清楚なワンピースにエプロン、ふわっとしたスカート。
何度見ても本格的の一言につきる。そう思いながらアティーヤ・ミランダ(
ja8923)はフィオナ・アルマイヤー(
ja9370)とジェラルディン・オブライエン(
jb1653)を見た。
『折角ですし、ドレスにしましょうか。リボンに似合いそうなものを……』
着替えの際に色々と呟いていたアルマイヤーは、ヴィクトリア朝後期のすっきりとしたラインのドレスで、華やかな帽子にはレースのヴェールを合わせている。
オブライエンはアティーヤの口車にのせられて、うっかり仕事を受けた経緯があったが、用意された衣装の山を見て『むむ、なんと本格的な。このような衣装もアリとは!』と感心していた。
結果、無意識に選んだメイド服――――ではなく、外出用ドレスを着た。
「はあ、ドレスなんて着たのは久しぶりです。こんな場くらい華やかなドレスでも、と思いましたがコルセットって苦しいんですね」
本物のコルセットは苦しいので、コルセットに見えるベルトを巻いているが足取りがおぼつかない。衣装になれるようにと懸命に歩く。
そんな二人を愛でるミランダは日傘をさしてお嬢様スタイルの二人に続いた。
オブライエン達が花の小道を歩くと、正に絵になった。
「や、花がまた綺麗ですね。こんな格好をしていると、花を愛でる余裕みたいなものが生まれます」
「本当に」
楚々とした空気を纏ってガーデンを歩くアルマイヤーは、咲き誇る蒼いロベリアなどを眺めて夢心地に浸った。
儚い幻のような光景に浸っていたくなる。
『いつもの喧噪や激闘がまるで嘘のよう。といっても……』
人の夢と書いて。
儚いと読む。
「まさに両手に花! やったね、かわいこちゃんがふたりだー! そうだ、あたしらも写真撮ったりしようよ! 着飾ったきゃわいい女の子を写真に残しておきたいし」
喋りの止まらないメイド姿のミランダを眺めて『……やかましいのがひとりいるのは普段とかわりませんね』と急激に現実に引き戻される。
「改めてお聞きしますが……ドレスとか、私が着てもおかしくないでしょうか。ましてや、こんな花の中で……」
「似合う、似合うよー! きゃわいい! 貴族のお嬢様って感じだよ」
オブライエンが「……アティーヤ」とメイドに声をかける。
「せっかくですから、私たちばかりじゃなくて周りもみませんか?」
「え? なんで? まだお客さんいないし、平気だって」
会話がかみ合っているようで、かみ合ってない。
『フィオナさんは落ち着いているのに』
賑やかな三人組は、その後も見せ物の如く来場者の視線を集めていた。
凛々しい立ち姿に既視感を覚える。
「執事の服というのも、もう何度か着て慣れましたね」
『……もう私服か、って位よな、神楽さんの執事姿』
清楚なヴィクトリアンメイド服を着た宇田川 千鶴(
ja1613)は、対照的に執事の格好をした石田 神楽(
ja4485)を凝視した。所謂、使用人に分類されるアンダー・バトラーの装いだ。フットマンが執事職に就く為の修行ポジションである。
執事(バトラー)と一口に言っても、実際には細分化されていた時代で、屋敷を預かるハウス・スチュワード、領地経営を取り仕切るランド・スチュワードという二種類の上級使用人が、アンダ・バトラーたち下級使用人を配下として従えていた。下級使用人といっても副執事であり、当時財産として高価だった銀食器の磨きや管理を任され、手を動かす仕事の責任を負わされていた。
……などと。
雑学も一通り聞かされる所為か、二人の胸のプレートには『執事(アンダーバトラー)』であるとか『メイド(パーラーメイド)』等と書かれていた。
「何だかんだと……こういう執事の格好をする事が多いのは気のせいでしょうかね? にしても千鶴さん、たまにはドレスとか着ても良いと思いますが」
