災厄を告げるかのように、アドヴェンティはただそこにある。天界、冥界両陣営が手を伸ばしているそこへ、人類もまたゆっくりと確かに手を伸ばしていく。
だが、それは容易いことではない。
特攻じみた依頼。そう、久遠 仁刀(
ja2464)は評する。いくら重要物とは言え、危険と分かっている場所へ、まるで道具を使い捨てるかのように投げ込むその意思。
それが、君田 夢野(
ja0561)は気に食わなかった。恵ヴィヴァルディー(jz0015)には一泡吹かせたいと思いつつも、そう容易くはできそうにないことに歯噛みする。どうすれば、裏を掻けるか。難しいところである。
「まだ、だれにも見つかっていないなら、手の打ちようはある、か?」
北条 秀一(
ja4438)がむすっとした表情のまま、そう告げた。退き際の見極め方、どこまで通用するか、そんな気持ちが湧いてくる。
ただ、実際に、本当に取ってこれるのか。取れるとは思えない蒼瀬 透(
jb0954)。
(でも、それほど強力なものなら。人を救う、世界を救うような……そんな鍵になる、かな?)
目の前で誰かが死ぬのは嫌だから、無理をするつもりはないけど。それでも、取ってこれる物なら取ってこようと意思を固める。
聖槍のことが気がかりなのは、犬乃 さんぽ(
ja1272)もだ。前回、直に聖槍を見た者の一人。そこでは天魔が入り乱れて凄まじい戦闘を行った。故に、聖槍を諦めざるを得なかったのだ。偵察はニンジャにお任せとばかりに、気合も十分。
まず、状況を把握しなければならない。
●
作戦としては、二班に分かれ行動。一班はクルドを連れての偵察、もう一班は黒百合(
ja0422)が変化した偽クルドを連れての囮班での行動と決まった。
それぞれ、迅速に分かれ行動を続ける。
「あのときだって、凄い数の天魔が群がって、争ってた……気を引き締めないとね」
そう言うさんぽの言葉に、慎重に動くクルド班。
しかし、続けるうちに妙なことに気付く。
「敵の気配がない……?」
草薙 胡桃(
ja2617)が周囲の音を頼りに、その事実に気付く。職員からの情報によれば、確かに敵はいるはずなのだ。しかし、今いる周囲には敵の気配がない。大規模に展開しているはずにもかかわらず、戦闘の音すら聞こえてこない。
「ならば、もう少し近づけるか」
秀一がそう言いつつ、進む速度を速めていく。クルドも文句も言わず、黙って付いてきている。
「クルドさん、神器の場所の特定は……」
「まだだ。もっと近づかねぇとどこにあるかまでかは分かんねぇよ」
クルドの言葉に、クルド班の五人は頷きつつ、聖槍があるであろう場所の近くまで潜り込み、潜むことを決める。
●
一方の偽クルド班は大胆に冥魔陣営の深くへと侵入していた。元より、見つかることが前提の囮に近い。その分、危険も多いだろうと推測されていたが。
敵が襲ってこない。こちらを見かけて、威嚇するような所作を見せども、積極的に攻めてくるようなことはしてこなかった。
「拍子抜けだな」
影野 恭弥(
ja0018)が思わず呟く。敵の巣窟となっているのだから、こちらに対して攻めてくる物と思っていたのだが、それがない。
黒百合が密偵の如く身を隠しながら、先を進むもそこにはグールを始めとした多くの敵が密集している姿しか映らない。神器もどこかに埋まっているのか見ることはできない。水平面からではなかなか状況を把握しづらいか。
「ふむ、我が様子を見よう」
雪風 時雨(
jb1445)がヒリュウを召喚すると視覚を共有し、頭上へと羽ばたかせる。
「そなたが頼りだ、そーっと飛ぶのだぞ!」
「ピキィ!」
了解と言わんばかりに、ヒリュウがそっと飛び上がっていく。その様子をそっと見守る時雨。我が子のお使いを影から見守る親の気分を味わっている時雨だが、敵陣営の頭上にまで近づいた直後にはそんな気分も消えうせた。
びっしりと集まる天魔の数々。数は数えることすら止めたくなるほどで。よくよく見れば、離れて東の方向に天使軍と思しき集団が、今いる西の方に冥魔軍と思しき集団が並んでいることが分かる。
その様子を見咎めたのか、飛行型のディアボロがヒリュウ目掛けて飛んでくる。あわやというところで、巨大な槍斧が飛んでくると、そのディアボロを撃ち落とした。天使陣営の攻撃かと思いきや、冥魔陣営から飛んできたものだった。
「同士討ち……? 何故?」
疑問に思う時雨の前に、いつの間に姿を現したのか、ディエンヘル(jz0135)とアシュラが立っていた。
