「まず右手に見えますのが」
ガイドの解説は……長い。
眼鏡をかけて書生風の貸衣装を着た新柴 櫂也(
jb3860)は、ガイドの解説を聞きながら遠ざかる駅のホームを眺めた。数分前まであの場所に立ち、蒸気の力で動く一昔前の乗り物の外観と面白いフォルムに気を取られていたのに、今は独特の車窓から眺める景色と力強い音が楽しい。
「自然の中を走って自然を感じられるのもいいな。下一さんもそう思いませんか」
「そうね。最期の紅葉もみれていい感じ」
皆を誘った下一結衣香が、向かいの席から新柴を凝視した。
『……な、なんだろう』
「何か変ですか」
「んーん、似合うなって。私の目は確かだった!」
きゅぴーん、と自画自賛だ。
新柴の貸衣装は意見を問われた結衣香が選んだ。新柴はというと大正浪漫が今一よく分かっていない。場に似合うなら問題はなさそうだ。
「お礼にデザートくらいは奢りますよ」
「ほんと!? らっきぃ、今月バイト代が苦しくてさぁ。間食を我慢してたんだー」
「俺も食堂でごはん食べたいです。エビとかウニとか海産物大好きなんで。混雑前にいきますか」
ガイドが休憩に入る頃を見計らって。
二人は立ち上がった。
首をぐきぐき鳴らしていた全身黒ずくめ書生スタイルのUnknown(
jb7615)が「ほー、これがジョーキキカンシャというのか……結構小さいな」と言いつつ凝った内装を見渡し、駅ホームで見上げた時同様に再び首を痛める。
書生風のファッションに身を包み、時代錯誤の空間に身を置くと時を遡ったような感覚を味わえる。九 四郎(
jb4076)が「凝ってるっすね」と内装に感心していた。
「イメージは大正、でしたっけ」
「いいねー大正浪漫。クールな時代だったんだっけ?」
説明終了と同時にウェル・ウィアードテイル(
jb7094)は遠慮なく窓を開け放った。
「ウェル先輩!?」
九が驚愕の声を上げる。
しかしウィアードテイルの表情は楽しそうだ。あけるなと言われるとあけたくなる、やるなといわれるとやりたくなる、挑戦せずにはいられない。それこそが悪魔のサガ。
ボーッ!
トンネルに入った途端、黒煙が窓から入り込み、ウィアードテイル達に襲いかかった。
慌てて窓を閉める。
すっかり真っ黒になったウィアードテイルが陽気に笑う。
「あはははははっ! ウェルちゃん大失敗。これは酷いねー!」
「ごほっ! 全身真っ黒じゃないっすか……あはははは! 先輩、鼻の下に髭が!」
「あはははははっ! 九くん、パンダ! 逆パンダになってる! ……は!」
何人か巻き添えになった人々に気づいて頭を下げる。
着飾った者達にとってはたまったものではないが、例えば猛烈に煙を被って巻き添えになったUnknownは「心配無用なのだ。我輩、既に黒いですし」とドヤ顔で周囲をわかせていた。
雰囲気の維持は大切である。
とりあえずウィアードテイル達は「顔を洗ってこよう」ときめた。
視線も痛いし。
「ここまで真っ黒だと、いっそのこと何か食べてから燃料入れ体験やってこよっか」
「いいっすね! やりたかったっす! 男の力のみせどころっすよ!」
大柄な九が拳を握る。二人は売店の方へ出ていった。
着物に和装コート、足袋に草履という隙のない装いで身を固めた礼野 智美(
ja3600)と、紅葉の赤が美しい女物の振り袖に革靴というハイカラさんを意識した装いの水屋 優多(
ja7279)は、二人で車内を探索していた。
ちなみに水屋の着付けは礼野がしている。
「落ち着いた車内ですね。珍しいものも沢山ですし」
ラッパに似たビクター6のトーキングマシーンを覗き込む。もはや単なる骨董品に過ぎないが、昔は澄んだ音を奏でたのかもしれない。
「そうだなぁ……宿の方も良いところだったら、部員で来るのも悪くないかも知れない」
「そういえば智美のお姉さん良く温泉などに療養で行ってますもんね。小さい子達には物珍しいでしょうし……」
「うん」
隣のステンド硝子ライトは華やかな色を放っている。けれど二人は外の景色を見なかった。廃村観光の為に停車しても降りることはない。昨今の天魔騒ぎのせいで加速する故郷の過疎化を思い出すからかもしれない。
「あ、智美。今なら食堂車も空いてるでしょうし、今後の為にも料理食べてみませんか?」
