.


マスター:猫野 額
シナリオ形態:ショート
難易度:非常に難しい
形態:
参加人数:12人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2014/04/19


みんなの思い出



オープニング


●急報


「――人質?」

 片倉 花燐は受話器を片手に眉根を寄せた。
 秋田市の撃退署、その一室。窓から見える景色に、新緑の色は未だ無かった。
 北国の春は遠い。冷たい風が街路樹を揺らしている。
 花燐が手にする電話の相手は、フリーランスの撃退士だった。

『ああ。奴は副司令殿をご指名だぜ。片倉花燐と会えるなら解放するって話だが……』

 信じるのか?
 受話器の向こうからは困惑の気配がした。

 秋田県北部某所、とある小学校。
 『敵』は、多数のサーバントを引き連れて、どこからともなく現れた。
 校舎は瞬く間に包囲され、多くの児童が教員とともに閉じ込められているらしい。
 花燐に迷いは無かった。迷うことは状況が許さなかった。

「わかりました。すぐに行きます。何か動きがあれば、また連絡を」

 一方的に指示を出し、花燐は電話を切った。
 相手はまだ何か言いたそうだったが、事態は一刻を争う。呑気に論じている時間は無い。
 花燐が動くのが遅れれば、多くの人命が危険に晒され続けるのだから。



●急行


 現在の秋田県は、南部に支配地域を持つ天界勢力から、散発的な攻勢を受けていた。
 各地に出現するサーバントの数は、一時期よりは減っている。しかし、安定した情勢とは言い難い。
 加えて、ひと月ほど前に、人類側にとって無視できない情報が入っていた。

 菫色の修道女。

 目撃した久遠ヶ原学園の生徒の話では「只者ではない」とのことである。
 報告では鬼蜘蛛などのサーバントを指揮していたとされ、言葉を発したとの情報も含まれている。
 最上位の知能を持つサーバント。あるいは使徒。もしくはそれ以上の存在――天使。
 あらゆる可能性が考えられるが、彼女が何者なのかは、はっきりしていない。
 直接の交戦記録は無く、遭遇したのも一度きり。情報が少なすぎるのだ。

 そして『それ』は、唐突に姿を現した。
 その報告が先ほどの一報である。相手は人質を取ると、駆け付けた撃退士に要求を突き付けた。
 「片倉 花燐との接触」。それが彼女の望み。
 あからさまな罠だった。花燐が現地に赴けば、無事で済むとは思えない。
 しかし、花燐が出向かないという選択肢は、人質を取られた時点で残っていない。
 もちろん花燐が単身現場に向かうことは立場上不可能である。かと言って、秋田市を守る戦力を考えると花燐の部下たちは動かせない。
 そこで彼女は、撃退署に詰めていた久遠ヶ原学園の学生たちを頼ることにした。彼らに自身の護衛を依頼したのだ。

 花燐たちは急ぎ現地へと向かった。
 菫色の修道女と相対するために。



●対話


「お待ちしておりました。片倉 花燐さん」

 聖女は、柔らかな微笑みを浮かべてそう言った。
 肩まで伸びた緩やかな銀髪。特徴的な菫色の修道服。
 報告にあった「正体不明の敵」で間違いない。
 聖女のすぐ傍にはシスターを模したサーバントが一体控えている。

 相手の浮かべる穏やかな表情とは裏腹に、対する花燐は息苦しさを感じた。
 このプレッシャー。サーバントのものとは思えない。
 悪い予感が的中しないことを祈りながら、花燐は口を開いた。

「……まずは約束を守ってもらいましょうか。話はそれからよ」
「ええ、もちろん。人質は今すぐ、全員解放いたしましょう」

 ゆったりとした動作で、菫色の修道女は背後を振り返った。
 彼女が校舎を見上げると、屋上から数羽の烏が飛び立つ。ヤタガラスだろう。
 数瞬遅れて、建物を包囲していた多数の燈狼が校庭へと姿を現した。

 サーバントを背後に従えた修道女。久遠ヶ原学園生と共に立つ花燐。
 対話は続く。花燐が尋ねた。

「それで、目的は?」
「大した用ではございません。強いて言うなら『ご挨拶』でしょうか」

 『金色』の双眸を細めたまま、聖女は名乗った。

「私は『ヴィルギニア』。ここより南の地に居られる主に仕える『権天使』です。お見知りおきを」

 権天使、と誰かが呟いた。花燐の表情が険しさを増す。
 目の前の修道女は、大天使よりもさらにランクが上ということになる。
 ここにいる人数で対処できる相手ではないことは、火を見るよりも明らかだった。



●二人


 花燐たちは、ヴィルギニアと戦うことなく秋田市へと引き返すことにした。
 相手の正体は分かった。だが、本格的に事を構えるには時期尚早過ぎる。
 幸運なことに、ヴィルギニアは花燐たちを追わなかった。
 校庭を去る花燐たちの背を見つめるだけで、サーバントに襲わせることもしなかった。
 思い返せば不気味な沈黙だった、と花燐は思う。権天使の微笑んだ顔が脳裏に焼き付いていた。

 不意に、花燐たちが乗っていた車が急停車した。
 前方を見やると先行していた車両も止まっている。
 フロントガラスの向こうで、先行車両から誰かが降りた。叫ぶ声が聞こえる。

