●みんなで古の装束に着替える
更衣室にたくさんの衣装が並んでいる。
雅な衣装に囲まれつつ、秋野=桜蓮・紫苑(
jb8416)は百目鬼 揺籠(
jb8361)の服の裾に隠れて、五宝 瑛(
jc1123)を見上げていた。
「んむ、紫苑でさ。よろしくお願いしやす……」
「秋野さん、よね。五宝瑛よ。仲良くなれるといいな、よろしくね!」
「ごほうのねえさん?」
首を傾ける人見知り気味な紫苑を、百目鬼は前へ招く。
「え、どうめきのにいさん? あれ?」
「さて。それじゃあ紫苑サンの着替えを頼んでいいですかぃ」
初対とふたりっきり。
というのは結構な緊張を強いられる。
不安そうな顔で「え、え、え」と見上げてきた紫苑を見下ろして、百目鬼は苦笑いした。
「一緒にいてやりたいんですけどね。なにせ、衣装はアレなんだそうで」
武官の束帯。
見た目は素晴らしいが、物凄い数の装飾品がある。人の手を借りなければ着替えることができない衣装だ。一方、紫苑は紫の童水管で半尻を着るし、五宝に至っては憧れの十二単を汚してしまいそうだから……と言って水干で男装する事になっていた。
つまり。
百目鬼以外は、比較的気軽な格好だ。
紫苑は衣装を見上げた。
「どうめきのにいさん、かっこよさそう。でも重そうですねぇ」
百目鬼はからからと笑う。
「重い重いっつっても所詮布でしょう。問題ないですって。じゃあ後で」
三十分後。
『……重っ!』
武官の束帯に着替えて一歩踏み出した瞬間に、百目鬼は辛さを知る。しかし大口叩いた後で撤回はできない。内心だらだらと冷や汗のようなものを流しながら、百目鬼は萎えかける己の根性に鞭を打った。さらに念仏のように自己暗示を繰り広げる。
「歩けねぇことは、ない、はず。撮影は短時間、短時間、これは撮影のバイト!」
頑張れ。
顔色の悪い百目鬼に対し、紫苑はけらけら笑いながら走り回っていた。
軽くて動きやすい衣装は偉大である。
大勢の学生が着替えに苦労していた。
主に女房装束で。
「お待たせしました。なんといいますか。着物は着慣れていますが……十二単となると勝手が違いますね」
狩衣姿の藤井 雪彦(
jb4731)は現れた駿河 紗雪(
ja7147)を見て、ぽーっと見惚れた。
十二単というのは、もとより麗しい色の兼ね合いを見せてくれるが、やはり実物をみると映えるものだ。
藤井は「紗雪ちゃん! 超可愛い〜」と純粋に褒めた。
「ありがとうございます。雪君は、流石に着慣れている感がして嵌っていますね。良くお似合いなのですー」
言われて藤井は自分の格好を見下ろす。
「こういう衣装は陰陽師の正装でもあるし〜、慣れてる分、動きやすいね」
でもありがとう、と爽やかに言葉を返す。
「じゃあ撮影会場にいく? 順番まではまだあるはずだけど」
「そうですね。その、雪君。手ではなくて……腕を貸していただけますか? 実はかなり重いんです」
駿河は立っているのが、やっとだった。
「女房装束は憧れだったんです!」
少し重いのが難点ですけど、と話す星杜 藤花(
ja0292)は「折角だから」と正装を選んだ。
鮮やかに重ねた五衣、裳と唐衣もきちんと着用し、檜扇を手にしている。更には髢で髪の長さも本来の長さに揃えた。ただひたすらに……重量が凄い。
「焔さん、知ってます? かの清少納言も癖毛を気にしていたんですよ。それから」
よほど楽しいのか、平安知識を次から次へと話している。
話の聞き手は勿論、愛する夫。
妻が選んだ烏帽子に柳重の狩衣姿の星杜 焔(
ja5378)は、依頼主を気遣って鬘やカラーコンタクトレンズもしていた。仕事故の徹底した配慮と凛とした立ち姿は麗しいと言うべきだろう。
「おや、紫の上と光源氏みたいだねぇ」
通りすがりのスタッフに冷やかされた。なんだか照れる。
