地平線は遠く、大海原を仰ぐことができる。
天魔という存在がいるということなど、今にも忘れてしまいそうなほどだ。
晴れ渡る空に、青々とした海。
空が青いのは、海が蒼いからだと。
言い出したのは誰だろうか。
「でも、本当は違うんだってね」
何かの本で読んだ。常塚 咲月(
ja0156)が、そんなことをぼんやりと思いだす。
「ほぉ、そうなのか」
隣にいるのは、幼馴染の鴻池 柊(
ja1082)。知識を得ること旺盛な幼馴染の雑学を聞くのも悪くはない気分だった。
だが、暑い。
「熱中症だけにはなるなよ?」
そんな少しの浮かれた気分でも、思わず彼女を気遣う言葉が出てくる。
大丈夫、大丈夫という返事を向け、咲月は設置されている更衣室へ向かっていく。
そこから駆けだしてくる影。
「早くぅ! だーりん、早くぅ!」
「あはは! 待ってよ、ふゆみちゃん!」
新崎 ふゆみ(
ja8965)が待ち切れなかったかのように砂浜を駆け、その後ろからレグルス・グラウシード(
ja8064)が続く。
年相応の元気さを見せるふゆみの様子を見て、レグルスは可愛いと純粋に思う。
「だーりん、どう? ふゆみ、新しい水着買ったのぉ!」
このために辛く苦しいダイエットをしてきたのだ。胸の谷間を軽く強調するポーズを取るふゆみ。ちらと目にしては、恥ずかしく目をそむけるレグルスはそのくらいに純情だった。この年でビキニ姿を見るには少し彼にとって刺激が強かったりするのは、心に閉まっておく。
「か、かわいいよ……」
「えへへ……ふゆみ、うれしい」
褒められ、頭をなでられて嬉しげに体をレグルスへ近づける。
そんな恋人同士の様子を羨ましそうに、ソリテア(
ja4139)は見つめていた。
「一緒に、来れてたらなぁ……」
恋人を誘おうとしていたのだが、事情で相手は来ることができなかった。折角のチケットを、片手で弄び憂鬱な気持ちになり掛ける。でも、それも勿体ない。
パンと頬を叩いて、気分を切り替える。折角の夏の海だ。目一杯、楽しまなければ損というものである。
暑い夏。熱い夏。
夏という季節は人を大胆にさせる。
そう、色々と人を大胆にさせるのだ。
そっと手を繋いで浜辺を歩く月居 愁也(
ja6837)と霧咲 日陽(
ja6723)。
二人とも交際を始めて間もない。初々しさの残る二人。
「手、繋ぎましょうか」
俯きながら、そう言った日陽の姿は、思わず抱きしめたくなるほどに愛らしかった。
とは言え、そんなことができるほど、愁也もまだ彼女との近い距離には慣れていない。
「お、おぅ」
照れつつ、手を繋ぐのが限界だった。
浜辺を散策する。それも予定の内だった。
一方でとんでもないことを実行していた者もいた。
「ふっ、くふふふっ」
「カートライト、一体どういうことなのか説明してくれるかい?」
アラン・カートライト(
ja8773)は言っていた。
『戦闘依頼だ、一緒に行かないか? 海で天魔が暴れているらしい』
そう確かに言っていたはずだった。だが、待っていたのは何故かカップル認定された招待割引券を手にしたアランの姿だけだった。
「戦闘? 騙される方が悪い。あ、言っとくが、ここでは俺らカップルだからな?」
「は? ……この腐れ紳士! 前々から疑わしいとは思ってたけど!」
呼び出されてきてみれば、想像を絶するあり得ない状況。Alba・K・Anderson(
ja9354)がアランを口汚く怒鳴りつける。
「違ぇよ。俺はお前をおちょくりたかっただけさ」
「クソッ、お前を信じた俺がバカだったよ……」
暑さも相まってか、クラリと目眩を感じるAlbaであった。
砂浜は、焼けるように熱い。
熱いのは、本当に砂浜だけなのだろうか。
それとも。
桐生 直哉(
ja3043)は油断していた。自分のすることがどれほど大胆なのか、理解していなかった。
