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その日は、月が出ていた。
静寂を破ったのは、1台の車だった。
荒々しく停車したそれの運転席側、扉が勢いよく開く。
駆け出そうとする笆 奈央を、千葉 真一(
ja0070)が引き止めた。
「先輩! 妹さんの救出は俺たちに任せてください!」
現場の状況は不明瞭だ。ここで奈央の先行を許せば、二重遭難の危険が出てくる。
「だが――!」
「心配する気持ち、解る。でも、焦るのよくない」
月見里 万里(
jb6676)が奈央のセリフを遮った。
こういう時だからこそ、冷静に動かなければならない。
まだ何か言いたそうにしている奈央の肩を、郷田 英雄(
ja0378)が軽く叩いた。
「今は落ち着け。無事に戻った妹を叱ってやるのはお前の役目だ」
「……ああ、そうだな」
答える奈央の手に、拳銃が具現する。
やれやれ、と英雄は肩を竦めた。口調とは裏腹に、冷静とは程遠い状態のようだ。
「お姉さんをこんなに心配させるなんて……バカな子ねぇ」
ふう、と御堂 龍太(
jb0849)は溜息を吐いた。
その仕草は女性らしいのだが、名前の通り彼は男性――失礼、自他共に認めるオカマである。
(……まっすぐだね。とてもまっすぐ。そーゆーの、キライじゃない)
無茶をする、と水枷ユウ(
ja0591)は思った。
同時に、だからこそ手を貸そう、とも考えた。
平気で無茶をする人間は、いつか誰かを救うだろう。
「奈津希がおるのは、ここで間違いないのぢゃな?」
木花咲耶(
jb6270)の問いに、奈央は頷いた。
奈津希から最後に連絡が入ったのは、7人の現在地付近。
この近くで、今も奈津希は戦っているはずだ。
真一が奈央に念を入れた。
「妹さんを発見次第、救出して本隊に合流します。その時に――」
「敵の追撃を阻止、だろう? わかっている」
そのためのこれだ、と奈央は手にした拳銃を示した。
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『――いたぞ! そのまままっすぐ、突き当たりのT字路ぢゃ!』
屋根の上を走る真一の脳内に、咲耶の声が響く。
上空からフラッシュライトが投げ込まれると、路上を彷徨う影が照らし出された。
T字路。道が交わるその中央、無防備にうずくまる少女――笆 奈津希。
彼女目掛けて魔法炎を放とうという丸腰のブラッドウォリアーの背後で、『CHARGE UP!』と音声が鳴った。
「くらえっ!! ゴウライ、キィィックっ!!」
真一の蹴りは、標的をくの字にへし折って吹き飛ばした。
沈黙した蛸頭を無視し、ヒーローは堂々と名乗りを上げる。
「天・挙・絶・闘、ゴウライガぁっ! 参上ッ!!」
げげげ。笑い声が答えた。
奈津希を背に立つ真一。油断なく周囲を見回す。
「大勢で寄って集って女の子いじめか。感心しねぇな!」
「……誰?」
弱々しい声に、ちらりと視線を投げた。奈津希はこちらを見ていない。
真一は質問を返した。
「目が見えないのか?」
「……黒い霧。すぐ治る」
ふらり、と槍を手にした少女は立ち上がった。
身体のあちこちに攻撃を受けた痕がある。無事ではあるが、戦闘継続は難しいだろう。
「一旦下がるぞ! 態勢を立て直す!」
真一に続いて現場に現れたのは英雄だ。
『縮地』で敵の間をすり抜け、合流して早々に奈津希を肩に担ぐ。
「ふぇっ!?」
「見えない状態で歩くより早いだろ! ちょっとの我慢だ、大人しく頼むぜ!」
言われずとも奈津希は大人しかった。
自分の状況はわからないが、なんとなく察しているようで、身体を固くしている。
『こっちぢゃ!』
上空で光が動いた。飛行中の咲耶が、撤退する方角に誘導するようだ。
駆け出す英雄の前に、影が立ち塞がる。
「チッ、お姫様を抱えたまんまじゃ厳しいか……!」
舌打ちの後、ダガーを投擲する。英雄が投じた刃は音もなく影に突き刺さった。
しかし影はまだ動く。英雄に触れようと手を伸ばす。