「ヴィルギニアだ!」

 花燐は、耳を疑った。
 停まった車の向こう。そこにはたしかに菫色の修道女が居た。

 肩まで伸びた緩やかな銀髪。特徴的な菫色の修道服。
 『琥珀色』の双眸を細めて、柔らかな微笑みを浮かべている。
 周囲には、騎士を模したサーバントが複数体。
 間違いなくヴィルギニアだった。

「そんな……まだあの学校に居る筈じゃ……!?」

 車内の誰かが呟いた。この状況は、一体どういうことなのか。
 相手は瞬間移動が出来るとでも言うのか。
 混乱に拍車をかけるように、花燐の携帯電話が鳴った。

『副司令!! すまねえ、人質が――』

 言い終える前に、通信は途切れた。



●金色


「――がああああああっ!!!」

 男は、痛みに絶叫した。
 先ほどまで携帯電話を握っていた左腕は、肘から先を喪失していた。

「うるさいわねえ。ま、そういう声は嫌いじゃないけどさあ」

 ひっひひっ。
 『何者か』は、笑った。

 優しい声音も、穏やかな表情も、まったく別人のものと化していた。
 姿だけは、そのままだ。菫色の修道服が、肩まで伸びた銀髪が、血で赤く染まっていた。

「てめえ……ッ!! 約束と違うじゃねえか!!」

 睨む男は、花燐に第一報を入れたフリーランスの撃退士だった。
 人質解放後の混乱を収拾するため、彼の他にも数名の撃退士が現地に残っていた。
 だが、今や立っているのは彼のみ。
 彼と共に残った者たちは、悉く絶命していた。

 ヴィルギニアの背後で、鬼蜘蛛が暴れている。
 泣き叫ぶ少女の首が飛ぶ。児童を守ろうとした教師の身体が二つに裂ける。
 逃げる人々の先には燈狼が待ち構えている。校庭から出ることは、不可能だった。
 「助けて」という声は最後まで続かず、悲鳴ばかりが響く校庭は真っ赤に染まっていく。
 一人、また一人と、喰われ、千切られ、貫かれ――誰彼構わず殺される。
 地獄のようなその光景は、片腕を失った男にはどうすることも出来なかった。
 目の前の敵。まずはそれを倒さなければ、誰も救うことは出来ない。

「はァ? 約束なら守ったじゃないの」

 おかしなことを言う、とばかりに女は反論した。

「人質は、ちゃあんと『解放した』わよ? 『手を出さない』とは言ってないはずなんだけどぉ?」

 ひっひひひっ。
 心底愉しそうに、女は笑った。

 銀の髪は、朱色に。
 修道服は、動きやすい軽装に。
 女の両手足で、鋼が光った。

 『金色』の双眸だけは、そのままだった。
 柔らかな微笑みの代わりに、闘争を悦ぶ色を湛えていた。


リプレイ本文



●本物

「――Hey、そこの美しいお姉さん☆ ボクとお茶しない?」

 藤井 雪彦(jb4731)は、いつも通りの調子で声をかけた。
 残念ながら相手からの反応は無い。目に見える変化は、彼女を囲む聖騎士たちが武器を構えた程度だ。
 菫色の修道女――ヴィルギニアは、穏やかな微笑みを浮かべるのみ。
 やっぱりそういう雰囲気じゃないよね〜。肩を竦める雪彦は、改めて周囲を見回した。

 ヴィルギニアの前後に、長い車列が形成されていた。
 あちこちから困惑の声が聞こえていたのも束の間、現れた者の正体を誰かが叫んだ。
 天使だ、と。不安は恐怖へと変わり、焦燥が混乱を呼ぶ。
 あちこちに逃げ出す人の波。ホイッスルが響く。

「ここは危険です! 車から降りて避難してください!」

 春名 璃世(ja8279)が声を張る。
 避難を誘導するのは彼女の妹、春名 瑠璃(jb9294)。
 北側に逃げれば、別の天魔と遭遇する危険がある。
 人の流れを何とか制御しようと、姉同様に叫ぶようにして指示を出していた。

(学校へ向かう皆さん、お気をつけて)

 全力移動で北へ向かう仲間を見送った炎武 瑠美(jb4684)も、春名姉妹とともに混乱の収拾を急いだ。
 幸い、まだ戦端は開かれていない。一刻も早く、一般の人たちを安全なところへ。
 殺気立つサーバントたちに困ったような微笑みを浮かべる一方、ヴィルギニアは彼女たち三人の手際を眺めている。

「聞きたいことがあるんだが」

 修道女の視線が流れ、琥珀色の瞳が一人の青年を映した。
 向坂 玲治(ja6214)だ。腕組みをする彼の手に、武器は無い。
 彼の言葉に、ヴィルギニアは小さく首を傾げた。

「何か?」
「お前の目的は何だ。そいつが知りたい」
「ボクら、無益な争いはしたくないんだよね。貴女もそうじゃない? 目的次第だけど、お互いにメリットがあるように相談したいな☆」

 玲治の隣に雪彦が並ぶ。
 彼らの背後、逃げ惑う人々のさらに先では、仲間たちが駆けている。
 追わせるわけにはいかない。時間を稼がなければならなかった。

「片倉 花燐」

 微笑みを崩さず、ヴィルギニアはそう答えた。
 先ほど会ったときと同じ回答だった。あちらは『別人』だったが。
 違ったのは『会う』という表現が省かれている点か。それが意味するのは。

