ごごごご。がりがりがり。
小山並みの巨体が揺れている。ばりばりと音を立てて、亀のような見た目の天魔はビルを齧っていた。
「……効いてる気がしないです」
小柄な少女は巨影を前に、身の丈よりも長い槍を持て余している。
笆 奈津希は健闘していた。そもそも一対一で戦うべき相手ではないのだ。致命傷を負うことなく敵の足止めができている現状は、少なくとも最悪の状況ではないだろう。
それというのも、相手が全く奈津希を無視している為であった。亀の足が止まっているのは食事に集中しているからであって、奈津希の奮戦が功を奏しているとは言い難い。
「火力、手数……どっちもたりない感じですか」
右前足に攻撃を集中している奈津希。その成果は相手の皮膚の表面に、ささやかに傷をつけた程度であった。
「……まあ、いいです。ないものねだりは無意味ですし」
ひゅん。槍の穂先が鳴いた。
●敵影
「まさに怪獣映画さながらって感じだな」
遠巻きに様子を伺っているだけで相応の迫力が感じられる相手である。蒼桐 遼布(
jb2501)が呟いた例えは最適と言えよう。しかし今、彼らの目の前で壊されているのは人々が暮らしている街並み。これ以上、被害を広げられるわけにはいかない。
「とんでもなくでっかいカメですね……」
レグルス・グラウシード(
ja8064)は素直な感想を口にした。亀と聞いてひっくり返してやろうと考えていたものの、そう簡単に実行できる作戦ではなさそうだ。織宮 歌乃(
jb5789)も敵の大きさに唖然としていた。
「……驚いて口を開けている間に、街を壊されてはなりませんね」
戦場へ赴くのは、歌乃にとって初めてのことである。争いを嫌う彼女だが、ここで天魔に背を向けることはできない。赤き獅子の娘として、歌う祈りの刀を以て、如何な敵でも祓うのみ。
「ここまで巨大な天魔が相手なのは初めてですか」
金鞍 馬頭鬼(
ja2735)にとっては、今回の依頼が初の対大型天魔戦であった。とはいえ、やることは今までの戦闘依頼と変わらない。必ず討ち取る。それだけである。
「大きくて、硬くて、鈍い……」
目的は街の破壊――わかりやすい敵だ、とリアナ・アランサバル(
jb5555)は思った。必要なのは味方の連携。てんでばらばらに攻撃していては、たちまち日が暮れてしまうだろう。
「ふむ、なるほど」
隻腕の悪魔であるインレ(
jb3056)は、ただ一人で巨大な敵に打ちかかり、槍を振るう奈津希を見て嘆息した。お世辞にも要領の良い戦い方ではない。だがしかし、無謀とも言えるその姿は、彼が拳を握る理由足り得た。
そんなインレに向かい、新井司(
ja6034)が言葉を投げる。
「キミ、こういうのと戦ったことあるの?」
何気ない質問。その中にはわずかに棘がある。司は以前、模擬戦でインレから惨敗していた。敬意を抱くと同時に対抗心を燃やされる相手だ。
そんな彼女の内心を知ってか知らずか、インレは司に飄々と返した。
「あるよ。随分前に駆けっこを、な」
「……そう。まあ、余計な世話だろうけれど気をつけて」
「潰されぬよう用心しよう。新井も滑って落ちるなよ」
ふ、と英雄志願者たちは口角を上げた。相対した経験のある両者だが、その本質は通ずるものがある。いわば同志である彼らの間には、見えない繋がりが確かに存在した。
「んじゃ、作戦開始といこうぜ!」
ひゅん。鉄数珠が唸った。獅堂 武(
jb0906)の言葉に撃退士たちは頷き、一斉に動き出す。
●背甲の陣
「――って、ホントでけぇな!?」
亀の進路上、通り沿いのビルの屋上で、武は改めて敵の大きさを思い知った。いくら撃退士の体が頑丈とはいえ、あの巨体に押し潰されれば命は無いだろう。