ドクドクと高鳴る心臓の音。そう、これほど緊張するとは思っていなかった。
どこか抜けている、誘っただけで成功した気持ちでいた過去の自分を殴りたい。
「誘ってもらったけど……良いんですか?」
「あ、あぁ、気にすることはないよ」
澤口 凪(
ja3398)の言葉に少し変な汗をかきながら答える。暑さのせいだけではない。
ごくり、と唾を呑む。今だ、言ってしまおうと思いつつも、何と答えてくれるのか、分からない。
きっと大丈夫なはずという思いと、もし駄目だったらという思いが交錯する。
「あ、あのさ……何か食べない?」
「はい、良いですよ」
貝殻を少し拾っていた彼女にそう言ってみると快く返事が返ってきた。
自分の思いの丈を伝えるには、まだちょっと時間が掛かりそうな気がした。かき氷でも食べて、頭を冷やそう。そう思い、海の家へ向かっていく。
その近く、血涙を流して、項垂れているゼロノッド=ジャコランタン(
ja4513)。
「さらばっ、男の尊厳……!」
体は女性だが、精神は男という特異体質の彼(?)にとってみれば、海となればこうなるのも無理はなかった。
男がビキニを着ることになるときの気持ちとは如何ほどのものかを想像すれば、彼(?)の様子も分からなくはない。
だが、体は女なのだ。胸を隠さなければならない。いたしかたない。
「ぐぬぬ……悔しくはないんだぜ……」
その横で恋人のギィネシアヌ(
ja5565)は歯噛みしていた。自分よりも女性らしい体つきの彼(?)を見て、である。
「でも、とても綺麗なのぜ、うん」
とは言え、綺麗な物は綺麗なのだ。その辺りは素直に認めるギィネシアヌであった。
大海原に、焼ける砂浜。
ここに来て、泳がない手はない。
影野 恭弥(
ja0018)とラズベリー・シャーウッド(
ja2022)は浅い部分で水泳の練習をしていた。
初めは浮き輪を片手に海へ入ろうとしていたラズベリーだったが、それでは面白くないだろうと、恭弥に水泳の教えを請うことになった。
プールでは泳いだことはあるが、ここは海。波もあれば、流れもある。さらに海水は塩辛い。どこか違う雰囲気が、普通に泳げない感覚を強くする。
ようやく手を掴んでバタ足するところまではこれたが、なかなか手を離せそうにない。
「手、手は、まだ離さないでくれないか……っ」
「分かってる。手は離さない」
恭弥の手を強く握ったまま、ラズベリーは泳ぐ。慣れるにはもう少し時間がかかりそうだ。
一方で、レグルスとふゆみは少し深いところまで来ていた。
「だーりん見て見て。ふゆみ、泳ぐのうまいでしょ?」
立ち泳ぎから、クロール。波と海流に負けず、まっすぐに泳ぎきる。
(ああ……きれいだな、ふゆみちゃん)
そう言うふゆみの泳ぐ姿に見とれているレグルス。そばにふゆみが戻ってくるまで、ぼーっとしていたことに気付かないのであった。
そして、同じように遠泳へ行こうとするAlba。だが、振り切る障害がひとつあった。
「おいおい、折角の海なんだから一緒に入ろうぜ」
「五月蠅い、ついてくんな!」
出だしからマイナスの印象を抱かせてしまった以上、Albaがつっけんどんに対応するのも仕方がない。
ハァと、アランはわざとらしくため息をつきつつ、しかし、普段見ることのできない姿を見るためだったら、彼は何でもする所存だった。
そう、Albaが眼鏡を外し、濡れた髪の毛をかき上げる姿を見るためなら。
はたして、アランの思惑通り、Albaはすでに眼鏡を外している。後は、海の中まで付いて行くだけだ。
「ほら、パーカー脱げよ。邪魔邪魔」
「触れるんじゃねぇ! この似非紳士が……!」
近づくアラン。逃げるAlba。それを見てけらけらと笑う。
結局は海の中まで付いていくことが許されて。
