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天魔が現れた山に十人の撃退士が到着したのは、太陽が一番高く昇った後だった。
作戦では、準備を整えた後に山の中腹まで十人で行動。後に森ルート班と整備ルート班に分かれ、取り残された者の救助へ行くことになっている。
そのための振り分けは、以下の通りだった。
▼森ルート班
姫架・ゴースト(
ja9399)
アリシア・リースロット(
jb0878)
アレクシア・V・アイゼンブルク(
jb0913)
鴉乃宮 歌音(
ja0427)
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)
糸魚 小舟(
ja4477)
▼整備ルート班
ユウ(
ja0591)
梶夜 零紀(
ja0728)
大上 ことり(
ja0871)
夏野 晴(
jb0916)
「救出が最優先だ。取り残された人達は精神的に大きなプレッシャー下にある。早く助けて、安心させてあげよう」
「……待ってるなら、行かないとね」
晴が優しく言い終わると、ユウが淡々と呟いた。その口調に違いはあれど、ふたりの目的は同じだ。
全員が周囲を警戒しつつ早足で山を登っていく。幸か不幸か、二手に分かれる予定の場所に来るまでに、天魔の発見や襲撃は皆無だった。
つまり、お互いに相手がどこにいるかわからない。そんな状況が続くという事を意味している。
「できれば、天魔に追いつかれる前に速やかに下山したいが……。保護を最優先に、現場へ急ごう」
零紀の言葉に、皆が頷く。
それぞれの無事を願いつつ、彼らは二手に分かれた。
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そして。
舗装された道を進んだ四人は、道中障害もなく休憩所に到着した。
途中、木々や茂みの多い場所もあったが、天魔と遭遇することもなく、至って順調に彼らは目的地を目指すことが出来たのだ。
「はい、もう大丈夫です。ご安心ください、必ず我々が皆さんを安全な場所までお連れします」
「私たちが来たからには、もう大丈夫なんだよ」
晴とことりが声をかけると、救助を待っていた人たちの顔が明るくなる。休憩所にいる救助者は情報通りの五人。どうやら家族のようだった。
「怪我をして歩けない者はいるか?」
零紀の確認に、五人が首を振る。これで怪我人はいないのがわかった。
「……なら、現状説明」
ユウがそう告げた瞬間から、救助者たちへの状況説明が始まった。
内容は主に下山中の事に関してだ。撃退士が救助者の四方を囲む形で行動すること。いまだ天魔の脅威がなくなった訳ではなく、襲われる危険性もあること。
「でも、一番に言いたい事は、私達がみんなを絶対に守りきるってことなのです!」
ことりが力強くいうと、父親が『心強いよ』と笑顔を返してくれた。それは、隠すことなく現状を説明した若き撃退士たちを信頼した証だ。
「梶夜さん、これ、飲み物とキャンディ」
「ああ」
用意していた物を晴と零紀が家族に手渡していく。子供は二人いたため、キャンディを持ってきたのは正解だったかもしれない。
場が落ち着いたところで、森に向かった仲間たちに救助者を保護した事を連絡する。どうやら向こうはまだ捜索中のようだが、それも時間の問題だろう。
だが、あまりゆっくりしていると夜を迎えてしまう。それを避けるためには迅速な行動が不可欠だ。
「……皆、運が良かったね。山を下りるまでその運が続くことを祈ってて。それじゃ、いくよ」
何か不穏な気配を察知したのか。淡々としたユウの言葉を受けて、一行は下山を開始する。
空を雲が覆い始めていた。
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同時刻。
森に向かった六人の撃退士は、救助者の捜索を続けていた。
彼らは森に足を踏み入れた直後から、救助者の痕跡を探し、発見してはその後を辿っている。
「時間を掛けると掛けた分だけ危険だから、早めに見つけたい所だね」
ソフィアの言葉は、その場にいる全員が感じていることだ。
大声を出せば発見できるかもしれないが、天魔に見つかる可能性だってある。周りの木々は背が高く、日の光は届きにくいため暗がりも多い。暗所対策はしてあるが、見落としをするわけにもいかない。
とにかく現状では慎重に動くしかなかった。
しかし、その選択が正しい事を彼らは自分で証明する。天魔より先に要救助者を発見できたのだ。
「……止まって」
やや先行していた小舟が足を止める。その眼は真っ直ぐ前を見つめていた。
「います。数はちょうど五人」
周囲に浮かべた青色のモニタを確認しながら、ハンターのような姿をした歌音が全員に教える。
そこからはより慎重に、そして速く先を急ぐ。肉眼で捉えたのは間違いなく要救助者だ。
「撃退士だ、救助にきた!」
アレクシアの言葉に、緊張していたらしい救助者たちが安堵の表情を浮かべる。そこにいたのは、娘・息子・父・母・祖母の五人家族だった。
「子供たちよ、正義の味方が助けに参ったぞ。怪我人などはおるか?」
