サイレンが鳴り響き、避難を指示する怒号が聞こえる。デパートの屋上付近からはもくもくと煙が上がっており、その下、入口からは慌てたように人々が駆けだしてきていた。対して、火事の起きていないデパートの旧館側からはぱらぱらとしか人が出てきていない。さらには、消防士の指示もよく聞いておらず、火事の起きている様子を眺めているだけに近い。
「対岸の火事か……危機感がないと言うべきか」
御影 蓮也(
ja0709)は、人々の様子を見て、やや呆れた口調でつぶやく。
「でも、それってさ。平和なのに慣れてるから、だよな」
末松 龍斗(
ja5652)はそう返す。火事、地震、そう言った災害は平和であれば起きない。いつ起きるかは分からないが、普段に起きていないとあれば、それは平和なことなのだ。
その平和。人災や天災であれば、乱されても仕方ないことだろう。だが、今回の災害はそれらではなく。
「ウィルオウィスプ、別名イグニス・ファトゥスか……」
影野 恭弥(
ja0018)が今回の敵の名を口にする。人災でも天災でもなく、ディアボロという害悪そのものによりなされた災害なのだ。
八人の撃退士たちは燃え上がる建物を見て、素早く行動に移る。
●旧館:潜入
「時間との勝負ねぇ。気合入れて頑張るわよぉ!」
作戦の骨子を決めた雨宮アカリ(
ja4010)が迷彩服に身を包み、人の群れと逆向きに走る。体をやや伏せ、大型のスナイパーライフルをものともせずに担ぎ、旧館へと進む。何事かと振り返る人々だが、その姿を捉えることはできない。慣れた動きに、アウルの力を得た彼女の素早さは一介の人間の動きを軽く凌駕していた。
だが、旧館入口は人があまりにも多い。たどり着いたは良いが、なかなかそこから先に進めない。
「Move! Move! 外に出たら消防隊員の指示に従ってねぇ♪」
アカリの呼び声でようやくゆっくりと動き出す。銃を持った異様な彼女の出で立ちに、ようやく我が身にも危険が迫っている可能性を理解したのだろう。そう、この火事が。
「火事の原因はディアボロだ。新館からの通路は抑えるから、落ち着いて誘導にしたがって避難してくれ」
蓮也が真実を明かすと、わっと人の群れが動き出す。
異界よりの化生、ディアボロ。さすがに、その災害は誰彼構わず降りかかることを理解していたようだ。
「大丈夫よぉ、私たち撃退士がいるんだからぁ」
少しパニックになるも彼らが撃退士であることを理解したのだろう。人々の動きが整然とされ始める。
「よし、およその人は捌けたな。予定通り、俺はエスカレータから向かう」
「了解よぉ、私たちはエレベータから上に向かうわぁ」
「俺も行くッスよ!」
マキナ(
ja7016)の言葉にアカリと龍斗と蓮也は頷き、奥へと向かう。
●新館:急襲
一方で新館に向かう組は、そう人の波に合わず、入口までたどり着くことができた。こちらの方はほとんど避難が済んでいるのだろう。だが、まだ取り残されている可能性がある。それを素早く発見、救出することも作戦の内だ。
「……また厄介な場所に現れてくれたものだな」
屋上を見上げながら、南雲 輝瑠(
ja1738)はそう一人ごちる。下に現れてくれれば、撃退も楽だろう。
しかし、なぜ、上に現れた? 一瞬だけ、その考えが過るが、そんなことは些細だ。はやく救出に向かわねば。
「新館のエレベータは遠隔で止めてもらいました。カメラからも中にいる人はいないらしいですね」
そう言いつつ、少しだけ遅れてカーディス=キャットフィールド(
ja7927)がやってくる。火事の避難アナウンスについては、すでに職員も避難誘導に当たっており、デパート内に流すことはできそうにないのが残念なところだ。
「それじゃ、行きましょうか、犬乃さん」
「うん」
犬乃と呼ばれた少女とも見える青年は、そびえたつデパートの壁を見上げる。
(大勢の人の危機を、放っておくなんてできないもん……父様の国の平和は、ボクが守る!)
