●渓流釣り〜アルビノニジマスはいずこ〜
「紅葉が、素敵……」
酒守 夜ヱ香(
jb6073)は初めての釣りに対して準備は万全だ。白い肌を覆う上着は、水色の生地にピンクのラインが入っている。艶やかな黒髪はおさげにし、日焼けしないよう帽子を被った。極めつけはチェック柄のお洒落な長靴。
『釣りって、初めて……風が、気持ちいい』
澄んだ空気で深呼吸ひとつ。酒守の口元が弧を描く。
「夜ヱ香さん、景色のいいところで釣ろう」
二人分の道具を持った志塚 景文(
jb8652)が「足下に気をつけて」と手を差し出す。多くの釣り師は競うことに情熱を燃やしていたが、二人は違った楽しみを選んだ。魚が少なく、人影もあまりない場所を選んで、岩場に腰を下ろした。
早速釣り始める志塚に対して、酒守は巨石の上で腹這いになり、足を気ままに動かした。
浅瀬に泳いできた魚が見える。
「志塚さん……泳いでる……の、可愛い……」
「そうだな。こっちも見てみて」
酒守が、ぼうっと水面を眺めている間に、志塚はニジマスを手早く釣っていた。器用に針を外して、バケツに水を汲んだバケツに話す。傷も少ないニジマスは悠々と泳ぎだした。
「綺麗な色……だね」
「うん、夜ヱ香さんも釣ってみたら? 教えるから」
酒守もやり方を教わる。するとニジマスがすぐにかかった。
「こっちも……綺麗……」
「色もいいし、脂がのってて美味しそうだ」
すると酒守は、きょとん、とした顔で志塚を見上げた。急におろおろして川や仲間を気にし出す。何かおかしい、と気づいた時には「逃がしちゃ、だめ?」と小声で問いかけてきた。酒守はニジマスを食べるとは思っていなかったのだ。
上目遣いにたじろいだ志塚は、結局夕飯に食べるニジマスを一匹ずつだけ持ち帰ることにし、残りは酒守の望み通りキャッチアンドリリースする事を提案した。
浮き足立つ学生達が丁度よさそうな場所を探す。
「たまにはバカンスもええもんやな」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)も釣りを楽しみにしてきた一人だ。
登山服にブーツ。備えはバッチリ。もし針を飲み込んだら物質透過の必殺技だってある。
「何度も釣り堀で釣ってるさかい、川でもそれなりに釣ってみせんとな〜」
周囲を見渡し、釣りに不慣れそうな人の傍に腰を下ろす。
「隣に邪魔するで〜。なんや困ったら手貸すさかい」
気軽に言ってくれ、と隣人への挨拶を済ませて、釣り竿をふった。
対岸にはジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)がいた。
普段のチャラい雰囲気は影を潜め、釣り竿に集中しながらニジマスを狙う。
『全く釣れなくても構わないけど、一人の時間をのんびり釣りで楽しんでもいいかもね』
目指すは霞を食って生きる仙人の如き空虚さ。
自然と一体になれば、ニジマスの警戒も解ける気がする。
「初めての渓流釣りをしながら野外読書、なんてね。僕ぐらいですかねぇ」
普段は映画やテレビ、ゲームに音楽を愛するインドア生活な天羽 伊都(
jb2199)は『デキる男』的な印象を意識してブックカバーの掛かった本を持ちながら竿を降ったが、その手元を見ると……本は本でも漫画本だった。
だからどうだというわけではないが、天羽はニヤニヤが止まらない。
『テレビとかでしか見たことないけど、他の皆さんは面白いように釣れてますね。今を楽しむとしよう!』
時間を贅沢に使って、漫画本を読みながら釣りを嗜む。
なんと優雅で知的な一日だろうか。
上手く釣れたり、大物が連れたら周囲にも見せたい。
「これって、魚拓とかとれるんですかねえ?」