「優多はそんなに食べないだろ?」
「2人で食べれば良いんですよ」
水屋達はすっかり人のいない食堂車で柘榴ジュースのグラスを傾けた。持ち手の所も柘榴の彫り込みがあってレトロな印象を感じる。
「乾杯!」
おいしい和食に舌鼓をうちながら、バシャバシャと写真を撮り続けていた。
食堂車の一角で窓辺を見ていたフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は、ゆっくりと日本酒の升酒を楽しんでいた。お猪口から溢れんばかりの日本酒は、料理に似合うと進められた吟醸「旅魂」だ。
「偶には和食と日本酒も悪くない」
食堂車には絶えず人が出入りし、美味しい物の匂いに釣られたUnknownのような者で溢れかえっていた。
旅の食事は重要なのだ。
列車内を探索していた雫(
ja1894)は、見慣れない内装や展示物を眺めて楽しんでいた。
「何だが別世界に紛れ込んだ様な気分です……」
『偶にはのんびりと旅を楽しむのも良いですね』
一通り見て回った後に目指すのは、まるでホテルのレストランの様に清潔で古めかしい造りをした食堂車。入り口に張り出された本日の和食を目に留めて、食前酒がジュースに変えられると分かって注文する事を決めた。清潔感のある白いテーブルクロスの上には秋の花が飾られている。
『お酒は飲めませんが……』
「こんな一寸した贅沢は初めてで楽しい物ですね」
お膳が待ち遠しい。やがて食堂車は込み合い始めた。病み上がり故にゆっくり歩いてきたエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が飢えた眼差しで壁のメニューを見ていた。
「ああ……出遅れました。病み上がりの体がエネルギーを欲しているというのに」
ぐぅぅぅ、と腹の虫が鳴り響く。
「カロリー……カロリーを大量に摂取せねば。せめて席が空くまで売店で」
「あのう。座られますか? 景色が見にくいですし、相席で良ければですが」
雫が向かいの席を示す。
マステリオは雫の言葉に甘えることにした。
「助かりました。飢えて死にそうで」
大袈裟に語りながら「ヒリュウを召還しても?」と確認を取る。
「お待たせしました。和食でございます」
雫の注文を置きに来たウエイターに、マステリオが山のような注文を飛ばす。本当に食べるのかと疑わしげな視線が周囲から飛び交っていたが、マステリオはよほどお腹がすいていたらしく、次々と食べて皿を積み上げていた。
アンティークの花柄着物にワインレッドの袴を重ね、編み上げのブーツでハイカラ女学生に扮した蓮城 真緋呂(
jb6120)は景色を眺めながら窓に映る己を見た。
佇んでいるのは自分一人。
「蒸気機関車に乗るのもそうだけど……何気に一人旅って初めてかもしれない」
時々トンネルをくぐり抜ける度に、鏡のようになる車窓が少し苦手だ。隣に彼の姿が無いことを意識させられてしまうから。
「洗面所や売店ってどんな感じなのかしら? みてこよーっと」
窓から顔を背けた蓮城が歩き出す。
蓮城が売店のある車両に辿り着いた。
「おおゴージャス……木のインテリアが雰囲気良いなぁ。ステンドグラスも綺麗」
ついでにカツサンドとホットドリンクを仕入れて席へ戻る。トンネルを抜けた窓は、茜に染まる山々を映し出していた。
「景色いいなぁ」
サンドイッチをぱくりと一口。
「あ、これ美味しい。一口あげ……る、って一人だっけ」
苦笑いしながら窓辺に頬杖をつく。楽しい旅路なのに、隣の席が広く感じる。
「でも……それぞれの道を行くって決めたのは、私なんだもの」
独り言は列車の音にかき消えた。
「なんとも豪華なこったなー」
黒い書生服を来た麻生 遊夜(
ja1838)は「大正浪漫か、いいねぇ」と言いつつ古い展示物を眺めていた。その背中にいるヒビキ・ユーヤ(
jb9420)は「これがロマン……なるほど」と興味深げに何度も頷き、麻生の腕に腕を絡めた来崎 麻夜(
jb0905)は物珍しいものを見つけるたびに「おおー、綺麗だねぇ」と楽しそうだった。
「さて、土産は今の内に見繕っておくのがいい。後になると混むからな」
麻生は二人を連れて売店がある車両を目指す。お弁当にお茶、小物達、古めかしい絵柄のエコバックや限定のお菓子を順に見ていく。ふと壁際に目が留まった。
