広い大海原を一隻の豪華客船が泳いでいく。
船の甲板には温水プールやジャグジーが設置されていた。
白いスクール水着を着たラナ・イーサ(
jb6320)は目の前の光景を眺め、瞬きした。
「……アイリ達の水着……違う。何故……?」
スクール水着はプールの正装ではないのか。
白のO型モノキニ水着……つまり正面はおへそが見えるワンピースで後方はビキニスタイルというセクシャルな白い水着を着たエルミナ・ヴィオーネ(
jb6174)はイーサの戸惑いに気づかず、ひたすら各自の水着の機能面に着目していた。
「ふむ。水の抵抗値の少ない着物とは。人間侮りがたし」
ちなみにアイリ・エルヴァスティ(
ja8206)は青のI型モノキニ水着で、おへそは見えないがかなりの露出だ。
「えっと……あれ?」
イーサが同じスクール水着を着ているはずのシルヴィア・マリエス(
jb3164)を探す。マリエスはプールサイドで運動中だ。そして人のいないプールの深みへ走り出した。
「わほーい! えんじょーい!」
どぼーん。
激しい水飛沫があがった。
「海の上でプールとかジャグジーとか、人間の発想面白いねぇ! 晃司も泳ぎなよ!」
紅一点ならぬ黒一点の加納 晃司(
ja8244)は顔面蒼白で震えていた。
『……私は、もしかしなくとも、早まったんだろうか……くっ! プールじゃなく……夜の料理ツアーを満喫したくて、とか言っておけば!』
なんとなくこのメンツが引き起こす騒動を妄想する。
疲労困憊で窶れ果てる未来しかみえない。
マリエスがひらひらと手を振る。
「あれだよ。晃司。ハーレムだよハーレム。やったー!」
若者のどんより顔は増すばかり。マリエスがジト目を返す。
「え。なにその渋い顔……うら若き乙女達を前に何か文句あると? っていうか晃司も面白い水着着ればよかったのに。ほら、今年のトレンドはワンショルダービキニらしいよ!」
「どう控えめに聞いてもアウトだろ、その水着」
加納はサーフパンツをはいていた訳だが、聞くからに奇怪な水着を断固拒否する。
「楽しいのにー」
そしてエルヴァスティは周りに注意を傾けつつ、程良いプールに浸った。
「なんだかこういう、学生らしい遊びも久方ぶりですね。そうだ、大きい浮き輪とかかりてきまーす」
プールから上がってカウンターへ向かう。
一方、イーサはプールサイドで濃厚なカルボナーラをちゅるりと食べていた。
「……ここの料理、美味しいですね」
時々きんいろが美しいレモネードを飲めば口の中もさっぱりする。
ヴィオーネはピッツァを食べつつ、防水カバーをかけた愛読書で癒しのひととき。
「こういう場所で読む本もなかなか……レモネードも良い香り」
甘い香りに騙されて口の中に強烈な酸味。
ヴィオーネの変顔を見たイーサは「丁度いい酸味では?」と首を傾けた。
ところでマリエスは呼んでも来ない面々みて水鉄砲を構えた。
「エルミナ! 水着着て読書禁止ー!」
ピューっと水鉄砲を噴射した。
「し、シルヴィィイイイイ!」
ヴィオーネがずぶ濡れだ。防水カバーをかけていても、本の内側はべっしょべしょ。更には半分残っていたピッツァが水浸しで……食えた物ではない。
「読み物は! 水厳禁!」
八つ当たりと腹いせもかねて水に飛び込んだ。二次被害が加速。
突然の水害に、今度はイーサが震えていた。
「……貴様ら……私のレモネードがちょっぴり薄まったではないですか!」
プールのマリエスは「ふ。負けないぞぅ!」と笑うと二丁の水鉄砲で応戦開始。
騒ぎを傍観する加納は『ええ天気やのー』と言わんばかりに太陽を見ていた。
しかし。
「えい」
「アイリー!?」
突き飛ばされてプールに落ちた。
半ば溺れそうになりながら浮上し、浮き輪を抱えてきたエルヴァスティを見上げる。
「おぼれたらどうする!」
「そんなに深くありませんよ。折角なんだから、馬鹿騒ぎにも加わらないと!」
「ああいえばこういう……お前等もうちょっと慎み持てよ」
慎みなにそれおいしいの? を地でいく乙女達。
やがて休憩時間でイーサがマリエスにレモネードを振る舞う事になり、輝く笑顔のヴィオーネがレモネードを差し出した。
「シルヴィ。ほら喉渇いたろ」
なんと気の利く……と思いきや、梅干し顔仲間を増やすのが目的だった。
