「う、うわぁああああ!! て、天魔だ、逃げろぉおお!!」
その叫び声で、周囲はパニックになっていた。
逃げ惑う人々。焦って走り、転げる者もいれば、それが邪魔だと怒号を上げる者さえいる。皆、己の命を守ることだけで必死なのだ。腰を抜かしてしまっている人などは、すでに見捨てられている。
「あ、あ、あぁ……」
女子高生だろうか。這うようにして、その場から逃げようとする。今は近くにいないと言え、いつやってくるか分からない。
「大丈夫かい、嬢ちゃん?」
そんな彼女の手を取り、立ち上がらせる男がいた。久我 常久(
ja7273)である。急に現れた男の様子に一瞬、あっけにとられたが、すっと何かを差し出してくる。
「これ、メルアドだから後でメール頂戴ね♪」
いきなり、何をしているのだろうか、この親爺は。ダンディズムを装っているが、やっていることは火事場の何とやらです。
「ご、ごめんなさい……」
受け取りを拒否された。
「って、何やってるし! ツネ叔父様! 天魔だよ、天魔! 早く行かないと!」
「仕方ないね〜、後回しか〜」
「後回しはあたしへの奢りだけで良いし!」
ミシェル・ギルバート(
ja0205)が叫ぶように言う。
その横では、鳳 覚羅(
ja0562)が学園へと連絡を取っていた。
「はい。サーバント出現のため、よろしければ、周囲にいる撃退士への集結を容易にできるよう、連絡をお願いします」
天魔の襲撃があったであろう街の名前を告げる。その後、一斉に多くの撃退士たちへとメールが送信された。
『緊急事態発生。サーバント出現のため、下記の地域にいる撃退士は、至急、撃破に向かってください』
以上の内容だった。
それを確認しつつ、彼らも悲鳴の聞こえた現場へとすぐに向かう。
現場は阿鼻叫喚のまさに地獄絵図であった。急いで逃げようと人を押し倒し、それで転んだ人に躓き倒れる人々。
「早く逃げてください!」
央崎 遥華(
ja1474)が叫ぶ。撃ち落とすように、アノマロカリスへ魔弾を放つ。
もう一匹は襲った男性を貪っており、オパビニアたちは女性の吸血を続けている。すでに、襲われた人間たちは手遅れだろう。
彼女の眼と鼻の先で起こった出来事だったが、今となってはどうしようもない。逃げ遅れている、命ある人々を放置するわけにはいかないのだ。
「まずは建物の中へ……ここは防ぎます」
そこへ、水無月 蒼依(
ja3389)がやってくる。彼女もすぐそばにいた。本来ならクレープ片手に満喫した時を過ごしているはずだったのだが。
少し残念な気持ちになりながらも、それより先にやることがある。
一般人の避難だ。
しかし、焦るように逃げる人々は、すでに収拾がつかなくなり始めていた。
「こっちへ! こっちです!」
遥華が声を上げるも、なかなか聞き入れてくれない。
自分たちの安全を守ってくれる存在が近くにいることへの理解。
逃げ惑う人々は、それを理解できない。
撃退士たちも、急の襲撃に気が動転している。自分たちが何であるか、それを声高らかに上げれば、少しは避難も落ち着いてできたかもしれない。
蒼依の姿も一然として、撃退士とはわかるのだが、それでもごった返す人の群れの中。周囲の一部にしか周知されておらず、彼らとて逃げるのには必死で全員にまでは伝わっていない。
遥華の牽制射撃で一匹は、一般人に手出しをできないようだが、もう一匹が標的を近くにいた一般人へ変えようとする。
「これ以上、貴様らの好きにはさせん」
梶夜 零紀(
ja0728)が、割って入りつつ、すれ違いざまにハルバードを叩きつけた。
グジャリ、と鈍い音を立ててたくさんあるヒレの一部が斬り飛ばされる。一撃で仕留めるつもりだったが、相当にタフなのかまだまだ動きに余裕がある。
標的を零紀へと定め、触手のような器官を振り回し襲いかかってきた。何とか紙一重で、それを回避し距離を取る。
