――騒ぎを聞きつけた人々が成す輪の中に、エルレーン・バルハザード(
ja0889)の姿があった。
もっともそれは『人の姿』ではなく、変化の術を使った後の『人外の姿』だったが。
「あれ、って。あの時の……?」
先日、瀕死の重傷を負った奈津希。
そのとき彼女を離脱させたのが、この謎の白い生物もといエルレーンである。
何かにイライラしているのかもしれない。だからといって勝手に暴れるのはどうかと思う。
上空にも人影があった。
陰影の翼で飛翔しているのは紅 鬼姫(
ja0444)。
彼女もエルレーン同様、奈津希と同じ戦場を経験している。
(随分と楽しそうな遊びをしてらっしゃいますの)
眼下の槍使いを見下ろし、小さく笑う。
遁甲の術で潜行しながら、鬼姫はしばらく様子を窺うことにした。
●
「んん?」
訓練中だった九鬼 龍磨(
jb8028)は、首を傾げた。背後を見やる。
後方で誰かが剣戟を交えていた。単なる試合にしては様子がおかしい。
龍磨が近寄る間に決着がついた。立っているのは小柄な少女だ。
睨むようにギャラリーを見渡す。次の相手を探しているように見えた。
(……尋常じゃないねえ、あの子。ちょっと止まって貰わないと)
騒動の中心は彼女で間違いない。龍磨は野次馬をかき分けて前に出た。
金色の双眸が龍磨を認める。じっとこちらを見つめる視線。
「やっほー。訓練の相手、いないの? 僕も今一人なんだー」
少女は無言で槍を構えた。
一方の龍磨は、何も気付いていないような振る舞いを続ける。
「僕は九鬼 龍磨。きみは?」
「……奈津希。笆 奈津希」
「奈津希ちゃんかー。良い名前だね」
睨むような視線が返ってくる。奈津希は姿勢を崩さない。
肩をすくめ、龍磨はようやく盾を構えた。平和的解決は駄目で元々。
奈津希が動いた。一直線に龍磨へ向かう。
突き出された刃が盾の表面を滑った。そのまま交錯。
両者反転、再び槍が振るわれる。盾がそれを防ぐ。
「うひゃあ、強いねー! かなわないかもなーこりゃ!」
軽口を叩くも反応なし。即座に追撃が迫る。
次々と繰り出される穂先。それらを避け、弾き返し、受け流す。
(テクニック重視の実力者……だけど)
奈津希は相手の動きに無頓着だ。龍磨はそう感じた。
何かに対する焦り。疑念。そう言ったものが、奈津希を動かしている気がした。
いずれにせよ、これは訓練と呼べるようなものではない。ならば。
突き出された槍。それに合わせて龍磨は防壁陣を用いた。
両者の手に衝撃が伝わったのは刹那。盾が退き、奈津希の体勢が崩れる。
「――甘い!」
龍磨が踏み出す。フェンシング。
体重を乗せた一撃を受け、華奢な身体は後方に飛んだ。立ち上がる。
すぐさま再突撃してくる奈津希。龍磨は眉をひそめた。
龍磨が狙ったのは手元だ。
それを奈津希は、体勢をさらに崩し、わざと身体で攻撃を受けた。
反射的なものか、或いは故意にそうしたのかははっきりしない。
ひとつ確信したのは、龍磨一人で押さえ込むのは困難だということだった。
(――八つ当たりに暴れるのは、楽しいんですの?)
上空。飛翔を続ける鬼姫は、かくりと首を傾げた。
眼下では、龍磨と奈津希の攻防が続いている。
気持ちはわかる。天使との戦いで、奈津希は友人を失った。
あの子は、己の力不足を嘆いているのか――
(と言うより、自分が力を持つ意味を見失っているだけ……ですの?)
