枝葉が陽光を遮り、山の中はほんの少し薄暗かった。こんな場所でいきなり人間大の蟷螂が現れるのだと言う。
その様子を想像して、桝本 侑吾(
ja8758)はぞっとする。背の高い彼であるが、鎌を広げれば、それよりも大きいとの話だ。被害者の誇張表現ではもっと大きく言われていたが、実際には2mほどだろうと予想されている。それでも、大きい。
そんな巨大な蟷螂を想像して、逆に氷月 はくあ(
ja0811)は血気に逸っていた。
「害虫退治と行きましょうっ!」
被害者がいて不謹慎だとは分かっているが、それはどこか客観的だった。
虫を見つけた少年のような気持ち。危機感の薄くなった彼女にとっては、どちらかと言えば、そちらに近かった。
「はしゃぐのはさすがに不謹慎だぞ……?」
名芝 晴太郎(
ja6469)は、そんな彼女の様子をあまり快くは思わなかった。犠牲者のことが、どうしても気にかかるのだ。
これ以上の犠牲者を出すことに激しい抵抗感をおぼえる。それは近い過去の記憶がそうさせるのか。
それに対して、はくあも謝る。討伐にしっかりと集中はするつもりだと言う。
「いや、それなら良いんだ。こっちも少し気が立っていた。すまない」
謝り、謝られ。その状態にはくあは、ぷっと吹き出す。ただ、彼が何かに囚われているが故なのだということは分かったから。
一方で、松原 ニドル(
ja1259)は足場の悪さを確認するべく、より大きな斜面へ足を踏み入れる。一歩、二歩。さすがに、すぐは普段通りに動けそうにない。それが分かっただけでも十分だ。
ただ、侑吾の準備してくれていた登山用スパイクは良い具合に使えそうだった。これがあるのとないのとでは、大きな違いがあるだろう。そんなことを確認する。
「んー、そろそろかなぁ……」
コンパスと地図を見比べ、テイル・グッドドリーム(
ja8982)が呟く。こちらも事前に用意しておいたものの一つ。ただの地図であったが、かなり役に立ちそうだ。詳細までは理解できないも、およその位置は掴めていた。
そこから割り出すに、被害現場は近い。その付近に敵もいるだろうと見越していた。
ふと、ツンと異臭が漂うのを、或瀬院 由真(
ja1687)は感じた。
これは―――腐臭。恐らくは被害者の遺体が近いのだろう。木々をかき分け、少し先に進むとそこは。
どす黒い乾いた血の跡が木々に付き、多くの木々はずたずたに斬り裂かれていた。
そして、その近く。
「これは……酷い有様ですね」
直視するにはきつい光景があった。―――喰い散らかされた遺体だ。
一同は、二の句を告げなくなるが、すぐさま警戒態勢に移る。
敵は近くにいるはずだ、と。
はくあが、周囲を索敵する。
「ぅー、見通し悪いね……」
が、見るだけではなかなか区別が付かない。木の葉の揺れはあるが、風によるものか、それとも敵か。しかも、木々があり、見通しはあまりよくない。
同時に酒々井 時人(
ja0501)が生命探知を掛ける。小動物などの気配は一切ない。そして、かかった位置におぼえる違和感。
その瞬間、ザザザッと木の葉のすれる音を侑吾は拾う―――それは上方から。
不自然な傷跡、上からバッサリと切り裂かれたような傷跡。それを見ての上方からの奇襲を警戒していたテイル。そこに空より襲いかかる影―――!