にこにこと恋人の装いを眺める。
宇田川は自分の格好を見下ろした。
「バイトなら給仕服の方がえぇかなって。……いや、ドレスは煌びやかで色々……うん、もっと似合う子達が着るべきやしね」
言及を避ける。
「パーラーメイド、どういったお仕事でした?」
「え? ああ、フットマンと似てる見たいやで。ゲストを客間に案内したり、手を綺麗にして客に給仕したりする仕事とか。黒いドレスや胸まで覆うフリルのエプロンも当時の再現で、最も装飾的なメイドだったんやて。今日の案内には最適やろ?」
裾をひらん、とはためかせてみる。
「映えるかな? それこそドレスちゃう?」
ここはイングリッシュガーデンの中だ。石田が真顔で肯いた。
「ふむ、花とメイド服というのも案外映えるものですね。それだけは分かります」
「そか? 庭もほんま凄いしな。どんだけ金かかってるんやろ……とかいうのは野暮よなうん、普通に楽しもか。ここの花を見てると、部屋にも飾りたくなるな。神楽さん、帰りに買っていく?」
などと話していると、視界の隅に観光客が見えた。すかさず石田が対応する。
「グッモーニン、ミズ。ハウアーユー?」
「あ、ふぁ、ふぁいんせんきゅー! あんどゆー?」
「ベリーファイン。シャルアイヘルプユー?」
「あ、えっと。うぇ、うぇあ、いず、ざ、れすとるーむ?」
「オーケー。突き当たりを右に曲がって三ブロック先の薔薇トンネルの奥です」
「ありがとう!」
「シュア。ハブアナイスデイ」
流れるような会話を眺めていた宇田川は「神楽さん、すごっ」と拍手した。
「いえ、日常会話程度しかしてませんし」
「充分やと思うけどな。こういうのも、ちゃんとできるように考えななー」
「ですが苦手な方もいらっしゃるようです。臨機応変は大事ですね。私も、もう少し勉強しないと」
ぽりぽり頬を掻く。
宇田川は輝く眼差しを石田に向けた。
『英語は授業程度しか知らんし、困ったら神楽さんに助けてもらお!』
二人は緑の庭を歩く。
その背中は、まるで結婚を許されぬ執事とメイドの禁断の恋を彷彿とさせた。
ヴィクトリア朝と同時期に誕生した有名な童話といえば何だろう。
蒼いドレスにフリルのエプロン。
金髪をなびかせた間らしい少女は、白い兎を追いかけて、不思議な世界へと迷い込んでいく……
そう『アレ』だ。
来場する子供達やファミリーの相手に抜擢された百々 清世(
ja3082)と紫ノ宮莉音(
ja6473)、嵯峨野 楓(
ja8257)の三人は……それぞれが帽子屋と眠り鼠、三月兎を強く意識した装いをしていた。
「んー、ちょっと首元緩めて良い? おにーさん、きっちりした格好苦手なんだよね。つーか、帽子屋って……どんな役だっけ。あれ? なんでティーカップ? 持ち歩くの?」
「分かりやすいから持ってたらいいんじゃないかな、モモちゃん格好いいし」
「やっぱり?」
「うん」
紫ノ宮は鼠の耳と尻尾をゆらゆらさせていた。
ふいに「百々先輩、莉音君、二人とも用意できたー?」と声がした。
迎えに来た嵯峨野だった。
「ひゃっほー、嵯峨野ちゃ……ドレス似合うのにそっちなの? おにーさん、寂しい」
「楓さん、おまたせー! こういう依頼はひさしぶりだし、頑張るよー!」
「三人揃って英国の童話といえば、って感じね。いいから。急がないとデザートビュッフェの時間が始まっちゃう。やる仕事や台詞は覚えた?」
資料握りしめて二人に問う。
百々が真剣な双眸で力強く頷く。
「おにーさん達が通りすがりの可愛い女の子を誘って食べちゃえばいいんだよね!」
「百々先輩ちがーう。女の子や家族連れがターゲット。声かけてお店に誘導して、デザートビュッフェでティーパーティー……という名の軽いショーみたいなものね」
かくして指定の街頭に三人が立つ。
目立つ。