強敵遭遇の連絡をボタン一つで黒百合はもう一班の味方へと連絡を取り、自身は撤退の素振りを見せる。
だが、二人は襲いかかってくる気配もなく。ただ撃退士たちを見ているだけだった。
●
敵遭遇と受け取り、クルド班は動き出す。
「今のうちに急ご!」
さんぽが周囲を遁甲の術で偵察してから、皆に進路を促す。敵勢力の布陣を胡桃は双眼鏡を覗きつつ割り出そうとするが、ごちゃごちゃした数の天魔がいるだけで、何が何やらさっぱり分からない。数も相当、種類も相当とだけである。
道中も警戒しているが、まったく遭遇しない。飛行型の敵も、自分たちの進んでいる場所には飛んでいない。透の懸念も確かだったが、それは遥か遠く敵陣の真っただ中で役に立つものだったのだろう。
まだ、退き際ではなさそうだと秀一は思う。見誤ることはしたくない。まだ、進めるのであれば、進む。
「本当に、敵に遭わないな……逆に不気味だ」
クルドの横で警戒している夢野が呟く。そう、逆に不気味なレベルだ。
そうこうしている内に、クルドの神器察知圏内に近づく。
「あったぜ、神器。だが、もうちっと近づかねぇと、どこにあるって正確には言えねェな」
「持ち去られたりはしていない?」
「あぁ、誰かが持っていると言うような感じじゃないな。布陣の位置からして……いや、正確なことはもっと近づかないと分からねぇ」
さんぽの疑問に、クルドが答える。
もう少しで敵の布陣へ入り込むほどに近づくことになる。
伸るか反るか。隠密の甲斐あって、いまだ遠くにいる敵にはばれていないようだ。
ならば、と。
「行こう」
秀一の提案で先に進むことを決めた。
そこから先は、さすがに難しい。まさに敵の巣窟。まともにぶつかり合ったら、即座にすり潰されるであろう敵の数々。敵の存在を察知すれば、夢野の提案で道を変え、透が上空にも注意して、近づくのも限界まで近づいたところ。
「これ以上は見つかると言うより、死にに行くようなものだ……」
「神器は? 分かるかしら?」
「アァ、あるぜ。天使と冥魔の布陣のおよそ中央。多分、瓦礫か何かに埋まってるんじゃねぇかね?」
秀一と胡桃に促され、クルドが能力を発揮する。胡桃の手にした地図に正確な場所を書きこんでいく。およその位置が掴めたことに、全員が諸手を上げたところで。
「こんなところで、こそこそと何をしているのかしら?」
背後より冷徹な声色が響いた。
●
「久しぶり! 元気?」
「あら、貴女は……」
「らしくないね? 目の前に強敵がいるのにお見合いなんて」
ディエンヘルは苦虫を噛み潰したような顔で、雨野 挫斬(
ja0919)の言葉を受け取る。
「えぇ、らしくないですね。とは言え―――」
そう言おうとした彼女の言葉を遮って。
「上からの命令でしょ? 私もよ。偵察最優先なんてつまんないよねー」
そう言う二人はフッと好戦的な笑みを浮かべる。
「ディエンヘル様、分かっていると思いますが……」
「分かっています! 交戦厳禁だと言うことくらい!」
交戦厳禁。その言葉に撃退士たちは疑問を覚える。目の前の神器に手を出すためなら、早くにでも手を出せば良いはず。何故、こんなところで睨みあっているのか。
「この場で俺たちとやり合う気もない、と?」
「えぇ、ありませんよ」
仁刀は武器を構えるも、しかし、ディエンヘルたちは構えることなく立っていた。自分だけがどこか気勢を張っているようで、虚しさを覚える。
この場で争う気はないというのだ。
そんな中。
「聖槍アドヴェンティとは一体、何だ? どんな力を持っている」
恭弥が問う。
「強力な魔具。傷つけた相手を塩に変え、容易く滅すると言われています。貴方たちもそのくらいは聞いているでしょう?」
使う者が振るいさえすれば、敵を一掃できるほどの。
だから、天魔はこぞって求める。
「それが、天界、冥魔界の手に渡るとどうなる?」
「陣営の戦局が傾きますね。言ったでしょう? 強力な魔具だと」
ただただ強い武器。戦局さえも引っ繰り返しかねない武具。それが、神器だと。ディエンヘルは答える。
「俺たち人類にどんな影響がある?」
「影響だと? 笑わせる。今にも先にも人類に勝ち目がないにもかかわらず。人間への影響など微塵も変わらん」
今度はアシュラが答えた。人類以外の手に渡ったところで、その武器が人類に向けて振るわれることなどあり得ない、と。所詮は人類ごときが刃向っても、現状ですら勝ててはいないでないかと言う意趣の表れか。
「それなら、天使陣営に渡るのを今から阻止してやろうか?」