ゆっくり移動しながら小川の傍へ向かう。
更衣室の外へでると、恋人の東城 夜刀彦(
ja6047)が待っていた。
地紋無雲鶴紋に、萌黄地金抜。
正装で凛と立つ姿は、美しく際だつ。
「紗風さん」
す、と手を差し出された。
繋がれた手を、小見山紗風(
ja7215)もやわらかくもしっかりと握りかえす。
「いきましょうか、宴へ」
神ヶ島 鈴歌(
jb9935)は「私はやっぱり、この汗衫を着てみるですぅ〜」と楽しそうに衣装を選ぶ。
昔ながらの衣装も素晴らしいが、何しろ記念撮影の類は商売だ。
違和感がない範囲で現代っ子が好みそうな衣装を選んで撮影しておく必要もある。
目が冴えるような黄色を基調とした花柄の汗衫は人目をひく。
『なかなかです〜、ここはひとつ、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花を体現するですぅ〜』
神ヶ島は早速、撮影隊に着いていく。
●撮影さわぎ
東城に手を引かれる小見山は、数々のさりげない配慮に感謝しつつ、指定された場所へ座った。緋色の絨毯の上にいると、やがて遠くからスタッフの「今から盃を流しますので、合図があるまで移動しないでいてください」という声が聞こえてくる。
風がふいた。
まだ肌寒い。
ぷるりと震えると東城が寄り添ってきた。風を遮るように。
「こうしていれば温かいし」
分厚い衣装越しにも分かるしっかりとした身体と熱に安心感を覚える。
小見山は、ほとんど自然に和歌を囀った。
「春霞、たなびく山のさくら花、見れどもあかぬ、君にもあるかな」
『貴方に会える……それだけで私はうれしい』
一方、東城は歌が得意ではない。
けれど返歌を贈りたいと考え、必死に古今和歌集の知識を掘り起こす。
そして。
「いしま行く、水の白波立ち帰り、かくこそは見め、あかずもあるかな」
本当はもっと一緒にいたいという気持ちをこめて囀った。
まるで遙かな時を遡るような、不思議な感覚がした。
こん、こん、こん、と。
上流から器が川縁に当たって流れてくる。
流れてきた盃に向かって小見山が身を乗り出した途端、突風がふいた。ぐらりと視界が反転する。そのまま川へ落ちることを覚悟した小見山を、東城が強い力で引き戻した。
「危なかった。大丈夫?」
透き通った瞳に滲む労りの色。
愛情の欠片達。
「夜刀彦君、ありがとう」
紅をひいた可憐な唇から感謝が零れた。
座っていた星杜藤花は首をかしげた。
「そういえば曲水の宴なら、やはり歌を詠むのが良いでしょうか」
「詠むの? どんな歌?」
夫の伺う顔に、藤花は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……咲く花の、
かんばせ見るや、
色づいて、
君とありしは、
いとよろこばし……うふふ」
今の気持ちです、と照れたように笑った。
藤花は渡されていた花の枝を描き抱いて、そっと夫の方に寄り添う。
「綺麗ですね。夢のよう」
焔は枝もたわわな桃の花を見て「綺麗だね〜」と感嘆の溜息を零した。
冬の雪は美しく、
梅の花は艶やかで、
桃の花は可憐に咲き、
そしてじきに……満開の桜の花を拝める春が来るだろう。
「うちは男の子だから桃の節句はできないのかな」
お留守番の息子を思う。流石に男の子に雛祭は可哀想かもしれない。
「でも女の子も欲しいなあ。きっと華やかだよね。ちらし寿司とか手鞠寿司とかお人形作りとか、いっぱい頑張っちゃうのにな〜」
焔の唇から幸せ家族計画が零れていた。
ぽんぽんと跳ねる手毬のように話は弾む。
藤花が応えようとした時「はーい、午前の部の右全体撮影終了です。個別いきますー」という声が聞こえた。
「……川の左のモデルは後回しみたいですね。ご飯、たべてましょうか」
漆塗りの高坏や懸盤。