「水も滴る良い男だな、痴漢には気を付けろよ」
「やかましいって言ってるだろうが、カートライト!」
何だかんだ言って、同行することを意地でもにはとがめないAlbaであった。
その様子を遠くから見つめる影。
「おぉ、びえるとはかくありかし!」
バイト休憩中のアーレイ・バーグ(
ja0276)その人であった。いわゆるBLというものに興味津津の御年頃。しかし、それだけではない強者である彼女。
「そして、こっちは百合の花が……眼福眼福」
見つめるその先には。
「ほーれほーれ、ここか、ここが弱いのぜ? フフフフ……」
「わっは、ぎゃふっ、そこはだめっ!」
わきわきさせ、テカるオイルを手にゼロノッドをくすぐるギィネシア。端から見れば、じゃれ合う女子同士だが、れっきとした恋人関係である。
あの手この手を使って、体中をまさぐるギィネシア。
だが、彼女は忘れている。自分もサンオイルを塗らなければならないことを。
「ふーふふ、覚悟は良いですか、ギィネ」
「え、笑顔が怖いんだぜ。お手柔らかに頼むのぜ、うん」
もちろん、ただでは済まなかったことだけは記しておく。
メフィス・エナ(
ja7041)とアスハ=タツヒラ(
ja8432)は二人でビーチバレーを楽しんでいた。
白地に赤の花があしらっている水着は、メフィスの幼さも抜け成熟した肢体によく映える。力強く跳ね動く彼女の姿はとても美しい。アスハはそう思う。どこか、自分にはもったいないくらいだと。そうも思いすらしてしまう。
だが、何と言おうと自分の恋人なのだ。それを強く認識する。
日陽と愁也は、貝殻を拾ったり蟹を追いかけたり。少しずつ恥ずかしさも薄れてきた。
「よしっと……」
大胆な気持ちのまま、愁也は思いの丈を砂浜へとぶちまけて行く。
初めはにこにこ笑顔でいながら見つめていた日陽だが、何を書いているのか気付いた瞬間、顔を真っ赤にしてささっと距離を取る。
「できた……ってえっ、なんで離れてんの!?」
「やだ、愁也さんこっちこないでください。仲間と思われちゃう」
顔を真っ赤にしたままとてとてと走り去ってしまう。それを慌てて追いかける愁也。
波打ち際に記されていたその文字は。
LOVE。
そう書かれていた。
海水浴場と言えば、海の家。
それぞれは切って離せない。
海の家のバイト軍団。彼らもまた熱い夏の一つであった。
彼らなくば、この浜辺に来ている『お客様』たちに食事を提供することなどできないのだから。
「暑い……折角の海なのに某は何をやっておるのだろう……」
「ほら、きりきり働け、バイト」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)が女店主に扱き使われている。
撃退士からは唯一の男手ということで、このクソ暑い中での鉄板焼き担当を命じられていた。
「うわぁ……ま、頑張ってくださいな」
丁嵐 桜(
ja6549)が憐れむような眼で虎綱を見やる。この中での鉄板焼きは地獄だろう。
きっと撃退士なら大丈夫だとか言う女店主。
早々に日陰となる店の中へ桜と共に引き下がっていった。
「ぐぎぎ……」
捻り鉢巻きに汗が染み込む。迫る熱気を前に、虎綱は懸命に焼き蕎麦、たこ焼き、とうもろこしを焼く。
ただ、ひたすら無心に。たった一人で。
しかし、無心など不可能。
ふと、前を眺めれば、男女のペアで闊歩する姿が多々あるのだ。
「この恨みはらさでおくべきか……」
嫉妬という憎悪の感情が、シャツに染み渡る汗と一緒にじわじわ湧いてくるのだった。
だが、今はお客様相手だ。
「いらっしゃいませー! カップル様ですねっ♪」
まったく無意味な色気を振りまきつつ、アーレイが接客している。
「あ、いや、俺たちは……」
そこに入ってくる親子のような組み合わせ。喜屋武 竜慈(
ja2707)と、星海レモ(
