●三月某日
久遠ヶ原学園、調理実習室。
集まった12名は三班に分かれ、さっそくお菓子づくりを開始した。
「よし! はじめるぞ!」
鼻息荒く三角巾をかぶるルーシィ・アルミーダ・中臣(jz0218)。
気合は十分だが、今回は彼女にとって人生初のお菓子づくり。何をやらかしても不思議は無い。
それも含めて楽しみにしつつ、彼女のサポートについたのは黒百合(
ja0422)である。
「あははァ♪ 皆でェ……楽しいィ、楽しいィ、御菓子作りをしましょうねェ……♪」
「あ、えと、お、お手柔らかに……」
志々乃 千瀬(
jb9168)は、ぺこぺこと頭を下げた。黒百合の(プレッシャー満載の)笑顔に圧倒されているようだ。
可愛らしいフリフリのついたエプロンを着けた姿は幼く見えるが、れっきとした高等部三年生である。
二人の様子に苦笑しながら、鈴木悠司(
ja0226)が場を仕切る。
「さて。それじゃあ何を作ろうか」
「こんなの持ってきたんだけどォ、見てみるゥ?」
黒百合が取り出したのは、クッキーの作り方が簡潔にまとめてある、彼女お手製の『手順書』だ。
内容に目を通した悠司と千瀬が感嘆の声をあげた。
「俺が持ってきた料理の本より、わかりやすいね」
「これなら、一人でも、つくれそう……です」
必要な材料は、黒百合が自前で全て持参していた。
調理器具は、事前にルーシィたちと千瀬の四人で準備を済ませている。あとは実際につくるだけだ。
いち早く作業を始めた黒百合が、バターをヘラでほぐしながら尋ねる。
「それでェ……二人はどうなのォ? 腕前の方はァ」
「俺は普段、料理はしないかな。弟は得意なんだけどね」
「人並み、には、できる……と思い、ます」
「それじゃァ、こうしましょうゥ♪」
初心者のルーシィと悠司、この二人を黒百合と千瀬がサポートする。
黒百合が提案した役割分担はこのようなものだった。
指導の片手間に、黒百合は違う種類のクッキーをつくるつもりのようだ。
「わからないことがあったら聞いてねェ? 手つきは私とか千瀬ちゃんのを真似するようにィ」
「承知した。大いに参考にするぞ!」
黒百合の言葉に頷き、さっそく千瀬をじーっと凝視するルーシィ。
心なしか、千瀬の動きはぎこちないものになっていく。
調理自体は問題なさそうだが、見られながらの作業はやりづらそうだ。
「き、緊張、します、ね……あう……」
次第に顔まで赤く染まり始めた千瀬。
苦笑しながら悠司が助け船を出す。
「ルーシィさん、俺たちも手を動かさなきゃ」
「おお、そうだな! すっかり見入ってしまったのだ」
「手際良くやらないとォ、完成品を食べ損ねるわよォ?」
「それは困る! 悠司、我らも急いで作るぞ!」
黒百合の指摘に慌てるルーシィの姿に、悠司は再度苦笑を浮かべた。
お手製レシピと黒百合先生の指導により、ルーシィ班の調理は概ね順調のようである。
一方、隣のテーブルで調理を行なうのは、佐久間 あんこ班。
こちらは現在、波乱の様相を呈していた。
「……ちょっと待った」
見かねたあんこがストップをかけた。
開封直後の砂糖の袋を傾けた体勢で固まっているのは、七瀬 夏輝(
jb7844)である。
調理開始前に『あたいにかかればお菓子作りくらいたやすいことだ』と筆談で豪語していたわりには、レシピからの脱線が著しい。
夏輝の手元にある(たぶん)食べられる塊は、すでに色合いが怪しい。
「目分量で大丈夫なの?」
『大さじとか小さじとか、よくわからないからな。駄目か?』
メモ帳に書いた文字を見せながら、夏輝は首を傾げる。
あんこは、一緒に調理をしている雫(
ja1894)と顔を見合わせた。