頬に一筋、血が零れる。敵の攻撃は正確だ。次は避けられるか分からない。
「あのデカブツが厄介そうだな、っと!」
そこへ上空から矢が飛来する。ジョーン ブラックハーツ(
ja9387)の屋上よりの射撃だ。しかし、それは距離のせいかは分からないが、異様な速度で反応したアノマロカリスに避けられる。
「逃げろ、仲間の撃退士が誘導する」
ようやく、零紀の一声で撃退士が到着したことが分かったのか、他の仲間の誘導に従い始める。
誘導先はすぐそばの建物。すでに阻霊符は起動してあるから入口を守るだけ。守りやすいだろう。
撃退士たちも緩やかに撤退しつつ、一般人の避難を援護する。
だが、オパビニアが自由に動き、人々へ襲いかかる。
「我願う。刹那の雷光よ、此処に現れよ」
遥華の放つ雷光が凄まじい速度で駆けるが、それを容易く回避するオパビニア。狙われた一体は、遥華めがけて動き始めるが、他の四体が一般人へ狙いを定める。
「う、うわぁああああ!!」
倒れこんでいた一般人に襲いかかってくるが、そこへ黒い姿が駆ける。
「くぅっ……」
蒼依が障壁を展開し、一般人をかばう。しかし、障壁を貫通し、4体の触手が蒼依の体へ噛みついてくる。アウルを展開し、3体を振り払うことは成功するが、1体は噛みついたままだ。
さらに吸血、意識が朦朧としてくる。体が冷たい。もうじき、立てなくなるだろう。
それでも。
「……大丈夫。それよりも、早く逃げるの」
痛みに耐えて、一般人を逃がす。
貼り付いてたオピバニアも何とか引き剥がす。だが、もう後一撃でも攻撃を受ければ危ないだろう。ふらつく足を押さえ、何とか敵と距離を取る。
そこへ、少し遅れてミシェル、覚羅、常久が到着する。ごった返す人の群れを逆走したため、少し遅れた。
「ふむ、これは何という幸運」
図書館帰りのグラン(
ja1111)もまた少し遅れて到着。これでこの付近の撃退士は全員らしい。
すでにピクリとも動かず、物言わぬ死体となってしまっている最初の犠牲者を見て、ミシェルが怒りをあらわにする。
「……マジぶちのめす!?」
ミシェルの周囲に闘気の奔流が巻き起こる。
零紀が再度アノマロカリスへとハルバードを叩きつけようとするがあと一歩のところで避けられる。踏み込みが少し甘かったか。
返すように噛みつこうと反撃してくるアノマロカリス。これも何とか零紀は回避する。上手く行けているが、いつまでも続きそうにない。
目的だった即時撃破もできていない。少し厳しいか。かと言って、放置するわけにもいかない。
常久がその体躯の見た目からはあり得ない速度で駆け回り、周囲で動けなくなっている人の前へ立ち塞がり、オパビニアへと影手裏剣を放つ。
「ばっかやろうがあああああ!! 相手はワシだ!! 一般人なんて襲ってんじゃねえよ!!」
冥府の力も加わったその一撃は、上空で浮いていたオパビニアの一体へ突き刺さり、撃ち落とした。一撃ですでに動かなくなっていた。脆い。一体撃破。
覚羅は、一般人へと向かうオパビニアの集団たちに向けて、強力で正確無比な衝撃波を放つ。4体を捉えるも、2体は回避。しかし、2体を巻き込み、バラバラに引き裂く。さらに2体撃破。
一般人を襲おうとするオパビニアへ、ジョーンが矢を放つが、凄まじい反応速度でそれを回避する。それでも、気は引けたか、ゆっくりとジョーンの方へと向かってくる。
「チッ、少し気を引きすぎたか……?」
サッと身をひるがえし、別のビルへ移るべく移動を開始した。
ミシェルがアノマロカリスへと飛びかかり、その眼にスポーツタオルを巻きつけようとする。あっさりと振り解かれるが、ほんの少しできた隙を縫って、零紀が再度ハルバードを叩きつける。刃は胴に突き刺さり、体液が飛び散るも、まだ動いている。
