●善意と悪意
鳳 静矢(
ja3856)と言羽黒葉(
jb2251)はまず三島 トキコがどうやって一条 ツトムの連絡先を知ったかを調べることにした。恨みの度合いを推察するためである。強引な手段や執拗に調べていた場合はツトムへの殺意すらあるかもしれない。警戒が必要だ。
「簡単に撃退士の情報が漏れるものか……?」
そう言って静矢は首を捻った。学園関係者に不審な問い合わせが無かったか確認したり、ツトムの事を聞き回る人物が居なかったか調べたが、芳しい結果は得られなかった。
「分かったぞ。きっかけは一条の方からだ」
割り出したのは黒葉。静矢にノートパソコンの画面を広げて見せる。映し出されていたのは、トキコが毎日パソコンでつけている日記だった。そこにはこうある。
『○月×日 夫を見殺しにした撃退士の訪問を受けた。すぐに追い返したが郵便受けに、いつでも連絡下さい、と連絡先が置いてあった。分かった。連絡してあげる』
「凄いな、一体どうやって?」
静矢が尋ねると黒葉はクールな声で、
「ハッキングが得意分野でな」
と答えた。黒葉はトキコのパソコンにネット経由で侵入し、その中から日記を探し出して見せたのだった。
「しかし、これでは三島の恨みがどれほどかまでは分からないな」
黒葉が冷静に分析する。
「そうだねぇ……一応、警戒しておくにこしたことはないかな」
静矢はそう答えた、
●救えなかった後悔
並木坂・マオ(
ja0317)、神喰 朔桜(
ja2099)、武田 美月(
ja4394)、皇 夜空(
ja7624)の4人はツトムの元を訪れていた。出迎えたツトムは頬がげっそりと痩せこけ、顔色も悪い。光のない目の下には濃い隈ができていた。一行はワンルームの部屋に通されたが、部屋の中は散らかり放題。特に目立つのは、やはり散乱する恨みの手紙の山だった。そんな荒れ果てた様子を見つつ、まず、美月が口を開いた。
「犠牲者はたった一人っていうけど、『たった』で済まされる命なんか中々無いんだから先輩がその一人のことで悩むのは、それで良いんだと思うよ。でも、その一人は『先輩が殺した一人』でも、『先輩がわざと死なせた一人』でもないんだよね?」
ツトムは俯いたまま口を開かない。
「本当に辛いのは向こうの方なんだから、先輩こそしっかりしてなきゃ、ね!」
励ますように明るい口調で美月が言うが、ツトムは力なく項垂れたままだ。そんな様子に業を煮やしたのか、朔桜が口を開く。
「自暴自棄になるのは勝手だし、結構だけどさ。キミが望んだ願いは、祈りは。この程度で棄てられる安い物なの?」
ピクリ、とツトムが反応する。暗い目を朔桜に向ける。
「……この程度……だと……?」
「……この程度、だよ。人の手は如何したって小さくて。総てを救える様には出来ていない。それでもと言い出したら、それは傲慢じゃないのかな」
「……」
「でも、さ。救えない事があっても、行動を起こしている限りは救える事もある筈でしょう? ……今の君は、さ。率直に『悲劇のヒロイン』してる様にしか見えないよ」
「……なんだと?」
ツトムの声にほんの少し怒気がはらむ。
「……英雄は最初から英雄じゃないんだよ。怨嗟も慟哭も賞賛も憧憬も、清濁併せた何もかも。総てを背負い歩く気概は、ない?」
朔桜の言葉はナイフのように鋭い。だが決して傷つけたいが為のものではない。ツトムを立ち直らせんがための、あえての鋭さだ。
朔桜の言葉にツトムは初めて感情らしい感情を乗せて、
「俺は別に英雄になりたいわけじゃない。ただこの手で少しでも多くの人を守りたいだけだ。それだけだったんだ……でも、それでも救えない人はいる。そしてその人の親類縁者には、それが致命的になるんだ……俺は一体どうすればいい……?」
血を吐くように言った。
「仕方のないことなのだよツトム君」
夜空は神父らしく穏やかな声で語りかけた。先の依頼で重傷を負っている身だが、そんなことはおくびにも出さない。
「君にも責任はあっても、その勤めは果たしたのだ」
その言葉は優しく言い聞かせるように。
「その証拠に……美月君、あれを」
「はい。ツトム先輩、これ」
美月が手紙の束を手渡した。
「これは……?」
「先輩がこれまで関わってきた依頼について調べました。先輩が今まで助けた人達からのお礼の言葉です」
「ツトム君、何度でも言おう。君はその勤めは果たしたのだよ」
ツトムが受け取った手紙には感謝の言葉が沢山並んでいた。
「先輩のおかげで助かった命も確かにあるんですよっ!」
最後にマオが口を開いた。
「アタシにも助けられなかった命があってさ。今までは考えないようにしていたのかもしれないんだけど、一条さんのこと聞いたら、これはアタシの問題でもあるんだなぁって思っちゃって」