どう見ても目立つ。
子供や可愛い物がすきな女子は寄っていく。
「……あ、ごめんね。間違えた、なんて言い訳かな。だって君は探している女の子より、ずっと可愛いもの。一緒に秘密のお茶会に参加しない?」
客引きというより百々の場合はナンパに等しい。
一方の嵯峨野は英語も交えつつ客を案内すると……
「アップルパイ、食べましょう。なんたって女王様のお気に入り! 美味しいお菓子と紅茶で、一緒に何でもない日を祝いましょう!」
と役者のように朗らかに振るまった。
記念写真の相手や配膳のサービスも有料でこなす。忙しいので休憩も挟む。
「きっと美味しい、と思ってたけど、やっぱりアップルパイ美味ーっ! 帽子屋、お茶のおかわり早くー! ヤマネはスコーンにジャムを塗るのだー!」
まごうことなき女王様がいた。
百々は「はいはい、紅茶ねー」と言いながら素直に従い、眠り鼠の紫ノ宮はスコーンにジャムを塗りながら、英語で歌を歌っていた。
一分の隙もなくぴしっと執事服を着こなした青戸誠士郎(
ja0994)は、仲間の着替えが終わるのを待っていた。
もちろん、仕事もしっかりこなす。
「お客様、こちらの店舗は向かいの小道にみえる、あちらでございます。お気をつけて」
観光案内として立つ青戸をデジタルカメラや携帯電話で撮影していく者も多く、軽く手を振って微笑むだけで充分仕事になっている。
『仮装してのガイド、か。そこまで難しい事をしなくてもいいみたいだし、観光客の人を楽しませつつ、俺達も楽しめればいいな』
「誠士郎さん。おまたせしまし、た」
よろり、と柱にもたれかかるのは、紅色の裾が地面に届くロングドレス姿のルーネ(
ja3012)だった。コルセットと小さめのクリノリンを付けているのでボリュームがある。靴は紅いローヒールのパンプスで、正に薔薇の姫君だった。
「お疲れさまです。お嬢様?」
芝居がかった声で貴族令嬢に笑いかけ、案内所の屋内から丸椅子を持ってきた。ルーネの手を引いて着席させる。ビスクドールのように仕上げられたルーネは羽根装飾のついた扇子で顔を扇いだ。
暑い。
しかし華やかな衣装は人目をひくので微笑みを浮かべていた。
「ハロー、プリンセス!」
「Welcome! Please enjoy yourself today」
隣の執事が「お見事です、お嬢様」と茶化す。
『こういう格好が出来る日が来るとは思わなかったなぁ。ただ英語は苦手だし……でも、一言ぐらいは暗記しよう。たしかパンフレットに書いてあるって言ってた気が』
「誠士郎さ……じゃない、執事。パンフレットをとってくださる?」
「かしこまりました。お嬢様、冷たいアイスティーをお出ししましょうか?」
何事も形から。
案内役としても今この場を楽しむのが大切だ。
やがて和泉 大和(
jb9075)が合流した。御者風の装いだ。
「お嬢様、此方のお客様がご一緒に写真を、と」
「写真ですか? わたくしでよろしければ一緒に写らさせていただくわ。あなた方は知っているかしら、薔薇のレストランの話を……」
好調だ。
しかし一向に約一名が現れない。
道に迷ったか、それとも何かお菓子に惑わされたか、と三人がハラハラしていると待ち合わせに遅れた真珠・ホワイトオデット(
jb9318)は「見つけたにゃあぁぁぁ」と歓喜の声を上げて走ってきた。
「じゃーん! ひらっひらの、めいどさんじゃん! あ!」
真珠は瞳をきらきらさせてルーネの周囲を一周する。
「ふわぁ! るーねさんのお嬢様すてきですにゃん! 私めいどがんばるにゃん! つまり、るーねおじょうさまのめいどさんにゃん! ……ねぇねぇ、いずみくん」
耳としっぽをピコピコ動かし、和泉の服の裾を掴む。
「めいどさんって、なにするひとですにゃん? おしえてですにゃん!」
根本的な部分を分かっていなかった。