「それじゃ、此処を通すわけにはいかないなあ。ボクらはあの人を護る為に集まってるからね☆」

 笑顔でそう告げる雪彦。
 今にも飛び出していきそうな聖騎士たちは、ヴィルギニアが制止した。

「わかっています。ですが――お互いに『無益な』争いは避けたい。そうでしょう?」

 修道女は、雪彦の言葉を繰り返す。わざとらしく一部を強調して。
 顔に貼られた微笑みに変化はないが、思わず雪彦は息を呑んだ。
 プレッシャーが告げている。察せ。道を譲らなければどうなるか。
 その威圧感を溜息で受け流しつつ、玲治が口を開く。

「お前がどうしたいかはわかった。……が、少し待ってもらえないか」
「なぜです?」
「『もう一人のお前』だ。そいつが暴れてるんで、片倉さんはそっちに向かってる」

 怪訝な表情を浮かべる。
 ヴィルギニアの顔から、はじめて笑顔が消えた。

「暴れている……とは?」
「人質がサーバントに襲われたんだ。解放するって約束じゃなかったか」
「貴女は騙し討ちをする為に人質を取るタイプには見えないな〜」
「…………」

 玲治の言葉に雪彦が同調する。閉口し、何かを思案しているヴィルギニア。
 その様子を見て玲治は確信した。向こうの出来事は、この天使にとって予定外の事態だ。使える。

「こっちはお前らを信じたのに、その結果がこれだ。多少の譲歩があっても良いだろう」
「……強気ですね。支配される側の発言とは思えません」
「そっちが俺たちを支配する気でいるなら、それこそ寛大な心を持ってもらいたいもんだ」
「そうそう☆ 一方的な支配だって言うなら〜……もちろん抵抗するぜ?」

 ヴィルギニアの顔に微笑みは戻らない。
 北の空に視線を投げ、黙考を続ける。
 もうひと押しでいけるかもしれない。玲治と雪彦は目配せした。

「片倉さんが戻ってくる確約が欲しいなら、俺を人質にするといい」

 どうだ。真っ直ぐにヴィルギニアを見据える玲治。
 その視線をじっと見つめ返していた聖女は、たっぷりと時間を使った後、再び微笑んだ。


「それは、聞き入れられません」


「え?」

 雪彦が間抜けな声を出す。
 あれ、今のっていけそうな流れじゃなかったの?
 厳しい表情の玲治。ヴィルギニアは、ひどく優しい声音で語った。
 まるで駄々をこねる幼い子供に言い聞かせるかのように。

「仮に。あなたが此処に残り、片倉 花燐が戻ってこなかったとしましょう」
「それはないと思うよ? 片倉さんはそんなタイプじゃ――」
「そうなれば、私はあなたを殺します。そうしてよろしいのでしょう?」

 口を挟んだ雪彦を黙殺して、ヴィルギニアは玲治に問うた。無言で頷きを返す。
 では、やはり。菫色の修道女は、微笑んでいる。

「あなた一人が死んだところで、私たちへの利益は少なすぎます。あなた程度の命では、片倉 花燐に釣り合わないのです。こちらが信用するに値しません。人質としての意味を成さないと言っていいでしょう」

 納得いただけましたか? ヴィルギニアは笑顔で尋ねる。
 今度は玲治たちが閉口する番だった。
 とっておきのカードを切ったつもりだったが、すっかり流れが逆転してしまった。

「譲歩は考えておきましょう。ですが、こちらの目的は譲れません。私は彼女を追います」

 これで話は、おしまいです。
 ヴィルギニアがそう締め括るのと、サーバントが動き出すのは同時だった。



●激情

 交渉失敗。

 ハンズフリーの無線機から、そんな単語が聞こえてきた。
 とはいえ、こちらからどうこうできる話ではない。
 残った五人を信じるだけだ。自分たちは、自分たちに出来ることを為す。

「――見えました……」

 Viena・S・Tola(jb2720)が呟いた。
 空中。散開する人影は、彼女を含めて三人分。

「狼型多数。蜘蛛型が二体。……戦闘中の味方は居ないようだ」

 状況を確認した不知火 蒼一(jb8544)が、努めて冷静に報告する。
 校庭は赤かった。悲鳴が止まない。銃を握る蒼一の手に力が籠もった。

「素直に解放するとは思っていなかったが、こうもあっさり味方が壊滅するとはな」

 咲村 氷雅(jb0731)は、惨状を見下ろす。
 それなりの数の撃退士が残っていたはずだった。
 敵が多すぎた。意表を突かれたのかもしれない。何にせよ、戦えるのは自分達だけらしい。
 敵の目的はわからない。確かなのは、厄介な相手だということくらいか。

「手早く片付けるぞ」

 氷雅の言葉に、ヴィエナと蒼一は頷きを返した。



 地上。
 校庭を囲う白い狼たちの背後。

「――はじめますの」

 続けざまに二本、直線状のアウルの火炎が包囲網に突き刺さった。
 『火遁・火蛇』を放ち切った紅 鬼姫(ja0444)。
 穴の開いた敵陣へと迷いなく踏み込む。刃が舞った。燈狼が倒れ伏す。
 鬼姫へ殺到しようとする狼たちへ、今度は「花火」が襲いかかる。
 鑑夜 翠月(jb0681)の『ファイアワークス』だ。
 次いで銃撃。足を止めない片倉 花燐、その両隣を鈴代 征治(ja1305)とサミュエル・クレマン(jb4042)が並走する。