ja6228)だ。
「もぅっ、今日一日くらい、僕の彼氏のつもりでいてって言ったじゃない」
小声で言うその声は、店員には届いていないが、竜慈の耳には届いていた。
「いや、無理があるだろう?」
「自己申告制なんだからばれないって!」
そう、今回の企画はなんだかんだ言って超適当だったのだ。彼らもカップル認定されて招待券をもらっている。
じっと上から見下ろす竜慈の視線には気付かず、レモはちゃっちゃと腕を絡めて席へ向かう。
「んと、ご飯もの、全部」
「全部ぅ!? ありあとやす……!」
咲月の端から端宣言に、虎綱が悲鳴を上げて、適当な返事というか叫びじみた何かを返す。
「じゃ、俺は焼き蕎麦大盛りで」
「ヘイ、リア充盛り一丁!」
「ちょ、えっ!?」
隣にいた柊をリア充扱いし、一つのパックにめりめりと焼き蕎麦を詰める。
リア充盛り。それは、虎綱が考えた復讐の一。
余計なお節介とも言えるが、カップルに対して大盛りをプレゼントするのだ。
どうせ二人で食べるのだからと。一つのパックに二人分。
お腹がいっぱいになれば、海で泳ぐのも辛かろうという魂胆もが含まれていたりする。
「あ、余計な分はお前のバイト代から引いておくな」
「ひぎぃ!」
見咎めていた女店主から、残酷な指令が飛び、虎綱が悲鳴を上げる。
「へい、お待ちぃ!」
(し、嫉妬が渦巻いているな)
パンパンに膨れ上がった焼き蕎麦のパックを虎綱から受け取りながら、柊は彼の様子をそう評する。これでも、まだ虎綱の眼はどこかぎらついていた。まだまだ、満足していない様子だ。
「ひーちゃん、大盛りで良かったね」
横では咲月がのんびりとした声でそんなことをのたまっていた。
そんな虎綱に下から見上げる視線。何事かと思うとチケットを片手に、ラズベリーが上目遣いで立っていた。
「おまけしてもらえたら……嬉しいな」
「あぁ、するよ。するする、しちゃうね!」
小等部とは言え、女子に頼まれて、いいえと言えない男、虎綱・ガーフィールド。残念なことに彼は非リア充に分類される。
もちろん、この分のお代は虎綱のバイト代から差っ引かれたのは言うまでもない。
「良かったな」
「うん」
恭弥に頭をなでられ、イチゴ味のかき氷の上にアイスクリームをおまけしてもらったラズベリーは、ほくほく笑顔で頷いていた。
「アイスクリーム、お待たせしましたぁ」
アーレイがわずかに胸を強調させながら、レモへとアイスクリームを渡す。カップル相手に無駄だと気付いていないのだろうか。
とは言え、偶然にも相手はカップルではない。だが、海の男たる竜慈には何も効果がなかった! 見慣れているからだろうか。
何事もなかったかのようにアーレイは接客に戻る。彼女もまた無意識の行動であるのか。それは分からない。
そんな無駄なやり取りがあった目の前で、もそもそとレモがソフトクリームを食べる。
(……そうだ、ちょっとくらいカップルっぽいことを)
レモが彼女っぽいことをするべく、竜慈の前にソフトクリームを差し出し。
「はい、キャンくん、あーんして」
そうのたまった。
普通の男ならうろたえるところだが、そこは海の男。度胸が違う。
「ん、くれるのか。ありがたい」
そう言うと、バクリ。一口の元、アイスの部分を口にした。
「う、うわーーん、誰が全部食べて良いって言った!」
「い、いや、お前が食べて良いって言うから」
「もーっ、次は僕が食べさせてもらおうと思ってたのにぃ!」
身長差のある彼女から、上目遣いの膨れた顔。
遠くから見ている虎綱が血涙を流しているが、それはそれ。
実際には、カップルでなく、友人同士のじゃれ合いに近い。
「た、食べ過ぎた俺が悪かった。お詫びにまた今度どこかに連れて行ってやるから……」
竜慈のその言葉を聞いた途端、レモの顔にぱっと笑顔が広がる。
