仕事を終えたセレス・ダリエ(
ja0189)は「ふー」と声を出さずに息を吐いて、魔女の隠れ家の扉を潜った。
仕事終わりの夕飯を作る前に、まずは備え付けのケトルでお湯を沸かす。
一見、インテリアに見えるが、英国から取り寄せたアウトドア用品で、ポットの下に作られた空間に小枝や松ぼっくりをいれて火をつけると、パチパチと燃えてお湯が沸く優れものだ。ちいさな竈、小さな煙突、大きな鍋でも自在鍵にかけると、まるで魔女が薬草を煮ているような雰囲気が味わえる。
ダリエはゆっくりとお湯が沸くのを待って、もってきた茶葉でとっておきのオレンジペコーを淹れた。木製のカップに注いで、夏らしく丸い氷を浮かべてみる。
お茶菓子は、黒髪の友人が焼いてくれたクッキー。
「……やっぱり美味しい」
心が温かくなる。
「誰かの為に、何かを作ると……魔法が掛かって美味しくなる、でしたか」
この薫り高いお茶を披露する予定だった、此処にいない人。
本当は一緒にツリーハウスへ宿泊するはずだったが、急用で来れなくなったらしかった。申し訳なさそうな顔をした相手は、朝早くつくったというクッキーを、お詫びの印にもたせてくれた。
「これもきっと魔法ですね……この家の雰囲気みたいに……」
メルヘンチックで不思議なひととき。
紅茶だけでは得られなかったもの。
『帰ったら、魔法使いにお礼を言わなくては。あの人の魔法は、何時でも心地良くて……大好きだから』
摩訶不思議な魔女の隠れ家で、氷がカランと音を立てた。
誰にも邪魔されることのない感悦の時間。
というと何かおこりそうな気もするのだが「デート、だー!」と遠慮なく叫いではしゃぐウェル・ウィアードテイル(
jb7094)に色気のいの字は皆無だった。しかし一緒の旅行は修学旅行以来であるから、幽樂 駿鬼(
ja8060)もウェルの様子を見て一安心。
『幸せそうだな。此処に来られて良かった』
泊まりがけのデートは、やはり楽しくなくては。
ひと目がないのをいいことに、ウェルは幽樂にぺったりくっついていた。
割り当てられた魔女の隠れ家は日陰だった事もあって、温度も一定。暑くもなく寒くもない。カウンターで食べる夕食を、あーんと食べさせあったりしても、なぁんにも恥ずかしくない。
見ているのはお互いだけ。
満ち足りた時間だ。
「ウェルちゃん、しあわせー……」
「それはよかった」
食後は二人で洗い物をして、竈の火の始末をしてから寝室にあがる。幽樂もウェルの様子を察して、お姫様だっこで部屋に向かった。真っ黒い内装なのに、沢山の星が光っている。ゆっくり下ろされたウェルは、寝台の上をごろごろ転がった。
まるで子供だが、たまには童心にかえるのもいいかもしれない。
日常を忘れさせてくれる部屋に、二人は寝ころんだ。
「どうした、ウェル」
じー、と幽樂を見ている。そわそわしている。
目は口ほどに物をいう。
「こっちこいよ」
ぽふぽふと布団を叩くと、ウェルは表情を輝かせて幽樂の懐におさまった。
頭を撫でて貰い、ぎゅっと抱きしめてもらう。
大好きな相手の鼓動が分かる。
とくん。
とくん。
とくん。
とくん。
「ふに……駿鬼さん……」
とろん、とした眼差しが、そのまま瞼の奥に消えた。子供の相手や仕事で疲れた後だ。仕方があるまい。無防備な寝顔。隣に寝るという悪戯をするつもりだった幽樂は苦笑いを零して、そのまま瞼を閉じた。
二人仲良く、夢の中だ。
子供の相手で疲れきった新柴 櫂也(
jb3860)は、ぱちっと目を覚ました。
なんだかゆらゆらしている。
起きあがって、茜色の景色にぼーっと魅入った。
「そうだ、木の上だった」
新柴は常日頃から木の上で昼寝をする習慣があったが、現在いるのはツリーハウス『渡り鳥の宮殿』だ。ちょっと強めの風が吹いただけで、ぎしぎしと小さく揺れる。ある者には怖いかも知れない揺れは、新柴にとっては心地よい眠りを誘うものだった。
「鳥の気分ってこんなかな……やばいな、極楽だ」