それなら、教えてあげなくてはならない。
『力』に意味など無い、ということを。
奈津希の攻撃を、龍磨が弾いた。両者が距離を取る。
瞬間。少女の頭上で刃が光った。
金属音。小太刀の刀背が槍の柄を叩いた。
奈津希の視界を靄が覆う。奇襲を仕掛けた鬼姫が、初手で目隠を使ったのだ。
「奈津希は鬼姫を見つけてくれますの?」
間を置かず潜行。一瞬、奈津希の動きが鈍った。
二刀が急所を狙う。しかし刃が振るわれることはなく、鬼姫は一度距離を取る。奈津希が槍を振り回したためだ。
その回転の隙をつき、鬼姫は懐へ潜り込もうと試みた。槍が止まり、再び刀背と柄がぶつかる。
●
「応援が来たのかと思ったけど……」
連携できるような空気じゃないねえ。
鬼姫と奈津希の打ち合いを眺めながら、龍磨は苦笑を浮かべる。
その背に声をかける者がいた。何 静花(
jb4794)である。
「くっきー、これは? 随分殺伐としているが」
単なる訓練だ、などという説明で済むような状況ではない。野次馬は相当数集まりつつあった。
そんなギャラリーの前に立ち、彼らを説得している者がいた。
「あの子はわしの知り合いでな。ここは任せてくれ」
老人口調で語りつつ、野次馬の数を減らそうとしているのはインレ(
jb3056)だった。
彼なら何か知っているかもしれない。龍磨と静花は話を聞くことにした。
直接事情を聞いたわけではないが、と前置きして、インレは己の予想を告げる。
彼もまた、先日の戦いへと身を投じた一人。奈津希が荒む原因は、すぐに思い当たった。
話を聞き終え、至極真面目な顔で静花が呟く。
「なるほど。つまり、滅茶苦茶訓練がしたい、という事か」
「……そういう事なんですか?」
「あながち間違いではないな」
龍磨に尋ねられ、インレは緩やかに首肯する。
そうこうしている間に、仕合は徐々に奈津希が押し始めた。
二刀を振るう鬼姫と、槍を扱う奈津希。両者の得物にはリーチの差がある。
回避能力の高い鬼姫は直撃こそもらっていなかったが、防戦一方の様相を呈していた。
その時だ。
「いくぞー! そーれっ└(┐卍^o^)卍ドゥルルル」
観衆の中から飛び出してきたのは謎の物体Xもとい変化中のエルレーンだ。
「そおれっ、そおれっ└(^o^└ )┘」
奈津希へボディプレスを仕掛けるエルレーン。困惑する奈津希。
ふいに野次馬の中から無数の蝶が飛び立った。それらが奈津希へ殺到する。
――奈津希に体当たりをしているのは、エルレーンの影分身。
まだ人の輪の中にいる本体が使ったのは、忍法「胡蝶」。
影分身が奈津希の槍を掴む。そのまま得物を奪う算段だ。
「……触るなっ!」
鋭い視線を向け、奈津希は槍の柄で影分身を殴った。
吹っ飛ぶ┌(┌ ^o^)┐。ぼふん、と音を立てて分身が消える。
影分身の消滅を認めた奈津希、その足元がふらついた。朦朧は効いているようだ。
エルレーン本体(変化中)が人の輪から飛び出し、四足歩行で奈津希に向かう。
そして。
ドゴォ!!
