●事前調査
「ねぇねぇー、この人について何か知ってるー?」
飯島 カイリ(
ja3746)は霧雨ユウヤについて学園内で聞き込みを行っていた。ユウヤの好みを把握するためである。カイリはまずユウヤの周囲から攻めてみることにした。
「なるほどー、ありがとなの」
カイリの一見幼く屈託の無い様子に、皆、快く答えてくれる。色々な話が聞けた。
「恋かぁ……(ボクはそういう出会いも無いからなぁ……)」
マフィアの娘として父親に苛烈なまでの殺人術教育を受けたカイリにとって、色恋はまだ遠い向こうの話のように思えた。
そんなことを考えながらあちこち聞きまわっていると、向こうのベンチに問題の人物が座っているのが見えた。ユウヤである。いよいよ本人に聞き込みだ。
「あ、何してんのー?」
カイリは出来るだけさりげない様子を装って尋ねた。ポーカーフェイスである。
「ん? 君は?」
「ボクはカイリ! おにぃちゃんは? こんな所で何しているのー?」
「カイリちゃんか。俺はユウヤだ。ちょっと考え事をね」
斡旋所で聞いた通りの冷たい美貌の持ち主は、あどけないカイリの様子に警戒感を持たなかったようだ。実はカイリの方が年上なのだが。
「考え事ー?」
「ああ。もうすぐバレンタインだろ? それでちょっとね」
「そっかー。ユウにぃは貰えそう?」
「ははは。どうかな」
「ユウにぃ格好いいからいっぱい貰えそうだね! ――ねぇ、どんなチョコが好き?」
●チョコレート作り
「今日はよろしくお願いします」
学園内に数ある調理実習室。その一室で工藤マサタカは頭を下げた。少し緊張しているようだ。
「いいわねぇ、愛ね、ラブね、青春ね! オネェさん全力で応援しちゃうわよ♪」
ユグ=ルーインズ(
jb4265)は艶やかにマサタカに微笑んだ。だが男だ。いや、オネェだ。
「食べた事はあるけど、作った事は無いのよねぇ。と言うわけで、アタシも一緒にチョコ作り参加したいわ」
実は皆でワイワイ楽しく作った方が、マサタカも緊張しないだろうという配慮である。
「チョコをチョコっと作っていこうかー、はっはっはー」
(華麗にオヤジギャグを言う私。さすが私)
千草 姫子(
jb1434)は生き生きとしていた。
(┌(┌ ^o^)┐ホモォ……違う違う四速歩行になってる場合じゃない!)
「チョコを作るのを手伝ってあげればいいんだよねー」
(乙女だねー、乙女心だねー、きっと受けだねー右側だねー。私は何を考えているんだ!そういう事じゃない!)
腐女子魂は準備万端である。
(親友への想いはやがて形を変え、いつしか恋心に……。イイね。王道だよー。是非とも応援したいね)
姫子が腐女子なら、御門 莉音(
jb3648)は腐男子である。年2回の某祭典でもそれなりの人気を誇るサークルで活動している。本人の性的指向は至ってノーマルなのであるが。
「……えぅ……。……依頼として受けたからには、出来る限りのことは致しますよぉ……」
月乃宮 恋音(
jb1221)はおずおずと言った。主張の激しい容姿(特に顔と胸)に反して内気で引っ込み思案なのである。恋音は同性愛に偏見はないが、責任のとれない学生同士の恋愛に対しては否定的、という立場であった。それでも、生来の真面目さから、自分に出来る限りのことをしようと思っていた。
「……ぅぅ……そうですねぇ……溶かして型成する、ハート型のチョコなどいかがでしょうかぁ……後はユウヤさんの好みに合わせて、味を微調整して……」
「はいはーい! ばっちり調べてきたよー!」
カイリが元気よくメモを取り出す。
「ハ、ハート型ですか……」
直球な提案に、マサタカは少し躊躇いがあるようだった。
「そうだな。気持ちを伝えるのであれば下手に凝ったものより単純で心を込めた方がいいと思うぞ」
強羅 龍仁(
ja8161)は淡々と言った。マサタカと同じ高校生の息子がいる龍仁は、マサタカを息子と重ね合わせ、父親のような気持ちで言った。同性愛等に偏見は無いが興味もない。ただ、息子もこんな悩みをするのだろうか……と胸中でぽつり呟く。
「気持ちを込めてしっかりと作るのじゃー、もちろんハート型じゃー。ハートで気持ちを伝えるとか、ハスハス!!」
姫子、絶好調である。
そんなこんなでチョコレート作り、スタートである。
「最初は……どうしたらいいんですか?」
「え、そのまま火にかけちゃいけないの?」
ユグがとぼけた声で言った。マサタカとユグがチョコレート作り、龍仁と恋音が指示、カイリ、姫子、莉音はお手伝いである。