「無理はしないでください。危険と見たら後退を」
「わかっている。そちらも無茶をするなよ」
「一緒に動きます! 僕が、必ず守ります!」

 鬼姫、翠月に続いて校庭へ突入する三人。
 新手の出現に、燈狼の群れは動揺し、鬼蜘蛛は動きを止めた。
 一瞬の混乱。一呼吸の後。人質を襲っていたサーバントたちは、その全てが撃退士に向かう。

 般若の顔をした黒い蜘蛛が、多脚を蠢かせて進む。
 逃げる子供。息絶えた肉塊。狼の亡骸。進路上の全てを跳ね飛ばし、踏み潰し、真っ赤に砕いて猛進する。

「止まれぇっ!」

 その正面。背後に花燐を守りながら、サミュエルが前に出る。
 硬い音。サーバントの牙が大剣に阻まれた。
 上空から銃声。鬼蜘蛛に追従する燈狼たちが、鼻先を空へと向ける。
 直後、その足元に魔法陣が浮かび上がる。今、とヴィエナが呟いた。
 『炸裂陣』が発動し、鬼蜘蛛の後方で爆発。狼が数頭「消えた」。

「幻影か……!」

 槍を構える征治が苦々しく呟く。
 とにかく敵の数が多い。決して楽ではない戦いを強いられていた。
 飛びかかってくる燈狼へ、下段からの払い抜け。脚、頭、胴を一直線に切り裂く。

「攻撃を集中させろ。まずは一頭、黙らせる!」

 地上へ下りた氷雅が、双剣を手に黒蜘蛛へ向かう。
 燈狼を数匹斬り捨てる。目標は射程内。切り結ぶサミュエルが離れたタイミング。ここだ。
 『黒死蝶』が舞う。蜘蛛を囲むそれらは、取り巻きの燈狼を蝕んで切り裂いた。断末魔。鬼蜘蛛の巨体が傾き、倒れる。

「片倉さん、後ろです!」

 範囲魔法で燈狼を殲滅していた翠月が叫ぶ。
 やや離れていた茶色の鬼蜘蛛が迫っていた。
 即座に反応したのはサミュエル。進路上に立ち塞がる。

「やらせない! 僕が皆を守るんですっ!」

 盾を緊急活性。鬼蜘蛛の突進を渾身で以て受け止める。
 銃から符に持ち替えたヴィエナが空中から援護する。再度『炸裂陣』。狙いは蜘蛛の脚だ。
 アウルが爆ぜる。爆発から逃れるように散開した燈狼を、征治の槍と翠月の魔法が仕留めていく。
 一方、やや体勢を崩した蜘蛛は、数瞬動きが鈍った。だが、それは時間にして一秒にも満たない。
 柔らかな光が傷を包む。翠月にとっては、見覚えのある光だった。

「回復……! シスター型の敵を探してください!」

 一度この場所に来たとき、菫色の修道女に寄り添っていた一体。
 偵察報告には含まれていなかったが、やはりまだここにいるようだ。

「俺がやる。そっちは任せた」

 翼で飛ぶ蒼一が高度を上げた。絶え間なく吠えていた銃口が沈黙する。
 見下ろす。蜘蛛の周囲で戦う味方。その場所へ向かう燈狼の群れ。外周。――いた。

(攻撃型への変身能力があるんだったか)

 射程ギリギリから銃撃。ホーリーシスターがよろめく。
 変身後の敵には飛行能力があると聞いていた。ならば、その前に。


「――そうねえ。さっさと倒せたら良かったんだけど、ね?」


「っ!?」

 咄嗟に身を翻す。背に痛みが走った。
 高度が保てず、蒼一は地面へと近づいていく。見上げた。目が合った。

「あれ、お高いんですって。簡単にやられちゃったら怒られるのよ」

 ごめんなさいね〜。ひひひっ。
 銃声。直撃。――いや、当たっていない。笑い声。掴まれた蒼一の落下速度が増した。

「この……ッ!」
「はぁいはい、大人しくしててねぇ?」

 抵抗する間もなく、蒼一の身体は地面に叩きつけられた。
 呼吸が止まる。咽るよりも早く浴びせられた一蹴。意識が飛んだ。

「まず、ひとつっと。さっきぶりねぇ? 撃退士の皆様方ぁ♪」

 くひ。
 朱い髪の女。天使エゲリアは、笑った。
 真っ先に動いたのは征治。駆ける。跳ぶ。見上げる金の瞳。
 得物にありったけの想いを込め、征治は槍を振り下ろした。
 交差された腕が柄を受ける。着地と同時に引き戻し、すかさず刺突。『絆・連想撃』。
 一撃が腹を貫く。天使は遅れて体を逸らした。歪む。女の身体に傷は無い。