うきうきしながら隣人に声をかける。
下一は「魚拓の取り方は知らないわね、誰かにきく?」と返す。
その奥をよく見ると読書家は一人でなかった。
龍崎海(
ja0565)も魚を釣っていた。
しかし右手で釣り竿を持ち、左手で参考書を器用に捲っているその姿は、どこからどう見ても迫る進級試験の脅迫概念にかられている。
龍崎とて、最初は『息抜き』を意識していた。だから登山に相応しい格好にしたし、釣りに最適な場所も選んだ。環境は整った。完璧だ。
しかし悲しいかな。
人間という生き物は長年培った習慣が抜けない。まさに休みを満喫すべき環境と道具と格好を備えながら、龍崎の頭では『息抜きができそう』『のんびりできる』『息抜きしながら単語帳でも見れば覚えが早いかも』『試験も近いことだし、勉強道具をもっていこう』『実際に釣れるまで参考書だ』という流れるような思考が組み上がっていた。
「龍崎さん、ひいてる、ひいてますから!」
「待ってほしい。もう少しで化学式がとけそうなんだ」
魚が掛かると下一達に知らされていた。
「私の方はサッパリです」
魚が釣れない只野黒子(
ja0049)は岩場に座っていた。疲労が抜けない体でぼんやりと考え事をするには良い日だと思っていた只野は、釣り針をゆっくり引き上げる。
やはり餌だけ持って行かれている。
その時、サァーッと風が吹いた。きんいろの髪が靡き、茜に燃える木の葉が歩吼え御撫でていく。只野は「お先に失礼します」と言い残し、カレーに奮闘する調理場の様子を見に向かう。釣り堀と水場を繋ぐ路は、紅葉の絨毯で鮮やかに染まっていた。
「明日からまた依頼をこなさなければならないのに」
艶やかな自然は悩みを忘れさせてくれる。
転科だとか、今後のこととか、悩みは尽きない。それでも今日くらいは何も考えずにすごしていいかもしれないと思いながら、足下の団栗を拾った。
釣れる者がいれば、当然釣れない者が出る。
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は散々ニジマスに餌だけを啄まれるという状態に苛立ちが募り始めていた。苛立ちというか、焦りや身の置き場がない、あの感覚だ。
釣りを開始したばかりの時、マステリオは興奮気味に周囲に話しかけていた。
『ほほう、突然変異のニジマスですか。釣っちゃったらどうしましょう?』
否、この私が釣らない訳がない。
奇跡よ、カモン!
……という具合にやる気満々だった反動がキツイ。やがてマステリオを落ちつきなく周囲を眺め、石ころを拾ってくると釣り竿を固定した。そして自分はというと持てる能力を行使して……つまるところ水上歩行で手づかみに挑み始めた。当然、魚は逃げる。
「今度こそぉぉぉ」
賑やかな声が聞こえる。
「あらぁ……? ニジマスも気分屋なのねぇ」
黒百合(
ja0422)の手には、ビチビチ跳ねるニジマスがいた。最初から面白いように釣れていたらしく『きゃはァ、良い釣り日和ねぇ』等という歓声が聞こえてきた頃に3匹ほどがバケツの中に蠢いていた。既に5匹目。狭い中で酸欠なのか、激しくうねっている。
「さァて……一旦置いてこないとかしらァ」
釣った成果を見下ろして満足げに微笑んだ黒百合は、その場を手早く綺麗に片づけてニジマス入りバケツを料理班に託すと、今度は籠を持って川沿いに戻った。
「確かこの辺だったわよねェ……あったわァ」
橙色の木苺を摘んで一口ぱくり。
「ん、なかなかだわねぇ……天然素材100パーセントのジャムなんて美味しそうよねェ。パンに付けるのもいいし、クッキーとかケーキにも使えそうだわァ」
早速取りかかる。
「っしゃー、釣りだ釣りだぁ!」
ヒャッハー!
