●小さな魅力発見隊の午前
人々が歩き出す。
すると下一結衣香の所へ、館内探検隊へ挙手した面々が続々と集う。
「こんにちは、皆さん。ご一緒してもよろしいかしら?」
清潔感のある白いワイシャツにインパクト柄のロングスカート、革のブーツで颯爽と歩く黒髪を靡かせた紅 貴子(
jb9730)が現れた。
「もちろんよ! ひとりでも多い方が楽しいじゃない」
最終的に暇人たち八人が下一のところへ集った。
お互いに自己紹介をした後で、下一はチューリップのシールを配る。
「今から皆は『小さな魅力発掘隊』の隊員です!」
声高らかに宣言してシールをぺったり自分の胸に貼る。
目が点の面々に、下一が笑った。
「なかなか可愛いでしょ。これね、元々は地元の幼稚園や小学生、中学生なんかが参加してる企画なの。買い物の割引にもなってて、毎月シールが変わるんだ。一日隊員って事で、一旦解散。私と動く人は、まずは館内からいきましょ」
気分はちびっこを導く、お兄さんとお姉さんだ。
「デザインかわいー、フツーのステッカーみたい。じゃ、行こっか」
さっぱりした雰囲気で建物を指差す嵯峨野 楓(
ja8257)は早速、外観を撮影する。
「結衣香ちゃーん、これ宣伝のポスターとか、パンフレットで使うんだよね」
「うん。ポスター、各種チラシにサイト、色々かな」
確認を取った嵯峨野が更にシャッターを切る。
下一に撮影の仕方を教わっていたクリスティン・ノール(
jb5470)が、ふと嵯峨野の手元を覗きこみ「チューリップではないんですの?」と首を傾げた。
「色々珍しいチューリップも、もちろん撮るけどね」
嵯峨野は口元にカメラを当てて笑う。
「これって道の駅の宣伝だし、色々な角度で建物の外観とかあるといいかもって思って」
「新しいパンフレットも作るらしいしな。同感だ」
地堂 光(
jb4992)が古い館内図を眺めて必要そうな箇所に印をいれていく。
「でしょー?」
そこで使命感漲る紅が、明確な方針を考え始める。
「賛成ね。例えば『どんな場所だったら足を運びたくなるか』考えて探検、撮影してみるのは、どうかしら。若い人でも気軽に足を運べる場所、一人でも楽しめる場所、遊び的要素があって楽しめる場所などを特に探し出せたらいいんじゃないか、って思うのだけど」
話が具体的になってきた。
嵯峨野も館内図に目を見張る。
「ここの温室喫茶や滑り台の写真も撮ろうよ。女性や子連れに受けると思うし、他にも噴水がある池沿いのチューリップとか捨てがたいよねー。順番に行こ行こ!」
「待ってくださいな。クリスも参りますの」
白と黒のレーススカートを翻して後を追う。人間界の知識がないノールは、初めて見る広い駐車場と建物にも目を白黒させていた。道の駅、なんて言葉も初めて耳にした。どんな所か楽しみだっただけに自然と胸が踊る。
「ふわぁあ! 屋内なのに、すごい木の滑り台ですの! みんなで滑りますの?」
「じゃあジャンケンで! 負けたら撮影ね」
「うふふ、おもしろいものがとれるといいわね」
ノールや嵯峨野、紅たちが盛り上がる中、ふいに瓜生 璃々那(
jb7691)が手を挙げた。
「下一さん。今日は皆さんお疲れになると思うので、無料の水やお茶の用意などをしたいのですけれど、台車ってお借りできますか」
「え、荷台的な?」
「えぇっと、配り歩くのに適しているような、配膳台車のような」
「うーん、精々ショッピングカートかな。向こうの土産物コーナーにあったと思う」
瓜生がお昼の集合場所を確認して場を離れる。
小さな魅力発掘隊の一日は、始まったばかりだ。
●穏やかな花に埋もれて
大勢が館内に消えても、鈴木千早(
ja0203)と苑邑花月(
ja0830)はお互いを見ていた。
広告のモデルになると聞かされているから、誰もが気合の入った格好をしている。
苑邑だって例外ではない。
ふわりとした白の襟付きのシフォン地ブラウスは胸元に編上げの飾りがあり、スカートは淡いピンク地の小花柄で春を意識させる。上着に白いニットカーデを羽織り、春モノのピンク系ブーツはおろしたてだ。
そして苑邑の前に立つ鈴木は、白のシャツに黒のパンツとカーディガンのシンプルながら清潔感のある凛とした装いだった。
普段と違う姿がどこか新鮮で。
「そ、その……あの、千早さん、の……私服、お似合いです」
緊張して。
そう告げるのが精一杯。
鈴木はたおやかな笑みを浮かべた。
「花月さんは、どんどん綺麗になられますね。参りましょうか、どの花をご覧になりますか」
かー、と苑邑の顔が赤くなった。
春風に靡くふわふわの髪が花の顔を隠す。
「花月……は、ピンク色が……気に、なります」
