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湯浴み。
古くは、紀元前にまで遡る入浴という文化。
衛生上、健康上の観点だけにとどまらず、精神的な癒し、また多くの人々が同じ時間を過ごす社交場としての役割を担ってきた。
だと――するならば。
その入浴を妨げる、『覗き』という行為は、卑劣な文化破壊に等しいのではないか。
それが、例え、男子風呂であったとしても――
――彼らが、そう考えているかどうかは別として。
既に三件の潮風寮が被害に遭っている連続男子風呂覗き事件。
依頼を受けた六人の撃退士たちは、覗き魔を捕まえるべく、次に犯人が現れると目されている、潮風第四寮へと集結していた。
時刻は、17時前。
事前に、被害に遭った三件の犯行時刻を調べていた、御手洗紘人(
ja2549)――こと、プリティ・チェリーによって、主な犯行時刻は18時から20時の間と割り出されており、念の為、その一時間前から張り込む事になったのだ。
「平和なリラックスタイムを取り戻すために頑張るですよ!」
そう言って、小さく気合を入れるのは、エヴェリーン・フォングラネルト(
ja1165)。
年齢の割に小さい体躯を気にしている少女は、珍しく男の子のような服装に身を包んでいる。多少動きにくくはあるが、犯人に見られる事を考慮した結果である。
「覗きなんて許せない! 女のて……いや、男でも敵だ! 絶対に捕まえて説教してやるぞ!」
緋色寄りの燃えるような赤い瞳に、怒りを宿らせ息巻く美少女――ではなく、姫路ほむら(
ja5415)。こう見えても列記とした男の子である。
「『男の子の身体を覗き見するなんて……うらやま……許せないよね!』」
紘人…いや、チェリーというべきか…も、私欲だらけの同意を返す。
半透明の管狐を従える魔法少女チェリーは、どうみても女の子だが、彼も身体は一応、男の子である。
「……二人とも、本音が微妙に漏れてるよ?」
苦笑いをするレグルス・グラウシード(
ja8064)は、外見中身ともに紛れもなく男の子である。
「なあ、キミたちのやり取りを眺めてるのも楽しいんだけど、そろそろ配置につかない?」
そう切り出したのは、儚い白銀の長髪を靡かせるアリーセ・ファウスト(
ja8008)。
彼女としては、もっと眺めていても構わないが、依頼が失敗するのは面白くない。口元に浮かぶ微笑みからは、そんな余裕すら感じられる。
「それじゃあ僕は庭に隠れて待ってるね。犯人が覗いたら捕まえる事にするから……囮の人はしっかりと覗かれて犯人を惹きつけてね」
話をまとめたのは、猫野宮子(
ja0024)。
控えめな印象を抱かせる金髪の少女は、ほむらとレグルスの男子二人組に視線を飛ばす。
「お、おう!」
不安を滲ませながらも胸を張る二人。
今回、六人の撃退士が覗き魔を捕まえる為に考案したのは、囮を使った作戦だった。
ほむら、レグルスの二人が囮として男湯に入り、残った四人が、考えられる寮への侵入経路へと張り込む作戦。
「『さ、覗き魔を捕まえて、お仕置きしてやりましょ〜☆』」
楽しそうなチェリーの号令の元、撃退士たちが動き出す。
連続男子風呂覗き事件――その解決の為に。
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「…………」
潮風四寮の男子浴場。
レグルスは、肩まで湯船に浸かりながら、窓へと視線を送った。
(…こうしてる間にも、見られてるかもしれないのか)
男だから、別に覗かれても構わない、と思うが、何とも居心地が悪い。
腰のタオルがズレないように細心の注意を払いながら、気を紛らわせるようにバシャバシャと顔を何度も何度も洗う。
「レグルス先輩ー、交代の時間ですー」
からから、と扉の開く音がして、タオルで身体を隠したほむらが入ってきた。
流石にずっと湯船に入っているのは辛い、と考えた囮役の二人は、一時間交代で入浴する事にしていた。
「うん、了解。特に変わった事はなかったよ」
レグルスは湯船から上がり、ほむらへと報告を済ませる。だが、頷くほむらに、何となく元気がないように見える。