子供の顔に合わせて屈んだアリシアが笑顔で訊く。
「怪我をしてる人はいないの。お兄ちゃんもわたしも大丈夫だよ。……でも、おばあちゃんが」
少女が顔を向けた先にいるのは祖母だ。その顔には疲労の色が濃い。どうやら天魔から逃げた際の無理がたたっているらしい。
「診てもいいですか?」
「すまないねぇ」
代表して姫架がおばあさんを診察している間、他の撃退士たちは用意した食料や飲み物を救助者に手渡し、状況の説明を始めた。
こちらも救助者の四方を撃退士が囲んで、下山する作戦だ。特に発案者のアリシアは、可能な限り冷静に対処するよう念入りに説明を続けた。
話が終わる頃、アレクシアが姫架に診断結果を尋ねる。
「どうだ、姫架」
「体力的なものですね。救急箱じゃどうしようもないかも……」
「わかった。彼女は私が背負っていく」
「アレクシアだけでは大変ではないかね。我も手伝おう」
話し合いの末。おばあさんはアリシアとアレクシアが交代しながら背負う事に決まった。他のメンバーに手伝ってもらう案も出たが、索敵や遠距離攻撃が行なえる者が多かったためだ。
「必ずみんなを守ります……!」
「……先導します、行きましょう」
姫架が気合を入れ、行きと同様に小舟がやや先行する形で一行は下山を始めた。
「カラーテープを張ってあるから、迷うことはないはずだ」
歌音がテープを取り出しながら笑顔を浮かべる。彼が用意したテープは、引き返す際の良い目印になる。たどれば、迷うことなく下山できるだろう。
「……油断しないようにね」
護符を用意しながら、ソフィアが一同の気を引き締める。
既に日はほとんどあたらない。山の天気は変わりやすいというが、曇り空のどこか遠くの方から雷の音が聞こえたような気がした。
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それから幾ばくかの時間が経った。
森班と整備班、両者が連絡を取り合って決定した合流予定地点。
先に到着したのは整備班の方だった。
森とは違い、整備された道。当然といえば当然かもしれないが、登りと同様に天魔に合わなかったのは幸運と言えるだろう。
「……でも、だとしたら」
天魔が向かったのは森班の方。ユウがそう考えるのは至って自然な事だった。
「ここまでは順調だな。……順調すぎるくらいだ」
荷物を整理している零紀の言う通りだった。敵の探知を誤魔化すため、邪魔になる荷物を捨ててきたのが有効だったのかもしれない。だが楽観視はできない。
「ほら、もう少しだ。おじさん達の傍にいれば安全だったろ?」
「お父さんたちも疲れてると思いますが、頑張っていきましょうね!」
元々体力が少ない子供を、晴が励ます。その隣では、ことりが大人達を気遣っていた。
けれど、誰もが不安を拭えないのだ。
今回の天魔は、『人数の多い』場所に現れる。こちらの人数は救助者を含めて九名。森側は十一名。
「……でない」
こまめにとっていた連絡は、この時に限って繋がらなかった。
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「走るんだ! 速く!」
クロスファイアによる射撃を行ないつつ、歌音が叫ぶ。
相手の移動を妨害する目的で足に、仲間を呼ばれるのを防ぐために喉に向かっていくつもの銃弾が放たれていく。
『グオオオオ!』
何発かは着弾したようだが、正確な効果は不明だ。だから、歌音は更に射撃を続けた。
「……転ばないよう、気をつけて」
小舟が救助者たちを気にしつつその横を走る。最初の捜索時に先行していた彼女は、その足を生かした遊撃として行動していた。これなら、どこから敵が襲い掛かってきても、必要に応じてフォローができる。
「あっ!」
「……っと、大丈夫?」
「ありがとう、お姉ちゃん」
また、子供が転倒しそうになった時に支えることも可能だった。
「焦らず冷静に進むのである。なあに、汝らには傷ひとつつけさせぬよ」
襲い掛かってきた黒い犬――どうやら魔界の性質をもつ天魔のようだ――を大太刀で退けながら、アリシアが声をかける。
陣形が功を奏したのか、今のところ救助者五人に怪我はない。ただ、事態が好転しないのは問題だった。
「こいつら、ご家族ばかりを狙ってきます!」
姫架が皆に伝わるように大声をあげて、飛び掛ってきた一体を大鎌で切り払う。浅かったのか、それとも痛みなど感じないのか。攻撃を受けたはずのディアボロが空中で回転して地面に着地。再び並走を始める。
襲撃が始まったのは十分程前。森を戻っている途中、一匹の大きな黒犬に捕捉されてからだった。
ソイツは遠吠えをし、仲間を呼んだ。
暗くなってきた森の中で五体以上、下手をすればこの場にいる全員よりも遥かに多い数が現れる可能性もある。そう判断した撃退士たちは、人命救助の目的を優先し、仲間が待っている合流地点へと急ぐことにした。
結果、追撃した来たのは六匹程度だろうか。ヤツらは左右と後方で一行の動きに合わせて並走し、隙あらば襲いかかってくる。その姿が能力に反映されているのか、黒犬の足は速い。
苦労するのは、天魔が陣形の外側にいる撃退士ではなく、内側にいる救助者たちを執拗に狙ってくることだ。