ぎこちないふたりはお互いを褒め合ったり、ギクシャクしたりしながらも、チューリップガーデンへ辿りついた。苑邑がスプリングファンタジーの前で足を止める。二人で見る桃色の花々は、花屋で見る切花よりも、艶やかに見えた。
「……まるで、ユリみたい。チューリップ、にも……色々、な種類……が、あるんです、ね」
とても綺麗だと感動しながら鈴木を振り向くと、デジタルカメラを持っていた。
「一枚、撮っても構いませんか?」
気恥かしげな微笑と「はい」という声が聞こえて、ピンクのチューリップを背景にした苑邑のバストアップ写真をファインダー越しに切り取った。
ここで共に過ごす時間は、まるで夢のようだった。
●愛しい人と未来を想う
夫が持ってきた広告用のモデル仕事。それはよくわかっている。
しかし自然体が義務付けられ、一張羅の私服を着て、適当に時間まで撮影しながら飲み食いして過ごしていい……と言われると、依頼というより観光目当てに近い感覚は否定できないと美森 あやか(
jb1451)は思った。
桃色のワンピーススカートの裾を持って、ぴらりと広げる。
ふわふわシフォンを重ねた風に揺れる春らしい装いに、クリーム色の上着を合わせた。
寒くも暑くもなるこの時期は本当に服選びが難しい。
『……子供っぽいかなぁ』
ちらりと大好きな旦那様の様子を伺うと、カメラを構えてにこにこしている。美森 仁也(
jb2552)の装いは、何も示し合わせていないのに、横に並ぶだけであやかの格好を引き立たせる。
『くやしいなぁ……』
長年一緒に暮らしているとはいえ、そつのない夫に少し複雑な気分だ。
「あやか、行かないの? みんな行ってしまったけど……もしかして具合悪い?」
「なんでもない。早くチューリップがみたいな。オヤユビヒメ見つけられるかしら」
足を踏み入れたチューリップガーデンは、艶やかで華やかで、珍しい品種がたくさん花咲いていた。瞳を輝かせて喜ぶ妻の姿を見て、仁也もホッと一息。あやかが一種類ずつ真面目に撮影を初めて暫くすると、仁也が近くのカメラマンを捕まえた。
「ではお願いします。このカメラで」
「あれ、お……」
お兄ちゃん、と言いそうになって両手で口を塞ぐ。どうにも不意をつかれると癖が抜けない。
苦笑いする仁也が「折角来たのに、二人一緒の写真がないのは寂しいからね」と言って、赤い花壇を背景に妻へ寄り添った。
その後カメラマンにお礼を言って別れ、ギャラリー画面を覗き込む。
「……何時か、子供を連れて見に来たいな」
『ああでも、女の子なら喜びそうだけど、男の子だと花より団子になりそう』
口元が綻ぶ。
未来を考えるのが、楽しくてたまらない。
●ふたりと一匹の勝負
荷物をロッカーに預けた地領院 夢(
jb0762)は紙袋を手に、ヒリュウを召喚した久瀬 悠人(
jb0684)の所へ戻ってきた。
「近所のパン屋さんで美味しいパン買ってきたんです。チビちゃんも一緒に食べましょ」
「もちろん頂……つかチビ、それ俺のだ、取るなこら」
食い意地張った一人と一匹。
賑やかな二人と一匹は、パンをかじりながらチューリップの庭園に向かう。
むせ返るような花の香りと広がるチューリップを見て、久瀬は花粉症でないことに心底感謝し、地領院は瞳を輝かせていた。
「初めてみる品種が沢山! 悠人さん、見てください、お姉ちゃんの色です」
紫のチューリップを発見した地領院は、パンを争うヒリュウを一瞥し「チビちゃんの色もあるかな」と看板を探しに行く。のんびり追いついた久瀬がヒリュウを指差す。
「チビ色のチューリップがあったらチビに喰わせた……痛い! 噛むな!」
「あ、いろいろありますよ」
「どれ」
チューリップの案内看板を見た久瀬が、赤い花に眉を顰める。
「プレスタンスユニカム……別称オヤユビヒメ? ……妙な品種があるのな」
横から覗き込んだ地領院は『オヤユビヒメ』の写真をコツコツと指先でつつきながら「探してみますか?」と久瀬に問いかけた。
美しい花は沢山見たけれど、親指の背丈しかない原種のチューリップなど見たことはない。
「先に見つけた方が勝ち、とかどうでしょう?」
「ふふふ、勝負か、望む所だ!」
久瀬は再びヒリュウを召喚すると、写真を指差して命じる。
「チビ、飛んで探せ! 俺はサボる」
きりり、と真顔の久瀬に「ええー!?」と地領院が声を上げた。
己の能力を無駄に活用した仁義なき戦いが始まった。
●高貴な香りを写真とともに
品種改良という人類の情熱が生み出したチューリップの美しさを眺めながら、シルヴィア・エインズワース(
ja4157)は傍らの天谷悠里(
ja0115)に向かって雑学を述べていた。