「じゃあ次は夏祭り! ご飯はキャン君の奢りだよ?」
「全部?」
「全部」
しぶしぶだが、差し出された小指に小指を絡めてしまう。泣かれたりしようものなら溜まらない。
ゆーびきーりげんまんなど言っている横で、バイト代をどう捻出しようかと悩む竜慈であった。
なお、遠くから見ていた虎綱が血涙を以下略。
そんな彼らの後ろでは、本物のカップルがイチャついていた。
海の家で一休みしているレグルスとふゆみだ。
「はい、ふゆみちゃん……あーん、して?」
半額は一品のみ。ドケチと言われようとそこはそこ。運営上の掟だ。これ以上は、海の家が傾く。
そんな運営の思惑とは別に、一品のみという状況は、はたして恋人同士にはそれほど悪くないものだった。
「きゃーう、だーりん、やさしい……はむっ」
ふゆみが口を開けて、かき氷を運んでもらう。たった一品なので、恋人同士のお約束『あーんして』ができる状況になっていたりする。
当然のようにお返しもする。
互いに食べさせ合いをしているのを見て、愁也も目の前で日陽の食べているかき氷に食指が動いてきた。
「俺にもくれない?」
そう言って、口を開ける愁也。
一瞬、何を要求されたのか分からなくなり、固まる日陽であったが、その意味を理解した瞬間に顔が真っ赤に染まっていく。
慌てながらも真意は理解した。
振えるスプーンでそっとかき氷を掬い、恐る恐るといった様子で、愁也の口へ運ぶ。
「お、美味しいです?」
抹茶味のはずなのに、それはどこか甘い。
その様子をぼーっと眺める影。
「ちゃんと動け、丁嵐!」
「は、ひゃい!」
怒鳴られた桜が慌てたように接客を続ける。カップルを見ていたら、手がつけられないという体たらくだった。
気付いたらふゆみ&レグルスのペア、日陽&愁也のペアから目が離せない。こっそりしているつもりだったが、眼を光らせている店主から再び怒鳴られていた。
少し時間は経ち、昼も過ぎたころ。
海の方では、ゴムボートでブイの近くまで、咲月と柊は来ていた。
「月も来いよ。気持ちいいぞ」
「ん、私は良いかな」
ゴムボートから離れて、一時は泳ぐ柊。だが、一人で泳ぐのもなんだか寂しい。こちらを眺めるだけの咲月を見てふっと悪戯心に火が付いた。
そっとゴムボートに戻ると、ぐいと咲月を引っ張る。
「わ、きゃっ!?」
ドボン、と水飛沫をあげて、咲月は海の中へ転げ落ちた。
海中から見る景色。泡がぽこぽこと上り、太陽のある空はどこか幻想的な青色を映し出す。
それを余裕なく眺める暇などなく。
「ぷはっ……柊、意地悪」
「意地悪って。海に入らないからだろ? 綺麗だから泳いでみろ」
そう言って、手招きする柊だったが。
「だって、私まで離れたらゴムボートがどこか行っちゃうじゃない」
「あ」
すでに、少し流されている。そうゴムボートを放置するわけにはいかなかったのだ。
悪い悪いと良いながら、追いかける柊であった。
そして、海の浅瀬では。ようやく、ラズベリーが海での水泳に慣れ切っていた。
「上手いぞ、その調子だ」
恭弥はすでに手を離している。保護者感覚で付いてきた彼だが、ここまで楽しんでもらえれば幸いだ。
海の中から、ラズベリーは空を見上げる。
透き通った海は、空を良く映し出す。しかし、水の中からの風景はどこか幻想的で、普通に空を見るのとは違う感覚が面白い。
「ぷはっ!」
海の中から顔を出しながら、ラズベリーはそう思った。
何か嫌な予感を感じつつも、雨宮アカリ(
ja4010)はヴィーヴィル V アイゼンブルク(
ja1097)、ヒンメル・ヤディスロウ(
ja1041)、ソリテアと特に何事もなく気ままに過ごしていた。
「当たり前だけれど、周囲はリア充で埋め尽くされているわねぇ……」
