●甘い罠と二人の意地
よろり、と。
砂原・ジェンティアン・竜胆の足取りは重い。
「……まだ、甘ったるい。空気……新鮮な、空気を……!」
落ち着いた紺色の冬着物姿をした樒 和紗(
jb6970)に連れられてきた砂原は青ざめた顔でデパートの外に出た。諸々の人間関係などの都合上、結衣香たちが楽しそうな買い物の場は取り繕ったものの……実のところ砂原は甘い者が大の苦手だった。
「そんなに、お菓子売り場の甘い香りが辛かったですか?」
「酷いわ、和紗ちゃん! 騙したの? ああいうの苦手だって知ってる癖に!」
芝居がかった口調で非難する砂原。
対して、樒 和紗(
jb6970)は飄々としている。
「だから、です。わざとに決まっているでしょう? 酷くありません」
にべもない。
再び反論を試みる砂原に、樒は「2回も留年する方が悪いのです」と無関係な事を言う。
砂原の表情が真顔に戻り「え?」と困惑気味に呟く。
「竜胆兄、絶対進級する気ないでしょう? まったく……おじ様達に何と言えば良いのか。ですから、これは正当な罰なのです。罰、です。理解しましたか?」
言葉に詰まった砂原が逃げ道を探す。
「ほ、ほら、本気出すのは明日からで……年月を重ねることで新たな解釈が分かったりとか……えーと、つまり、あ! ……和紗は今日も着物姿が綺麗だね! 言い忘れてたよ!」
ぎゅ、と手を握って目映い笑顔を向けてみた。
話題を逸らすにも無理がある。
「……こら、頭を撫でて誤魔化しても駄目です。そこになおりなさい」
樒の説教タイムは暫く続いた。
が、なんとか誤魔化そうとする砂原は……内心『留年する理由は絶対いえない』と断固として追及に口をつぐんでいた。
言えないものは、言えないのである。
「結局、今年も留年して……もういいです、罰は済んだ訳ですし、ここにいるのも寒いので歩きましょう。裏路地はイルミネーションだという話ですし」
樒が生成のマフラーを翻す。
裏路地はライトアップで賑わい始めていた。
大人も子供も、無数の人工灯が作り出す光の芸術に溜息を零す。
目映い蜜蝋色の光の向こうには、決して届かぬ本物の星が瞬いているのだ。
「綺麗な星空ですね。昔は……冬の星空の下をこのように歩けるとは思っていませんでした」
「ん。元気になって良かったよ」
思い出すのは外の世界に焦がれた、遠い日のこと。
狭い部屋の中が全てだった自分の前に現れて、あれこれ聞かせてきた金色の君。
思い出せば、あの頃から……
「絶対に言いませんけどね」
「何か言った?」
「何でもありません。いきますよ、ここは風当たりが厳しく寒いですし、通行の邪魔です」
はぁ、と両手に白い吐息を吐いて歩き出す。
砂原は冷え切った樒の手を、自分のカジュアルコートのポケットに押し込んだ。
「これなら寒くないかな。和紗」
「竜胆兄、こういうのは彼女を作って、しなさい」
「照れない照れない。手袋持ってないし、寒い思いする位ならこのままがオススメだよ」
ほっこりした人の手の温もりが、心を温めていく。
●咎を重ねた星の夜に
売り場で解散してから鈴木悠司(
ja0226)とロジー・ビィ(
jb6232)は裏路地を黙々と歩いていた。
寒くない? とか。
急に誘ってごめん、とか。
他愛のない会話を繰り返す。
大勢の人々がイルミネーションに魅入っているのに、鈴木の瞳は何処か暗い。
オパールの如き煌めきが鈴木の瞳には痛かった。
「ねぇ、ロジーさん、死ぬと星になるって聞いた事、ある?」
ビィは「死ぬと星に?」と首を傾げる。
「うん、そう。この満天の星空が、誰かの魂だとすると……俺の助けられなかった人だとすると、 とても……見ていられない。だけど、星は何時も輝き、瞬いてる。つまり……俺を、責める様に、ね」
二人の間に広がる沈黙。
路地を行き交う人々の声が、何故か遠い。
「確かに、この美しい星々の一つ一つが。星々の幾つかが、あたし達の助けられなかった人々の魂だとしたら……切ないですわ」
けれど、とエメラルドの瞳は鈴木を見据える。
「星はいつも遠くで瞬き、空から見守るように輝いている。あたし達を見ている。そう考えると、悠司。星々は……助けられなかった人々は、決して責めているのではないのかもしれませんわ。だって……あんなに美しく輝いてるんですもの」
手を伸ばしても届かぬ星の、なんと儚く美しい光か。
「憎しみでいっぱいだったら。あんなに……美しく輝くことは無いと思いますの。
忘れないで、と。
此処に居るよ、と。
ただ、悠司を……あたし達を見守っているよ、と。そう考える事はできませんでしょうか」
縋るような声に「どうかな」と返した鈴木の声は懐疑的だ。
「ロジーさんは天魔も死ねば、星になると思う?