問われた和泉の主な仕事は、観光案内および食べ物に突進しそうな真珠のお目付役だ。
まずはメイドというものが給仕の女性を示すことや、道端で道を聞かれたら教えることなどを伝えてみるが……真珠は渡されたパンフレットを見て、ふにゃ、と耳と尻尾が力無く垂れる。
知恵熱でも出しそうな気配だ。
「みち……? わからないですにゃん……いずみくん、こまったらたすけてにゃー!」
狼狽える真珠の姿に、早くも接客と子守による激務を幻視する。
「わ、わかった」
「わーい。すごくあるいたら……おなかがへったですにゃん。おひるはいつですにゃ?」
「真珠、小腹押さえのお菓子は確保してあるから後で、な? まずは道案内と写真の相手だぞ? ほら、お嬢さん達がこっちにくる」
見知らぬ学生が真珠の前に来た。
「くっど、うぃー、ていくあ、ぴくちゅあ、とぅぎゃざー?」
英語を頑張る客に対して真珠が「にゃ?」と素で首を傾げる。
和泉に『一緒に写真をとりたいとのご希望だ』と教えられて、ぴんと姿勢を正す。
「にゃあ! オーケーにゃん。おしゃしんとるですにゃん! はいちーず!」
賑やかな真珠達を眺めつつ、和泉はうっすら微笑んだ。
「真珠がヤケに張り切ってるなぁ……青戸やルーネも頑張ってるし、俺も頑張らないとな」
その時、観光客が「ハロー。このレストランを探しているのですが」と話しかけてきた。
「お客様、そこならば近くですので案内しましょう」
結構、様になっているのかも知れない。
異国風の商店街は、賑やかな活気の中にあった。
「モモ、お前短い髪も似合うよなぁ」
渋い装いにフロックコート、淡い色のステッキを持った紳士は、すっかり髭をそり落とした顎を撫でた。矢野 古代(
jb1679)の隣を歩くのは、華やかな装いをした義娘の矢野 胡桃(
ja2617)だ。
本格派を目指した展覧会といっても、清潔感や華やかさが無ければ客を寄せるのは難しいし、子供にも親しみやすくなくてはならない。
だからなのか。
胡桃の上質で厚手のヴィクトリアンドレスは、舞踏会の時に許されるという桃色が選ばれた。首周りや袖口は白いレースが彩り、装飾の赤いリボンが愛らしさを引き立てる。ビスクドールのような愛らしさではあるのだが……
飾り立てられた当の本人は、じっとりと養父を見上げ「人前苦手なの、知ってるくせに」と恨み言を連ねている。そんな恨み節も何処吹く風な古代は、客と出会う度に、趣味の読書で仕入れた知識を交えながら、仕事はしっかりこなしていた。
「――――当時刊行された以上の本が、一読書家としては大きいです。ヴィクトリア朝、と一口に言っても色々ありますが……服飾は我が娘の方が詳しいのでそちらで」
素早く胡桃の背後に周り、とん、と背を押す。
顔を耳に近づけてきた。
小声で何を言うかと思えば……
「良い機会だし、人の前に立てよ」
むごい。
しかし客は期待の眼差しでドレス姿の胡桃を凝視している。
逃げられないので頑張った。
「じょ、女性のヴィクトリアンは、豪華な刺繍の施されたドレス、です。私が着てるような、く、クリノリンという釣り鐘型の骨組みでスカートを膨らませたり、コルセットするのも特徴で……かつて流行ったバッスルスタイルといって、……と、とにかく、女の子が一度は憧れる『お姫様スタイル』が、ヴィクトリア朝の、女性の服装です!」
「お姫様に拍手を御願いします」
囃し立てる古代をギッと睨みたい気持ちを抱えつつ、作った笑顔で客の群から遠ざかった。
休憩時間に散々責められた古代は、全く凝りもせずに「どうだった、人前に立って見て?」と切り返す。
「うっ。でも……うん、楽しかった、かな」
「お前も、卒業したらこう言う人前に立つ機会は増えるだろうから、慣れておけよー?」
胡桃の手元にクッキーの袋を落とす。
