深夜0時。
童話の中で姫君が帰る頃に七花の宴が始まる。
●宴の席は華やかであれ
みんなで乾杯の後は自由に過ごせる、というのが肩がこらなくて良い。
漆黒のタキシードに身を包んだ百目鬼 揺籠(
jb8361)は、薄紫のポケットチーフが飾られた胸ポケット……ではなくてベストのポケットから銀の懐中時計を取り出した。
既に深夜0時を過ぎている。
『本来なら……ガキはとっくに寝てる時間ですよね』
深夜に始まる七花の宴。百目鬼の隣には、レース素材を多用したひらっひらのドレスを着た幼い紫苑(
jb8416)がいた。見るからに山と積まれた食事に興味を引かれている。
「ぱーてぃー! 百目鬼の兄さん! あれ! ごはんいっぱい! めっさ楽しそうでさ!」
ぐいぐいひっぱる。
余りにも無邪気なので……百目鬼は小言も言わずに肩を落とす。
今日は甘やかすと決めていた。
『……ったく、今日だけですよ。ともかく寝潰れそうになったら、どうにかおぶって』
百目鬼の思考がとまった。じっと視線が一カ所に注がれる。
さらさらと風に靡くアメジスト色の髪。
「兄さん、いかねぇなら、お先にいきますよぅ」
一歩踏み出した紫苑の襟首を「待ちなせぇ」と掴んだ。ごふ、と変な声が聞こえる。
「兄さん、服がのびます! もー、なんなんでさぁ」
「髪は?」
質問の意図が通じない紫苑が「……へ?」と首を傾げると、百目鬼は煙管を置いて櫛を取り出した。
「紫苑サン。こんな時くれぇ洒落込まねぇでどうすんですか。花も握りしめたまんまじゃ萎れますぜ。さぁ、座った座った! 五分、いや……三分で決着をつけますから」
俺はカップ麺ですかぃ、と突っ込む暇もなく。
紫苑が近くの椅子に腰掛ける。
百目鬼は驚くほど器用にアメジスト色の髪をまとめ上げ、近くの飾りから調達した金のリボンでまとめ上げた。更に紫苑が持っていた七花を、簪や髪飾り代わりにして仕上げる。
「はい。しまいです」
「は〜、相変わらず器用ですねぃ。どうです。ちっとは妖精みてぇに見えますかぃ」
紫苑が立ち上がって翼をひろげ、くるりと回っても、まるでぶれない。出来映えに頷いた百目鬼は櫛を片づけて、左手を差し出す。
「足元にお気をつけくださいね、お姫様」
●戦乙女と妖精の夜
ジェラルディン・オブライエン(
jb1653)は早速、食前酒の黄色いグラスを傾ける。
「甘酸っぱくて飲みやすいですね。というかこれは完全に飲みすぎ注意です」
既に酔っぱらう予告。
黄色く丸いベリーから作る甘酸っぱいホロムイイチゴ酒は、口当たりが滑らかだ。苺酒を口に入れた体は、ぽかぽかと体の芯から温かく感じる。今夜は食事が進みそうだ。
『なんとファンタジックなイベント。しかし、なんでしょう。こういう衣装で身を飾ると、なんかこう、ドキドキします……これが一種の変身願望というものなのでしょうか』
首を捻る。
今のオブライエンは白いロングドレスを着ていた。薄絹のショールを羽織り、エルフを彷彿とさせるように銀細工のイヤージュエリーで尖っているように見せている。モチーフが童話の『薔薇の花の精』に出てくる妖精だと分かるように、真紅の薔薇を一輪添えて。
赤いドレスを纏うよりも、白い衣装が赤い薔薇を際だたせる。
美術館の英国展では中世の本格的な外出用ドレスだったが、今日は派手とは一線を画する清楚な感じだ。なによりあの時は見せ物だったが、今夜は違う。
「んー、ジェラルディンったらやっぱり可愛い!」
「アティーヤ」
アティーヤ・ミランダがオブライエンに抱きついた。
『ジェラルディンもコスプレの快感に目覚めてきてるようだねー。いいことだ』
