デジタルカメラを手にした嵯峨野 楓(
ja8257)が館内の賑わいを見渡す。
「結衣香ちゃんはアルバイターだなぁ。今回はお客さんとして楽しませて貰お」
「あら、あなたも下一さんに誘われた口です?」
ひらりと揺れる白レースのトップスに花柄クロップドパンツ。
桜ノ本 和葉(
jb3792)が嵯峨野に声をかけた。
二人は誘い主の話をしながら歩いていく。
目指す先にはトリックアートの展示会だ。
入場直後は眠そうな顔をしていた白いワンピース姿のキョウカ(
jb8351)も、不思議空間で遊び始めると「すごいの、いっぱいだよ」と興奮気味にぴょんぴょん跳ねる。
「わあ! しーた、すごい、なの! ふぁうじーた、みてみて!」
キョウカが大声で呼ぶ相手は、保護者兼カメラ係のファウスト(
jb8866)。
隣に立つ紫苑(
jb8416)は、ぷるぷる震えながら階段絵の空気椅子に挑む。
「……おれできる、おれぁできる子、ふおおぉおぉお、ファウじーちゃ、はやく!」
デジタルカメラを構えて、必死の空気椅子をぱしゃりと一枚。
次はキョウカが何もない額縁の裏に回る。
「ふぁうじーた、とってー! びじつかん、とってもとってもおもしろい、なのーっ! いっぱい、おもしろいおしゃしんとって、にーたやおともだちにもみせたい、だよ?」
「我輩が沢山撮るから心配するな」
キョウカ達同様にファウストも普通の格好はしているものの、黒系で統一された衣類に恐ろしげな目つきは異様に目立つ。ファウストは美術品に感心しながら、キョウカ達が楽しそうにはしゃぐ光景をデジタルカメラに焼きつけていた。
『悪くない光景だな。トリックアートとは、人間の性質を知らなければできない物だ。故に興味深い。自身を含め、様々な事柄を知ろうと探究する人間の姿勢は好ましいことだ』
しかし浸ってもいられない。
元気溌剌のキョウカ達から目が離せない。
「びじつかん、きらきらで、とってもすごい、なの! ねー! つぎの、かがみのおへやはにんじゃになったみたい、だよ? ふぁうじーた、はやくー!」
そして入場門の辺りから一向に動かないのが、造形物大好きのウィズレー・ブルー(
jb2685)と茶飲み友達ことカルマ・V・ハインリッヒ(
jb3046)だ。まず最初に階段の壁画に感心して空気椅子を繰り返し、次は額縁の裏に回って絵画のふりをし、歪んだ部屋に入って巨人と小人になってみたり。
「カルマ、人の子はここまでの技術を手に入れているのですね!」
「ええウィズ」
カルマの返事は何処か虚ろだ。というのも錯覚を応用した美術展を見ていると、つい昔の自分なら戦いに応用したかも知れない……と今は無意味なことを考える。
「これは本当に凄いですね……あれ、ウィズ?」
隣にいたはずのウィズレーがいない。
すると。
「すごいです、すごいです、カルマ! 目がおいかけてきますよ、こっちからこっちまで」
探し人はスカートを翻して落ち尽きなく歩き回る。
カルマは背中を見失わないようにするのが大変だった。中には繊細なトリックアートもあって、思わず手を伸ばそうとするヴィズレーに「これは触ってはいけない品物です」とプレートを示し、追いかけ、制止し、実際は鑑賞よりヴィズレーの捕獲を繰り返す。
「……俺も随分と慣れましたね、この行動」
「カールマー! 手が届きませーん!」
つま先立ちで天井から落ちてきそうな教卓に触ろうとしている誰かさんが見えた。
逆さ教室の片隅では、紫苑が逆さまの椅子に座る方法を悩み続け、翼で飛んで逆さまになる大作戦を決行しようとしてファウストに止められていた。
教室の角では嵯峨野と桜ノ本がデジタルカメラで必死に撮影している。