桃色の淑女は養父の服の裾をぎゅっと握った。
異国風の商店街には大勢の案内役が立っている。
衣装は勿論、化粧や髪型も異なる訳だから……よく見ないと誰だかわからない場合もある。
その辺を逆手にとった地堂 灯(
jb5198)は、弟の地堂 光(
jb4992)を追跡していた。
煌びやかな仮面の下から、ぼーっと歩く執事姿の弟を発見する。どうも女性達を度々見ているので誰か探しているようだが、見つからないらしい。
「今度はまかれるもんですか。光……誰をみてるのかなぁ?」
ゴージャスな格好の娘が威圧感を放っているので、当然目立った。
流石の光も姉の存在に気づき「なぜここにいる」と逆に尋ねてきた。丁度休憩時間になった為、二人でデザートビュッフェが話題のレストランに入った。
「食べ放題だと? そりゃ食わねぇわけにはいかないな! 全部制覇するぜ」
「やだ、このフルーツタルト美味しい」
「姉さんもちっとはこういうの作れるようになったらどうだ? 多少は女らしさが増すと思うぞ?」
光の一言に灯が震える。
とりあえず灯の心の中で、お仕置きが決定したらしい。後が怖い。
小声で「覚悟しておきなさい」と恐怖の一言を放ちつつ、スイーツの山を見て溜息を零した。
『でも……ま、光の言うとおり料理のレパートリーも増した方がいいのかしら?』
いつも料理の前から弟が逃げ出すのは、飽きているからかもしれない、と灯は思う。
目の前並んだ食べる宝石。輝く苺をのせたショートケーキ、濃厚な甘さのザッハトルテ、クリーミーなチーズタルト、和三盆を使ったモンブラン……などなど此だけのデザートが全種類作れたら、それはもはや職人の域だ。
「……味のレパートリーだけじゃ、やっぱりダメね」
ぶほぉ、と光が吹き出して咳き込んだ。姉の一言に状況の深刻さを思い知る。
「何がレパートリーだよ。姉さんの料理はいつもレインボーな謎物体だ。それを食べさせられる身にもなってくれよ」
「なんですって」
ザシュッ、とフォークがシュークリームに刺さった。
太陽が真上で燦々と輝いている一日だった。
さほど気温は高くないが、梅雨が近い所為か湿気が凄い。暑さ対策に打ち水をしている店舗もあるが、街頭に立ちっぱなしの案内役は蒸発する水の餌食であり、生ぬるいサウナの中にいるようなものだ。歩き回れば勿論、暑い。
颯(
jb2675)は黒いテールコートな執事服を纏っているので当然蒸していたが、脱いでは仕事にならない。休憩時間になったのを確認すると、自販機でキンキンに冷えたドリンクの缶を購入し、指定の休憩所に顔を出す。
「お疲れ」
すっと差し入れた相手は、ふわっふわのドレスを着た鴉女 絢(
jb2708)だ。
休憩に入るなり「机つめたい、きもちいい」とぺったり張り付いて動かなかった。
暫く休んで元気が戻ってきたのか「ありがとう」と言って差し入れを受け取る。
「んー、美味しい!」
「昼はどうだった」
「案内するより、一緒に写真を撮ってる時間の方が長かったよー、くたくだ」
お互いに他愛もない話や持ち場の報告をする。
ふと鴉女が凝視してくるのが気になって「何?」と切り返すと、鴉女は「ううん」と言って、にんまり微笑む。
「颯君の執事姿、似合ってるよー! 格好いい! 預けた荷物からデジカメ持ってくれば良かった」
綺麗な姿の恋人にそんな事を言われては、照れずにはいられない。
壁掛けの時計を一瞥した颯は「仕事の後は?」と問いかける。
「パブで打ち上げ会あるって聞いてるけど、颯君はいかないの?」
颯は「パブの前で待ち合わせよう」と言った。
今夜は花火が上がる。
輝ける最終日だ。
少しぐらい良いところを見せたいと思ってもいいはずだ。
空が茜色に輝き、とっぷりと沈んだ後になって、やっとアルバイトは終了した。
大勢がパブリック・ハウスを模した店舗へ足を運ぶ。