それらの上に並べられた料理は、平安の食生活を再現したものだ。
「なんて綺麗。あ、焔さん、知ってます? 当時の人はこの高坏を逆さまにして火皿を置いて、夜に絵巻を読んだりしたそうですよ。所謂、高坏灯台と言って……焔さん?」
夫の神妙な顔に気づく。
睨んでいるのはお膳だ。
「……平安のお料理には興味があったし、どんな味か気になってたし、食べてみたいとは言ったけれども」
お膳に魚の切り身を発見した焔の顔が強張る。
添えられていたお品書きを読んで、箸で摘んで観察して。
ようやく眉間からしわを消した。
「焔さん?」
「これはハマチか……鯖じゃなくてよかった。びっくりした」
食のトラウマというものは、なかなか消えないのだろう。
庭に敷かれた緋色の絨毯で撮影隊を待つ。
駿河たちが適当に食事をつまんでいると、藤井が酒瓶を傾けた。
朱塗りの盃を渡す。
「紗雪ちゃん〜、ボクを気にして飲んでなくない? はい〜どうぞ〜」
「ふふ、ありがとうございます。では頂戴しますね」
麗しの花と雅な衣装。
別な場所から聞こえてくる和歌に、古の楽器の音色。
まさに心は平安貴族。
「そういえば雪君には生菓子を作ってきたです。ひちきりと、お雛様、桃の花、お一つどうぞ」
「ありがとう、紗雪ちゃん」
ぱくり、と桃花の生菓子にかじりついた。
遠巻きに歌詠みの撮影を眺めながら藤井は「紗雪ちゃん、知ってる?」と声をかける。
「何をでしょう」
「平安時代ってラブレター代わりに歌を贈りあったってね〜、だから百人一首にも恋の歌がいっぱいなんだって〜」
今日にも残る百人一首の遊びは大体正月の使用に限られてきているが、こうして平安の装束を纏って行事をまねていると、当時の気持ちにならなくもない。
「紗雪ちゃんにも好きな歌あるかな?」
華やかな笑顔で尋ねつつ、瞳は傍らのかんばせを見つめる。
「例えばボクは……『君がため、惜しからざりし命さへ、長くもがなと思ひけるかな』……かな」
「そうですか」と首を傾けた駿河は「小野小町の和歌が好みですね」と言った。
「確か……『うたたねに、恋しき人を見てしより、夢てふものは、頼み初めてき』……相手が自分を想ってると、その人が夢に出てくるらしいです」
夢路で会えたら素敵だね、と語り合った。
やっと撮影から解放された百目鬼たちは、陣取った昼食の席で、薄紅の花を見上げた。
梅でもなく桜でもない。
けれど優しく温かい春の色をしている。
「桃の花も綺麗なもんですねぇ。ちっと早ぇ花見みてえなもんですねぇ」
ぱくり、と卵焼きを一口。
百目鬼のお弁当はお握りとから揚げ、玉子焼きだ。
子供が好きそうなメニューにしてあるのは、撮影の合間にちびっ子が腹を減らした時のために備えたからである。
「あー! どうめきのにいさん、卵焼きと唐揚げくだせぇ」
平安のお膳が口に合わなかった紫苑は慣れ親しんだ味を強請りつつ、落ちてきた桃の花弁をつまんだ。
「こないだまで超寒かったのに、もう花見たぁ、季節ってなぁ凄いですねぇ」
瞬く間に時は過ぎゆく。
五宝は紫苑の髪についた花弁を摘んだ。
「でも、素敵な平安のお衣装が着れて、お花見しながらご馳走も食べられてバイトになるってすごいなっ……秋野さん、お腹減ってないの?」
あまり手がつけられてないお膳を見て、五宝が首を傾けた。
紫苑が口ごもる。
「いや、なんか、食べたこと無い味で」
「舌に合わなかったみたいですねぇ。まぁしょうがないです」
当時は贅沢かもしれないが、現代の食生活に比べればわびしいものだ。
五宝が紫苑の顔を覗き込む。
「あ、それならお弁当半分こする? 実家が中華屋だからお弁当頑張って作ってみたよ。ただどうしても、量が沢山になっちゃって……食べるのを手伝ってくれると嬉しいな」
話を聞いていた百目鬼は「へぇ、五宝サンちは中華屋さんですかぃ」と言って笑った。