「マンションの壁でティータイムも素敵だけど、ここってイラストの参考資料になりそうだよね」
「最初、下一さんから話を聞いた時、何かの参考になるかもって思ったけれど。夜っていうのもいいわよね。嵯峨野さん、記念写真とか取ってみない?」
逆さ教室から出てきた天谷悠里(
ja0115)は、シルヴィア・エインズワース(
ja4157)の腕にしがみついていた。それはさながら震える小動物。
「深夜の学校みたいで、なんか怖いぃ……シ、シルヴィアさーん!」
「もう過ぎましたよ、ユウリ。次は歩けるプールだとか」
扉を開けたエインズワースが微笑む。
「……いいですね、涼しげな場所です」
皆がプールの上を歩いている。眠気も吹き飛んだ天谷が「なにこのプール!?」とはしゃぐ隣で、沈着冷静なエインズワースが屈み、右手を水面に差し入れる。沈んだ指先が行き着いたのは冷たい硝子だ。
「……ははぁ、なるほど。ガラスだか鏡だかが仕込まれているのですか」
「シルヴィアさん、すごーい」
天谷がパチパチと拍手をした後、皆と同じように靴を脱いで一歩踏み出す。
「おー、すごーい、なんか水の上歩けてる! きもちいい! つめたいです〜!」
童心にかえって走り回る天谷をエインズワースは微笑ましく眺めていた。
『ユウリはさっそくですか。 驚いたり喜んだりする様が可愛らし……おや』
エインズワースは視界の隅に何かが動くのをみた。吸い寄せられるように壁を触ると、一カ所が軽く沈んで開く。
「なんでしょうね、隠し通路?」
隠し扉を潜って闇の果てにのびる階段を下っていく。すると急に群青の世界が広がった。
「……うん? ああ、なるほど、プールの下に」
子供が真上を走っていく。ひらりと軽やかに歩く娘と目があった。
「……目が合ってしまいましたねぇ、ユウリ。って、聞こえてませんね、どうしたものか」
一方、プールの上で水遊びをしていた天谷は大慌てだった。自分の影ではなく、見覚えのある影が真下で動いている。
「な、なんでシルヴィアさん、下に……って、ええええっ!」
慌ててスカートを抑えた。
「イロイロ丸見えじゃん! は、恥ずかしぃ……シルヴィアさん、どうやってそこに!?」
しかし天谷の声は別室のエインズワースに届いていない。
涼しいプールでは騒ぐ者達の姿が多い。
「ぷーるは、キョーカがぜんぜんしずまない、なのっ! ね、しーた。しーた?」
「キョーカ、したになにかいるぞ」
隠し扉を見つけられない者も多い。
様子を見ていたウィズレーも早速プールに足をつけ……ようとして、カルマに首根っこを掴まれた。
「このプールは強化ガラスが貼ってあるようです。下に行った方が面白いらしい」
と壁の解説を述べる。するとヴィズレーは瞳を輝かせて「それなら早く下に行きましょう、カルマ」と袖を引いてきた。なんとかスカート姿のヴィズレーを阻止して一安心。
かくして下階へ続く、隠し扉探索の旅が始まる。
「すっごく楽しそう。ちょっと歩いてみますか」
桜ノ本がプールに降りた。嵯峨野も続く。
「ふふーん。暑いし丁度良いよねー、普通、水上歩行なんて忍軍じゃなきゃできないし」
白地に花柄のセーラーワンピを着た嵯峨野も歌を口ずさみながらプールの上を歩いていた。ぱしゃりと浅い水面から現れるのはリボン付きの真新しいサンダル。
「軽くワルツなんて踊っちゃえば、気分は水の妖精ウンディーネってね! ……ん?」
水面の向こうに自分でないものがいることに、嵯峨野は漸く気づいた。
「水中に人……じゃない!? は! ちょ、見んなー!」
真下の者達は呑気に手を振ってくる。
声が届いていないようだ。