これからは祭の時間だ。
「初めまして美しいレディ。よろしければ少しお話でもいかがですか?」
仕事の延長を引き受けたゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は、カウンター席のバーテン風に働いていた。注文を取ったり給仕をしながら、一人で呑みに来たり、楽しみに来た人々の相手をする。
貴族的な格好や優雅な所作はそのままに、パブの雰囲気を壊さぬよう務めているようだ。
と、思いきや。
「次、何にします? お代は俺とのトークでOKやで……って言いたいとこやけど、店主のおっさんに睨まれるのでクーポン割引で。パンフレットもってはります? 実は割引券が入ってて……それ、それや! おねーさん、ラッキーやでぇ!」
どうにも話が盛り上がって仲良くなってくると、関西弁が顔を出した。
ギャップが客の笑いを誘う。
楽しむ事が重要な一夜なので、適任と言えるだろう。
今日は気恥ずかしい一日でもあり、目の保養でもあったと天谷悠里(
ja0115)は思う。
仕事だから仕方がないと己に言い聞かせても、着慣れないドレスはドキドキものだった。
『シルヴィアさんが選んでくれたのは嬉しいけど……む、胸の開きは深いし、腰は絞ってあるし、男性の目はアレだし、ウィッグはちくちく肌に刺さって気になるし……』
違和感が拭えなくて苦労した。しかし頑張った。なにしろ傍らには凛々しい格好で、テキパキと案内役をこなすシルヴィア・エインズワース(
ja4157)が居たからだ。
『……シルヴィアさん、すらっとしてるし顔も彫りが深いから、男装でもかっこよすぎ』
憧れずには居られない、しなやかな所作。
現在は仕事後で皆の格好も違ったりするのだが、男装のシルヴィアはひと味違う。
深い黒檀の色合いで揃えた、イブニングドレスコートやズボン。ノリのきいたシャツにタイ、淡い光沢を持つベスト。勿論、モノクルにステッキ、トップハットと乱れはない。
「……かっこいいなぁ」
ぽろりと零れた天谷の小声を拾い上げたエインズワースは「一応、本場の人ですから」と彫りの深い整った横顔で囁く。
ふいに曲がワルツに変わった。
「踊りましょうか、ユウリ」
「え……えぇえ!? だ、ダンスなんて初めてで……踊り方も、その」
しかし差し出された手を取らないのは失礼だ。天谷が狼狽えながら立ち上がると、ひらりとターンした。……一瞬、何が起こったのか分からず、瞬き一つ。
「はれ?」
「知っていますか、ユウリ。社交ダンスというのは、リードをする男性の腕前に左右されるのですよ。こうして体の側面をつけて、相手に合わせて体重移動させるだけでよいのです。ワルツは8小節の繰り返し。ゆっくり教えますから、参りますよ。まずは右足から」
ひらん、とドレスの裾が舞う。
「私が押したら足を下げて、横についてきて」
磨けば光る原石を連れてエインズワースは颯爽と踊りの中へ入っていく。
最初は怖じ気づいていた天谷も『せっかく教わるんだから頑張ろう!』と気合いを入れ直して、エインズワースの声に耳を澄ませる。
「顔を上げて、私ではなく外を見て。ボックス、ジグザグに動いて、チェック、トゥ、ナチュラルターン、ロックターン……」
一周する頃には、ドレスに着られている感のあった天谷も華あるレディとなっていた。
パブの前で待ち合わせていた水無瀬 快晴(
jb0745)は、現れた華桜りりか(
jb6883)の姿を見て暫く沈黙すると、頭をぽんぽんと軽く叩いた。絹糸のような艶やかな髪が、白手袋に覆われた指をすり抜けていく。
「……ほむ。とても可愛い可愛い」
「可愛いお洋服が着れて嬉しいの……です。快晴さん……かっこいいの、です」
水無瀬が燕尾服の着こなしに対し、華桜は実に華やかだ。
