純白のジャケットに薄桃色のワンピースを纏った美森あやかは、夫の美森 仁也(
jb2552)とともに植物園へ現れた。普段ならばお弁当を持ち込む二人だが、今回は仁也からのホワイトデーデートを兼ねるという事もあってお弁当は作ってきていない。
『本当に、お弁当いらないの?』
先日、小首を傾げて顔を伺うあやかに『今回はあやかに食べさせたいものがあるんだ。偶には外食もいいだろう』と笑って返した男前は、お礼のデートで早起きさせる訳にはいかない……という本音を笑顔で覆い隠した。
「随分温かくなったね。桜も咲いてるかな」
仁也たちは植物園の一角に並べられた天然石の前に立つ。
「一番乗りかな。一足先にブレスレットとか作ってみようか」
仁也の言葉に頷くあやかは、楽しそうな夫の背中を凝視した。
『……旦那様が魔具と腕時計と結婚指輪以外でアクセサリ付けたところ見た事ない……』
好みが不明だ。どうしよう。
悩んだ末、あやかはストラップを作る事にした。トラブルよけのオニキスと、効果を高める水晶をチョイスする。全ては夫が災難に遭わぬ事を願って。
一方の仁也も真剣な顔で石を選んでいた。
『うーん、あやかを幸せにするのは俺だから、恋愛色は排除……すると桃や赤は殆ど使えなくなるな。淡い色が似合うし、戦闘……の仕事には殆ど出ないけれど、大作戦には参加するし……』
選んだのは魔よけを願って鮮やかなアメジストと深い青のラピスラズリ。そして水晶だ。
極力明るい紫、青、透明の繰り返しで編み上げたブレスレット。
「はい、あやか」
包むことなく軽やかに渡した。
思いの詰まった石を贈り合い、植物園を回った後は、喫茶店で一休みだ。
椅子に座した幽樂 來鬼(
ja7445)の脳裏には、いつも山積みの資料と睨めっこしている彼氏の姿が浮かんでいた。贈る相手は彼しかいない。
「あいつに似合うの……か」
幽樂の黒い瞳が机の上を彷徨う。煌めく石達は陽光を浴びて透き通った色をしていた。
「物になら……気持ちを入れても良いよね」
自分の気持ちを、輝石にこめて。
幽樂は「ブレスレットを作るなんて久しぶりだよ」と講師の女性に言葉を発しながら、まずは魔よけの石を幾つか見繕う。国が変われば魔よけの意味を持つ石も変わるからか、幾つかの候補があった、その中でも真っ黒に色づいた水晶を拾う。
「魔よけは、これ」
底の見えない黒を光に翳すと、微かに奥が見える。次に選ぶのは肉体的及び精神的な循環に良いとされる艶やかなマグネサイト。そして永遠の愛を刻むブルームーンストーン。
「永遠の愛……知ったら結構笑うか」
きゅ、と紐を結んだ。
果たして彼は石の意味を知っているだろうか。
知っていても、知らなくても、幽樂が石に込める想いは変わらないだろう。
思わず誰かに見られていないか周囲を見回し、意中の彼がいない事を確認して息を吐く。
「もう一つ、つくるかな。変わらぬ愛と……幸福を……」
なめし革の白い紐を選び、改めて石を探す。
透き通った無垢な水晶、濃く青いラピスラズリは彼氏の誕生石、そして燃えるような真紅を宿したガーネットは、自分の誕生石に他ならない。
祈るような、誓いのような。
そんな気持ちを込めて二つ目のブレスレットを編み上げると、やんわりと口付けた。
『大事な人に渡すのなら……それくらい祈って作ったものが、きっといいんだろうから』
口元に笑みがこぼれる。周囲を見回した幽樂は、眩い光景に双眸を細めた。
「こういう時期だから、皆素直になろうとするのかなぁ」
今日は心が穏やかだ。
青と白の麗しいワンピースに身を包んだ淑女は、白いスプリングコートを椅子にかけた。
「ゆっくり選んでね」
「ありがとうございます。お言葉に甘えますわ」
ブレスレットの石を選ぼうとしたロジー・ビィ(
jb6232)が物憂げに俯いた。なんの石を選ぶべきか迷ってしまう。流麗な眼差しは輝石の数々を見ていたが、心はその場にいなかった。考えるのは今日ここにいない、あの人の事ばかり。
『変わってしまった』
あの人は、間違いなく。
『けれど、あたしはそれは悪いことだと思いません』
伝えられない想いに唇を噛みしめる。時々横顔を見て辛そうに見える事が何度もあった。
『力になりたい、あの人の何かになりたい、そう思うのは何故でしょうか』
ぼんやりと考えていると、石を選ぶ手が止まる。
『もしや……彼は今、人も自分も許せない状態なのではないでしょうか』