「いきなり飛ばすわねえ。悪くない攻撃じゃない?」

 当たってないけどね。エゲリアは舌を出した。
 その背を狙う刃。『迅雷』。天使の片腕、纏われた鋼が太刀を受けて甲高く鳴いた。

「――またお逢い出来ましたの」
「んー? そうだっけ? まあいいわ、お久しぶりってことで」

 一度刃を退く鬼姫。
 迎え撃つエゲリアの腕が炎を纏う。
 鉤爪が太刀を防いだ。

「この前のお礼がしたくて、逢いに来てさしあげましたの」
「へぇ? まったく身に覚えがないわねえ」
「でしたら、鬼姫のお名前……ぜひとも覚えていただきますの」

 いつかその首、いただいて差し上げますの。
 赤い瞳が天使を見据えた。金の瞳は、笑って答えた。

「まあ、覚えといてあげる。今は、そうねえ――」

 言いながら、エゲリアは飛び退いた。
 二度目の『絆・連想撃』。胴払いは、女の服と肌を薄く切り裂いた。
 征治が一歩踏み込む。二撃目。追い突き。

「この坊やにうっかり突き殺されないように、せいぜい気をつけておくわぁ♪」

 ぱっと鮮血が散る。脇腹を抉った槍。傷は浅い。
 エゲリアは柄を掴んだ。引き寄せる。振りかぶる。
 爪が征治を襲った。金属音。青年は苦笑する。

「その爪は怖いなあ。髪が燃えちゃいそう」
「あらら、器用なのねえ」

 征治はワイヤーを巻いた腕で、エゲリアの攻撃を逸らしていた。
 呑気に感心するエゲリアの手から、槍が消えた。距離を取る両者。
 間を置かず鬼姫が仕掛ける。天使の余裕は未だ消えない。

「っていうかさあ。あたしにばっかり構ってていいのぉ?」

 鬼姫は答えない。征治は、ちらと背後を気にした。

 人質を完全に無視した燈狼たちは、花燐を狙って殺到している。厳しい戦況だった。
 花燐は重傷を負ってはいないが、少なくないダメージと、疲れの蓄積があるようだ。
 包囲されているために逃げ場もなく、じわりじわりと消耗している。
 すぐ近くでは、サミュエルがただ一人で鬼蜘蛛の猛攻を耐え忍んでいた。ヴィエナによる空中からの援護が続いている。
 それでも、敵の注意は地上の標的に集中していた。

「ほらほら、見るからにヤバそうよぉ? もし、あの坊やが倒れたら――」
「その前にお前を倒せば、それで全て終わる」

 答えたのは、氷雅だった。
 一撃で終わらせるべく『幻衣』で潜行、接近。放つのは闇。『グローリアカエル』。
 再度天使は舌を出す。当たってやる義理は無い。

「あたし相手に奇襲だなんて、二千年早いっての。出直しなさいな?」
「口の減らない女だ。そんなに黙らされたいか」
「あらぁ? 綺麗なお姉さんとお話しできるのよ? 素直に喜んでおけばいいじゃない」
「寝言は寝てから言え」
「失礼しちゃうわ、ねえッ!」

 力の籠もった一撃を、再度『幻衣』で姿を隠して回避。
 征治と鬼姫が打ちかかる。舌打ちの後、エゲリアは異変に気づく。
 脇腹の傷が回復しない。妙だ。回復魔法の射程内のはずだが。
 槍と太刀をかいくぐり、回復手の居る場所を見やる。

 修道女は、倒れていた。
 その場に背を向けるのは、小柄な人影――『ハイドアンドシーク』で潜行した翠月だ。
 彼の放った『グローリアカエル』の一撃で、サーバントは沈黙していた。

「……へェ。あの子、やるわね」

 エゲリアの顔から薄ら笑いが消えた。
 一度姿を消した氷雅は、茶蜘蛛への攻撃に切り替えたようだ。『幻蝶・赤』が蜘蛛へ群がる。
 程なく、翠月もそれに加わるだろう。燈狼の数は減っていないように見えて、実際は幻影がほとんどだ。
 明らかな劣勢。天使は押し黙った。

 チャンスかもしれない。征治は鬼姫にアイコンタクトを送った。
 言葉は無い。だが、伝わった。再度『迅雷』。狙いは腹。
 ――せめて一太刀。今度こそ。

「いただきますの」

 鬼姫が手にするのは双剣。
 首へのフェイント。同時に繰り出す本命の一閃。
 上がった腕を掻い潜り、刃は天使の胴へ届いた。
 裂ける。血が噴き出す。天使は、一言も喋らない。

(もうひと押し――!)

 鬼姫に追走していた征治が、彼女の陰から飛び出した。
 胴を薙ぐ。感触は無い。避けられた。

 にィ、と。
 女の顔に、笑みが戻った。

 ぶじゅう。征治の顔目掛けて、エゲリアは『何か』を吐き出した。
 毒霧。目潰し。いつの間に仕込んだのか。腕で顔を覆う征治。そこへ衝撃。

「ったくもう。そろそろあたしもネタ切れなんだけどぉ?」

 動きの止まった征治を殴り飛ばし、花燐へと向かう。
 その背を追う鬼姫。くるりと振り返る赤毛。両者の視線がぶつかる。

「はーい、プレゼント〜♪」

 天使の右手からバラバラと撒かれたのは、画鋲の山。
 まきびしのつもりか。子供騙しだ。
 鬼姫はそれを一瞥し――間を置かず左手から放たれていたナイフに息を呑んだ。
 回避。間に合わない。刃が右胸に突き立った。途端に身体が重くなる。

「腕が二本あるのは人間だけじゃないわよぉ。覚えといたら? 鬼姫ちゃん♪」

 膝をつく鬼姫を嘲笑い、エゲリアはさらに疾駆する。
 天使の視界の先では、茶色の蜘蛛が今まさに力尽きたところだった。とどめを差した氷雅の姿が再び消える。
 構わず、エゲリアは最短距離を駆けた。燈狼の幻影数頭を掻き消して、女は跳んだ。