旅は道連れ。エルヴァスティは「あ、すっぱ顔」と微笑ましく眺め、ヴィオーネは大笑い。レモネードの惨劇を見た加納は、そっと忍び足でカウンターに向かい、トマトジュースの確保を急いだ。持っていればすすめられまい。
ところで。
同乗した撃退士全員が遊びつつ客に混じってるとは限らない。
「あるばいとってなにするのですにゃん?」
真珠・ホワイトオデット(
jb9318)は清潔感溢れる白のカチューシャとエプロン、そしてレースが愛らしいメイド服を着ていた。真珠と一緒にいるのは同じく女性給仕用の制服を着た強欲 萌音(
jb3493)である。
遡ること一時間前。
『強欲ちゃん、あくまのなんたるかを教えてほしいですにゃー!』
跳ね回る真珠を見た萌音は、驚きの行動に出た。客として遊ぶよりも客船の船員として労働に従事する事を決めたのだ。客船のマネージャーに頼んで回されたのはカフェの給仕。
よって話は現在に戻る。
『豪華客船で働いた事なかったっすから記念にちっとばかし労働するのもいいっすねぇ』
上機嫌の萌音は左手を腰にあて、右手の人差し指をピッと立てた。
「真珠様、アルバイトは本業以外の仕事。働いてお給料をもらうんすよ」
「強欲ちゃんは物知りさんですにゃん。あるばいとであくまがわかるですにゃん?」
「いい悪魔ってのは強く、逞しく、どこまでも自分の欲に率直ってことが大事っすよ! あたいの場合は『お金に代え難きお宝』の蒐集っすかね。経験も宝ってもんです」
労働は尊い。聞き入る真珠は瞳を輝かせた。
「よくぼーにちゅうじつ……しんじゅしってるですにゃん! 美味しいものいっぱい食べることですにゃん!」
「いいんじゃないっすかねぇ、真珠様。働いた分だけ飯も美味しく感じるってものっすよ」
萌音は真珠の口の中に、四角く切って油で揚げたポレンタ(粗挽き玉蜀黍粉を水で練った物)を放り込んだ。幸せそうな真珠が食べ終わったらお仕事開始だ。
『かわいらしいおひとっすねぇ』
『御馳走が美味しいですにゃ!』
プールサイドにも人の姿はある。
麦わら帽子にサングラス、黒いビキニを着てデッキチェアで日光浴をしているのは染井 桜花(
ja4386)だ。ウエイターがフルーツの詰まったティーポットを運んできた。
「……そこに置いて」
「かしこまりました。ごゆっくりお楽しみ下さい」
ウエイターは一礼して去っていく。まだ温かいフルーツティーを耐熱グラスに注ぎ、一口飲むだけで気分は晴れやかだ。普段は無表情の顔にも笑みが浮かぶ。
「……いい天気、……気持ちいい」
燦々と輝く太陽の下で、カナリア=ココア(
jb7592)とユノ=ゲイザー(
jb9677)は日焼け止めクリームを塗っていた。ココアの水着は赤いビキニ、ゲイザーの水着は黒いビキニ。共に普段は衣類の下に隠れている肢体が露わなので近くの男達を悩殺している。
「カナリアさん、今日は悩殺ボディで頑張ってねぇ。でもプールやジャグジーに入る前に、太陽の光で溶けないように、きちんと塗った方がいいかな?」
「ん、ありがと。じゃあユノさんにも全身に日焼け止め塗りますね」
かつては『太陽が……眩しくて……腐る』と呻いていたココアだが、比較的平気なのは点在するビーチパラソルのお陰だろうか。
ゲイザーがクリームを塗りながら軽くマッサージをすると「あぅ、気持ちいぃ……はふぅ」等という声が聞こえてくる為、近くの者は別な意味で心が穏やかでなかった。
ジャグジーからあがったリリアード(
jb0658)は、ビーチチェアにおいていた麦わら帽子を被ると黒いビキニ姿のまま鉄柵から海を望んだ。
「風が気持ちいいわネェ。あら、クジラかしら。マリア、こっちにいらっしゃいよ」
ハーフアップにしていた黒髪を靡かせるリリアードの後方から「今行くわ」と声を投げたのはマリア改めマリア・フィオーレ(
jb0726)に他ならない。
「本当、見えたわ。豪華客船って初めてだけれど……こういう旅もなかなか良いわねえ」
リリアードは「フフ」と笑って振り返る。
「こんな仕事も素敵ネェ。さ、マリア。めいっぱい愉しみましょう。次に行く前にカフェで食事よ。まずは夏が恋しくなりそうなレモンチェッロをのまなくっちゃね」
カフェ『カプリ・バール』へ向かったリリアード達は、ここぞとばかりに頼みまくった。
「あらヤダ……ここの味、とても好み。このカルボナーラも美味しいワァ。マリアのもすごく美味しそう」
