●宴にそなえて
五月某日。
久遠ヶ原島内、とあるスーパーマーケット。
「んぅー……飲む方の好みそうなものは……」
酒類が並ぶ店内の一角に、駿河紗雪(
ja7147)の姿があった。
彼女が持つ買い物かごの中では、ビールやチューハイ、女性向けのパッケージデザインが施されたミニボトルの日本酒など、様々なお酒たちが山を成している。
「……見事に酒しかないな」
紗雪のかごを見た天ヶ瀬 焔(
ja0449)がぽそりと呟いた。
はい、と頷く紗雪は、ふわりと笑みを浮かべる。
「お酒、大好きですから。せっかくですし、皆さんの分も買っていこうと思いまして」
「そうか。ゆっくり選ぶといい」
まだ時間があるからな、と焔は続けた。
お花見ならぬお葉見に向けて、二人は会場に持っていく飲み物の買い出しにきているのである。
(さて……上手くいくといいが)
楽しそうにお酒を吟味する紗雪を眺めながら、焔は自身の内に秘めた緊張をほぐすように、ふうと息を吐いた。
一方、島内某所。
街の喧騒から離れた森の奥、大きな桜の木の下に、数人の撃退士の姿があった。
「……むぅ。本当に美具は何もしなくて良いのか?」
「ああ。じっとしていろ」
お葉見の主催者、笆 奈央が即答すると、美具 フランカー 29世(
jb3882)は再度むぅと唸った。その顔には不満げな表情が浮かんでいる。
「笆さん、こんな感じでいいですか?」
「うむ。問題ない」
参加者がそれぞれ持ち寄ったレジャーシートを広げ終えたのは、黄昏ひりょ(
jb3452)。
「えっと、10人だから……」
秋月 奏美(
jb5657)はその隣で、いち、にい、と紙皿や紙コップを数えている。
着々と会場の準備が進む中、美具はシートの上で一人、居心地悪そうに座っていた。じっとしているのが我慢ならないらしく、立ち上がろうとする。
「……やはり美具も」
「いい。座っていてくれ」
言い終える前に笆に却下され、ぐぬぬ、と無念そうに腰を下ろす。
準備開始時は、美具も他のメンバーと一緒に動いていたのだが……広げたシートの上を土足で歩いたり、割り箸を配ろうとして地面にぶちまけたりしてしまったのである。結果、笆から戦力外通告を受けてしまった。
「おーい、拾ってきたぜ!」
虎落 九朗(
jb0008)は、拳ほどの大きさの石をいくつか抱えていた。レジャーシートの端に置いて固定するためのものである。
「……これで、会場は準備完了といったところか」
「そうですね。あとは残りの方が来れば、始められそうです」
笆が呟き、ひりょが頷く。そこへちょうど残る5人がやってきた。
「おー、やっとるねえ。なるほど立派な桜の木やな」
樹裏 尚子(jz0194)が大木を見上げる。
「ゴメンね、用意とか全部任せちゃって。俺、ほとんど何にも持ってきてないんだけど……」
申し訳なさそうに鈴木悠司(
ja0226)が言うと、笆は首を振った。
「気にするな。私は自分で飲む酒しか持ってきていないし、そっちの眼鏡に至っては礼のひとつも言わん。それに比べれば、な」
「ちょっ、準備は任せろって言ったのなおちんやんか!」
「確かにそうだが。それはさておきなおちんって呼ぶな」
いつものやりとりを繰り広げる2名を苦笑しつつ眺めていた神谷 愛莉(
jb5345)は、持参したお弁当を並べ始める。
「これ、今日早起きしてつくってきたんです! ぜひ食べてください!」
「うおっ、めっちゃおいしそーやん! ほらほら、みんなはよ座って! さっさと飲み食い始めな、日が暮れてまうで!」
「……まったく」
手作り弁当を前にテンションの上がる樹裏を見て、笆はやれやれと肩を竦めた。