と叫ぶかのように川へ到着した麻生 遊夜(
ja1838)は拳を握る。
「ここらが入れ食いらしいな。と言う訳で、熾烈な第一回釣り大会……開始だぜ!」
異論は認めない。
バケツに川の水を汲んでいたディザイア・シーカー(
jb5989)は「ま、勝負とあらば勝ちに行きますかね」と呟きつつ、久々の渓流釣りを眺めて少し物寂しい気持ちになった。
「こういうのは大勢の方が楽しいもんだし、居残り組が来れなかったのが残念だな」
一方、ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)は釣り大会ときいて準備に入った。
「ん、教えて貰った、通りにやる」
「大丈夫なのか」
「大丈夫、ちゃんと、出来るから……前にやったし、たぶん、大丈夫」
心配されるヒビキに対して、来崎 麻夜(
jb0905)は麻生に挑戦状を叩きつける。
「今日こそは負けないぞー! ふふ、ボクの上達振りを見るが良いよ!」
「見せてもらおうか、麻夜の本気をなぁ! 俺だって全身全霊をかけて釣り上げてやんよ! そうすりゃどっかでアルビノも釣れるだろ」
隣ではシーカーが黙々と石を積み上げて竈を作っていた。そして小さな焚き火台を置く。
『何時でも塩焼きにできるようにしとくか。夜のカレーやらも良いが、せっかくだしな」
来崎は「そういえば」と言って川の中に目を凝らす。
「アルビノニジマスを釣り上げたら持って帰っていいのかな? 食べるより家で飼いたいんだけど」
シーカーは肩を竦めつつ「持ち帰れるか、まずは聞いてみないとな」と言って立ち上がる。来崎もシーカーも、今日来られなかった子達への良い土産になると考えていた。
しかし。かなりの数のニジマスが泳いでいるが、白いニジマスは今のところ見つけられない。アルビノニジマスをつり上げるには、相当量を釣る必要がありそうだ。
「ユーヤ、マヤ」
ヒビキは普通のニジマスを指さす。
「釣ったらお土産分を残して、後は食べるか……お裾分け?」
普段、二十センチ級の魚は一食一匹で充分だ。多くても二匹。それ以上はきっと余る。
麻生は「そうだな」と水面を見た。大きさや数は競争の評価に入れるとしつつも……
「食べきれない分は分けたり土産だな。あいつ等も喜んでくれるだろう。で、アルビノが釣れた場合は無条件で優勝ってことで。逆転の目があった方が楽しいだろう?」
来崎は「確かに、その方がやる気も出そうだねぇ」と唸った。
「数で負けてもアルビノ釣ればいいんだから。まぁ最初から負ける気なんてないけどね」
「上等だ。優勝者には……そうだな、要望を一回叶えてやろう。何でもいいぜ? 出来ることの範囲内なら、な」
「じゃ、優勝できたら膝枕する権利でも貰おうかなー?」
来崎が釣り竿を奮う。膝枕と聞いてヒビキも張り合うように釣り針を垂らす。
二人の頭の中には「甘える」と目標が生まれていた。勿論、負けても甘える気でいたから大した違いはないのだが。
料理へ情熱を傾けていた所、シーカーが戻ってきた。食べきれないなら持ち帰ってもいいらしい。更に無駄にアルビノニジマスについて色々教えられてきたようだ。
「管理人によるとアルビノニジマスの白色は優性遺伝子でアルビノニジマスの子は白……」
「ディは、やり方わかる?」
ヒビキがシーカーに釣り方を教えたくてそわそわしていた。
この一時間後。
アルビノニジマスをつり上げたシーカーが膝枕権利を二人に譲っていた。