ジョーンがアノマロカリスへ狙いを付けるが、それは避けられてしまう。反応に差がありすぎる。ジョーンはそう思いつつ、屋上に近づいてこようものなら、もう一度場所を移す算段を立てておいた。
それにしても、少々不味い。狙いをオピバニアへ向けた方がいいか。零紀はそう判断する。
グランはその間、敵をつぶさに観察していた。
古代より蘇りし、アノマロカリス、オピバニア。古にいたという彼らと酷似するソレは、本当にこの星の過去にいたのか。尽きぬ興味がわいてくる。
そして、観察を続けるうちに、ある事柄へ気付く。
獲物の決め方は恐らく光、視力によるもの。動く者、さらに言えば攻撃を仕掛けてくる相手を集中して狙っているようだ。現に、攻撃を仕掛けた者へと順次、反撃を仕掛け始めている。
それともう一点。目は両方とも上へ付いている。ジョーンの攻撃もやたらと避けられている。上からの攻撃には強いが、およそ、下からの攻撃に弱いと推測された。
「皆さん、下方から狙いを付けてください」
「下からだな〜?」
常久が宙を浮き翻弄するように動くオパビニアの下方に潜り込み、死角と思われる場所から影手裏剣を放つ。
冥府の力も合わさり、その影は正確にオパビニアを撃ち抜く。胴体を貫通すると、そのままボトリと地に墜ちて、動かなくなった。四体目撃破。
同じように放たれた蒼依と遥華の魔弾もオピバニアを貫き、完全に沈黙させる。まともに狙えば高回避だが、弱点さえ見つければ大した敵ではなかった。あっという間に、オピバニアを殲滅させる。
しかし、まだ、敵は残っている。厄介なアノマロカリスだ。強力な一撃を二発受けても、まだ耐えている。悠々と宙を泳ぐその姿は、まさに太古の王者か。
振るわれる触手に、零紀が捕まってしまう。
「くっ……」
引き剥がそうとするが、なかなか離れない。そして、そのまま肩の肉を食い千切っていく。
触手で捕まえてくることを失念していた。攻撃を捨ててでも、触手については警戒すべきだった。
とは言え、それが最後の攻撃とも言えた。8対2、どう見積もっても撃退士たちが有利だ。
鋼糸で覚羅がアノマロカリスを絡め取ったところで、ミシェルが、忍刀で口元へ狙いを定め抉りこむ。開放された闘気も相まって、アノマロカリスに冥府の力は強力に効くのか、今まで攻撃していた個体を一撃の元、そのまま頭蓋もろとも粉砕する。
残る一体も次々と迫る攻撃を畳みかけられる。
「其れは言葉也。其れは意思也。彼の者が異端で有れば裁きの雷が貫かん」
遥華の放つ強力な雷撃に苦悶の声を上げるそこへ。
「お腹からの攻撃に弱いのですよね」
下方より急に、水流が集まったかと思うと槍を象り、アノマロカリスを磔刑の如く串刺しにした。そこへ上方より、矢が迫る。さすがに動きの鈍ってきたアノマロカリス。ドズリと胴へ矢が突き刺さった。
「さて、そろそろ毒の回る頃合いですか」
途中で放っていたグランの毒により痙攣するような動きを見せた後、最後のアノマロカリスもまたその巨体を沈黙させた。
「ふぅ、一件落着だな。これだけの撃退士が揃っていたのは幸運だった」
すべての敵を撃破し、そう、感想を述べる零紀。
武器を納めた撃退士たちへ、助けられた人々はお礼を述べる。
だが、助けられなかった人がいたのも事実。
「もっとはやく接近を察知していれば……」
覚羅が落ち込みつつ言う。
「なぁに、辛気臭い顔してやがんだ〜? ほら、周りを見てみろって」
そう、そこには少なくとも助けることのできた命があるのだ。
今はそれで良しとしよう。
「ほれほれ、わしのおごりで旨いものでも食いに行くぞ〜!」
常久が努めて明るく振る舞う。
「それじゃ、私はクレープ屋に戻るの……」
蒼依も、本来すべきだったことへ戻ろうとする。
撃退士たちの活躍により、過去の残滓は断たれ。現在という日常が戻ってきたのであった。