「飲み物は、すでにいくつか冷やしてある。言ってくれれば渡すから、遠慮なく飲んでくれ」
「もちろんお酒もたくさん用意してありますよ!」
焔は、買い終えた飲み物をクーラーボックスに入れて運んでいた。中には氷水が入っている。紗雪の持つビニール袋からは、お酒の瓶が顔を覗かせていた。
思い思いにレジャーシートに腰を下ろす撃退士たちを、葉桜が静かに見下ろしている。
●飲めや歌えや
「……で、乾杯の音頭は誰がとるんだ?」
全員が着席し、飲み物が行き渡ったことを確認した九朗が、誰にともなく尋ねる。
にひひ。樹裏が笑った。
「こーゆうのはな、言い出しっぺがやるっちゅーのがお決まりやで!」
「ってことは、俺がやるのか?」
勘弁してくれ、と頭を掻く九朗。皆の視線が彼に集まる。
ふう、とひとつ息を吐いて、九朗がコーヒーの入った紙コップを掲げた。
「ま、何はともあれ、楽しくやろうぜ! 乾杯!」
『かんぱーい!』
葉桜の下に声が響く。穏やかな風が枝を揺らした。
「そいじゃ、弁当のフタ開けるぜ!」
九朗が持参した弁当は、もちろん彼の手づくりである。
抹茶塩で食べる天ぷら。ピーマンや椎茸の肉詰め。筑前煮、山菜の和え物、ホウレン草のお浸し。お稲荷さんやフライドポテト。野菜スティックは、塩、マヨネーズ、練り梅のそれぞれで楽しめる。衣が厚めの唐揚げは、ニンニクの風味が効いている。おにぎりは、その場でのりを巻いて食べれば、手が汚れずに済む。デザートには柏餅が用意されていた。
「この天ぷら、すごく美味しいです!」
海老天を食べた奏美が笑顔を浮かべる。
「いやあ、豪勢やなあ。……おっ、ゆかりおにぎりあるやん。もーらいっ!」
「あー、それは」
九朗の説明も聞かずに一口食べた樹裏。次の瞬間、形容しがたい表情で口をすぼめた。
「すっぱ! めっちゃすっぱ! でもめっちゃウマい!」
「ゆかりが振ってあるおにぎりの中身は、自家製の梅干しだ。酸っぱいのが苦手な人は気をつけてくれ」
別のシートでは、愛莉が広げた弁当に次々と箸が伸びていた。
マヨネーズや胡椒などで味付けされたマカロニサラダ。刻んだ梅紫蘇と鰹節が混ぜ込まれたおにぎり。昨日のうちに塩麹、醤油、酒につけておいた鶏の唐揚げ。茹でたアスパラガスは梅肉で和えてある。サラダ菜で仕切られたゆで卵は、半熟と固ゆでが同数用意されている。おやつに用意されたクッキーは、あらかじめ前日につくっておいたものだ。
「……どうですか?」
緊張した面持ちで、感想を問う愛莉。
唐揚げを頬張っていた悠司が笑顔で答えた。
「うん、すっごく美味しいよ。これって誰かから教わったの?」
「はい! 部活の先輩たちから教わって、一生懸命つくりました!」
よかった、と愛莉は胸をなでおろした。料理の先生に良い報告が出来そうである。
「おぉー。みなさん、お料理が大変お上手なのですね♪」
早くもビールを一缶飲み干しかけている紗雪が、唐揚げを口にする。よく味が染みていて、噛めば噛むほど美味しさが滲み出てくる。
「俺も唐揚げつくってきたので、よかったらレモン汁をかけて召し上がってください」
「桜餅とおはぎ、よもぎ餅もありますよ!」
「美具が買ってきたタコ焼きとかお好み焼きも出しておくのじゃ!」
ひりょの唐揚げ、奏美のデザート、美具の持ってきた食べ物(全部粉物)も並び、宴会場はいよいよ美味しそうな匂いで満たされていく。
「私もいろいろ用意してきたのですよ」
紗雪が持参したのは七輪である。手づくりの味噌田楽をその場で焼けば、酒の肴にぴったりだ。
「桜の花の代わりということで、白とピンクの金平糖も持ってきました!」
「おーう! 甘いもんならいくらでも入るでー!」
缶チューハイを手にした樹裏はすでに酔いが回っている様子である。