浪漫にして憧れのツリーハウス。
何もしたくなくなる。
青いTシャツに短パン、パーカーというラフな格好で、涼しい夏風を堪能しながら虫に刺される心配すらないと言う、この幸せ。思わず二度寝を決め込もうとした新柴は、大事なことを思い出した。料理手伝いの余り物を氷と一緒に置いたままだった。
太陽はそろそろ沈み、月が光り始めている。
早くゴンドラの夜遊びに備えなければ。
食事も手早く終えていたスピネル・クリムゾン(
jb7168)とウィル・アッシュフィールド(
jb3048)は、魔女の隠れ家の寝室にあがって、湖面に煌めく夕日が山の向こうに落ちていくのを眺めていた。
青く澄み渡っていた空が、燃えるような緋色に変わり、藍色の闇と蜜蝋色の月を連れてくる。
最期に残るのは満天の星空。
「キラキラ綺麗ー……ふゃ? ウィルちゃん、元気ない? だいじょぶ?」
「……あぁ……いや、そんな事は……そうだな、少し」
寝室から星を眺めていたアッシュフィールドの横顔が、何処か疲れているように見える……クリムゾンはそう感じていた。ちょっとでも元気になって欲しい、悩み事を忘れて過ごして貰いたい。散々どうすればいいのか悩んだクリムゾンは、アッシュフィールドの手を強く引いた。
「スピネル?」
「ウィルちゃん、横になって。お膝の枕してあげる。きっと凄くいい眺めよ!」
無邪気な微笑みに戸惑いつつ、気恥ずかしさと葛藤したアッシュフィールドは「そう、だな」と呟いて、ごろりと横になった。確かによく見える。華奢な指先が、灰色の髪を梳いた。撫でるようにゆっくりと、整えていく。
絹のような指触りだった。
「ねー、ウィルちゃん。こうした方が、お星様綺麗に見える?」
「あぁ……だが、今は君の方がよく見える、スピネル」
桃色の髪に隠れた頬が、ボッと赤くなった。
一緒に居られるだけでも嬉しいのに、見つめ合っていると胸が温かくなる。
「んぅ……んとね、ウィルちゃん、ウィルちゃん、お願いしても、いーい?」
何かを言いあぐねているクリムゾンに「なんだ?」と尋ねた。
「ね、ね……手、繋ご? ……ぎゅって、して?」
躊躇いがちに手をかざす。
ちょっとでも構わない。長く傍にいたい気持ちを体温にこめて延ばした手を、アッシュフィールドは受け止めた。腹の上に置いていた手を伸ばして、骨張ったゆびを絡める。
「こうで、いいか?」
「う、うん。……えへへ、ありがとう」
幸せそうな微笑みだった。絡めた手を頬に引きよせ、体温を感じる。
朝なんていらない。
このまま時が止まればいいのに。
魔女の隠れ家は外観もさることながら、内装も粗雑ではなくきちんとそれっぽく仕上げてある。あれこれ見て回ったブリギッタ・アルブランシェ(
jb1393)が「……へぇ、意外とちゃんとしてるのね」と感心した。
具体的にどうかというと。
たとえば階段は節くれだった枝を並べて飴色に塗り上げ、違和感が出ない程度に調度品が整えられたアンティーク調の凝った造りなのだ。あえて年季の入った色合いの内装や備品は、全て統一されているのだから驚かされる。扉の中にいると、そこがツリーハウスとは到底思えないのだが、螺旋状の階段を構成する支柱の木が、生きている巨木であることを教えてくれる。
「さて、と……まずはご飯かしら?」
アルブランシェがアレクシア(
jb1635)を振り返った。
二人とも仕事の疲れで倒れそうだ。
「まずは夕飯の支度だな。なにがいい? 凝ったものは難しいが……」
「ねぇ、レア。レアのご飯も食べたいけど、どうせなら一緒に何か作らない?」
そして。
流れる微妙な静寂。
「……できるのか?」
「だ、大丈夫よ! 練習は……してる、もの」
目が泳ぐアルブランシェを見て、アレクシアが肩をすくめた。
「そうだな。折角だし、偶にはリッタと一緒に作って食べようか。後ろから手取り足取りで教えるからさ」
アルブランシェが若干悔しそうな顔をした。