正面のフィオーレはレモンチェッロのグラスを片手にマルゲリータピッツァをぱくり。
「このマルゲリータ、すごく美味しいの。本格的ねぇ……リリィも食べるでしょ?」
「貰うワァ。じゃあこっちのも。はい、あーん」
被らないようにオーダーすると、こういう楽しみがある。
食後のお楽しみは勿論ジェラード。リリアードは緑鮮やかなピスタチオと濃厚なチョコレート、フィオーレは香ばしいヘーゼルナッツと甘い香りのバニラを選んだ。
カフェ『カプリ・バール』区画にある蒼いパラソルの下では、泳ぐ気になれない礼野 智美(
ja3600)と、礼野に誘われた水屋 優多(
ja7279)が客の様子を見守っていた。
そこへ現れたボーイがアフタヌーンティーセットを運んでくる。
「頼んでないんだが」
「あちらのお客様からでございます」
困惑する礼野が視線を投げる。何やらセレブリティ感溢れる格好の一家が目映い笑顔で手を振ったり投げキッスをしていた。意図を悟った礼野がサンドイッチを水屋に差し出す。
「優太。ご指名だ、少しぐらい食べて見せたほうがいいな」
「え……と、ありがとうございます……って通じないかな」
少し前。プールサイドで異国の旅行客が倒れた。天魔の襲撃ではなく単なる過呼吸である。これを処置したのが傍にいた水屋だ。
「単に応急処置しただけなんですけどね、紙袋で」
「過呼吸がなんたるか分かっていなかったようだし、感謝のしるしなんだろう」
撃退士の飲食費は無料だと言いにくい二人は、素直にティーセットを受け取って食べた。
水平線に向かって太陽が沈んでいく。
薄い青に染まった空の中にぽっかりと浮かぶ白い月。
あれが月食で真っ赤に染まるというのだから、光のもたらす魔法は不思議だ。
早く夕食を済ませて月をみようと願うのも不思議ではない。
ディナーの時間になると、大勢の人々が好みの店へ足を運ぶ。
レイ・フェリウス(
jb3036)は緋色の絨毯を歩きながら「人間の料理〜」と呟き嬉々として集合場所に向かう。今夜は仲間で揃って美味しいインド料理を頂くことになっていた。
彫像の前に立つラウール・ペンドルミン(
jb3166)がフェリウスを発見して手を振る。
「よし、全員そろってるな? つーか、レイ。なんでお前のネクタイ歪んでるんだよ」
『なんでこいつら外見に気ぃ使わねーんだ?』
しょうがねぇなぁとでも言いたげな顔でネクタイを正す。
「相変わらず……ラウールさんはお母さんの立ち位置ですね」
ぽそりと呟くネイ・イスファル(
jb6321)の隣には、早見 慎吾(
jb1186)とカイン・フェルトリート(
jb3990)が立っていた。
「そうだ」
直しを待つ間、フェリウスがイスファルの方を向く。
「今更だけど、ネイがこっちに来てることに驚いたよ」
「私こそ、レイさんがこっちに来ているのを知って驚きましたよ。何かきっかけがあったのですか?」
イスファルの目の前でフェリウスの眼差しが澱む。事情を悟るペンドルミンが「あー……そこには触れないでやってくれ」と遠巻きに声を投げた。イスファルが首を傾げる。
ペンドルミンの礼装チェックを終えると五人でインド料理の店に入っていく。見慣れない光景とスパイシーな香りに圧倒されるフェルトリートが一歩遅れてついていく。
一口にインド料理と言っても内容は様々で、五人の円卓には様々な料理が並んだ。
「凄い量。グリーンカレーとレッドカレーも食べるの?」
「別にいいだろ。なんだか……最近おまえ等と動くと食べてばっかりな気がするな?」
そういいながら食べ慣れないタンドリーチキンに囓りつく早見を見て、フェリウスがナン(パンの一種)を取ってカレーを掬った。
「別に食べ物のある所にばかり行っているわけじゃないけどね?」
「嚥下してから話せよ」
「米粒飛ばしてる訳じゃないのに」
そして早見はフェルトリートの様子を伺う。
「カインは辛いの大丈夫だったか?」
「……辛いの……平気」
フェルトリートの皿は殆ど減っていない。これはやせ我慢ではない。単に食べ方が分からなくて周囲を観察していた為、食事の開始が遅れただけだ。しかしペンドルミンは気を利かせて色々と差し出す。
「カイン、辛すぎたらヨーグルトがいい。それにこれ美味いぞ、肉」
タンドリーチキンをもぎゅもぎゅ食べるフェルトリートは「人間の料理……好き」と幸せそうな顔で食べていた。まるで雛を餌付けするかのような光景に、イスファルが呟く。