「まず注意点だが、作業中水分がチョコに入らないように細心の注意を払うようにな」
「……ボウルもよく拭いて、湯煎の際も蒸気に注意して下さいぃ……」
まず、チョコレートを細かくする際に大きさを揃えて細かくする。チョコレートは製菓用のチョコレートを使用した。テンパリング後のツヤに差が出るためだ。
「テンパリングって、何ですか?」
聞き慣れない単語にマサタカが尋ねる。
「……チョコレートを溶かして固める時に行う、湯煎と冷水を使った温度調節のことですぅ……」
恋音が答える。
「……そのぅ……ただ溶かして冷やし固めただけでは、口溶けもツヤも悪くなりますぅ……温度調節をしながらゆっくり溶かすことによって、固まった後、口溶けやツヤのよいなめらかなチョコレートになりますぅ……」
「ほら、料理用の温度計だ。室温も25℃くらいに保つのが理想だな。テンパリング時にココアパウダーを使うと、冷やした後に剥がれやすくなるぞ」
「……僕にできるでしょうか……」
いかにもお菓子作り、と言った2人の解説で、急に不安そうな顔になったマサタカに、
「大丈夫だよ。皆がいるんだ。気楽に行こう」
莉音がゆるく声をかけた。マサタカは「そうですね」と言って、再びチョコレートに向き合う。少し気持ちがほぐれたようだ。
湯煎は50〜55℃で沸騰させすぎないように。チョコレートを溶かし、チョコレートの温度を40〜45℃程度になるように調節。
全体がなめらかに溶けたら別のボウルに10〜15℃の冷水を準備し、ボウルの底を冷水に当てて、ゴムベラでゆっくりと混ぜながら冷やす。温度が27〜28℃になったらすぐボウルを水から外す。
再びボウルを湯せんに2〜3秒つけ、すぐに湯せんからボウルを外す。湯せんに一瞬あてたり外したりを繰り返しつつかき混ぜ、30℃まで温度を上げる。
「こんなにしっかり温度管理が必要なんて、チョコレートってデリケートなのねぇ」
ユグが時々質問や感想を挟む。実は龍仁と恋音が解説しやすいように促しているのだ。
「僕も初めて知りました」
「でも上手に出来ているじゃないか」
莉音がマサタカを励ます。莉音のさりげない一言は気弱な所のあるマサタカの良い助けとなっているようだ。
その後もカイリが調べてきたユウヤの好みに合わせて、ナッツを入れたり、生クリーム入れたりしながら、問題なくチョコレート作成は続き、いよいよ形成である。型にクッキングシートを敷いてチョコを流し込む。こうすると剥がしやすく、綺麗に出来やすい。ここも問題なく終わった。
「この道具洗っておくねー!」
「あ。私も私も」
カイリと姫子がボウルやヘラを持って流しで洗い始めた。
チョコレートを冷やしている間、何となく手持ち無沙汰になった。そんな時、莉音が妙に薄い本を何冊か取り出して、マサタカに渡した。
「?」
「まあ、読んでみてよ」
「……これは……!」
莉音が渡したのは、初心者にもとっつきやすく、かつ今回のシチュエーションに似てるボーイズでラヴな本であった。莉音秘蔵のコレクションと今までサークルで出した中から見繕って、参考資料として持ってきたのである。
「ダイジョーブ。味方はたくさんいるよ。もちろん、今回の件はネタになんかしないから安心してね」
「あ、ありがとうございます……」
そう言いながら、マサタカはそう言えばチョコレート作りはまだ前哨戦に過ぎないことを思い出した。そう、本番はそこからなのである。
「告白はねー、した方が良いと思うよ? ボクは君みたいに、想いを捧げる相手はいないけど、想いを伝えられたら、伝えられた相手も幸せだと思うよっ」
カイリは同性が手を繋いでいたり、キスなどをしていても、全く違和感を感じない。むしろ見たい。
「愛の前には、いかなる壁も存在しないんだよっ!」
と、邪気のない満面の笑顔で。
「大丈夫だよマサにぃ、自信持って? しないと後悔するのは、マサにぃだよ?」
「いや、でも……」
「告白しちぇばいいよ!命短しー恋せいよー若人ー」
(カップリングーカップリングーヤッホーヤッホー)
自重しない姫子であった。
「ホモが嫌いな女子なんていません!」
(今、告白しないでいつする?今でしょ!チャンスですよ)
姫子さん、心の声と建前が逆になってますよ。これが腐女子クオリティ。
「このまま黙っていてもお互いに苦しくなっちゃうだけよ。貴方だけじゃない、ユウヤちゃんも苦しめちゃうわ。もしユウヤちゃんが何か悩んでいて、でもそれを彼から打ち明けて貰えなかったらどう思う? 助けられないって歯痒い思いするでしょ」
ユグも後押しする。