思考の海にぽっかりと浮かんだ発想で、ビィの指先は迷いを捨てた。選び取ったのはエンジェライト。天使が由来にして、安らぎをもたらすとされる石だ。
『どうか、どうか……かの人を癒しと安らぎで満たして差し上げて下さいな』
祈りを込めて編み上げる。
艶やかな石は紐に包まれるようにブレスレットの形を成した。迷いの消えた華奢な指先が、織り上げた想いの結晶を白い薄紙の上にのせる。煌めくビニールで包み、清浄な青のリボンで止めた。ふんわりとやわらかい贈り物を、白亜の手提げ袋に納める。
『想いが伝わりますように』
完成したブレスレットを包んだビィは、一人、植物園を見て回る事にした。できればあの人と一緒に歩けたらよかったのだろうが、隣にいないのだから致し方ない。
「後で渡さなければ、あたしの心からの気持ちを」
物憂げな眼差しで、傍らのネモフィラを見た。
次はあの人と此処を歩けたらいい。
白い薔薇が咲く頃に。
「焔さん、あそこでやってます」
星杜 藤花(
ja0292)は夫の袖をついついと引いた。
広い植物園を見て回るのは楽しいけれど、本日の目的の一つは天然石のアクセサリー作りに他ならない。春色のスカートを翻し、輝く輝石にうっとりと魅入る。藤花は天然石が好きだった。お気に入りの石もある。色々見ている内に『いつものお礼ができたら……』と考えて、やる気に激しい火がついた。
『わたしは……自分と焔さんのブレスレットを揃いで作ってみましょうか』
選ぶ石は澄んだ翡翠と水晶。
使う蝋びきの紐は淡い緑と紫を組み合わせ、組紐使いに決めた。
『あの淡い翡翠は健康、こっちの水晶は幸運で』
祈りを込めて。
一方の焔はちらりと妻を見た。
『藤花ちゃんはアクアマリンのお守り、いつもつけてるし……アクアマリン好きだよね』
だとすれば透明感のあるアクアマリンは外せない。他には何を組み入れようかと、煌びやかな石と意味のプレートを見比べていく。すると……なんとなく昔の事を思い出した。
『嫌われるような事ばかりしてたのにね……こんな俺でも、誰かを好きになってもよいのだと……教えてくれたね』
薄い唇に浮かぶ穏やかな微笑。
自然と淡水真珠の小粒を拾っていた。繊細なレースを織り交ぜて花をモチーフにした髪飾りを作り、完成すると愛する人の髪に飾った。
「作り終わったら、むこうでお弁当にしようか」
焔が「じゃーん」とあけた弁当は、赤と白の毛並みが愛くるしいもふらさまのキャラクター弁当だった。今にも『もふ〜』なんて言い出しそうな表情が笑いを誘った。
藤花は瞳を輝かせる。
「わぁあ、かわいいです。ゆきみたいにまっしろ」
繊細な毛並みは味付きの葱らしい。葱凄い。おまんじゅうみたいな顔が愛くるしい。
『もふらを食べるなんてもったいないですけど、食欲には勝てません!』
いただきます、ともぐもぐした。
食後の穏やかな時間は園内の散策に費やす。
「髪飾り、ありがとうございます。それであの……わたしはお揃いのブレスレットを作ってみたんです。紐の色はお互いの瞳の色に合わせたんですけど……」
似合うでしょうか? と。
少し不安げにしつつも、夫の手首に揃いのブレスレットを巻き付ける。
「……うん、よく似合っていると思いますよ」
「ありがとう」
贈り物に宿る心が愛おしい。
早咲きの桜を見上げた時、藤花は「これからも改めてよろしくお願いします」と囁いた。
柔らかく手を握れば、そっと握り返される温もりが愛おしい。
やがてライラックの木を見た二人の表情は、真面目なものになった。
『今度こそ、必ず守るよ』
『焔さん。わたしは絶対に、離れたりしませんから』
言葉はなくても、握り合った手の熱が、思いの丈を伝えていく。
やはり和装が似合う。
桜柄の着物に生成りの絹ストールを羽織った樒 和紗(
jb6970)を見て、砂原・ジェンティアン・竜胆は双眸を細めた。ふんわり微笑みを浮かべて「同行してくれて嬉しいよ」と囁く。今回の件は、砂原の誘いだった。目的は勿論、ホワイトデーのプレゼント。
「偶には素直に聞き入れますよ。……最近、偶には、が増えている気がしますけど」
ぽそぽそ話す樒が肩を竦める。
『俺はお返しが欲しいわけではないのですがね』
そうは思っても、言ったところで相手が引き下がらないのは経験から分かっている。
植物園の門をくぐり、約束のテーブルに所狭しと並ぶ輝石を凝視した樒は「すごい数の石ですね」と感嘆の溜息を零した。