「ラウールさん。もしかして母性とかあったりしませんか……」
『この面子で一番しっかりしてるからだろうなぁ』
しかし本当にしっかりしているかというと。
「カレーってスパイスが沢山入ってるんだよね? どうして沢山入れるんだろう?」
フェリウスの疑問に対してペンドルミンが自信満々に答えた。
「普通の人間はな、俺等と違って色んな病気になるからな、スパイスで悪霊退散させて病魔追い払うんだって聞いたぜ」
「そうなのか!? 人間ってすごいね!」
誤情報に胸を張るペンドルミン。輝く眼差しのフェリウス。感心して聞き入るイスファル達を見て、早見が「レイ。それ違うからな」と釘を差す。
「え」
「違うから間違って覚えるなよ。ネイ、お前も一緒にびっくりした顔しない」
「今の嘘なんです!?」
突如始まる常識の講義。
賑やかな様子を眺めつつフェルトリートが黙々とカレーを食べていた。
おなじインド料理の店舗には紅 鬼姫(
ja0444)と大狗 のとう(
ja3056)もいた。
スパイシーな御馳走を山と積んで「わはー!」と騒ぐ大狗に対して、紅はチャイティーとジェラードを少し。ご飯をあまり食べられないと聞いて、大狗が進めたレモンの一品だ。
「甘いもの楽しもうぜ! 鬼姫の飲んでるそれってば、おいし? どんな味するか?」
「チャイですの? 香辛料が多いですの。とくに生姜で体が温まりますの」
ショウガ? と味を知らない大狗は首を傾げていた。
ひらっひらでふわふわのパーティードレスを着た紫苑(
jb8416)は夕飯のピザを食べていた。
とろーりもっちりチーズにトマトの香りがよく合う。しかし借り物のドレスなので汚さないかハラハラしていたのはタキシード姿の百目鬼 揺籠(
jb8361)だ。
「……それ食ったらダンスホールにいきますよ、紫苑サン」
「了解でさ」
口一杯にピザを押し込んで頷く。色気のいの字もない。時間が惜しいので百目鬼は紫苑の髪をクラウンのように編み出した。
同時刻。
黙々と和食を口に運ぶ徳重 八雲(
jb9580)は、鳥居ヶ島 壇十郎(
jb8830)からフォアグラ添えのステーキを差し出されても「爺の胃にゃ重すぎる」とキッパリ難色を示した。しかし洋食の皿を差し出す鳥居ヶ島もめげない。
「そうは言うが……孫らに洋食を食いにせがまれた時に困るじゃろ? 早いとこ慣れろ」
これでものんで、と鳥居ヶ島が日本酒を勧める。
一度は「船では酔うから」と断った徳重も、やがて酒を受け取った。
「食事が済んだら着替えといこうか。孫達を待たせる訳にもいかんし」
孫たち改め、貸衣装屋に足を運んだ錣羽 瑠雨(
jb9134)は窓から紅蓮の月を見上げた。
「赤い月は凶兆と言われた頃もありましたけれど、時代は変わるんですのね」
文明の進化は興味深い。
そんな話を呟きながら髪をハーフアップに整えて貰った。薄化粧に赤い薔薇が映えるシャンパンゴールドのワンピースは、スパンコールで輝いている。
「お待たせしました、幸子さま。次は髪をハーフアップに……あら?」
先にピンクのドレスに着替えさせた天童 幸子(
jb8948)の傍に見覚えのある顔が並ぶ。
「えへへ、ゆきこもきらきらなの。あ。きたー!」
「おや」
錣羽の姿を見た徳重は「可愛らしいおひい様だこと」と顔をほころばせた。
「ね? 瑠雨おねーちゃんきらきらしててとってもきれいなのー!」
しかし鳥居ヶ島は渋い顔。
「何か刺し色が足りんな」
言うやいなや、青瑪瑙の髪飾りを選んで錣羽の髪に飾った。
「ほれ、御主の瞳に似た色じゃろ?」
子をあやす事は得意とは言えない。それでも笑顔を届ける事はできる。
次は鳥居ヶ島達が着替える番だ。
更衣室から出てきた二人を見て、錣羽は「ふふー」と笑った。
「八雲おじーちゃま達の洋装もとっても素敵ですのよ!」
笑われたと思ったのか「そうかい、衣装屋の子は随分と頑張って選んでくれたがねぇ」とぼやく。鳥居ヶ島は「いやいや、似合っとるぞ」と横から声を投げた。
「ただ普段の愛想の無い格好から思うとな? その、正直面白……」
徳重の嫌な顔。けれど天童は「おじーちゃんたちもかっこいいの!」と誉め讃えた。
貸衣装屋の更衣室に閉じこもった紅 美夕(
jb2260)は外へ出るのを躊躇っていた。