しかし一緒に料理をして、且つ、手ほどきも受けられると言うことでアルブランシェはやる気をみせた。エプロンに三角巾、きっちりと手を洗って、手始めに野菜を切る。
「いいか。包丁の握りは、こう。具材を押さえるのは猫の手で」
「こ、こう?」
「そうそう、力を入れずに。すっと手前にひいて、ゆっくりと」
かくしてアレクシアの徹底指導のもと、夕飯ができあがった。
小さなバーカウンターに並べると不思議だ。
それだけで雰囲気が出る。
アルブランシェは何やら上機嫌で荷物を探り、なんと赤ワインの小瓶を取り出した。
「リッタ、それ昼間の仕事の調味料だろ」
「余ったっていうから、夕食の料理で使わせてくださいって言っただけー」
ちなみに。
カウンターに赤ワインを使う料理はひとつもない。
「折角バーカウンターがあるんだし、何かおさけで乾杯しようと……」
「没収。お酒はオトナになってから、な」
赤ワインが撤収され、代わりにオレンジジュースの缶が二本置かれた。
やむをえない。
「あぁ、はいはい、みせーねんですよー」
野望が阻止されたアルブランシェの様子に苦笑いしつつ、アレクシアは乾杯した。
二人で作った料理でお腹も心もいっぱいになった二人が寝室に行ってみると、室内は蛍光塗料で描かれた星が美しく輝いていた。
もちろん、窓の外の世界もみえる。
こういう部屋は変わっているのかも知れないけれど、嫌いではないと二人は思った。
「結構好きかも」
「良かったな。眠くなるまで、話すか」
「そーね、すぐに寝ちゃうのはもったいない気がするし、色々お喋りしましょ?」
「ここんところ忙しくて、なかなか遊びにもいけなかったからな。今日は仕事もあったとはいえ、久しぶりにゆっくりできて嬉しいよ」
暫く賑やかに話していて、不意にアルブランシェが、ぺふぺふと布団を叩いた。
「なんだ。蜘蛛でもいたか?」
「そーじゃなくて。……こ、コッチ来なさいよ」
「そっちに来いって?」
驚きの提案だが、ふたりっきりだから、という環境もあるのだろう。誰も見ていないし、聞いてもいない。思い切った言葉にアレクシアは従った。二人が寄り添う。
「リッタ」
「なによ」
「抱きしめて、良いか?」
アルブランシェは「すきにすれば」と言いつつも、ころりと懐に潜り込んだ。
魔女の隠れ家へ到着早々、ぽーいと荷物を放り投げて鍵を閉めたままだった寝室。
そこへやっと足を踏み入れたシルヴィア・エインズワース(
ja4157)は「おやおや」と室内を見渡す。
「外は緑だらけでしたが、ここは青と黒ばかりですね」
「うーん、寝室がシックな感じで、なんかドキドキ」
にょき、と横から顔を出したのは相部屋になった天谷悠里(
ja0115)だ。
『よくお泊りはしてるけど、リゾート地で……なんて初めて、わー、こういうところもあるんだ』
二人は薄暗い魔女の隠れ家に、その程度の印象しか抱いていなかった。
最初は。
日も暮れて、夕食も済ませ、一階のカウンターで和やかなひとときを過ごした後、時間の感覚がよく分からなくなった二人は、梟の声が聞こえてきた頃合いにパジャマに着替えて二階の寝室に上がった。
そして呆然とした。部屋が光っている。
「なにこれ……って、蛍光塗料? 全部? 光るの!? シルヴィアさん」
振り返る。
エインズワースはさほど驚いてはいなかった。
「いやはや。夜の景色も、都会のネオン類とは無縁の静かで暗い……と思ったら、部屋の中が光るのですか。眩しいわけではないですし、 面白いですし、変わってはいますが……365日ずーっと見続けていると疲れそうですね。ま、一晩くらいはいいでしょう、寝ますよ、ユウリ」
「はーい」
ころん、と転がる。
流れる夜風は蒸し暑さも遠ざけていく。
「ちょっと変わった部屋ですけど、涼しいですねー、シルヴィアさん。快適快適」
ごろごろ過ごす天谷はまるで子犬か妹のようだ。
「そうですねぇ、最近はクーラーの除湿や冷房に頼りがちなシーズンですが、夜風もなかなかに心地よい」