一枚一枚、ツトムは手紙を読んでいく。それにマオの声が重なる。
「確かに一条さんは三島さんを救えなかったかもしれない。奥さんに恨まれているかもしれない。でもじゃあ、一条さんが自殺でもすれば全てが丸く収まるの?そんなの絶対間違っているよ!!」
手紙を繰るツトムの手が震える。
「だいたい、そんな簡単に死ねるわけないじゃん。だったら腹くくって生きていくしかないよ。どんなにみっともなくても。トキコさんに『すみませんでした』って頭下げて、後ろ指差されたとしても、アタシは絶対に笑わない」
夜空がぽんぽんとツトムの肩を叩く。マオが続ける。
「――アタシ達は生きてて、死ねないんだ」
ツトムの頬を久しぶりの涙が伝った。
「先輩、三島さんに会う勇気はありますか?」
美月が優しく問う。ツトムは涙を乱暴に拭うと、
「うん。直接会って誠心誠意謝罪する」
そう答えた。その目には光が戻っていた。
●死を想う者
明くる日、三島邸の前に、マオ、朔桜、静矢、夜空、黒葉の姿があった。真新しい新築二階建ての一軒家だった。小さいながら庭もある。
いよいよ依頼の中核、トキコの説得である。まずは静矢がインターフォンを押した。ややあって女性の声で応答があった。
「――どなた様でしょうか?今取り込んでおりますので、またの機会に――」
「久遠ヶ原の関係者です。一条さんの事で伺いました」
インターフォンの向こうで絶句する気配。そして、
「私を捕まえにいらしたのですか?」
「今日は貴女の話を聞かせてもらいに来たのです」
ここで断られてしまっては話にもならない。静矢は努めて柔らかく優しい調子で声をかけた。それが通じたのかどうなのかは分からないが――。
「――お入り下さい」
がちゃりと玄関の鍵が外される音が聞こえた。
一行はリビングへと通された。淡い色調でまとめられた10畳ほどの部屋だ。トキコはショートボブの儚げな印象の女性で、とてもあんな手紙を送りつけたり、電話をかけ続けたりするようには見えなかった。お腹はだいぶ膨らんで来ている。トキコと5人の撃退士はソファーに腰掛けた。
「初めまして。唐突だけど――ツトム君に付き纏うの、止めて貰えないかな?あぁ、ツトム君が如何こうとかじゃなくて……三島さん、身重でしょ?身体に良くないよ」
朔桜が話をずばり切り出す。それに対してトキコは――。
「お断りします」
硬い表情できっぱりと答えた。
「あの男はあの人を見殺しにしました。あの人はこの子の顔も見ることも出来ずに亡くなりました。あんなに……あんなに楽しみにしていたのに……」
トキコの顔が悲しみに歪む。
「奪われた者の気持ちは分からんでもないがな」
黒葉が言う。黒葉も天魔に両親と右目を奪われた過去を持つ。共感できる部分もあるのだろう。
「……旦那さんはどういう人だったんですか?」
黒葉はトキコを刺激しないように優しく話しかけた。
「優しい……人でした。仕事が忙しいのに身重の私を気遣って家事をやってくれたり、私が出産を不安に思って情緒不安定になった時でも辛抱強く話を聞いてくれたり――」
カズオとの思い出がとうとうとトキコの口から流れ出す。カズオのことを語るとき、トキコの顔は少しだけ明るくなった。しかし――。
「それが、あんなことになるなんて――!」
そう口にした瞬間、トキコの目に憎悪の炎が燃え上がった。儚げだった顔が怒りに歪む。それを見て朔桜が言う。
「死を想え≪メメント・モリ≫――とは言うけどさ。少し想い過ぎだよ。溜め込んだ負の感情なんて毒にしかならない。お腹の子供まで、囚われるよ。そうしたら、真実独りになっちゃうよ。ううん、子供が産まれても、それでも死を想い続けたなら、やっぱり独りでしかないんだ。子供を置き去りにしてるんだから」
「私が忘れたら、誰があの人の無念を覚えていて上げられるというのですか! 例え神に見捨てられようと、私は独りでもあの人の無念を思い続けます!」
整然と言う朔桜の言葉は、激情に駆られるトキコには届かない。
「わたしの思いは、あなたの思いと異なり、わたしの道は、あなたの道と異なると、主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたの道を、わたしの思いは、あなたの思いを、高く超えている」
夜空が朗々とそらんじた。突然の言葉に、トキコも言葉を切って夜空の方を見つめた。
「イザヤ書第55章8−9節です。神の思いはなかなか分かりません。しかし今は分からなくても、振り返れば必ず見えてくる神の憐れみ、深い思いを信頼して下さい。いつの日か必ず理解できる日が来ます。そして、逝った貴女の夫はこんな事を望んではいません。生まれてくる子どもも、それを望んでなどはいません」