「手出しはさせないよ。向かってくるのなら倒させてもらうからね」
符をかざしたソフィアから放出された螺旋軌道の花びらが一体に命中する。ダメージよりも、相手の動きを制することを優先した攻撃だった。
多少の効果を確認した後に、敵から視線を離すことなく、後ろにいるアレクシアに確認をとる。
「そっちは大丈夫なの?」
「今のところはな! おばあさん、しっかり捕まっていてくれ」
現時点で背中に人一人を背負っているアレクシアは、陣形の比較的内側に位置していた。この状態では多少動きが阻害されるが、それでも体力のない祖母を走らせることはできず、可能であったとしても全体の足が鈍ってしまうだろう。
それだけは避けねばならない。
アレクシアは不利だとわかっていても、人を背負ったまま行動するしかなかったのだ。
その後も救助者を守りながらの逃走劇は続いた。天魔自体はそう大した力はなかったが、狙いが力のない者たちであること。また、木々を盾にするように並走し、攻撃は基本的にヒット&アウェイ。群れで狩りをする獣のような動きはじわじわと一行の集中力を削いでくる。
また、段々と学習しているのか。
複数体の一斉攻撃や左右同時など、死角を自分たちで作る攻撃は面倒なことこの上ない。その一撃一撃が、撃退士たち以外に命中すれば命に関わる可能性があるのだから、気が休まるはずもなかった。
「危ない!」
遂には雨までもが降り始めた中、アリシアのように身を呈して天魔の攻撃を防ぐ機会も増えてきた。
訓練すら受けていない一般人が天魔の攻撃を避けられるはずもなく、必中の牙や爪が守りに入った六人の体に傷を増やしていく。
耐えられないレベルではない。しかし、長く続けば続く程不利になる消耗戦。
「このっ!」
近接距離に入った犬に歌音がパイルバンカーを放つ。だが、一般人の盾になる形での割り込みでは、今一歩踏み込みが足りない。結果、致命打には至らないのだ。
「……みんな、もうちょっとだから」
遊撃役の小舟が、改めて皆を励ます。合流地点はそう遠くはないのだ。そこまで逃げ切り、状況を打破することができれば……、そう思わずにはいられない。
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だが、危機というものも幸運と同じでそう長くは続かない。
合流地点には少々遠い。比較的森が開けた場所に複数の人影が姿を現わした。
「そのまま全力で走って来い!」
晴の声に従って、森から走り続けてきた一行の動きが加速する。
「……やっぱり、今日は運がいい?」
「うん、きっとかなりツイてるよ!」
氷の槍と光の弾丸の軌跡が走る一団の横を通り、今正に飛びかからんとしていた黒犬たちを貫いていく。
また、かろうじて避けた個体も晴が召喚したヒリュウの爪で裂けていく。
「ここまで来れば安心だ。よく……頑張ったな」
足をもつれさせて前に倒れ掛かった少女を支えながら、零紀が微笑んだ。
連絡が途絶えた森ルート班が天魔に追われているに違いない。そう結論した整備ルート班の撃退士たちは、合流地点よりも森側に開けた道で、待ち構えていたのだ。
「よ、予定とは違いますが、なんとか合流できたのです」
運悪く一番ダメージを受けていた姫架が苦笑すると、他の仲間も笑っていた。
先程までの緊張した空気は、ここにきて一気に弛緩している。誰も彼もが雨に濡れ、泥に汚れてもいたが、その顔は晴れやかだ。
「我はもうヘロヘロである。もう、皆に掃除は任せていいか?」
「おいおい、サボりはよくないぞ」
戦友同士での、そんな冗談さえ言い合えた。状況は変わった。仲間が揃ったのならば、人数で有利になり撃退は容易だろう。
最早恐れるものなど何もない。
「じゃあ、そういう事で――」
救助者が安全な位置にいるのを確認してから、誰かがが天魔に向けて走り出し、全員がそれに続いた。
その後わずかな時間繰り広げられたのは、遠慮など一切ない殲滅戦。
気づけば、空を覆っていた雲は遠くへ流れており、登山にはもってこいの澄んだ蒼が再び顔を出していた。
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任務終了からしばらく時間が過ぎたあとの事。斡旋所の報告に撃退士たちは耳を傾けていた。
「では、ご報告します。みなさんの奮闘により要救助者に一切の怪我はなし。また、山に出現した天魔の殲滅もできたようです」
調査によると、今回現れたディアボロはどこかで生み出された個体が偶然件の山に迷い込んだのではないか。ということらしい。
「引き続き調査は続けられますが、おそらくこれ以上の展開は見込めないでしょう」
静かにファイルを閉じ、斡旋所の女性はゆっくりと頭を下げた。
「みなさま、今回は本当にお疲れ様でした。……それと、皆様にかわいらしいお手紙が届いておりますよ」
そういって彼女が出したのは、一枚の写真が添えられた手紙だった。どうやら子供が書いた物のようだ。
――撃退士のお兄ちゃん・お姉ちゃんへ。みんなを助けてくれて、本当にありがとうございました!
添えられた写真。
そこには、紅葉の美しい山の中、笑顔の少女を中心に家族みんなが微笑んでいる場面が写っていた。