だとしたら、今まで屠ってきた、全ての敵も、俺を何時までも照らして、そして、やっぱり責めて……憎んでいるだろうね」
「そのような」
「でもさ。俺は星空、嫌いじゃないよ。俺の業が瞬いてるから。何時までも、忘れる事の、無い様に、と……ロジーさんは如何? 星空、好き?」
「星空は好きですわ」
ビィはハッキリ迷いのない声で告げた。
「だって何処までも続いていますもの。例えば、悠司と離れた場所に居ても、見上げれば同じ星々を見ることができる……何処かで繋がりあっている。素敵ですわ」
ふぅん、と違う価値観を耳にする。
「ロジーさんは人間界の事はよく知ってるけれど、星に纏わるお話とかも知ってるの?」
「え、ええ、そうですわね。ギリシャ神話を。星に直結する神々の逸話……そこには何処か人間臭さがある。そこが魅力的なので。幾つか」
鈴木は「じゃあさ」と振り返る。
「ロジーさん、今夜見えた星、どの星が気に入った? どんな逸話が、どんな星座が好き? 天界からも、こんな風に星空は瞬いてた? 知りたいんだ。ロジーさんの見てきた世界。今度ゆっくり教えてよ」
「そうですわね。今度ゆっくり」
「今夜は付き合ってくれて有り難う。ロジーさんと話してると、何だか……懺悔してる気分だ。勿論、それだじゃないけれど。俺にとって、ロジーさんは……」
ふんわりとマフラーが降りてきた。ビィが「寒くありませんこと?」と首を傾ける。
「悠司……無理に話さなくていいんです。懺悔、なんて言わないで下さいませ。悠司は悠司の出来ることをしてきただけ。いままでも……これからも」
鈴木はマフラーに宿るビィの温もりを感じつつ天を見上げた。
「星、綺麗だね」
●指輪の約束
イルミネーションが瞬く裏通りの自販機は、真っ赤なクリスマスカラーになっていた。
かしゃん、と音を立てる。
寒さに負けて支倉 英蓮(
jb7524)が買ったのは、濃厚なロイヤルミルクティーだ。樹月 夜(
jb4609)に蓋をあけてもらい、ほふほふと必死に冷ましながら、甘くとろける幸せの紅茶を一口。
「ふー、こういう時、猫舌はつらいです」
「でも寒い中は格別ですよね。俺も買うか迷ってます」
「……ん? 夜くん、飲みたい? はい、ど〜ぞ」
『ふふふ、関節キスかもです?』
「ん、ありがとうございます」
樹月は全く動じず、顔を赤らめることもない。けれど支倉は充分幸せだった。大好きな人とふたりっきり、誰にも干渉されることのない時間はかけがえのない夢と同じ。
ふいに樹月の視線を感じて、支倉が自分の指を一瞥した。
「この指輪、この前もらったやつだけど……いつも大事につけてるよ。いつか、婚約……ゆ、指輪……とか、もらえるとうれしぃなぁ? なんて」
「婚約指輪、ですか? 時期が来たら考えましょうかねぇ? 来年を楽しみにしておいてください」
「うう」
来年まで後一ヶ月程度である。
悩ましい言葉だ。二人は寄り添い合うように天を見上げる。
「夜くん。お星様、綺麗ですねぇ〜……夜目が効かない時の方が、もっと綺麗に見えてたと思いますけど、……いまは夜くんがいるから、それはそれで大満足なのです」
夜くんは? と暗に問う。
「うん、星空は綺麗ですね。俺も支倉さんが一緒だから嬉しいし、満足ですよ」