ミランダは戦乙女の衣装を着ていた。実際の甲冑ではないが、光沢を放つ厚手の布地は月光に煌めき、腰から下はひらひらとしたスカートがついている。オブライエンは唸った。
『むう……しかし、アティーヤの衣装のセンスは素晴らしいです。こういう特別な時はこう、特別な衣装を着るというのも……なんかいいです。うん、異世界みたいな』
ふいにミランダが嚔を一つ。
「んー、夜遅くだけあって冷えますね。折角だしー、いっちゃおっかな。本格的には踊れないけどー」
「下一さんみたいに、くるくる回ってるだけでも楽しそうですね」
二人はグラスを置いて踊りの中に混じっていく。
●妖精の王子様とお姫様
乾杯した鈴木千早(
ja0203)は青い瞳を細めた。
美しく着飾った人々、ガーデンに咲き乱れる花々、そして見上げた頭上に銀の月。
「素敵な会、ですの、ね。まるで……魔法に、掛かった……気分」
傍らから聞こえた声の主を一瞥する。
ふんわりした微笑みの横顔が愛おしい。
アメジストの様に煌めく髪、まぁるい瞳は蜜蝋色のフルムーン。
普段は見慣れた苑邑花月(
ja0830)の姿が『今夜は少し違って見える』と鈴木は思った。
『花月さんが、ドレス姿、だから?』
苑邑のドレスは一般的に花嫁が身に纏うウエディングドレスとそう変わらない。レモンイエローのプリンセスラインドレスは、カスケードフリルがふんだんにあしらわれ、ピンクや赤の小花が賑やかな豪奢なものだった。
何よりも目を引くのは、ティアラのように飾った七種類の花。
『きっと……それだけでは、ないけれど……俺が傍に居ても良いの、かな』
ふと気づくと、苑邑も鈴木を見ていた。ノリの聞いた白いシャツにネクタイ、ベストにタキシードを着て、白手袋をはめた鈴木は、月を背負うと印象が変わる。闇に溶ける黒真珠の髪とアイスブルーの瞳のコントラストは苑邑にとって……
「まるで……王子様、のようです、わ……」
桜色の唇から零れた言葉に、鈴木は柔らかく微笑み返す。
「俺が、王子様なら、花月さんは、姫、ですね」
「ひ、め?」
「はい。今は俺だけの姫……と言うと、一寸した驕り……かも知れないですけれど」
視線を逸らして頬を掻く鈴木に、苑邑が小声ながらハッキリと言葉を返す。
「……千早さん、は……いつも、花月、の王子様、ですけれ、ど」
静寂が満ちた。互いの胸に灯る熱。
肌は肌寒いのに心は温かい。まるで魔法の言葉だ。
やがて二人は夜の温室散策に出かけた。ふたりっきりの時間を過ごす為に。
●青薔薇と赤薔薇の淑女
香辛料で香り高く、赤ワインに浮かぶレモンのスライスが暖かいグリューワインに華を添える。肌寒い夜風にさらされた肌が、ささやかな温もりで温まっていく。
「いー香り。フィオナもどう?」
「はひ」
「そんなに緊張したり驚かなくたっていいじゃない。折角姉妹みたいにドレスやメイクもお揃いにしたんだから、みんなに見せびらかすべきでしょ!」
「ええー? い、いえ別に……あ、ちょっと」
落ち着きのないフィオナ・アルマイヤーの手を引くブルームーン(
jb7506)は蒼き薔薇のロングドレスを着ていた。蒼薔薇といえば『奇跡』の花言葉で知られている。一方のアルマイヤーは目が冴えるような緋色のロングドレスだ。情熱を示す赤は今宵の催しにぴったりとも言える。
会場に咲き誇る二輪の花。赤と青の淑女たち。
『ふふふ、超可愛い私と一緒に出るなら、同じく可愛いコに飾らないと……って頑張った甲斐あったわよねー。ドレスアップの誘いは狙い通りだったわー』