真下に人がいる事に気づいて慌てる嵯峨野達を、飛び込み台の上に座ったユエ(
jb2506)が面白そうに眺めていた。黒の長めの袖とタートルネック、そして黒のパンツ姿という真っ黒具合なので、明るい色のプールではとても目立つ。
「人間って、こういう変な物を作るから大好きだよ」
「変な物じゃなくてトリックアートだよー?」
「ふーん? これなんて、作ったって何の得にもならないのにねぇ? まあ、それでもこういう事を楽しもうっていうのが面白いって話さ。邪魔したね」
ひらりと身を翻す。
歩けるプールから出てきた礼野 智美(
ja3600)がデジタルカメラの写真を確認し直す。
「何だか、互いが互いの影になってみているだったな」
「そうですね」
水の膜を挟んでいるような不思議な感覚を思い出す。
真上に礼野が立ち、水屋 優多(
ja7279)は隠し扉を見つけて真下に立った。
『……スカート履くような人じゃなくて良かったです』
水屋は礼野を見た。
半袖の縮緬素材のシャツに麻のズボンとジャケット。凛々しい装いだ。
一方の水野は半袖の開襟シャツにズボン。細いリボンで髪を纏めている。
視線を感じた礼野は水屋を一瞥した。
今夜の来館は水屋の誘い。
毎日依頼で飛び回り、行き違いも重なって、一緒に出かけるのは実に一ヶ月以上ぶりだと気づく。こうして一緒に並んでいると、他人からは恋人同士のように見えるだろう。
『少し嬉しい、かも』
「どうかしました?」
「なんでもない」
礼野は売店で買い込んだ軽食持って、斜めの鏡の下に座った。横から見ると今にも倒れそうな大鏡だが、その下に座ると自分たちがマンションの外壁を登っているように見えた。
「絵なんか見るのは好きじゃないけど……こういう触れる展示は楽しいよな」
デジタルカメラを構えて、ぱしゃりと一枚撮影した。
水屋はほっと胸をなで下ろしつつ「そうですね」と微笑み返す。
『楽しんでもらえているなら良かった』
残る水屋の悩みは……外見的男女逆転。つまるところ周囲の視線であった。
大鏡の前にきたブルームーン(
jb7506)が「疲れたし、休憩よ休憩」と声を投げた。
グリーンアイス(
jb3053)が壁の注意書きに目を留める。
「ここでの飲食はご自由に、だってさー。腰掛けてご飯かな」
がっさがさとビニール袋を漁ると、片手で食べられるトルティーヤやおにぎりが顔を出した。程良い出っ張りに腰掛けで、夜食をぱくり。
「深夜のご飯の背徳感はヤバいねー」
館内が明るいので錯覚しがちだが、只今草木も眠る丑三つ時である。
もっしゃもしゃと食べる姿にフィオナ・アルマイヤー(
ja9370)が呆れる。
「……少しは大鏡を見上げて観賞してみては?」
『まったく、このふたり、普通に鑑賞できないのですか』
「鏡は鏡だし、今はお弁当……じゃない、お夜食が優先でしょ」
「それにしても美術館なのですし、少しくらい感想を言うなりしてもいいと思いませんか」
「えー?」
元々グリーンアイスは最初『チケットもらったはいいけどさ。……美術館ねぇ。面白いの?』と半信半疑だった。一方のブルームーンはぶっちゃけ『自分がお嬢様路線で売っている』事の裏付けを探していたのであって美術品などどうでもよく『美術品を見るハイソな私』に浸ってみたかっただけ、なのだが二人に誘われたアルマイヤーは、そんな裏事情は露ほども知らない。ブルームーンが話題を切り返す。
「フィオナはどうなんです?」
「そうですね。例えば、さっきの歩けるプールもなかなか良かったではないですか。私など調子に乗って水の中を歩いてしまって、少々足を冷やしてしまいましたが……」
くどくどと説教じみた感想を喋るアルマイヤー。
しかぁし!