上だと叫んだのは誰だったか、三人がほぼ同時に敵の奇襲を感づく。
同時、八人はその場からパッと散る。
それは人にあらざる速度。
身に纏うはそれぞれの闘気を現す。
アウル。それはそう呼ばれる。
ルーネ(
ja3012)は上体を低く構え、薙ぎ払われる一体の大鎌を紙一重で避ける。
ガンと、鈍い音を立て、時人の盾がもう一体の鎌を抑えた。とんでもない膂力に振り回され吹き飛ばされるが、その先にいた味方は無事だ。自身も少し手が痺れただけで、特に支障はない。
敵の奇襲。警戒していただけに、一同はすぐさまに対応できた。
『ギッ……!?』
直前まで成功するだろうと思っていた蟷螂の動きが一瞬だけ硬直する。
その隙を見逃すほど、撃退士たちは甘くない。
「まずは、敵を、引き離します!」
アウルを操作。弾丸と成し、拳を銃口に見立て、それを射出する。硬直していた一体に当たると、その巨体とも言える躯を弾き飛ばす。細いが頑丈な脚で体勢を立て直すそこに、侑吾のオートマチックP37から放たれた弾丸が迫る。
体勢をあっという間に立て直した蟷螂は、すぐさまそれに反応し回避する。
だが、それは囮。はくあの銃撃、晴太郎の斬撃が迫っていた。
他方、攻撃された蟷螂を見送るような形になったもう一体。
「隙あり、だ!」
完璧な形で弓を構えていたリドルから一条の矢が放たれる。およそ人間から放たれた速度とは思えないそれは、巨大な昆虫の足にズブリと突き刺さる。
と、同時、ルーネが柳の文字を冠する大太刀を振るった。神速の域で放たれたそれだったが、敵は鎌であっさりいなす。
すぐさまにでも、攻撃に移ろうとする敵の反応に、ルーネは挑発的に口角を上げる。
「良いねぇ。私の刃とその鎌、どっちが速いか勝負といこうか!」
左右に翻弄するように動きながら放たれる連続的なルーネの斬撃を、蟷螂は強靭な鎌で受ける。金属的な衝突音を凄まじい回数繰り返し、火花が散る。
が、わずかにルーネの刀が押し負ける。凄まじい膂力と反応速度だ。
そのほんの刹那に、一撃。たったの一撃だが、防げそうにない斬撃が奔る。
そこへ、時人の盾が割って入った。鎌は寸でのところで、盾に拒まれルーネへは届かない。
急に入ってきた敵と今までやり合っていた敵とどちらを仕留めるかの逡巡。
しかし、蟷螂はすぐさまにその場から軽く離れる。直後、ゾンと音を立て、拳がその場所に突き立てられていた。
「チェッ、後少しだったのになぁ」
矢の突き刺さった脚を狙い、剣付きの手甲でルーネが時間差での攻撃を狙っていたが、如何せん細い脚を狙っていたため、狙いが付けにくかった。
ほんの僅かな間のめまぐるしい攻防。どちらにもまだ決定打は入っていない。
一方の吹き飛ばされた方の蟷螂も、いまだ互いに決定的な一打は入れられていない。
先程のはくあの銃弾は完全に避けられ、晴太郎のエナジーブレードによる斬撃も浅く、脚を刈り取るには至らない。
晴太郎は縮地で距離を取ることで鎌の位置から離れ、必然、敵は由真へと集中し始めた。
その場から大きくは動かず、盾と槍を巧みに使い、応戦する由真。常に鎌の正面を取らないよう、めまぐるしく蟷螂と立ち位置を変えながら切り結ぶ。
しかし、脚を狙いすぎているせいか、全員の攻撃がなかなか当たらない。敵も素早く動き、その狙いにすぐさま気付いて射線から逃れる上に、遠距離からのはくあの狙いも脚が細すぎて、うまく定まらない。
かろうじて晴太郎の斬撃がかすめる程度で、それも侑吾の巧みな銃撃のサポートと、はくあの銃撃を回避した直後の僅かな隙を狙うことによって上手くいっただけだった。
続けざまに、侑吾は翻弄するように銃弾を放つ。それを鬱陶しそうに回避し、続くはくあの放った弾丸をも回避する。
そして、その二撃でようやく隙ができる。
「捉えたっ!」
晴太郎が遠間から俊足で近づき、すり抜けるように斬撃を放つ。確かに手ごたえがあった。
合わせて、由真の槍も脚へと突き刺さる。
しかし、それらを鎌で薙ぎ払い、一閃。距離をわずかに取った後、再び由真へと掛かる。
