「結衣香さん。普通の鍋パーティーをするのではなかったのですか」
夜桜 奏音(
jc0588)は茫然と窓辺を見た。
飾られた垂れ幕の『ブラックデー闇鍋大会』の文字はなんぞや。
部屋には空の大鍋に水が張られているが、文字を見るからに不吉な予感しかしない。周囲を見回しても珍妙な格好をした者が多く、更に怪しい物体を持っている者も目に入ってしまう。
思わず主催の下一結衣香に詰め寄った。すると結衣香は小首を傾げる。
「鍋は鍋だよ?」
「そういうことじゃありません!」
会話が成り立たないので夜桜は床に崩れた。盛大に騒ぐと聞いたからお洒落も頑張った。黒のゴシックドレス、黒いタイツ、胸元には時計を模したブローチ。今日の為に髪を銀色に染め変え、頭には歯車を模した髪飾りを装着し、金色のカラーコンタクトレンズも下ろした。
その気合いに対してこの仕打ち。
泣いていい。
角砂糖の着ぐるみ……というよりどう見ても豆腐マスコットな妖々夢・彩桜(
jc1195)が夜桜の肩に手を置いた。
巾着から持ち出したメモに『何を落ち込む』と書き出す。筆談である。
「聞いていた話とちがうもので」
妖々夢はカリカリとペンを走らせる。
『わっちも究極の料理が食えると聞いたのである。ここはひとつ美味しく頂くのである』
闇鍋を経験した事のない妖々夢は『なんか凄い鍋』としか考えていなかった。
一方。
「……はっ? ブラックデー? 何だそりゃ?」
抑も『面白そうだ!』という理由で参戦したエイドリアン(
jc0273)は闇鍋会の真意を理解していなかったが、どうせ鍋をつつけばいいんだろう、という一言のもと鍋の中に注目する。まだ何も入っていないまっさらな水だけの鍋は、これから恐るべき魔物へと変化するのだろう。
それを理解している者の一人……こと無駄にリアルに作られたクマの着ぐるみを纏う雫(
ja1894)は、赤いジャケットを羽織った状態で意識を遙か彼方に飛ばしていた。
『……ああ、闇鍋に懲りたから、仮装鍋パーティに参加した筈なのに何故また闇鍋が』
とか胸中で叫びつつ、雫が持ち込んだ具も相当なキワモノである。
だが。
具体的な中身を他の者は知らない。
「それじゃあ皆、一品ずつ入れてね」
下一の言葉に「一品だけなのか」とエイドリアンが確認をする。
「これ怖い鍋だから。まあ沢山の具を持参したのなら、闇鍋終了後に別鍋に入れるといいわ」
下一が皆にドリンクを配り出す傍ら、エイドリアンは持参したクーラーボックスの中身をみた。
『一品だけか』
一番上に置いていた物体を手に取る。その真下には……適当に買った死のソース、カロリーブロック、たこ焼き、青汁、ソーセージと、鍋の死神と救世主が混在していた。
おそろしきかな。
「誰から入れる?」
「待った。そういえば順番に具を入れるのは良いとして」
ガスマスクを装着した鷺谷 明(
ja0776)は、くぐもった声を発して下一を振り返る。
「出汁はどうするのかな。特に何かは指定されてなかったけど」
下一は利尻昆布を取り出して「これだと寂しいかな」と皆に確認した。鷺谷は手元を凝視した数秒後「じゃあこれで我慢しておくかねぇ」と謎のペットボトルを取り出した。真っ黒だ。しかし醤油の黒さではない。しかもなんか粒々の粒子が見える。
「え、ちょ」
無垢なる水は真っ黒な何かに変化し始めた。
「コーヒーやらコーラやらが出汁になるよりはましだろうて」
ははは、と笑いながら鍋の中に入れていく。少なくとも珈琲やコーラの類ではない『マシなもの』というあたりはつけられたが、中身は全くわからない。鍋は瞬く間に黒く染まった。
「だ、大丈夫なの?」
「任せたまえ。なにしろ闇鍋は得意料理だ」
不吉な気配しかしない。
『礼賛せよ礼、これこそ原初なる混沌の模倣である!』
