正午を過ぎた学園構内。
小さな逃走者――依頼者曰く『美猫』だという天魔を捕獲すべく、8人の撃退士が集った。
●追跡班
「にゃんこさんを探す依頼だなんて珍しいですの」
ほう、と吐息を漏らすのは紅 鬼姫(
ja0444)。目標となる黒猫を想像する彼女の頬は緩み気味である。
「美猫、ねえ」
呟く鈴屋 灰次(
jb1258)の脳裏には、愛猫の寝顔が浮かんだ。
「依頼人さんのお話では、このあたりで見つけたというお話でしたけれど……」
「たぶん、話に出てきたベンチがこれだな。となると……猫が逃げたのはあの木かね」
鬼姫と灰次の二人は、笆が黒猫に遭遇したという学生寮のすぐそばに来ていた。
道端に設置されたベンチの上に居た黒猫は、笆に触れられたことに驚き、近くの街路樹に駆け登ったという。
その後、猫は枝から枝へと飛び移りながら姿を消したとのことである。
「木登りが得意なにゃんこさんはよく見かけますの。木の上の探索は鬼姫が引き受けますの」
「了解。そっちは任せた」
鬼道忍軍である鬼姫は、さっそく黒猫が居たという木の枝へと跳んだ。猫が逃走したと思しき方向に視線を向ける。
(鬼姫のシレットも可愛らしいですけれど、今回のにゃんこさんはどうでしょうか……)
一方の灰次は、煙草に火をつけながら周囲を見回した。地上からの捜索を行いつつ、通行人から情報を聞き出す方針である。
「とりあえず、ここを通る人から情報収集といきますか」
●寮周辺捜索班
「さぁて、と。猫探しゲーム、ってな見解で臨むとしよう」
寮の近くをふらつく紫弐(
jb2710)の手には、阻霊符。黒猫と遭遇した際に、即座に対応できるようにという備えである。
人間が近寄ることが少なく、人目につきにくい場所。そこに猫が潜んでいるかもしれない。
紫弐は寮周辺をくまなく探索しながら、ときたま飛行能力を用いて空からの捜索も行う。
「出てこーい猫ー。……おっ?」
呼んでも返事はなかったが、空を行く彼は何かを発見したようだ。
「すみません。寮にお住まいの方ですね? 少しお話を伺いたいのですが――」
紫弐と共に寮周辺の捜索を担当している唯 倫(
jb3717)は、寮に住む男子学生に聞き込みを行っていた。彼女の頭に乗ったニット帽には猫の耳がついている。
「黒猫? そういえば今朝、寮を出たときに見たな」
「瞳の色はどうでした?」
「たしか黄色っぽかったと思うけど」
「尻尾は?」
「長かったね」
なるほど、と頷きながら、メモ帳に書き込む倫。他にも数人に聞き込みを行い、得た情報を元に捜索をしてみようと同行者の姿を探した。
間もなく紫弐を見つけ、駆け寄ってみると。
「……何してるんです?」
「見てわかるだろう。こいつに餌をやっていた」
もふもふ。紫弐は目の前で餌を食む茶虎の猫を愛でていた。
「えっと、捜索の方は」
「目の前に猫が居る。これをモフらん手はない」
二人が会話をしている間にも、餌につられた野良猫が続々と集まってきた。その中に目標である黒猫の姿はない。
半ば呆れている倫に、あらかた餌をまき終えた紫弐が声をかける。
「猫じゃらしとか持ってないか?」
「これですか?」
「おう、ちょっと貸してくれ」
倫から猫じゃらしを受け取った紫弐は、依頼そっちのけで野良猫と遊び始めた。はあ、と溜息を吐く倫にも、猫たちがにゃあにゃあと餌をねだって擦り寄ってくる。
(……少しだけならいいかな)
誘惑に負けた倫は、足元にいた小柄な白猫を撫でた。猫はごろごろと喉を鳴らしている。
野良猫たちに囲まれた紫弐と倫は、しばらく彼らの毛並みを堪能していた。
●商店街捜索班