未だ、脚の破壊はならず。
二体の引き剥がしはできているが、埒が明きそうにもない。作戦がうまく機能し始めなくなっていることで、前衛である由真への負担が大きくなり始める。
次第に槍の動きより盾の動きの方が激しく。
ついに。
「危なっ―――!」
「うっ、ぐぅっ……!」
盾の隙間を掻い潜り、由真の体に鎌が突き刺さる。すぐさま、槍で無理矢理に敵の鎌を打ち払い、引き抜くが傷はやや深い。加えて冥府の力も相まってか、がくりと由真の足から力が抜けかける。
「なんて、速い……っ!」
鎌の振りを読んで、はくあが金の弾丸を放っていたが、止め切ることができなかった。
大きく鎌を振り上げ、敵の斬撃が続けざまに迫りくる。
同じく一方も足を狙いすぎていたせいか、なかなか一撃が入らない。とは言え、ルーネ、時人、テイルの三人がかりで張り付いている分だけそれぞれの負担は少ない。
ルーネが翻弄し、テイルが隙を見て一撃を加えようとするも、細く素早く動く足に的を絞れない。
遠くからの二ドルの弓からの射撃も、何とか掠らせる程度でしかないが、それでも凄まじい技量がいる。
そんな風に動く相手に蟷螂も対応するよう斬り裂こうと動くが、時人の盾が拒み、斬撃を許さない。
硬直感はこちらの方が強いながらも、しかし、いつかは破綻するだろう。敵に不利な側であればいいが、こちらに不利だとすると危険だ。
そう判断したルーネは、状況を打開すべく。一際に敵が大きく鎌を上げた瞬間を見逃さずに奔った。
背中に担ぐように刀を構え、敵から離れるではなく、逆に突っ込む。振り下ろされた敵の鎌は、懐に入ったルーネの背中に振り下ろされるが、刀が邪魔しているせいか浅い。
その勢いも加え、アウルを刀へ思いっきり流し込み振り抜くと、とてつもない衝撃波が蟷螂へ迫った。
『ギィっ!!』
ようやくの痛撃。腹部から体液を撒き散らすも、対する反応は早い。
敵に突っ込んだ彼女めがけて、鎌で退路を阻み強引に引き寄せる。
「ぐ、がっ……!」
直後、立場は入れ替わる。
敵の懐に入っていた故か。リスキーなことは承知していたが、想像以上に敵が速すぎて逃げ切れなかった。
引き寄せられたルーネは、振り解こうとするもとんでもない膂力によって引き摺られる。
肩に食い込んでくる鎌に、迫る蟷螂の顎。
その肢体を咀嚼するべく三角の顔が振り下ろされる。
「うっ、くっ……」
そんな折、傷を負った由真にも蟷螂が鎌を振り上げ、捕縛しようと迫っていた。これを受ければ、状況は致命的になるだろう。
「さ……流石にそれはっ!」
振り下ろされる鎌めがけて、槍を素早く放つ。ガンと凄まじい音を立て両方の武器が弾け、僅かな隙ができた。
その間に、何とか敵の領域から逃げ退る。間一髪のところだった。
「はぁ、はぁ……」
「大丈夫? 良ければ代わるよ……っと!」
息も荒くなってきた由真の側で、侑吾は大剣を構える。
それにしても、素早い敵だと四人は思う。だが、ほんの僅かに動きが鈍ってきている気がするのも確かだ。
現に傷を受けた由真だったが、何とか敵の攻撃を弾くこともできた。今も、少し距離を取りつつ、こちらの様子を窺うようにじりじりと間合いを計っている。
さすがに脚への打撃が効いているのか。
侑吾とはくあは、頷き、動く。
捕縛されたルーネは、噛みつかれまいと身をよじるが、肩に食い込んだ鎌が邪魔でほとんど身動きを取れそうにない。引き剥がそうにも上手く組みつかれているせいか、力を上手くいれられなかった。
直後に迫りくるであろう痛みに耐えるべく歯を食い縛る。
だが、振り上げられたままでの蟷螂の顔が迫ってくる素振りがない。
「させ、るか、っ」
背後から組みつくようにして、時人が首元に鉄糸を絡ませていた。そのまま、引き剥がそうとするが、敵の膂力も生半可ではない。構わずに噛みつこうとしてくる。時間の問題かもしれないが、こうでもしなければ危険だっただろう。それに時人一人ではないのだ。
(どうする、どうする?)