実際の所、強靱な抵抗力を持つ鷺谷は今まで、買ってきたおいしそうな物とその辺に落ちてた何かよく分からない物とその辺に生えてた何か毒々しい物をごったにして鍋にぶち込んで食っている人種だった。
ふいに、ぽひ、と下一の肩に手が置かれた。
クマの着ぐるみを纏う雫は普段は感情の乏しい表情筋を活用し、イイ顔で囁く。
「見た目が悪い代わりに味は良い物なんて、世の中沢山あるんですよ」
「え、それ慰めてるの?」
不穏な未来しか感じない。
「と、話している間にこちらは入れ終わったけれど」
闇鍋に相応しい真っ黒鍋に何かを叩き込んだ鷺谷が皆を振り返る。
下一は「じゃあ目を瞑って時計回りでいれていこう」と提案した。
皆が次々と取り憑かれたような眼差しで何かを鍋に入れていく。
言っておくが、これらは実験ではなく皆の口に入るものである。味の暴力が何処まで過酷なものになるかは皆の善良なる魂のチョイスにかかっている。
「ではこれも」
精神的に立ち直った、と言えないまでも鍋と向き合うことを決めた夜桜も、持参した食べ物の包みを鍋に叩き込む。ぐっしょりと血に濡れた包みはホラー映画さながらの恐ろしさだったが、自分で今日の為に狩ってきた代物なので致し方ない。
続く妖々夢も得体の知れない肉を鍋へ注ぎ込んだ。
床に引きずるようなローブに黒い三角帽の覆面をして全身黒ずくめな向坂 玲治(
ja6214)は、まるで秘密結社のような集まりだな……と考えつつ、最期に具を入れた。ぼちゃぼちゃぼちゃと七個の固形物が真っ黒い鍋の中に沈んでいく。すっかり沈んだことを確認してから、ジョッキにカルピスを注いで準備を整えた。
「えー、それでは。世のカップルたちの不幸を呪って……乾杯」
「かんぱーい」
かちーん、とグラスが鳴らされる。
ここからはもはや喰って呑んで恨み節を叫びまくればいいだけだ。
鍋はぐつぐつと煮えている。
向坂は覚悟を決めてカルピスジョッキを横に置き、箸を延ばした。可能な限り味わうのが鍋の礼儀。甘い物にあたったなら喜ばしいし、そうでなくとも『食べ物』である限りは頑張って食らう所存である。
向坂が一口いなり寿司っぽい物を囓る。
ぷいんと薫る生臭さ。
先ほど鷺谷が投げ込んだ出汁は……なんとイカ墨だった!
まあ見た目の破壊力は兎も角、アミノ酸は美味しい。イカスミならばソースでもよくある類だ。咀嚼すると柔らかい何かが詰まっている。
「豆? いや、これは納豆?」
「納豆だな。焼いて喰ったら美味いときいた。食べられるものを入れろって言われたから、無機物は入れてないぞ?」
エイドリアンが片手を挙手して名乗り出たが、焼いて美味いときいたものを、何故鍋の中に放り込んだのか数名ほど首を捻っていた。しかし食材であるだけマシなのだ。
「一発目は食べ物か。何か面白いものが当たると良いんだけれど」
鷺谷が箸でなにか掬い上げる。その真っ黒な切り身は原型がまるで分からなかった。
躊躇いなく食べてみる。
「なんだろう。味は魚みたいな、食感は鶏肉のような」
すると近くでペンの走る音がした。ずい、とメモを差し出される。
『ああ、それは……多分、わっちの入れた蛇肉である。イカスミの黒で蒲焼きっぽくなっているであるな』
妖々夢のメモにギョッとする者と、へーと感心する鷺谷たち。
「次だな」
エイドリアンの箸が何かをまさぐる。
とりあえず小さな挑戦から、と箸で小さな何かを取った。柔らかい。やはりイカスミに染まって黒くなっている。エイドリアンは『なんだ?』と目を凝らした。正月のちょろぎにも似ているし、まるでパスタのニョッキにも似ている。しかしエイドリアンは見た。
顔があった。虫の。
「……ッ!?」
「我慢して食べれば、新たな世界が開かれますよ」
煮えて黒ずんだ蜂の子を摘んで硬直しているエイドリアンに語りかけたのは雫だった。そう、蜂の子、という食べる人間を選ぶ食材を持ち込んだのは、雫に他ならない。
「駄目ですか? なら、心を無にして挑んでみてはどうですか?」
「いや、これは」