「大丈夫? 辛かったらいつでも言ってね」
「あ、違うんです! 犯人は誰なんだろうって考えてて……」
先輩を心配させてしまった、と慌てるほむら。
男性であるほむらを、女性であると思い込んでいる風変りで迷惑な父親を持つ、ほむらにとって、犯人の正体は重要だった。最悪の場合、自分を捜す父親が犯人、という可能性もあるのだ。
「うーん、確か、顔は男性っぽいんだよね?」
レグルスは、二寮での証言を思い出す。
「はい。成人男性が確実に届くであろう位置に窓があった、一寮と三寮には、足場になりそうな物が残されているんです」
ほむらが指摘する通り、一寮には納屋から出したと思われる梯子、三寮にはゴミ捨て場から持って来たと思われる古新聞の束が二個、放置してあった。
「二寮では、腰くらいの高さの窓からの覗いていたんだよね?」
「でも、窓の外は塀で、寮との隙間は成人男性がギリギリ通れる程度の幅でした」
証言を纏めるほむらは、まるで物語から飛び出した名探偵のようだ。
芸能一家に生まれたほむらに備わった俳優としての才能。それが彼に名探偵の役割を演じさせているのだ。
湯冷めするのも忘れ、レグルスも負けじと考える。
「つまり、顔は男だけど……背丈は成人男性より低くて……あれ……?」
レグルスは、一つの“可能性”に辿り着いた。
数々の証言から導き出した、犯人の正体――その“可能性”に。
「レグルス先輩、どうかしましたか?」
「あ、いや……もしかしたら、何だけど、犯人の正体って……」
首を傾げるほむらに、レグルスが自らの推理を聞かせようと口を開いた、ちょうどその時――――
「犯人、確保だよ!!!」
窓の外が一斉に騒がしくなる。
数人の声と足音、そしてまるで何かが落下したような音を最後に、周囲は静かになった。
ほむらとレグルスは、一瞬顔を見合わせる。
二人は、外の様子を確かめるべく、急いで脱衣所へと向かった。
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――――時間は少し遡る。
男湯では、まだレグルスが視線を気にして顔を赤らめている頃。
見張り組の四人は、夜の暗闇の中、息を殺し、身を潜めていた。
「……やはり、虫よけスプレーを持ってきておいて正解だったね」
独り呟くのは、アリーセだ。
周囲を漂う藪蚊を横目に、アリーセは、庭の隅、草むらの中に隠れていた。
全く手入れがされていない寮の庭は、雑草が伸び放題で身を隠すには適しているが、それは覗き魔にも言える事だ。
「だとしたら、見張るのは、あの穴……だね」
アリーセの視界には、庭を囲む塀に開いた小さな穴がおさまっている。
証言から犯人が小柄である事は予想が付いている。だとしたら、侵入か逃走にあの穴を使う可能性は高い。
アリーセは、それを予測し、穴の見える位置に身を潜めていた。
「『もしも〜し☆、そっちは異常あった〜?』」
聞こえてきたのは、チェリーの声だった。
声の元は、チェリーが用意したインカム。見張り組は、念の為、連絡手段として音声による連絡と、メールによる連絡の二種類を用意していた。
「いや、何もないよ、そっちは?」
「『こっちも異常なし〜☆』」
音声のみでも星を飛ばす、魔法少女チェリーは、正面玄関を見張っていた。
覗き魔を警戒させないよう、寮生には普段通りの生活をしてもらっている為、人通りはそこそこあるのだが、これといって変わった事はない。
チェリーは玄関脇の茂みに身を隠しながら、覗き魔の到来を今か今かと待ち構えていた。
「『ふっふふ〜ん☆ お仕置きタイム、愉しみ〜!』」
男の子である紘人の顔で実に愉しそうに微笑むチェリー。腹黒魔法少女には、彼女なりの愉しみ方があるようだ。
「……塀の外から音がするよ!」
インカムから聞こえてきたのは、宮子の声だった。
庭に建てられら納屋の横に隠れる宮子は、位置的に最も塀に近い。彼女の耳には、塀の外を何かが蠢く気配がしっかりと届いていた。
インカムのボリュームを下げ、連絡手段をメールへと切り替える宮子。
その瞬間―――がさがさ、と雑草を掻き分ける音が、庭中へと響いた。
(――来た!!)