「知っていますか、ユウリ。かつてはチューリップの為に、黄金が飛び交った時代があると言いますが……これを見ていると、わからなくもない話です。おや、あちらも美しい」
一方の天谷は、花に埋もれた道を歩きながら妙な感覚にとらわれていた。
『うわー、花の香りすごい』
カメラマンに凝視されているのもビミョーに戸惑いを生むが、環境も特別だ。
今咲いているのはチューリップだけではないので、園内には花粉が立ち込めているのかもしれない。
『シルヴィアさんとお花畑。道の駅のはずなのに……なんか思った以上にハイソな香りのところに連れてこられちゃった気分。チューリップなんて小学校で育てた時以来だなー』
アレコレ考えに耽りながら珍しい花の前で立ち止まる。
「へー、紫色のチューリップなんてあるんだー。みてください、シルヴィアさん。花びらがふわっふわ」
『フツーのは赤とか黄色のイメージだよね、チューリップって』
エインズワースは真剣な天谷の横顔にくすりと微笑み、肩の力を抜けそうな事を考えた。
「そうですね。後ほどオヤユビヒメでも一緒に探しますか? 親指の高さという噂ですから、いやはやなんとも小さい。見つけるのは難しいかもしれませんが」
「じゃあ、その前に写真撮りたいです。あとふたりのところを撮ってもらいましょう」
「写真? いいですね」
「じゃ、シルヴィアさん、先にどうぞ。はい、カメラ」
「……へ? 私が撮る!? ……あー、いや、その、シャッターはどこです?」
二人の撮影珍道中は始まったばかりだ。
●懐かしい空気の中で
温室の前を通り過ぎた志摩 睦(
jb8138)は、散り際の桜並木が並ぶ石畳の小道を歩き、蔓薔薇の緑が生い茂り始めたアーチをくぐって、チューリップガーデンの一角に足を踏み入れる。
ぐ、と背伸びをして、肺腑の奥まで緑の息吹を吸い込んだ。
「こういうとこ来るん、久々やなぁ」
学園に来る前は、庭園や植物園によく足を運んでいた。
だから緑の多い場所には、懐かしさを覚える。
ふと押し付けられたデジタルカメラを見た。園内では撮影の対象になっている学生も多くいて、志摩自身、撮られることは好きではない。だからこそカメラマンのいる正面でなく裏道から一人で入ってきたわけだが……
「チューリップばっかなんは初めて見よるけど、綺麗なもんやね。花の写真くらい、撮っとこか」
撮影する側は悪くない。
せめて花の表情をいっぱいとっておきたい。
ふと点在する看板に心惹かれる。まだ咲き待ちのチューリップもたくさんあるが、看板には『あるべき姿』の写真がある。
さてどこから見よう、と目に付いたのは……小さくて真っ赤な原種の花。
「オヤユビヒメ、かぁ。見付けれたら、なんやえぇ事ありそうやけど……やめとこか。無理くり探して見付けるんはなんや違う気ぃするし、ここは見つけたらめっけもんにしとこか。……先ずは自分の幸せ、手に入れんとね」
誰にともなく呟いて。
近くのオレンジエンペラーを撮影すると、青空を振り仰いだ。
●オヤユビヒメ
すっかり春でござるなぁ、と。
エルリック・リバーフィルド(
ja0112)は見渡す限りの極彩に季節を感じた。
けれど傍らの橋場 アトリアーナ(
ja1403)はチューリップを見て『綺麗ですの』とは思いつつ、どうしても視線はリバーフィルドに向いていた。
「戦場を共に歩むのも良いで御座るが、偶にはゆったりのんびりも良いもので御座る! アトリはどの花が……」
リバーフィルドの声が遠い。
悩んでいた橋場が、ひとつの問題に葛藤して決意すること数秒。
「えい」
橋場はリバーフィルドの腕にぎゅぅ、と抱きついた。
寄り添い合う恋人たちを少し羨ましいと思う気持ちと、花に満ちた散策路を、恋人にエスコートされる幸せを求めて。
「エリー。今日こうしてても、いいですの?」
「ふふ、甘えて貰えるのは……とても嬉しいものに御座る。アトリ、今日はどうぞ存分に」
太陽の笑顔を見て、うっすら嬉しそうな表情を浮かべた橋場は「そういえば」と花園に目を配る。
「エリー、ここにはオヤユビヒメという小さなチューリップがあるらしいのですの」
「オヤユビヒメ、で御座るか? それは是非とも見てみたいで御座るな」
「折角なので、探したいですの……エリーもよく探すのですの」
リバーフィルドは快諾した。
そして花壇に目を凝らす橋場に対し、説明を思い出す。
「……園内の何処か、となれば花壇にあるとは限らぬので御座ろうか……」
人々は美しい光景に心奪われる。
確かに花の群れに隠せば見つかる確率は低い。
リバーフィルドはぐるりと庭園外を見渡した。赤い花だと聞いていた。
「……アトリ、あっちに」
その花は花壇から遠く離れた木陰に、草むらに隠れるようにして咲いていた。
ついに『オヤユビヒメ』を間近に見た二人は、花と一緒に二人で記念撮影をした。