「ゴウライブラストっ!」
真一の持つアサルトライフルが火を噴いた。腕に風穴を開けられた影は、怯えたように身を引く。
奈津希を抱えた英雄が駆け、それに追走する真一が銃撃。退路を切り開く。
「見えた」
万里が小さく呟いた。
走る彼女の視線の先には、こちらに向かってくる人影。味方にしては多すぎる。
「……ここで敵を食い止めるよ。――零奏、展開」
周囲の気温がぐんと下がった。足を止めたユウは、真っ白な弓を手にしている。
アウルが収束し、矢を形成した。つがえる。放つ。
黒い影は、白銀に貫かれた。よろめくが、倒れない。
赤い口がこちらを向いて、歪んだ。
不愉快な声が発される前に、その頭を結晶の鞭が引き裂いた。
「次は?」
アイスウィップを手にした万里がユウに尋ねた。
矢が影を狙う。ユウの隣から、1人飛び出した。奈央だ。
「バカっ、戻りなさい!!」
龍太の忠告の直後。ふしゅう、と妙な音がした。
「っ!?」
黒い霧。視力を失った奈央が、驚いて足を止めた。
十字路の向こう、塀の角から赤い口が覗く。奈央に伸びる影の腕を、龍太が放った鎌鼬が斬り飛ばす。
「女の子の扱い方ってのがわかってないわねぇ、アンタ達!」
「こっちが、次」
攻撃を受けて怯んだ影に、万里がアイスウィップで追撃を仕掛けた。
前衛と後衛が入れ替わる。
走る真一は、動きの止まっている奈央の腕を引いた。
「ユウ先輩! 引き続き援護よろしくっ!」
「……了解」
ユウの放つ矢が、追いすがる影の脳天を射抜いた。残りは幾つだ――
ふと、夏の夜の熱気に軽い目眩を覚える。ユウは攻撃の手を止めた。
『零奏』の効果が切れていた。
「……あれ、敵が減ってる気がする」
ぽつりと呟き、きょろきょろとあたりを見回す。最後の記憶と、敵の数や位置が合わないような……
「ま、いっか」
減っているに越したことはない。彼女は大して気にしなかった。
側面からユウに斬りかかろうと、ブラッドウォリアーが折れた剣を振り上げ――
固まった。無数に絡んだのは青白い手。
「……後で相手してあげるから、そこで黙って見てて」
再度、『零奏』を展開する。優先すべきは影の撃破だ。
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ユウ、万里、龍太の三名が戦うその後方。
英雄が奈津希を降ろし、真一が奈央の腕から手を離したところへ、それまで飛行を続けていた咲耶が合流した。
「まったく、無茶も大概にせい!」
「……ごめんなさい」
「すまん……」
「どこを向いて謝っておるのぢゃ!!」
咲耶の言葉に小さく頭を下げる笆姉妹は、揃って黒い霧の効果が切れていなかった。
ぷんぷんと怒る咲耶。奈央も奈津希も困り顔だが、その視線の先は咲耶ではなく、あさっての方角を向いている。
傍から見ていれば滑稽な画である。苦笑を浮かべていた英雄は「さて」と呟いた。
「コントはそのくらいにしとけよ? まだ敵は残ってる」
頷いた真一が、ヒーローマスク越しに作戦を告げる。
「二人は視力が戻るまで後方で待機、ってことで」
「ああ。このザマでは、足手まといにしかならんしな」
はあ、と奈央は溜息。彼女は真一の居る方に顔を向けたつもりのようだが、そっちは逆方向である。
(会話が成立してる気がしない……)
緊迫した空気に似合わない脱力感に苛まれつつ、真一は戦場へと足を向けた。
「手のかかる姉妹ぢゃのぉ。じっとしておれ、治療してやろう」
「……ありがと」
「うむ。では、咲耶も行って参るのぢゃ!」
奈津希に『治癒膏』を施し終えた咲耶は、再び空へと舞い上がった。
目が見えないという不利を最小限にすべく、奈央と奈津希はそれぞれの得物を手に、背中を合わせて立っている。
「じゃ、俺も……と行きたいところだが。どうやら、漫才を打ち切ったのは正解だったな?」
大剣を握る英雄が不敵に笑う。
その正面には、ブラッドウォリアーが1体。3人が戦う場所を避け、回り込んでこちらへ来たようだ。
