パーティー用の白いドレスを着たメフィス・ロットハール(
ja7041)は余裕を持って出かけるべく「そろそろ行くわよ」と玄関から夫を呼ぶと、現れたアスハ・ロットハール(
ja8432)は普段と同じジャケット姿だった。
「……全く、こういうときぐらい、オシャレをしないでどうすんのよ。戻って!」
メフィスに腕を捕まれ、強制着替えコース。
手首に光る腕時計を眺めて「急いでよ、もう」と呟く。メフィスが白手袋を嵌めた。
「メフィスは本当に白が似合う、な……いつかのドレスも綺麗だったし、ね」
「おだてても普段着は却下よ」
手厳しい返事のメフィスに「そうじゃないんだ、が」と苦笑を零す。
「じゃあ何よ」
「お互い、このところ忙しかったし、ね。久しぶりにエスコートさせてもらえるか、な?」
身なりを整えてコートを羽織、すっと片手を差し出す。
目指すはまだ見ぬ、お菓子の国。
家を出た段階で気合の入った格好をする者もいれば、こっそり持ってきた衣装を現地の控え室で着替える者もいた。
「お待たせしました」
更衣室から櫻井 悠貴(
jb7024)が現れた。
真っ白なエプロン、古葉色の長袖に膝丈スカート。レースのソックスにキャラメル色のエナメルシューズ。童話の挿絵にふさわしい、愛らしい装いだ。
「どうです? 似合ってます?」
踊るような足取りの悠貴を見て「ああ」と月野現は言った。
白い紳士服は、白ウサギを意識したものだ。
前日からお菓子の国の衣装を打ち合わせていた悠貴は、よほどお菓子の国が待ち遠しかったと見え、夕暮れ時に現と待ち合わせた時も、テレビCMから思い描くお菓子の国の話を絶えずしていた。
「このドレス、コルセットに見える部分が厚手でキツめなんです。食べ過ぎてしまわないか……心配なぐらいですが、色々食べられなかったりしたら残念ですし、でも折角写真も取るなら絶対この格好がいいと思って……とっても楽しみですね!」
舞い上がっている悠貴を、現が微笑ましげに眺める。
待合室に続々と集う招待客たち。
「なんというハロウィン」
うさみみバンドを手に持つシルヴィア・エインズワース(
ja4157)が入場口から現れる。傍らに立つ後輩の天谷悠里は、衣装を見比べていた。エインズワースがオプションに片眼鏡や懐中時計を身につけて『白うさぎ』を演出しているのに対し、天谷はお約束な水色のエプロンドレス姿である。
この場でこそ違和感はない。
だが自宅からスタジオまでの道のりが少し恥ずかしかった上に長く感じたとは天谷談。
「えーっと、なんか雰囲気にのまれそうですね。シルヴィアさ……」
「……アレが流行ったのなんて、ごく最近の話……」
エインズワースは難しい顔で独り言を呟く。
「シルヴィアさーん?」
「え、ああ……それにしてもここのスタッフは太っ腹ですね。中を歩く為だけに、新品の靴や手袋、食器の関係まで渡されるとは。テーマパークにしては変わり種です。どのような方が作られたのやら」
その後、待合室に流れるショコラティエ鳳翔の映像を見て、エインズワースは「変わり者なのでしょうね」と結論した。
同じ映像を見たニットワンピース姿の宇田川 千鶴(
ja1613)が「クリエイティブな人って、考える事やる事が奇抜になりやすいんかな……」と小声で呟く。
傍らの石田 神楽(
ja4485)はにこにこと微笑みながら「まぁ、こうした発想を持つ人が居るからこそ昨今の発展があるのでしょうね。私もよく分かりませんが」と声を投げた。
やがて現れた係員は言った。
「それではお菓子の国へいってらっしゃい」
ぶわ、とチョコレートの香りが皆を包んだ。