「やりたい放題ぶっ壊しやがって……タダじゃおかねえ!」
鉄数珠を巧みに操り、ワイヤーアクションさながらの動きで甲羅へ近づくと、亀が周囲をうかがうように首を動かした。ようやく亀が撃退士たちに興味を示したのは、別働隊のレグルスが阻霊符を発動させたからだろう。
「まずはこっちを向いててもらうよ……」
武が居る位置から通りを挟んだ向かい側、壁走りで移動していたリアナが翼を広げた。舞い上がるリアナとは逆に、建物の屋上から甲羅目掛けて飛び降りたのは司だ。落下の衝撃を上手く殺す。シューズに付いたスパイクが不快な音を立てた。
「……さて、ここからね」
「伊達や酔狂で甲羅を背負ってるわけじゃなさそうだ」
翼で飛翔していた遼布が合流し、少し離れた地点に武も着地した。上空では、亀の頭目掛けてリアナが十字手裏剣を投擲している。
「こっちから気が逸れてる今がチャンスだぜ!」
鉄数珠から斧へ持ち替えた武が、力任せに甲羅を叩いた。片刃の戦斧は激突音の後、武の手に重い衝撃を伝える。
「かってえ!?」
「こいつ向きの相手らしいな。螺旋 active, Re-generete!!」
遼布がドリルアームで亀の背を穿つ。周囲に響く轟音とは対照的に、甲羅へのダメージはそれほど見られない。
「だったらこれはどうかしら、ねっ!」
宙返りからの急降下。自身の背の上に放たれた強烈な一蹴に、それまでリアナに集中していた亀の視線が動いた。意識は上空から後背へ。自分に敵意が向けられたことを、司は感じ取った。
(よし、これなら――)
作戦通りに行ける。手応えを感じた司と、振り返る亀の目が合った。
「伏せろ!!」
遼布が叫ぶ。重い風切音が甲羅の表面を薙いだ。
亀の背に乗る人影が、一人消えた。
「っ!!」
リアナが全力で飛ぶ。鞭のようにしなった尻尾の横薙ぎ、それに巻き込まれて宙に投げ出された司がビルに激突する前に、その体を受け止めた。亀から離れた建物の屋上へと急行する。
「……ヤバいな」
再び鉄数珠に持ち替えた武がリアナの後を追う。その表情に先ほどまでの余裕はなかった。
●勇者か愚者か
第一段階。甲羅班が対象の注意を引きつける。
第二段階。奈津希に合流した攻撃班が右前足を潰し、動きを止める。
第三段階。頭と首に攻撃を集中し、敵を討つ。
以上が、今回立てられた作戦の大まかな流れである。
そして現状。甲羅上に残っているのは遼布ただ一人。アームドリルから召嵐霊符に持ち替えて頭部へ攻撃し、なんとか亀の気を引き続けている。
「僕の力よ! 敵を貫く、白銀の槍に変われッ!」
このままじゃダメだ。レグルスはヴァルキリージャベリンで遼布の援護に回った。出来ることなら負傷した司の元へと向かいたいが、今、最も危険な立場にいるのは間違いなく遼布だ。
「そう簡単にはいきませんね……!」
スナイパーライフルを手にした馬頭鬼は、スコープ越しに亀の目を狙った。次第に興奮してきたらしい亀は常に頭を振り回している。放つ弾丸のことごとくが狙いから外れ、硬い皮膚上を跳ねた。
「どうしますか」
援軍から作戦を伝え聞き、一時後退していた奈津希が尋ねた。その隣では、歌乃が唇を噛んでいる。
今にも飛び出して行きそうな若者たちを、インレは片腕で制した。ちらりと司たちがいる屋上を見る。今頃は武が治癒膏を施しているだろう。リアナが前線に復帰する気配は無い。だが現状維持では状況が好転しないことは明らかだ。
「作戦通りに動こう。逸らずにな」
「ですが、司さんたちが――」
「心配は無用だ」
