ふと思い出せば。
ディアボロ退治の前、明石 暮子(
jb6003)はひたすら燥いでいた。
『きゃー! 雪だ! 雪よ! 本土は寒いって聞いてたけど潮風がないぶん堪えれる寒さだよね! スキー場ばんざい! 遊んで帰れたらいいのにな!』
そして退治よりも足場の悪さに苦戦し、仕事を終え、くたくたに成って駅に到着した後は……容赦なき豪雪の足止めである。暮子の心理状態は地の底まで落ちた。
『暴風豪雪やばい、寒すぎる、心臓から冷えるようだ、やばいさむいでーじさむいしにさむい』
でーじさむい、しにさむい……大変寒くて死にそうなほど寒い、と震えていたものの、温泉付き旅館に救われた時には小躍りしていた。
「温泉宿ばんざい! 思わぬ小旅行ね!」
「自腹は切ないけどね」
蓮城 真緋呂(
jb6120)は財布から去っていく札を虚しく見送る。
温泉旅館だ。それなりの金額はかかるし、想定外の宿泊による出費は致し方ない。
「うーん、早めに倒して雪きつくなる前に帰るはずだったけど、間に合わなかったかぁ」
米田 一機(
jb7387)の言葉に「しょうがないじゃない」と蓮城が声を投げる。
「でも偶には温泉もいいわね。源泉かけ流しだって話だし、雪で動けないし、のんびりしちゃおう」
「賛せ……」
両手を挙げた暮子はある事に気づいた。
『……どうしよう。同じ学園の生徒が一緒に入るとか、旅の恥は掻き捨てができないじゃないですか! やだあああああああああ! 丸いのがばれちゃうじゃないですかやだあああああ!』
乙女心は複雑である。
かくなる上は、誰よりも先に温泉へ入って、一番最後にでて浴衣を着て自信のない体型をごまかすことだった。
旅館で借りた浴衣に帯。綿入りちゃんちゃんこ。
縮緬の和柄が愛らしい巾着に、コンビニで調達した下着のワンセットを押し込んだ菊開 すみれ(
ja6392)は、踊るような足取りで風呂に向かう。
『せっかくの温泉だから楽しまなくちゃね! お泊まりセットも揃ったし、寝床も心配ないし、仕事の疲れを……あれ?』
廊下の果てを歩く、黄緑色の髪を靡かせた後ろ姿。
『明石さん? さっき温泉行くって言って随分たつのに』
もしや売店見物? と思いはしたものの、売店の営業時間は、菊開達が旅館についた時間で、とっくの昔に終わっていた。再び同じ方向を見ると、人影はどこにもなかった。
ところで黒井 明斗(
jb0525)は食事の前に身を綺麗に清めるべく、部屋に荷物をおくと風呂に向かった。
「汚い姿でひと前に出る訳にはいきません」
温泉で疲れを癒すかと思いきや、全ての汚れを念入りに洗い落とし、冷えきった体を温めたところで浴槽を出た。
黒井が他の物事に目もくれずに急いだのは、理由がある。
「明くん! みてみて、牛乳瓶の自販機があったよ!」
矢野胡桃……黒井達より先に宿に泊まっていた、別依頼の班であり、矢野と黒井は恋人同士だった。
受付で矢野に遭遇した黒井は、神の導きを感じた。
『この吹雪の中で旅館に泊まれるだけでも神の助けなのに、胡桃さんも居るなんて、本当に神の導きですね!』
「フルーツ牛乳だって! 甘いのかな? 明くん知ってる?」
「え、あ、甘いと思います。飲み終わったら、食事会場へ行きましょうか」
まるで二人で旅行に来たような、この上なく幸せなひとときだった。
その頃、菊開が風呂に足を踏み入れると、長風呂を楽しむ明石がいた。
「あれ? やっぱりいるなあ?」
「え、なに?」
「ううん、なんでも。寒いね〜」
洗い場から湯船を見回していると。
「久遠ヶ原の毒りんご姉妹、華麗に参上! ですわ」
脱衣所の扉を豪快に開けながら、ブロンドの娘が現れた。クリスティーナ アップルトン(
ja9941)だ。艶やかな肌、引き締まった肢体、整った姿に、菊開は英国美を感じていた。
そしてアップルトンの口上は続く。
「私の神々しい身体とこの美しい雪景色。これぞ東洋と西洋の美の邂逅ですわ! ……あら、菊開さん? いえ、すみれではありませんか」
前を隠さないで堂々としているアップルトンを見て『恥ずかしくないのかな……』と些か、裸への羞恥心に対する感性の違い、に首を傾げていた菊開が手を振る。
「はーい、クリスさん。とりあえず先に体洗わないと」
「そういう作法なのでしたっけ。お隣に失礼しますわ。ディアボロ退治、お疲れ様でしたわ。まぁ、あのような猿退治は私にとって造作もない事でしたが」
「問題は帰宅手段が消えたことですね」
「宿が取れて、助かりましたわ」