ここはひとつ。
揚げ物に期待せねばなるまい。
「五宝サン。唐揚げ、交換しましょうぜ」
「揺籠さん唐揚げくれるの? わーい! おかず交換するのって照れちゃうけど嬉しいな」
五宝がにこにこと笑って皿によそる。
紫苑も美味しそうな匂いにそわそわしつつ、ふと花を見上げた。
周囲を見渡しても平安装束ばかり。
頭上には薄紅の花。
「こういうの……何だか、すげぇ懐かしい気がするんですよね」
ぽつり、と一言呟いた。
人に着せてもらった十二単は酷く重い。
けれど体力に自信があった桐原 雅(
ja1822)は『普通の服に比べれば重いけど、このくらいなら問題なしだね』と結論付けた。むしろ問題なのは撮影のカメラだ。ひどく緊張する。
『おかしかったら指摘してね! なおしますから!』
一応、雇われている身なので必死に訴えたが「はい次ー、右むいてー、今度扇ひらいてー」等と淡々と指示が飛んでくる為、いいのか悪いのかさっぱりな状態のまま撮影が続いた。撮影が終わってペットボトルを一本あずけられ、近くの椅子に沈み込む。
『思いっきり不安だよ……気疲れって奴かな、なんだかずっしり重い』
このまま食事だとかいうのは流石に勘弁して欲しい。
いや、昼を抜かれたのが一番つらい。
おそいお昼御飯だ。
「もう着替えても大丈夫?」
ひょっこり現れて撮影の人に尋ねると「いいぜ」という気軽な返事。お腹がすいたと考えながら更衣室に向かう途中で、モニターに自分を見つけた。綺麗に撮影されている。折角だから、とデータを携帯電話に転送させてもらい、じっと眺めた。
「先輩にみせて褒めてもらおう」
なんて反応なのか楽しみが出来た。
北條 茉祐子(
jb9584)は率先して撮影を手伝っていた。
まずどんな写真が必要なのかをスタッフに問いかけ、自分の来ている十二単が尤も映えるシーンを進言し、源氏物語になぞらえる事が出来るようなポーズを取ると話した。
「次ですけど……源氏物語の中で花散里が源氏の君から薬玉を貰う話があったと思います」
「ああ、ありますねぇ」
「なので、その薬玉を両手で持って、そっと頬を寄せる、みたいな写真はどうかな、と思うんですが……」
いかがでしょう、と。
伺う小顔に「いいですねぇ」とスタッフは上機嫌で頷く。
何分衣装は華やかでも、古典というときちんと知っている者は少ない。
大半がタイトルや主人公は知っている、という返事が関の山だろう。
そんな中で北條のレスポンスの速さはスタッフには大歓迎と見えた。気恥ずかしそうな北條が、恥じらいながら薬玉に頬を寄せる。北條が纏う五衣の襲色目は藤で、外側の淡紫から白へ移り変わるグラデーションが麗しい。
「お疲れさまでしたー」
撮影を終えた北條に「お疲れ」と声をかけたのは下一結衣香だ。
「なんか楽しそうだったね」
「だって綺麗ですから。やっぱり憧れます。何だか照れくさいような、わくわくするような不思議な感じでした」
今日は忘れられない一日になりそうだ。
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)の高笑いが広場に響いていた。
みれば十二単を纏っているにも関わらず、真っ赤な袴を振り乱しながら鞠を蹴っていた。
すげぇ。
「あんなもの、ラルはよく着る気になったものだな」
川内 日菜子(
jb7813)は呆れた顔をしていた。
十二単は重い。
にも関わらず動き回っているユーティライネンを見ていると、重量の概念と怪我人であることを忘れてしまう。
『ラルが行くと聞いて二つ返事で承諾してみれば……こんなゴテゴテの衣装を着せられるとは思わなかったぞ』
胸中で愚痴を零していた川内は、じっと自らの姿を見下ろした。
男装の麗人。つまり白拍子の衣装は、動くことが前提である分、十二単などよりはよほど軽いし、動きやすい。
