●亡者の幻影
――少女が、足元に「落ちていた」腕を踏み砕いた。
「勢いだけで全然ダメねえ。弱いわ」
その声は、朱髪の天使の声ではない。少年を刺し殺した偽者の声でもない。
右腕を失ったセルカは、それでも尚、立っていた。気絶しそうな痛みに歯を食いしばり、震える膝が折れないように堪えるのがやっとだ。敵目掛けて振り下ろした斧には、セルカ自身の血だけがついていた。倒れそうになる体を支えているそれを、再び相手に振るえる余裕は無い。睨むように見据える。双剣を携えた少女を。
「……ッ!」
声が出せない。右肩の先が疼いた。
死んだ友達の姿を真似るのはやめろ。そう言うことすらままならない自分に腹が立った。
一歩ずつ近づいてくる敵を見て思う。気は引けた。最低限だが、時間は稼げた。守りきることはできなかったが、友達を……ルーシィを、少しの間だけ、守れた。それが、今のわたしの限界。わたしはそれに満足するしか――
「そこまでだっ! ゴウライブラストっ!!」
銃声が響き、少女が飛び退いた。
セルカを庇うように立った、真っ赤な人影が双剣の少女を指差す。
「仲間と偽り他を欺き嘲笑う者。人それを外道と言う」
「……何よ、あんた」
「貴様に名乗る名は無いっ!」
『FORM UP! EXCEED!!』
どこからともなく音声が流れ、真紅のスーツはプラチナへと色を変えた。あなたは、と声を漏らすセルカ。目を見開くルーシィ。怪訝な顔の少女。様々な視線を集めながら、千葉 真一(
ja0070)はポーズを決める。
「ゴウライガEX、見参!!」
なるほど。少女は口角を上げる。
「ようやく『ヒーロー』のお出ましってワケね」
待ち侘びた。そう言わんばかりの獰猛な表情を浮かべ、少女は――エゲリアは双剣を振りかざす。一気に距離を詰めた真一が、布を巻いた拳を突き出した。刃が砕ける。次いで繰り出したもう一本も呆気なく破壊され、たちまち黒髪金眼は丸腰になった。
ここからだ。ここからが本番。両手を握ったエゲリアの視界の隅で、対をなす曲剣の片割れが陽光を受けて光った。振るわれた刃は紙一重で躱す。斬り落とされた黒い髪が、大気に溶けるように消えた。
「久しぶりだな、エゲリア。相変わらず悪趣味な奴だ」
咲村 氷雅(
jb0731)は、開口一番そう吐き捨てた。
かつて山形市でこの天使と対峙した折、彼女に討たれた双剣使い。今のエゲリアが「盗っている」姿はそれだ。見開かれた双眸は金色。声の質は変わっても、耳障りな口調は忘れようもない。
「しばらく見ないと思っていたら、今度は同族狩りか」
「元々あたしはそういう仕事をやってんのよ。尤も――」
あんたのツラは忘れてないけどねえ。
刃と拳、視線と言葉が交錯した。氷雅から距離を取ったエゲリアに、再び真一が仕掛ける。殴打は掠るも躱され、その向こうにいたルーシィが狙われた。大剣を手にした少年が進路上に立ち塞がる。
「エゲリアッ! お前の思い通りにはさせないぞっ!」
「あらまあ、坊やまで来てるのねぇ?」
サミュエル・クレマン(
jb4042)の姿を認めると、エゲリアは足を止めた。追いついた氷雅の曲剣が迫る。鋼同士がぶつかったような音が響いた。刃が横から殴られ、斬撃は狙いを逸れる。
サミュエルの後方からさらにもう一人、エゲリアに対するために飛び出した。Viena・S・Tola(
jb2720)だ。ルーシィとセルカにスキルを施し終え、前線へ向かう彼女の背にサミュエルが叫ぶ。
「ヴィエナさん、信じてますから! 無事な姿で帰りましょう! そうしないと、あの人に笑われますよ!」
返事も頷きも無かったが、言葉は確かに届いたはずだ。三人からの攻撃に対処するエゲリアを見やり、サミュエルは少し離れた場所にいるセルカへと駆け寄った。
味方の到着に安堵したのか、セルカは意識を失っていた。倒れた彼女に先に合流し、介抱していたヒビキ・ユーヤ(
jb9420)の服は、セルカの血であちこちが赤黒く染まっている。右腕のあった場所には、今は何もない。傷口を見たサミュエルは顔をしかめた。
「酷い怪我だ。治療は?」
「やってる。けど、出血が多い」
ヒビキのライトヒールはセルカを回復させるには心許なく、何よりアウルの力では失った血を補うことができない。早急に本格的な治療をしなければ命に係わるだろう。
処置を終えたヒビキが立ち上がる。とにかく状況を把握しなければならない。セルカをサミュエルに任せ、自身を師と仰いでくれた堕天使の元へと向かった。
●救う