鏡に目もくれないグリーンアイスは「そういえばさ」とブルームーン達に話題をふる。
「さっきの歩けるプール、下の隠し部屋からプールを歩いてる人が丸見えだったよねー」
「……は?」
アルマイヤーの手から箸が転がり落ちたのを見てブルームンが満面の笑みを向ける。
「うふふっ、さっきのプール、下からのぞくと丸見えなのは気づいてた? って気づくわけないわねー、フィオナは隠し扉見つけられなかったみたいだしぃ?」
「プールの下に行くと下着丸見え!? なっ、ちょっと、それどういうこと!?」
グリーンアイスは驚愕しているアルマイヤーを手招きして小声で一言。
「フィオナってさ、あーいうのはいてるんだ?」
更にブルームーンが忍び寄って追撃する。
「フィオナってば、センスがいまいちお嬢ちゃんなのねー。どうする? 今度選んであげようかしら?」
下着を見られた事を確信したアルマイヤーは、こちーんと氷像の様に固まってしまった。滅多にない機会に少し勇気を出して、普段の実用一本槍の服装ではなく愛らしいスカートを選んだことが完全に仇となった。
やがて館内に特別展の案内が幾度も響き渡る。
トリックアート特別展の来場の皆様を案内するのは、礼服姿の鷺谷 明(
ja0776)達だ。
「ようこそ諸君。芸術とはね、作者の思想だ。だから私達は作者の生き様を知ることでその奥に潜むものを知ることが出来る。予習はしてきた。解説は任せたまえ」
さぁいこう、と鷺谷が中へ誘導する。
深夜二時を回ると、天谷は眠たそうに瞼を擦る。ごつ、と躓いた。
「大丈夫ですか、ユウリ」
「ふあ〜今更ですがトリックアートって三次元じゃ絶対再現できない階段の絵みたいなアレ? ……えっ、ビミョーに違う?」
エインズワースは「色々ありますが」と言いつつ闇の中を見渡す。
「……いやまあ、暗い所で胸像絵画の類がこちらを見ているのは、落ち着かない光景ではありますが。おや? 彫像の台座が空っぽですね?」
果たして像はどこへ消えたのだろう。
設置忘れ?
いいや、そんな訳がない。
一方、特別展に入場した直後の紫苑は盛大にびくついていた。
「きょ、キョーカにファウじーちゃも、手ぇはなしちゃだめですからねぃ。こうしてれば、こわくねーでさ、なんかあったときまもれねぇでしょ」
頼もしい発言だが震えている。
一方、誰かさんは撃沈寸前。
「キョウカ、我輩のところにこい」
眠くて仕方がないキョウカが「あい」と短く返事をして歩いていく。キョウカを抱き上げたファウストは、寝落ちたキョウカの代わりに紫苑へ手を差し出した。
「怖いなら我輩に捕まってろ」
「は!? び、びびってねーでさ! ちょっとぶきみなだけで!」
よく言う、と思いつつ強がる紫苑についていく。
紫苑は案内人を見失わないように必死だった。
ところかわって此方は絵画の役者。
民衆を導く自由の女神となった雫(
ja1894)は絵画の姿勢のまま停止していた。
『同じ姿勢を保ち続けるのは案外辛いものですね』
どっちかっていうと大変なのは踏み台になっている人間達である。
しかし動かない。動いてはいけない。別に多少動く分には問題ないと言われているが、動きまくっていたら面白さがない。ぞろぞろとやってくる観客に気づいて、疲れた顔を真剣な顔に切り替える。そして通り過ぎた辺りで、強烈な殺気を放ってみた。
『振り向きなさい! ふりむくのです! さあ!』
百戦錬磨の仲間は殺気にスルー。
いっそマナー違反のお客がいたらパパパパンと空砲を打ち込めて楽なのに。
同じく役者の飛鷹 蓮(
jb3429)は重々しくも豪奢な衣装に身を包み、ジャン=ピエール・フランク作のナポレオンに扮していた。ひと目をひく姿だが、内心はかなり焦っている。
『……まずい。このポーズをしてみて気づいたが、結構キツイ態勢だ。最後まで持つのだろうか……。いや、やりきらねばなるまい。ミュージアムの為に!』
これは仕事である。
そして観客は目と鼻の先にいる。
しかし時々、ナポ公様の首が、カクンとゆれる。
屋内なので忘れそうになるが、今は睡魔に襲われる時間だ。
「……は。見られて、ないよな。……目薬をさしたいが……涙が流れたらまずいだろうか」
えーいままよ、とばかりに持参の目薬をさすナポレオンは思わず周囲の笑いを誘う。
薄暗いスポットライトに照らされたラファエロ・サンツィオ作「大公の聖母」の処には、赤子の人形を抱いて穏やかに微笑む天ヶ瀬 紗雪(
ja7147)がいた。
『夜の美術館わくわくなのです。その一枚になれるなんて素敵ですね……あ、きましたわ』
完璧な衣装に、完璧な化粧。
麗しの聖母に魅入る観客たち。
しかし誰かが「綺麗」と一言発した途端、聖母は身じろぎした。
「ねぇ……この子、可愛いかしら?」
なんか言ってるー!