歌乃の台詞を遮るインレの視線は、巨大な天魔に向いていた。当初の予定とは異なる乱雑に作られた隙。好機であることには違いない。全力を叩き込めば、或いは。大剣を握るインレの手に力が籠もった。
「……わかりました」
すぅ、と歌乃は息を吐いた。憎むな、妬むな、怒るな。母の教えを心中で反芻し、昂る感情を鎮める。『雪祈』と銘打たれた刀が白き燐光を纏った。
「祈りの炎獅子を宿し――雪祈よ。歌いなさい」
光が熱を宿す。雪のような白は、燃えるような赤へ。緋色の獅子へと姿を変えた焔が、標的へ向けて疾駆する。獅子は亀の右前足に噛み付くように激突して四散した。
「では、行くとしよう」
「了解。露払いは任されました」
獅子の特攻に続き、インレと奈津希が並走する。巨体が通り沿いの建物を削り、上空から瓦礫の霰が降り注いだ。奈津希の槍の穂先が躍り、それらを次々と叩き落とす。
「――この一撃は存外に効くぞ」
練り上げた気を繰り出す。腕から柄へ。柄から刃へ。折れているとはいえ、対大型天魔用に鍛えられた剣だ。アウルの力に阿修羅の技を合わせた一閃が、亀の右前足を大きく抉る。
しかし、足りない。未だ巨体は倒れず、亀の意識はインレに向けられた。ハンマーを振り下ろすかのような首の動き。路面を砕いた一撃は、土煙を朦々と巻き上げた。
「……やれやれ、遠慮を知らぬ亀だ」
砂塵から飛び出したインレは直撃を免れていた。『化勁』が成功していなければ、軽傷では済まなかっただろう。後退したインレに気づいたレグルスが、亀への攻撃を中断した。
「僕の力よ、仲間の傷を癒す光になれッ!」
「っしゃああああああアァッ!」
回復魔法を唱えるレグルスの後方、馬頭鬼が咆哮した。スナイパーライフルを投げ捨てるように具現解除しながら敵に迫る。白と黒が反転した瞳で目標を睨み据えた。インレがつけた傷は深い。あそこにもう一撃ぶち込めば――!
全身の血管が浮き上がり、まさに鬼と化した馬頭鬼目掛けて亀が首を薙ぐ。歌乃の持つ『雪祈』が再び歌った。亀の頭部の軌道上に緋獅子が立ち塞がる。獅子は頭の勢いを相殺し、馬頭鬼の疾走を邪魔させまいと猛る。
「護りは私が致します。十全を以て攻め立てて下さい」
「いいぜェ、任されようじゃねえかァッ!!」
馬頭鬼が右前足に到達するまではさらに数瞬を要した。今度は叩き潰そうと振り上げられる亀の首。天魔の視線の先に黒い翼が翻った。
「余所見は感心しないな。お前の相手は俺だろう?」
螺旋が唸った。遼布の一撃が亀の片目を抉り取る。苦悶の声を上げる天魔の足元、そこに黒煙を撒き散らして走る『鬼』が、ついに到達した。
「とっておきのをもう一発――食らいやがれッッ!!」
馬頭鬼渾身の掌底が炸裂し、傷だらけの亀の足は文字通り圧し折られた。
●駆ける
「……大丈夫。傷は浅い」
目を開けた司に、リアナが告げた。全身の骨が砕けているかのような鈍い痛みが、さざ波のように押し寄せてくる。呻き声一つ上げまいと、司は歯を食いしばった。
「こんなもんだな。俺のスキルじゃ完治まではいかねえ……立てるか?」
武が差し出した手を握る。少し動いただけで体が悲鳴を上げた。涙が滲んでいるのは痛みのせいだ、と司は思った。
油断していないつもりだった。慢心もないはずだった。しかし上手くいかなかった。仲間たちに迷惑をかけた。
――失敗した。
そんな弱気な考えを頭の隅に追いやり、司は短く問うた。
「天魔は?」
「足狙い班と蒼桐が頑張ってる……」
リアナが地上を指差した。自分たちがいる建物の屋上からはだいぶ距離がある。司は片刃の戦斧を具現化させた。
「行けるのかよ?」
彼女同様に斧を手にした武が尋ねた。リアナは無言で司の答えを待っている。
駆け抜けること。駆け続けること。それが『英雄』へ至る道だと信じて。