木漏れ日は気持ちいい。
だが昼も近づくと太陽は真上に顔を出す。
日傘を持った紅 鬼姫(
ja0444)は「日光が痛いですの」とぼやいていた。
一方、食い気にかられた真野 縁(
ja3294)は、長すぎる髪が地に着かぬよう首に巻いていたので動きにくそうではあったが、それよりも競争の釣りに集中していた。
「うにー! 見よ! 山育ちで養われた釣りの腕前! またつれたよー!」
「すごいのだー!」
万が一、釣れなかったら沢ガニでも捕ろう、と思い詰めていた時の空気はどこかに吹き飛んでいた。
「いっししし! きっとおいしいのだな」
「魚釣り頑張るんだよー! 沢山釣れば沢山食べるんだね!」
拍手を捧げる大狗 のとう(
ja3056)も「俺ってば負けねぇぜ?!」と闘志を燃やす。
狙うは大物。その為には、酒を狙うクマの如き注意力と頑張りが必要だ。
「俺も大漁旗を掲げてやらー! 川のぬしよー出て来いー!」
「元気だな」
影野 恭弥(
ja0018)は黙々と釣り糸を垂らしていた。競うという話だが、ニジマスは飢えているので結構釣れる。黙々と、淡々と、バケツの水の中には小振りなニジマスが増えていく。しかし針を奥まで飲み込んだニジマスから、針を取り除くのが結構難しい。
やがて影野は使い慣れたスペツナズナイフで魚を仕留めることにした。
「こっちの方が取りやすいな。後は網でもあれば」
「鬼姫がとりますわ」
それまで日陰で暑がっていた紅が、無音歩行と水上歩行で川を歩き始めた。ワイヤーを器用に操り、魚を絡め取っていく。
「恭弥には負けませんの」
普通の釣りを放棄したフリーダムな二人。
その様子を見て、大狗と真野がはしゃぐ。
「すげーな、すげーな?! ワイヤー万能だな?!」
「うに?! 鬼姫ちゃんすごいんだね……でも、負けないんだよー!」
何故か。
紅は急に対岸の木苺拾いを始め出す。
賑やかな面々を眺めつつ、影野は焚き火を始めた。
夕飯の前に、新鮮な魚を焼いて味見するくらいの楽しみがあってもいいはずだ。
白タンクトップに迷彩ジャケット。短パンにブーツ。
準備万端の赭々 燈戴(
jc0703)は、何やら明後日の方向を見上げて物思いに耽る。
「ここで釣りかァ……たまには糸を垂らしてのんびりするのもいいかもな。釣りなんかジジィのやるもんだと思っていたが……俺も気付けばジジィだな。いや全然現役だけどよ」
赭々は「コツがいんだろなァ」と泳ぐニジマスを凝視する。
「そんなことないわよ」
釣り場所を変えた下一結衣香が、賑やかな方を指さす。
「結構みんなやる気に溢れてるっぽいわ。ねー、シシーさん」
「もちろん! 釣りは大好きなの。あ、勿論、海釣りも好きよ!」
釣りは格別、と話すシシー・ディディエ(
jb7695)は川のせせらぎに耳を傾けながら、手はてきぱきと動いていた。そして釣りをのんびりと楽しむ。
赭々は「ふむ」と唸った後に銃を構え「こうか!」と撃ち込んだ。思わず下一が叫ぶ。
「違うでしょー! 魚が逃げるわ!」
「あ、間違った。カッハッハ。悪い悪い。気を取り直してっ、と」
赭々は釣り竿を構えた。
今度は静かに時間が流れ始める。
風に揺れる紅葉の森。
木の葉が擦れる音と流水の音、更に鳥の声や獣の気配を感じ取る。
尼ケ辻 夏藍(
jb4509)は「たまには森もいいね。やはり釣りは静かでいい」と瞼を伏せた。ディディエは「偶にはのんびりしないとね」と肩を竦める。
下一が「お疲れ気味?」と皆に問いかける。