百歩譲って駄目ではないが、限りなくアウトに近い。
目分量で入れるにしても、袋から直接というのは、大胆すぎるのではないだろうか。
ザザッ。
『入れ過ぎた』
「見ればわかります」
無表情のままペンを走らせる夏輝に、間髪入れず雫が答える。
案の定、大きな袋いっぱいの砂糖はほぼ全て投入され、ボウルの中には白い山が出来ていた。
「あー。これはもう駄目かも」
「『かも』じゃないです。駄目ですよ。このままだと、おそらく御菓子では無く産廃が生まれます」
「うん、あたしもそう思う」
溜息を吐くあんこは頭を抱え、雫は困った様子で天を仰ぐ。
これ以上無理矢理進めても仕方がない。失敗作を片付け、もう一度はじめから作り直すことにしたようだ。
雫とあんこの二人は、雫の提案でゼリーとプリンをつくっていた。
それらはすでに冷蔵庫に入っており、あとは固まるのを待つだけの状態である。
手の空いた二人は、クッキーを作る夏輝を手伝うことにしたのだが……
『料理は時計を作るより謎だ。設計図通りに作っているはずなのに』
「アレのどこがレシピ通りなのよ! それならキチンと大さじ小さじ使いなさいっての!」
『だが、作り方は合っているはずだぞ。どうして形にならないのか……』
「可能な限り味見をしましょう。それだけで、失敗の確率はかなり減るはずです」
再チャレンジを始めた三人を、穏やかな表情で見守る青年が一人。山本 ウーノ(
jb8968)である。
黙々と自分の作業に没頭しているように見えるが、班のメンバーをさりげなくサポートしているのが彼だ。
ゼリーに「すっぽんの血」を入れようとした雫をやんわりと制止したり、夏輝が持ち込んだ「白チョークの粉」を「小麦粉」とすり替えておいたり、調味料の分量を間違えて失敗したあんこを慰めたり等々。
この班が何とか調理の体裁を保てているのは、彼のおかげと言ってもいいかもしれない。
(放っておいたら危ないかな、とは思ってたけど……)
卵を割ろうとして握り潰している夏輝を眺めるウーノ。
他の二人はまだしも、彼女に関しては付きっきりで指導しても厳しい気がする。
かといって、あまり口を出しすぎると楽しい雰囲気を壊すことになりかねない。
一生懸命お菓子作りをする女性陣を応援し、支えるだけにとどめておこう。
そんなことをウーノが考えている間に、夏輝の手元には「何だかよくわからない黒い物体」が出来上がっていた。
夏輝は誇らしげに胸を張っていたが、雫たち二人が言葉を失ったのは言うまでもない。
残る一つの班では、聖蘭寺 壱縷(
jb8938)を中心に完成品の試食を行なっていた。
むぐむぐと口を動かす壱縷の目の前には、緊張した面持ちのセルカがいる。
「何だか不思議な味がしますね。これは……そう、抹茶です!」
壱縷が断言すると、セルカは「おおー!」と声をあげて目を輝かせた。
茶色のクッキーは、本当なら抹茶味ではなく、ココア味のものである。
セルカと一緒にこのクッキーをつくったエマ・シェフィールド(
jb6754)が、今し方焼き上がったものを壱縷の前に置く。
「じゃあ、こっちのはどうかな? けっこう自信あるんだけど〜」
「見た目は同じに見えますが……」
いただきます、と律儀に手を合わせ、クッキーを一枚頬張る壱縷。
なるほどと頷き、舌で感じ取った『隠し味』を言い当てる。
「蜂蜜、ですね!」
「正解〜♪ すごいね、ホントにわかっちゃうんだ〜!」
満面の笑みでエマに褒められ、壱縷は少しだけ頬を朱に染めながら謙遜する。
『絶対味覚』を保持する壱縷にとって、料理は大得意な分野である。
本来人見知りの壱縷。最初こそ表情が硬かったものの、お菓子作りを通して班のメンバーと打ち解けることができたようだ。