「それに男か女かなんて些細な事よ。貴方は『男だから』ユウヤちゃんを好きってわけじゃないんでしょ? ならいいじゃない。貴方の好きな人を信じなさい」
「そういう……ものでしょうか……」
マサタカの心は揺れ動いているようだった。あれこれ話している内にチョコレートが固まった。これにカラーシュガー・アラザン・チョコペンなどでデコレーションしていく。
「わーい、できたー!」
「ほっとしました……」
我がことのように喜ぶカイリと、胸を撫で下ろすマサタカ。
「でも、ここからが本番だよね」
「……はい……」
莉音の一言に複雑な表情で頷くマサタカ。
「告白するもしないもお前の自由だ。どっちを選んでもいい。ただ選ぶからには後悔はするな」
強羅はマサタカに真剣に向き合い、自分が後悔しないかを考えさせる。
「……私も同感ですよぅ……告白するかどうかは、工藤先輩次第ですよぉ……? ……後悔しない方を選んで頂くのが、良いと思いますぅ……」
恋音も同意見のようだ。
「……」
ラッピングをしながらマサタカは深く考え込んでいるようだった。ラッピングは「あいつはシックな感じが好みなんです」というマサタカ自身の意見によって上品なものが選ばれた。これで渡すチョコレートは完成だ。後は――。
「はい」
ユグがマサタカに今作り上がったばかりのチョコレートを手渡してにこりと笑った。
「安心なさい、本命チョコじゃないから…と言っても義理とも違うわね。えーと、応援チョコ?」
「ユグ先輩……」
「告白前にこれ食べて、どーんと突撃して来なさいな!」
どれだけ頑張って、想いを込めて今日チョコを作ったか、それを思い出せれば弾みもつくんじゃないか、そう思うユグだった。チョコレートを受け取ったマサタカは――。
「ありがとうございます、皆さん。僕……僕……告白してみようと思います」
決意を秘めた表情でそう言った。
「そうか、頑張ってこい。直前で怖気づいたら俺たちを思い出せ。俺たちはお前の味方だ」
龍仁がしっかりな、と肩を叩く。
「チューしちゃえ!チュー!」
姫子は最後までブレなかった。
●告白の結末
放課後のとある学園近くの公園。人影は2つだけ。マサタカとユウヤだ。夕暮れが2人の長い影を地面に映していた。
「どうしたんだマサタカ? こんな所に呼び出して」
「ユウヤ……俺――」
依頼を受けた撃退士達は少し離れた草むらから2人の様子を伺っていた。マサタカがユウヤにチョコレートを差し出した。戸惑う様子のユウヤにマサタカが何事か言ったようだった。しばらくの間2人の間に沈黙の帳が落ち、そして――ユウヤはそれを受け取った。そしてマサタカに笑顔で何事か言った。マサタカの表情は撃退士達には見えない。2人はその後しばらく話をし、ユウヤが立ち去った。
マサタカはしばらく立ち尽くしていたが、やがて撃退士達の元へゆっくりと歩いて来た。その表情は――笑顔だった。
「その様子だと――桜咲く、かな?」
「カップリング成立? 成立?」
ゆるく尋ねる莉音と鼻息も荒い姫子。
それにマサタカは――。
「いや――振られちゃいました」
と苦い――でもどこかすっきりしたような顔で答えた。
「マサにぃ……」
「そう……残念ねぇ……」
心配そうな表情を浮かべるカイリと、残念そうな様子のユグ。
「あいつ、ユキエのことが好きなんだそうです。僕のことは、気持ちは嬉しいけれど、友達以上には思えないって。でも、気持ちはすごく嬉しいって。ありがとなって言ってくれました……悔いはありま……」
最後の最後で、表情がくしゃりと崩れた。
「……えぅ……そうですかぁ……」
恋音はもっと声をかけてやりたかったが、うまい言葉が見つからないでいるようだった。
「よく頑張った。偉かったぞ」
龍仁がマサタカを優しく抱きしめた。
「今日は泣いてもいい、今は誰も見ていないし聞いていない……。思う存分泣くといい」
龍仁の包み込むような言葉に、マサタカは声を押し殺して泣いた。こうして、マサタカの初恋は終りを告げた。
●初恋の記憶
数ヶ月後、マサタカの元に宅急便が届いた。送り主は飯島カイリ。B5サイズの薄い荷物である。包装を破ると、いつか莉音に手渡されたような薄い本が現れた。
タイトルは”amara”。イタリア語で「苦い」を意味する単語である。読んでみると、名前こそ違うものの、内容は自分たち3人を描いたものだと分かった。心理描写を中心とした美しくも苦い初恋の物語だった。
マサタカは読み終えると、それを机の引き出しにしまった。
初恋の思い出を噛み締め、大切に大切にしまい込むように。