状況が動いている。中空に浮かぶ五芒星は、先ほどヴィエナがかけていったドーマンセーマンによるものだ。助かったのか。間近で繰り広げられる戦闘をぼんやりと眺めるルーシィに、駆け付けた歌音 テンペスト(
jb5186)が抱きついた。
「しばらく姿を見なくて心配してた。ずっと会いたかったんだよ……!」
「か、歌音?」
目を白黒させる。果たして彼女はこんな口調だっただろうか。以前自分を鍛えてくれたときとは別人のようだ。声が震えていた。よかった、と繰り返す歌音の背に、ルーシィも手を回した。泣きそうになるのを堪える。これ以上、弱くなりたくなかった。
「……ルゥ。状況を」
「ヒビキ……」
感動の再会の最中だったが、同時に戦闘中でもある。時間には余裕が無かった。
ヒビキの控えめな声に気づき、ルーシィは歌音から離れる。一度視線が合った。歌音は大きく頷き、ストレイシオンを召喚する。ルーシィとヒビキ……そしてアニーカを守るように、背を向ける。目尻に浮かんだ涙を拭って、ルーシィはヒビキに向き直った。
「――そう。ルゥを守って……」
お疲れさま。
動かない少年の頭を撫でながら、ヒビキは小さく呟いた。それを見たルーシィが、両手の拳を握る。自分のせいで彼は死んだ。我のせいで。私のせいで――
「まだ終わりじゃないよ」
はっとして顔をあげる。歌音の視線は、天使と戦う三人に向いていた。
「ここで立ち止まったらあいつをやっつけられない。仇も取れない」
ストレイシオンが低い声で嘶いた。歌音は思う。今のルーシィは自責の念に囚われている。ここで立ち上がれなければ、きっと、この先ずっとそのままになってしまうだろう。それではいけない。自分の意思を、取り戻してほしい。
「もしここでルーシィちゃんを助けられなかったら……あたしは絶対に自分を許せない」
だから。青い髪が揺れた。
「今は逃げよう。ルーシィちゃん」
両目が見開かれた。逃げる。仇を前にして、彼の遺体を前にして、我は、私は逃げるのか? 皆で戦えば、或いは。……そう言ってくれないのは、私が立てないからなのか? 私が戦えないからか? 私が――弱いから、なのか。
ぎり、と歯が軋んだ。情けない自分への憤りが、悔しさが、再び涙を呼びそうで。
「……ルゥ」
穏やかな声で名を呼ばれ、肩にそっと手が置かれた。ルーシィから視線を向けられて、ヒビキは小さく微笑む。肩から手が離れた。その手がアニーカを抱え上げる。
「一緒に帰ろう? 皆で、一緒に」
その声に。その言葉に。
堪えきれなくなったルーシィは、声をあげて泣いた。
●悪逆の代償
……面倒な相手だ。
ヴィエナの符を避け、彼女が召喚した鳳凰の攻撃を往なしつつ戦うエゲリアの動きを注視しながら、氷雅は思う。相対していた黒髪は、本来の朱色に戻っていた。
幾度かスキルで攻撃しているものの、効きが悪い。深い眠りに誘うはずの氷の茨は、牽制になっていると言えば聞こえは良いが、それはすなわち牽制程度にしかなっていないということ。
会いたかったような、会いたくなかったような、複雑な心境。他の依頼に出向けなくなったから、と受けた仕事がこれだ。運が良いのか悪いのか。
「ゴウライ、流星閃光キィィィック!!」
真一渾身の一蹴を正面から受け止め、しかし衝撃を殺し切れずにエゲリアは後方へ跳んだ。否、飛ばされた、と言った方が正しい。その表情にはわずかに焦りが見られた。
「サーバントを下げたのは失敗だったかしら?」
壁代わりにはなったかも。ぼやいてエゲリアは片手をぷらぷらと振った。両腕を交差した中心で蹴りを受けた。防御姿勢は悪くなかった、と思う。だというのに数瞬が過ぎた今も腕の痺れが取れず、痛みが引かない。
死角から放たれた水晶の魔剣が肩を切り裂いた。天使が舌打ちする一方で、氷雅の傷が癒えていく。
「貴女を壊します……」
呟いたヴィエナが手をかざすと、エゲリア目掛けて榛の枝が伸びる。それらを振り払い、術者に肉薄すべく駆ける。
「あんたのその技、こっちは見飽きてんのよ!」
天使の進路を妨害するように鳳凰が飛び出した。それを突き飛ばして進もうとするエゲリアに、間を置かず真一の拳打と氷雅の双刃が襲いかかる。召喚獣を失ったヴィエナは、わずかに眉をひそめて足を止めたエゲリアを見やった。
鳳凰を通したダメージがあるが、ヴィエナにとっては大した問題では無かった。自身が痛いなどどうでも良い。大切な者にとって脅威となるものを破壊する。大切な者の明日を、命を賭して守り抜く。自分にできることは、それだけなのだから。
一方で。