「夏休みにこういうところに泊まるなんて……小学校の時の林間学校みたい……です」
くかー、と寝落ちた。
「……おや、眠ってしまいましたか? きっと疲れたのでしょう。おやすみなさい」
タオルケットをかけて、エインズワースも眠りについた。
普段、家で食べているものは全て店で買ってきたものが主食なんだ、と。
水無瀬 快晴(
jb0745)がうち明けた。
ある意味、それが切っ掛けだったのかもしれない。
ツリーハウスへの感動もそこそこに、華桜りりか(
jb6883)が夕食を振る舞うことになった。
真っ白くてふわふわのパンに挟むのは、塩味のきいたハム、しゃきしゃきのレタス、甘みの強いフルーツトマトに、瑞々しい胡瓜、そして丁寧に裂いた蒸し鶏だ。ポテトサラダは芋を潰すのが大変だったけれど、生クリームをまぜたり、難度も味見をして調整した。デザートは苺やバナナ、ブルーベリーにチョコを付けて冷やした物を出した。
時間はかかったけれど綺麗にできた。
夕食を並べて、華桜がおずおずと喋り出す。
「えと……チョコ以外のものは、きちんと作った事がなくて、大丈夫……です?」
料理の様子をのんびりみていた水無瀬が手を伸ばす。
「……うん、サンドイッチもサラダも凄く美味しい。甘すぎるのは苦手だけど、デザートがこれならだいじょぶそう」
華桜の表情が華やぐ。
チョコレートは、甘すぎるのが苦手な水無瀬のために、特別配合のものをもってきたのだ。
努力が報われた華桜が頬を染めつつ、昼間のお仕事の話に花を咲かせる。
楽しい食事の時間の後は、今宵の宿へと登った。
けれど途中で華桜が足を止めた。
「どうしたの、りりか。忘れ物?」
「あの……えと……んと、ゆらゆらしていて……す、すこしこわいの、です」
ふにゃ、と幼い表情が崩れた。
足場は高い。しかも三種類の中で、最も揺れを感じるツリーハウスを選んだ。
水無瀬が通路を引き返し、足がすくんでしまった華桜を抱きしめる。
「だいじょぶ、だいじょぶ、怖くないよ?」
一緒に行こうね、と抱きしめて頭を撫でながら寝室へ動いた。通路と違って、部屋はふかふかのクッションが敷き詰められているし、風通しも良く、心地よい。
「わぁ……森の匂いが、するの、です」
ふいに風が吹いた。ぎし、と渡り鳥の宮殿が揺れる。
水無瀬に飛びついた華桜は、一瞬落ちるのではないかと心配してしまったが、ツリーハウスは頑丈だった。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
まるで水面を泳ぐ船のような不思議な心地だ。
窓から蚊帳の外を覗くと、沢山のツリーハウスの窓から光が溢れている。
まるで御伽噺の妖精の住処だ。
「きれい……つりーはうすって、すごいの、です。えへへ」
ご機嫌が戻ったらしい。
水無瀬にぴったりと寄り添って、微笑む。
「……今日は、カイさんと一緒に……おやすみなさいなの、です」
「うん、一緒に寝ようね」
手を繋いだまま、早い睡魔に身を委ねる。
疲れ果てて魔女の隠れ家に戻ってきた穂原多門(
ja0895)に対して、巫 桜華(
jb1163)は元気が有り余っていた。
「昼間は大変だったケド楽しかったデスね、多門サン」
既にホームの風呂を借りて汗を流し、着替えも済ませた二人は、あとは夕飯を食べて寝室でゴロゴロするだけだった。
やっと訪れた自由時間。
肩の力を抜いた穂原がカウンターの椅子に腰掛けたのに対し、チャイナ風チュニックにサブリナパンツ、エスニックサンダル姿の巫はひらりとエプロンをはためかせ、じゃがいものおやき作りを開始する。
「このツリーハウス、秘密基地、みたいで素敵ですネ!」
「ああそうだな。不思議な家だ」
「お仕事しっかりお勤めしましたシ、ふたりでのんびりしまショウね!」
「ああ……あ?」
ぼへー、とエプロン姿に見取れていた穂原は、急に我に返った。
『……いや、え、おいまて……もしかして桜華と二人で、お、お泊り、なのか?』