「――行くわ」
一言、呟いた。こくりとリアナが頷く。そうなるよなあ、と武は頭を掻いた。
「傷を癒しますッ!」
傾く巨体に向かう道中、すれ違い様にレグルスが司にライトヒールをかけた。今は礼を言う間すら惜しまれる。
「打ち砕いてくださいませ。全力で支援致します」
歌乃の『緋獅子』が走るリアナに並んだ。アスファルトが砕ける轟音が響く。
「あとはてめェらで決めやがれッ!」
再度スナイパーライフルに持ち替えた馬頭鬼がにやりと笑う。おう、と片手を上げて答える武の足が止まることはない。
「待ち侘びたぞ」
小さく呟き、インレは安堵の息を吐いた。亀の頭部が倒れ込み、衝撃で吹き飛んだ乗用車を奈津希が両断する。道は開かれた。
「首です」
無表情のまま短く告げる。司は頷いた。
「一点突破ね。準備はいい?」
「おうよ!」
武は笑った。リアナが飛翔する。
「いくらタフでも、攻撃を重ね続ければいずれ倒せる……」
「そういうことだ。悪いな」
影が交錯した。遼布のグリース、リアナのアンブルが亀の頭部を絡め取る。そのまま相手の後方へ向かって飛翔する両者。亀の頭は持ち上げられ、阿修羅たちの眼前に急所が晒された。先行した緋獅子が獲物の喉笛に食らいつく。
「っしゃあ、行くぜぇ!!」
「合わせるわよ! せぇ、のッッ!!」
二本の斧が、亀の首を十字に切り裂いた。もう一人の阿修羅が地を蹴って跳ぶ。
「――ああ、そもそもだ」
巨大な刃に気が宿された。足を穿った一閃に、さらに剣の重さを加えた振り下ろし。悪魔が手にした『人の技』。
絶招・禍断。
「……亀が兎に勝てる訳がないだろう」
完全に沈黙した巨体を前に、黒兎の悪魔は穏やかに笑った。
●得られたもの
「――まぁた派手にぶっ壊したなあ」
全壊した建物の群れを前にして、樹裏 尚子(jz0194)は溜息を堪え切れなかった。何もしなかった自分にそれを言う資格が無い、ということはわかっているつもりだ。しかし、ぼやかずにはいられない。
「もうちょい被害を押さえられれば100点満点なんやけど……」
相当な範囲が破壊されている。強敵との戦いである。仕方ないといえばそれまでだ。
かと言って、撃退士たちの苦労を一般人が理解できるかといえば、そんなはずはない。斡旋所には苦情の電話がかかってきていることだろう。それらを捌くことが自分の仕事か。頭を振って意識を切り替える。
「……ん。みんな無事でよかった」
奈津希は笑顔である。どうやら『にゃんこさんたち』に被害は無かったようだ。遠巻きに彼女を眺めながら、インレがぽそりと呟く。
「ふむ、なるほど」
尚子が参戦できなかった理由、それを何となく察した。友との約束を守ることも、尊きことには違いない。
「ふう。何とかなりましたね」
「けっこう危なかった……」
「結果は悪くない。胸を張って帰れるな」
馬頭鬼が眼鏡を押し上げた。はふ、と息を吐くリアナ。遼布は達成感に満ちた表情を浮かべている。作戦通りに動くことはできなかったが、その代わりに臨機応変に動けた。内容も及第点と言っていいだろう。
「…………」
「そんな顔しなくてもいいじゃねえか」
険しい顔の司を見て、武は苦笑を浮かべた。頷いた歌乃が微笑む。
「獅堂様のおっしゃる通りかと。街は壊されてしまいましたが、街で暮らす方々は守れました」
「そうですよ! 敵も倒せましたし、僕らの大勝利ですっ!」
「……そうね。ありがとう」
笑顔のレグルスにつられるように、司は口元を緩めた。
未だ『英雄』には程遠く。しかし諦めるには早すぎる。
反省は後回しにして、今は素直に勝利を喜ぼう。共に戦った仲間たちの顔を眺めながら、英雄志願者は小さく笑った。