侵入者は庭の穴から入って来たらしい。
背の高い草むらに隠れるようにゆっくりと庭を進んでいる。
(草が邪魔で、よく見えないよ……)
誰かがいるのは分かるが、雑草に阻まれ姿までは確認出来ない。
宮子は意を決し、納屋の陰から出て、覗き魔を確認出来る位置まで、ゆっくりと歩き始めた。
覆い茂る草を踏み付けても、足音は決して響かない。宮子の心得る特殊な走法は、音を完全に殺し、覗き魔へと忍び寄る事を可能にしていた。
やがて、覗き魔が窓へと到達する。
宮子の位置からはまだ腕しか見えないが、それで充分だった。
低い位置にある窓へと手が伸び―――から、と少し開ける。
それが、まさに動かぬ証拠だった。
「犯人、確保だよ!!!」
宮子の声に、いち早く反応したのは、屋上に待機するエヴェリーンだった。
庭を見下ろす場所に潜んでいた彼女からも、覗き魔の姿までは確認出来なかったが、揺れる雑草のお陰で、位置はばっちり特定出来ていた。
「今、です!!」
宮子の声を合図に、エヴェリーンは思い切った行動に出た。
何と、そのまま屋上から飛び降りたのである。
両膝を下に向けたまま、覗き魔の頭上へと垂直落下。寮が二階建てである事と、エヴァリーンの体重が軽い事を計算した、まさに“天罰”ともいえる一撃。
当然、真上など警戒していなかった覗き魔は、為す術なく、降ってきたエヴァリーンの下敷きになった。
「目算成功です〜♪」
犯人を押し潰したまま、満面の笑みを浮かべるエヴァリーン。
そこに庭に潜んでいた、宮子とアリーセが駆け寄って来る―――が、二人が目にしたのは、意外過ぎる光景だった。
「……なるほど、これは参ったね」
やれやれ、と頭を振るアリーセ。
そのリアクションの意味が分からず、エヴァリーンは、自らの下敷きになっている覗き魔の“正体”を見た。
そこにいたのは―――彼女とそう変わらない年齢の、小さな男の子だった。
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「ご、ごめんなさいですぅ〜!!」
わたわた、と慌てながら、少年の頭を摩るエヴァリーン。
幸い、少年の怪我は頭に出来たタンコブだけで、それもエヴァリーンが掌から送り込む癒しの霊気によって、徐々に小さくなっている。
妙な幕切れだった大捕物から数十分。
風呂から出てきた囮組、玄関を見張っていたチェリーも駆け付け、覗き魔の正体であった少年を囲んでいた。
「……やっぱり、犯人は子供だったか」
それは、レグルスの閃いた“可能性”の通りだった。
成人男性ならば届く高さの窓を、足場を使って覗いていた事。
そして、幅の狭い通路で、低い位置の窓を覗けるのは、そんな場所でしゃがむ事が出来るほど、体躯の小さい人間、という事になる。
「親父じゃないのはよかったけど、まさか子供とは……」
ほむらとしては一安心だったが、あまり後味は良くない。
それは、みんな同じ感想だったが、自称魔法少女だけは容赦がない。
「『でも〜、子供だからって、覗きが許されるワケじゃないよね〜☆』」
お仕置きを愉しみにしていたチェリーは、毒のある笑みを浮かべる。
少年は怯えているが、罪は罪、罰は罰。チェリーは彼女なりの平等さを持って、それにふさわしいお仕置きを下すつもりだった。
「そうだね。まずは、何でこんな事をしたのか、聞かせて貰おうかな?」