「そんなことをして何になる? 夫のためになるとでも思っているのか?」
夜空と黒葉が言う。
「これが! 私からあの人を奪う事が神の慈悲だと言うの!? それなら私は神などいらない!私は悪魔に魂を売ってやる! あの人はこんな事を望んでいない!? ええ、そうでしょうとも!あの人は死んでしまったのだから!!」
神の思いと人の思いについて諭し、今はここにいない者の思いを告げる夜空の言葉も、そんなことは無益だという黒葉の言葉も、トキコには届かない。
「あの人はもういない! この子のことをあんなに嬉しそうに語っていたあの声も、もう聞くことはできない。どうして!? どうしてあの人だけが死ななければならなかったの!? あの男が憎い!あの人を守ってくれなかったあの男が憎い!」
トキコの口から延々と呪詛の言葉が延々と零れ落ちる。かける言葉がみつからず、撃退士達はトキコの言葉を聞いているしかなかった。しかし、疲れたようにトキコが言葉を切った時、それまで黙ってじっと耳を傾けていた静矢が口を開いた。
「夫を亡くし、お腹に子どもも居て……どれくらいの絶望と不安か、私達には想像出来ません。ですが……一条さんが旦那さんを殺した訳ではありません。貴女も解っているはず……」
「……」
気持ちに寄り添えるような言葉を選びつつも、言うべき所ははっきりと、目をあわせて話す静矢。
「憤りと悲しみの行き場が無いのはわかります。ですが、今の貴女を旦那さんはどう思うでしょうか…よくやったと褒めるでしょうか。お腹の子供はどうでしょう…今の母親の姿を見て安心できるでしょうか」
「どうも思いはしないわ。あの人は死んでしまったのだから……この子だってまだ生まれてきていないのだし」
それでも、トキコの心は頑なだった。
「でもさ、このままだとトキコさん捕まっちゃうよ? そしたら赤ちゃんどうするの?」
何気ない調子で言ったマオの言葉に、トキコがはっと動きを止めた。
「父親も母親もいないで……子どもはとても苦労するだろうな」
黒葉もそれに続く。
「それは……」
言い淀むトキコにマオが言う。
「前に進まないと。あんなことしている場合じゃないよ。赤ちゃん生まれるんだからさ。ダンナさんのことを忘れろっていうんじゃないよ? 生まれてくる赤ちゃんに、優しいお父さんだったよって話してあげようよ」
続いて朔桜も、
「後ろを振り返るな、忘れろなんて言えないけれど……亡くした者に囚われるより、今宿る子供を見てあげて欲しいんだよ」
祈るような気持ちで言葉を重ねる。
「……私は……でも……でも……」
激情は去り、迷いが心を支配しているようだった。夫のことは忘れられない。しかし、生まれてくる赤ん坊のことも大切で。
「一条さんと一度ゆっくり話してみてはどうでしょうか?」
静矢が提案する。
「言いたいことを洗いざらい吐き出して、気持ちに区切りを付けたらどうでしょう?」
「……」
トキコは逡巡しているようだった。
「ツトム君もあなたに謝りたいと言っていました」
と、夜空も言う。
「……考えさせてください」
そう言って、トキコは顔を伏せた。撃退士一同は区切りと見て、三島邸を後にした。
●加害者のいない悲劇の結末
「『悪い人』はゼロ。なのに、『苦しむ人』はいっぱい……こういうの、良くないよ!」
そう言うのは美月。数日後、学園の一室に一同は集まっていた。黒葉の呼びかけに応じてである。
「二人の話し合いはどうなったのかねぇ……」
静矢も気になっているようである。
「皆を集めて、黒葉は何をするつもりなんだろうな?」
夜空が淡々と疑問を口にする。
「すまん、遅くなった」
黒葉がノートパソコンを抱えて部屋にやって来た。
「皆、揃っているようだな」
「黒葉ちゃん、今日はどうしたの?」
美月が尋ねる。
「ああ。また三島のパソコンをハッキングしたんだが……日記を見てくれ」
「どれどれ?」
朔桜を始め一同がディスプレイを覗き込む。
『○月△日 あの男と会った。男は涙を流して謝罪してきた。救えなくてごめんなさい、と。何度も、何度も。私はそんな男に溜め込んでいた激情を全てぶちまけた。何度謝られても、あの人は帰ってこない。でも私にはこの子がいる。捕まって、この子を独りにさせる訳にはいかない。納得した訳ではない。でも、手紙や電話はもうしない』
日記を読み終わった一同はなんとも言えない溜め息をついた。
「それからこれは、三島が新しく始めたブログだ」
黒葉がパソコンを操作すると画面が切り替わる。落ち着いたデザインのブログだ。最新のブログには、短くこうあった。
『私は生きていく。あの人のいないこの世界で、この子と共に』