「エゲリアっ!!」

 着地点の花燐を庇うのは、サミュエル。
 また会ったわねえ。エゲリアは再会を悦んだ。拳が大剣の腹を殴る。

「今日は『保護者』が居ないみたいだけど、大丈夫?」
「――ッ!!」
「…………」

 サミュエルは、エゲリアを睨んだ。
 もう一人。突き刺すような視線を向けるのは、ヴィエナだ。
 この天使は、ヴィエナが愛する者たちに傷をつけた。
 許さない。口にも表情にも出さなかったが、ヴィエナは怒りに燃えていた。
 換装していた『知識之鍵』を発動。攻撃のタイミングを計る。
 サミュエルが大剣を振るう。エゲリアは飛び退いた。腹部からの流血は、止まっていない。
 背後を取った氷雅が天使を狙う。『グローリアカエル』が直撃すれば、ただでは済まないはず――


「同じ手が通用すると思ってんの? 一度失敗してるのに?」


 あんた、バカ? 潜行したままの氷雅と、エゲリアの視線がぶつかった。
 読まれている。退こうとする氷雅めがけて、貫手が放たれた。

「模技、呂段拾肆式!!」

 炎のようなアウルが螺旋を描く。突き飛ばされた氷雅は、沈黙した。
 見覚えのある技。ヴィエナは目を見張った。
 ――この女。姿だけでなく、技まで模倣するのか。

「よくも……っ!」

 サミュエルの大剣がエゲリアを狙う。
 軽々と避けられる。当たらない。それでも、回避後の隙は充分な機会だった。

「罪を……償っていただきます……」

 『蟲毒』。生み出された蛇には、冥魔のアウルが込められている。
 やや動きが鈍り始めたエゲリア、その片腕。蛇の牙が食い込む。
 ひっひひひっ。狂ったように天使は笑った。宙に浮かぶ悪魔を睨みながら。

「あーあー、あーあ。もう、なんてーの? 超うっざいんだけど」

 周囲に燈狼の姿は無い。
 花燐と翠月の手によって、悉く駆逐されたのだ。
 残すは天使、あと一人。

「ダメねぇ。全然ダメ。やっぱり強いわ、あなたたち」

 サミュエルから距離を取るエゲリアの足元は、どこか覚束ない。
 それでも、翠月の魔法を爪で叩き落とし、花燐の銃撃をのらりくらりと回避する。
 遠くに人質。護衛のいない一団に、天使はどこまでも無関心だった。
 征治と鬼姫が立ち上がる。いよいよ劣勢か。

「……まあでも、そうね。もうちょっと、戦果が欲しいわ」

 だから――

 エゲリアの足元で、アウルが弾け飛ぶ。脚甲が炎に包まれた。
 花燐へ向かう。当然、サミュエルが割り込んだ。ひひっ。女は笑った。


 ――せめて、もう一人は沈める。


「模技! 伊段拾弐式ッ!!」

 さながら『迅雷』。爆発的な跳躍を見せたその足で、エゲリアはサミュエルの頭を狙った。
 自分が狙われると思っていなかったサミュエルは、反応が遅れた。
 それにさらに割り込む人影。
 サミュエルを突き飛ばしたヴィエナ。その背に、エゲリアの薙ぐような蹴りが命中した。

「……あ?」

 直撃させた体勢で、天使は動きを止めた。
 足が振り抜けない。血を失ったからだろうか。
 背けていた顔。ヴィエナが、エゲリアを見た。

 ぞくり。
 悪寒が走ったのを感じた。

「…………」

 何も言わずに、ヴィエナは倒れた。
 サミュエルが叫ぶ。鬼姫と征治が迫る。翠月は書を、花燐は銃を構える。

 エゲリアは、呆けたように倒れ伏したヴィエナを見下ろしていた。
 銃声で我に返る。銃弾の掠った頬に朱が零れた。女は、珍しく苦笑を浮かべた。

「……素敵ね。そういうの」

 カーンッ。

 校庭へ降ってきた複数の筒が、煙を噴き出し始める。
 見上げた空に歪み。ヤタガラス。
 サミュエルが叫んだ。

「煙から出てください!」

 まだ何かをするつもりだ。少年はそう直感した。
 視界を遮られて奇襲をかけられては、花燐を守り切れるか危うい。
 しかし、予想に反して白煙は沈黙を保った。

 風が煙幕を晴らしたときには、天使の姿は無かった。



 ――春名 瑠璃が到着したときには、現場は『ある程度の』落ち着きを見せていた。
 人質とされていた人々。彼ら彼女らに植え付けられた恐怖は、撃退士たちの一言二言で拭えるものでは無かった。
 それでも、瑠璃は安堵の息と共に、呟く。

「……さすがに早いわね。こっちは片付いたみたいよ」

 そっちは、どう?

 無線機に尋ねる。
 答えは無かった。



●演武

 ――時は、やや遡る。

 ヴィルギニアとの交渉に失敗した国道班は、彼女を護衛する四体のサーバントとの戦闘に入っていた。
 一般人の避難は、璃世、瑠美、瑠璃の三人が的確な指示を出したことで、無事に完了していた。
 しかし開戦直後に、聖騎士に対するのは四人になってしまっていた。

「おらァッ!!」

 トンファーを握った玲治が、聖騎士に殴りかかる。
 翼が折れていたサーバントは派手に吹き飛ばされ、地を転がって動かなくなった。
 まずは一体。他の聖騎士たちが動く。

「璃世! スイッチ!」

 直剣を手にした瑠璃が後退。
 彼女が瑠美からの回復を待つ間、代わりに盾を持つ璃世が前に出た。
 振るわれた槍斧を防ぎながら、璃世はサーバントたちの後方を見やる。

 ヴィルギニアは、さながら観客気取りだった。
 繰り広げられる戦いを、他人事のように眺めている。
 そんな彼女のほど近くに、雪彦が倒れていた。
 酷い外傷は見当たらないが、ぴくりとも動かない。