上機嫌なブルームーンに対して、アルマイヤーは今一気恥ずかしさが抜けない。
『う、いつの間にか口車に乗せられてドレスまで着ていましたが……普段の格好と違いすぎて裾を踏まないか心配です! こんな華やかなドレスで転んだら末代までの恥!』
アルマイヤーの葛藤を知ってか、しらずか。
青の令嬢は踊るような足取りでダンスの中央に進んでいく。
「フィオナ! ダンスの列に加わるわよ!」
「ダンスの経験なんて殆どないんですけど、転んだらドレスが、あの、ちょっ」
「だーいじょうぶよー。知ってる? 社交ダンスって、リードをする男性の腕前に左右されるのよ。素人だからとか関係ないの」
ブルームンは内心『第一、私のペアとなるっていうのに無様なことにはさせないわ!』とエスコートに燃えていた。目指すは会場一の花形だ。
「こうして体の側面をつけて、相手に合わせて体重移動させるだけ。ワルツは8小節の繰り返しよ。ゆっくり教えるから、私についてくれば大丈夫。まずは右足から」
ひらん、とドレスの裾が舞う。
「私が押したら足を下げて、横についてきて」
颯爽と踊りの中へ入っていく。
「顔を上げて、私ではなく外を見て。ボックス、ジグザグに動いて、チェック、トゥ、ナチュラルターン、ロックターン……」
赤と青のワルツが始まる。
●ダンスと拍手と
身長差萌え。
という単語が世間にあるが、身長182センチと身長114センチでは結構な違いがある。踊り出した下一達を見た紫苑は「えーがのお姫さまはみんなしてるやつ!」と興奮して食い入るように見ていた。踊ったことのある百目鬼が「教えましょうかい?」と言ってきたので素直に教わるものの……
「王子さまのコシが曲がりすぎじゃねぇですかね」
身長差故にとれる動きは限られる。
それでもケタケタと陽気に笑う紫苑は楽しそうだった。百目鬼が少し考えを巡らせる。
「そうは言いますがね、紫苑サン。こういう身長差だからこそデキる技ってぇのがあるんですよ」
言うやいなや紫苑の体が浮いた。
自らの体を回転軸にした百目鬼が、紫苑を横に一回転させて地に下ろした。
一瞬の空中浮遊だ。
「ふおおお! 兄さんすげぇでさ! もう一回!」
「マジですかぃ」
『楽しそうなのはいいですけど……今の技、考えてみると周囲にパンツ丸見えでしたねぇ』
百目鬼が周囲を見た。女性しかいない。拍手してる。
まあいいか、と結論付けた。
●温室の花々よりも
男性の差し出した腕に、女性は手を重ねる。
異国ならばいざ知らず、慣れないエスコートというものは緊張する。ましてやエスコートをしてくれている紳士が、付き合い始めた彼氏で、且つ元々潔癖性のきらいがあると分かっていると……気遣いが身にしみて分かるというもの。
「ガーデンの花も、光に揺れて綺麗ですね」
鈴木の言葉に苑邑は頷く。
「花々、も……まるで魔法、に掛かっているようですわ、ね」
昼間の温室も美しいが真夜中は別の顔だ。そしてそれは傍らの鈴木にも当てはまる。
「はい。でも……花月さんには、どの花も負けてしまいますね」
ぽっと頬が薄紅に染まる。
大好きな人と一緒に過ごす時間。
礼服越しに伝わる体温、目も眩むほどの幸せを苑邑達は感じた。
苑邑が見上げた白皙の横顔。
ちょっとだけ、つま先で立てば届く距離。
「千早さん」
「はい」
振り返ろうとした鈴木の頬に、ふんわりした熱の感触。
頬にキスされた事を鈴木が理解して驚いた時には、苑邑は苺並に顔を赤くして口元を押さえていた。熱に浮かされたような、夜の魔法にかかったような、一瞬の出来事だった。
赤面した苑邑は必死に言い訳を考えて、気づくと別の言葉が先に出ていた。