脂汗を流している。コオロギの佃煮の類だろうが、インパクトが強い。いっそ知らないままに口に放り込めば幸せだったかもしれない。普段ならば『喰えぬなら寄越すがいいのである』と雄々しく言える妖々夢も声にならない悲鳴をあげ、絶対に箸で取るまいと胸に誓った。夜桜に至っては氷責めによるお仕置きを実行するか悩んでいる。
蜂の子は虫だ。
しかし食材としても認識されている。
線引きが難しい。
葛藤するエイドリアンに魔の囁きを行っていた雫も、鍋に向き直る。
「闇鍋で有る以上は覚悟は出来てます。参りましょう!」
がつ、と固い何かが箸をとらえた。勢いに任せて口へ放り込む。
噛めない。
「これは……鉄塊!? なんですか、これは!? 不味いとか冒涜を超えて無機物になりさがってますよ!」
「あははは。そっちに当たったのか」
絶対に食えない鉄塊を鍋に混入した鷺谷は楽しそうに笑っていた。腹を抱えて。
隣の下一が「闇鍋得意とか言ってなかったっけ?」とじと目でみやる。
「そうだね」
「なんで食えないシロモノぶちこんでんの」
「ん? そこはそれ、散々『無機物は入れるなよ』とか『無機物……鉄とか?』とかネタぶりをされたのだから、エンターテイナーとして応えざるを得ない。そう。こういった場では笑うのも笑われてやるのも礼儀だよ。それが鍋を囲むという事さ」
鷺谷は、ドヤァ、と後光の輝く笑顔を浮かべた。
鉄の塊を吐き出した雫がブルブル震えながら立ち上がる。
「ぶちのめす……最低でも食べられるも物を入れるが常識でしょうが! そこになおりなさい!」
「おっと」
急遽、雫と鷺谷の鬼ごっこが発動した。
しかし誰も止めない。下一だけが「一周したら戻ってきなさいよ」と暢気な声を発する。
夜桜も箸を持って鍋と向き合った。
「どんな代物であれ、食べ物なら粗末にしてはいけませんね。私、完食のために頑張るわ!」
『食べ物でないものなら無理ですけど……いざ!』
箸が拾い上げたのはとけかかった黒い丸だった。
不気味ではあるが、一応食材の形状を留めている。
しばしの葛藤。
しびれを切らしたのは混入者だった。
「ああ? 俺の大福が喰えないってのか?」
程良く煮込まれて、でろーんと破れかけた丸い物体は向坂の叩き込んだ大福だった。外観はイカスミで真っ黒に染まり、大凡大福と言えない形状に鳴っているが、微かに保たれた餅の中身にはぎっしりとあんこが詰まっていた。覚悟を決めた夜桜は幾度か咀嚼する。
「マシなほう、ですか」
噛みしめていればあんこだ。
雑味は混じるけども。餅で包まれている分、汁やソースに内容物が汚染されていない。
「そうか。それはよかった。餅が厚めの大福にして正解だった」
向坂の方を向く下一が「なんで大福チョイス?」と素朴な疑問をなげてきた。
「ん? まぁただ単に俺が好きな食い物というだけなんだが、とりあえず一人一個分くらいは用意してある。気に入ったなら食べるといいさ」
数ある遺物の中で上位三つに入りそうな幸せな物体だった。
そして妖々夢の番がきた。
手持ちのメモにわざわざ心意気を書いて頭上に掲げた。
『喰えるなら何でも食うのがわっちのポリシーである。いざ!』
豪快に鍋へ箸を突っ込む。怖気ずいては男が廃る。
妖々夢がつまみ上げた黒いサイコロはイカスミの黒に他ならない。なんというかイカスミという恐怖の出汁が、食材の正体を全て覆い隠している。怖い。意を決して、妖々夢は黒いサイコロを口に押し込んだ。
下一が「なんだった?」と顔を覗き込んだ。
『お、にく?』
「猪肉ですね」
夜桜が「悪くないでしょう」と笑う。肉は色々な出汁を吸っていたが、肉であることに違いはない。肉は鍋の救世主だった。エイドリアン達は競って肉を食らう。
恐怖の鍋が空になる頃、向坂が呻いた。
「……来年は参加しないで済むようにしたいな」
さらばブラックデー、さらば闇鍋、来年こそは出会いたくはない。