超堅焼きのビスケットなタイルが敷き詰められたレンガ風の小路。
その果てに広がるお菓子の光景。メフィスは何度も瞬きした。
「ほんとに夢でも見てる気分ね」
隣のアスハは光景に気を取られているメフィスを秘密裏に撮影しつつ、近くの枝に手を伸ばした。葉も枝もお菓子だが、薄緑の尺取り虫までいる徹底ぶり。
試しに食べた。爽やかなマスカットの味がした。
「……なるほど、こういうのを、食べるのが勿体ない、というのだろう、な。メフィス」
「何? 早く奥に行かないと……」
差し出されたマスカット味の虫グミにメフィスの顔色が青に変じる。
「む、むむむ、虫!? キャァァ! イヤアァアァァァ!」
生理的に受け付けない天敵の出現に、それがお菓子で作られている事すら気づけないメフィスと、悪戯心に火がついたアスハの逃亡劇が始まった。
道端にかがみこんだ悠貴は、草原をつまんだ。
「綺麗なキャンディ……全部がお菓子で出来ているなんて! 凄い、凄いです。う、でも食べ切れなさそうです」
砂糖細工の薔薇は、林檎の味に……ほんのりバラの香りがした。
「見るだけで甘くなれる景色だな」
「正しくお菓子の国、いえお菓子の世界ですね! お土産に持って帰っても良いなんて、夢の様です」
うっとり、と感動しながら……我に返って地図を探した。
入場口で感動してる場合ではない。
お菓子の建物に、お菓子が実る樹木、紅茶の川やグミの動物が待っている。
「まず川に行きましょう! 現さん! 全部見えるビューポイントへ!」
白い袖を引っ張りながら駆け出す。
「凄いな……色々と」
体を包み込むチョコレートやバターの香りに圧倒され気味の宇田川は、石畳に見せかけたお菓子の道を歩くのも躊躇った。食べ物を踏む。普段なら絶対にしない行為だが、レンガの隙間から生えるタンポポすら飴細工だと気づいて、細心の注意を払う。
「これは凄いですね、主にお菓子の香りが。よくこれだけの物を撮影の為だけに作ったものです」
「うん。お菓子をうっかり蹴飛ばす訳にもいかんし、平坦な場所に敷物と荷物を……」
しかし平坦な場所を探しても、そこは全てお菓子だらけ。
夢や希望というものに厳しい価値観を持つ石田も、小石を食べる仲間を見て戦慄した。
小石に似せたチョコレートだ。
興味があってやってきたが、スタジオは徹底している。
「住みたい、って人もいるんでしょうね。まぁ居住性は悪いでしょうけど」
敷物をしく石田を、宇田川はこっそり撮影した。
「このファンシーな景色に神楽さん……うん、なんかちぐはぐで面白いな」
「ん? 何か言いました?」
「いや? なんでも。とりあえずなんか取ってこよか? 一緒に行く?」
手が届く範囲に充分なお菓子はあるけれど、配布された地図によるとお菓子の世界はかなり広い。まずは散策、と思って歩き始めると、道や建物などの無機物、動植物の全てが食べられるという。
お菓子の細工に純粋な感動を抱かざるを得ない。
「本当に全てがお菓子なんですね……動物もここまで来ると見事の一言ですよね〜」
白い子うさぎの耳を折って、口に運ぶ。
程よい弾力とともに感じるのは果物の爽やかさ。
「あ、グレープフルーツ? 柑橘系ですね」
「神楽さん容赦ないな」
宇田川が耳なし子兎を拾う。
「こういうお菓子の細工作りは、絶対に私には無理やわ……食事は美味しいに越した事はないけど、見た目より食べられれば……」
「こうした物は本やネットを見てみると、結構簡単に作れたりしますよ。型とかを買えば。千鶴さんも今度、何か作ってみますか? 教えますよ」
「え! 作るのはえぇが……うまくいかんでも笑わんでな?」