輝石はどれも美しい。
質によっては宝石として扱われる石ばかりだ。見目が優れているのは勿論だが、どの石にも意味合いが込められている事に、樒は驚いていた。古から祈りを託されてきた天然石には力が宿ると言われている。嘘でも誠でも、そうして信心を得た歴史は確かなものだ。
「使いたい石ある?」
砂原の質問に、樒は視線を走らせる。
「使いたい石、ですか……カイヤナイト」
「カイヤナイト? 僕、初めて聞くわ。珍しいの知ってるね」
樒は海のように深い青をした天然石を一粒つまみ上げた。光に翳すと美しく煌めく。
「友人の誕生日祝に、この石のネクタイピンを贈ったので。瞳の色に似ていると思って」
一瞬、表情が消えた砂原は「……へぇ」とだけ言葉を返した。
「なら、僕の瞳の色も加えようか」
砂原はカイヤナイトにマカライトを合わせた。
「この組み合わせだと『邪気を吸収し方向性を示す』みたいだね」
元々砂原が樒に贈る品だ。気に入っている石に負けぬ意味を重ねてブレスレットを作っていく横顔を、樒はじっと見上げた。
『何やら一瞬渋い顔をしたように見えましたが……カイヤナイト、使ってくれるのですね』
暫く悩んだ樒は、アメトリンの天然石を拾い上げた。ペンダントの台座にはめ込んで固定して仕上げる。完成したペンダントは白い箱に青いリボンで包みあげた。
「え? 僕に?」
「一方的に貰うのは嫌ですから」
「……ありがと。和紗の色だね」
「何となく紫の石を……と思っただけです。まあ色が混じっているところがオッドアイの竜胆兄に似合うかと。意味合いも似合いですよ。調和と能力を引出す石。これで少しは本気を引き出してください。何が、とは言いませんけどね」
くすりと笑う樒は、砂原から贈られたブレスレットをその場で身につけた。
「お返し、ありがとうございます。竜胆兄」
「どういたしまして」
溢れるような想いをこめて。
天然石のアクセサリーを作った後は、植物園を散策した。春の花が温室の中に咲き乱れる中で、樒が手料理の弁当を披露する。華やかに彩ったちらし寿司、旬を生かしたタケノコの煮物は自信作。
「流石。美味しいよ」
「それはよかったです。女子力アップ、頑張りました。遠慮なさらずどうぞ」
素直に喜ぶ樒を見て、砂原も双眸を細めた。
やわらかい陽光が心地よい一時だ。
茶店の近くで占い師を見かけた仁也が声をかけると、なんと下一結衣香だった。
「結衣香さん、占い師だったのかい?」
「休日のバイトよ。っていっても、昔から悩み事はタロットに預けてきたから得意な方」
結衣香が愛用しているタロットカードには愛らしい猫の絵柄が描かれていた。見る者を和ませてくれる。まるでトランプマジックの如く軽やかにカードを切ってみせる結衣香が「ワンオラクルでもやっていく?」と小首を傾げた。
「ワンオラクル?」
「何か悩みがあるとか、迷うことがあって、すぐに答えを知りたい時にする占い」
「じゃあ頼んでみようかな」
「了解」
結衣香が机の上にカードを広げていく。裏返したカードを両手でかき混ぜ、暫くしてひと纏めに戻した。更に六度のシャッフルを経て「好きなカードを選んで」と告げられる。
ずらりと横に並んだカードから仁也が一枚を選んだ。
「チャリオット。正位置」
七番の『戦車』である。
「どんな意味?」
「一種の『勝負時』って奴かしら。元々このカードは、戦の勝利を収めた凱旋パレードがモチーフなのよ。つまり勝利や物事を好転させる暗示の一種ね。勢いや行動力の強い後押し、同時に、過ぎたギャンブラーへの警戒。物事に大胆になってみるには丁度いいけれど、やりすぎないようにね、ってところかな」
結衣香は片目を瞑ってウインクした。
「あたしも御願いします」
隣のあやかが身を乗り出す。結衣香が再びカードをシャッフルし、綺麗に並べた。
あやかが意を決して一枚を抜き取る。
「死神。正位置」
十三番の『死神』の暗示を見て、あやかの表情が強張る。
「こらこら、暗い顔しないの」
ぺちり、と結衣香が頬をつつく。
「このカードは物事の終結と改革を顕すから、一種の忍耐を暗示するものよ。何かが立ちふさがったり、悩みが手詰まりになったり、良くない試練が身の回りに起きる可能性を示唆していて、其れに対する忍耐力を養うことで一筋の光明を見いだせるはずよ」
何かに悩んでも諦めないように、と告げられた。