「一見猫さんでも、ディアボロですものね。一般の方に何かあっては大変です」
早急に確保しましょう、とリラローズ(
jb3861)が呟く。
「そうだね。油断はできないけど、懐いてくれれば……」
頷くルカーノ・メイシ(
ja0533)は、猫を発見した後の行動を考えていた。今回の依頼の一番の問題は、捕獲方法である。
「興奮して発熱するのか、最初から高温なのかがわからないんだよなあ」
「ルカーノ様、まずはディアボロにゃんこさんを見つけましょう? 話はそれから、ですの」
「それもそうか。じゃあ、商店街の人たちに話を聞きながら探してみよう」
効率良く探すため、二人は商店街の入り口でわかれて捜索を開始した。
猫が好みそうな日当たりのよい場所を中心に、リラローズは黒猫を探して商店街を歩く。
「ディアボロにゃんこさんに、普通の猫さんと同じ習性はあるのかしら……?」
路地で遊ぶ子供たちを見つけた彼女は、尻尾が二本ある黒猫を見なかったか、と尋ねてみた。
「それなら公園で見たことあるよ!」
「黒くて目が黄色い猫ちゃんでしょ? おねえちゃん、あの子を探してるの?」
「ええ、そうですの」
「じゃあ、あたしたちも猫探し手伝ってあげる!」
子供たちはリラローズの手を引いて、わいわいと騒ぎながら商店街近くの公園へと向かった。
(困りましたわね……)
探してくれるというのはありがたいが、対象は天魔である。子供たちを危険に晒すわけにはいかない。
(仕方ありません。あとはルカーノ様にお任せしましょう)
結局、公園にディアボロの姿はなく、リラローズはしばらく子供たちの相手をすることになった。
「――どうした兄ちゃん。何か買ってくのかい?」
「いえ、ちょっと珍しい猫を探してまして」
大切な猫なんですよ、と笑顔で話すルカーノ。対する魚屋の親父は、なるほどと合点が行った様子である。
「ウチの売り物をくすねて行きやがるヤツなら、顔はバッチリ覚えてるぜ。で、どんな猫を探してんだい?」
「えっと、毛の色は黒で、目が金色の猫なんですけど」
「あぁ、たぶん最近このへんをうろついてるってヤツだな。あいつはまだウチに来たことがねえからよくわからねえや」
「そうですか……」
ありがとうございました、と礼を言ってルカーノは魚屋を後にする。せめて現れたことがあるという話なら、魚の一匹でも買っていこうかと考えていたのだが。
(このあたりの野良猫事情に詳しそうな人とかいないかなあ。……猫と話せる人とかいたら楽なんだけどな)
気を取り直して、ルカーノは道行く買い物客に聞き込みを開始した。
●雑木林捜索班
寮の裏手に広がる雑木林。小規模とはいえそれなりの広さがあるその場所を、二人の男子学生が歩いている。
(たまには、こんな依頼もいいかな)
眼鏡の青年、黒井 明斗(
jb0525)の心中は穏やかで、浮かべる表情もどこか楽しそうである。
「ディアボロの黒猫さんですか。どの様な猫さんか少し楽しみですね」
明斗の隣を歩く鑑夜 翠月(
jb0681)は柔和な笑みを浮かべた。猫耳のような髪型、緑色のリボンでまとめられた長い後ろ髪。
どことなく黒猫を連想させる容姿の翠月は、見た目も仕草も少女のそれであるが、彼はれっきとした男性である。
藪をかき分け、木の陰に回り込み、頭上にも気を配りながら目標を探す明斗。小さな物音に注意しながら、足跡などの猫が移動した形跡がないかを調べる翠月。
しかし、黒猫に繋がるような何かは見つからない。
翠月が嘆息したそのとき、すぐそばの木の上からコンコンとかすかな音が響いた。
見上げた先には、寮近辺から雑木林に移動してきた鬼姫の姿。右手の人差し指が口元に添えられており、左手で藪の向こうを指し示している。