●歌うチューリップガール
恋人たちの隣を横切りながら、踊るような足取りで歩く下妻ユーカリ(
ja0593)はご機嫌だった。
散歩中に浴びる、あたたかい春の日差し。
むせ返るような緑の匂い。
視界を覆い尽くすチューリップの海と、小道を彩る細木に息づく木蓮の白い花。
お花の季節がやってきたのだと感じさせてくれる。
「やっぱりチューリップはいろんな色があって、すっごく華やかなのが大好き!」
お気に入りはゴールデンメロディーやゴールデンメジャーなどの黄色い花だ。
写真を撮っていると、勝手に唇が歌いだす。
自作の曲なんていいかもしれない。
――――いつの間にかオランダ 虹色お花畑
トライアンフな気分で 春色コーデでおひさまに向かって
ちゅっちゅっちゅっとスキップ チューリップガールふわりと咲いた
ちゅっちゅっちゅっとステップ チューリップガール笑顔全開――――
「タイトルは……『チューリップガール』にしようかな」
下妻の足は軽やかなステップを踏む。
●憩いの時を
花園の中心に辿りついた時、機嶋 結(
ja0725)の傍らの大男――郷田 英雄(
ja0378)は声高らかにキザなセリフを告げた。
「これは凄いな……まァ、俺は花よりお前という華を見ていたいがな」
機嶋は「はあ、そうですか」と余り間に受けない。
他の女性にも同じような言葉を告げているに違いない、という読みからだ。
しかし覚めた反応に郷田は、まるでめげなかった。
「こんな赤い薔薇もいいが、やはりお前には黄色い向日葵が一番だと思う」
「手に持ってるのはチューリップですし、向日葵は夏の花ですよね」
郷田の口説き文句が、明後日の方向に弾かれていく。
ロリコン疑惑よりも漫才の如きやりとりが目立っていた。
しかし機嶋の首にはきらりと光るネックレスの飾りがある。郷田が贈ったエンゲージリングだが、指に嵌めるのは恥ずかしいので、チェーンを通して首から下げていた。
延々と続く口説き文句を右耳から左耳へ流しつつ、機嶋は極彩に彩られた花の庭を見た。
「……こんな時間が、もっと続けばいいですのに」
かすかな感情の機微を、郷田は察した。
血腥い戦いとは無縁の花園が、どこか遠い。
口説くのをやめた郷田は仰々しい身振りで手を差し出す。
「どうした、手でも繋いで欲しいか? 仕方ないな。エスコートは男の勤めだというしな」
「貴方が……繋ぎたいんじゃ?」
差し出したまま動かぬ手に、やれやれといった調子で機嶋は華奢な指を重ねた。
「そうだ、これも」
一輪の赤いチューリップは郷田が売店で買ったものだが、それを見た機嶋は「ピンクのチューリップ……の訳はないか」と小さく呟いて、受け取った。
●贈る花に選ぶのは
チューリップガーデンに区切られた花々には、名前や品種の説明と一緒に花言葉が記されていた。やはり花によって意味は異なる。藤井 雪彦(
jb4731)は花と一緒にプレートを撮影し、必死に色別チューリップの花言葉を記録していた。
『プレゼントの花は必須だよね〜、色んな花を見ておくのも大事だし、意味かぁ』
例えば相手を口説くには、果たしてどんな色を選ぶべきだろう。
愛の芽生えを意味する平凡なピンク? 真剣に愛を語るならば情熱の赤だろうか。
紫の花にある、不滅の愛も捨てがたい。
「……なるほど、ゴメンネする時も使えるんだぁ」
白や黄色、スマートな断り文句にはどれがいいのか、浮気を疑われそうな花はやめるべきか、などと必死にメモしながら悩む。
「……あの人に対してボクは紫を持つべきか。それとも黄か。サクッと白に手をのばせれば楽なんだけどナ」
買い物では紫の花を選びそうだと、ぼんやり思った。
●三人の花迷宮
広い庭園で迷子にならぬ為には、どうしたらいいのだろう。
そこで裏葉 伽羅(
jb9472)が錣羽 瑠雨(
jb9134)たちに提案した事は、天童 幸子(
jb8948)を中心に据えて、両手を繋ぐことだった。
「ゆきちゃんは真ん中です。迷子防止なのです」
「お手々繋いで一緒にお散歩楽しいの〜! チューリップも綺麗で、おねーちゃん達もとっても綺麗なの! ゆきこ今とっても幸せなの! 来年も一緒にこれたらいいな!」
「お二人とご一緒できて、とても嬉しいですわ」
地図もカメラもバッグに押し込み、極彩の花壇を通り抜ける。
錣羽は瞳を輝かせた。
「ほわぁ……、とっても沢山ですのね! ね、伽羅さま」
「綺麗ですね〜。チューリップってこんなにいっぱいあったんですね……緑色とかちょっと不思議です。あ、このお花白地にピンクの……瑠雨ちゃんみたいです」
桃色がかった金髪を持つ錣羽は、照れながら他の花にも注目していく。