「……か、花月……の王子様、ダンス、をお願いしても……宜しいでしょうか?」
温室を一周して、広場では結衣香達が踊っていた。
我に返った鈴木がダンスホールと苑邑を見比べる。
『ダンスの誘い……俺の方からすべき、だったかな。じゃあ、せめて』
「姫、お手をどうぞ」
鈴木が再び差し出した手に、苑邑は掌を重ねた。
鈴木と苑邑が、くるくると踊っていく。共に花のような笑顔だった。
『何時でも、こう在りたい。 何時までも、花月さんの側で……』
『本当……に、魔法のよう。千早さん……大好き、です』
見つめ合う二人に言葉はいらなかった。
●踊りのあとに
白ドレスの赤薔薇姫な妖精改めオブライエンをエスコートして席へ戻ったワルキュリアなミランダは、ずいと皿を差し出した。銀のナイフやフォークも勿論かかせない。
「さあ、食べるぞー。他のお酒もあるみたいだしー。どこからいこっかなー」
「そうですね、食べましょう! 色々あるようでどれも美味しそう」
オブライエンも嬉々として食事を皿に盛りつけながら我に返る。
「はっ!」
「どーしたの」
「夜にこんなに食べるなんて! きっと太……い、一日くらい大丈夫ですよね?」
体重増加なんて未来は頭の中から弾き出した。
●美味しい夢と焦がれた花
豪華な食事は心を満たす。
「紫苑サン。手ぇ届きますかぃ? 取ってやりますから食べたいの仰ってください」
「大丈夫! それより兄さんこれうめぇでさ! はい!」
子供に遠慮の文字はない。
ズイと差し出された銀のスプーンには、溶かしバターをたっぷりしみこませたミルク粥パイがのっていた。濃厚な蜂蜜酒を口にしていた百目鬼が、一瞬目が点に成りつつもパイを頂く。普段和食ばかり食べていると食べ慣れない味に驚かされる。
「バターの味。へぇ、変わった食いもんもいっぱいありますね」
そして酒をごくりと一口。
「兄さんはそんなお酒ばっかり飲んでたら、すぐ酔っぱらですぜ」
「……少し飲み過ぎましたかねぇ」
「じゃあ、散歩にいきますかぃ? ちっとは酔い覚ましになりまさ!」
皿を置いた紫苑が百目鬼の手を引いた。
「ヨルガオは時間的に今咲く時間なんですぜ! フジバカマ、キキョー、ハギ、ナデシコ……日本の秋の七草も、しっとりしてて良くねぇですかぃ」
「花なんかその辺に生えてるもんじゃねぇですか。まぁ悪くはねぇですが」
植物園という概念が理解しがたい百目鬼に対して、紫苑はこの上なく楽しそうだ。
紫苑は手鞠のように弾んだ声で話し続け、百目鬼は双眸を細めた。
この少女は、いつまで隣を歩いてくれるだろう。
髪が伸びて、四肢がすらりと伸びた、花の乙女に成る頃は……
『……ああ、らしくねぇな。本当に飲み過ぎた』
記憶の古傷が痛む。
思い出すのは、凍てついた眼差し。
遠い昔に想いを寄せた娘を、今でも忘れられない自分に気づいた。
「兄さん、目がぁ」
目がどうした、と視線を向けると「開かねぇです」と目を擦っていた。
「そろっとしまいですね。戻って支度しますか。途中で目ぇ冴えても、もう出歩くんじゃァねぇですよ。ガキは寝る時間ですからねぇ」
おぶってもらった紫苑が、ぷくっと頬を膨らませる。
「またガキだガキだと。今はこんなでも、すぐに花みてぇに育って咲くようになりまさ! 覚悟しときなせぇ!」
「はいはい」
七花の夜の口論は、数年後に持ち越される事になった。
七花の夢が運ぶ、異国の伝説。
食べて、
飲んで、
踊って、
笑って、
眠くなったら夢の中へ出かけよう。
きっと運命のあの人に出会えるかもしれないから。