「あ、これこれ、気になってたんだよね」
来崎が黒に赤の縦縞模様が入った袴を翻し、大きな箱の前に立った。横に納められたシリンダー式のミュージックボックスで、金属製の櫛に似たセクショナルコームを弾いて音を発するが、107本の細い櫛歯を弾くオルゴールは、溜息が出るほど繊細な音を奏でる。
「オルゴールにちょっと興味があって……内蔵十曲だって! 凄いよね、どうやってるんだろうね」
「値段が書いてあるな、売り物なのか」
どれ、と麻生達が解説の下に記された価格をみた。年代物の稀少なアンティークオルゴールは、なんと七桁。3の横にゼロが六つも連なっている。
「無理! まぁでも聞けたし、オルゴール聴きつつお土産選びだね」
美しい旋律故か、ゆっくり選んでいても飽きない。
「ふむ、コレとかどうだ?」
麻生の背から身を乗り出すユーヤが「ん、これにする」と食べ物の箱を指さした。
「お、それも良いな」
「あ、いいね。あとは……これとかどうかな? 和柄のアクセサリー系も良いよね」
時が経つのを忘れてしまう。
車内の探検をしていた千葉 真一(
ja0070)は、古めかしい車窓から眺める湖のきらめきに目を奪われる。
「蒸気機関車はいいなぁ。何かこう、ロマンを感じる」
少なくとも乗車中にやっておきたい事はもう一つある。石炭をくべることだ。
蒸気機関車の先頭車両には千葉と同じく、石炭入れ体験をしようと思う者達が集まっていた。
ウィアードテイルと九が体験行列の後方から顔を出す。
「終わった人、汗びっしょり?」
「ウェル先輩より真っ黒な人もいるみたいッすよ」
トンネル通過中に窓を開け、煤けて黒くなった二人は更に真っ黒になる事を覚悟した。
「結構熱いんだな」
既に新柴が炉の中に燃料を放り込んでいる。
袖を捲って汗を流し、真っ赤に燃える穴の中に燃料を押し込んでいた。
やがて千葉が投げ込む番になった。
両袖を捲って、大きな鉄のスコップを握りしめる。
「確か適当に放り込むんじゃなくて、燃えやすいように位置を少しずつ変えるのがコツだったかな」
「眉毛焼くなよ。髪長い奴はしばっとけ、マフラーごと燃えるぞ」
係りのおっさんが嗤う。
見かけは楽しそうだが、実際は結構な重労働だ。
「笑えん話だな」
麻生が一瞬眉毛が焦げた自分を想像する。
「ふふっ、先輩がんばれー」
「ん、ちゃんと、撮っておく」
来崎の声援にユーヤのカメラ。ここで根性を見せるのが男。
「ハッハァ、俺に任せろー」
麻生も燃料入れを必死に行う。だがうっかり熱い鉄の所に触って火傷したり、全身が汗でびっしょりなんて事も珍しくない。麻生は意気込んだ割に、やがて後退して隅っこで潰れた。乗り物に酔ったのかもしれない。
「くそぅ、やっぱり駄目だったか」
麻生の不調を来崎とユーヤは見越していた。
「……マヤ、そろそろ、だよ?」
「あ、そうよね。ヒビキそっちお願いね」
「ん、わかった、行くよ?」
速やかに座席へ運び、冷たく濡らした手拭いで顔を拭いたり、水を飲ませると……ぼんやり顔の麻生が「……麻夜、ヒビキ……すまん」と譫言のように呟いた。
「それは言わないお約束、でしょう?」
「それは言わないお約束、でしょう?」
果たして、どちらがどちらの声だったろうか。
旅は終着点に向けて進む。ふいに車両が止まった。
車内に放送が流れる。
『当列車はこれより30分ほど停車いたします。昔の息吹を感じられる秘境駅にて記念撮影をお楽しみ下さい。なお村の建物は一部が現存しており……』
秘境を巡る列車だ。
当然と言えば当然だが、用がない者には退屈な時間である。
しかし。
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)は違った。縞々レギンスに水色と白のスタジャン。ペンギン帽子を被って「一番乗りだぜー!」と駅のホームに飛び降りた。
「ちょ、ラルー!?」
恋人の川内 日菜子(
jb7813)が焦る。
「ヒナちゃーん! 車! 昔の車とか展示されてる! 外に民家があるぜー!」
ユーティライネンは廃墟マニアだった。
恋人の知られざる一面を見た川内がはしゃぐ相棒の後を追う。
「ラルがこんな情緒がある場所を好んで歩くとは……思わなかったな」