片目を閉じた撃退士と、片目が潰れたディアボロ。
対峙は数秒。先に動いたのはブラッドウォリアーだった。
「おっと」
大剣の一撃を回避し、英雄は素早く敵の死角に回り込む。崩れかけた体勢を立て直したブラッドウォリアーは、相手を見失っていた。
右目だけの視界。不自由なそれと付き合ってきた時間は、英雄の方が長い。
左側方からの薙ぎ払い。反応が遅れたブラッドウォリアーに、その一振りが直撃した。
「そらよッ!!」
戦鎚へと持ち替えた英雄が、得物を振り抜いた。巨大な鎚頭がブラッドウォリアーを叩き潰す。
即座に戦鎚から拳銃へと持ち替え、英雄は叫んだ。
「笆っ! 4時、6メートル!!」
反応したのは奈央だった。自分の右後方にくるりと体を向け、拳銃で数発射撃。
姉同様に、奈津希も自身右後方へ方向転換し、槍で防御の体勢を取っている。
互いが見えているかのような連携を見せる姉妹。奈央の正面で、影が1体、銃撃に怯んでいた。
「当たったか?」
「当たっちゃいないが構わんさ!!」
奈央の呟きに答えながら、英雄が発砲する。弾丸が影を斑に撃ち抜くと、シャドウストーカーは溶けるように崩れた。
周囲を警戒する英雄。他に敵影は無いようだ。
「……こりゃ、1人はここに残った方が良さそうだな」
姿は無いとはいえ、まだどこかに敵が潜んでいる可能性がある。
盲目2人を放置するわけにもいかず、英雄は背中合わせで黙る姉妹の護衛に着いた。
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前線。
傷を負ったシャドウストーカーが1体、結界によって動きを封じられていた。
固まった腕が伸びた先は、弓を手にしたユウ。他の影を狙う彼女の背を守るのは、符を構えた龍太だ。
「女の子に触れようなんて十年早いのよ。出直してきなさい!」
影の足元に魔法陣が浮かび上がる。裂けた赤から漏れる笑い声は、爆炎の中に消えた。
「次、あれ」
「……了解」
万里が手にした護符が雷の刃を形成し、標的として示したシャドウストーカーを刺し貫く。
畳みかけるように、ユウが放った雷矢が同じ目標を射抜いた。
――残る影は、ひとつ。
「こっちだ!」
真一の声に反応し、影はゆらりと方向を変えた。
その隙を見計らい、上空から風の刃が飛来した。霧を吐こうとする影の肩を、黒い風が切り裂いていく。
「咲耶を忘れてもらっては困るのう!」
夜空を仰ぎ見る。翼を広げた少女に、シャドウストーカーは手を伸ばした。
「ゴウライソード、ビュートモード!」
その伸びきった腕を、真一の蛇腹剣が絡め取る。万里が駆けた。
「おしまいっ」
剣状の雷が影を両断した。溶けて崩れる影。
これで一安心、と息を吐く龍太に、先端が欠けた大剣が振り下ろされた。
「ちょっ、危ないじゃないの!?」
咄嗟に盾を構え、ブラッドウォリアーの一振りを受け流す。
ユウのスキルによって動きを封じられ、すっかり放置されていた個体だった。
「……黙って見てて、って言ったのに」
ぽつり、とユウが呟く。優しい風が吹いた。
再度振り上げられた大剣は、勢いそのままにブラッドウォリアーの手を離れる。
ようやく身体が自由を取り戻したにも関わらず、今度は深い眠りに落ちてしまったのである。
「のわっ!? なんぢゃあ!?」
すっぽ抜けた大剣は、空を飛ぶ咲耶のすぐそばを通過していた。
どこからともなく『IGNITION! BLAZING!』とアナウンスが響く。
「必殺! ゴウライ、流星閃光キィィィック!!」
炎の弾丸と化した真一もといゴウライガの鋭い蹴りが、眠っているブラッドウォリアーに直撃した。
大技を決めたヒーローだったが、華麗に着地が決まらず正面にいた龍太に抱き止められる形になった。
「ちょっと大丈夫? って、この子……」
苦笑を浮かべる龍太。真一は、寝ていた。
再展開した『零奏』が切れたらしいユウが、かくりと首を傾げる。
「……なんで寝てるの?」
「ユウのスキル、真一にも効いたっぽい」
呆れた様子で万里が呟く。
(……使ったっけ?)