「ンアーッ!」
飛び出してきた静花の掌底を受け、白い物体は派手に吹っ飛んだ。
そのまま何事も無かったかのように、奈津希へと向き直る静花。
次の相手は私がやる。そう言わんばかりに相手を拱く。
朦朧から復帰した少女は、得物を握り直した。
先に動いたのは奈津希。距離を詰め、槍を突き出す。
狙いは粗く、威力は半端。まずは小手調べといったところ。そう静花は判断した。
龍磨、鬼姫との戦いの最中、奈津希の動きは十分に観察できた。
難なく躱せるが、敢えて動きは最小に抑え、受け流す形で攻撃をもらう。
次の瞬間、槍が大きく弾かれた。静花が武器に対して掌底を放ったのだ。
奈津希の体勢が崩れる。そこへ静花が体を寄せる。
無型・鑚剄。
発された衝撃を受け、奈津希が膝をつく。
それを見下ろし、静花は淡々と告げる。
「長物を振り回すなら棍かメイスの方がいい」
ぎり。歯が軋む音が聞こえた。
静花には励ます気も蔑む気も無かった。望まれる限り相手をする。それだけだ。
槍は何度も振るわれ、その都度静花が悉く打ち払う。
「長さを活かすと柄が空く、私は触るだけでいい」
大振りな奈津希の動き。見切った静花が踏み込む。
吐息がかかるほどの距離で、再び鑚剄が発される。
槍が、奈津希の手を離れた。
アウルの供給が断たれたV兵器は具現が解かれる。
丸腰の奈津希は、数歩後ろへ下がった。静花と視線がぶつかる。
まだやるか。少女は無言で答えた。再度槍を呼び出す。
「そこまでだ!」
静花と奈津希の間に、駆け付けた神凪 宗(
ja0435)が割って入った。
双方の動きが止まる。
「樹裏から連絡を受けて来たが……これはどういう状況だ」
宗の問いかけに、奈津希は「別に」と答えるだけだった。
代わりに静花が簡単に状況を説明する。宗は奈津希を諌めた。
「訓練がしたいなら、きちんと頼めばいい。喧嘩を売るような真似をする必要はないだろう」
「でもっ」
「でも、ではない。これ以上周囲に……心配をかけるな」
迷惑、と言いかけて、宗は言葉を選んだ。
彼女の気持ちは察している。宗もまた、あの日のあの場所にいた一人だ。
「頼みづらいならこちらから申し込もう。奈津希、自分たちと手合せ願う」
「……自分、たち?」
「ああ。自分だけではないからな。奈津希の訓練に付き合おうというのは」
「神凪の言うとおりだ」
前に出てきたのはインレだった。
そのすぐ後ろには、龍磨、鬼姫、そして復活したエルレーンの姿もある。
「鍛錬に励むのは感心だな。どれ、わしも付き合おう」
「鬼姫も、まだ戦い足りませんの。もっとお相手しますの」
インレが微笑み、鬼姫が口角を上げる。
いいの? 奈津希は視線で問いかけた。
龍磨は笑って、エルレーンはおどおどしつつも、静花は無表情に。
それぞれから頷きを返してもらって。少女は、手にした槍へと視線を落とした。
「……わかった」
そう呟いて、頭を下げた。
「こちらからも、お願いします。わたしと、手合せしてください」
●
生き物のように穂先は動いた。幾度となくインレ目掛けて突き出される。
硬気功と体捌きで受けるダメージを抑えながら、思う。
天使に討たれた撃退士。その激情を知っていながら、彼女を護る事ができなかった。
そんな自分には、相対する少女に言葉をかける資格など無いだろう。
だが、それでも。
告げたい言葉が、少しでも届くまでは。その想いを、少しでも受け止めるまでは。
立ち続けよう。倒れる訳には、いかない。
拳と鋼を交えながら、悪魔は思う。痛みなど、大したことではない。
少しでも、少女の悲しみを拭ってやれるのであれば。
ふう、と息を吐き、奈津希はぺこりと頭を下げた。
小さく頷き、インレが下がる。代わって奈津希の前に立ったのは、宗だった。
「――行くぞ」
頷く。息を呑んだ。
両者が一気に距離を詰める。
相も変わらず、奈津希は攻撃一辺倒だった。
対する宗は冷静にその動きを読み、サイドステップやバックステップで避けていく。
隙を見て、宗が踏み込んだ。穂先を回避し、懐へ潜り込む。
振るった刃は柄に防がれた。振り回される槍から距離を取る。