犬乃 さんぽ(
ja1272)は心でそう誓い、能力者としての力を解放する。
タン、と地を蹴り、壁に足を着ける。左足が落ちる前に、右足を前に。そのパフォーマンス的な行動に群衆からどよめきが上がる。
あっという間に、人が小さくなる高さまで駆け上がるがその瞬間。
ドォォオオオオン―――!
ガスに引火でもしたのだろうか、火事の起きている階の一部が爆発し、瓦礫が降ってくる。
「おぉっと、危ないですね」
しかし、それを何ともなく、二人は避けて屋上へと突き進む。
わずかにぬれた顔を手で拭い、周囲を索敵する。すると、旧館側へふよふよと向かう明りをさんぽが見つける。
それは偶然だった。外回りより行かなければ発見できなかっただろう。連中にとって壁などないも同然だったのだ。
旧館側に体当たりして窓ガラスを壊し、中へ入っていく。すぐさま旧館側の人員へと連絡した。
●旧館:避難誘導
「ちょっ、犬乃先輩、それ本当ッスか!?」
「どうかしたのぉ?」
エレベータのスイッチを押していたアカリが、龍斗の受けた連絡を聞いてくる。
その間に、龍斗が現状を説明する。
敵の動きが早い。浮遊している上に天魔であるせいか、壁も空間配置も何もかもお構いなしだ。
それを見たさんぽがすぐさまに阻霊符を発動したとのこと。これ以上、壁や床を無視するような変な動きはされないだろう。
「となると、少し作戦を変更する必要があるな……」
常に予想通りとはいかないのが、急変する依頼現場だ。臨機応変さが求められてくる。
「とにかく、旧館の避難を急ごう」
「そうッスね」
蓮也と龍斗以外の二人は侵入してきたウィスプの封鎖が優先だ。さんぽの情報によれば、数は二体らしい。そこまで多くはない。二人で対すれば、何とかなるかもしれないが、二対二はきつい可能性がある。悩ましいところである。
ともあれ、三階に着くと同時に、蓮也と龍斗は降りて避難誘導に向かう。ディアボロがこの旧館に侵入してきたこと、落ち着いて避難すればまだまだ間に合うことを伝えると、ゆっくりと架橋から火事の様子を見物していた野次馬たちも蜘蛛の子を散らすように逃げだしていく。後は消防士たちの誘導に任せれば大丈夫だろう。
残りはここの封鎖だ。だが、本当に必要か。龍斗が周囲の消防士の人を呼びとめて聞いてみるが、この辺りはまったくの無事らしい。やはり、まだ上の方にいるようだ。
ということは、ここにいるより上に向かって撃破した方がいいか。蓮也と二人で相談し、そう結論付ける。
旧館5階に到着した二人は、すぐさま周囲を確認する。向こうに見える人影は、輝瑠と恭弥だろうか。救助対象と一緒にいるようだ。と、いうことはおそらくこの階層にはまだウィスプが来ていない。敵より早く来れたということは五階の封鎖の必要はそこまでなさそうである。しかも、さすがに旧館はここより上に人の気配は感じない。さすがに逃げ場が遠いのは危険を感じるためか避難し切っているのだろう。
「ここで食い止めるわよぁ! 消防士の方々の仕事増やすと後で怒られちゃうものねぇ」
蓮也と龍斗に連絡し、ちょうどエスカレータ側から駆けあがってきたマキナと合流する。後は、上にいるウィスプを撃破するだけだ。
●新館:索敵
時は少し遡り、旧館へのウィスプ侵入の情報は新館一階側から向かっていた面々にも伝えられていた。
輝瑠はそういうことかと得心する。上から現れたのはおそらく偶然だろう。たまたま、そこに高いビルがあって火のつけられそうな場所があったから。ただそれだけのこと。そして、そのまま浮遊して移動を続けるだけ。そういう行動なだけだったのだ。
