●西塔
午後の九時半を前にして、富岩運河環水公園の展望塔には依頼を受けた撃退したちが集まっていた。
二塔のうちの一方、向かって西側に存在する展望塔にはアレクシア・エンフィールド(
ja3291)、柊 灯子(
ja8321)、アステリア・ヴェルトール(
jb3216)、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)の四人が待機している。
「そろそろ、時間ですね」
傍らにヒリュウを浮かべたアレクシアが、時間の経過を確認しながらつぶやく。
バハムートテイマーであるアレクシアの視界は召喚獣と共有されている。短い時間ながら周囲を飛び回らせて確認した運河公園の景色は美しいの一言だった。
「この素敵な場所にディアブロの存在は不相応ですね。即刻、退去していただかなくては」
その言葉を聞き、竜胆が東塔の方角を見やる。
西塔の糸電話は自分が使用すると申し出た。相手側がだれであるかはお互いに確認していない。
「カップルのためのスポットなんだからさ、相手は女の子で頼むよホント。もし男同士なんてことになったら」
「アリだと思うわ」
力強い答えを返したのは灯子だった。
「ア、アリなの?」
「男性同士の純愛スポットなんて例がないもの。観光地の目玉としては希少価値があるわ」
意識せず熱を帯びる自分の言葉を頭のなかで反芻しながら、灯子は東塔に向かった仲間の姿を思い浮かべる。
「私は応援するわよ?」
「その気持ちは他の誰かのためにとっておいてあげてね」
早々に話を切り上げて静かに時間の経過を待つ。
時計の秒針が九時半を示すと同時に、竜胆は糸電話に声を吹き込んだ。
相手からの返事は無い。ただ奇妙な、這いずりまわる節足動物の足音がかすかに響くばかりである。
「砂原さん! 後ろに!」
アレクシアの声に反応して振り返る。
竜胆の背後では人ほどの大きさを持つ蜘蛛が糸を伝ってぶら下がっている。撃退士たちの周りはいつの間にやら蜘蛛の糸が張り巡らされていた。
獲物と目が合った蜘蛛は長い前足で肩を掴み、今にも捕食せんと竜胆に噛み付いた。
「くっ……野暮な蜘蛛さんだね、まったく」
胸元を噛み付かれた竜胆の顔が青ざめる。
蜘蛛の牙は皮膚を貫き、体内に毒を流し込んでいた。
「いいのかしら、敵に隙を晒して」
獲物に食らいついたままの蜘蛛の身体に金属製の糸が巻き付く。
灯子が力任せに引っ張ると、ワイヤーは蜘蛛の肉に食い込み、その身をのけぞらせた。
「アステリア!」
「ええ、お任せください!」
浮き上がった腹部にアステリアの操る白銀の槍が突き刺さる。
血をまき散らした蜘蛛は腹部後端の出糸管から糸を吐き出し、西塔を囲む糸の結界に張り付かせる。それに引っ張られるようにして撃退士たちから距離を置いた。
「砂原さん、ご無事ですか」
「僕に来る分には自分で治せるから大歓迎だよ」
アステリアに軽い口調で返した竜胆は自らのアウルを高め、体内の毒素を完全に消し去った。
「なによりです。しかしこの糸、相当に厄介ですね」
一度逃げ出した蜘蛛はしかし転んでもただでは起きず、糸の結界を張り巡らせて自らの支配エリアを増やしていく。
撃退士たちの行動範囲が狭まる中、頭上から蜘蛛が糸を垂らして降りてきた。狙いは先ほど傷を負わせたアステリアである。
「させません……ウィルム!」
すでに召喚獣をヒリュウからストレイシオンに替えていたアレクシアが自らを中心に防御結界を張り巡らせる。
蜘蛛の前足がアステリアの肩を突き刺す。結界の効果に守られ、深手には至らなかった。
「防御は任せて下さい。皆さんは攻撃に専念を」