げんなりしつつ周囲を見渡す。もちろん、自分たちは一般客として参加している。カップルかと言われれば、そうでない組も多数いるのだが、端から見れば男女のペアはカップルに見えて仕方がない。
「ほーら、アカリちゃん、これを着て浜辺に立てば、視線は独り占めですよ」
「さ、さすがに、それは遠慮しておくわぁ」
ほとんど、紐のような水着を手にしつつ、ヴィーヴィルが迫る。
「キミの美しさときたらどうだい、あの太陽より眩く、海より清く、その肌は浜辺より白い。羽の生えていない天使を見るのは初めてだよ。それとも人を堕落に誘う堕天使かな?」
「も、もう、姫ちゃんたら何言ってるのかしらぁ!」
ヒンメルがすらすらと歯の浮くような台詞を口に出す。
彼女たちの目的はアカリを目立たせること。しかし、やんぬるかな、本人が乗り気でない上に、カップルどもがさすがに目立っていた。
「あ、冷たいジュース買ってきたわよぉ。気分を崩すのは納得できるけれど、体調まで崩さないように水分の補給は……」
「もう、そうじゃないでしょ! アカリちゃん! ほら、今日くらいはくつろぎなさいな」
終いには、皆のためにジュースを買いに行っていたアカリ。どうしようもなく、サポート根性の抜けきらないいつも通りの彼女がそこにはいたのだった。
その頃、愁也は、泳ぎ疲れていた。ふっと思いつく大胆なお誘い。
それを彼女である日陽にそっと打ち明ける。
無理だと答える彼女だったが、ちょっとだけと頼み込むと折れてくれた。
それは膝枕。恋人同士であれば憧れの行為。
そっと膝を貸す日陽。そこにそっと愁也は頭を乗せる。
ふかふかと柔らかい肉に包まれ、最初はドキドキしていたものの。
「愁也さ〜ん……あらら、ぐっすり寝ちゃいましたか」
恐る恐る髪や頬を触っていただけだったが、幸せの重みを感じて、日陽はちょっとした悪戯を思いつく。
はたして、数十分後。
「あ、ごめ……ってこれ何!?」
いつの間にか寝入ってしまった愁也が、飛び起きて目にしたのは自分の腹にくっきりと残ったヒトデ型の日焼け跡であった。
ようやく、バイトから一時解放された虎綱。
折角なので、カップル共に絡もうと思っていたのだが、目の前で一人パラソルに佇む女性の姿。
したり、と。虎綱は声を掛けに行く。
「なぁなぁ、お主一人でござるか?」
「ん? あぁ、一人だよ」
今はね、と心の中で付け加えて、メフィスはそう答える。
ちょっとした悪戯心だった。
「それなら、某と少し遊んでくれぬか。一人でバイトに来たのはいいのだがのう」
「うーん、どうしようかな」
わざとらしく話を聞くメフィス。別に彼女は一人で来ているわけではない。
メフィスから買い物を頼まれ、遠くから彼女の恋人、アスハはその様子を見ていた。
(ナンパ、か……確かに、僕には勿体ないほどの女性)
お釣りの硬貨を受け取りつつ、この胸の奥から湧きあがる不快感は何だろうと思い、再確認した時にハッと笑う。一般的にそれは、こう呼ばれる。
(コレが、ヤキモチというやつか)
正体を掴めば、後は楽だった。会話だけしている分にはまだ良いかとも思う。だが、それより先は許されず。
「僕の連れに何か用か?」
一緒に行こうとやや強引に連れ出し掛けた虎綱の前に立ち塞がる。
それで虎綱は悟る。なぜ、彼女が頑なに誘いを断っていたのかを。
メラメラと湧きあがるしっとの心。それはついに爆発する。
「リア充死すべし!」
飛びかかってくる虎綱。しかし、暑さと熱さでやられたせいか、動きに普段通りの精彩はない。
あっさりと、アスハの突きが鳩尾に突き刺さる。
「うわらば!」
どこかで聞いたことのあるかのような断末魔を上げ、砂浜に突っ伏す。
沈黙を確認すると、二人は先へ行く。
そこにやってくるは。
「お客様に絡むとは何事だ。なぁ、バイト」
「ひっ」
般若。
そのままずるずると連れ去られていく虎綱であった。
