ヒョー、ヒョー。
鵺が鳴く。
月の無い夜。
ぼんやりと灯る光。
その中心に、異形の獣が潜んでいた。
●接敵
ヌエを囲むように展開する燈狼たち。数は五頭。
彼らの頭上では、一羽のヤタガラスが空中を旋回しているはずだが、その姿は見えない。
異形を見上げていた燈狼の一体が、ふいに鼻をひくつかせた。
直後。
「――景気良く行こうじゃねぇか!」
唐突に現れた二つの炸裂陣が、静寂を破壊した。
動揺する獣の群れ。
「――闇に浮かぶ月よ、天に連なる者を切り刻め!」
そこへ追撃が加えられた。
三日月形の無数の刃、さらには真空の刃が同時に飛来する。
撃退士たちによる奇襲にヌエは怒りをあらわにし、何度も鳴き声をあげる。
不気味な咆哮に、燈狼たちの唸り声が重なった。
そんな敵をくつくつと笑い、悪食 咎狩(
jb7234)は翼を広げる。
「さぁて。お前さん等はどうやって死ぬんだぁ?」
複数の敵にダメージを与え、燈狼の幻影を一頭掻き消した。初撃の成果は上々と言える。
それにしても、と饗(
jb2588)は潜行状態を維持したまま黙考した。
あんな声より、体躯に合った重厚な咆哮の方が、見栄えならぬ聞き栄えは良いだろうに。
姿形だけでなく鳴き声まで伝承に似せるあたり、製作者の熱意が感じられる。
(……奴がサーバントでなければ、うちの見世物に加えたかったですねえ)
一方、彼らと共に範囲攻撃を行ったクロエ・キャラハン(
jb1839)はこう思っていた。
ひと気のない場所に現れるなんて、私たちを誘ってるとしか考えられない。
だったら――
「お望み通り、ちゃんと殺してあげないと失礼だよね?」
あははっ。
愉しそうに笑い、少女は鉄扇を手にした。
「目標確認。援護に回る」
クロエの後方、ナイトビジョンを装備したルーカス・クラネルト(
jb6689)が淡々と言葉を発する。
敵が散開しすぎては、こちらの連携が乱れるおそれがある。
牽制するようにマシンガンを発砲し、ヌエや燈狼の動きを阻害する。
パッと灯った新たな光源。それが独特なリズムを刻みながらヌエに接近した。
咲・ギネヴィア・マックスウェル(
jb2817)が、ニヤリと笑って身の丈より長い大鎚を振りかざす。
「当たったら、ちょ〜っと痛いわよ? ――ギネヴィアホームランッ!」
大振りの攻撃を異形のサーバントは軽々と回避し、咲は大きく体勢を崩した。
おっとっと、と声をもらす彼女を虎の前足が狙う。
ズンと鎚頭が地表を叩く。そこを支点にした体捌きを用いて、咲は相手の爪を避けた。
今度はヌエに隙が生じる。
「ぱぱっとやっつけようか!」
鈴木悠司(
ja0226)が一気に距離を詰めた。曲刀を構え、ヌエ目掛けて痛打を放つ。
直線的な攻撃は、無理矢理に体を捩った異形を掠めた。しかし、動きを止めるには至らない。
反撃から逃れるように、悠司はヌエの後方へ回った。
静かだった夜の山。
戦いの喧騒は、次第に大きくなっていく。
●闇中影在
暗闇の中だからこそ、影はしっかりと自己主張をするものだ。
闇の翼で飛翔しながら、咎狩は地表をライトで照らした。
「どいつもこいつも獣くせぇ。美味そうな奴はいないねぇ」
次々と地上にともる燈狼の光を眺めて、ぼやく。
あちこちから援軍がやってきているのか、はたまた幻影が増えているだけなのか。
上空から照らしてみたものの、どちらとも判断がつかない。
だがまあ、しかし。結局のところ、どちらでも構いやしない。
マボロシだろうとケモノだろうと『味』には期待できないのだから。
もう一つの欲を満たしてくれることを期待しよう。
「気合い入れて逃げろよぉ? じゃなきゃ、すぐ死ぬぜぇ!?」
手当たり次第に符を投げつける。
避けられる。吼えられる。知ったことか。咎狩は攻撃の手を緩めない。
咎狩が空に居る以上、飛べない上に遠距離攻撃手段を持たない燈狼は手出しが出来ないのだ。
符の刃を降らせ、一方的に攻め続ける。
幻影は次々と掻き消え、断末魔と共に一頭が地に倒れ伏した。
残った光が、暗闇に溶けるように霧散する。
「他愛ねぇな。……んで、覗き趣味の鳥野郎はどこかねぇ」
咎狩は視線を空へと移した。
戦闘を傍観してくれたのはありがたい。面倒が減った。
――しかし。向こうがこちらを見ているだけというのは、非常に不愉快だ。
自分が下に見られている気がしてならない。
空から「高みの見物」を決め込むつもりなら、その特等席から引き摺り下ろしてやるとしよう。
咎狩は、獰猛に笑った。
視界が悪い。
一瞬浮かんだ懸念。それを払拭する方策を、クロエはすでに用意していた。
幸いなことに、相手は自ら発光し、親切に己の居場所を知らせてくれる。
その光を放つモノが、たとえ幻影だとしても。
「簡単な話だわ。まとめて倒しちゃえばいいのよ」
あはっ。少女は笑った。
手近な光を標的と定め、それ目掛けて逆十字を落とす。
「ゴミ屑らしく、無様に足掻きなさい!!」
闇色に呑まれたおぼろな光。それら二つは、声も無く消えた。
クロエを囲む狼の灯りは、その数を増している。
四頭。その中の一頭がクロエに突進する。
手にしたライトが狼を照らした。刹那で相手を見切り、クロエは他方に意識を向ける。
幻影。本体は別の光だ。
クロエに飛びかかった『狼の像』は、鉄扇に撫で切られ姿を消した。
結局、陽炎が地表に『正しい影』を描くことはなかった。
真正面から照らされたモノは長い影を背負う。それが当然の理だ。
しかし、燈狼がつくり出した陽炎は違う。影は伸びない。
正午の太陽に照らされているかのように、足元だけに黒を成す。
からくりがわかればこちらのもの。
自身を警戒し距離を取り続ける光の一つに、クロエはライトを向ける。
(これはハズレ。……ってことは――)
残りは二頭。本物は?