「笑いませんよ。誰かから『美味しい』と言われるのは嬉しいものです。さ、あっちも食べましょう」
「……え、アレを?」
石田が指差した方向には、茶色い体が凛々しい等身大の鹿グミがあった。
チャレンジャーな石田に連れられて食べた鹿グミの角は、炭酸のコーラ味だった。
チョコレートの香りが漂う小川のほとりでは、小石に見えるチョコレートの上でエインズワースと天谷が敷物を広げ、木苺摘みのように集めたお菓子の数々を楽しんでいた。
「シルヴィアさん、このお菓子、美味しいですね。キノコなのにストロベリーバニラです」
木の皮を模したビスケットに挟んで食べるとさらに美味しい。
一方のエインズワースは川から無糖紅茶を汲み上げる。
お湯の温度にこだわりたいところだが、景色優先なので致し方あるまい。
物語の中にいるような、お菓子の国。
小さい頃に読んだ絵本を思い出しながら、たまには童心にかえるのも悪くないと思える。
「アールグレイやダージリンのような繊細な香りもいいですが、洗練された香りの中に茶葉の力強さも感じられる……ああ、白磁のカップとソーサーは譲れません」
長い講釈を耳にしながら、天谷は『……飲み方、堂に入りすぎです。流石英国淑女』と別なことに感心していた。
悠貴と現も小石チョコレートで満ちた紅茶の川べりにいた。自前のサンドイッチもある。
「ふふふ、何度見ても可愛いですね」
お菓子の国を彩る小動物たちは、幾つか絵本をデフォルメされていた。例えばケーキの森の草むらで、ホワイトチョコレートでできたハートのトランプ兵を見た時には、うっかり童話の中に入り込んだ気になって写真をとってもらった。
「やっぱりハートのエースはお持ち帰りしたいですね。ついマジパンの黒糖シルクハットまで持ってきちゃいましたけど。はい、現さん。茶器をおやつに、紅茶をどうぞ!」
水車小屋の中に積み重ねられていた白磁の茶器は……バニラシュガーでコーティングされたビスケットだった。ぱりぱりと音を立てて食べられる飴皿やチョコレートのスプーンも美味しい。
シュールな光景だ。
「ん、このポット……中に何かいるな。これも食べてみるか? ハリネズミ。尻尾をかじったが、中身は珈琲ケーキだ」
「えっと、眠りネズミさんごめんなさい! でも……美味しいです!」
スタジオが薄暗く変化すると、あちこちに明かりが灯る。
放送を聞いて、招待客達は池に向かった。
エインズワースと天谷が、チョコレートリキュールを傾けつつ、静かに夕食を摘む。
「巡るだけでも結構疲れましたね。ユウリ、どうでした? 楽しめました?」
「勿論。どうしたんですか、突然」
「なんか、私が張り切りすぎて引っ張り回してしまった感じがしないでもなくて」
たまには可愛い後輩と楽しい時間を遊びたい。そんな風に考えていたら張り切ってしまった。エインズワースは心配だったが、大丈夫らしい。
少女と白うさぎは、不思議の国で子供に返ったようなひとときに浸った。
そして園内を散策。
……というより追いかけっこしていた二人はといえば。
「怒らなくても……いいじゃない、か。ふむ……アセロラ味キャンディ」
「ちょっとアスハ! 言いながらテントウムシを食べないでよ! お菓子だって分かってるけど、想像しちゃって嫌なのよ!」
ぷりぷり怒るメフィスが、チョコレートリキュールの池のほとりに敷物を広げた。
ファンシーな着ぐるみの係員が惣菜を勧めてくる。
「普段は滅多飲まない、が……ま、こういう時ぐらいは特別、かな」
「あんまり強くないけど、折角だしね」
仲直りかねて二人でリキュールグラスを傾ける。
カチン、と涼しげな音が鳴った。