「貴女達に協力して上げてもいいわよォ。天使陣営を足止めしててあげるから、先に神器を奪いに行きなさいよォ」
「要らぬ世話です。貴方たちごときに何ができると? かの有名な天使メタトロンを倒せるとでも言うのですか?」
その言葉に恭哉と黒百合は口を噤む。
ならば、せめて火種だけでもと。
「……神器は天使の陣の北端の瓦礫に埋まってるよ。天使が見つける前に回収したら?」
「そんな情報をどう信じろと?」
「ブラフにしたって、調べに行かないといけないよね?」
「それすらも無理なんですよ」
やれやれと言った様子で、ディエンヘルが答える。アシュラがそれ以上はと咎めるが、ディエンヘルは別に構わないでしょうと答える。知られてどうなるものかとも。そんな雰囲気を纏っている。
仕方ないとアシュラが疑問の様相を呈した撃退士たちへ告げる。
「『この星では比較的抑えられてきた天魔の闘争本能に火を点けた』と、そう言ったはずだ」
まともに天魔がぶつかり合えば、この日本と言う地域など焦土と化すと彼女は言う。そんな彼女の言葉に、ぞくりと、撃退士たちの背筋が粟立つ。
だが、それは天魔の望むところではない。故に。
「協定ですよ。互いの戦力を抑え合い、それで勝負すること」
今は、そのための準備期間であると。ディエンヘルは告げる。
「だから、人間。お前らの出る幕などない」
アシュラはぶっきらぼうにそう言った。
ディエンヘルも話はそれだけだと言わんばかりに背を向けた。
そして。
「ただし」
凄まじい魔力を開放しながら。
「これより先に進むと言うのなら、私も相手するのに吝かではありません」
進む者はどうぞ?
暗にそう告げたが、撃退士たちは一歩も動かない。
いや、動けない。火種を撒き散らすことを想定していたが、強力な天魔をも上回る確固たる大きな意思によって戦いが制限されていることだけが分かった。
だから、どうしようもない。こちらから相手を動かす理由が、すでにどこにもない。
意地を掛けてでも動かす前に、この冥魔の元で命を散らすことになるだろう。たった五人掛かりで、この敵二体の布陣を打ち破ることなど不可能だ。
やむなく、五人は撤退を決める。すでに、自分たちの任は終わったも同然だった。
●
ついに、ばれてしまった。さすがに近づきすぎたかと、秀一は冷や汗を流す。
声の正体は―――ナターシャ(jz0091)。
全員が一気に臨戦態勢へ入るも、ナターシャは何事もなかったのように構える。
後に判明するが、こちら『も』戦う気はないようだ。
「連れているのは……クルド。なるほど、そういうこと」
「クルド君に手出しはさせないよ、それが俺の任務だからな」
クルドの斜め前に立ち、彼を逃がすような配置を取りながら、寄らば斬らんと片手半剣を構えて夢野が気勢を吐く。
しかし、あっさりとこちらの意図を読んだにもかかわらず、仕掛けてくる気配はない。ただ、動きを注視し、睨みつけてくるだけ。
その様子に警戒しつつも、透が問う。
「その動きは、僕たちを見逃す、というのかい?」
「えぇ、貴方たちと戦っている暇はないわ」
まだ、警戒は解かない。だが、毒気を抜かれたのは確かだ。
意地でも、何をしてでも止めようと思っていた秀一は、その様に唖然とした。一体、どういうことなのか。
それを問うも、相手から返ってくるのは無言の圧力と。
「貴方たちに教える義理はないわ……ただ、これ以上、先に進むのなら―――容赦はしない」
冷静にそれだけを答えた。こんな場で戦うには不利だ。
(無理、か……取れる物なら行きたかったが、この状況は)
透は胸中で頭を振る。
「撤退しましょう」
胡桃がそう告げる。
神器の位置も掴めた。これは囮班が有効に立ち回り、なおかつクルドを連れた班も見つからない点に重点を置いて移動していたおかげだろう。
これ以上の長居は無用だ。神器がどちらの手にも渡っていないと言う情報だけでも十分なものだ。
仕掛けて来ないが故に、五人は素早く撤退に移る。帰りも見逃されているのか、手出しはしてこなかった。
かくして、天魔の坩堝から十人は生還する。各々、マッピングした地図と神器の位置という情報を手にし、危険を乗り越えてきた勇士として。
●
今回の依頼の結果、分かったことは以上の点である。
一つ、天使軍が東に冥魔軍は西に布陣している。互いに睨みあい、今はまだ交戦の時ではないようである。
一つ、その中央に聖槍アドヴェンティは眠っている。誰の手にも渡ることなく。
天使と冥魔。付け入る隙は、まだわずかながら人類にも残されているかのようだった。