「なんとも落ち着かないが……十二単よりはマシ、だろうか」
視界の隅で動けないモデル達を見ていると、つくづく思う。
「すきあり!」
鞠がぶっ飛んできた。
蹴鞠に付き合いながら、川内は心配そうな声を投げた。
「そんなに動いて、身体はもう大丈夫なのだろうな?」
「問題なし」
十二単姿のユーティライネンの顔は眩しいほどに輝いていた。
「できる、できるのだよ、撃退士には不可能はなーい。そーれ、オーバーヘッドシュートォォォ!」
もはや蹴鞠の領域ではなかったが、撮影の仕事は終わっているので、終了時間までは自由自在だ。
周りに迷惑がかからなければいいのだから、やりたい放題である。
「遊び疲れたら、乱れた衣服を直しながら白酒で乾杯だぜ!」
「はいはい」
川内は保護者のようにユーティライネンに付き添っていた。
怪我が悪化されてはたまらない。
実家の舞いでも、ここまで腕や足は攣るまい。
白拍子姿の礼野 智美(
ja3600)は、撮影終了にともない、どっと床に沈んだ。
動いている内はいい。
舞うのも問題はない。
自分が知っているのは剣舞であって、致し方なしに扇を代用したのはまぁ必然としよう。
しかし片足つま先立ちで、不安定な対空状態を保ち続けるこの辛さは筆舌につくしがたいと智美は思った。踊りと全く違う筋力を使う。女房装束は荷が重いと思って選んだ白拍子衣装だが、こうなると女房装束の方が気楽だったかもしれないとぼんやり思う。
『ちぃ姉、能舞台に立ってみて!』
少し前。
妹にねだられるまま『はいはい』と受け答えをしたのが運の尽き。
通りがかった撮影隊に発見され、たった一人、両手に片足をあげ、あまりにも不安定すぎる姿勢でバシャバシャと撮影され続けたのだから笑顔もひきつる有様だった。狩衣や十二単、汗衫を着た他三人は座っているだけなのに何故自分だけ……と思わなくもない。
これでパネル写真が没になったら泣くかもしれない。
「…………つかれた」
くるる、と腹の虫が鳴いた。
兎も角、何もしたくない。
「あー、やっぱりお昼ぬきは大変だった、かな」
苦笑いする礼野 真夢紀(
jb1438)は比較的動きやすい黄色と鶯色の汗衫を着ていた。
数分前まで四人で撮影に協力していた礼野達は、例えるならば姫様と公達、姫に使える女童、宴に呼ばれた白拍子……といった風情だったのだ。
ああでもない、こうでもない、と。
撮影隊に付き合わされるのは疲れる。
ちなみにお疲れ気味の真夢紀は、振り回されたと言うよりは監修や考証的な意味で疲れていた。
例えば白拍子の舞いに散々ダメ出ししていたのも、厳密性を求めたからだ。
一応は仕事。
しかも美術館展示なのだから、しっかりせねばなるまい。
『ちぃ姉様! 題材としては扇を持って舞うものが多いからね』
しかし仕事はおわった。
大変だったが終わった。
「さ、ご飯にしよ」
『平安時代のご飯って興味あったんだよなー、食べれるなら食べておかないと!』
無駄に広がる期待。
桜の赤や臙脂の色合いで纏めた十二単を来ている美森 あやか(
jb1451)は、あれはこれはと古のお膳を堪能し始めた。平安時代の料理は質素だけれど、当時の生活水準からすれば、相当に贅沢で効果だったに違いない。
なにせ砂糖すらない時代だ。
あやかは「実は食べてみたかったものがあって」と話す。
「大体は現代にある物はいいんですけどねー『酪』だけがちょっと食べた事なくて。チーズみたいなものって読んだ事はあったんですけど食べた事はなかったから、今日は貴重な体験だったかも。でも、そうね」
あやかは魔法瓶の蓋をひねる。
家を出る前、いくら着込むと行っても寒いと困るなぁと考えていたので、温かい紅茶を仕込んできた。かちん、と音がしてロックが外れる。器に注がれた紅茶は、ぐらぐらと煮え立つかのように湯気が立ち上っていた。