鏡に映るパステルピンクのドレス、赤い薔薇のブローチにガーネットのアクセサリー、髪型は気合いを入れては見たが、自分で鏡を見ても似合っているとは思えない。
『え? ドレス? 私にはそんなの似合わないと思うよ!』
『そんなことないよ! 美夕、ドレス着て! あたし超見たい! 絶対似合うから』
クアトロシリカ・グラム(
jb8124)との押し問答に負けた。よって着た。しかし。
「うう、クゥちゃん……一応着たけど、やっぱり」
カーテンに隠れて首を出した美夕はクアトロシリカを探した。そしてぽーっと魅入った。
黒のピークドカラーのタキシード。クロスネクタイに銀のカフス。
「……とっても素敵よ、クゥちゃん」
「ふふ、髪もワックスでビシッとね。だけど美夕、すごく可愛い!」
思わず抱きつきたくなる衝動を堪えつつ、クアトロシリカは「行こう!」と手を引いた。
「でも」
「綺麗よ美夕、自信もって。今夜はあたしのお姫様でいてね」
「わ、私なんかがお姫様だなんてそんな……でもそう言ってくれるなら」
今宵はお姫様気分で踊ろう。
船内の通路を歩きながらウィズレー・ブルー(
jb2685)は感動に打ち震えていた。
「素晴らしいですね、この客船。手摺りから戸に至るまで華美を尽くしていながらも、これだけの人数を収容できる造りであり、これは設計者に是非話を……どうしたんです?」
銀のタキシードを着たカルマ・V・ハインリッヒ(
jb3046)は微笑みを返す。
「……いえ、いつも通りだなと思いましてね。さておき、似合ってますよ、ウィズ」
素朴なデザインの蒼いドレスに通行証の赤薔薇ブローチ。
「では、参りましょう」
ハインリッヒの腕に導かれるブルーは緊張気味にダンスホールを眺めた。
「ダンスなんてとても久しぶりです」
「俺もダンスは久しぶりですが、体が覚えているのでリードは大丈夫だと思います。……俺の足を踏まないでくださいよ?」
「あ、はい。大丈夫ですよ、足は踏みません」
銀色と蒼のペアが中央へ進んでいく。
夫婦だからと同じ客室に泊まっていた美森 仁也(
jb2552)と美森 あやか(
jb1451)は殆どの時間を一緒に過ごした。夕食時や貸衣装屋でドレスを選ぶ時も離れない。
「うん、あやかのドレス姿は綺麗だし可愛らしいよ」
「ありがとう。嬉しい……けど、智ちゃん達どこだろう」
だからなのか、依頼に誘ってくれた親友と全く会えていない。広い船内は致し方ないにしても、ダンスホールで話くらい……と思っていたら恐るべき人数に捜索を断念した。
気にはなるが……
星の巡り合わせに頼るしかなさそうだ。
「会えなかったら明日の朝食で誘おうかな」
「それがいい。待っている間に一曲踊ろうか。そうだな……あやかは俺に合わせていれば良いから」
ぽそぽそ気を使って話してくれる。
あやかは「うん、それならできると思う」と頷く。
「では僭越ながら、お手を取っていただけますか? 俺のお姫様」
「喜んで」
クリスタルティアラと真紅のドレスを纏う有栖川 妃奈(
jc0695)は、ダンスホールを行き交う恋人達を夢見心地で眺めていた。誰かに声をかけられても全く気づかない程に。
「いいなぁ〜、素敵〜」
豪奢な内装。華やかなダンスホール。着飾った老若男女たち。
有栖川は護衛として様子を眺めていたが、近くの仲間に持ち場を頼むと、こっそりひと気のない窓辺に移動し、跪いてルビームーンに祈りを捧げた。
『私にもいつか素敵な人が現れますように』
純白のイブニングドレスに身を包んだ深森 木葉(
jb1711)は、黒髪を靡かせてダンスホールへやってきた。着飾った大勢の人々が眩しいけれど、探し人は一人だけ。
『お兄ちゃんとダンスなのですぅ〜。楽しみなのですよぉ〜、お兄ちゃんは一体何処に』
「コノちゃーん」
胸に赤薔薇のブローチを飾った藤井 雪彦(
jb4731)が手を振っていた。
「えへへっ、お兄ちゃん。よろしくなのですよぉ〜、ひゃっ!」
走ってドレスの裾を踏んづけたが、藤井が軽やかに助けた。転ばずに済んで一安心ではあったが、深森は大変な事実に気づいた。身長差だ。とても軽やかに踊る人達と同じ姿勢はできそうにない。しょんぼりした深森の顔を藤井が覗き込む。
「コノちゃん?」
「背丈に差が有りすぎて、ああいうダンスは難しそうなのです。でも、がんばるのですよ」
「あぁ〜、社交ダンスだとバランス悪くみえちゃうかなぁ〜、……でも心配ないって! 任せてよ」
