人の協力者に囲まれ、微笑ましく並び立つ卓麻と由梨絵の姿があり、もはやカップルを通り越して既に夫婦かのような面持ちだ。
いつかこの式場で、本当の結婚式を挙げる。
それが夢見る少女の新たな夢であり、そしてこの夢は、もう彼女一人のものではなかった。