と後ずさった観客に向かって身を乗り出す。
「このテンションの低い顔……どれもそうなの、にこりとも描かれず悟りきったような顔で……本当はもっと愛らしいのよ……確かに突然ガブちゃんに告知されて授かったけど、神の子だけど……でも……」
「ぽ」
「……ぽ?」
「ポマードオォォォォ!」
対口裂け女の呪文を唱えながら少年は走り去った。
そして大作といえば真珠・ホワイトオデット(
jb9318)達が扮するレオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』主と十二使徒……であるはずなのだが、両手を広げた主の前には真珠の好みで牛丼やかき氷をはじめとした明らかにおかしな料理が混ざっている。
「『はっきりいっておく』」
ギャラリーが集まった処で真珠が朗々としゃべり出した。
「『あなたがたのうちの一人が、私をうらぎろうとしている』にゃー!」
真珠はうっかり「にゃー」をつけてしまったが、この際そんな些細な事はどうでもよろしい。真ん中らへんにいるけれど、意味深な人物改めヨハネなエルナ ヴァーレ(
ja8327)が囁く。
「『主よ、それは誰のことですか?』」
「『わたしがパン切れを浸して与える者だ』にゃー! さあ食べるにゃー!」
パンをのせたハンバーグを観客にずいと差し出す。
裏切り者役は観客か、と察した途端に眼帯を前髪で隠したヴァーレが更に勧誘を開始。
「牛丼、うな丼、かつ丼、親子丼、海鮮丼、天丼、もう一回遊◎るドン!」
聞き覚えのある発言はもはやセリフでなかったが、どこからともなく取り出した割り箸をパキィィンと割って差し出す。
「さぁ、真珠ちゃん……じゃない、主のお膳から好きな最後の晩餐を選びなさい!」
すると徐に食卓の端にいたバルトロマイな夏木 夕乃(
ja9092)が立ち上がり、食卓の蝋燭を増やし始めた。ポッポッポッ、と火がついていくと不気味さが増す。さらに先ほどから夏木がもしゃもしゃ咀嚼していた物体がみえる。
それは弁当だった。
より正確に言うと脂ぎった『豚足』に他ならない。思わず凝視した観客に「あ、たべる?」とナチュラルに差し出していた。
「あら、あらあらあら、楽しそうだわ」
突然加わる謎の女の声。聖母役の天ヶ瀬が額縁から抜け出し、ひたひたと歩いて晩餐の隅に加わった。更には「ワインを樽ごと下さいな」と宣う。
「おお、悲鳴が聞こえるでござるな」
舞台裏では淡雪(
jb9211)と橘 樹(
jb3833)が着替えに忙しい。
鼻歌でずいずいずっころばしを歌う二人の担当する画題は雫と同じドラクロワ作「民衆を導く自由の女神」である。交代時間が差し迫っていた。
「変わった内容でござるな! わくわくするでござるよ! おお? これは樹殿の女神衣装でござるな。男の娘故のチラリズム胸板なふくらみをどうするか」
無駄なこだわりを披露しつつ、樹に女神衣装を手渡した。
ひらっひらの衣装と国旗を持った樹は「こ、これは結構きついの」と困惑を隠せない。ひとまずメイクをしてカツラを被り、特殊メイクを施す。
「見られると恥ずかしいからの。ほむ……こんなものか」