年頃の男女が秘密の部屋でふたりっきりの一夜。
なんて素敵な夜だろうか。
しかし穂原は気楽に構えられるほど、呑気な人間ではなかった。
暑くもないのに汗がぶわっと吹き出す。楽しそうな巫を見ていると、このまま泊まって良いのか問いたくても問えない、ぱくぱくと金魚のように口を開けたり閉じたりしつつ、頭の中では激しく葛藤していた。
『……おちつけ、おちつけ、おちつくんだ』
しかし落ち着けない。
全く持って落ち着いてなどいられない。
『最初に割り当てが決まった段階で異を唱えなかったということは、つまり嫌ってはいないということだが、本当に良いのだろうか、桜華の事は誰よりも好きなことは自信あるが……そ、それとこれとは別で心の準備、が!』
「多門サーン」
怪訝な顔の巫が覗き込んでくる。
過剰に意識した穂原は立ち上がろうとして、椅子ごと倒れた。
「大丈夫ですカ?」
「大丈夫だ。そ、そ、それより食事を手伝おう!」
動揺を押し隠そうとした穂原が立ち上がる。
対して、巫は「もうできましたヨ?」とじゃがいものおやきを摘んだ平皿をカウンターに置いた。
余りにも動揺しすぎた。
……というより、時計が置かれていないツリーハウスの中では、時間の感覚が鈍る。
気を取り直して、缶ジュースやキンキンに冷えたお茶を片手に夕食タイムだ。
「子供は元気があって良いな。桜華は将来どういう子が欲しい……んだ」
『言ってしまったァアァァ!』
自らドツボに填る穂原。
しかし巫は「将来は、そうデスね」とおやきをぱくり。
「できれバー、男の子も女の子もいた方が、賑やかで楽しイですよネ! 息子がいれバ、一緒にお酒飲む楽しみトカ、増えるでショ? フフ」
頬を染めて穂原を見てはにかむ。
『桜華には……勝てん』
いい雰囲気のまま過ぎた食事のひととき。
やがて完全に陽が落ちると、寝室にあがった巫は大はしゃぎした。
「蛍光塗料のお星様、幻想的で素敵! 良い夢が見れそうでス! 多門サン、星が見えマス! 早く早く!」
「あ、ああ」
容赦なく隣をばふばふと叩く巫に負けた穂原は遠慮がちに寝台へ入った。なにやらはしゃぎ回っていた巫も、やがて寝息が聞こえ始める。無防備な寝顔を見た。
整った顔立ち、ふっくらした唇、長い睫。
眠れない若者は「……桜華は無防備すぎるぞ」と一言呟いて、一睡もできない夜を覚悟した。
せまい。
寝室の寝台の下から、予備のマットレスを引き出していた美森 仁也(
jb2552)は如実に現実を悟りつつ、愛しい妻と一緒に眠るのを半ば断念していた。というのも仁也達の『魔女の隠れ家』には、定員以上の合計四名が押し掛けていたからだ。
元々ツリーハウスというのは、生きた木にボルトを打ち込んで家をつくるもので、主軸に相当な負荷がかかるらしい。それぞれの家に宿泊の定員が定められているのは、急激な劣化を軽減する為だという。美森たちは難色を示した雇用主に「子供だから」と無理をお願いし、四人で泊まる事に内諾を得たのはいいものの……四人が転がるには……流石に寝台は小さかった。
「ここ最近……年少組の引率が多いな。まぁいいか」
ぽりぽり頬を掻きながら、寝床を整えて一階へ下りる。
妻の美森 あやか(
jb1451)が小さな台所で奮闘していた。
「もうちょっと味が濃い方がいいでしょうか。お塩とってもらえる?」
「はーい」
神谷 愛莉(
jb5345)が料理を手伝う。
今夜のメニューは、焼いた茄子の上にスライスした玉葱。トマトにクレソンと茹で卵のスライスを乗せたサラダ。鶏肉は一口大に切って塩胡椒で焼いて、茸はハーブを効かせたオリーブオイルでさっと炒め、ご飯の代わりにパン、上に炙ったチーズを乗せた。
デザートはクーラーボックスに入れて冷やしておいた桃の予定だ。
「美味しそうだ」
仁也に気づいた礼野 明日夢(
jb5590)が、野菜を刻み終えたあと、神谷に後を任せて仁也のところへ走ってきた。恐縮しながら頭を下げる。
「……仁也さん、なんか、お邪魔して申し訳ありません……」