「ありがたいね。じゃあ遠慮なく、暑くなりなよ?」
指を鳴らした竜胆の頭上に炎の玉が浮かび上がる。
火球は蜘蛛を中心に着弾し、周囲の糸ごと敵を焼き払った。
たまらず蜘蛛は新たな糸を吐き出して上部に移動する。巻き込む者のいない場所への逃走は、アステリアにとっては好都合だった。
「魂も持たぬ虫けら風情が。ただ本能のまま生き延びようとあがく姿のなんと哀れなことか」
傷付け、傷付けられたアステリアの表情に笑みが浮かぶ。
指先を頭上に向ける。数多くの魔法陣が展開し、そこから形成された魔剱が次々と全身をめった刺しにした。
足場となる糸が切られ、蜘蛛は地上に落下する。
その隙を逃さず、灯子は左の前足に金属糸を絡ませた。
「まずは一本、いただくわ」
糸を手繰り寄せ、前足を根本から引きちぎる。
それでも勢いは衰えず、後ろの二本を残した五本の足で灯子を掴んだ。
五本の足先が灯子の身体に突き刺さる。ストレイシオンによる結界は確実に防御を高めているが、蜘蛛は構わず、灯子を抱えたまま上空に移動した。
「無理矢理ってのは関心しないね。だからいつまでも非リアなディアボロなんだろうけど」
獲物を手に入れ、今にも食らい付かんとする蜘蛛の周りに砂嵐が巻き起こる。
無数の砂が蜘蛛を切り裂き、その傷口に張り付く。蜘蛛の身体が徐々に固まり、石化したように動けなくなった。
自分を掴む力が失われると、灯子は金属糸の代わりに一対の長剣を呼び出した。
「忠告したはずよ。一人にかまけてると隙だらけになるって」
金と銀の双剣を振り回し、石化した足を砕いて拘束から逃れる。
支えを失って落下した灯子をアステリアが翼を広げて安全に受け止めた。
「ありがとう。助かるわ」
「いいえ、虫けらに仲間が傷付けられることが我慢ならないだけですので」
動かないままの蜘蛛に再び魔剱を射出する。
糸が千切れて落下する蜘蛛にそれ以上の深追いはせず、まずは灯子を地上に下ろした。
「はいはい、もう少し頑張ってねー」
長く蜘蛛に触れられていた灯子は顔色が青ざめるほど毒が回っていたが、竜胆によって徐々に健康な肌艶を取り戻した。
蜘蛛のディアボロもまた、石化から解かれ、残った足で身体をふらつかせながら動き出す。
その真上から重量級の存在が頭胸部を踏みつぶす。馬の骸骨に黒鎧を身に付けたその姿は、アレクシアの呼び出したスレイプニル、アルスヴィズであった。
「人の恋路を邪魔する火の粉は……火元から消すより他には無いようですね」
スレイプニルは大きな声でいななき、蜘蛛を蹴り飛ばす。
展望塔の外側を包む糸まで弾き飛ばされた蜘蛛は力なく崩れ落ちる。その前に白銀の槍を握り締めたアステリアが立った。
「人に害しか及ぼさぬ虫けらなれば、潰して無聊を慰めるのが唯一の取り柄。貴方もそう思うでしょう?」
舌先で軽く唇を舐め、蜘蛛の口から串刺しにするように槍を突き刺す。
痛みに身悶えし、絶命する姿を見ながら、アステリアは乾いた笑い声を上げた。
「ヴェルトールさん……その……」
たまりかねたアレクシアが声を掛ける。
途端にアステリアは正気を取り戻し、頭を抱えてその場にうずくまった。
「あぁ……私はまた……」
破壊衝動に支配された自身を恥じるアステリアを仲間たちが心配そうに見つめる。
その中で竜胆は東塔に目をやり、大きく深呼吸をした。
「せめて、犠牲になった子たちが安らかに眠れるように聖歌を贈ろう」
美しい歌声が西塔を中心にして運河公園に響き渡る。
その旋律は、後悔にさいなまれるアステリアの心をも癒していた。
●東塔
西塔から天門橋を挟んで58m先に東塔が存在する。
こちらでは雪室 チルル(