「このあたりに敵はいない。やはり、まだ上か」
2階で恭弥は索敵を使うも、敵の姿は確認できない。そもそも煙も、まだここまでは来ていないだろうことが分かる。
「もっと上へ急ごう」
「あぁ……」
敵はきっとまだ上にいるのだ。
3階の店内、架橋、4階と調べていくが、この辺りにもまだ異変はない。吹き抜けを警戒する輝瑠の目には煙が近づいていることが見て取れる。六階より上は煙が充満していそうだ。急がねば。
しかし、4階から上へ上がろうとしたときに、音を拾う。これは……声。人の声だ。
そして、5階。そこには逃げ遅れていたであろう子供と、老夫婦、それに一人の女性がいた。
屋上より急襲したさんぽとカーディスは、悲惨な現場を目の当たりにする。火事のもっともひどかった場所だ。スプリンクラーはすでに故障し、あちこちで火の手が上がっている。先ほどガスの爆発があったせいか、煙は少ないが立ち込める熱気から、相当の箇所が燃えているのだろう。逃げ遅れた料理人たちだろうか、数名の焼死体もある。
ほんのわずかな黙祷を捧げて、先へ進む。
「酷い……デパートでお買い物楽しみにしてた人も多いと思うのに……ボク、絶対許さないから!」
さんぽが怒りを顕わにし、今回の惨事を引き起こした元凶を確実に滅ぼすことを誓う。
立ち上る酷い炎は、消火器で消しつつ、崩れた床などは持ち前の体術で壁を走り飛び越えて難なく索敵を続ける。
どうやら、すでにこの階層にはいないようだ。
崩れた床から、7階へ向かう。ここもすでにスプリンクラーが機能していないほどに火が広がっている。早くウィスプを見つけなければ……。焦るように探すが、まだいない。もう一階下か。
「何か、聞こえますね……」
感知能力に長けたカーディスが6階から走るような音を耳にする。
「もしかして、生存者!?」
しかし、なぜ走り回っているのか。直後、その意味に気づく。
「まさか、ウィスプに追い回されている!?」
気付いたさんぽがすぐさま6階へと駆け下りる。そこには火の玉に追い立てられるように駆け回る男性の姿があった。
救助対象を見つけた輝瑠と恭弥はすぐさま消防士へと連絡する。新館側から登ってくれば敵はいないだろうことも付け加え。これで、救助は間に合うだろうとほっと一息。よく見ると、老婆が避難時に足を挫いたのか、動きに支障があるようだ。だが、それ以上に取り乱しているのは女性の方だった。
「あの人が、あの人が……はやくはやく!」
何のことかと二人は事情をよく聞く。どうやら逃げ遅れた老婆と子供たちを助けるために女性の恋人があえて囮になったらしい。正義感溢れるとは言えるが、無謀だ。
二人は頷くとすぐさま六階へ向かう。
阻霊符による敵の動きの阻害、情報の共有そして迅速な行動と敵の感知が功を奏した。敵の位置は今、新館6階および旧館7階にのみに絞られ、救助対象もほぼ救出。後は殲滅するだけだ。
●新館:戦闘
「敵の数は三体ですか……」
ウィスプに追い回されている男性に全員が群がっているようだ。今はまだ余裕を持って逃げているが、到着が遅れていたら危険だっただろう。とは言え、三対二はきつい。何とか気をこちらに引きつけて後は救援を待つのが良いだろう。
そう考えた。だが。
「幻光雷鳴レッドライトニング!」
さんぽの構える蛍丸から深紅の雷光が迸る。一直線に放たれたそれは、男性を追いまわし、こちらに気づいていない敵にとって溜まったものではなかった。轟音とともに弾ける火の玉。そこには動きが極めて鈍くなったウィル・オ・ウィスプの姿があった。
「火の玉だってパラライズ!」