「もっと度数の低いものを渡した方が良かったか?」
クーラーボックスの番をしている焔が呟くと、笆が肩を竦めた。
「どれを飲んでもすぐああなるさ。ところで、買い出しの件だが」
「ああ。参加者から金を集めるつもりはない。好きなだけ飲んでくれ」
「……やはりそう言うか。しかし、手痛い出費には違いないだろう」
ほら、と笆は焔にお金を差し出す。辞退しようとする焔の耳元に、口を寄せた。
「いいから受け取っておけ。事情は駿河から聞いている」
「紗雪から?」
「そうだ。いらんというなら、全額仕送りに回しておけばいいさ」
半ば押しつけるようにして、笆は焔にお金を手渡した。
(……気を使わせてしまったか)
アルコールをちびりと口に含み、焔は紗雪を見やった。
当の紗雪は、樹裏にさらに酒を勧めていた。
「尚子さん、一杯いかがですか? 東北ご出身と小耳に挟んだので、美味しいと評判の地酒を用意したのですよ♪」
「マジか! 美味しいお酒と聞いたら飲まなアカンわ! あ、ついでに田楽もちょーだい」
すでに顔が赤い樹裏には、もはや自重する気がないようである。
「ん? 美具、それは……?」
「んむっ、おふふぉふぃーふぇうえふぁ!」
「お行儀悪いですよ……麦茶、いります?」
笆の問いに対し、口いっぱいにお好み焼きを頬張りながら喋る美具。愛莉から麦茶入り紙コップを受けとり、一気に飲み干す。
「うむっ、よくぞ聞いてくれた! これは『天魔王』という酒じゃ! 天使長の酒蔵から拝借した一品での、せっかくじゃから持ってきたのじゃ!」
「ほう。興味深い」
ふぅむ、と唸りながら瓶を眺める笆。ところで、と逆に美具が尋ねる。
「桜というものは、花が散ると虫が付きやすいと聞いたのじゃが……大丈夫なのじゃろうな?」
「……毛虫とかいないですよね」
ごくり、と唾を飲み込みながら、愛莉も重ねて尋ねる。
「大丈夫だ。事前にみなg……こほん。すべて駆除しておいた」
「そうか。ならば安心じゃのう!」
笆の答えに美具と愛莉はほっと胸を撫で下ろす。
「ビールのおかわりくださーい! ……にしても、この時期に花が散った桜の下でって、ちょっと珍しいよね」
焔から缶ビールを受けとりながら、悠司が呟いた。
ああ、それはな。と笆が口を開く。
「実は今年の春、妹と花見をする約束をしていたんだが、急用が入ってしまってな……」
「へえ、奈央さんって妹がいるんだ?」
「うむ。今日も誘ったんだが、断られた」
「そっかあ。俺にも弟がいるんだけどね、最近冷たくてさあ」
お互い大変だ、と笆と悠司は苦笑し合う。
「笆さんの妹さん……どんな方なんですか?」
奏美の何気ない質問に、笆の目がきらりと光った。……ような気がした。
「一言で言うなら、猫だ」
「猫と聞いて!」
会話の輪に加わった九朗を見て、笆がにやりと口角を上げる。
「虎落か。お前も相当な猫好きだな?」
「そりゃあもう! 気位が高くてツンとしたのも可愛いし、人馴れして甘えてくる奴も可愛いし、ふしゃーって毛を逆立ててる奴ももこもこで可愛いし、引っかかれても愛おしいし!」
「うむ。私の妹は、それら全てを兼ね備えている」
「……なる、ほど……?」
「猫っぽい妹かあ……」
奏美や悠司が想像する笆の妹像は、やや大変なことになっていた。
急に九朗はがっくりとうなだれ、笆が首を傾げる。
「どうした?」
「いや、寮の規則で猫が飼えないのがつらいんすよ……」
「私も同じ状況だ。オススメの猫カフェを教えてやろう」
「マジっすか!?」
「マジだ。そこで存分に癒されるといい」
よっしゃー!と思わずガッツポーズの九朗。
盛り上がる一団を微笑ましげに見ていたひりょが、頃合いを見て声をかけた。