「このひらひらなチューリップは……パーロット種、と書いてありますわね。中世のドレスのようでとても素敵ですの。そういえば……親指姫さま、いらっしゃるかしら?」
背の高いチューリップの影を覗き込むので、天童が「オヤユビヒメ?」と首を傾げた。親指ほどの高さにしか育たない、地に繁る花だと裏葉達は聞いていた。
「親指姫、小さいらしいですからじっと見ないとですね。瑠雨ちゃん、ゆきちゃん」
「はい! 親指姫、見つけられるように頑張りましょうね!」
「じゃあ、ゆきこが見つけて皆に見せてあげないとなのね! ゆきこちっちゃいから下の方探すのは得意なの!」
本日の目標『オヤユビヒメ探し』に決定。
やがて三人が真紅の花に心奪われる頃、捜索に熱中したせいで……自分たちが庭園のどこにいるのか、さっぱりわからなくなる事態に見舞われる事になった。
庭園の迷子である。
●甘いお菓子と笑顔とともに
陽光できらめく硝子張りの温室から続く、華やかなガーデンテラスでは、円卓の椅子に腰を下ろした者達が食事を楽しんでいた。特等席とも言うべきテラス席から眺めるチューリップの艶やかな庭と池の噴水。空を舞う水は大理石のモニュメントを流れ、錦鯉が思い出した頃に宙を飛ぶ。
「ギィ先輩、白い花の傍でお魚さんが飛びましたよ」
「ん」
薄手のニットソーにスキニーパンツ姿のギィ・ダインスレイフ(
jb2636)は、春野菜とクリームパスタの皿を持ったまま指先を追う。
再び鯉が飛んだ。楽しそうな陽向 木綿子(
jb7926)がデジタルカメラで一瞬をとらえる。
「ね?」
「……飛んだな」
それだけ言って円卓に向き直った。良い景色が何か、全くわからない。それよりダインスレイフの心を捉えて離さない料理の数々が、視界を埋め尽くしている。コンソメを効かせたトマト豆腐、筍の木の芽和えサラダ、三色おにぎり、揚げたてヒレカツに濃厚ソースを挟んだサンドイッチ、柚子胡椒の山菜パスタ、旨みの詰まったミートのラザニア、どれも美味しそうだし、ダインスレイフも満腹になりつつあるが……陽向の表情は少し浮かない。
緑の瞳はチラチラとデザートを見る。
濃厚なチーズケーキ、薄紅の桜シフォン、苺たっぷりのパフェ。
『……ほんとに美味しそう。どうしよう』
膝の上においた緑レースの巾着。中身は、自宅で焼いてきたクッキーとマドレーヌ。
『ギィ先輩、いつもお腹空かせてるし……好きなお菓子を沢山焼かなきゃ、なんて思っていつもの調子で作ってきちゃったけど、こんな豪華な料理の後で出せないし』
いっそお土産として渡す?
落ち込んだり赤くなったり。自問自答で忙しい陽向の耳に「ヒナ」と低い声が聞こえた。
全てを平らげたダインスレイフが、ヒラヒラと手を動かしている。
ブレスレットが揺れる。男の視線は陽向の手元。
「え」
「……俺のじゃないのか」
その菓子、と。やや残念げな雰囲気を含んだ指摘に、陽向は動揺しながら立ち上がった。
「せ、先輩のです! 先輩の分です! どうぞ!」
出しそこねたお菓子を渡すと、ダインスレイフが満足げに食べ始めた。
『夢……じゃないよね。どうしよう。嬉しすぎて顔がニヤけちゃう』
手渡しで触れた指を見下ろす。子供っぽい華奢な指が、なんとなく恥ずかしい。
陽向にとって、一緒のお出かけは夢のようで、それだけでも嬉しくて、つい春らしいピンクのワンピースを選んだり、お洒落やお菓子などに気合が入ってしまったが……にやけてしまう反面、思ってしまう事がある。
『……私、まだ子供だし、先輩にとっては、美味しいお菓子くれるヒトくらいの認識なんだろうな。それでもいいや。先輩の近くにいられれば……』
「ヒナは、つまらない? 何か食う?」
「そんなことないです。先輩とお出かけで、ふたりっきりで、嬉しいです」
ふんわり微笑む陽向に、ダインスレイフはデジカメを向けてシャッターをきった。
「これが、良い」
仕事は終わった、とばかりにカメラを置いた。
『旨いものも食えるし、ヒナも喜んでるし、悪くないかもな』
一方、陽向の顔がチューリップに負けず赤く染まった。春風が茶の髪を浚う。
●愛しい君に捧ぐ刻
昼時が近い事を知った天ヶ瀬 焔(
ja0449)と天ヶ瀬 紗雪(
ja7147)は、些か距離を取るような空気を漂わせたまま売店へ向かい、地酒を大量に購入した。そしてピクニックデートに備えて早朝から作った弁当や敷物を持ち、より景色のいいガーデンの片隅へ向かう。
今回の弁当は、諸事情あって焔お手製である。
甲斐甲斐しく支度をするのも焔だけ。
紗雪はというと、つーん、と澄ましている。
「酒の肴が多めだけど、紗雪が好きなもの、色々詰め込んだぞ」
紗雪はこっそり息を吐いた。