藤井は自信に満ちあふれていた。
『ふっふっふ〜、見せ方なんて沢山あるもんね。さぁ見るがいい! ウチの妹は可愛いかろぉ〜! 今日はマイスイートエンジェルシスターのコノちゃんに、いっぱい喜んでもらうために頑張るぞぉ〜!』
「今日はクリス姉様が殿方役を務められるのですね」
大輪の赤薔薇を思わせるドレスに身を包んだアンジェラ・アップルトン(
ja9940)は、待ち合わせの席にいたクリスティーナ アップルトン(
ja9941)の姿をじっくり見た。
「ええ。今夜は私が殿方役として、踊りの相手を務めますわ。他の殿方に優雅で華麗な本場のダンスの相手が務まるとは思えません。さぁ、アンジェ。私と踊ってくださるかしら」
「勿論ですクリス姉様。エスコートよろしくお願いいたします」
アンジェラのティアラやジュエリーが朝露の如く輝く。
参りましょう、とホールへ躍り出た。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上! ですわ」
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上! です」
流麗な動きのクリスティーナが「英国を思い出しますわね」と囁くと、アンジェラは頷きながら「知人が偶然乗っていたりするかもしれませんね」と返す。
懐かしい空気を思い出すだけで、会話も弾み、気分が高揚する。ぶつかりそうになっても、するりと切り抜けるのが腕の見せ所だ。
「さすがアンジェ。美しさも踊りもパーフェクトですわね」
「姉様ほどではありませんわ」
ピアノの調べに体を委ねる。
髪に花飾りをつけ、真っ赤なドレスを纏う葉月 琴音(
jb8471)は機嫌が悪そうにしていた。しかしそれもナンパを寄せ付けない為のもの。壁際に咲く大輪の薔薇は抱えたスケッチブックを見下ろして暫し考え、荷物を座席に置いた。
いつもは筆談だが、今夜は特別。
『今日は……エスコートしてくれるよね?』
待ち人は部屋で着替えの最中だろうか。そわそわとしながら扉に目を配った。
続々とダンスホールに人が集う。
「どうめきのにーさん、ダンス始まってまさぁ!」
ダンス、ダンス、と気合いを入れてきた紫苑は……周囲の淑やかな女性達を見て、急に背筋を伸ばした。つい先日踊ったばかりだが、ここで必殺技を繰り出してパンツ丸見えになる訳にはいかない。手を引いたが、動かない。
「どうめきのにーさん?」
みれば鳥居ヶ島たちがいる。
覚えのある者たちを発見した百目鬼は気まずそうな顔をした。
「爺ちゃ……壇サンも来てたんですかぃ」
パシャッ、とフラッシュが光った。
鳥居ヶ島は百目鬼達の写真を撮りまくり「儂の居る間にひ孫に会えそうじゃな?」と茶々をいれ始める。隣には着慣れない礼服に身を包んだ徳重がいて「やはり洋装はしっくりこない」等とぼやき、錣羽はくるくる回っていた天童の腰のリボンに赤薔薇のブローチをつけなおしていた。
しかし軽くあしらわれていた。
壁沿いには正装で背筋を正した船員が並んでいた。
一見、客に見えるが……胸に輝く小さなバッジが『ダンスの際にお暇な方は、お声をかけてください』という印である事を告げている。タキシードを着て男装をしている雪之丞(
jb9178)も、暇そうな老婦人に声をかけてエスコート役を務めていた。
「ありがとうね」
老婦人に感謝されつつ、手を振って見送る。窓から赤い月が見えた。
「たまには楽しもうか……次は、と」
白いフリルドレスを着たアルフィーナ・エステル(
jb3702)は歓声をあげた。
「わぁ〜、これがごーかきゃくせん、なのですね!」
『いろんな所がきらきらしてますっ! 舞踏会もすごいのです!』
はっと我に返り、近くの鏡で自分を確認する。淡いピンクの髪飾りは曲がっていないし、胸の薄水色の刺繍も品良く飾られている。
『歪みも汚れも無し、ですね。とりあえず皆さんに挨拶して回るのです! いざ!』
やがてエステルが辿り着いたのは下一結衣香なぢの撃退士一同による壁の花メンツ。
黒いパーティードレスを着た黒神 未来(
jb9907)は落ち着かない。
「うちこんな服着たこと無いんやけど、似合わへんやろ……キャラちゃうし……」
下一結衣香は「そんなことないよー、馬子にも衣装って言葉もあるし」と言って拳を握りしめた。