「黒井さんっ」
小声で明斗を呼び、二人で鬼姫が指した藪の向こうを覗き込む。
黄金の瞳がこちらを見ていた。
慌てて明斗は目をそらし、翠月は頭を引っ込めた。枝の上から飛び降り、音もなく着地した鬼姫が、携帯電話を取り出す。
「可愛らしいにゃんこさん、見つけましたの」
●集合の知らせ
「雑木林で標的が見つかったそうだ」
太った野良猫を転がしていた灰次が、届いたメールを確認してそう告げる。通行人目当ての情報収集では大した成果があがらず、寮周辺捜索組と合流した結果がこれである。
「探索失敗か。残念」
肩をすくめる紫弐。相変わらず最初に懐いた茶虎猫と戯れている彼に、反省している様子は無かった。
(あー。結局ずっとこの子たちと遊んじゃってた……)
対照的に倫は大いに反省していた。彼女を慰めるかのように、足元の白猫がにゃあと鳴く。最後に白猫を一撫でして、倫は立ち上がった。
「皆と合流しましょう。黒猫が逃げる前に」
「それが良い。すぐに向かおう」
「しっかし……モフれっかな」
野良猫たちとの別れを惜しみながら、三人は雑木林へと向かう。
「おーい、黒猫が見つかったってさ」
「そのようですね」
公園で子供たちを見守っていたリラローズの元に、彼女の行き先を商店街の人から聞き出したルカーノが合流した。
「まだ捕まえてはいないみたいだ」
「では、急いで向かいましょう」
「えー! おねえちゃん行っちゃうの?」
「猫ちゃん見つかったんだ? よかったー!」
公園内に散っていた子供たちが二人の元へ集まってくる。
「皆さん、お手伝いありがとうございました」
リラローズが優雅に一礼し、にこりと微笑む。
「また一緒に遊ぼうね!」
「今度は猫ちゃんも連れてきてよ!」
盛り上がる子供たち。
「すごい人気だなぁ……」
「ディアボロにゃんこさんも、この子たちのように懐いてくれるといいのですけれど」
思わず呟いたルカーノに、リラローズは苦笑を返した。
●捕獲作戦、実行のとき
黒猫の発見現場に全員が揃ったのを確認し、明斗が銀縁眼鏡をきらりと光らせた。
「僕に秘策があります。罠を設置しますので、皆さんは誘導をお願いします」
「Jud! ……それにしても、なんか気ままに動き回ってるよね。ずっとこっちを見てるけど」
公園で子供たちから貰ったエノコログサを片手に、ルカーノはぽそりと呟いた。彼の視線の先では黒猫がゴロゴロと地面を転がっている。背中がかゆいのだろうか。
「猫さんと触れ合うことが依頼者さんの目的ですから、人間に敵意を覚えないように、これを使って気を引いてみますね」
翠月が取り出したのは、鳥の羽でできたハタキ。鳥の羽の部分にはマタタビパウダーが振りかけてある。
「準備できました!」
猫耳ニット帽に加えて、猫の尻尾を模したふさふさの飾りを装備した倫。先ほどまで紫弐に貸していた猫じゃらしを手に、やる気満々である。
「鬼姫にはこれがありますの」
鬼姫は倫が装備したものと同系統のふさふさ飾りを取り出した。これも使ってほしいですの、と明斗にミルクを手渡す。
「では、私はこれを」
リラローズは釣竿のような玩具を用意していた。糸の先にはねずみを模した毛玉がついている。
「逃げられたら厄介だ、少し離れて臨機応変に動けるようにしておこう」
「俺も周囲を固めておくとするか」
紫弐、灰次の二人は有事に備えて黒猫から距離を取ることにした。
状況開始。
撃退士たちが動き始めると、黒猫は素早く体を起こし、体勢を低くした。
「大丈夫、大丈夫。怖がらないでいいんだよ」
エノコログサを振りながら、ルカーノが黒猫にやさしく声をかける。