旅行と聞いて、デートやランデヴーといった発想をしていたものの、甘い雰囲気になりそうな予感がしない。むしろ久しぶりの骨休めで興奮気味のユーティライネンを見失わないよう、ひたすら歩き回る未来を彷彿とさせてくれる。
ところが予想より早くユーティライネンが戻っていきた。
どうやら外の廃屋は天井が抜けていて立入禁止だったらしい。
「家屋の写真は次の駅に期待だなー。あ、蜻蛉」
「まぁ廃止された駅しかないだろうし」
思いの外早くに戻ってきた川内は、木で作られた古い長椅子に気づいた。
かつては大勢の村人達がそこを利用したのだろう。窓から差し込む日溜まりは、やわらかい光を放っていた。
「昼寝でもしたら気持ち良さそうだな」
出発まで、まだ時間がある。
『宿に着いてからならともかく、観光先で寝ることは無いだろう』
出かける前に自分で言った言葉を思い出して笑ってしまう。どうせ他に人目はないのだし、と結論して、ベンチに溜まった埃を払った川内達は待合室の長椅子にごろりと横になった。ユーティライネンも軽く睡魔を誘われ、二人で列車に置いてけぼりになりそうになった事は忘れられない思い出になりそうだ。
秘境列車はいくつもの駅を巡る。
初めて見る廃村の景色を眺めて尼ケ辻 夏藍(
jb4509)は不思議な郷愁感を覚えた。長年ひきこもっていて外を出歩いていなかったから縁もゆかりもない場所に違いない。来たこともなく見たこともない場所なのに、懐かしさを覚える。
『あそこは海だったけれどもね』
人の暮らした息吹を感じる。
失った娘の面影を思い出すような感覚に似ている。
「ダムと紅葉か……人の子の技術と自然の融合だね。少し飛んで更に高い位置からの光景でも見てみよう。出発まではもう少しあるし」
足下の美しい紅葉を拾って、広葉樹の枝に舞い降りた。
花に埋もれるのとは少し違うが、黄色や赤の木の葉に包まれるのも悪くはない。
「後で栞にしようか。お土産に丁度いいし」
太陽が空を真紅に染め抜く。
「……見事だ」
写真にはうつらない、ルビーの赤。
くちなしの金色。変わらぬ翠の深緑。
「こんなに綺麗な景色があると知っていたら、少しぐらい外に出てもよかったかもしれないね」
尼ケ辻はあれこれ理由を探した遠い日の自分に囁きかけた。
『終点ー、終点ー』
アナウンスが聞こえてくる。
秘境列車は対岸の駅へ到着し、皆の前には築百年の歴史的建造物が現れた。
「しかし温泉でないのが残念です」
只野黒子(
ja0049)は七竃の柄の入った振り袖と袴、編み上げのブーツという装いで旅館の館内を散策していた。随分と改築されているが、建造当時の面影を今に残している。
「昔は遊郭なのですよね」
かつては女郎達が並んで陳列されていたと思しき部屋には、建設当時の設計図などと一緒に、遊郭から旅館へ変化していく様が写真などにより静かに語られていた。女郎の名簿、着ていた衣装、大昔のお金、ショーケースに展示された装飾性の高い守り刀……
「これはなかなか。本物ですね」
「……あらァ、わかるのねェ」
からん、と下駄の音がした。
視界に飛び込む朱色の浴衣は紅葉の柄が美しい。
只野に声をかけてきたのは、売店横を通り過ぎてきた黒百合(
ja0422)だった。
既に軽くひとっ風呂を浴びて寝湯をしながら一杯楽しんだ後だ。
「詳しいのかしらァ」
「ええ、まあ、武具は少しだけ」
「そうなの。古き時代を懐かしむ時に造形が深いっていいわねェ」
「残念ながら他はさっぱりです。大浴場、開いたんですね」
「ふふふ、一番風呂は極楽だったわァ……温泉じゃないけど、芯まであったまるわァ……」
只野が見た時、大浴場は清掃中のフダがかけられていた。けれどもう入浴できると教えられ、お礼を述べてから着替えをとりに部屋へ戻る。黒百合も調達したものを腕に抱えて展示の部屋を一周すると、囲炉裏の部屋へ戻っていった。エビを焼かねば始まらない。
旅路の疲れを癒すのは、やはり風呂に限る。
男湯の片隅で羽根を延ばす千葉は「いい湯だな、と」等と独り言を呟いていた。思わず歌いたくなる気分の良さだ。
「はぁ〜、癒される〜」
ぶくぶくと湯船に沈む佐藤 としお(
ja2489)が、ここに花火があったらいいのに……等と考え始め、やがて『皆に季節外れの花火を見せてあげたい……そうだ! 自分でサプライズすればいいんだ!』と斜め上の発想に行き着いていた。