尼ケ辻は穏やかな眼差しで「最近は慌ただしい事も多かったし。それはそれで楽しいんだけれども」と返事をした。対してディディエは苦笑いを零す。
「そうね。戦いには、少し疲れたの。例えば……」
言いながら釣り糸の方へ視線を向けた。
「私に出来る事は、一体なんなのか……って。無力は嫌。でも、それも仕方ないのかも知れない。そういえば結衣香さんも何か考え込んでたみたいだけど、きいても……平気?」
「あーうん、いいけど、皆には別に大したことじゃないよ」
下一は肩を竦める。
ディディエは瞳を覗き込んだ。
「やっぱり無力に……戦いに……自分に、がっかり……しているの?」
「違うともいえるし、そうとも言えるわ」
やりとりを眺めていた尼ケ辻は少し考え込んだ。
「下一君。もし気が向いたらの話だけど、話してみたらどうかな」
「ほへ?」
「恐らく欲しい答えを私は所持していないだろうから特別助言というのは難しいかもしれないけれど、ただ空気に話しかけるよりは、胸のつっかえがとれるかもしれないしね」
下一は「そーねぇ」と生返事しつつ、自分の頭を指さす。
「コレ、どう思う?」
じっと見た尼ケ辻が「若白髪?」と答え、ディディエは「逆プリン?」と返した。
下一結衣香の頭髪は一見真っ黒だったが、根本は茶色から銀に近い色をしていた。
「だよねー。これね、バイトの為に黒く染めてんの。目もカラーコンタクトレンズ。うち、母さんが日本人じゃないんだよね」
「え、ええ!?」
「もとは英国。母さん、昔追われてて日本まで逃げて亡命したの。今だこっちの言葉はカタコトしか喋れなくて、私の稼ぎも母さんの生活費になってて。撃退士になったのも防衛手段って感じでさ。いつまでこの逃亡生活続くんだろー、って考えたら先が見えなくて」
つらつらと、とりとめもなく喋る。
母子が何に追われているか。
自衛の為に撃退士なった、という話で答えは明白だ。
相手は天魔なのだろう。
仮にも悪魔である尼ケ辻は絶句してしまい、天使ハーフである赭々は黙ってしまった。
理由や相手が何であれ、話が複雑そうだ。
ディディエは沈んだ横顔を見ていて元気付けようと立ち上がる。
「でも、今日は釣りでハッスルだわ! 良く釣れるもの、楽しまないと! 結衣香さんも一緒に、ね!」
軽くウィンクしたディディエに「そーね」と下一は釣り糸をひいた。ニジマスが釣れた。
「結衣香さんのニジマスも大物ね! 次に狙うはやっぱり、アルビノニジマスよ! 釣り大好き人間として燃えるわ! 私は必ず釣り上げる!」
赭々も便乗した。
「ほぅら、うまくできた。さすが俺。これは結衣香たちの教え方が上手いからだな!」
その横で……尼ケ辻が静かに白いニジマスを釣り上げ、羨望の眼差しを浴びていた。
●戦え、食事を食べるために
「ニジマス釣りしてカレーして……ええ感じやね!」
自分で釣ったニジマス入りバケツ。
魚の処理は後、とした黒神 未来(
jb9907)はカレー作りに勤しむべく荷物を漁る。
『この前見たカレー大好きっこもおるし、うちが珍しいカレーを作ったろ!』
どばーん、と取り出した食材はなんと緑の物体。
キュウリ。
「うちが作るカレーはキュウリのカレーや! 知ってる? ある地方のご当地カレーなんやで? あ、信じてないやろ、これがおいしいんやって言ってた! まかせとき!」
謎のカレーを作るべく鍋に向かう黒神。
もしかしたら美味しいのかも知れない。
しかぁし!