 ――これ以上はやらせない。
 私の全てを懸けてでも、皆を守る。
 決意を固める璃世。再度瑠璃が前に出た。
 妹は姉の剣となり、姉は妹の盾となる。

「瑠璃! 守りは任せて、攻めて!」
「オッケー璃世! 二人なら負けないわよ!」

 璃世と一緒に戦える。こんなに嬉しい事は無い。
 そう感じながら、瑠璃は聖騎士への集中砲火を開始する。
 瑠璃の直剣が閃く。玲治の殴打が間を繋ぎ、瑠美による護符の援護射撃が続いた。
 他の個体は璃世が銃で牽制し、その攻撃を一身に引きつける。
 二体目が倒れた。残りは二つ。

「璃世さん! 回復を!」
「ええ、お願い……!」

 瑠美の言葉に頷きながらも、璃世は攻撃の手を緩めない。
 ヴィルギニアはまだ動かない。それが彼女を不安にさせた。
 玲治が叫ぶ。

「一体飛んだぞ!」

 瑠璃と玲治が狙っていた聖騎士は、未だ翼が健在だった。
 前衛二人の頭上を越え、璃世の銃撃を掻い潜る。狙いは回復役の瑠美。

「甘く見られたものですね……!」

 瑠美の手から護符が消え、彼女の足が青銀を纏った。
 振るわれた大剣に合わせて蹴りを繰り出す。多少のダメージは覚悟の上。
 金属音。瑠美は、数歩後退した。聖騎士が地面に落ちるように着地する。
 その隙を狙い、璃世の拳銃が翼を狙う。銃声がサーバントの飛行能力を奪った。

「飛べねえ相手ならやりやすい、ってなあ!」

 玲治の『神輝掌』が聖騎士に炸裂。よろめいたところを瑠璃の直剣が両断した。
 残りは、一つ。

 ぱち、ぱち。

 唐突に響いた拍手に、四人の撃退士は動きを止めた。
 ヴィルギニアは、相変わらず微笑んでいる。

「見事な連携ですね」

 ただそれだけ呟くと、ヴィルギニアは一体だけになってしまった聖騎士を見やった。
 わざとらしく溜息を吐き、肩を竦める権天使。

「こうまでされては、仕方ありません。私は逃げるしかなさそうです」

 顔を見合わせる撃退士たち。
 戦いの構えを解かないままで、瑠璃が尋ねた。

「……何のつもり?」
「今、言った通りです」
「ふざけてるのか」
「まさか」

 強い語調で睨む玲治に、ヴィルギニアは微笑みを返す。
 それは提案だった。

「部下の件もありますし、『あなた方との戦いから』逃げる程度は良いでしょう」

 ――これが最後の通告。
 ヴィルギニアは、片倉 花燐の元へ行く気だった。最初から、目的はそれしかなかった。
 サーバントの後方へ陣取り、物見遊山のような態度を取ったことがすでに譲歩だった。
 時間稼ぎという名の『芝居』に付き合ってやった、というのが、権天使の立場らしい。

「……通すつもりは、ありません」
「私たちはまだ戦えます。力の限り、あなたを止めます」
「ま、そういうこった。悪いな、せっかく譲歩してもらったのによ」

 璃世が答えた。
 隣に瑠美が並ぶ。
 玲治は武器を構え直した。

 瑠美は、回復スキルをほぼ使い切っていた。支援系スキルの残りもわずかだ。
 幾度か『庇護の翼』で味方を庇った玲治も、当然無傷ではない。
 璃世に至っては、肩で息をし、全身傷だらけだった。

「瑠璃」

 璃世は、自身の背後に立つ妹の名を呼んだ。

「小学校に行きなさい」
「……璃世は」
「私は残るよ。こんな傷じゃ、移動するのも大変だから」

 四人の中で、最も移動力が高いのは瑠璃だった。
 そして――最前線で戦っていながら、彼女は無傷に近い状態だった。
 玲治が庇い、瑠美が癒し、何より、璃世が身を挺して守ったからだ。
 何かを言いかけて、瑠璃は口をつぐんだ。振り返った姉は、笑っていた。

「大丈夫。私たちを信じて」

 妹は、頷いた。

「……わかった。しっかり頼むわよ?」

 駆け出す瑠璃を見送って、璃世は振り返る。
 正面に天使。左右に――そして、敵の足元に、味方。

「――貴女と離れたくないんだっ♪ なんてね☆」

 『明鏡止水』からの『式神・縛』。射程ギリギリ。
 タイミング、戦法共に完璧だ。雪彦はそう思った。
 倒すことは出来ずとも、足止めくらいには――

 次の瞬間、雪彦の視界は暗転していた。
 倒れたフリをするためのダメージがそのまま蓄積していた彼に、聖騎士の大剣が直撃したのだ。
 何事も無かったかのように、ヴィルギニアは口を開く。

「では、参ります」

 にこりと笑って、聖女はレイピアを抜いた。



●白雷

 狙われたのは、玲治だった。

 鋭い殺意が向けられた。見えたのは一瞬。
 反射的に『シールド』。緊急活性された盾が、辛うじて初撃を受け流す。
 気づいたときには、盾よりも近くに琥珀色の瞳。二度目の刺突。文字通りの零距離。
 細剣が、玲治の体を貫いた。倒れ伏す。