『……いつまでも臍を曲げているわけにもいきませんよね。花も写真も大好きですし、こんなにいい景色なんですもの』
「では、食べさせてくれます?」
にっこり。
ようやく正面を向いて話した紗雪に、焔が気合を入れて弁当から好物を箸でつまみ出す。
今日は、徹底して労うと決意していた。
なにしろ道の駅に来る前は紗雪がひどく不機嫌で、花の撮影を始めても「おぉー、色々咲いてます。空を指す様な下からの方が美しいですね」と独り言のように呟いて撮影に熱中し、焔はおいてけぼりに等しく、デートとは名ばかりの状態だったからだ。
「何時もありがとうな、紗雪。愛してるよ。機嫌、なおしてくれるか?」
紗雪は「あーん」と食べさせてもらいながら「今日の労いとデートに免じて」と返した。
午前中に撮影した写真のデータをチェックすると、どれもこれもチューリップより紗雪が中心に撮影されていて、思わず当人も笑ってしまった。
「そういえば、知っています? 昔のチューリップは鬱金香といい、香りは良くなかったのです。けれど、度重なる品種改良の結果……此方の様に、百合のような香りがするものもあるのですよ」
やわらかい春の日差しと、少し肌寒い薫る風。
食後に酒を嗜みながら、ごろりと横になった紗雪に膝枕をする。頭を撫でて髪を梳く焔の指が優しい。
うとうとし始めた紗雪は、草むらの中に、小さな赤い花を見た。
●小さな魅力発見隊の昼食時間
沢山歩き回れば昼食が美味しく食べられる。そう言ったのは地堂だった。
殆ど休まず真面目に取り組んだので、足はクタクタに疲れている。
待ち合わせの場所では、瓜生がお茶を手にして準備万端。
「探索ご苦労さまです、お茶を用意しますので一息の時間をどうぞ。是非、花に囲まれた中での優雅なひとときをお楽しみください」
春風にふんわりと髪がなびく。
ついでに野外の椅子で和気藹々と座った小さな魅力発掘隊の写真を一枚パシャリ。
「熱いので気をつけてくださいませ」
「おっと」
お茶を受け取り、ガツガツ食べる地堂に対して、嵯峨野は「たらこ頂きまーす」と、買ったおにぎりにかぶりつき幸せに浸る。
「やっぱ日本人は米だよねー」
お茶を配っていた瓜生が「この後はどうされます」と皆の顔を見渡す。
嵯峨野が空を仰ぐ。
「んー、チューリップも全部撮りきってないから、そっちかな。あ、でも鯉に餌遣りしていいっていいって聞いたし、やってるところも撮影したい。っていうか、餌やりたい。金魚飼ってた頃のこと思い出すよ」
他愛もない話が風の中に消えていく。
●お弁当と野生の味
オヤユビヒメ探しが難航する御崎 緋音(
ja2643)達3人は溜息を零した。
「なかなか見つからないね……そっちはあった?」
親友の春名 璃世(
ja8279)は、姉妹とともに首を横に振る。館内放送が流れ、お昼時になったのでチューリップ園の中で昼食を取ることにした。
御崎のお弁当は、ちくわの磯辺揚げ、揚げ物やサラダ中心のおかずにサンドイッチ。
璃世のお弁当は、辛口麻婆豆腐、ちくわ天、卵焼き、野菜の煮物、おにぎり。
「ふふっ、お弁当持ってピクニックみたい。緋音のお弁当美味しそう! 私、唐揚げ大好きなの」
そして。
「二人とも料理ができて羨ましい……でも負けない!」
春名 瑠璃(
jb9294)は、ノースリーブの白いカットソーワンピースにサマーコートという清潔感漂う格好のままどこかへ走り去り……
「おまたせー。じゃーん、昨日捕獲したんだぁ〜」
やがて自慢げに荷台で運んできたのは、クーラーボックスに押し込んだ猪の丸焼き――の分解された残骸であった。
「瑠璃のは……イノシシの丸ごと? これ、頭もある、よね。初めて見た……」
「料理できないけど、丸焼きならできるから!」
涙目な瑠璃を撫で「いや……瑠璃こそ、狩りが出来るなんてすごいよ」と肉を一瞥する。
猪を丸焼きにするには幾つかの方法が存在するが、まず害虫のダニを殺すために業務用バーナーで全身の毛を焼き、コテで毛をそぎ、水洗いし、鞣す事ができない皮を剥ぎ、皮下脂肪を排除し、臓物を取り除いて体を開き、大掛かりな道具で4時間以上も炭化しないよう焼かねばならない。
今日のピクニックに備えて、なんとか誇らしい物体をそのまま持ってこようと悪戦苦闘した瑠璃だったが、渋々丸焼き完成品を分解して、持ってくる結果に至ったようだ。
食中毒を避ける為、借りた七輪で再び炙る。
「わぁ、炭火のいい匂い。瑠璃さんのも美味しそう! 少し貰っていいですか? あ、私のもどうぞ」
御崎に「もちろん」と言いながら肉を渡す。
「はい、次は姉さんの分。熱いうちにどーぞ。食べたい部位があったら言ってね!」
ヒヅメ付きの威圧感漂う肉の塊が、でーん、と紙皿に置かれた。