交互に迫る拳と曲剣を捌きながら、エゲリアは後方に控えるヴィエナを見やる。あれが邪魔だ。次いで、こちらの死角や隙を容赦なく突いてくる氷雅が鬱陶しい。その二人を片付けるために、正面から殴りこんでくるもう一人を最初に退けておきたい。
一対多には慣れている。いつだってそうだった。――そこが、戦場でなくとも。
「まずはひとつ……黙らせないとねぇ?」
氷雅が下がり、ヴィエナが構え、そして真一が前に出た、そのタイミング。元は模倣した技だが、幾度か実戦で使い、自身に馴染ませる時間は十分あった。腰を落とし、練り上げた気を片腕に纏わせる。アウルの炎が螺旋を描いた。
「模技ッ! 呂段拾肆式ッ!!」
エゲリアが放った貫手を、真一は避けようとしなかった。無論、直撃を避けるように体を動かし、軽傷で済むような対応は取った。だが、彼の本当の狙いはそこではない。浅い手応えに眉根を寄せるエゲリア。伸びきった腕を真一が掴む。
「誰かの真似ってことはな。その対処法がわかってる可能性もあるってことだ!」
腕を引き込み、一歩踏み込み。ゼロに近いその距離から、会心の一撃を叩き込む。
「ゴウライパンチっ!!」
鳩尾に突き刺さった一発が、エゲリアの体を後方に吹き飛ばした。まともな受け身もとれずに転がった天使は、憤怒に満ちた表情で立ち上がろうとする。口を開きかけたところへ、声が届いた。
「さあ……共に囚われましょう……」
間近で響いたヴィエナの言葉。呪縛陣が発動し、エゲリアの動きが止まる。くそ、と悪態を吐く彼女へ、ヴィエナは仄かに笑いかけた。
「貴女も……何かに縛られているのでは……? わたくしもです……」
「知った風な口をきくんじゃないわよ。はぐれ悪魔風情がッ!!」
陣による束縛を力づくで断ち切り、エゲリアは再び吠えるように叫んで貫手を放った。ヴィエナは避けない。真一とは違い、避ける素振は一切無かった。刹那。
「――その片腕……貰い受けます……」
ヴィエナの腹部に突き刺さったエゲリアの右腕。そこへ細長い左腕が伸びた。
その黒い腕が触れた先から、ぶち、と嫌な音がした。肉が爆ぜ、血が弾け、天使が息を呑む。数歩、後ろへよろけた。呆然と肘の先を見やる。そこに在るはずの腕は、ヴィエナの腹部に刺さったままだ。
「あ、あ」
事態への理解が追いつかないエゲリアへ、氷雅が再び斬りつけた。振るわれた刃は左の手甲に阻まれる。が、天使は確かにたたらを踏んだ。回線を開いたままの通信機から声が聞こえたのはそのときだ。
『離脱完了。増援要請済み。状況は?』
「問題ない。むしろ優勢だ」
短く氷雅が答えた。さらに斬りつけようとして、足を止める。飛んできたナイフが双剣に叩き落された。代わって真一が前に出ようと一歩踏み出すと、その足元に筒状の何かが転がった。それが勢いよく煙を吹き出す。
視界が灰色に染まる中、ヴィエナは口元に手を当てた。そうして初めて口の端から血が零れていたことに気づく。何者かが擦れ違う気配がした。
「……覚えてなさい」
それは、いつになく力無い声だったように思えた。ヴィエナは答えなかった。
煙が晴れた頃には、天使の姿は無かった。
●黄昏の中で
痛みに呻いて目を開くと、少年の顔が見えた。
「……ルーシィ、は?」
声を絞り出す。少年――サミュエルがそれに気づき、努めて柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。友達は無事だよ。君も」
「そっか……」
安堵の息が漏れて、霞む視界の中にその姿を探す。周囲には、大勢の味方がいた。
歌音が呼んだ増援が到着したのは、連絡後間もない頃合いだった。今は氷雅が彼らに状況を説明しているようだ。運ばれていくアニーカの遺体は、ヴィエナと真一に見送られていた。今から一緒に学園へ「帰る」んだ、と視線に気づいたサミュエルが説明する。
その向こうで、歌音が「こんな姿見せてたらキャラが死ぬッ!」と言いつつ騒いでいるのが見えた。そんな彼女を見て小さく笑うヒビキ。そして、その隣に、泣き腫らした目の端を拭いながら、一緒に笑うルーシィがいた。それを認めて、もう一度安堵の息が漏れる。
「……よかった」
言葉を零して視線を戻すと、サミュエルが複雑な表情でこちらを見下ろしていた。……正確には、失くしてしまった腕があった部分を。敵は、と尋ねようとして、やめた。今はゆっくり休みたい。もう少し、眠っていたい。
でも、その前に。言わなくちゃ。
「ありがとう。助けてくれて。友達も、わたしも」
へにゃりと気の抜けるような笑顔を見せて、セルカは、もう一度瞼を閉じた。