「いや、いいさ。寝る場所は狭いかもしれないが我慢してくれ。ところで何で学生服なんだ? 暑いんだし、ジャージで充分なのに」
「えっと、その、ジャージ着て……キャンプの子供と間違われると困りますから」
「なるほど。それはそうと明日夢、残念だったな」
「台所小さいですから、あやかさんと愛莉で一杯ですもの、仕方ないですよ」
「ランタン2つじゃ足りなかったか」
「台所火を使いますしね、仕方ないですよ、光源は大事……あ、ご飯できたみたいですね」
カウンターは二人がけなので、床に敷物をしいて、ピクニック仕様で食べることになった。
「おいしそうだ」
「お腹ペコペコですもの。沢山たべてくださいね」
「愛莉も手伝ったけど、あやかさんは料理上手です。……あ。んーと、従弟のかいちゃ、って……ほっとくと寝ちゃってお夕飯食べない人だから、お夕飯届けてきますねー」
少しずつ別皿に盛り合わせた神谷が夕飯のお裾分けに出ていった。
神凪 宗(
ja0435)と神凪 景(
ja0078)は子供達に用意したのと同じ夕食になった。
つまりはカレーである。
疲れた体を、香辛料のきいた料理がいやしてくれる。特別な手間を加えなくても、不思議な空間が特別なアクセントだ。
今まで夫婦で行ったピクニック、クリスマスに買ったケーキの事など、小さくて大切な思い出を積み重ねていく。今日のことも、きっといつか思い出して、笑い会えると素敵だ。
「ごちそうさまでした。で、片付けもおしまい。宗さん、早く早くー!」
景が渡り鳥の宮殿を目指す。
地上から高い場所につり下げられた、鳥の巣の外観のツリーハウス。今夜の宿だ。
「おじゃましまーす。うわぁ……なんか、いい感じ! えい!」
クッションの部屋に身を投げる。ふかふかの寝床に体が沈んだ。四方から風が通るので、全く暑くもないし、虫の心配もない。思う存分、ごろごろしてみると、僅かに揺れた。
「わー、揺れてる。ゆりかごって感じ? 寝っ転がると、隙間からちゃんと空も見えるし、ロマンチックな気分にもなりそう? 昼間の子供達と触れ合うのも楽しかったけど、こっちも何だかテンション上がるわ。ついつい夜更かししそうね」
枕を抱えて夫を見た。
「寝ないと疲れがとれないと思うが」
「寝るのがもったいないんです」
誰にも邪魔されない憩いのひととき。二人を照らすのは、枕元に置いた借り物の小さなペンライトだけ。
「そういえば、宗さん。今日の子供たち可愛かったですねー。……私達の子供も、あんな風に育てば良いですね。ふふっ、さぁ寝ましょう」
手を繋いで……と思っていたら、急に宗が起きあがった。
繋いだ景の手、微かに見える薬指の輝き。
「景が居てくれるおかげで、自分はここまで頑張れた。これからも宜しく頼む」
「もう……結構、待っていたんですよ?」
思い出の夏の夜になった。
夜風が涼しい。
「お風呂に入れてよかった」
散策から戻った作務衣姿の音羽 海流(
jb5591)は渡り鳥の宮殿によじ登って、クッションにごろりと横になった。最悪、水を絞ったタオルで全身を拭うか否かくらいの事を考えていたのだが、幸いにも最後の手段は使わずにすんだ。
汗くさいジャージは袋に詰めて荷物に押し込む。
もう何もしたくない。
料理するのも面倒だ。
「……ん?」
ライトで照らすと、皿が置いてあった。書き置きは知り合いのもの。
『かいちゃ、食べないとダメよ』
完全に見透かされている。
友人の気遣いに感謝して、食事を胃袋に押し込んだ音羽は、再び横になった。
洗い物は明日で良い。とりあえず寝たい。
は、と思い出した荷物の中から綿毛布を引っ張り出すと、クッションにしいた。快適に寝るための工夫である。あとは備え付けのタオルケットを腹にかけて、灯りを消す。
ゆらゆらと寝床は揺れる。
微睡むのに最適な揺れだった。
蚊帳のむこうに見える星々が闇夜に瞬き、遠くでキャンプファイヤーをする子供達の声が、微かに耳に聞こえてくる。静寂の中に混ざり合う音は、獣の声だろうか。