桃色の生地に茶色の差し色、白いリボンとフリルをあしらった今風のドレスで、数多くある衣装の中からこれを選び取った時、華桜は『苺チョコ……そっくり』と喜んでいた。勿論、同色の小さな帽子には咲き誇る薔薇に白いリボンがチャームポイント。
ひとめを引く華桜をエスコートしつつ、水無瀬はパブに入場した。
「わぁ……なか、すごいの、です。初めての事ばかりなの……みんな、楽しそう」
軽快な音楽と踊り騒ぐ人々を眺めつつジュースで喉を潤す。
必ず注文するお菓子は、甘くとろけるチョコレート。
「ん、このチョコもとても美味しいの」
「本当にりりかはチョコが好きだねぇ? 食べたら、踊ってみる?」
華桜は踊る人々を眺めて「あの……えと……んと、あれは、しらない、の」と少しだけ肩を落とす。
「んん……演舞や日舞なら得意なの、ですよ? でも……」
「教えてあげるよ。とりあえず足のステップから練習しないとね」
急に踊りの中に入る訳でもなく、少し広い場所を探して足踏みを始める。やはり踊りが得意なせいか、初歩的な動きの習得はすんなりと上手くいった。
「快晴さん上手なの……すごいの、です」
「演舞や日舞とはまた違った感覚で面白いでしょ? じゃあ輪に入ってみよう」
水無瀬が戸惑いが残る華桜を連れ出す。
まるで羽根のように軽い動きでステップを踏んでいくのだから不思議だ。
広いダンスホールのベランダを一周したところで、じきに花火が始まるというアナウンスが入った。
「……初めてだから楽しみなの」
ふわりと微笑む。
刹那、どーん、と打ち上げる音が闇の中に響く。
大勢が空を見上げる中、水無瀬は突然の重みに驚いた。華桜が抱きついて震えている。どーん、どーん、と次々花火が打ち上げられる度に、びくりと肩を奮わせて腕に力を込めていた。
理由をなんとなく察する。
「だいじょぶ、だいじょぶ。花火見たことなかったんだねぇ? 上をみてごらんよ」
涙目の華桜の視界に広がる、炎の花。
「わわ……とても綺麗なの、です」」
心引く景色だった。
窓辺の席で、颯と鴉女絢も晩ご飯を楽しみながら花火を見ていた。
仕事着のままだから、時代を遡った不思議な感覚を覚える。颯はゆっくり立ち上がって鴉女の傍らに立った。白い手袋をはめた手が差し出される。
「僭越ながらお相手していただけますか、お嬢様」
ワルツは踊りやすいという利点がある。
花火を見上げながら踊る一夜。
「よろこんで! リードはよろしくね?」
藍色の闇に抱かれる中で、軽やかなステップを踏んでいく。
燕尾服に黒いネクタイと黒手袋をはめたヴォルガ(
jb3968)は半ば窓辺の闇に同化していた。しかしヴォルカの正面には麗しの貴婦人が鎮座している。青地に黒のレースが装飾された豪奢な宵闇のドレスに、青い羽と石が煌めく仮面の主はLatimeria(
jb7988)だ。
「メリア」
「んー?」
星の瞬く空を見上げた麗しの君は、すっかり花火に心を奪われていた。
たった一瞬だけ大空を埋め尽くす、大輪の炎の花に「……美しいな……」と呟く。
「踊るかね?」
「花火が綺麗なのにベランダへ?」
最近は余り会えていなかった。考えてみれば、初めてのデートという事になるのかもしれない。せめて二人でゆっくり過ごしたいと出席した打ち上げの、なんと夢のようなひとときか。すっと差し出された手に、Latimeriaは躊躇した。こういう時に、どうしていいのか分からない。しかし素っ気ない態度とは裏腹に尻尾は揺れる。
「この格好は今日までだ。それに夜風に抱かれれば花火も遙かに見える。悪くはなかろう」
二人は無言で立ち上がった。そして寄り添い、歩いていく。
花火を見上げ、一緒に手を繋ぎ、耐えることのない音楽に……身を任せて。
賑やかなパブの中で楽しそうに踊る男女を見つめる二つの視線。
「ダンスホールのベランダから見上げる花火は、格別なのでしょうね」