「にゃんこさん……貴方に触れたいですの」
熱烈な視線を送りながら、鬼姫はふさふさ飾りを揺らす。
「にゃあん♪」
猫になりきった倫は、鳴き真似をしつつ猫じゃらしを振っている。
「私のねずみさん、ディアボロにゃんこさんのお気に召すかしら?」
ゆらりゆらり。リラローズが持つ竿の先、灰色の毛玉が揺れる。
四方で揺れ動く猫じゃらし等々。黒猫はそれぞれの動きを目で追っていたが、ふいにその鼻がひくひくと動いた。
「どうやらマタタビは効果があるようですね」
黄金の瞳は翠月が持つハタキに釘付けになった。翠月がハタキを動かすと、黒猫の双眸がその動きを追いかける。
一方、黒猫を囲む5人から若干離れた場所では。
「よし。準備完了」
ミルクを注いだ皿、さらにそのそばに土鍋が明斗の手で設置された。土鍋には、翠月のハタキ同様マタタビパウダーが仕込まれている。
翠月が黒猫を誘導し、明斗の仕掛けた罠へじりじりと近づく。その間にも黒猫は右へ左へ揺れるハタキを、躍起になって捕まえようと跳ねている。
土鍋のすぐそばまで到達した黒猫。翠月のハタキから目を逸らすと、ちょうどいいところにいいものがあったとばかりにミルクをぴちゃぴちゃと飲み始めた。
しばらくして皿のミルクを全て飲み干した黒猫は、どこか満足げな様子である。今度はふんふんと鼻を鳴らしながら土鍋のにおいを嗅ぎ、その中に足を踏み入れた。
撃退士たちが固唾を飲んで見守る中、黒猫は鍋の中で丸くなると寝息を立て始め、無事に猫鍋が完成した。
「上手くいきましたね。では、早速!」
ほっと息を吐いた明斗は、一転して目を輝かせながらデジカメを取り出し、猫鍋の撮影に取りかかる。
「ふふ、こうしてると普通の猫さんみたいですね……♪」
携帯電話で撮影しながらリラローズが微笑む。
「やっぱりただの猫じゃらしだからダメだったのかなぁ?」
「まあまあ。こうして無事に落ち着いてくれたんだし、良しとしようよ」
あまり黒猫の興味を惹けなかった結果に肩を落とす倫の呟きに、ルカーノが苦笑を漏らした。
「寝てるなら触れるんじゃないか?」
「ちょっと撫でてみますね」
灰次の提案を受けて、光纏した翠月が緊張の面持ちで黒猫に手を伸ばす。そっと触れてみると、じんわりとした温かさが伝わってきた。触れないほどの高熱ではない。
「いけそうだな。ぜひ俺にもモフらせてくれ」
「鬼姫も撫でたいですの」
紫弐、鬼姫も黒猫を撫ではじめ、最終的には8人全員が存分にその毛艶を堪能することができた。
●依頼達成報告
「熱々の猫鍋一丁、お待ちです♪」
「んお、なんやなんや?」
斡旋所に土鍋を持って現れた明斗に、樹裏が真っ先に反応した。ちなみに、彼の両手を保護する真紅の鍋つかみは、リラローズからの借り物である。
「もしかして、その中身は……」
「はい。例の美猫ですよ」
他人に頼んでおいて自分は斡旋所で茶を啜っていた笆が、それはご苦労だった、と明斗を労う。
もうちょい感謝した方がええんとちゃうの、という樹裏の呟きはスルーされた。
「笆さんの仰る通り、素晴らしい毛並みでした」
「撫でたのか?」
「ええ、皆で」
「マジかい。うちも撫でてみたいなあ」
「あ、今はやめておいた方がいいですよ。かなり熱いですから」
散々撃退士たちに触られたことで、黒猫は機嫌が悪くなったらしく、阻霊符付きの蓋をして斡旋所に届けられた現在は文字通り熱々の状態である。
「……モフれないじゃないか」
「文句言うなら自分も探索に参加せえや。そうすれば皆に混じってモフれたんとちゃうの」
「…………」
樹裏のもっともな指摘に、笆は閉口せざるを得なかった。