自身の能力を見抜かれたことに勘付いたのか、照らされていないうちの一頭が吼えた。
こちらへ近づく光。ライトを向けた。影は、長い。
「っつぅ……!」
判断に使った一瞬の時間。クロエの反応がわずかに遅れる。
爪が腕を裂いた。痛みに、或いは恐怖に顔を歪めながらも、少女は不敵に笑い続ける。
「無事に帰れると思ってないでしょ!?」
鉄扇が舞った。狼の首が飛ぶ。
宙を舞う血飛沫に濡れて、少女は笑った。
――陽炎は消えない。それどころか、頭数が減った分だけ増えている。
つまり、未だ光を浴びていない最後の一頭も『本物』。
標的は決まった。あとは、狩るだけ。
●暗夜に足掻く
「ったぁくもう! いい加減当たりなさいってのっ!!」
苛つきながらハンマーを振り回す咲。
彼女のフルスイングなど、すでに見切ったとヌエが跳ぶ。難なく回避。
隙の大きな獲物を目の前に、ヌエは反撃を試み――即座にその身を翻す。
「……仕留めそこなったか」
銃から和弓に装備を変更したルーカス。
彼の放った一矢は、たしかに標的に命中した。だが決定打とは成り得ていない。
ナイトビジョン越しに猿の眼と睨み合う。向こうは夜目が効くようだ。
そのサーバントの背後には、潜行状態を維持する饗と、攻撃の機会を窺う悠司。
「背面なら死角になると思いましたが……」
闇に紛れる饗は、ヌエの尻尾を見やった。
牙を光らせた蛇の眼が味方の姿を追っている。
ジュウ、と嫌な音がして、樹木と地表が泡を立てた。
「あぶないあぶない。当たったらただじゃ済まないね」
蛇の牙から飛散した毒液が、先ほどまで悠司がいた場所を溶かしている。
思う様に接近できない。銃に持ち替えるべきか。
迷っている間に追撃が襲い来る。悠司はさらにヌエから離れざるを得ない。
膠着したかに思われた戦場。打開したのは、次なる一矢。
「狙い撃つ――!」
ルーカスの精密狙撃。
霊弓の名を冠した弓から、紫電の矢が放たれた。
アウルが虎の前足を貫く。猿顔が牙を剥いて吼えた。
「あたしってばいつ決めるの? どー考えても今しかないでしょお!!」
手傷を負ったヌエ目掛け、今度こそと咲が戦鎚を振るう。
渾身の一撃はまたもや標的にかわされた。なんでやー!と憤る咲。
しかし、その攻撃は無駄ではなかった。
負傷したことで警戒心を強めたのか、ヌエは撃退士たちから大きく距離を取ったのだ。
待ち侘びた。この絶好の機会を。饗の口元が緩む。
「実に良い位置です。――燃え尽きろ」
狐火・冥獄。
冥府の力が凝縮された焔が、天がつくりし異形を焼いた。
痛みに抵抗し、なおも暴れながら、ヌエは吼えた。気の抜けるような、弱々しい声で。
とどめを差すべく、木々の間から悠司が飛び出す。
「これで、終わりっ!」
袈裟懸けに斬りつけ、返す刃で胴を薙ぐ。
ついに異形の咆哮は止んだ。
「目標達成。次の目標に……いや」
待て。まだだ。
一度構えを解いたルーカス。燃えるヌエの遺骸に違和感を覚えた彼は、言葉を切った。
結局イッパツも当たらなかった、とぶーたれる咲。
そういう日もあるよ、と苦笑する悠司。
惜しいことをした、とひとりごちる饗。
主目標を沈黙させたことで、無意識に気を緩めた撃退士たちの足元で。
――異形の体は四つに分かれ、それぞれ四方に駆け出した。
「逃がすか!」
異変にいち早く気づいたルーカスが矢を放つ。
紫電は顔の焼け焦げた猿型サーバントを射抜き、今度こそ沈黙させた。
次いで反応したのは悠司。
縮地を用い、背中に火傷を負った狸型サーバントを追う。
「それっ、追いついた!」
狸の進行方向に立ち塞がった悠司が、足止めを狙い痛打を放つ。
鋭い刺突がサーバントに直撃し、その体を衝撃で吹き飛ばした。
地面を転がる狸。悠司に続いて追ってきていたのは、鞭を構えた饗だった。
「ただの獣では見世物にもなりませんね」
紺碧の鎖鞭が唸りを上げ、容赦なくサーバントを打ちのめす。