再接近。振るわれた穂先が通過してから飛び込んだ。
浴びせた一太刀。先ほど同様に防がれるがしかし、槍は回転しない。
影縛りの術により、奈津希の動きが束縛されたためだ。宗が持つ刀が闇を纏う。
至近距離での闇遁・闇影陣。首に触れる直前まで刃が迫った。二人の動きが止まる。
「……参り、ました」
悔しそうに呟く奈津希。
刀が消え、宗は小さく息を吐いた。
●
肩で息をしながら、奈津希は額の汗を拭った。
まだ戦える。見知らぬ誰かの平穏のために。……戦場に散った、友人のために。
「奈津希」
頭に誰かの手のひらが乗って、金色の瞳が見上げた。
隻腕の悪魔が見下ろしている。
「すまなかった」
誰かを助けたいという願い。祈り。
誰かのために戦う少女の想い。誰かのために戦った、今は亡き彼女の想い。
それらが無意味であるはずがない。無意味であってはならない。
だから、インレは謝罪を口にした。救えなかったことを詫びた。
じっと見上げる奈津希。インレは続ける。
「わしらは大切なモノを取り零した。力があればと、そう思うよなぁ。
だが、駄目だ。力だけでは駄目だ。独りでは、駄目なのだ」
ただ強く在れば、誰かを救えるかもしれない。
しかしその在り方は、大切な者を――何より、自身を傷つけることだろう。
(……頼む。おぬしは、わしのようには、ならないでくれ)
少女の頭を優しく撫でる手に、想いを込めた。
それを口に出すことは、しなかった。
手が離れて、少女は、小さく頷いた。
インレの陰から様子を窺っていたエルレーンに、奈津希の視線が移った。
おっかなびっくりしながらも、エルレーンは自分の気持ちを伝える。
「私のことは、おぼえてないかな」
これでも、いっしょうけんめい、やったんだけど。
不安そうなエルレーンに、奈津希は短く答えた。「覚えてる」と。
ぶっきらぼうな一言だったが、それでもエルレーンの緊張は解れた。
「あの戦いのとき、私も危なかったんだ。でも、仲間がたすけてくれた。
だから……今度は、いっしょに、がんばろう」
うまく笑えているか、エルレーンは自信が無かった。
しばらく目を瞬かせていた奈津希。その口元が、わずかに緩んだ。
「……ん。今度は、いっしょに」
約束する。そう口にしながら、この日、奈津希ははじめて笑った。
その様子を眺めながら、宗が奈津希へと告げる。
「今更言うまでもないだろうが、いくら強くなろうと、一人では何も守れない。
……力不足で戦友を死なせたことは、自分も悔やんでいる。一人で背負う必要はない」
真っ直ぐに。宗と奈津希は、視線を交わした。
「自分は、あの天使を倒す。必ず織部の仇を取る。
だが、それを一人で為すことは難しい。力を貸してくれないか、奈津希」
頷いた。一人では難しくとも、仲間が一緒なら。
続いて口を開いたのは鬼姫だった。結論から言いますと、と話し始める。
「『力』自体に意味はありませんの。
それに意味を求めるのは、手に負えない現実に言い訳するためですの。
『力の意味』は、いつだって『自分自身』で決めるもの……。
立ち上がるのに言い訳をしていては、答えは見つかりませんの」
同じ戦場を生き抜いた少女に、鬼姫はひとつの答えを示した。
「――零れた命の分まで、他の命を掬い上げる。それが、鬼姫の『力の意味』ですの」
すっと金の目が細くなった。
考え込む奈津希。その肩に、ぽんと大きな手が置かれた。
振り返る。笑顔の龍磨と目が合った。
「君がなすべきことは、今後の教訓を見つけること。後悔と苛立ちに振り回されずに、ね。
大切な人を失ったのなら、尚更そこから何かを得ようと頭を巡らせなきゃ」
教訓。失ったことから、何かを、得る。
難しい顔で呟く奈津希に、龍磨は呟く。
「大丈夫。できるよ」
その言葉を聞いて。
奈津希は、身体が軽くなったような気がした。
●
ともだちを一人、亡くしたけれど。
わたしは、一人じゃない。仲間がいる。
隣に立って、一緒に戦ってくれる人がいる。
まだ、守りたいものが、たくさんある。
それがわかったから。
わたしの力にも。この愉悦無き闘争にも。
きっと、意味はある。意味はあった。そう思う。