菊開は、頭と髪を洗い終えると湯船にこっそり向かった。
「それにしてもすみれ……私といい勝負ですわね」
これぞオリエンタルの至宝! などと独特の価値観で素っ裸の菊開を評価したアップルトンが接近。
「え?」
と仰天した時には、贅肉を確認するべくわき腹に華奢な手が。
「ちょ、やだ! くすぐったいから身体触らないでー!」
刹那。
「きゃぁぁぁ! ごめんなさい! ごめんなさいー!」
露天風呂から響き渡る声に、菊開達が木桶やタライをスタンバイして「大丈夫!?」と駆け込んだが、暮子が岩陰でのんびりしているだけだ。
「叫んだ?」
首を左右に降る暮子が指さしたのは、高い竹の壁。隣は男湯。
……まさか。
まもなくして盛大な足音とともに女湯の扉が空いた。蓮城だった。急いで体と髪を洗い、湯船に浸かる。暮子以外の女性陣が蓮城を見守るが、何があったのか想像できるだけに、何も聞けない。
「うう、またやってしまった……は!」
なんとなく見守っていると蓮城は我に返り、露天風呂へ駆け出すと「今の忘れてぇぇぇ!」と一声叫んで内風呂に撤退した。
疲労ゆえに男風呂へ侵入したドジっ子こと蓮城が遭遇したのは、幸か不幸か米田一人であった。
湯船に首まで身を沈める米田は、半ば呆然としたまま考え込んでいた。
「……いや、これは僕、悪くないはず」
くいっ、と眼鏡をあげる。
風呂へは眼鏡はつけて入る派故の悲劇で、上から下までバッチリ見てしまったが、どちらかというと衝撃が上回って、それどころではなかった。
只今米田の頭を占める問題は……
『ここは女湯? いやしかし至上の時間を風呂を一人で独占すべく何度も暖簾を確認したし、女性陣の声は壁一枚を隔てた向こう側から聞こえてくる訳で、風呂からあがった後に真緋呂へ謝るべきか、見なかったことにすべきか、いやしかし、どういうことなの?』
……とイマイチ正気に戻っていない。
「そう、僕は悪くない、悪くないんだ。神様お天道様はきっと許してくれるよね」
米田は悶々と悩みながら風呂から出た。
その頃、暮子は湯煙がすごい露天風呂で大岩にもたれ掛かって、空を見上げていた。
熱々の温泉に、ひんやりと冷たい岩、冷たい雪。
「露天風呂きもちいい〜、景色もきれ〜い」
花が降っているようだ、と思った。
「でも隅っこに一人で入るのってなんかこう……出そう」
幽霊とか妖怪とかが。
夢見る乙女気分が一気に低下。
他に誰もいない古びた旅館。閉ざされた一夜。
「……う、内風呂、そうだ、内風呂でみんなといれば」
きっと大丈夫、と己に言い聞かせて立ち上がり、出入り口に向かった先で……正面に『薄く微笑む自分』がいた。
「ひ、ひ、ひ、ひやああああああああああああああ!」
暮子は泡を吹いて湯船に沈んだ。
ざぼーん、と凄い水しぶきが窓越しに見えた。
「あら? むこうで誰か倒れたみたいですわね。明石さんかしら?」
アップルトン達があわてて駆けつけると、そこには「ねーさん? ねーさん!? だれかきてぇ!」と大騒ぎするもう一人の明石暮子……ではなく、妹の暁美がいた。暁美は別の仕事で偶然旅館に宿泊していたのであった。
皆が風呂から上がると、畳の部屋に夕食が用意されていた。
ずわい蟹の押し寿司、春菊のおひたし、黒豆の豆腐、冬大根煮の肉味噌掛け、山の幸岩塩焼き、柚子の水羊羹。
「おーっ、私、和食は大好きです!」
期待に胸を膨らませたアップルトン達の前に広がる食事の数々。
「日本のお料理は、やはり日本酒がすすみますわね。えくすきゅーずみー! 日本酒をもう1合ですわ!」
隣の菊開はずわい蟹の押し寿司に感激していた。
「ん〜、かにさん、かにさん美味しいな〜、あれ、たべないの?」
女湯と男湯を間違えた蓮城は……どんよりしていた。向かいの米田もあえて話題に触れない。
振り返った菊開は、帯のゆるんだアップルトンを見つけて箸を落とした。
「胸元見えてるよ!」
とぼしょぼしょ話しかけて素早く着崩れをただす。最初は「え? なんですの? 浴衣?」と状況を把握できなかったほろ酔いアップルトンも、令嬢にあらざる醜態に人目を気にしつつ、最終的には虚勢を張った。
「ふふっ。どうやら、私の美しさが溢れ出てしまったようですわね」
「もぅ、そんなこと言って。男の子もいるんだから気を付けないとダメですよ」
ついでに菊開は上下バラバラの下着故に、同じような失態をするわけにはいかない、と自分の帯もきつくしめた。
彼女らにとって幸いだった事は、同席男子がいずれも恋人に夢中だった事だろう。