ヌエの胴体部を構成していた狸型。こちらも猿型同様逃走に失敗。
残るは、半身が黒く変色した蛇型と、両手両足が炭化した虎型の二体。
「どこに行こうってんだぁ? ええ? まさか、おウチに帰ろうってんじゃねぇよなぁ?」
ヤタガラスの捜索を中断した咎狩が、地を這う蛇型を見下ろした。
サーバントは答えない。――否、悪魔が答える猶予を与えなかった。
刃と化した護符が地表を穿つ。蛇型の動きが止まった。残りはひとつ。
足を失くした虎型は、逃走の速度が他の三体に比べて遅かった。
満を持して、赤毛のはぐれ悪魔がサーバントの行く手を遮る。
「ふっふっふー。真のMVPは、最後の最後に活躍するものなのよ!」
咲のハンマーが黒色を纏う。情けは無用。全力でブッ飛ばす。
星明りすら吸い込む闇の塊が、会心の一撃でもって振るわれた。
「ギネヴィア大回転ホームランッ!!」
目標を見事に捉えた一振りが、サーバントの頭蓋を打ち砕いた。
これにより、異形から分かれて散った四体はすべて沈黙。
咎狩、クロエ両名の活躍によって、燈狼もすべて駆逐された。
合流した六名は、しばらく空を舞う影を探した。
しかし、彼らが三本足のカラスを発見することは、ついに無かった。
●閑寂に潜む
誰が宣言するでもなく、六人は学園への帰途についた。
戦闘を経たことで皆それぞれが消耗している。
その上、足場が悪く、視界は効かず、相手の姿などまったく見えない。
状況終了か。ひとり呟いたルーカスは、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出した。
「共闘の礼だ。受け取ってくれ」
「これはこれは。ちょうど喉が渇いたと思っていたところです」
ありがとうございます、と饗が会釈する。
「ふわ、あ……んー、カラスは見つからないね」
「そうね。だからって、あくびはどうかと思うけど」
クロエの指摘に、悠司は苦笑を浮かべて頭を掻いた。
軽い足取りの咲は、すっかり気が抜けていた。のんきに歌まで歌っている。
「カラスは鳴いてないけど帰りましょー♪ ……っと? どったの? 忘れ物?」
「…………ああ。ちょいとね」
ふいに立ち止まり、背後に視線を投げる咎狩。
不審に思った咲が首を傾げて尋ねると、気のない返事が返ってきた。
忘れ物なら仕方ない。なぜか納得する咲。うむうむと頷く。
「じゃ、あたしら先に行ってるから。暗いから転ばないようにだけ気をつけてねー」
「へえへえ。余計な心配ありがとさん」
んなドジ踏むかよ、と笑う咎狩。
ルーカスから渡されたミネラルウォーターで喉を潤す。
ふっ、と息を吐き、暗闇へと言葉を投げかけた。
「――こんな夜更けにこんな場所。お嬢ちゃんには似合わねぇが……俺たちに何か用かい?」
気配が動く様子は無い。
返事の代わりにクスクスという笑い声が返ってきた。
「……用がねぇなら構わねぇがな。てめぇもとっととおウチに帰んな」
気配が動く様子は無い。
笑い声すら返ってこなかった。
「……まァ、やる気がねぇならしょうがねぇか」
独り言にしては大きな声でそう呟き、咎狩は頭を掻いた。
その場を後にし、五人を追う。
山は、静寂を取り戻した。
去っていく撃退士たちの背を眺めながら、朱い髪の女は口角を上げた。
そうよね。そうだわ。
この程度で止まるようなら、期待外れもいいところだもの。
けれど。
「やっぱりダメね。全然ダメだわ」
必要なのは、きっとドラマよ。
整った舞台。魅力的な演者。そして、とびきりのフィナーレ。
ただの仕事でこれら全てを揃えるのは難しいかしら。
でも、揃えられるように努めてみるのも、悪くないかも。
だから。
「――また会いましょうねぇ? 撃退士さぁん♪」
ひっひひひっ。
夜明けの近づく山中に、女の笑う声が小さく響いた。
彼女の声に同意するように、三本足のカラスが一声、鳴いた。