「なんや照れるわー、って褒め言葉や無いやん!」
「みぞおち!」
重い突っ込みに呻く。
其処へ九鬼 龍磨(
jb8028)が戻ってきた。
羽目を外して酔って倒れた仲間を医務室に運んできたのだ。
「何人か羽目外しすぎだよ、全く」
結衣香が「ははは、おっかえり〜、お疲れ」と手を振る。
「にしてもダンスタイムって暇だね。独り身の悲哀!」
「まー暇潰しに来たけどぼっちじゃあねぇ」
胸元に赤薔薇のブローチを飾った嵯峨野 楓(
ja8257)はネイビーのプリンセスラインドレスを着ていた。勿論、動きやすいように膝丈で、スカートはパニエで膨らませてある。
「結衣香ちゃんだけじゃなく、もしかしてみんなぼっち仲間?」
次々上がる手は親近感を増す。
誘われれば踊るつもりだった嵯峨野が、何かを思いついて結衣香の前に立った。
「そこ行く可憐なレディ、私めと一曲躍りませんか? なーんちって、女同士でも別に構わないっしょ」
「じゃ、喜んで」
様子を見ていた黒神は頬を掻いた。
「誘うのもあり、かぁ……そうやな、お客に紛れてって言われとるし、なんやそれっぽく」
意を決した。スカートの裾を摘んで「踊りましょ?」と隣の九鬼を誘う。
真面目な監視仕事、を心がけていたタキシード姿の九鬼も『明らかに警戒って感じは依頼に反するか』と少しばかり納得して「じゃあ一曲御相手させてもらおうか」と快くエスコートした。
「さて、踊りながら回って反対側に移動するよ。マジックが始まると後方がら空きだし」
「せやね〜」
エステルもまた雪之丞の手を取ってダンスの輪に加わっていく。
「お、みんな踊り出した」
嵯峨野がくるんとヒールの方向を変えて舞台の方へ進んでいく。
「マジックショーあるって聞いたよ、折角だし見よ見よ」
さんせーい、と結衣香がついていく。そしてマジックに魅入る嵯峨野は「あのマジック用の鳩が欲しいなーっていつも思うんだよねー」と言いながら演技を眺めていた。
「皆様、これよりスタジオで世紀のマジックショーを開催いたします……」
賑やかな会場にも響くマイクの音声。
マジックが始まると聞いて、踊っていたブルーがハインリッヒの腕をひく。
「カルマ、カルマ。マジックですって、行きましょう」
「分かりましたから、そんな引っ張らないでください。マジックは逃げません」
無邪気な好奇心は……スタジオの前で瞳を輝かせる子供たちとさして変わらない気がした。
人々はくるくると入れ替わる。
踊り疲れた美夕とクアトロシリカはカップを持って窓辺に向かう。
「あそこからショーが見えそう」
「そうね。クゥちゃんってダンスも得意なの?」
「あたしが踊れるの意外? 練習したに決まってるじゃなーい。美夕と踊りたかったから」
「練習してくれたんだ……ありがとう。クゥちゃんと一緒で、踊ったことのなかったダンスも楽しかった……」
「よかった。偶にはこういうのもいいね」
ぱちん、と片目をつむって見せる。
派手なショーと音楽で賑わう舞踏会のダンスホールの外では、牙撃鉄鳴(
jb5667)が黒いスーツジャケットと革手袋を身につけて冷たい夜風に当たっていた。豪奢な内装も、贅沢な料理も興味が無く、施設を利用しているよりは、と船内の見回りを続けていた。
「ルビームーン、か。あれを面白がる奴もいるんだな」
肩を竦めて歩き出した。
ところでマストの見張り台にはドレス姿の紅と落ち着きのない大狗がいた。
元々はダンスホールにいたのだが、赤薔薇を髪飾りにした紅にナンパが相次ぎ、煩わしさから逃れてきたのだ。真下の会場は賑やかだが、見張り台は肌寒く静けさに満ちている。
「紅月……ふふ、とても素敵な色ですの」
「月も綺麗だけど、鬼姫、とっても綺麗なのにゃ。他の人が放っておかないのも納得なのな〜……それで、えっと、鬼姫、遅くなっちゃったけど……お誕生日おめでとうな?」
大狗の言葉に紅が瞬きを繰り返す。
「……誕生日? そういえば、そんなものもありましたの」
祝う習慣がなかった故か、他人事のように呟く。一方の大狗は慌てながら言葉を探した。
「俺ってば、まだ贈り物とか用意できてなくて……」
借りてきた猫のように縮こまる。
「その言葉だけで、鬼姫は十分嬉しいですの。のとうは大切な友人ですもの」
紅の口元が弧を描いた。大狗が慌てる。