切り出したのは、宮子だった。
事態の大きさを呑み込んだのか、少年はたどたどしく、事の真相を語り始めた。
―――少年が、ディアボロに襲われたのはちょうど一年前の事だ。
絶体絶命の彼を、身を呈して救ったのは、撃退士である男子生徒だった。
少年は助かったが、背中に重傷を負った男子生徒はそのまま搬送され、結局、名前もその安否も分からなかった。
一年が経ち、せめてお礼が言いたいと考えるようになった少年は、その男子生徒を必死に捜し始めた。
だが、手掛かりは、男子生徒が落とした生徒手帳を拾った時に見た、一瞬の記憶。
男子生徒が、“潮風”の付く寮に住んでいる、という事だけだった。
「え、えと、じゃあ、寮の人に聞いて回ればよかったんじゃないいでしょうか…?」
おずおず、とエヴァリーンが尋ねる。
「でも…その…撃退士の人たち、何となく…怖くて…迷惑かなって思って…」
“怖い”とまでは言えないが、“変わった”外見の生徒が多いのは、否定出来ない。
委縮してしまった少年は、せめてどの寮にいるのかを調べてから、尋ねようと思ったのだ。
「……なるほど、重傷を負ったなら背中に傷が残ってる、と思った訳か」
少年の言葉を、アリーセが続ける。
自分を助けてくれた撃退士を捜す為―――それが、この連続男子風呂覗き事件の真相だった。
「どんな理由があろうと、覗きは犯罪だからもうしちゃだめだよ。覗かれた方も迷惑するしね」
そう言って、宮子は少年を優しく諭す。
事情はどうあれ、少年の行為が一騒動巻き起こした事には変わりないのだ。
「……で、どうするんだい? キミたちは、彼をお仕置きするのかい?」
どことなく見透かしたようなアリーセの言葉に、一同は顔を見合わせる。
「反省してるみたいだし、俺は、このまま寮の人たちに引き渡せばいいと思うぜ」
ほむらの意見に、撃退士たちは無言で賛同する。
お仕置きに拘っていたチェリーも渋々、それに頷いた。
「『仕方ないな〜、今回だけ! 今回だけだからね!☆』」
やはり不満そうなチェリーだったが、彼女の用意した罰は、少年には少々大き過ぎるものばかりだったようだ。
こうして決まった少年の処遇。
少年は、安心したように、何度も何度も、頭を下げた。
「やれやれ…まったく、何だか疲れたよ」
少年を寮生に引き渡し、ほっと息を吐くレグルス。
もしもこんな依頼を受けた事が恋人に知れたら、きっと笑われてしまうだろう、と独り微笑む。
「『さて、無事事件も解決したし、チェリーお風呂に入ってこようかな〜☆』」
そう言って、寮に向かおうとするチェリーをほむらが止める。
「え、いや、身体は殿方だからいいのか…殿方の、身体…殿方の…身体…きゅう〜」
妙な声を漏らし、卒倒するほむら。
どうやら風呂で見たレグルスの裸を一瞬にして思い出してしまったらしい。
「だ、大丈夫ですかー!?」
倒れたほむらに駆け寄るエヴァリーン。
そんな様子を宮子とアリーセは微笑みながら眺めている。
「んーボクもお風呂に入りたくなりました」
「フッ、偶にはみんなで入るのも、悪くないかな」
こうして、男湯が覗かれる、という奇妙な事件は、撃退士たちの活躍により、無事解決したのだった。
ちなみに、後日談。
少年を救った男子生徒は無事に発見された。
覗きをした少年への罰は、寮の風呂掃除を手伝う事。
勿論、その後に、命の恩人と一緒に風呂に入る事も含めての――罰である。