すっかり陽の落ちた世界は、白銀の雪がちらつくような寒さだ。けれど何故か、さほど寒く感じない。支倉は小さなロイヤルミルクティーの缶を飲み干すと、真っ赤なゴミ箱に捨てに行った。踊るような足取りで戻ってきて、樹月の腕に飛びつく。
「わ、大丈夫」
ですか、と問いかけようとした樹月の頬に、軽く触れる口づけを贈る。すると樹月は頬にキスを返す、と見せかけ、桜色の唇に顔を重ねる。自販機に照らされた二人の影が溶けあい、時間が何処かへ行ってしまった。ふは、と顔を離した恋人に微笑みを向ける。
「えへへ……夜くん、ずっといてください……ね?」
「ん、ずっと一緒に居ましょうね」
撫でた頬が冷たい。
「外に居すぎましたか」
樹月は手荷物からパンフレットを取り出した。ワインレッドに金のリボンを飾ったような広告は、結衣香から分けて貰ったものだ。どうしても二人の時間を過ごしたくて相談したところ『後で行ってみるといいよ』と教えられた。
「行きますか。寒いですがゆっくりしたいですし、地図ものってますから」
光の道を歩いて、オススメの喫茶店に向かう。
店の前に到着すると、支倉が「あー!」と声を上げた。
「ここのプリンパフェ、一度たべたかったのですよ〜、しかも夜くんと一緒! えへへ」
にへら、と頬が緩む。
「それは良かったですね。俺は珈琲かな。どうぞ、支倉さん」
古めかしい扉が、ちりんちりんと音を立てる。
恋人達は隠れ家のような茶店に消えた。
●黒曜石の瞳に映る
皆と解散した後、美森 仁也(
jb2552)は妻の美森あやかと更に買い物を続けた。
クリスマスまで一ヶ月を切った今、友人へのプレゼントも考えねばならないからだ。
真っ赤なラッピングを施されたお菓子、装飾品、筆記用具にお酒の銘柄。
年齢的にまだ呑めない幼妻にあわせてか、仁也はお酒好きな割に家では殆ど呑まない。
『……こういうのだったら、それなりにお兄ちゃんも楽しめるかなー、なんて考えての買い物同伴だったけど……久しぶりにお酒の試飲で色々試してたし、楽しんでくれた、かな』
売り場を除いては夫婦で議論。
あーでもない、こーでもない。
贈り物選びに、試飲も重ね、デパートの地下を満喫して地上へ戻ってきたら外は真っ暗。
けれど。
帰宅が遅くなったなりにも楽しみがある。
桃色のもこもこ生地のワンピースにアイボリーのコートを着た妻が冷たい風に震えた。
それを見て、仁也は近くにひきよせた。
まるで踊るような軽やかなエスコートの向こうに、見慣れた微笑みがある。
「ありがと、お兄……あなた」
「さて。あやか。イルミネーションを見に行こうか」
コートに革靴で颯爽と妻をエスコートする仁也が、華やかに賑わう声の方向へ妻を誘う。
闇夜に浮かび上がる真珠の煌めき。
光の洪水が生み出す美しさに心惹かれ、息を呑んた。
「……わぁ、綺麗。凄く明るい……あ、見てみて、鳥がいる!」
無数の光で編んだ鳥の群。
騙し絵のような光の芸術に魅入るあやかを見て、仁也の頬も綻んだ。
『今日は機嫌が良いようで何より。買い物を楽しんだ後のデートも……悪くないものだな』
自分は……
少しばかり飲み過ぎた、かもしれないけれど。
久々に色々な銘柄を楽しんでしまった分は、妻への贈り物に変えようかなと少し思う。
「奥まで歩いてみようか」
永遠の愛を誓ったオブセディアンの如き瞳を覗き込む。
「お願いします」
愛するあなたと、光り輝く道の果てへ。