こくり、と一口飲み干す。
慣れ親しんだ味だ。
「こういうのも面白いと思うけど、色々ある現代の方が調理楽しいわよね」
文明の利器万歳、としみじみ幸せを噛みしめていた。
妻の格好にあわせて衣装を選んだ美森 仁也(
jb2552)は、真夢紀の助言を得て桜萌黄の狩衣を着ていた。ぴしぴしと肘を張って衣装が映えるようにしているが、やはり何よりも美しく、視線を奪われるのは花に埋もれる愛する人。
妻が親友と楽しそうにしているのは、少し寂しくも感じる。
けれど、華やかに輝く笑顔と麗しの景色が、鑑賞の時間を優美なものにしていた。
こうして酒を嗜みながら、愛らしい横顔をみるのも悪くはない。
仁也はすいっと和やかに目元を細めた。
撮影班を待つ十二単姿の川澄文歌(
jb7507)たちは、和やかなお弁当の時間を過ごしていた。
平安時代の料理は現代人には味気ないから、と手料理弁当が広げられている。
菜の花を混ぜたおにぎりに春野菜のサラダ、たこさんウィンナー、だし巻き卵……
「カイ、あーん」
「うん。美味しい、ねぇ。文歌は料理が上手だよ、ね」
水無瀬 快晴(
jb0745)の感心する様子に、ぽっと頬を染める姫君が一人。
ところで。
食事が終わっても撮影班がこない。
遅い。
「一句よんでみようか。……背の君と、春日の桃を霞見て、春の訪れ、愛しく思ひぬ」
どう、という微笑みに水無瀬が返歌を贈る。
「満開の、華の傍には、我が恋姫。ふわりふわりと、春が匂えど」
お弁当を食べて、句を詠んで。
やがて撮影隊が「おそくなりましたぁ」と言いながらやってきた。
ここからはお仕事だ。
満開の桃の花の木の前で撮影を頼む。
「すごく綺麗な満開の桃の花、だねぇ」
水無瀬は風に揺れる花を見上げた。腕の中には大切な人。
「ふふ、聞き忘れてたけど……どう? 十二単、似合うかな?」
満開の桃の花の下で抱きしめられた十二単姿の川澄は、恋人の「うん、とても可愛い」という言葉を聞いて、やわらかく微笑んだ。
他の誰にも聞こえない声で「これからもずっと一緒だよ」と囁く。
水無瀬も耳元に唇を寄せた。
「そうだね、ずっと一緒が良いな」
どうかずっと。
これからも。
若草色の狩衣を着たザジテン・カロナール(
jc0759)は、撮影も終えて食事にありついていた。平安時代の知識というのは授業で習った程度だが、当時の食事にありつけるときいて仕事をひきうけたようなものなので、カロナールの興味は殆ど食事に向いていた。
「御馳走がどんな味なのか楽しみだったんです! ……あ」
拳を握りしめた。
ぐしゃりとした音で、撮影小道具の存在を思い出す。
今回の撮影テーマ『曲水の宴』にあわせて、筆で短歌を短冊に書いたものだ。短冊には『薄桃に染まりし宴麗かにとわにと願わんこの一時を』と記されている。
「後で返してこないと」
今は食事が先だ。
「そうよぉ。たべましょ。お香の香りのお菓子なんて、流石は雅な平安時代よねぇ」
普段は派手なオネエっぽいお兄さん、ことタイトルコール(
jc1034)は、ぱっくりと揚げ菓子にかじりついた。
一般的なお菓子と全く違うが、当時は御馳走だったのだろう。
「オイシイお料理に梅も見頃、コレはお酒がすすんじゃうわねぇ」
趣味がカップル鑑賞らしいタイトルコールは、食事をしながら遠巻きに撮影隊を見ていた。
何人もの人間が、カメラの位置や光のあてかたを工夫している。
「イケメンも沢山で、フフッ眼福眼福」
その眼差しはオネエによくある独特のものとは違った。
生真面目に「あれじゃあ蒔絵の弓が隠れちゃうわよねぇ」等とあれこれ真面目な話をしている。
「あ、被写体が変わった。束帯の黒が引き締まって見えてよさそうね。隣の彼女もいい感じじゃナイ。やっぱりカワイイモノは目で愛でる方がいいわね」