野生感あふれる肉の山を除けば、屋外バーベキューという贅沢にも見える。
「んーっ、やっぱり璃世の料理最高に美味しい!」
「緋音のも美味しい。二人ともたくさん食べてくれてありがと」
「お腹いっぱいになったね。あたしには花の良さなんてわかんないけど……こういう雰囲気は、いいね!」
瑠璃はそう言いながら二人の料理に舌づつみをうった。
満腹になったら昼寝の時間が待っている。
●葛藤の行方
午前中は恙無く仕事をこなし、昼食も楽しい時間だったと天宮 葉月(
jb7258)は思う。
一応『仕事』である事には違いないが、ある意味において『デート』だとも思っている。
『こういうトコに誘ってくれるっていう事は……返事、期待してもいいのかな? それとも先延ばしのお詫びかな? どちらにせよ、きっと今日答えが聞けるかも』
期待せずにはいられない。だから、だろうか。
撮影中に真っ赤に咲き誇るレッドインセプションの前で「私としてはこういうものが欲しいかなぁ」と催促をかけた。なにせ花のプレートには『花言葉』まで載っていたから。
「ここでいいか」
周囲に誰もいない事を確認した黒羽 拓海(
jb7256)は深呼吸一つして話を切り出した。
花壇から遠い東屋だった。
「……先日、夢を見た。俺と葉月と義妹と、三人で幸せに笑っていた。俺に都合のいい夢だった。同時に思うんだ。俺は結局、選べなかったんだろうと。だから二人とも欲しい」
恐ろしい沈黙が降りた。
殴られる事を覚悟で黒羽が顔を上げると、天宮は呆れた眼差しで盛大に溜息を吐いた。
「選べないの? 私を? どうしても?」
「……俺は、どうしても決められなかった……」
再び沈黙とため息が聞こえた。
「……いいよ、わかった。そのかわり、ちゃんと甲斐性をみせてもらいましょう!」
天宮が何を言ったのかわからなくて。
黒羽は話を理解するのに暫く時間がかかっていた。
●巡る季節を肌で感じて
緋流 美咲(
jb8394)はカップル達から視線をそらし、チューリップの前にしゃがみこんで「桜の次はチューリップかぁ」と呟いた。
凛と咲くチューリップに魅入っていると、背後に立つ桜の木から、花びらが雪のように散った。
ざぁ、と緋流に降り注ぐ薄紅の雨。
花が散り、季節は巡る。
春はすぎゆく。
「私も止まったままじゃいけない……進まないと、ね」
ちょんちょん、と指先でチューリップをつついた後で、軽くキスをした。
立ち上がって見上げた太陽は眩しいけれど、表情には笑顔が宿る。
「いい天気」
やがて肌を焦がす夏が来るのだろう。
●小さな魅力発見隊の午後
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は、何故か撮影される側になっていた。
「フハハハハ、私は怪人! 諸君、とくとみよ!」
手品用のトランプが弧を描くように飛ぶ。マステリオは最初こそデジタルカメラ片手にふらふら探検兼ねて歩いていたのだが、手持ち無沙汰でトランプをきっていたら……赤と黒を基調とした、半袖シャツにベスト、スラックスという目立つ格好も相まってカメラマンの撮影に捕まった。クイズのページを作ったりするのに丁度いいらしい。
「じゃ、もう一回。こっちのカンペ読みながら、次動画で」
「えぇー!? またなんですか」
注文が多いので、いい加減ぐったりしてきたが、一応仕事なので断れなかった。
そんなマステリオを見守る、通りがかりの小さな魅力発掘隊の隊員こと嵯峨野は、ばっちり視線があうと、遠巻きに『がんばれ!』の声援をボディーランゲージで伝えた。
爽やかに見捨てられた。
愉快な光景を通り過ぎた陽波 透次(
ja0280)は、にやけた顔をヒリュウに向けていた。
『ヒリュウ可愛いよぉおおおっ! うへへ、ヒリュウ可愛いなぁ、もう君しか見えない』
専攻の変更で巡りあったヒリュウに、運命を感じながら訪れたお出かけの一日。その溺愛ぶりはこの世の春を感じさせ、天魔との戦いでささくれ立った心も癒されていく。
しいて不便な事を言えば、実質的に数分しかヒリュウを召喚できぬという事だろう。
約150秒経ったら帰ってしまう。
しかも陽波の技量的には精々召喚は二回……食事の甘やかしタイム「あーん」は最強で、今この瞬間も、チューリップに埋もれるヒリュウが可愛く見えるポジションを探す。
幸せに浸れているが、もうじきお別れ。
「楽しかったかい、ヒリュウ? 大変な事も沢山あると思うけど、これから宜しくな」
囁いた瞬間に消えてしまった。
今日はもう会えない。その悲しみは重いものだったが、カメラの中には一緒に写った写真もある。
「バハムートテイマー、……なんて最強なんだ……最強過ぎるぞ、このジョブ」