「皆さん、秋月さんが持ってきてくれたカラオケセット、準備できましたよ」
「あ、カラオケあるんだね! 歌っても良い?」
悠司が立ち上がり、ひりょからマイクを受け取る。
流れる音楽。伸びがあり、少し擦れた独特の声。悠司が歌い終えると誰からともなく拍手が湧いた。
続いて焔が腰を上げる。
「ふふ……歌う事に関しては生涯やり通したいと思う先導志、天ヶ瀬だ」
焔が選んだ曲は、まさに熱唱系と呼ぶにふさわしいものである。最後まで渾身の声で歌いきる。
「ふぅ、いい汗かいた……」
「よっしゃあ、うちもオハコ歌ったるでえ!」
真っ赤な顔の樹裏がふらふらしながら前に出る。
マイクを持って歌い出したが、音もテンポもめちゃくちゃである。聴衆からの手拍子に助けられ、なんとか最後まで歌う。
「うっへっへー、どないや!」
「『どないや!』ではないだろう。鈴木や天ヶ瀬に歌い方を教わった方がいいぞ」
「なんやとぅ! ほんならなおちんも歌ってみいや!」
「いいだろう。それよりもなおちんって呼ぶな」
――宴会は日が傾くまで続き、参加者は存分に飲み、食べ、歌い、楽しんだ。当初の名目は、あまり達成されなかったような気もする。しかし、参加した当事者たちが楽しめたのだから、よしとすべきところである。
●葉桜の下で
「葉っぱを見ても楽しいという者は、天界にはおらんかったのう……」
桜の木を見上げながら、美具が呟く。花がなくとも楽しく過ごせたのは、同じ学園の友がいるからだろう。片付けに動く周囲をぼんやりと見回す。
「黄昏、秋月。すまんな……雑用ばかり任せてしまって、あまり話せなかっただろう?」
「いえ、俺は全然気にしてませんよ。皆が楽しかったなら、それで」
頭を下げる笆に対し、ひりょは笑顔で首を振った。奏美は大きく頷きながら、持っているデジカメを掲げる。
「私も十分満足です! デザート美味しいって言ってもらえたし、カラオケも楽しんでもらえたみたいだし、全員の集合写真も取れましたから」
「そうか。ありがとう」
礼を述べ、笆はもう一度頭を下げた。さて、と振り返る。
「天ヶ瀬、駿河。あとは私達に任せてくれないか」
「えっ? ですが……」
「いいのいいの! 用意してない俺にも仕事回してもらわないと申し訳ないよ」
紗雪の言葉を遮り、悠司が笑顔を浮かべる。焔が紗雪の手を引いた。
「甘えさせてもらおう。伝えたいこともある」
「伝えたいこと……?」
「ここで始めるな。こいつが起きたら面倒だ」
「んぐぅ……もー食えん……」
笆に指差された樹裏は、ありがちな寝言を呟いた。
青々と茂る若葉が夕陽に照らされている。
焔と紗雪は、手を繋いで歩いていた。
今日の宴会を振り返りながら言葉を交わす。
二人が周囲を散策し、宴会場に戻ったときには、すでに他のメンバーは撤収していた。
目の前には、大きな桜の木。
会話が止まった。動悸が聞こえる。握った手が、とてもあたたかい。
「紗雪」
焔は、愛しい人の名を呼んだ。はい、と答える声がした。
見つめ合う。言葉を紡いでいく。大切な言葉を。
「俺の傍に、ずっと……一生傍にいてほしい」
指輪を渡す。息を呑む音が、聞こえた気がした。
「俺と結婚しよう。紗雪」
静寂が二人を包んだ。風が吹いて、桜の枝葉が揺れた。
「……あ、ありが、とうございます。凄く嬉しいです」
震える声で、紗雪は答えた。とても嬉しくて、涙があふれてくる。
「私でなくては駄目だと思っていただけるなら、喜んでお受けします……」
大好きです。呟くように、紗雪は伝えた。
「二人で一緒に、幸せになろうな」
「はい……!」
口づけを交わす二人を、葉桜が静かに見下ろしていた。