ja0220)、仁良井 叶伊(
ja0618)、元 海峰(
ja9628)、廣幡 庚(
jb7208)の四人がディアボロの出現を待っていた。
「でっかい蜘蛛ね! これは倒しがいがあるってものよ!」
ウシャンカを被ったチルルが糸電話を覗き込みながら元気な声を上げる。
話し合いの末、東塔では最も身の守りに優れたチルルが糸電話の担当となった。
「人間を狩る蜘蛛ですか……以前からこの場所が狙われていたと考えて間違いなさそうですね」
内心の不安を叶伊が吐露する。
北陸新幹線開業後に被害者が増えた。このことから、蜘蛛の存在は突発的なものではなく、これまで気づかれていなかっただけなのだと確信していた。
「被害者の増加は看過できません。迅速に終わらせることにしましょう」
意気込みとともに拳を固く握り締めた。
「周囲の様子はどうなんだ。遠くに滝が流れ落ちるような音は聞こえるが」
目元に包帯を巻いた海峰が音の聞こえる方向に顔を向ける。
運河公園には滝が流れる仕掛けが施されている。その場所はライトアップされているが、光纏前の海峰には見えていなかった。
「今のところは穏やかなままですね。私たち以外の生命反応も感じられません」
庚はナイトビジョンで視界を確保しながら生命反応を探る。盤石な警戒態勢をもってしてもディアボロの気配は掴めなかった。
なおも警戒を続けているうちに時計が九時半を示す。
糸電話を両手に持ったチルルは、大きく息を吸い込んで声を吹き込んだ。
「ヤッホー!」
すぐさま左手に持ち替えて耳に当てる。
相手からの返事は無く、耳の奥を走り回るような、気味の悪い音が聞こてくるばかりであった。
「――! チルルさんっ!」
庚の呼び掛けに答えるようにして、チルルは自分の手元に大柄のツヴァイハンダーを呼び出した。
ツヴァイハンダーはみるみるうちに氷の結晶に覆われていく。それがチルルを守る盾となり、現れた蜘蛛による噛み付きを防いだ。
「出ましたね。この初撃が、勝負!」
叶伊はハルバードを振り上げ、無防備な蜘蛛を目掛けて力の限り振り下ろした。
翼のような形状の刃が深々と腹部に突き刺さる。蜘蛛は出糸管から吐き出した糸を伝い、東塔を囲む巣の結界に逃れていった。
「糸はどうにかする! 蜘蛛の相手は任せたぞ!」
包帯を解いた海峰の目にぼんやりと周囲の景色が映しだされる。
鉄扇を両手に持ち、舞うようにして近場の糸を切断していった。
「私も援護します。傷ついた方はお知らせください」
庚も同じく糸を狙う。標的にするのは離れた場所である。
前衛の進行を遮る糸が炎状のアウルに焼き尽くされる。好機と見たチルルは一人蜘蛛の元に駆け出した。
「先手必勝! そっちが蜘蛛の巣ならこっちは結界よ!」
蜘蛛の目の前で立ち止まったチルルはその場で膝を曲げ、地面に手のひらを叩き付ける。
足元から鎖状のアウルが現れ、蜘蛛と近くの糸に激しく打ち付けた。さらに身を縛り付けるように巻き付くが、糸を使ってあっさりその拘束から逃れた。
アウルは結界の中心に居るチルルをも捉えようと動く。しかしこちらも身軽な動きで回避した。
「あたいから逃げられると思ったの? いくよ、突撃ー!」
糸を伝って移動する蜘蛛をチルルは猛ダッシュで追い掛ける。
蜘蛛のたどり着いた先は叶伊の元だった。猛り、狂ったように前足を持ち上げ、叶伊の身体にのしかかる。
鋭い牙が叶伊の肩に突き刺さる。深い傷口からは蜘蛛の猛毒が流し込まれた。
「阿修羅の私が、こんなことで怯むとでも思いましたか!」
噛み付かれながらも叶伊は武器を手甲に持ち替え、蜘蛛の頭部を真横から殴り付ける。