「今夜は、一人でゆっくり眠れそうだな」
開放感の中で、音羽は瞼を閉じた。
ジョン・ドゥ(
jb9083)は石造りの小さな竈で一人前のハヤシライスを作ると、ひとりっきりの優雅なカウンターでぱくりと一口。
うまい。
「やっぱりキャンプではカレーよりハヤシライスだな」
満足げに呟いて、室内を見渡す。
色んなツリーハウスが並んでいたが、此処だけ別世界だ。
「一人旅……って訳でもないが、こういうのも良いな、たまには」
気兼ねないひとときを楽しむと、夜の散歩に繰り出した。
さくさくさく……
聞こえるのは自分の足音。
古めかしい備え付けのランタンが、いい味を出している。
木々のひらけた場所を探していて、結果的に湖畔にたどり着いた。幾つかのゴンドラが沖へ繰り出していく。湖面に映る光を辿って空を見上げると、満天の星空があった。
「こんなに星があるのに、人間はよく星座なんて生み出したな。日本では月に様々な呼び名を付けるとか……人間の感性もそれなりに面白い」
「なに、君も星を見に来たの?」
唐突な声の主は、下一結衣香だった。
「これから出るんだけど、一緒に来ない? ゴンドラの席が開いてるのよ」
「それじゃ、お邪魔しようか」
ドゥがゴンドラに乗り込んだ。
下一結衣香のゴンドラには、ワンピース姿の雪室 チルル(
ja0220)と木嶋香里(
jb7748)、新柴櫂也という先客がいた。淡い翡翠色のフリルドレスを着た木嶋が、夕飯の時に一緒に作った牛もも肉の串焼きや、夏の夜の乾きを潤すノンアルコールカクテルを振る舞う。
「皆さん 美味しい物を食べながら星空を楽しんでくださいね。はい、グラスで乾杯」
「かんぱーい! あ、このお肉美味しい。タレ仕込み?」
雪室が早速肉を摘む。
「キャンプ場についてすぐ漬けましたから! 自信はあります」
新柴は「寒くなってきたら、温かいほうじ茶もあるから」と女性達に気遣いをみせつつ、刻んできた胡瓜や人参や大根の野菜スティックに、サワークリームのディップを置いた。
「やばーい、げきうま」
「結衣香君、口にディップついてる」
指摘する新柴に対して、隣のドゥは見て見ぬ振り。
「大丈夫、暗いからわかんない! ところでこれ、なんのジュース?」
開き直った意地汚い結衣香が首を傾げる。木嶋は「シンデレラっていう名前なんですよ」と自慢げに答えた。ドゥも「おいしいな」と一言。
沖に出たところで、小さなランタン一つ以外の光を消した。
満天の星空が広がっている。
「滅多に見られない素敵な星空ですね!」
空にしなやかな手を伸ばした木嶋が「すいこまれそうです」と夢うつつに呟く。
「確かに星が凄く綺麗だ」
新柴は『夜の湖で船に揺られて夜空を眺めてると宙を浮いてる気分だ』と思った。
「星座っていろんな種類があるのよね? あたいのも見えるかな? この季節で見つけられそうな星座って、みずがめ座とか蛇座とか、おとめ座なんだって」
雪室の言葉を聞いて結衣香が荷物を漁りだした。
ノートの下敷き程度の大きさをした薄い板で、なにやら蛍光塗料で光っている。
「結衣香さん、もしかして星座の一覧ですか?」
「あったりー、香里ちゃん、するどーい」
大袈裟にノリよく笑う結衣香に「っていうか、それ以外にみえないけどね」と雪室が突っ込む。結衣香が持ってきたのは一年間の星座表だった。春夏秋冬全ての目立った星座が蛍光塗料で書き込まれ、淡く輝いている。
結衣香が付箋を示す。
「もう印つけてきてあるの。これが夏の大三角。ここから星座を探していこうよ」
効率的な提案に、雪室が小さくガッツポーズ。
『うん、楽しく見なけりゃ損損だよね。あたいも頑張ろう!』
一人で必死に探すか、手分けして頑張るか、さてどうしようと考えていたところだった。
5人は早速、目印の星座探しから始めた。
思い思いに過ごすリゾートの夜。
天の高い場所から、星の囁き声が聞こえてくる気がした。