「………」
壮絶な破壊力にカーディスは言葉を失う。たったの一撃で、それも逃げまどう男性を避けつつも射線の中に敵が収まる一瞬の幸運を見逃さずに放つという、難度の高い事をやりのけた一閃。
高い集中力が引き寄せた幸運、あるいはその幸運を見逃さない事こそが高い集中力なのか。
ともあれ、三体もいた敵は一打で瀕死に追いこんだ。
ハッと、見惚れていたことから気を取り戻し、地に落ちたウィスプへスパイクの尖った足武器で踏みつけると一撃の元に霧散する。そこまで防御は高くないようだ。とは言え、先の強力な一撃が効いていることは言うまでもない。
さらに、ちょうどそこへ、恭弥と輝瑠も上がってくる。大勢はすでに決しているであろう。もはや、ウィスプに勝ち目は一分たりともなかった。
「時間をかけるほどの相手でもないな……最初から本気でいかせてもらう」
漆黒の竜のような闘気を身に纏い、鬼神のごとき一閃を放つ。冥府の力も得たその一撃は、麻痺しているウィスプに対して一溜まりもなく。一刀の元に斬り伏せられてしまう。
「ふん。終わりだな……」
両目にアウルを灯し、金色に発光させた恭弥の二丁拳銃から弾丸が乱射される。銃弾のすべてを受けたウィスプは完全に消滅した。
●旧館:戦闘
残るは旧館に侵入しているウィスプを排除するだけだ。6階に上がるも火の手なし。しかし、上階よりわずかに焦げくさい臭いが漂ってくる。恐らくは、ウィスプだ。
「これ以上燃やさせない。一気に決める……」
濡らしたハンカチを手に煙を吸わないよう、蓮也は急ぐ。そこには手当たり次第に体当たりし、火を付け回ろうとする火の玉の姿があった。今はまだスプリンクラーも作動し、小火だが、これ以上放っておけば大きく燃え広がるだろう。
「この火の玉が……こっちに来い!」
マキナが持参してきた水風船を火の玉めがけて投げつける。ダメージとしての効果はないようだが、それでもマキナを邪魔者と認識したのか、火をつけるのを止めてこちらへ向かってくる。
ハルバードを構えるマキナのその後ろから、ワイヤーが火の玉を絡めるべく迫る。マキナへと向かっていた一体は急激な方向からの攻撃に成すすべもなく絡めとられる。ついで、アカリの弾丸が火を噴き、一体を確実に撃ち抜いた。と、同時にその個体は霧散する。
水をぶつけられたせいか、怒り狂うようにもう一体もマキナへと突進してくる。彼が狙うは、技量の試されるカウンター。一直線に向かってくる敵に合わせてハルバードを振るう!
しかし、突如、軌道を変化させると予想外の方向から、マキナへと突進が突き刺さる。
「ぐぅっ……!」
さらに、聖なる炎が体を燃え広がろうとするが、体内のアウルを充満させ霧散させる。1対1で、向かえばなかなかの強敵だ。しかし。
「これで終わり……ミッション・コンプリート!」
さらなる龍斗の追撃で地に墜ちるウィスプ。もはや、大勢は決しただろう。止めに数人が攻撃を加えるとさしものウィスプも耐えきれず、消滅した。
●最終被害結果
新館8階全焼(撃退士到着時ではすでに手の施しようがなし)
新館7階半焼(消火活動により)
旧館7階小火(消火活動により)
襲撃直後被害者、12名(殉職者含む)
救助開始後被害者、0名
結果、素晴らしい成果を称え、のちに消防士たちより表彰が行われたらしい。
その帰り道、アカリはまだわずかに混乱の残るデパートへ花束を捧げに行った。
「戦死者の無念は生存者が晴らすものよぉ。だから安らかにお休みなさぁい。いい夢見てねぇ♪」
残り香のように、雨は降る。きっとそれは、死者を悼む慈愛の雨だった。