ご当地で延々作ってきたならまだしも……縁もゆかりもない者が作り方もうろ覚えな地方料理を、行き当たりばったりで作り出すのは無茶である。
「……ん。カレーと。聞いて。私。参上」
最上 憐(
jb1522)が、にょ、と首を出した。
最上にとってカレーは飲み物。
一日一食は食わねば気が済まないものだ。
様子を見ていた黄昏ひりょ(
jb3452)が名簿を眺める。
「か、カレー……俺大好きだけど、全部それじゃないよね」
量がない。
『今回のメンツ、いくら作っても足りないんじゃないかと思えて仕方がないな』
黄昏は拳を握った。
「よし、せっかくだし分担しながら気合入れて作ろう! みんなで協力すれば色んなものが作れるはず! 友達から色々聞いてきたし……」
最上が「……ん。味見。しようか? 毒味も。するよ?」とちょろちょろまとわりつく。
どうみても料理の手伝いより味見が目的だった。
未知のカレーに腹ぺこ最上。
『た、魂のカレーだけは、死守します!』
青空に死守を誓った黒井 明斗(
jb0525)はひと味違った。
調理場の策士とも言えるかもしれない。
破天荒な料理の誕生を防ぐ……のはとっくの昔に諦めた黒井は、皆の食事を可能な限り守る為に大鍋を五つに分けていた。これだけの人数だ。複数の鍋があったってあやしまれまい。五つの大鍋のうち、三つには『大辛味付け』『辛口味付け』『中辛味付け』のフダが貼られ、残り二つはいわば『好きにしろ鍋』と『味見兼賄いよう鍋』にしていた。
黄昏は辛口カレーの準備を始める。
「食べ物は美味しく食べれる範囲が一番! 無難な料理は、確かに目立つことは無いかもだが、素朴さも時にはいいものさ。みんな疲れているだろうし、塩味の強い方がいいのかな」
進む準備を見ていた神ヶ島 鈴歌(
jb9935)が黒井に尋ねた。
「甘口はつくらないんですかぁ〜」
「カレーで甘口? 子供じゃあるまいし、この鍋は中辛です」
「そうですかぁ〜? では〜、こちらは辛いのが苦手さん向けを作りましょうかぁ〜」
話す間も、釣り上げられたニジマスは調理場へ運ばれる。
魚を見ていた神ヶ島はカレーの鍋を振り返った。
「お魚……ということはぁ〜、ここはシーフードカレーですぅ〜」
人数を鑑みて、カレー鍋は複数有る。
そのうちの一つがシーフードカレーに決まった。
海鮮焼きそばの装備が、ナチュラルにカレー用の野菜を切っていたまな板へ移動する。
イカさん、エビさん、ホタテさん、と歌いながら手際よく刻んでいく。
「大自然の中でシーフードカレーとは幸せなのですぅ〜」
すでに飴色に炒めた玉葱も準備万端。
人参やジャガイモも一口サイズにカット済み。
「隠し味のこれを入れて〜、完成させるですぅ〜」
隠し味に用意したのは粗挽きの珈琲だったのだが、黒井も同じ隠し味だったらしい。
「分かります、コクが増すんですよね」
一体どんな種類の珈琲がより美味しいか、という話をしながら、珈琲をいれた。
「はい。美味しくなってくださいなぁ〜」
そしてお約束のように現れた最上が「……ん。カレー。試飲するよ?」と言い出すので「まだだめですぅ〜」と食べられないように目を光らせていなければならなかった。策士黒井が味見魔人専用鍋を、そっと差し出す。カレーで最上ホイホイ作戦だ。
「こちらをどうぞ、薄味なので夕食にはだしません」
「……ん。回収? 失敗品も。回収するよ。私の。胃に」
カレーの危機が去った。
もくもくと燃える焚き火。
カレーの煮込みを神ヶ島に任せた黒井は、飯盒でご飯を炊くことにした。
よく燃える松ぼっくり等を拾い集めていると季節を感じる。
『流石、紅葉の季節ですね。山で英気を養うにはもってこいです』
ブルーのチェック柄のシャツが風に揺れる。
暇になって焼きそば作りを始めた黄昏も、鉄板で野菜を炒めながら秋の山を見上げた。
「夕飯が楽しみだな。楽しい時間、過ごせるといいな」
ソースの焦げる香りが周囲に漂う。
皆の笑顔がみれるといい。
●楽しい夕食のひとときを
皆の皿にあつあつのカレー。
配膳は調理を担当した神ヶ島や黒井達だ。