エマとセルカの二人がつくったクッキーは、アレンジしたものも含めて全て焼き上がった。
隠し味クイズも一区切りついたところで、三人は篠塚 繭子(
jb7888)を手伝うことにした。
棒状のアイスボックスクッキー生地を冷蔵庫から取り出す繭子に、セルカが尋ねる。
「繭子、どう? そろそろできそう?」
「もうちょっとです。思ったより時間がかかっちゃいましたね。手際がいい方に憧れちゃいますよー」
壱縷同様、お菓子作りには自信のある繭子だが、その作業スピードはとてもマイペースだった。
生地の状態を見た壱縷がひとつ頷き、繭子に確認する。
「あとは厚さを揃えて切って、オーブンで焼いたら完成ですか?」
「ちょっと形に凝ってみようと思っていますから、もうひと手間加えるつもりです」
「あ、それならこれ使う〜?」
持参した『型抜き』を差し出すエマ。
包丁で形を整えるとなると、難しい上に時間がかかるが、型抜きを使えば初心者でも色々な形のクッキーが作れる。
エマの提案に、繭子は笑顔で頷いた。
「大きめに作りましたから、使えるはずですよー」
「わたしも手伝っていい?」
「もちろんです。ああ、でも、食べるのは焼き上がってからにしてくださいねー?」
繭子に笑顔で釘を刺され、「うぐ」と呻くセルカ。つまみ食いする気満々だったようである。
しょんぼりと肩を落とす彼女を壱縷が励まし、気を取り直して繭子が厚さを揃えて切った生地に型抜きを当てていく。
ころころと表情を変えるセルカの様子を隣で眺めながら、エマは微笑みを浮かべた。
(……これなら、きっと大丈夫だよね……)
友達になりたい。
セルカにそう告げたとき、エマはその後のことについて、あまり深くは考えていなかった。
はぐれ悪魔のセルカが学園で上手くやっていけるのか。エマはずっと心配していたのだ。
セルカは良い人たちに囲まれている。それを知ったエマは、安心すると同時にとても喜んだものである。
最初は気軽だったとはいえ、エマだって何も考えていないわけではない。
「ほらっ、エマも手伝って! いっぱいあるんだから!」
「あ、ごめんごめん。ちょっと考え事してたよ〜」
――セルカの笑顔を見ることができて、本当に良かった。
そんなことを思いながら、エマは親友に満面の笑みを返した。
●完成!
窓の外が夕暮れに染まり、差し込む陽光が赤みを帯び始める頃。
全員のお菓子が出来上がった調理実習室では、歓声と拍手が起こった。
次はいよいよ実食タイム。
テーブル上には小皿やスプーン、フォークが並び、出来立てのクッキーが大皿の上に山と盛られている。
千瀬と悠司、ルーシィの三人がつくったシンプルな味のもの。
黒百合がつくった、美味しくて低カロリーの「きな粉豆乳クッキー」。
エマとセルカが一緒につくったココアクッキーは、壱縷先生お墨付きの出来栄えだ。
いろいろな形で見た目も楽しめるのは、繭子がつくったアイスボックスクッキーである。
その他に、ウーノが一人で完成させた、本格的なザッハトルテ。
雫とあんこが協力して工夫したプリンとゼリーも人数分揃っていた。
「それでは……いただきます!」
『いただきまーす!』
壱縷の声を、他の皆の声が追った。
「お菓子〜お菓子〜♪ あ、さっき紅茶淹れといたから、配るね〜!」
「あたしも手伝うよ! やっぱ、クッキーに紅茶は欠かせないっしょ!」
ルンルンと鼻歌を歌うエマが、準備していた紅茶をカップに注ぐ。
それらを盆に乗せ、あんこが皆の前へと置いていく。
二人にお礼を言う壱縷は、紅茶を一口飲んでから、取り分けたザッハトルテを口に運んだ。