「樹殿、素敵でござるぞ! さて拙者は寝転がっている役を……」
淡雪が男物の衣装に手をかけた瞬間、どばーん、と更衣室の扉が開く。
「何事でござるか!」
「銃持ちが下痢で早退しましたぁぁぁ! 誰か、誰か死体役から……は!」
淡雪、急遽役割変更。凛々しく変貌した淡雪が羨ましい。
「おお、淡雪殿。格好いいんだの!」
だがしかし。
『大鏡で確認したものの……わし、銃を突き付けられた男の娘にしかみえない、つらい』
最終確認の末に、第二幕が上がった舞台では女神樹の斜め後ろで銃を掲げる男装淡雪が歓喜の表情を浮かべていた。
『拙者、ナマの男の娘をかぶりつきで見れるとは思わなかったでござるよ! これはおじいさまに良い土産話ができたでござる!』
一方、樹は情熱的で生き生きした眼差しに首を傾げつつ、ヤケになって腕を突き上げた。
「うおおおお自由をこの手にいいいい!」
桜ノ本は額縁の中に佇む怪異たちに感心しつつ「そういえば」と嵯峨野達を振り返る。
「魔法の映画で絵が動くとかあったけど、ホントに見れるとは思わなかった!」
「たしか展示品が夜になると動く、って映画もあったよね」
嵯峨野がわくわくしながら特別展を見て回る。
「そういえば下一さん、どこにいるのかしら」
桜ノ本が周囲を見渡す。しかし途中で美形半裸男子が怪物に襲われている銅像を発見してしまい、脳裏に筋肉の動き改め均衡のとれた肢体を焼きつけていた。腐腐腐な絵のネタには欠かせない。
やがて一枚の絵画の前で嵯峨野が立ち止まった。
「みーっけ。モナリザちゃんに差し入れだよー」
桜ノ本も前へ来た。
「モナリザさん、誘ってくれてありがと。疲れてそうだし、ドリンクの差入れです」
モナリザ結衣香に対して、嵯峨野がコンビニお握りを、桜ノ本がペットボトルを差し出す。すると組んでいた手が、にょきっと動いて、おにぎりをつかみ、ペットボトルを抱きかかえて元の姿勢をした。一言も発しないが、非常にシュールだ。
ウインクを嵯峨野と桜ノ本に返す。
「どういたしましてー。世にも奇妙なコンビニおにぎりを持つモナリザ完成だねー」
「ふふっ、冷えている内にのんでくださいね」
するとペットボトルを牛乳でものむように呷るふりをするモナリザ結衣香がいた。
鷺谷が賑やかな観客達を眺めて「ふむ」と唸る。
「夏だしありきたりな怪談話でもしてあげよう。夏と言えばホラーだろう? 例にも漏れず、この美術館にも噂があってね。なに、ありきたりな話さ。さっき抜けた特別展。過去何人か行方不明者が出たらしい」
「えぇ!? ……あ、もしかしてそういう演出、とか」
「ふふ。行方不明の彼らは身も心も芸術となり、夜な夜な美術館を徘徊する、だそうだ。つまらない話だろう?」
変化をといた鷺谷は、全く異なる格好で立っていた。
鈍い光沢を放つ肌は金属のようで、まさに消えた銅像だった。
「どうしたね」
「ひぎゃあああああああああああああああああああああああ!」
響く雄叫び。
恐がりな若者達が逃げ出していく。肝の据わっている者は平然としていたが、後方から動く銅像を見た紫苑は……ファウストにしがみついてぶるぶる震えていた。
怪異の出歩く真夜中の美術館。
不思議な時間が過ぎていく。