彷徨う犬の唸り声が聞こえる。
「夢の跡、か。こんな光景がいつまでも続く。早く断ち切らないとな……」
リョウ(
ja0563)は建物を見上げる。
黒羽 拓海(
jb7256)が頷いた。
「そうだな。素体の故人を悼むのは後だ。今はこのディアボロを早々に倒す事で供養とするしかない」
「さって行きますかぁ。知能は低いって話だけど、物音立てないように注意しないとね」
夕闇が迫る中、嵯峨野 楓(
ja8257)たち六人は行動を開始した。
正面に見えるのは西門と東門。
壊れている箇所は、グールが侵入した痕跡に違いない。
隙間から見えるのは無明の闇だ。
皆、携帯電話を握りしめて持ち場を目指す。
西門にはリョウと黒羽、東門には仁良井 叶伊(
ja0618)と死屍類チヒロ(
jb9462)、そして足音を忍ばせて移動した嵯峨野は西窓の影に潜み、雪室 チルル(
ja0220)は東窓へ配置に付く。
これで全ての出入り口はおさえた。
引きつける為の灯りも阻霊符も、闇の中の交戦に備えたナイトビジョンも問題ない。
「普通の犬なら好きなのだが、グールになっちゃうとはな〜」
死屍類が小声で呟く。
傍らの仁良井は「まぁ今回の獲物は……グールとは名ばかりの、原型を留めていないキマイラですけどね」とぼやく。
「今回の最大の脅威は、臭いと照明でしょうね。腐っているとの情報からして相当悲惨な事になっているでしょうが、めげる訳には行きません」
仁良井は臭気に備えて口元にタオルを巻き付けた。
気休めかも知れないが、無いよりはマシだ。
既に『どういう個体か』は心構えとして聞いている。
だが、悲惨な外観のディアボロであろうことは想像に容易い。
先発組から標的を聞かされた段階で、雪室は『酷いことをするのね! あたいは今とっても怒ってる!』と怒りを露わにしていたし、リョウは空しさの色を瞳に滲ませていた。
胸に怒りを抱えつつ、やることはひとつ。
「準備は良いか? ……突入するぞ」
光纏の発動と共に、それぞれが武器を手に取った。
通信を終えたリョウと黒羽が、西門のシャッターに手をかける。錆びついているので、なかなかシャッターがあがらない。
それでも力一杯に押し上げた瞬間、噎せ返るような腐敗臭が鼻腔を貫き、背中から差し込む茜の光が正面を照らし出した。
犬だ。
剥げ落ちた体毛、膨脹した体、白骨の覗く顎の上にだらりと垂れた変色した舌。
そして白濁とした瞳が侵入者を捉えている。
多分、ろくに見えてはいない。
リョウと黒羽が屋内へ体を滑り込ませた。リョウがトーチで炎を出現させるのと黒羽がシャッターに全体重をかけて出入り口を閉めるのは、ほぼ同時だっただろう。
「ギャン!」
リョウに噛みつこうとした正面の犬が、炎に驚いて一歩後ずさった。
虚空に浮かぶ炎は、うっすらと屋内を照らし出す。
視線を走らせたリョウが警告を飛ばした。
「黒羽、右だ!」
シャッターをあげた時には分からなかった犬が死角にいた。
襲いかかってきた強靱な爪を、反射的に掲げた直刀がはじき返す。
注意を引きつける役目を担ったリョウが「来い! お前らの相手はここにいるぞ!」とグール達に吼えた時、闇の中を無数の影が蠢いた。
全ての個体が西門に注意を傾ける。
黒羽の口元がひきつった。
犬の頭、腐った胴体、そしてその尻で揺らめいているのは……無表情のヒトの生首だ。
『人間と犬の不恰好な掛け合わせとは……悪魔も相当に悪趣味なものを作る』
誰もが覚悟はしていたが、吐き気がする程の姿だった。
悪魔の気が知れない。
丁度その時、派手な破壊音が響いた。
雪室の手で、東窓の磨りガラスが砕かれたのだ。
東門の扉から侵入した死屍類と仁良井も、速やかに定位置へつく。
嵯峨野はただ一人、他の物音に紛れ、西窓をスライドさせてドックランへ侵入した。妖力を研ぎ澄ました瞳が赤く変じ、嵯峨野はぼんやりとした空気に包まれて己の存在感を消し去る。
多数の侵入者に、移動したグール達が混乱状態に陥った。
必死に耳を動かし、足音を聞き取ろうとしている。
警戒すべき持ち場を離れた今、どの敵を狙うべきなのか迷っているのだろう。
その一瞬の隙を逃がしはしない。
『……見える! 犬ちゃん達、どうか安らかに!』
死屍類がナイトビジョンで標的を定めた。
音もなく前方へ動いた死屍類の忍刀が、グールの頭から人の頭までを縦に捌く。
肉を裂き、骨を断つ嫌な手応え。