「あつあつができましたぁ〜、完成なのですぅ〜」
「食べたい鍋の前に並んでください。おかわりはありますので焦らずどうぞ」
そして黒神は……オリジナリティ溢れるキュウリ煮込みカレーを斡旋していた。
「ほら、みんな食べてみぃ!」
一歩引く者もいれば、変わり種を求める猛者もいる。
「……ん。五臓六腑に。染み渡る。良い喉越し」
味のコメントはない。最上は全く動じることなくキュウリカレーを食べていた。
「……ん。カレーは。飲み物。飲料。飲む物。おかわり」
一方。
尼ケ辻は焼けたばかりの塩焼きニジマスを配っていく。
「お土産にするより、新鮮且つ焼きたてなうちに食べた方が美味しいと思うよ」
「あらぁ、ありがとう」
一通り受け取った黒百合が席に着き、塩焼きに囓りついた。
「最初はどれだけニジマスが釣れる楽しみだったけどぉ、食べる楽しみは格別ねぇ」
至福。
という表情だが、塩たっぷりの皮は兎も角、骨も焙ってバリバリ囓っている。
志塚と酒守は夏期講習や釣りの話をしながら塩焼きのニジマスを食べていた。
「ご馳走、様……志塚さん」
「ん? なに?」
「また……遊ぼう、ね」
愛らしい微笑みに魅入られた志塚は、爽やかな微笑みで返事を返した。
麻生、ヒビキ、シーカー、来崎はつり上げた魚を食べて楽しんでいた。
「釣った後の塩焼きほど美味いもんはないな。いい余暇だった」
麻生の言葉に「本当に良い日だなぁ」とシーカーが呟く。
「良い天気に良い空気、美味い食い物と……悪くないな」
来崎はシーカーが釣ったアルビノニジマスを持ち帰る為に、バケツの水の入れ替えを行い、ヒビキは釣りの合間に摘んだ木苺を栗鼠みたく美味しそうに食べていた。
紅達もニジマスの塩焼きを作っていた。
影野がナイフで捌いた魚を串に刺して、大量の塩をつけてゆっくり焙る。その間に紅がアルミホイルで木苺のパンケーキやジャムを作っていた。尤もこれは、紅が食べるものではない。真野は既製品の月見団子を人数分に分け、大狗は……月が見える場所で場所取りをしていた。
「……うーん、月が饅頭に見えてきたのだ。甘いものが食べたいのにゃあ」
「そういうと思ったのですわ」
紅が木苺ケーキの包みを渡す。影野は三人分の魚と食事、真野は団子を差し出した。
「いただきまーす」
がぶがぶと豪快に食べる真野と大狗、影野は大ぶりのニジマスを囓りながら紅を見た。
木苺のジャムを溶かして香りをつけた紅茶だけを楽しんでいた。
「こんなに美味いのに……鬼姫は食えないんだよな。もったいない」
再び紅から妙な視線が向けられる。
紅は自ら名乗る割に、名前で呼ばれる事を好まなかった。ことある事に『紅さん』と周囲に呼ばせようと奮闘している様子だが、一度浸透した呼び方はそう変わらないのだろう。
微妙な空気を真野と大狗が破る。
「星も綺麗なんだね!」
「とくに月がすげぇ綺麗なのなー、月に兎が居るって昔の人が言ってたのもわかるな。あの影、兎の耳に見えるのだ」
「月の兎……のとう、他国では蟹や獅子や少女に見えるそうですの。ですので望めばきっと、想いが映りますの」
人差し指をたてながら、紅は雑学を披露した。真野も続く。
「中国の方だと、兎が餅つきじゃなくて不老不死の薬の材料を手杵で打って粉にしているそうなんだよ。それで……」
四人の団欒は長く続いた。
皆が食事を終えた頃、屋根の上で魚をつまみに一杯やっていたシュバイツァーが降りてきた。
「ふぃ〜、たまにはこんなバカンスも楽しいもんやな〜、お、ジェラやーん」
「ゼロぽんの声?」
シュバイツァーはジェラルドを発見して「ナンパをしにいこうよ」と誘った。
やがて無駄に輝くジェラルド達が、暇そうな女の子に声をかける。
「ね、一緒に遊ぼうよ! 理由? 星とキミが綺麗だから、でいいじゃない?」
片隅では皆に料理を配っていた神ヶ島達が食事にありついていた。
「ふふふ〜、いただきますぅ〜」
その後方では、黒井が黙々と皆の皿を回収して洗い始めていた。
肌寒い夜に輝くフルムーンの下で。
骨休めの一日は終わりを告げた。