「で……でもでも! 大好きの気持ちを込めて、ちゃんと渡したいのだ。ちゃんとお祝いしたいから、ちょっと待っててほしいのなっ」
「わかりましたの」
楽しみが一つ増えた。
豪華客船の上空では見回りの蛇蝎神 黒龍(
jb3200)が赤い月を見上げていた。真っ赤に染まった月は、見る者を惑わす力が有るような気がする。何故なら腹の底から沸き上がる澱みが身を覆っていくような、呑まれそうな錯覚を覚えるからだ。
「お待たせ」
真下から声が届く。七ツ狩 ヨル(
jb2630)が温かいカフェオレを買ってきた。猫耳のニット帽やマフラー、コートを着ていても空は冷える。赤い月を背負った蛇蝎神の表情が見えない。辺りは暗く静かだった。無反応に首を傾げた七ツ狩の元へ、蛇蝎神が近づく。
「黒?」
頬に一筋の煌めき。
泣いているのだと気づくのに時間を要した。赤い月光で涙が血のようだと思ったのも束の間、唇に温もりを感じる。触れるだけの軽い口づけが雨のように注がれる。
そのまま強く抱きしめられた。
「黒、……どこか痛い?」
不可解な様子に動じない七ツ狩が色々と気を使う。しかし全く泣きやまない。うーん、と頭を悩ませた結果、七ツ狩は自分の持っているカフェオレを思い出した。
『美味しい物を口に入れれば泣き止むかも?』
ぐっ、とカフェオレを呷って蛇蝎神の顔を引き寄せ、強制的に口移しで押し込んだ。
「止まった? 月、綺麗だよ」
無邪気な言葉。
貪るような愛にはまだ遠い。
「皆様、奇跡のマジシャンに盛大な拍手を……」
行われるマジックショーを食い入るように見つめる天童は、興奮気味に喋っていた。
「まじっくすごい! ぱっとなって、ぽーん! なの! おじーちゃんたちもできる?」
天童の無茶ぶりに保護者が困りだす。
しかし。
ワインを飲んでいた百目鬼は「小技とか手品くれぇなら出来ないこともねえですけど」と宣う。
「え! みたいの!」
天童たちが食い入るように見つめる中で、円卓のテーブルクロスが一瞬で引き抜かれた。グラスワインやカラトリーが数センチと動かない。さらに引き抜いたクロスから花束が出現し、ハンカチーフを通したグラスワインはオレンジジュースに変化した。
紫苑は……間近で見ていて見破れないのが悔しいと見える。
「紫苑サンたちが興味あんなら、今度何か教えてあげますね」
百目鬼は小道具をしまいながら時計を見た。既に月食もピークを過ぎ、年若い子を遊ばせるには遅すぎる。百目鬼は流麗な動きで紫苑の手を捉えた。
「どうめきのにーさん、もうひと踊り?」
「いーえ。今日は夜更かし厳禁ですからね。良い機会です、旅行で早寝の癖を付けなせえ」
くるーん、と回して出入り口へ引きずっていく。
紫苑がやっと状況に気づいた。
「まだ眠くないぃいい!」
問答無用で連れられていく。散々抵抗したが、かなうはずもなかった。
近くの席にいた深森も「ふにゃ〜。おねむですぅ……」と言いながら瞼が半分おりていた。
「お疲れさま。ちゃんと楽しめたかな」
「お兄ちゃん、たのしかったのですぅ。ありがとなのですぅ……」
「明日も忙しいし、コノちゃんの部屋まで送るよ」
藤井は深森の頭を撫でた後、ふんわりと抱え上げてダンスホールを出ていく。
色々なショーを眺めた後、ラストダンスを軽やかに踊る燕尾服の黒羽 拓海(
jb7256)は「言い忘れてたが」と天宮 葉月(
jb7258)の耳元に唇を寄せた。
「ドレス似合ってるな。髪型も変えてて、ぐっと大人っぽく見える」
赤薔薇のブローチを胸元に飾った天宮は、赤のイブニングドレスにエメラルドグリーンのイヤリングをしていた。会場入り前は子供っぽく内装にはしゃいでいたが、黒羽が教えた一通りのステップを踏んでいる今は、気品に満ちたレディーと言えた。
天宮が頬を朱に染める。
「ありがとう。こういうのも婚前旅行って言うのかな? でも、一度こういう贅沢すると、新婚旅行をどうするか困っちゃうね」
「ん、そうでもないんじゃないか? 普段行かない土地に大切な相手と行くのは、また違った楽しさがあると思うぞ」
バイオリンの旋律に身を委ねて、ダンスホールの中央で踊りを終えた。
「さて戻……どうした?」
「キス、してほしいな。こういうの憧れてたんだ」
寄り添って瞼を閉じた天宮。今宵の思い出を胸に刻んだ黒羽と天宮の影が溶けあう。
豪華客船は大勢の人々をのせて。
ルビームーンが浮かぶ海を、静かに渡っていった。