思い出してデレデレしながら更なる精進を誓う。
そんな背中を見る魅力発掘隊の隊員。
「……楽しそうだな。そっとしておくか」
目的を忘れている者もいれば、淡々とこなす者もいた。
これほど色形様々なチューリップを見る機会は、そうないだろうと千葉 真一(
ja0070)は感じていた。道の駅の小さな魅力を探して歩き回り、チューリップの庭を歩くカップルや仲間たちを撮影してみて笑顔や撮影角度は追求したが、いまいちピンとこない。
「何か違うアプローチの画も欲しいとこだが……」
見上げた空は青く、太陽の日差しが柔らかい。これを是非とも有効活用したいが、逆光になればチューリップの印象は台無しになる。けれど歩き回っていて良い位置を見つけた。
虹だ。
スプリンクラーの放水が作り出した奇跡を、チューリップとともに切り取った。
デジカメのメモリー画面を眺めつつ「まぁ、悪くない感じだ」と千葉が呟く。
虹を引き立てた白いチューリップを、ひと鉢買って帰ろうと心に決める。
「いい写真は撮れた?」
下一の声が聞こえた。後ろには連なる隊員たち。
ふいにノールがしゃがんだ。
「こっちも綺麗。変わったチューリップがいっぱいですの! 本当に種類が多いですのね」
ノールの燥ぐ声が春風に溶けていく。背後から覗き込んだ地堂が感嘆の声をもらした。
「へぇ、こっちも……たかがチューリップと思ってたが、こんな凄ぇ種類があるんだな。ちょっと侮ってたぜ。せっかくだし、そのまま顔を寄せてな」
そしてチューリップの傍らで華やかに微笑むノール達を写真におさめる。
『……うちの姉さんも、こんな風に綺麗な花に囲まれてりゃ、少しは女らしく見えるんかね』
想像しようとして――やめた。
代わりに、別な事を思いつく。
「下一、データのコピーってもらえるのか?」
「あーうん。あとでネットのダウンロードサイトに置いとこうか?」
「頼む」
綺麗な景色ぐらい持ち帰ってやろう、と気を利かせる。
嵯峨野は咲き乱れる花々の中をのんびり散歩しながら、蝶が飛んでいるところを狙ってシャッターをきった。時々データを見直して、ブレていないか確認する。
「やっぱり八重咲きのやつがチューリップのイメージと違って新鮮。花弁多くて可愛いなぁ。随分撮影したはずだけど、あと撮ってないのは……やっぱオヤユビヒメっての気になるよねー」
見つかるかな、と視線を巡らせる。
すると紅が皆を呼んだ。赤いものが好きな彼女が、赤いチューリップを探していたら、園内の物陰にひっそりと咲く『オヤユビヒメ』を見つけた。
●幾百幾千の花言葉
歩き回って一通りの撮影を終えたジョン・ドゥ(
jb9083)は、自販機で買った林檎ジュースを飲みながら「綺麗だ」とチューリップを惚れ惚れと眺めた。散り際の桜の花びらが虚空を漂い、春風が薫る花々を波のように揺らしていく。
花の海だ。
「春の花見は、桜だけじゃないんだな。今まで戦だけの生き方だったから……知らなかった」
殺伐とした戦いから離れた花景色。
堪にはこんな平穏に浸ることも悪くない、と感じる。
カメラマンたちが引き上げ、園内がモデルの学生ばかりになった頃を見計らって、ドゥは傍らでエスコートしてきたパウリーネ(
jb8709)に「空からも見てみないか」と誘った。
春風がいたずらに靡かせる真っ赤なエプロンドレスに、小洒落た日傘。
影に隠れた、麗しのかんばせ。
「ああ確かに……空から見ると、時計の形がはっきり分かるかもしれない」
一味違う景色を求めて、存分に園内を堪能しながら、茜色の空に気づいた。地上に降りたあと、パウリーネが花壇を凝視した。
「そういえば……チューリップは、花言葉が色や品種で異なっていたな。噂だけは聞いていたのだが、例えばこちらの赤は『愛の告白』なのに、むこうの白は『失われた愛』……何故だろうか」
「ん。なんでだろう」
二人揃って首をかしげる。
名前や花言葉は、何を基準につけられるのか。パウリーネは不思議だった。
「かつての青は不可能の象徴。それが今や可能性の象徴。……人間の考える事は分からぬが、彼らの作り出すものは……実に美しい」
花は嫌いではない。
これが作られた美であるにせよ、素晴らしい、と心から賞賛に値する。
「黒いチューリップの花言葉は『貴方を恋い焦がれ、私の心臓は炭になってしまった』だったか。本当に、見ていて飽きないな」
しばらく黙って話を聞いていたドゥは「今日は一緒に回ってくれてありがとな」と囁いた。
沈みゆく太陽の光を浴びて、チューリップガーデンの花々が茜色に燃える。
美しい大輪の花々だった。
集められた写真の数々が、後日、この道の駅を彩るだろう。
来訪する者たちの心をゆらすチューリップ・フェスティバルの本番は、これからなのだから。