しかし花火シーズンはとうに過ぎていたので、材料は手に入らなかった。
男子も女子も。
長風呂を楽しんだ後に、自然と立ち寄るのが囲炉裏の傍だ。
只野は「エビでも焼こうかな」と呟いて様子を伺う。大勢が自在鉤に釣り下げられた薬缶や串刺しの海鮮を囲んでいた。先ほど会った黒百合もエビの殻を剥いている。
「ふふふ、いい休日になったわねェ……」
時を忘れて過ごせる宿。
こういう場所なら、また訪れるのも悪くない。黒百合はそう思った。
自前の赤い着流しを纏うボールドウィンも囲炉裏に腰掛けていた。
「これもうまい」
数ある日本酒を試せる厳選セットを頼み、小瓶の日本酒を片手に真っ赤なエビへかじりつく。殆どはそして手元の殻入れにはエビの殻が積み上がっていた。窓から見上げる夜空には雲一つない。今夜は放射冷却で寒くなるだろう。
「体を温めてから寝るかな」
ボールドウィンは店員を呼んで熱燗を頼んだ。
そんな人の輪を眺める者達がいる。
「囲炉裏も魅力できだが、二人で過ごすには部屋がいい、か」
紺の着流しに羽織を着た黒田 京也(
jb2030)の腕には、妻の黒田 紫音(
jb0864)がすがりついている。すりすりとすりよる紫音は、乞うように夫を見上げた。
「……分かった。じゃあ部屋食にしよう」
目は口ほどに物をいう。
『なかなか時間が取れなかったが、やはり二人で居る時間は良いもんだな』
此処最近、忙しすぎた。夫婦で旅行をするのは、本当に久しぶりだったと言える。秘境列車の旅の最中、紫音は京也と片時も手を離さず、時には膝に乗って甘えていた。
「にぃに! 大好き!」
そういってすり寄る小顔を優しく撫でる。部屋に戻った二人は、ルームサービスで夕飯を頼み、あーん、と食べさせあいっこを経て、のんびり過ごした。
邪魔のない幸せな時間。
窓辺から見上げる冬の星が綺麗だった。
「ずぅっとこうしていたいね」
絡めた指が熱を伝える。
「愛してるぞ。紫音」
頬に触れるだけの優しい口づけ。寄り添う二人は電気を消して布団に潜り込んだ。
いっぱい珍しいものをみて、たくさん歩いた。美しい蒼と茜と輝く空を見た。
どうか良い夢がみられますように……
「再び到着ー! おふとんー!」
風羽 千尋(
ja8222)が部屋に敷かれた布団に転がる。宿に到着して荷物を置き、お風呂に入ってから夕飯を食べ、やっと戻ってきた訳だが、昼間も散々連れ回された雪代 誠二郎(
jb5808)は若干どころではなくお疲れ気味だった。
腰を下ろす前に、旅館のクリーニングサービスで戻ってきた私服を壁に掛ける。
羽織袴にシャッポにステッキという組み合わせを、明日も雪代はすることになっている。
勿論風羽も、シャツに着物に袴の書生スタイルなので、折角クリーニングしてもらった服が皺になっては困るから壁にかけた。
後は心地よく眠るだけ。
けれど雪代は窓辺に座って晩酌を始めた。荷物を漁った風羽はデジカメの画面で撮影した写真を確認していく。
蒸気をあげる黒塗りの列車、錦に染まる秋の風景、大正スタイルの自分たち。
「なぁ雪代さん、この写真うまく撮れてると思わねぇ?」
「はいはい」
「帰ったら寮のやつらにも見せてやろっと」
「今度は皆と来るといいさ」
「それもいいけど。今日、楽しかったな。また、遊び行こ、な……」
ゴトッ、と鈍い音がした。
話半分で応答していた雪代が振り返ると、布団に仰向けの風羽は撃沈している。
「少年?」
応答無し。先ほどの鈍い音は、デジカメが畳に落ちた音だろう。雪代はやれやれと立ち上がってデジカメを確認したが、壊れてはいないようだ。ついでに無防備な寝顔を見下ろして……ぱしゃりと何枚か撮影した。布団の上で寝落ちた上、枕が足下にある。
「確かにこれは。いい土産写真になりそうだな」
独り言を呟いて肩を奮わせる。
現像して驚く顔が楽しみだ。
雪代はデジカメを荷に戻すと、押入から掛け布団を一組ひっぱりだすと、風羽の上にかけた。下敷きになった掛け布団が引き抜けないからである。
学生達が過ごした大正浪漫の秘境列車。
古きものの思い出をのせた旅は、それぞれに癒しの時間をもたらしたに違いない。
明日からまた忙しい日々が始まる。