撮影が一緒だったカロナールは佃煮を食べながら話に耳を傾ける。
「知ってる?」
「なんでしょう」
「雛祭りもむかぁし昔は性別は関係なかったそうよ。今でも流し雛でもするのかしら?」
くい、と朱塗りの盃を傾けると絵になった。
そして光景を愛でながらぽつりと一言。
「幾重にも、着飾り綻ぶ、梅見頃、優しき香りに、春の訪れ……なんてね。あら」
食事の場所を探して彷徨う娘を発見したタイトルコールは「そこのヒト、一緒にどう」と声を投げた。
「助かりますぅ〜」
丁度撮影を終えた神ヶ島がもう一人にも「お邪魔していいですか〜」と声をかけた。
しっとりとした空気の中で食事をするのも風情がある。
だが、大勢でわいわい騒ぐ時間も楽しいものだ。
「どうぞ」
神ヶ島は持参の重箱を、どーんと置いた。
「宜しければ、こちらもお食べくださいなぁ〜」
「凄い量ね」
「もしかしたら〜、お弁当を忘れる方もいるのではないかと思ったのですぅ〜、一人で食べても余るので〜、是非食べていってほしいのですよぉ〜」
かぽ、と煮物を口に頬張る。
『ふわぁ〜、可愛らしい桃の花を愛でながらの食事とは贅沢なのですぅ〜』
花を見た。
カロナールも頭上を見上げた。
はらはらと風に揺れる花は美しい。
「雅、ってこういう事です?」
なんだか少しだけれど大人になった気がした。
●美術館の案内人たち
日は変わって。
撮影した写真はパネルに収録され、撃退士達は美術館の館内の案内役を務めていた。
『源氏物語のコスプレねェ……』
十二単を着用する黒百合(
ja0422)は『雅な雰囲気もいいわねェ』と高揚した気分を抱えつつ、生真面目に展示案内をしていた。そもそも長距離を歩くことが想定されていない十二単を着て動くのは、なかなかにしんどいのだが……しずしずと歩く黒百合は大変そうな素振りを欠片もみせない。驚くそうな裾捌きで移動する。
「次はこちらですよォ。こちらの原本は、平安後期の複製品とみられ……」
頭の中には展示物の逸話がぎっちり詰め込まれている。
しかし話せばいい、という訳でもない。
お客は年輩ご一行に始まり、まだ若い子供もいる。
『お客さんに分かりやすく説明しなくちゃねェ……さて、次の案内がおわったら売店でものぞこうかしらァ……』
お昼ご飯と飲み物を調達し、お土産も仕入れねばならない。何かタイアップしている地元のお酒があれば、それも買っておきたい物だ。
普段の布の上から狩衣を纏った懲罰する者(
jc0864)は、案内役にも関わらず何かのマスコットなのかと勘違いされていた。謎の記念撮影には照れつつも応じ、徹夜で頭に叩きこんだ展示物解説は遺憾なく発揮されていた。
「それではよき一日を。……今日は忙しいな」
数分前まで案内していた親子を見送り、懲罰する者は窓辺から桃の花を眺めた。
『桃の花見であるか。たいへん風流で良いのである。学園の中では味わえない、なんとも優美なひととき』
まったりとした空気をひとり満喫する。しかしのんびりもしていられない。
次の案内を始めなければならないのだから。
しかし上には上が居る。
棺(
jc1044)は完全なる見せ物と化していた。
なにしろ棺桶が衣装を着ているのだ。そりゃあ不気味というか、なんだあれはという視線が大半を占め、怖い者知らずの若者が記念撮影を試み、そう言うときに限って棺の中からおどろおどろしい風に聞こえる声が響いてくるのだから、嫌でもひと目を集める。
「お困りの方はいませんか?」
「しゃべった! はなこさーん!」
子供は無邪気だが階段話と同列に扱われているのは何とも言えない。そんな事を何度も繰り返す内に、棺は『順路はこちら』の看板をもって廊下をふよふよと浮いていた。
こうして平安の撮影と美術館騒ぎは恙なく終了した。