揚げ物をぽい、と口へ放り込むと、お酒が進む。あれが美味しい、これは辛いと楽しい時間を過ごすうちに、アスハがメフィスを凝視していた。
「ここ暫く……キミがどこに行ってたか、何があったかは、聞かん、よ」
ごきゅり。
手まり寿司がメフィスの喉に詰まった。
「ゴホッ。えっと、まぁ……色々あって、ね。……ごめんね?」
「今こうして、僕の隣にいてくれるだけで……充分だから、な。オカエリ、メフィス。戻ってきてくれて、アリガトウ」
責めはしない。
ただ寂しかっただけ。残された事が苦しかっただけ。そして今、傍らにいる奇跡を嬉しいと思える。妻の手を握るアスハに、押し黙ったメフィスは頬を赤らめた。アルコールの所為だけではない。
今なら、今なら胸のつっかえが消える気がした。
「あ……あー、そうそう。私最近……じ、自分がハーフって聞かされてねー。よりにもよって嫌いな悪魔とのよ、まったく!」
酔った勢い、とは空恐ろしいものだと……頭の片隅でメフィスは思う。
ちらりと夫の様子を伺うと、アスハの眼差しは全く変化がない。軽蔑もなく、哀れみもなく、いつもと同じ。
アスハが「それで、自分の中の決着はついた?」と話を促す。
「……ま、そうね。自分の中で整理はついたし、もう逃げないわよ」
チョコレートリキュールを煽る。
「それはよかった……そういえば、チョコ、貰ってもいいか、な?」
過ぎてしまったバレンタイン。一瞬困ったメフィスはお土産用のお菓子を詰めたバスケットから良さそうなものを見繕うとしたが、く、と顎をひかれた。
桜色の唇についたチョコレートを、ぺろりと舐めてウインクひとつ。
「ちょっぴり苦い、僕だけのチョコレート、かな」
「ひ……、人の目ぐらい気にしたらどうなのよ、まったく!」
顔を真っ赤に染めたメフィスと楽しそうなアスハの痴話喧嘩が始まった。
同じく悠貴と現も池のチョコレートリキュールを楽しんでいた。
少しずつ口をつけていても……やはりアルコールが体に入ると、気分も変わる。現は何気ない仕草で、悠貴の口に付いたジャムを指先でぬぐい、ぺろりと舐めた。ぽー、と現を見つめる悠貴に「どうした?」と語りかけた。
「いえ……その。夢の様な感じがして、ふわふわして、嬉しくて、くすぐったい気持ちなのに……少し怖いのです。一緒に居る事すら夢だったりして……なんて、考えてしまって」
「夢で終わらないよ。互いに『一緒に居たい』と願えば、さ」
現は悠貴を抱きしめた。
バスケットにお土産用のお菓子を詰めていた宇田川と石田も池にやってきた。甘い物にあきていたから、普通の料理はこの上なく嬉しい。幾つかの料理を皿に盛り付け、抹茶色が美しいカクテルを手にした二人は、一番最初に敷物で陣取った場所に戻った。
池の方は賑やかだけれど。
お菓子の国は静けさを取り戻す。
「普通に美味しいな。神楽さんの作ったお菓子も美味しいけれどさ。たまにはこういうのもえぇよね。……いつもお互い依頼で大変やが、今年も一緒にバレンタイン過ごせて良かったわ」
石田は「お互い、相変わらず危険な依頼に行きますからね」と言いながらグラスを掲げる。いつも同じ仕事を受ける訳ではないけれど、時に協力し合い、今こうして生きている。
「来年もまたこうして過ごせるよう、これからも頑張って生き残りましょうか」
微笑む石田に、宇田川は「生き残れるかの約束はできんがね」と肩を竦める。
「でも来年も、神楽さんと一緒に過ごせたらえぇなと思うよ」
乾杯、と呟き、二つのグラスを鳴らした。
期間限定で現れた、本物のお菓子の国。
様々な思いとともに、思い出に残る笑い声が甘い香りに溶けていった。