「……飲むも食べるも、また何事をするにも。全て神の栄光のためになりますように」
信心深い黒井が、果てしなく長い複数の祈りを終えて十字をきった頃、矢野は表情を歪めていた。
どうやら苦い山菜に当たったらしい。
「……んぅ。これ、苦手ー」
オレンジジュースで噛まずに流し込む。
「食べないの? じゃあ、残りの苦いのは貰うね。僕は甘いの苦手だから、代りに食べて」
ことり、と差し出したのは黒井のお膳にあった柚子の水羊羹。
真っ先にデザートを食していた矢野の表情が、ぱぁっと華やいだ。
ありがとう、と言って幸せそうに微笑む可憐な姿が、可愛くてしょうがない。
『さて』
食物は神の恵み、と考える黒井は黙々と食べ始めた。
ぱちぱちと爆ぜる炭火は、見る者の心を和ませてくれる。
吊り下げられた薬缶。ゴトクの前に立てかけられた川魚や海鮮の香りが風情を誘う。
「あ、その魚とっといたんだけど……一匹ぐらい分けてくれてもいいのよ?」
控えめに串焼きを要求するのは焼き係担当男子と化した米田だった。蓮城は無視して黙々と食べ続ける。折角焼いたにも関わらず、片っ端から彼女へ焼き魚を奪われる悲劇にもへこたれない米田は「まぁいいか、美味しい?」と尋ねながら第二弾を焼き出す。
「う、うん……岩塩がきいてて、おいしい」
「よかった。いくらでも食べられるってありがたいけど、塩加減わからなくて」
「……お、お風呂の、忘れてね?」
焼きが楽しくなってきた米田が新しい炭を手に「え?」と首を傾げる。聞こえなかった。
「な、なんでもない!」
話は蒸し返さずに消すのが吉である。
食後の暮子と暁美も囲炉裏にいた。
暮子の隣にはもちろん、暁美も浴衣姿である。
「こういう場所は風情あるわ」
「そうね。それにしても暁美、眼鏡をしていなかったから分からなかったわ〜」
暮子達は囲炉裏端で焼けた魚やエビを堪能しながら、梅酒のソーダ割りを楽しむ事にした。
「あ、この焼き魚おいしい〜。地元だとアグー豚とか山羊の中身料理が定番だし、たまにはこういう料理もいいのかも」
中身、とは内蔵料理のことだ。
しいて言うなら酒が入ると……コリコリのミミガー、島らっきょうの天ぷら、淡泊なグルクン魚の唐揚げ、プチプチの海ぶどう、落花生で作られたジーマーミー豆腐など食べなれたツマミが欲しくなる。しかしここは旅行気分で我慢必須。美味しい串焼きは沢山ある。
「一時はどうなるかと思ったけどこういう所にお泊りできてよかったね〜 、弟も依頼受けてたら良かったね〜」
「でもたぶん兄さんには勿体無いわ」
暁美はにべもない。
「でも、ここ雪女とか出てきそう。百物語とかやったら楽しそうよね……それで美麗な幽霊がでたりして。あ、でも姉さんのほうが百倍綺麗よ?」
暮子は酒を口に押し込みながら、ガタガタ震えていた。怪談話は苦手だった。
黒井と矢野も囲炉裏端にいた。ただしこちらは食べるためではない。
オセロの番面を真剣に見ている。
時々、砂糖たっぷりの香り高いセイロンティーを口に運びながら、ただいま二戦目。
「え、えぅー! 明くん強いぃ……まけそう」
「そんなことないよ。胡桃さんだって、角を押さえてるし」
「こ、今度は勝つから!」
電子機器の発達した現代において、押入の隅に追いやられそうな遊技ではあるが、これが結構おもしろい。
囲炉裏端の和やかな時間も過ぎ去り、あとは就寝、という時に運動している者がいた。
「すみれ。それ、なんれすの? 不思議な踊りれすわね!」
泥酔に疲れも相まって、見事にろれつが回っていないアップルトンがもたれ掛かる。
「で、何の踊り?」
「この前テレビでこの体操やってたんです。寝る前に皆でやりましょう。はい、いっちにー、いっちにー」
胸を引き締めるバストアップ体操であったが……菊開は全く理解していない。
ちなみに話を真に受けた暮子が、マジ顔で真似を始める。
『体操して眠ったらきっと痩せる!』
アップルトンは菊開に体重を預けて「ぐっない」と呟いたきり、寝てしまった。
その頃、黒井は就寝前の祈りを終えて、座敷の隅で丸まって就寝していた。
やがて女部屋の体操騒ぎも落ち着きを見せ、皆就寝。
深夜にトイレへ起きた米田が部屋を間違え、早朝に気付いた蓮城が仲間にバレる前に米田を部屋へ戻す為、大騒ぎしていたのは……雪夜に封印されるべき秘密であった。
かくして次の日は空も晴天。
不運に踊らされて雪の旅館に一泊した一同は、無事に帰っていった。