テイルはわずかな間に必死で考えを巡らせる。一緒に引き剥がしにかかるか、しかし、身長の低い自分だとなどと考えて自己嫌悪する。横ではニドルが弓を構えている。
一緒に動かねばチャンスはないだろう。どうするかと考え、瞬間、閃く。
ニドルが矢を放つ。
遠目に構えるのを見ていたのだろうか。上体を反らすことで避けようとする蟷螂。
だが、その予想に反して、狙ったのは足。
ガクリと蟷螂の体勢が崩れる。それに合わせて時人が思いっきり後ろへ引っ張る。
さらに体勢を崩すが、獲物を離すまいと蟷螂も必死に耐える。
そこへ。死角からテイルが全力で拳を振り抜く。狙う先は、掴んでいた鎌の根元。
「その鎌、いただきだよッ!」
鋭利な刃物の付いたその手甲はみごと鎌を切り落とした。
『ギィィイイイイッッ!!』
鎌が落ちるとともに、ルーネはすぐさま間合いを離す。
見るに、武器の片方を失い、脚も手負い、腹部には凄まじい裂傷を受けていた蟷螂は、勝ち目なしと判断したのか、残っている羽を動かし逃げようとする。
逃がすかとルーネが追いかけようとした直後。
「何処に逃げようというのかな?」
背後にいた時人が巨大な槍斧で、その羽を薙ぎ払っていた。
地に墜ちる蟷螂。もはや、逃げる術もなく狩る側から狩られる側へ回っていた。
大剣を担いだ侑吾が、露骨に足を狙う。それは見飽きたとばかりに、避ける蟷螂。
次はお前かと言わんばかりに、鎌を振るってくる。その斬撃を正面から受け止め、何とか弾く。弾かれた剣をすぐさまに引き戻し、迫る鎌に対応する。そのまま、敵の対応に追われるようにして鎌を弾き、弾かれては何とか防ぐ。
いきなりの防戦模様に、蟷螂も気を良くしたのか、連撃を放つ。割って入る由真だが、邪魔だとばかりに片側の鎌であしらう様に応戦する。
それに合わせて、再び、侑吾は大振りに足を狙う。
それと同時に。
「ここだね……わたしのとっておきみせたげるっ!」
はくあの持つ銃口から、巨大な雷の矢を想起させるような一撃が放たれる。侑吾に気を取られていた蟷螂の首元へ。
避けようとするも、脚は限界だったのか。動きについていかず、ついに脚は半分千切れかけ、体勢を崩し。
そこへ、吸い込まれるように突き刺さる。
細い首元から大量の体液が溢れ出る。ぐらりと傾く体めがけて、間髪入れずに由真が全身全霊の力を込めて槍と共に突撃する。
「虫ピン代わりです。受けなさい!」
加重を乗せた一撃が腹部に突き刺さる。ピクピクとまだ動くそこへ晴太郎が迫る。
「慈悲も容赦も与えないッ!」
黒きアウルの帯を翼の如く引いて疾走し、一太刀の元に半分千切れかかっていた蟷螂の首を刎ね飛ばした。
弓を構えていたニドルは地に墜ちた蟷螂が止めを刺され動かなくなったところで、ようやく武器を下ろす。少し離れたところにいる他の四人を見るに、あちらも終わったのだろう。
構えで硬直していた体の力を抜き、ほぅと安堵の息を吐く。
周囲を見渡せば、あちらこちらに鎌の斬撃跡が残っている。その様子を見て、自分の弓を見て。素手では太刀打ちできるわけないかと思う。
とにもかくにも激しい戦闘は終わった。
サワサワと風に揺られる木の葉の音。山には静寂が戻っていた。