 一部始終を見ていた瑠美は、身体が冷えるのを感じた。
 これが、権天使。強い。とてつもなく。
 それでも退くわけにはいかなかった。
 脚甲を薙ぐ。天使は、笑っていなかった。
 つい、と体をわずかに逸らした。それだけだった。掠りもしない。

「瑠美っ!!」

 璃世が割り込む。
 『防壁陣』と『リジェネレーション』、双方ともに最後の一回を使い切り。
 ぐっと沈み込んだ聖女の体を、盾を構えて見下ろした。

 衝撃。

 細剣がもたらすそれではない。さながら巨大な鉄塊で殴られたかのようだ。
 踏ん張り切れずに後方へよろめく。
 それでも、倒れない。
 背後に瑠美がいる。それだけで、璃世は強くなれた。

 守る。
 絶対に守る。
 一秒でも長く、この天使を止める。
 瑠美はやらせない。瑠璃を追わせない。

 軽い動作で、ヴィルギニアは数歩後退した。
 肉体の急速な再生を感じて、璃世は束の間安堵した。
 もう一突きは、耐えられる。

 次の瞬間、先ほどとは比較にならない強大な一撃が璃世を襲った。

 盾は耐えた。しかし腕は悲鳴をあげ、何かが折れる嫌な音がした。
 痛みは腕のみに留まらず、全身に走った。たまらず膝をつきかけて、

 璃世は、天使を睨んだ。

 三度目の突き。
 かろうじて立っていた少女は、風に吹かれた木の葉のように飛ばされた。
 無人の自動車に激突し、その車体を大きく凹ませて、少女の体はようやく止まる。
 その四肢に力は無い。それでも、璃世にはぼんやりと見えた。

 瑠美は、無事だ。

 意識を手放した璃世を一瞥して、ヴィルギニアは一つ息を吐いた。
 瑠美を見下ろす。びくり、と肩が震えた。少女が立ち上がる気配は無い。

「……こんなところですか」

 レイピアを仕舞う。
 聞いているかどうかわかりませんが、伝えておきますね。
 座り込む瑠美に、権天使は笑顔で告げた。

「その奮闘に免じて、今回は諦めましょう」

 それでは、ごきげんよう。
 翼の折れた聖騎士を連れて、聖女はその場を後にした。





●何処か

「――それで。なぜ、このようなことになったのですか?」

 明後日の方向を向きながら、菫色の修道女は、赤毛の部下に問いかけた。
 口を尖らせて、金色の瞳が答える。

「権天使様ならきっとこうおっしゃるかなあ、っていうのを忠実に再現したつもりですよぉ?」

 その結果がこれですしぃ、仕方ないじゃないですかー。
 そう言う赤毛の女に、悪びれた様子は一切見られない。
 それにぃ。にやりと笑って女は続ける。

「暴れて良いって言ったの、権天使様だったと思いましたけどぉ。それなのに怒られるって、ちょーっと納得いかないですよぉ」
「怒ってはいません」
「ホントですかあー? なあんか不機嫌そーに見えますけどねぇ?」
「それはあなたに後ろめたい気持ちがあるからでは?」
「あららぁ、バレちゃいました?」

 ひっひひっ。赤毛は笑った。
 修道女は、空を見ていた。

「……で、さっきからどちらを見ておられるので?」
「北です」
「ああ、そーですか。あたしには関係の無い『主戦場』の方角でしたかぁ」
「そちらを希望しますか?」
「とんでもない。こう見えて、けっこう準備を進めてますからねぇ。ここで投げ出すのは、ね?」
「それは重畳。頼みますよ」
「はーいはい。今度も暴れてよろしいのでしょう?」
「ええ、もちろん。それがあなたの役割ですから」
「それじゃ、そのときは存分に」

 ひっひひひっ。赤毛は笑った。
 修道女は、空を見ていた。


依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: 崩れずの光翼・向坂 玲治(ja6214)
 祈りの心盾・春名 璃世(ja8279)
 夜を紡ぎし翠闇の魔人・鑑夜 翠月(jb0681)
 守護の覚悟・サミュエル・クレマン(jb4042)
重体: −
面白かった!:12人

暗殺の姫・
紅 鬼姫(ja0444)

大学部4年3組 女 鬼道忍軍
最強の『普通』・
鈴代 征治(ja1305)

大学部4年5組 男 ルインズブレイド
崩れずの光翼・
向坂 玲治(ja6214)

卒業 男 ディバインナイト
祈りの心盾・
春名 璃世(ja8279)

大学部5年289組 女 ディバインナイト
夜を紡ぎし翠闇の魔人・
鑑夜 翠月(jb0681)

大学部3年267組 男 ナイトウォーカー
新たなるエリュシオンへ・
咲村 氷雅(jb0731)

卒業 男 ナイトウォーカー
守るべき明日の為に・
Viena・S・Tola(jb2720)

大学部5年16組 女 陰陽師
守護の覚悟・
サミュエル・クレマン(jb4042)

大学部1年33組 男 ディバインナイト
惨劇阻みし破魔の鋭刃・
炎武 瑠美(jb4684)

大学部5年41組 女 アストラルヴァンガード
君との消えない思い出を・
藤井 雪彦(jb4731)

卒業 男 陰陽師
任に徹する・
不知火 蒼一(jb8544)

大学部4年85組 男 ナイトウォーカー
戦場を駆ける薔薇・
春名 瑠璃(jb9294)

大学部5年207組 女 ルインズブレイド