「これ、すごく美味しいのです! 山本様、レシピに書き記してもよろしいですか?」
「もちろん。好評みたいで良かったよ」
「ゼリーもプリンも良い出来です。これも山本さんのアドバイスがあったからこそ、でしょうか」
「いやあ、それほどでも……」
壱縷からは料理の出来を褒められ、自作したスイーツを食べる雫からは感謝され、照れくさそうに頭を掻くウーノ。
彼としては、料理の腕前が絶望的な夏輝を救えなかったのが心残りだったが、その無念は幾らか和らいだようだ。
さて、その夏輝はというと、結局暗黒物質しかつくれなかったので、買っておいたマシュマロを出そうとしていた。
彼女の正面の席では、悠司と繭子がクッキーを片手に、ホワイトデーのプレゼントについて論じている。
「バレンタインのお返しって、やっぱり手作りの方が良いのかな? 俺は既製品で済ませちゃったけど」
「たしか、渡す物の種類によって、意味が違ったはずですよー」
「へえ、そうなんだ。たとえば?」
「キャンディが『好き』、クッキーが『友達』、マシュマロが『嫌い』、でしたかね」
繭子の言葉を聞いた夏輝の動きが止まる。
なんというチョイスミス。これは出せない。業務用の特大サイズだし。
いそいそとカバンに戻そうとする夏輝に、声をかける人物が一人。
「あの、それ……しまっちゃう、のです、か?」
『そのつもりだが。食べるか?』
「せっかく、ですから……」
夏輝からマシュマロを受け取ったのは千瀬である。
もくもくと口に詰め込み、幸せそうに表情を綻ばせる。
眺める夏輝は意識の外のようで、今度はクッキーを手に取って食べ始めた。
「よりどり、みどり……えへ……♪」
(……リスみたいだな。かわいい……)
無表情でそんなことを考える夏輝。
なんだかんだでマシュマロを持ってきたのは正解だったようである。
「うーん、おいしいっ! これ、誰がつくったの?」
きな粉豆乳クッキーを食べるセルカ。
にこやかな笑みを浮かべた黒百合が名乗り出た。
「私よォ♪ これでも料理出来る方なのよォ? 意外だったかしらァ……♪」
「ゼツミョーな味なのだ! いくらでも食べられるぞ!」
セルカの隣に座るルーシィは笑顔である。
しばらく二人の姿を微笑ましげに眺めていた黒百合は、そうそう、と呟いて何かを取り出した。
それを見たセルカは「わあ!」と目を輝かせ、隣にいたルーシィはギョッとした様子で目を逸らす。
「本当に好きな子がいたなら私に言いなさいねェ? イチコロにする秘訣を教えてあげるわァ♪」
披露されたのは、黒百合が独自に『魔改造』したお菓子。
「各種劇物入りチョコが配合された超刺激的なクッキー」と「糖度測定不能、舐めただけで意識が遠のくほど甘いチョコ」の二つである。
どちらも黒百合の言うとおり、好きな子をイチコロにできる代物だった。物理的な意味で。
「少なくとも一般人は確実に落とせるわよォ……きっと楽しいでしょうねェ♪」
食べてみるゥ?とお菓子(仮)を差し出す黒百合。差し出されたルーシィは丁重にお断りした。
実はすでに、ルーシィの飲み物には、黒百合お手製の『改造ウォッカ』が一滴垂らしてある。
そのせいで後ほど大騒ぎになったりしたのだが、時間の都合とルーシィの面目のため、少々残念だが割愛しておく。
暗くなった頃には、完成したスイーツはほとんど無くなった。
余りは各自が持ち帰ることとなり、手づくりお菓子パーティは(一部を除いて)大成功に終わった。
ちなみに。
ルーシィ、セルカ、あんこの三人は、当初の目的をすっかり忘れているようである。
彼女たちが大切な相手へと手作りのお菓子を贈るのは、来年の今頃になりそうだ。