再生能力を持つグールも、流石にまっぷたつではどうすることもできないらしい。
「まず一体!」
「さあ、きなさい。私が相手をしましょう!」
仁良井の挑発が聞こえたからか、はたまた最も近い標的を狙うことにしたのか。
中央付近にいた2体のグールが動き出す。
一方、西門で派手な引きつけ役となっているリョウと黒羽達は、防御姿勢で仲間の支援を気にしつつ、着実な撃破を目指していた。流石に三体に群れられるのは、余り心穏やかではいられない。
『これ以上、集まられても困るな。一体ずつ潰すか』
既に武器を持ち替えていた黒羽は、赤紫色のワイヤーで右のグールを絡め取る。ギリギリと締め上げる剛力の前では、腐った肉の塊など寒天にも等しい。ぶちぶちぶち、と嫌な手応えがして、ワイヤーは死肉を分断した。ぼとりと首が落ちる様は、日の下ではあまり見たくない。
傍らのリョウは幾度も盾で牙を防いでいた。
縦に並ぶグール2体は隙を窺う。
しかし。
「突撃今日のワンちゃん、ってかー? 躾がなってない犬は調教しないとね」
闇の中に火焔の固まりが生まれた。
業火は大きな狐の姿を形成し、リョウを狙っていた一体に襲いかかる。たった一撃で、グールは為す術もなく地に崩れた。
「背後にご用心、ってね。さっさとやっちゃおー!」
底抜けに明るい嵯峨野の声が闇の中に放たれた。
「そうね」
答えたのは手にアウルを集束していた雪室だ。
「どのみちこの子たちはもう戻れない。だから……あたいたちがやるしかない!」
アウルは氷状の鎌へ変じた。
放たれた鎌が離れたグールに迫る。
仁良井へ襲いかかろうとしていた内の1体の生命力を根こそぎ奪い去り、雪室の手元に戻って消失した。
まるで糸が切れた人形のように、活動力を失ったグールの体が地に崩れる。
時同じくして黒羽がリョウの盾に弾かれたグールを一撃で薙ぎ払い、仁良井は蛇の頭のような手甲で犬の背骨を砕き潰した。
難しい仕事では無かった、と各々が思う。
ただ、見るに耐えない遺体を除いて。
ディアボロの死骸というモノは、一般的に専門職員の手で回収され、焼却処分される。
早々に仕事を終えた黒羽たちは、倒した六体を外へ運び出すことに決めた。
少なくとも人として弔いたいという風な意見が多かった事と、仁良井が「瓦礫が多く足場の悪い屋内に放置するのは危険かもしれない」という感想を呟いたからだ。
雪室が屋内を調べて六枚の毛布と遺品を探し出してきた。
死屍類達が毛布で包むのを手伝う。
仁良井が溜息を零した。
「やれやれ……こんなディアボロを作った悪魔のセンスが疑われるのは確かですね。放って置いても良いことがなかったとはいえ、改めてみると惨いものです」
見る影がないほどに変異させられた姿であっても、縫いつけられたような生首は、生前の面影を綺麗なままに残している。
腐臭を放つ遺骸を集めて毛布で丁寧に包み、人の顔だけが見える状態にした。
雨水で血に汚れた蝋のような顔を洗う。
全部で六体と六匹だ。
リョウは手を翳し、瞼をそっと閉じさせた。
眠っているように見える。
「恨むな、とは言わないが……生かしておく訳にもいかなかったんだ。次は、平和な世界に生まれてくれ」
囁き声には、故人に対する敬意が含まれていた。
添えられた遺品の写真から、故人と犬の顔が判断できる。
死屍類と雪室が一枚ずつ首元に添えた。
「きっとこの犬達は、ブリーダーさん達にスゴい可愛がられてたんだろうな」
「うん。あたいもそう思う。許せないよね。こんな惨い目にあわせるなんて……許せない」
その時だ。
「おまたせー」
暫く姿の見えなかった嵯峨野が戻ってきた。
「遅かったな」
「ごめーん。後30分位したら回収に来るって言ってたよ」
仲間や業者に連絡をしてきたというが、その腕に大輪の薔薇の花束が抱かれている。
「どうしたんですか、それ」
仁良井が一輪手に取った。
雪室も「すごく綺麗、沢山ね!」と駆け寄った。
「じゃーん、けっこー綺麗でしょ? あっちの裏の斜面に咲いてたんだよね。気休めだけど、犬と家主に手向けの花でもおくっとこうと思って。こっちの花束は建物に傾ける用で、こっちの小さいのは遺体に添える用だよー、添える前に棘をとるの手伝って」
淡い桃色の蔓薔薇たち。
「どうぞ安らかに」
棺に切り花を捧げるのと同じく、嵯峨野たちは毛布で包んだ六人に薔薇を捧げた。
今度こそ死者の眠りが穏やかであることを、願いながら。