そんな中、とんでもない告白をぶちまける男がいた。
「お前の犬になりたいんだ、躾けてくれよ」
アラン・カートライトその人だ。今回の問題児とも言えるか、この男。
Albaにとんでもないことを言ってのける。
それを溜め息一つ。もう慣れてきた。
「躾が無くても服従するのが正しい犬だろ? それも出来ないなら出直しておいで」
対するAlbaも皮肉気に一言返す。
くつくつと笑うアラン。
「言われるまでもなく、ご主人様」
わざとらしく、慇懃に一礼するとダッシュで海の家へ向かって行く。
やはり、あいつは面白い。そう思うアランであった。
自分の主たる資格ありと。何故かそんなことを思っていたりした。
夕方、日は地平線に沈みかけ、海を赤く染め上げている。
結局、こんな時間まで自分の気持ちを言い出せず、今もなお言いだせないでいた。
直哉はハァと思わず溜め息を吐いてしまう。
「えと、ごめんなさい。付き合わせたりしちゃって」
「あ、いや、今の溜息はそう言うのじゃなくて、何て言うか」
凪とは、彼女の要望である貝殻拾いにずっと付き合っていた。
彼の溜め息をつまらなかったからと思った凪は、謝る。だが、そうではないらしい。来た時から、どこか様子がおかしいのには気づいていたが、何故なのだろうか。
もしかすると……期待して良いのだろうか。
そんなことを考えて、頭の中で首を振る。
ありえない。自分の片思いのはずなんだから。彼も自分と同じ気持ちであるはずなんて。
でも、今日一日を振り返ってみれば。完全にデートみたいだった。
「ホントに、恋人なら。良いのに……」
そうすれば、こんな日が続くのだ。
最近は憂鬱だった。京都の事件以来、自分が撃退士となった事件を思い出してしまう。
それも、彼が恋人だったのならば。
きっと薄れるのかと思う。
そんな複雑な思いが絡みあって、こぼれてしまった言葉は。直哉の耳にわずかながら届いていた。
(ど、どういう意味だ? いや、そのままの意味だよな……)
波間に掻き消えそうな声に一瞬だけ混乱する。だが、ごくりと唾を呑み。
今しかないと、そっと拾った貝殻を凪の手に乗せる。
「そうなりたくて、ここに来たんだよ」
そう、はっきりと直哉は口にした。
「え……?」
一度、口にしてしまえば、後はスラスラ自分の想いがこぼれてきた。
「これからは恋人として、凪と過ごしていきたい。俺は怪我ばっかするし、心配ばかりかけるけど……それでも一緒にいてくれるか?」
緊張でか、貝殻を持つ直哉の手は少しだけ震えている。
「……はい、隣に、いさせて下さい」
凪は、にこりと笑顔で答えた。
その笑顔を見て、直哉は心が締め付けられる。
それはどこか―――作られた笑顔のような気がして。
「これからは、俺が側にいるから……もう一人で泣かないでくれ」
強く抱きしめる。
気付かれていたのかという思い以上に、凪の心に暖かさが満ちてくる。
ふと、気付けば頬が濡れていた。
「あ……嬉しい時にも涙って出るんですよね」
忘れていたなと口に出す彼女に万感の思いがこみ上げてくる。後は本当の笑顔と共に。彼の体に、すっと身をゆだねた。
「おー……らぶらぶ」
遠くからその様子を咲月が眺めていた。
「月、観察なんて悪趣味だぞ」
それを柊が窘める。
そんな二人を見てか、そっと咲月が体を少しだけ柊に預け尋ねる。
「ひーちゃんの事、大好きだよ? ひーちゃんも私の事、好きでしょ?」
「あぁ、大好きだ。咲月、俺は約束は守る。それまでは俺は月の所有物だ」
言い方によっては、恋人同士の物とも取れるが、しかし。彼らは近すぎた。
恋愛というよりも親愛。家族愛に近いのだろうか。
そっと柊は咲月の頬に口付けを交わす。
それは親愛の意で。
月が浮かぶ前。
暗くなる前に撃退士たちは学園の日常へ戻っていく。
熱い一日は終わりを迎えようとしていた。