「踊ってくればいいのに」
「結衣香さん。無茶ですよ……このドレスを着るのも、勇気をふりしぼったんです」
依頼主の下一結衣香と喋っていたのは華やかなドレスを纏った炎武 瑠美(
jb4684)だった。偶然、パブで一人飲み食いをしている結衣香と出会い、一緒に打ち上げの食事を楽しんでいたのだが……ダンスを踊るには、男性が必要不可欠だ。
強いて言うなら男役の踊り手が必要だったのだが、残念ながら結衣香にその素養はない。
かくして飲み食いしながら延々と飲食に勤しむ、という状態になっていたが、やはり着飾った乙女たるもの、あの羽根のように軽やかなステップに憧れを抱くというものだ。
結衣香は骨付きソーセージを豪快に囓りながら炎武に一カ所を指し示す。
「そんなに構えなくても、踊りたい人達は壁に立ってるわよぅ」
男性も女性も、決まった相手がいない者は、壁際で踊りの誘いを待っている。
「ほら、いったいった。写真はとってあげるから」
「えー、結衣香さーん」
折角だから踊りたい。しかし仕事で同席した相手と一緒に踊れるほど仲がいいとは言い難い。かといって知り合いへ声をかけようにも、いい雰囲気な人達の邪魔をするのは気が引ける。にっちもさっちもいかないが、壁際に立って、ふと思った。
『心細い……でも、それは相手の方も一緒かも知れませんよね』
少しだけ。
少しだけ声をかけてみようか。
「今晩は、レディ。佳い夜をお過ごしですか」
現れたのは黒井 明斗(
jb0525)だった。清楚な燕尾服姿なのは他の男性陣と対して代わり映えはしない。だが盆にドリンクやカットフルーツのデザート乗せて配り歩いていた。
「黒井さん、ここの配置だったんですか」
「いえ、延長の仕事です。昼間は迷子案内が主だったんですが、最終日でしょう? 人手が多くいるとかで、ついでに此処でも働くことにしたんです。人々の笑顔に貢献できるんですから、一生懸命サービスしないと。ところで何かありました?」
「え」
「悩んでおいでの様子でしたので」
近くの人々にジュースを配布しながら、首を傾げる。ダンスをしようと思っていたけれど、上手く誘う勇気がもてない……そんな経緯を聞いて、黒井は盆を置いた。
「御相手しましょうか」
「本当に? ……よろしければお相手お願いできますか?」
炎武は黒井にエスコートを御願いした。快諾した黒井はというとメイド服を着た同じ延長組の水無月 ヒロ(
jb5185)に引継を頼む。
「3番テーブル、4番テーブル、9番の注文がまだなので頼みます」
「ちょ、えー!?」
と叫んで水無月は両手で口を押さえた。
うっかり地声で喋ってしまった。
可憐な容姿に相応しいメイド服を着てはいるが、歴とした男子である。何故女装して女言葉で喋っていたかというと……それが一番、外見的に違和感がなかったからだ。
『ボクに似合うのはこれしかないよね』
そうぼやき、涙をのんでメイド服を着て、一日仕事の果てにパブの給仕。ここまで来ると言動が板に付いたようなものだが、一気に増えた仕事に一瞬だけ頭が真っ白になる。
しかし此処は意地で乗り切る、と決めた水無月がいた。
『女性のダンスの御相手も大事ですし、今ボクは頼られている! つまり皆の笑顔の為に頑張らないと! 微かな縁も大切な繋がり! ボクは、やってみせます!』
ぐ、と拳を握る。
「黒井さんも炎武さんもお疲れさまです! 後はボクに任せてください!」
「おねーさーん、注文まだぁ」
「はい、ただいまー……って、結衣香さん、何皿目ですか」
「五皿?」
「疑問符!? 食べ過ぎでお腹壊さないでくださいね……花火が終わると、お仕事も終わり。寂しくなるね」
「ほんとにね」
どーん。
どーん。
どーん。
立て続けに打ち上げられた花火は、人々の記憶に残っていく。