蜘蛛から力が抜け、肉を裂く牙が持ち上がる。その隙に叶伊は横にステップして対峙する蜘蛛から距離を置いた。
「元さん、前をお願いします!」
「任せておけ! お前はそのまま走れ!」
叶伊に続く道を遮る糸に向け、海峰が直線上に炎を放つ。
その先の蜘蛛ごと糸が炎に包まれる。叶伊の元に駆け出した庚は、まずはアウルを補助して身体を蝕む毒素を取り除かせた。
「毒はこれで大丈夫です。次は傷を」
「ありがとうございます。ですが、そちらは後でお願いします」
叶伊は礼を行って走り出す。
「さあ、そろそろ糸も少なくなってきたんじゃないの?」
先に辿り着いたチルルのリング一つ一つから白い光球が浮かび上がる。
光の玉はすべてが蜘蛛を目掛け、その大きな体躯にぶつかって弾けた。
蜘蛛の身体にえぐられたような傷跡が残る。一瞬だけ怯む様子を見せながらも、果敢に足を持ち上げてチルルの身体を刺した。
「そうそう、殴り合いなら相手になるよ!」
近接距離での戦いに叶伊も参戦する。ハルバードを下から振り上げて足の一本を切断した。
形勢の不利を悟った蜘蛛が上空に逃げ延びる。その方向にむけて、海峰は鉄扇を掲げた。
「何処に行こうと無駄だ。足場が無限に増やせるというのなら、無限に焼き尽くすまで」
真っ直ぐに伸びた炎が蜘蛛ごと巣の結界を焼き切る。
蜘蛛は落下中に新たな糸を張り付かせる。その細い糸に庚が狙いを定めた。
「貴方を守るその蜘蛛の糸、断ち切らせていただきます」
手元にピアノの鍵盤が現れる。ディアボロへの怒りを込めた強い音が辺りに響き、衝撃波となって糸を切断した。
落ちたディアボロはしかし残った足で器用に着地して衝撃を和らげる。
まだ戦意は失われておらず、距離を詰める二人とやり合いながらも糸の供給を続けている。
「供給源はそこで間違いないようだな。ならば狙いは一つ」
ぼやける視界の中、海峰は出糸管辺りを狙って炎を纏った剣を投げ付けた。
前の二人に気を取られていたディアボロは避ける動きすら見せない。狙い通り目的の場所に傷をつけると、完全ではないものの、糸の供給が明らかに減少した。
「これで糸の処理が供給を上回りました。あとは本体を仕留めるだけです」
残った糸を庚が次々と焼き尽くしていく。東塔を囲む巣の結界は大部分が残ってはいるが、そこに逃れるまでの糸は吐出されるたびに処理され、敵を逃さないだけのものになっていた。
「そろそろ限界なんじゃないの? この戦い、あたいたちの勝ちよ!」
相手の力が弱くなってきたことを感じたチルルがさらに光球をぶつける。
蜘蛛は足を小刻みに動かして後退する。その背後に回り込んだ叶伊が、高々と最上段にハルバードを構えた。
「逃げても、西塔にあなたの助けはありませんよ。私たちの仲間によって退治されているはずですから」
頭胸部と腹部の繋ぎ目に向けて、渾身の力を込めてハルバードを振り下ろす。
蜘蛛の身体は真っ二つに切断され、その生命を失った。
「よーっし、あたいたちの大勝利ー!」
チルルはどっと疲れを感じて座り込みながらも、両腕を大きく上げて勝利の喜びを表す。
「残りの糸は……消えていきますね。よかった」
東塔を囲んでいた糸は蜘蛛の死とともに粘性を失い、千切れ落ちて消えた。後に影響を残さなかったことに庚は安堵のため息を付いた。
終わりを悟った海峰は光纏を解き、目元に包帯を巻く。
「すまないが、ここの夜景は良いものか?」
「純粋な想いを叶えるのにふさわしい、美しい景色です」
答えた庚に頷いて見せた海峰は手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。