ユウは、もう一度首を傾げた。
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視力が回復した笆姉妹が、揃って溜息を吐いている。
「とりあえず、無事で何よりだな」
真一はそう言って、奈津希に笑顔を向ける。彼も無事に状態異常から立ち直ったようである。
やや消沈する奈津希を正面に見据えて、咲耶は彼女の名を呼んだ。
「奈津希よ。お主は誰よりも強い。ぢゃが、強さだけでは守れぬものもある」
強さとは、想いである。
しかし、その想いだけで行動すれば、ときに大きな危険が伴うものだ。
「奈央はお主を心配して、ひとりでここに来ようとしておった。軽率な行動のせいで、お主は大切なものを失くすところだったのぢゃ。奈央の命も、お主自身の命も、こんなところで散らして良いわけがなかろう?」
奈津希は黙っている。咲耶の言葉、そのひとつひとつを、自分の中で反芻している。
ぽん、と英雄は奈津希の頭に左手を乗せた。
「お前の積極性には好意を抱く。俺も以前、悪魔にタイマンを挑んだことがあった」
右腕の腕輪に視線を落とす。結局、決着はつかずに終わった。
だが、あの戦いは無駄ではなかった。英雄は続ける。
「誰かの日常を守るのは、撃退士としての矜持だ。だがな、力無き信念に意味は無いぞ」
奈津希はわずかに動揺した。金色の瞳が揺れている。
「正義には、力が必要なんだよ。仲間でも家族でも頼っていいんだ。一人で戦わなきゃいけない、なんて思い込んでたら、自分で自分の日常を壊すことになる」
「……耳に痛い話だ」
ふっ、と自嘲的な笑みを浮かべたのは、奈央だった。
共に来てくれた仲間たち。彼女は一人ひとりの顔を見ながら、言葉を紡ぐ。
「妹だけでなく、私まで助けてもらってしまったな。おまけに説教まで任せてしまって……まあ、今日の私の体たらくでは、奈津希に説教なんて出来ないわけだが」
苦笑する。こうして今、自分が冗談を口にできているのは、ここにいる皆のおかげだ。
「心から感謝するよ。ありがとう」
「ん」
頭を下げる奈央に合わせ、奈津希もこくりと会釈した。
奈津希としては、少々複雑な心境らしい。
(ホント……心配してくれる人がいるっていいわよねぇ……)
龍太が浮かべる表情も、複雑だった。穏やかで、どこか哀愁が漂う。
いつの間に取り出したのか、バナナオレを補給しつつユウが呟く。
「……明日からが本番だよ」
青森では、未だ多数のディアボロが徘徊している。
戦いによって生まれた傷も、決して浅くは無い。
撃退士として。一人の人間として。
「出来ること、皆で頑張る。協力、大事」
万里が淡々と告げた。全員が頷きを返す。
夜空を見上げて、咲耶が呟く。月が綺麗だった。
「早う、取り戻さんとな。我々のこの手で。皆の『日常』を」
そのための力を――アウルという力を、8人は持っている。
その力で、彼らはこれから何を成していくのか。
1台の車が去った。
無人の街は、元の静寂を取り戻した。